「きらりの旅日記」

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ほしのきらり。

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2016.06.28
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カテゴリ: 美術館・博物館

「クリスティーナの世界」Christina's World・・・アンドリュー・ワイエス作

深い深い事情がありそうな・・・この絵画について、調べてみました

IMG_7961.jpg

『クリスティーナの世界』1948年(2016年4月2日MOMAにてきらり。撮影)


アンドリュー・ワイエス Andrew Wyeth・・・とは?



アンドリュー  ワイエス
Andrew Wyeth

917年7月12日 - 2009年1月16日

20世紀のアメリカの画家

アメリカン・リアリズムの代表的画家であり、

アメリカの国民的画家といえる。

日本においてもたびたび展覧会で紹介され、人気が高い。



1917年

ペンシルベニア州フィラデルフィア郊外のチャッズ・フォードに生まれる。

心身ともに虚弱であったワイエスは、

ほとんど学校教育を受けず、

家庭教師から読み書きを習った。


絵の師は・・・

著名なイラストレーター(挿絵画家)であった

父親(N.C.ワイエス)である。


ワイエスは

自宅のある、生地チャッズ・フォードと、

別荘のあるメーン州クッシングの2つの場所以外には

ほとんど旅行もせず、

彼の作品はほとんどすべて、

この2つの場所の風景と、

そこに暮らす人々とがテーマになっている。


代表作「クリスティーナの世界」に登場するクリスティーナは、

ワイエスの別荘の近くに住んでいたオルソン家の女性である。


生来病弱で孤独に育ったワイエスは、

この、ポリオで足が不自由な女性が、

何もかも自分の力でやってのける生命力に感動し、

出会いの時からその死まで30年に亘ってこの女性を描き続けた。


近年、日本でも公開されて話題になった

「ヘルガ」のシリーズは、

自宅の近くの農場で働いていた

ドイツ系のヘルガという女性を、

自分の妻やヘルガの夫に隠れて、

240余点もの作品を15年に亘って描きつづけたものである。


1963年には

大統領自由勲章を、

同年に全米芸術賞をそれぞれ受章、受賞している。


2009年1月16日、

ペンシルベニア州のチャッズ・フォードにある自宅で死去した。

91歳没。




【父親がA.ワイエスに与えた影響】

ワイエスの父は、

ワイエスに絵画技法を徹底的に教えた。

そこにあるものを正確に描写するように指導し、

その次は見なくても「存在する」かのように描けるようにした。


トマス・ホヴィングとの対話集より

― 以下Q(質問者ホヴィング)とA(アンドリュー・ワイエス)

Q:絵を描き始めたきっかけは?

どのようにして絵描きになられたのですか?

あなたの最初の頃の思い出は何ですか?


