モロッコ紀行 【カスバ街道を走る】






kasuba 街道




 -ワルザザード奇譚(月と太陽と三人の青年)-                                                  

 丘に向かって私は歩いていた。嬉しくも悲しくもない・・そう、感情がなかっ
た。  
丘はガレバの塊のようなテーブル状で、その丘を登るのではなく、その丘の見晴ら
しが利く所まで歩いていくつもりだった。                  
歩きながら、ふと、ここが何処だか知らないことに気ずいたとき、時空が空転した
かように、こちら側へ連れ戻された。
白いリネンのシーツが肌にやさしくひっついていた。             

ゆっくり、ゆっくりと今のが夢だったことを意識しはじめた。         

朦朧としながらも、光に包まれていることがわかり、その拍子で目が覚めた。  
光は月光だった。                             
ホテルの半地下の窓から、南東の方角だろうか月はまだ高くにある。
空は青みがかっている。
とても強い輝きだった。               
そして、次に聴覚が正常にもどると、どこからかコーランが流れてきた。    
ベットのサイドテーブルに手を伸ばして、腕時計をみると、短針は4時をさしてい
た。 
スピーカーから流れているのは明け方前の礼拝を告げるアッザーンだった。                                        

ぼーっと月光をみつめながら、何をするでもなく煙草をくゆらせていた。    
そして、3本目の煙草に火を付けたとき、朝日を見に行こうと思い立った。   
何故、もう少しはやく気づかなかったのかと後悔じみたものと、我ながら良い思い
つきだという複雑な気持ちが入り交じりながら、慌ててジーンズを履き、いつも持
ち歩いているズタ袋を手に、部屋を出た。                                                       
 ホテルの回廊もプールサイドもロビーにも人の気配はなく自分の足音に少しびく
ついた。 
正面玄関の大きな扉は内鍵がかかっていたが、容易にとりはずすことができ、扉を
開くと、ひんやりとした空気に肌が波うつように反応した。
砂漠も朝は冷え込む。     
西の空は黄色がかっていた。                        
少し急ごう。砂漠の地平線の日の出を見に----。             
ガイドブックにホテルは載っておらず現在地がいまひとつわからなかったが、とに
かく刻一刻と変化する空をめざして歩いて行こう。              
ホテルは町のなだらかな高台に位置するらしく、どんどん道は下り坂になっていっ
た。 
やがて、大きな四差路につきあたり、わずかながら弧を描いたカーブを曲がると、
赤茶けた土の城が眼の前に現れた。
カスバらしかった。                 
きっと、ここはグラフィイのカスバだろう。
16世紀ごろから、集権制ながらも地方の 太守たちは、このような城塞を築いて
権力をふるった。
現在もここには200人ほどの人が生活しているらしい。           
カスバはまた後で、ゆっくり見物することにして歩を進めた。
西の空はかすかに桃色がかってきたのだ。
日の出は近い。
ピッチを進めてさらに歩くと、通りは二手に別れており、一方の「エルラシディア
行き」と表示された標識とは別の道をとった。      
30分もあるくと、民家もだんだんまばらになり、地平線も見え隠れし始めた。 
アスファルトの道からはずれて土の上を歩こうと方向を変えようとしたとき、一人
の男がヌッと現れ、「ボンジュール」と挨拶してきた。
兵隊だった。
アラブとベルベルの混血のようなこの男の顔だちはまだ、あどけなさが残ってい
た。
目は異常に大きい。  
私は、挨拶がわりに「モムキン、タスウイ ール(写真、撮っていい?)」と声かけ
た。 
男は、私の拙手なアラビア語にいたく嬉しそうで、あたりをキョロキョロみまわし
た後、残念そうに首を振って申しわけなさそうにした。
私には感じられなかったが、彼には人の気配がしたらしい。
観光者といえ軍事施設及び兵士の写真はかたく禁じられている。 
私は彼に気にしなさんなと、かわりに彼に一枚撮ってもらい、別れを告げた。
彼はまだ物足らなそうで、なごりおしむように「バイバイ」と言った。     
先ほどの兵士の男とのやりとりを取り戻すかのように、慌てて駆け足で荒野を進
む。 
 だが、間に合わなかった。                        
太陽はまん丸い顔をすでにのぞかせていた。                 
農家らしい民家の前で若い男が牧草を積む作業をしていた。
彼は外国人をみるのは、はじめてなのだろう。
ビックリしたような顔で私を見つめる。
しかも、場所と時間がにつかわしくない状況なのだからなおさらだった。
突然の闖入者にまごついている彼に、挨拶した。
「サラーム・アレイコム」彼は、少しあとずさりした。           
高台に立つと、涸れ川があり小さな木が川沿いにポツリとはえていた。     
 しばらく、ここで、すっかり昇りきった太陽をながめながら煙草をくゆらせてい
ると、どこからともなく、麦わら帽子をかぶった男がこちらにやって来た。   
そして、私の前で立ち止まった。その表情は、幼少の頃から「みてはいけないも
の」と教えられていたものを、今まさにみてしまった、というような表情だった。
そして、我にかえったように時計をみせてくれと動作をし、大きな目をして私の腕
を覗きこんだ。
そして、一体何処へでかけるのか、砂漠へ向かって歩きだした。      
ときどき、振り返っては私の方を見て、見てはまた歩きだし、やがて地平線の手前
の靄のなかへ消えていった。                        
 ホテルへの帰り道、先程の丘は寝起きにみた夢の風景とそっくりだったこと、出
会った3人はどこか似ていたことに、うつらうつらと頭をもたげはじめた・・・。
その時、一番最初に出会った兵隊が「ボンジュール」-煙草を持ってないか-と目
の前に現れた・・・・。                                                                       



