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YEMEN―イエメンの旅 7
―― アルワ女王のモスクで考えたこと ――その1
朝、タイズの町を見下ろす丘に建つ博物館を見学した。
今日は博物館を見学後、アデンへ行く。
私は残り少なくなってきたイエメンで、当地の「正装」で望んだ。
昨夜、スークで購入した念願のジャンビアを腰につけ、フーカ、ジャケット、ターバン、サンダル姿。
完全武装のイエメンスタイルだ。
――タイズの旧市街は小規模なので、さすがに迷うことはなかったが、折からのすごい大雨のおかげで、スーク内の小さな谷が川となり、濁流が溢れんばかりの勢いで流れていたので、横切るのに苦労した。
スークのジャンビア専門店でジャンビアを購入した。
ジャンビアにも種類がある。流行などにより装飾が変わる。
「アシーブ」と呼ばれる鞘が薄緑の革が最近の流行らしい。また、階層によっても分かれている。
身分の高い「サィイド(預言者の子孫とされるひとたち)」や「シェイフ(長老たち)」など身分が高いとされるひとたちは「スーマ」と呼ばれる剣の先が曲がっていなく、鞘が銀で覆われ、ベルトなども金糸銀糸のコーランの紋様が施されている豪華なものがある。「ムザィイン(階層が低いとされるひとびと)」が身に付けた「スーマ」などもある。
そして、いまでも低階層のひとはジャンビアを携帯できないらしい。
ジャンビアにも歴史の深いものや装飾が豪華なものになるととても手が出せない。
2軒はしごして、私は直感的に青が基調の装飾で銀糸のコーラン紋様の骨董部類に入るであろうジャンビアをいたく気に入り購入した。
値段を交渉することも忘れ、わずか15ドルで購入した。
国外に持ち込み禁止のはずのジャンビアという条件も重なり、我が家の家宝になるべきものであるが、
部屋の棚に大切に置かれ、忘れたころに取り出してみると、剣は錆びがひどく、鞘には取り除きできないようなカビが生えていた―――。
タイズ博物館は19世紀、イエメン最期の王イマーム・アフマドが住んでいた宮殿であった。
フーカを着て腰にジャンビア、意気揚揚と宮殿に入る。
しかし、1階のエントランスホールで壁に飾られた写真の数々に私は萎えていった。
「1962年、北イエメンを支配していたアフマド王を打倒すべく、エジプトのナセル大統領などに支援された王政打倒革命が起こりました。同年死亡したアフマドの息子アルバドル王子たちイマーム一族
はサウジアラビアへ逃亡しました。その後8年間、北イエメンは内戦状態に陥ります。そして王政派の寝返りによりイマームは完全に排除されます。この博物館は当時のイマームたちの生活ぶりを残したままに公開しています」
それにしてもだ。
ロビーに入っていきなり打ち首やさらし首の写真を壁という壁に掲げ公開しているのである。
民衆が王政を打倒した記念かと思いきや、その反対でこれらの写真はすべてイマームに処刑されたひとびとで、イマームたちの非道ぶりを後世に伝えるため、なのだそうである。
私たちは平和ボケすぎるのであろうか。
薄暗くカビ臭い階上の部屋を見学する。台所、奥方の衣裳部屋、子ども部屋。
ガラスケースのなかにはスイス製の高級腕時計や香水、ピストルなどなど。
どの部屋にもさして興味は湧かず、早足に通り過ぎて行く。
ただ、子ども部屋だけは玩具がそのまま放置されていることもあって、逆にしんみりさせられた。
これは心情的に、王政の非道ぶりよりも、革命の非情ぶりが伝わってこないか?
