Hug育(はぐはぐ) 育児は育自

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●女性と政治


当日何を喋るのかも事前の打ち合わせもなしに、1時スタート予定の5分前に集合。
いざ1時からは女性グループのリーダーから手渡された紙切れを見て連呼。

「世の中半分は女!なのに重要な取り決めをする場に女性はわずかしかいない!」
「もっと女性が重要な審議や政策決定の場に参画しなくてはいけない!」
「男女共同参画社会を目指すなら、議会の半分は女性が占めてもいいはず!」
「議会にもっと女性が進出し、女性の目・耳・口を反映させられる世の中を!」
市駅前の昼下がり、行き交うは食事を済ませたサラリーマンやら、有閑なおばちゃんたちやら、お子ちゃまとお買い物を楽しんでるママたちやら・・・単なる移動している人たち。人はいなくはない。でも誰も関心があるフウでもない。

関心なんて全くないだろうな。だから「聞いてよ」「知ってよ」ってで大声はりあげているんだもの。立ち止まって興味深く聞き入ってくれても恐ろしいものがあるし、期待もしていない。
私の声に耳を傾けてくれて「はっ」と思うことなんてあってくれようものなら・・・そんな度量・器量があるなら、さっさと市議でも県議でも立候補してて、今頃「先生」になってる。
とにかくパフォーマンスでしかない。でも、パフォーマンスしなくちゃメディアは取り上げてくれない。市駅前には来ていないが、この趣旨の賛同者たちにも「こんなことしました!」「頑張ってます!」とアピールやら報告もしなくちゃいけない。その場で耳を傾けてもらわなくてもいい、ただ言いたいことを言ってみてるだけ。何かしましたよ~っていうかっこつけだけ。それでも新聞に載ったりTVで取り上げられるとニュースとして「事」となる。そのニュースをそれなりの人たちに知ってもらえることになる。何ともオカシナ構造になっている。

新聞に載っても、TVに出ても、結局は関心のある人にだけしか見てもらえず、聞いてもらえず、大半、いや大部分の女性達にいっこうに声は届かない。届けても受け入れられない構造でもあるのだ。関知してないはずはないのに、関知されず、関心をもたれない。
目先の重要なこと(今夜のおかず・洗濯物・掃除・子どものこと・家のローン・・・)からすれば、他力本願でかまわない事なのだ。それが巡りめぐって自分の身にふりかかってくることを一切考えていない。

それでいて、「消費税が高い!」「教育費が・・・」「パートしても・・・」「夫の所得税が・・・」「保育園に入れない」「あの道はまた工事中!」「ゴミ出しの場が遠い!」「施設が悪い」「お役所仕事が・・・」けっこうしわ寄せがきて問題となっても、それは政治や政策なんかとは無関係で、あくまでも他力本願でしかない。

がんばってる女性も沢山いる。その頑張った女性が男性社会に同等に入り込んでいっても、「女性」であがるがための興味にだけ向けられて真価を見てくれなかったりする。
女性閣僚が5人。たった5人。でも「女性が!5人も!」と言われているこの社会。総理大臣に女性がなろうが、大臣の半分が女性になろうが、ニュースにならないような社会への道のりは遠い。

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