HULA で、フラフラ

HULA で、フラフラ

いっちの全て


   下の息子のことを、赤ちゃんの頃から

   ”いっちー”と呼んでいる。


   当時、たまごっちのように、”~っち”と語尾につけるのがはやっていた事もあり


   可愛いネーミングを探していた私は、これを使うことにした。


   そして、今では幼稚園のお友達もそのお母さんも、先生も・・


   みんなが”いっちー”と呼んでくれる。


   本人も・・・・。


   来年小学校に入学する前に、僕とか俺とかにしてもらおうと思っていたら・・・


   最近”僕チン”と自分のことを呼ぶ。


     はっきし言って、僕チンはイヤだ。第一、変だ。


     でも、とりあえずこのままでもいいかな。

   いっちは赤ちゃんの頃から”デキル”ヤツだった。


   保育園に入れていたためだろうけど・・


   その前から、その傾向があった。


    2ヶ月前には、夜ミルクをたっぷり飲んで朝までぐっすり寝ていた。


    その後、夜鳴きもなかった。



    3ヶ月頃から、指吸が始まった。


    これは、楽な反面、大変な事になった。


    なぜなら、機嫌が悪くなっても、指を吸ってとりあえずおさまってしまうが

    ミルクを飲ませようとしても、指の方が好きらしくて、ミルクを吸わない。

    仕方なく、技を編み出した(それほどの物じゃないけど・・)


    眠くなると、指を吸う。

    完全に寝たらミルクは飲まないので、ころあいを見計らって、

    指を”ピッ”と離して瞬時に哺乳瓶の乳首を吸わせる。

    すると・・・あ~らふしぎ、よく飲むんだわ~これが。


    このタイミングを見誤ると、次の機会まで、これを繰り返す。


    夜中、眠りが浅くなると、”チュッチュッ・・”とすう音が聞こえ、
    再び自分で寝ていく。


    そんな、楽な赤ちゃんだった。


    寝返りは、なんと!3ヵ月半でした。


    歩き始めはおにいちゃんより早い10ヶ月。


    何でも早いぞ、こいつは。。。



    更に、10ヶ月から保育園に入れたから

     何でも食べる!

    お兄ちゃんは小食で野菜も食べないし離乳食こまったけど

    いっちは、その点楽だった♪


    朝、保育園に行く時は必ず泣いて嫌がった。


    ・・・が、それは私へのサービスだったのだろう

    1分もしないうちに泣き止んで遊んでいたらしい。

    徒歩5分の保育園が希望だったが、年度途中で空きがなくて入れず

    仕方なく、車で15分の保育園に通っていたが行きはともかく

    帰りはおなかが空いているのと疲れているのとでぐずぐずとうるさいから

    必ずおやつを持っていっていた。

    それは、ソーセージであったり、みかんであった。(好物なら何でもいい)

    4月になって、ようやく近所の保育園に入れた。

    それまで評判の悪かった先生が6人くらいまとめて辞めて、

    新米先生が5人入っていた。

    何をするのも、なれない感じ。


でも、何でも一生懸命だった。しかも、子供が大好きだった。

    だから、ちょっと位なれてなくても、全然オッケーだった。

    いっちも、おばさん先生よりも、可愛いお姉さん先生のほうが好きだった。(昔からめんくいなヤツ)