あっという間に元の1階のホールにたどりつく。
「くれぐれも、これらの写真は撮らないでください」撮らないよ、誰も。
博物館の丘を下り、旧市街からも眺められたモスクがある丘へ移動する。
アル・アシュラフィヤ・モスクはザビル山の麓にあり、ノートルダム寺院を思わせる双塔のミナレットがあり、このモスクは一般に公開されている。
礼拝所のなかをほんの少しだが、覗くことができた。
タイズを離れ、山間を北上し、ジブラへ向かう。
サナアを基点に、ホディダ、タイズ、ジブラと時計の逆周りで巡るわけだ。
ジブラからさらに北上するとサナアだ。
ジブラへ向かう車中でふと気づいた。
―本来、このコースはハドラマウトを巡る前のコースだった。予定では、このあとサナアに戻り、マーリブ、サユーンを車で、サユーンから飛行機でアデンだった。―
ジブラは1088年、アルワ女王により建てられたモスク(グレート・モスクの名で呼ばれている)
で有名なイエメンの緑豊かな農業と観光の町のひとつだ。
町周辺は「緑の郷」と呼ばれ、イエメン屈指の穀物地帯である。
この地方は年間800から1,000ミリメートルの降雨量があり、アラビア半島全体でも最も緑豊かな土地といえる。
SRC="http://image.space.rakuten.co.jp/lg01/94/0000000394/85/imgbe8590e0d904jk.jpeg" width="403" height="300" alt="ジャンビア マナーハ">
13世紀には都だったこともあるなだらかな丘に立つジブラの旧市街へ、広場から石橋を渡り入る。
石橋を渡り、しばらく石畳の坂道がつづく。石造りの町の風情はどこか中世のヨーロッパの雰囲気もあり、モスクのミナレットがそびえていなければ、フランスかイタリアあたりの田舎町と間違えそうだ。
しかし、落ち着いたたたずまいの町をかき乱す者がいた。
私である―――。
観光地に、ジャンビアをさし、イエメンスタイルのハンディビデオカメラを持つ東洋人とくれば、誰も
放っておいてはくれない。私は「町に溶け込む」どころか「えらく浮き上がっていた」のだ。
モスク内を撮影していると、イエメン人独特のやせぎすの中年男性が、撮影中のカメラに顔を近づけて
ニタニタ笑う。
「ヤバーン、タマームタマーム(日本の、いいねいいね)」
「はいはい、どうも」無視しても男はつづける。
「モスクのなかを見たいかね?案内するけど」
「いいですいいです。だって、モスクのなかはここから見えているもの」
「ノーマネーノーマネー。モスクモスク」体に触れんばかりにしつこい。
「ノーマネー(お金はいらない)」とはどういう意味かいまだにわからぬ。わからないが、「お金をとられる」ことはわかっている。わかっていながらエジプトのギザのピラミッド前で「ノーマネー」といわれるままラクダに乗ってしっかり「お金はとられた」ことはある。
遠巻きにしていきさつを見ていた老人や子どもたちまで寄ってきてほとほと困る。
退散しようとするが、体を張る子どもたちがいる。
「ザガードザガード(喜捨喜捨)」と手のひらをさしだしてくる。
喜捨とは貧しい者への布施で、信仰、巡礼、断食、礼拝と合わせてイスラム教徒がコーランの教えにより実践しなければならない最も重要な5本柱のひとつである。
しかし、ムスリムではない私にそんな義務はない。
「ノーマネーノーマネー」今度は私が叫ぶ番だ。
そのいきさつを見ていた別の男がロバを追うムチのようなもので子どもを叩いて追い払った。
すると、今度はそれを見ていた別の男がムチで叩いた男と口論はじめる始末で、なにがなんだかわからない状況になってきた。
肝心のモスクを案内するとしつこい男もどこかへ去っていっていた。
私はすっかり蚊帳の外となり、無事(?)脱出できた。
皆に追いつこうと小走りに石畳の坂道を今度は下っていくのだが、連日着ているフーカは体にフィットしたワンピースなので、思うように足を運べない。
なるほどファッションとは実に機能性がないのであった(笑)。
坂道にはスークがあり、サナアでもみかけなかった屋台のような出店もある。
店頭で、ガスコンロにかけた鍋で炒め物をしている男の手つきをしばらく眺めていた。
