モロッコ紀行 シェアリの夜は更けて



マラケシュ フェスティバル

-シェ・アリの夜は更けて・・・-                                                         
こんな夜もある。

不快のジェットコースターに乗っている気分だ。       
部屋に戻るや否やトイレに駆け込んだ。                   
器に流れる水の音がとても不快だ。今晩は飲みすぎた・・・。         
一人で赤、白、ロゼとワインをわずか2時間で飲み干せば当たり前といえば当た前。 
しかも、昼食時、 白ワインを1本、ビール大瓶6本、 午後プールサイドで2本。 
夕刻、テラスで鳥が木々に帰る羽の音、 鳴き声を聞きながら3本。       
痛恨の極みは決して学習されることなく繰り返される・・・。         
やって来ては、ドンチャンとやって去っていく。波がどんどん押し寄せるように。
いつものことだ・・・。                                                               
こんな朝もある。

恐怖のジェットコースターに乗っている気分だ。         
夾竹桃の鮮やかなピンク色にうっとりするぐらい、まではよかった。      
その後が問題である。標高が高くなるにつれ緑が色褪せていく。        
やがて、私たちを乗せたバスはアトラス山脈を越えんとして、瓦礫ばかりの山肌に
も飽きる頃、 うねるような山道にうんざりするどころか悲鳴をあげ始めるのだ。 
天空へ向かうのがこれほど苦痛とは夢にも思わなかった。           
しかし、今日の私は吐く物すらないのだ。胃液すら出ない。
胃を根こそぎ獲って欲しい。 
やって来ては、ドンチャンとやって去っていく。波がどんどん押し寄せるように。
そうそうあっては困るけど・・・。                                                          

こんな夜もある。

興奮のジェットコースターに乗っている気分だ。         
場内は大音響でロック調のアンダルシアの音楽がスピーカーから流れ続けている。
アンダルシアとは11・2世紀にペルシアを経由してイベリア半島にイスラム王国
を興したアンダルシア人たちが、アラブの地の郷愁を込めて歌い綴った音楽の総称
だ。  
抑揚のあるブヌースなどの管弦楽から奏でられるメロディとタムタムなどの太鼓の
リズムが繰り出すその音楽は、はまる人にははまる。
私は「はまった」者の一人だ。     
テントの中へは、様々な地方の民俗衣裳を着た男女の楽団が入れ替わり、立ち替わ
りやって来ては、ドンチャンとやって去っていく。
波がどんどん押し寄せるように。    
これで興奮せずにはいられぬような深層心理をうまく突いた演出だと思う。   
そしてタイミングを見計らい、女たちがせきをきったように客の手をとり、踊り場
へ誘導し、ダンスもどきを競い合うようにして始めだした。          
そのうちの一人である私は、だいぶ腹に入った赤ワインが手伝ってか、最初はいや
やながらもよくある話しで、やがては一人興に乗り始めたのだった。      
女に即興の指南を受けるまま、わかったようなわからないようなチークを滑稽にも
演じていたのだ。
すぐ隣のフランス人はまだあどけない若く美しい女性だった。
その向こうのフランス人の男性の相手はイスタンブールの超高級ホテルのベリーダ
ンス・ショーにでも現れてきそうな妖艶な女性で、フランスの男は鼻の下を長く伸
ばしている。    
さて、私のお相手といえば・・・・ 。                   
樽のような体をした、皺だらけの老女が微笑んでいた。            
まあ、そんなことはどうでもよろしい。いや、いやいやどうでもよくはないけ
ど・・。 
とにかく、祭りを模したショーはこうして進行している。           
ベリーダンスの相手まで努めさせられた。興奮アドレナリンがドンドンと増して・・。 
隣の席のフランス人たちからは拍手喝采を浴びた。              
「どこで、習ったんだ?」                         
「どこから来たんだ?トルコか?」                     
矢つぎばやの質問にようやく眼がさめる思いをした。 
あの時、写真を撮ってもらっていたが、あまり見る気はしない。        