    -カスバ街道を走る-                                                            


「ウワー!」という感嘆の声をトドラ渓谷まで、もう4度も吐いた。   

この風景は有無もいわさぬ「真実」を心の奥襞に向けている。         
「過ぎ行く風景」=「通りすぎる私」。それでも自然の造形の驚異に圧倒されてい
る。 
ワルザザードを立ち、ハイ・アトラス山脈に沿って、一路西へ。        
ここから、約600キロ先のエルラシィディアまでが誰が名付けたか、「カスバ街
道」である。                               
大戦中はフランスの軍事拠点として重視されたこともあり、幹線道路及びオアシス
の町は、比較的整備されているらしい。
したがってエキゾチシズムをかきたてられるこの地も、今では立派な観光ルートの
一つとなっている。                 
今朝、アル・マンスールダムに注ぐ、ドラア川まで日の出を見に来た。     
 朝日を仰ぎながら、何がしかの「啓示」を手に入れたものとほくそえんでいた
が、欺くように、この地にはジョーカーが何枚も隠されているのだった。    
スークラのオアシスに着くまで360°岩だらけの礫砂漠が続いた。      
サハラに抱くイメージはこうだった。                    
砂丘がどこまでも、どこまでも続く砂漠。風がたなびくたびに波紋が押し寄せる。
そして、夜ともなれば、月光に照らしだされるラクダと旅人。         
そして、体と心を癒すオアシス・・・。                   
そんな、甘美な甘美なイメージはもろくも崩れていく。            
サハラ。
丘陵、見渡す限り砂だらけの砂漠はアルジェリアのグランド・エルグ・オキシデン
タル、マリ共和国の北部やニジェール南部の一部、リビアのフィギーグ周辺一帯な
ど、広大なサハラの3分の1にも満たない。                 
ごつごつとした荒涼の砂漠。
出発したワルザザードの町の名は-何も聞こえない-だ。
見えるものは岩と礫砂漠のみ。
何も聞こえてこない。               
暫くの間、車窓からの風景に見入っていた。                 
スークラからさらに約1時間、エル・カーラマグーナのオアシスに着く。    
-エル・カーラマグーナ-名前の由来はよく判らないが、その名の美しい響きに魅
せられていた。
緑が目に眩しい。
飽きるこなく赤茶けた地平線を眺めてきたが、急に飛び込んできた、ナツメヤシ、
畑の草々の緑もまた新鮮だった。             
川沿いに点在するカスバ。言葉を飲み込んだ。                
子供を背負った女性にカメラを向けるが、もちろん振り向いてはくれなかった。 
アラブの国で既婚への女性撮影は観光客にとって最も気に留めておかねばならな
い、ご法度の一つである。特に田舎では古い風習が残っておりなおさらだ。   
「モムケン・タスウィール・ヘナー?(写真撮ってもいい?)」
「ラー(だめっ)」 
畑では、鍔の広い麦わら帽子を被った女の人達が仕事に勤しんでいる。     
田舎では、働いているのはこの数日間女性のみだったような気がする。
このことはずっと、頭の片隅にあった。
男たちは日中、何をするでもなく木陰や軒の下で、ぼそぼそと談笑したり、虚ろな
目で空をみつめているかのどちらかだった。          
帰国後、暫くしてその事実は少し違っていたことを知るのだが・・・。     
とりもなおさず、女達はバラ畑の手入れや芋の収穫に余念がない。
この村では毎年5月にバラ祭りが開かれるらしい。              
澄みきった青空の下で、花びらとバラ水が舞う、女性達の嬌声、収穫の喜び・・・。 
かすかなバラの香りを戴いて、また1時間、車を走らせる。          
ブルマン・ダデスのオアシスに着く。
ダデス渓谷の分厚い屏風のような岩山を背後に寄り添うように、戦艦のような形の
町が市が開かれるのであろう広場を中心にこじんまりと寄り添って土の家が建って
いる。                      
息を飲み込んだ。                             
そしてまた、走ること1時間。車窓からみえる景色は相変わらず、ごつごつとした
岩と砂のみだが、赤い岩からだんだんと黄色い荒い砂へと変わってきたような気が
する。 
一歩、一歩砂漠に近づいてきているのだ。                  
やがて、モロッコ最大のオアシスの町、ティネリールが岩のなか、眼下に広がって
きた。
ヤシの木の数約250万本。                        
「オアシスはもともと自生植物群から形成されたもので、ナツメヤシの葉むらでで
きたシルエットがつきものである。