    とっても良くしてもらったから、このまま入れておこうかとも考えたけど・・

    どうも、働いているお母さんとの接点がなくて、私のお友達が出来ないのが気に入らず

    4月から幼稚園が2歳児向けに預かってくれるクラスに入れることに。
    たまたまこの年は、半数以上が自営業の親、その半分は医者関係だった。

    朝夕園の前の道には外車がズラーと並ぶ光景は壮観。


    中のいいママ友も出来たし、いっちにも仲良しが増えてよかったけど


    やっぱり、幼稚園が問題よ。


    お兄ちゃんの時に楽を追い求めて失敗したから

    いっちには、少しくらい手をかけてもいい幼稚園を選ぼうと決めていた。

    選んだのは、週3日お弁当、行事が毎月あって、親の当番とか役回りも多い園。

    でも、先生の顔が違うから、決めた。

    お兄ちゃんの通っていた幼稚園は、お弁当は週1回。バス送迎。当番なし。行事も1学期に一回程度。

    とても楽だったけど、先生が余裕なさそうな顔をしていた。


    いっちの幼稚園は先生が楽しそうにしていた。余裕がある感じ。

    管理保育じゃなくて、一緒に遊んでいるようだった。みんなのびのびしていた。


    ほんとうに、いい幼稚園だ。

    昔ながらの、幼稚園。。    



  年少の年末。我が家は3日後に年末~年始北海道スキーに行く予定だった。
  それなのに、いっちはロフトの上から落っこちて左腕を骨折した。

  そりゃもう、びっくりよ。

  ものすごい泣き声で、これは緊急事態だって察した私は腕を見てみた。

  ひじが、変だった。血は出てなかったけど、骨が突き出ているのがわかった。

  脱臼か、こっせつか?ともかく、冷静に勤めて救急車を呼んだ。

  病院に着くと、レントゲン。ひじの骨(ぐりぐり)が骨折。脱臼もしていた。(ドンぴしゃりじゃん)

  腫れが収まるまで、ギブスは出来ない。だから、仮のギブスを巻いて帰る。

  内心、スキーにいけない、どうしよう・・とこればかり考えていた。(鬼)

  医者に聞くと、当然「どうなっても知りませんよ。」と言われた。

  が!私もダンナも同意見だった。


  家にいても、どこにいても、動き回るのに変わりはない!

  だったら、もったいないから行こう!


              ・・・・・・・・・・と。


  スキーは滑れなくても、飛行機に乗れるし、家にいるよりかはマシだろう。
  ただし、本物のギブスじゃなかったから、すごく気を使ったけど・・。

  お風呂に入るのも、ぬれないようにするのに至難の技。


  デモ、何事もなく、無事に戻って、本当のギブスをつけました。

  ギブス姿って、すご~く哀れに感じてしまうわ。

  左手だったのが幸いだったけど、自分の動きたいように動けないためか

  いっちにストレスがたまっていくのがよく分かった。


  マズ、幼稚園から、歩いてどこかにいってしまった。

   私が立ち話してなかなか帰らないから、歩いて帰ろうとしていたらしい。
   散々、先生とお母さん達が協力して探し回ってくれて、家の近くで見つけた。
   が、途中おしっこを漏らしてぬれたパンツとズボンを持って歩いていたらしい。

  他にも、家からいなくなること2回。

  それまでこんな事はなかったのに!


  デモ、ギブスが取れたら、ストレスもなくなったようで、元のいっちにもどった。

  年中になる前に、補助輪無しの自転車に乗れるようになった。

  (親の知らないうちに、幼稚園の自転車で・・カンゲキ!)

  年中は、仲良し2人と一緒のクラスで、ますます動きが激しくなった。

  それに、幼稚園はとっても楽しそうだった。

 年長になったが先生は同じ先生だった。結構厳しくてよく怒るらしい。

 でも、いくら怒られたって、彼はへこたれやしないけど。。。

 年長さんは鼓笛がある。いきなり、一番大きい大太鼓になった。

 メチャクチャ重そうなでかい太鼓を曲を演奏している間中ずっと、肩から

 下げているのだ。これにはもう、お母さんカンゲキ!!

 しかも、なかなかカッコいい!

 しかし、幼稚園の方針で、1年に3回楽器が変わる。で、あとの2回は

 鍵盤ハーモニカだった。これは最悪。

 全然覚えていない上に、隣の子の指を見て引いているのがばればれ~

  だって、あからさまに、横向いてるんだもん。

 でも、お兄ちゃんが通った幼稚園で感じた、"無理強い"して、厳しい練習

 をしてるような雰囲気はなくて、下手でもそれなりに楽しく弾いていたか

 ら、母は安心しました。音が揃わなくても、皆一生懸命がんばっていて、

 この幼稚園にして本当に良かったと思いました。


 色々あった幼稚園も、とうとう先月卒園して今はピカピカの一年生です。

 あのいっちーが小学生だってのも信じられないけど、お母さんももう一人

 子供をもつ事になろうとは、信じられません。


 もうすぐいっちーも、お兄ちゃんなんだネェ。。

















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