 ここ、野外レストラン「シェ・アリ」はマラケシュ郊外にあるファンタジアを観
せるショーレストランだ。 
ファンタジアとは、その昔、敵と戦闘をはじめる前に自軍を鼓舞するために始めら
れたとされる、馬に乗った数人の騎兵たちが銃を掲げてアクロバットを演じる、モ
ロッコの伝統芸能と呼べるべきものだ。               
ここでは、運動場規模のグランドがありその周りをベルベル風の大テントが設営さ
れており、そのショーを観るようになっている。ファンタジアが始まるまでは、先
刻のようにベルベル人の結婚式風や地方祭り風の歌劇やら演奏やらが入れ替わりテ
ントへ訪れる段取りになっているようだ。
チップはこのショーと食事がセットになった料金に含まれているとかで、私たち観
光客にはありがたいシステムになっている。          
50ドルは少し現地価格からはずば抜けて高い気がするが、ホテルで手配してもら
ったオプショナルツアーに参加した。                    
数軒のホテルを経由してきた送迎バスに乗り込み、夜の帳が降りかかったマラケシ
ュ郊外のおよそ明かりという明かりがみえない真っ暗闇の道を行くこと約1時間。
砂漠のど真ん中へ放り投げられたようなうら寂しい所でバスは止まった。
横のドイツ人の老夫婦たちの、舌打ちをするような仕種に少し不快にさせられた。
が、少なからず私も同感だった。
いよいよ明日からアトラスを越え砂漠へ行くのだった。        
濃縮したこの町の最後の夜はガイドブックに唯一案内されているイタリアンレスト
ランででも、しみじみと送ろうかとも思案していたが、結局、「話の種」が勝っ
た。      
バスを降り、仰天した。虹色にライトアップされたカスバが忽然とそびえ立っていたのだ。
バスの送迎にまでガイドが付き添ってきた。名をイドリースという。      
「シェ・アリはここだ」と、判りやすい英語で横にいた私に説明した。     
場内へ向かうエントランスには、ファンタジアの騎士たちが馬上で一列に勢ぞろい
して出迎えてくれた。
ドイツの老夫婦の顔を見てみたかったが姿はすでになかった。     
そして馬のトンネルを進み、大きな門構えを過ぎ、いよいよ野外テントやそのまた
背後にそびえ立つカスバ風の城が見えてきた。アンダルシアの大音響とともに。 
広くゆるやかな階段にはベルベルの衣裳の女の子が籠を抱えて立っていた。   
まだ、年端もいかない幼女だ。                       
この地では、まだあどけない顔の少女や少年たちがいたるところで、労働力を提供
していることに心が痛むが、それより彼女のふくよかな笑顔の方へ思いは傾くのだ
った。  
そして、こう言うのだ。                          
「いっしょに写真を撮ってもらえませんか?」                
バラの花びらを頭にたっぷり被り、野外テントへ向かった。イドリースはいつのま
にかいなくなっていたが、給士人たちは団体でやってきた客の時間帯などを承知し
てのことか、手慣れたもので次々と席へ案内していた。            
私は席の確保よりもテント周辺あちこちで演奏している楽団に見入ったり、アンダ
ルシアにノリノリで、慌ててテントを見渡したが、どこへ座ったらよいのか判らな
くなっていた。
オスマントルコ時代のトルコ帽を被った給士さんにキョロキョロしながら私は、 
「私の席は?」と、尋ねるが、もうすでに他のオプショナルや個人的その他の客が
やってきており、それでもトルコ帽の男は心得た風で、            
「お好きな所へどうぞ」と、バスの中では見覚えのない客たちの席へ案内してくれ
た。 
ショーは8時から一回のみ行われるらしい。                 
それまでは、冒頭の飲めや歌えや(歌いはせぬが)の世界がくり広げられるのだ。
出された料理の羊のタジンやクスクスにはほとんど手もださず、(全ての料理は人
数分の大鍋で供されるので、見知らぬ人々に気後れしたこともあるが。)ひたすら
酒を飲んだ。
モロッコではこのようなレストランでは飲酒ライセンスを取得しており、辛党は安
堵の胸を降ろことができる。それでも、現地人が飲酒している姿はついぞ見かけな
かった。
それはともかく、ここでは観光国ながらもアクティビティーの少ないモロッコにし
ては、めずらしくエンターテイメントを演出してくれている。        つ
ついに3本目(そう・・・・ご丁寧に白、赤、ロゼと一本ずつ)のワインを開けた
私は勢いに乗ってベリーダンスまでやらかしていたのだ。           
旧宗主国であるフランス人たちの労いの言葉と嘲笑を避けるように、夜風にあたっ
て一息つこうとテントの外にでた。グランドをぐるり取り囲むテントのあちこちで
楽奏と客たちのけたたましい歓声が届いてきた。少し肌寒くなってきた。    
その時、フクロウのような視線を感じた。                  
振り替えると、白のジュラバを着て大きなメダルを下げたイドリースが大きな目を
してこちらを見つめていたのだ。                      
イドリースはテントの外のテラスで一人静かに茶を啜っていた。        
彼は私を手招きした。
何やら日頃見かけぬ東洋人が珍しいのかバスの中でも、やたらと私にお世辞でもま
いとはいえない英語で話しかけてきていたのだ。         
もちろん、人のことはもっといえない立場だけど。              
イドリースは私に椅子を差し出し、一息ついていきなりこう切りだしてきた。  
「私が好きか?」
「ん???」                          
「モロッコは好きか?」                          
私は酔った勢いもあって                          
「いやいや好きではない、愛しているんだ」とゆっくり告げた。        
一瞬寂しそうな顔をしたイドリースは顔を崩して、              
「そうか、そうか」と大きくうなずいた。そして、              
「フェズに住んでいる。4・5日仕事を国内でしては故郷の町へ帰る。二人の男の
子がいるが、この前、女の子の赤ちゃんができた。双子なんだ。」と身のうち話を
始めた。 
4日後には本当にフェズの彼の家へお邪魔し、お茶を飲むこととは露知らず。  
眠りついていた双子の赤ちゃんはまだ生後4ケ月ほどで触れば壊れそうな感じがし
た。  
イドリースと話し込み、すっかり酔いが醒めていた。             
さあ、飲み直しだ。祭は始まったばかりだ。
結局、ファンタジアは観ずじまいだった。 

こんな夜もあるのだ。                                
すっかり、酔っ払っていた。ゲロゲロ吐いた。
吐いたら醒めた。ホテルで飲み直そう。 
明日のアトラス越えのカーブの多さと勾配の壮絶さも知らずに・・・。





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