乾燥した平地や砂漠にある山のふもとで、突然眼前に現れる。
青々とした野菜や穀物の畑、果樹の木陰と灌漑用の細い水路に流れる水が調和した
静寂と安らぎの場だ。」(同明社出版、-望遠郷北アフリカ-)        
ティネリールのオアシスはまさにその典型だ。                
カスバ街道から見下ろすと、すり鉢状に窪んだ地形に青々とした畑、その後ろは生
い茂るナツメヤシの林、そして土塁の家々、その背後には家々が溶け込むような同
色の岩山がそびえ立っている。                       
「すごいっ」とは声にならないような声で呟いていた。            
ティネリールからハイ・アトラス山脈に向けて山道を行く。          
カスバ街道最大の観光地とされるトドラ渓谷に向かっているのだ。       
行くこと約11キロ、どんどんと道が狭くなっていき、両側の切り立った岩に吸い
込まれそうになり、やがて岩はひっつかんがかりの谷の間、そこがトドラ渓谷だ。
車での進入はそれ以上は無理のようで、どこにその源泉があるのか不思議なくらい
の小さな小川を横切る。                          
砂漠で信じられないことだが、アトラス山脈は年中、雪を戴いているらしい。  
水に手をつけるとひんやりとした感触があり、清涼感が増した。        
少し行くと、岩山にへばりつくように2、3軒のユースホテル風の建物を見つけ
た。 
山水画の絵物語にでも出てきそうな壮絶な風景の中のオアシスであるらしい。  
ベルベル人の遊牧テント風のテラスがある一軒のホテルを覗く。        
ちょうど、昼食の頃合いだったのだ。                    
ここで、今日の興奮を、火照った魂と体をやすめよう、と何気なく看板の横文字が
目に止まった。                              
看板のホテル名は、ローマ字でYASUMINA---。           
-休みな??-                              
ジャスミンの花のことだった。                       
一陣の風が走った。                            
夢心地がした。                              
ここでゆっくりとして、またカスバ街道へひっ返そう。            
うららかな午後の日差しだった。
高地にいるせいか、灼熱の太陽もここでは、和らげられているような感覚がした。
谷間の影で心地良くしていたところ突然、私の足元に小石が飛んできた。    
何事かとあたりを見渡すと、何処から何時からいたのか4、5人の子供たちが挑発
するように手に手に石を持って私の方に何か叫んでいる。           
もちろん言葉はわからないが、歓迎してくれているとはとても思えなかった。  
そして一斉に小石が飛んできた。                      
五つのうち一つの石が高くバウンドして私の腰あたりに当たった。       
さして痛くはなかったが、それ以上に胸に痛み走るものがあった。       
こんな心地よい晴れたすばらしい一日が台無しになったような悲しみがこみあげて
くる。
混乱しているさなかに、10才前後の男の子たちは私の反撃に応じる様子がないこ
とを認めたからか、ワーワー何やら叫びつつ狭い谷を潜り抜け反対方向へ去ってい
った。 
何処へいったのか? 
いずれにしても、私の心地良い午後と驚嘆すべき風景は消し去られてしまった。
ガックリして、ジャスミンホテルで一杯のお茶を求めた。      
すっかり喉が乾いてしまっていた。


いずれにしても、私の心地良い午後と驚嘆すべき風景は消し去られてしまった。
ガックリして、ジャスミンホテルで一杯のお茶を求めた。      
すっかり喉が乾いてしまっていた。 
テーブルに着き、ミントティーを注文しながら、テラス向こうの小
川を見やった。  
ちょうどガイドの男が清流から長細いスイカを取り出していた。 
みごとな手さばきでスライスするように切りわけていた。    
その一つが私の前に供された。
再び、やさしい風が吹いたような気がした。      
ガイドの話では、細い谷の向こうにはロバで行くのも困難な地に村があるらしかった。
その先、険しい山道を14キロの行程であるらしい――――。

 瓦礫と岩肌のみが広がる世界である・・・・・。
彼らは彼らなりの娯楽を見出し、異邦人と接するコミュニケーションの手段が、あの投石だったのかもしれない―――。
私は、風景に素直に感動できても、まだまだひとの機微に長けてないのだと悟らされた・・・・・。
旅は、まだまだ「半空(なかぞら)」のようである―――。






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