鍋にはひき肉、タマネギ、トマト、それらに卵をからめていた。
エジプトで食べたシャクシューカに似ている。美味そうだ。
そういえば、旅中、最大関心事のひとつである食事のことをまだ話していなかった。
まず主食はホブスと呼ばれるパンだ。パンはどの家庭でも家でかまどで焼く。
直径2,30センチの平たく丸みのあるパンだ。インドのナンと同じだと思ってほしい。
レバノンやエジプトの影響で北イエメンはホブスが主流だが、アデン湾岸やタイズ周辺ではインドの影響でギー(羊のバター)を塗って焼いたパラータというパンやチャパティもある。
ジブラのあと訪れたイッブの町角の食堂では油で揚げたプーリもあった。
その食堂にはイエメン人と違い恰幅のいい男たちが食事をとっていて、国を問えば「ラジャスターン州から来た」そうだ。食堂は完全にインド化していた。
米もそこそこ食べられている。ビリヤニというピラフの原型でアラブの主流料理のひとつだ。
具と一緒に炊き込んだものや、野菜と煮込んだ米料理、リゾット風や、カレーライス風料理もある。
野菜は旅中、ジャガイモ、トマト、豆がよくだされた。
豆を茹でて潰したムタバル、ヒヨコ豆をペーストにしたタッヒーナ、胡麻などをペーストにしたホモスなど。
イエメンの日常の家庭料理は朝昼晩ともホブスにホモスなどを塗り食べて終わり、らしい。
生野菜のサラダや肉料理は一般家庭では祭りなどに限り供される。
野菜料理で美味かったのは、フールというトマト味の豆のスープだった。
他にも、トマト、ジャガイモ、ナス、オクラなどが入ったスープは美味い。卵でとじてあったりすると、それだけでも十分なご馳走だ。
イエメンの庶民のご馳走といえば、犠牲祭の前日サナアの街角で羊をほふっていたとおり、羊だ。
ミンチにして串焼きにするケバブはアラブ全体共通料理だ。リヤーシュというのはラムの背バラの炭焼きで多少臭みが残るが慣れてくると美味く感じる。スパイスを混ぜたハンバーグのコフタは羊嫌いのひとでもいけるはずだ。小麦粉やスパイス、タマネギを混ぜて焼いたクッベも日本人でもなじめる味だ。
今、ここで店主が炒めているのもイエメンではポピュラーな料理で、おそらくダッカと呼ばれる料理だと思う。
豚肉はいうまでもなくイスラム教徒は食べない(食べてはいけない)肉だが、牛は食べる。
しかし、羊の数倍の値らしく庶民にはなかなかお眼にかかることはできないらしい。
鶏がイエメンでは最も印象的な美味さだった。
サナアのスーク内のホテルでの腿の炭焼き、ハドラマウトの屋外で食べたから揚げ、マナーハのイエメンスタイルのホテルで食べた骨付き腿揚げ、どれも塩味のみだが絶品だった。
魚も紅海、アデン湾に面しているのでよく食べられる。
ホディダのスークではボラ、マグロ、ハタハタ、エイ、サメ、エビ、イカなどをみかけた。
しかし、イエメン人は魚には大雑把なのか、「これは何という魚?」と尋ねても「サマク(魚)」と答えが返ってくる。
強風吹きつけるモカの食堂でハタ系のハムールという白身魚にスパイスをまぶして竈で焼いた魚を食べた。背開きでうろこをつけたまま黒焦げになるまで焼き上げる。
かなりグロテスクでかなり辛かったが、ホブスで包んで食べたが美味かった。
ケバブサマクと呼ぶ魚を串焼きにしたものもポピュラーである。
内陸部の砂漠地帯ハドラマウトでも魚を食べた。
淡水魚である。ナマズの唐揚はあっさりしていて美味かった。
他にも、タリムのスークではカジキマグロやエビ、小魚などが売られていた。
舗装道路のおかげでアデン湾のアル・ムカラなどからトラック輸送され朝一番に届くらしい。
タリムのスークでは魚の燻製も何種類か売られていた。
ナジプサがちぎって渡してくれたのはフカの燻製だそうだが、カツオブシと全く同じ味がした。
旅行者にとってのイエメンはまだまだ観光行政が未整備で、また街角にレストランが乏しく、ほとんどがホテル中心であった。都市部以外はなおさら食事に関しては深刻で、イエメンスタイルのホテルの食堂に頼ることになる。
夜のサナアのスークを訪れ、なんとか日常食も味わえた。
イエメンで最もポピュラーなサルタである。
サルタはモロッコのタジンと同じく土鍋に入ったシチュー状の料理だ。
