☆ ★ ☆ 堀 川 家 の 日 記 帳 ☆ ★ ☆

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☆出産後編☆

【出産後の入院中】

出産後、4日で体重は9kgも減っていた。妊娠中毒症で水分かかなり体の中に溜まっていたようで、○シッコの量がすごかったようだ。 自分で行けない2日間(管)はそれはそれはすごかったらしい。管が入ってるので自分じゃした感じしないし、不思議な感じ。会う先生や看護士さんから『顔・小さかったのね~』などと何回も言われた。そうとう顔も浮腫んでいたようだ。 さてさて、入院中の私がする事といえば、3時間毎の搾乳だけでした。入院したての『絶対安静』は徐々に解除されて、出産後1週間でテレビも見てよいと言われました。消灯時間は9時だったけど、久しぶりに観たSAMP×SAMPは楽しかった♪♪
私が同じ病院に入院している拓也に会えるのは完全予約制で、1日1回30分だけだった。 でも、同じ病院に入院できただけでもありがたい。入院した日(1月4日)には、NICUのベット(保育器)は空きがなかったので、産む事になったら、母子別々、拓也だけ違う病院に搬送される事になっていた。運良く誕生日(1月11日)の前日に1つだけ空きがでていたという。 誕生日が111だし(夫婦そろってゾロ目好き)ベットが空いた事といい、なんとラッキーなやつだ。超低出生体重児だったため、色んな手続きも必要で、名前も早急に決めなくてはいけなかった。男の子だという事はわかっていたので、パパの字の『也』の字はつけようと決めていた。 あとは、ママが木村拓哉が好きなので『拓』を頂き『拓也』とつけた。 パパも反対などはしなかった。 産まれる前から少し言っていたし。 というか、ほぼ決まってた(笑)


【ママだけ退院】

拓也が産まれて10日後にママだけ退院した。なんだかとっても寂しかった(T.T) 拓也は体重が777gまで落ちた(スリーセブンとは縁起がいいでしょ?)けれど、約3週間で出生体重まで戻った。1ヶ月後は1000gは超えていた。この時は体重が1gでも増えると嬉しくて、逆に減るととても悲しかった。看護士さんとの交換日記みたいなものがあり、そこには毎日の体重とミルクの量やその日の様子が書かれてあった。私は搾乳の量と面会した時の感想などを書くようになっていた。拓也は生後2日目からミルクが始まり初めのミルクはなんと1mLでした。多分1滴2滴の世界だよね。 母乳が体に1番いいとのことで、私の母乳は検査待ちであげられなかったけど、同じ未熟児ママの母乳をはじめはもらっていたそうです。
その後ママの母乳もOKがでたので今まで貯めてあったぶんたくさん飲んでもらいました。毎日毎日面会は30分だったけど、その30分が本当に楽しい時間でした。九大はパパの会社からも近くなので、パパも仕事を少し抜け出して、ほとんど毎日拓也に会いにきました。 保育器の中に入ってる拓也を触ることが出来ます。手袋をしてだけど、毎日よしよしと頭をなでたり、小さな(本当にちいさいよ)手を握り締めたり。時には触らず、ずーーっと眺めていたこともあります。ほとんど毎日寝顔なので、目を開けているときは嬉しくて、写真もたくさん撮りました。ビデオカメラも購入して拓也の姿を時々撮って、家で見てはニヤニヤしてました。
ママはまだ拓也のお世話もしなくていいし、やる事は毎日の搾乳だけなので、産後はのんびり過すことが出来たと思ってます。

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