A:そうだね、背後に父の挿絵の影響というものが多少あったし、

時代に逆行することも学んだと思う。

殆どの人は最初、基本に忠実と思い、

伝統様式の中でそれが正しいことだと認識し、

過度に尊重してしまう傾向にあるけれど、

私はそれはまったく逆のことから始めた。

―粗野で。自由で、そして爆発的でさえあった。


その父親が

自動車に乗っているときに列車と衝突し亡くなったとき、

ワイエスは

多大な精神的ショックをうける。

父親の死から半年後に描かれた『1946年の冬』は、

丘から少年が駆け下りてくる瞬間的な絵画だが、

少年は凍りついたように画面に静止し鑑賞者と視線が交わることはない。





父親が亡くなった一ヵ月後に

事故現場ちかくで水彩画に取り組んでいたワイエスの前を、

軍服にパイロット帽をかぶった少年が駆け下りてきたため制作された。

少年が視線を向ける進路の先は画面左側であり、

少年がどこに向かっているのかは鑑賞者には全く想像がつかない。


【ヘルガをめぐるゴシップ】

1986年の夏、

ワイエスが妻ベッツィに内緒で240点もの連作を描きためていることが判明した。

モデルは故郷の隣人であるドイツ系女性ヘルガ・テストーフである。

制作期間は15年にもおよび、その間、妻は把握していなかった上、

異性のヌードを描くということは密室空間に裸の異性と二人きりを意味するため、

アメリカのみならず、日本人もごく稀にそのゴシップを把握しているものがいるほどである。


ワイエスがヘルガの作品群を妻ベッツィに内緒で描くことになった経緯は、

以前、ワイエスが異性のヌードを描く際に妻ベッツィが

「次は私に見えないところでやって」と言ったためだと、ワイエスはしている。


【代表作】

1946年の冬(1946) テンペラ・板 79.7×121.9cm ノース・カロライナ美術館蔵

クリスティーナの世界(1948)ニューヨーク近代美術館蔵

海からの風(1947)ナショナル・ギャラリー (ワシントン)蔵

踏みつけられた草(1951) テンペラ・板 50.8×46.3cm ワイエス夫妻蔵

アルヴァロとクリスティーナ(1968) 水彩 58×74cm ロックランド(アメリカ)、ウィリアム・A・ファーンズワース美術館蔵

松ぼっくり男爵(1976) テンペラ・板 80×80cm ブランデーワインリバー美術館蔵

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『クリスティーナの世界』

Christina's World

アメリカ合衆国の画家アンドリュー・ワイエスが

1948年に描いたテンペラ画

20世紀中期の最も有名なアメリカの絵画の1つである

樹木の無い殆どが黄褐色の草原に覆われた地面に横たわり、

地平線に見える灰色の家や隣接する小さい離れ、納屋を見上げる女性を描いている。



この写実主義で描かれたテンペラ画は、

パーマネントコレクションの一部としてニューヨーク近代美術館に展示されている。



【背景】

描かれている女性は、

アンナ・クリスティーナ・オルソン

(1893年5月3日 - 1968年1月27日)である。

彼女はCMTに罹り、下半身が麻痺していたことがわかっている。

即ち絵の中のオルソンは腰を下ろして寛いでいるのではなく、

このように這って進むしか出来なかったのである。

ワイエスは、

家の窓から草原の向こうを這っているクリスティーナを見て、

創作意欲を掻き立てられた。

1953年にアルフレッド・バー(後述)に宛てた書簡で、

ワイエスは

「大部分の人が絶望に陥るような境遇にあって、

驚異的な克服を見せる彼女の姿を

正しく伝えることが私の挑戦だった。」

と書いている。


ワイエスは

この地に夏の別荘を所有しており、

オルソンと親しくなって1940年から1968年にかけて

彼女や彼女の弟をモデルに絵を描いた。

オルソンはこの作品の創作欲を刺激し、

題材となった人物ではあるが

全身がこの絵のモデルとなったのではない。


描かれた胴部は

ワイエスの妻ベッツィがモデルを務めた。

ワイエスがこれを描いた当時、

オルソンはすでに55歳だった。





◎ オルソン・ハウス(1995年)

描かれている家は、

メイン州クッシングにあり、

オルソン・ハウスと呼ばれている。

オルソン・ハウスは

アメリカ合衆国国定歴史建造物に指定されており、

ファーンズワース・アート・ミュージアムが管理し、

一般に公開されている。

ワイエスは

絵の中で実際より家と納屋を離して描いている。



【反響と歴史】

『クリスティーナの世界』は、

1948年にマンハッタンのマクベス・ギャラリーで初公開された。

当時は批評家からは殆ど注目されなかったが、

MoMAの初代館長アルフレッド・バーが

直ちに1,800ドルで買い取った。


バーは

絵をMoMAの呼び物にし、

その人気は年月とともに徐々に高まっていった。

今日、この作品は

アメリカ美術の象徴と見なされ、

外部に貸し出されることは稀である。




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最終更新日  2016.06.28 08:12:03
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