食堂で男たちが右手で器用にホブスで包んで食べていた土鍋料理を指さし注文した。
ホブスは頼まなくてもでてくる。サルタは20リアルだった。24円くらい。高級ホテルで買い求めていたミネラルウォーターの10分の1の値である。
さて、ホブスを手でちぎり食べていたら、すぐにサルタがきた。なんだかやけに匂う。
少々の米と、ひき肉、細切れの野菜を煮込んであるが、ホブスに浸して食べても苦い。
これはひょっとして食べるカートではなかろうかと、訝しがったものだ。
あとからナジプサに尋ねると、「ヒルガ」という苦い香辛料が入っているのだそうだ。
イエメンでは最もポピュラーな家庭の伝統料理らしい。
ヒルガの苦さからイエメン人は食欲が進まず、みんなやせ細っているのかと思ったくらいだ。
ナジプサによると、あたらずも遠からずだった。
「はい、イエメンの男性はあまり食べずにすみます。というより、カートのせいで食欲があまりないのです」
カートのエキスの覚醒作用と興奮作用で食欲がないのが常識とは、そこまでイエメン人はカートが命の次に大事なのかと、あらためて驚かされる。
禁酒国のひとびとが概ねそうであるように、イエメン人も甘いものが好物だ。
菓子類はかなり甘く作られる傾向にある。
ハルワーというヨウカンに似たものや、ウムアリというナッツや干しブドウをふんだんに入れたプリン、
ローズビラビーンという牛乳プリンなどを食べたが、どれも大量に砂糖が投入されている。
しかし、山岳部などでは砂糖が貴重であった名残りからか、甘さ控えめの菓子もある。
マナーハで食事の最期に大皿のパイがだされた。料理名は失念したが、焼きプリンのようなほのかな甘味が左党にもいける味だった。
その料理名は失念していた。
しかし、帰国後「男の食彩」というNHKのテレビ番組で、「ハーンの娘」という名のはちみつやバターを塗り焼き上げるお菓子、マナーハで食べたそのものを紹介していて嬉しくなった。
コーヒーに話を移そう。
コーヒーの代名詞ともいうべき「モカ」の国であるのにコーヒーはほとんど飲まれない。
旅中、どういう現地事情かは知らずじまいだったが、しょっちゅうホテルが変更され、本来泊まるべきだったホディダのホテルへ探検気分でお邪魔し、その食堂でコーヒーを飲んだ。
「モカを」と注文した私に、ウェイターはにこやかに笑ってインスタントコーヒーを出してきた。
バニー・マタルでみてきたようにコーヒー園はカート畑にかわり、今では貴重な外貨獲得の産物でしかないモカ・マタリ。
ギシルというコーヒー豆の殻を煎った飲み物はサナアの民家で飲んだ。
しかし、イエメンで「お茶をする」といえば、羊のミルクたっぷり入ったチャイ(紅茶)のことだ。
家庭で飲むもので、町に喫茶店の類の店はない。男同士おしゃべりするのに、カートがあれば十分であるからだ。
まずはカート。お次はカートなのである。
結局、食文化そのものもカートに落ち着くようである。
私も旅の後半からは装いだけではなく、その「文化」を真似てみたが、煩悩の多い私にはその効果はあまりなく、かわりに毎朝の「お通じ」が「緑色」をしていることが健康の証と失笑していた―――。
―――しばらく土鍋料理を眺めたあと、再び石畳の路地を再び歩く。
散髪屋があり、小さな子どもが神妙な顔つきで頭を刈られていた。
その他、路地の坂道には様々な店があり、なかの様子を覗い、見飽きることがない。
家の階上の窓から子どもたちが顔を出し「スーラスーラ(写真、写真)」と賑やかだ。
あっという間に、小さな町は終わり、鶏やロバがいる小さな広場にでた。
トラックのボンネットに乗っかって小学2、3年生くらいの女の子が幼い弟らしき少年と遊んでいた。
イエメンで旅したなかで最も美しい娘さんだった。ジブラの丘の段々畑を背景に彼女を撮りまくっていた。
撮影中、いつの間にか横に佇んでいる男の顔をみると、さきほどのモスクの「ノーマネー」の男だった。
そういえば、彼はジャンビアをしていない。階層の低いひとだろうか。
彼はさきほどの件を悪びれる様子もなく、広場の前にある一軒の家をさして言った。
「マイハウス。ノーマネーノーマネー」―――。
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