地平線の認識






―――さて、「偶然なき必然」、「生命のしずく」、「認識の地平線」、「アフリカの揺り篭」である―――あたしたちの物語もいよいよクライマックス――というか、点画のような一過程ではありますが・・・―です。

 約300万年前、まだ足のおぼつかない先行人類と、後脚でしっかり歩くアウストラロピテクス類、そして狩猟をはじめた最初期の人類たちは久しく共存していました。
 約250万年前、再び気候が激変し、動物相及び植物相が変化し、多くの樹木が消えて変わりにイネ科の植物が誕生します。
アウストラロピテクスは地下茎、繊維の硬い食物や殻の硬い果実などで食いつなぎ、彼らより細長い歯を持ち、脳の発達したヒトは、雑食性に転じていったそうです。
 そして、約100万年前、気候がさらに乾燥化していく過程で、アウストラロピテクス類は適応能力を徐々に失い、脆弱し、やがて自然淘汰のメカニズムに飲み込まれていきました。
 一方、ヒトはゆっくり進化していきました。
初期のホモ・ハビリスは狩猟をして食物を手に入れるため、「移動」及び「道具」を使いはじめます。一世代約50キロ移動したとしましょう。すると、約1万5000年足らずで、ヨーロッパの地へたどりついた計算になります。
丘の精神です。あの丘の向こうに何があるか?
 約50万年前、ホモ・エレクトゥスが火を集団社会の営みのなかで使用するようになりました。火の支配は画期的な道具の製造を生むことになるのは容易に想像つくでしょう?

そして、この長い進化のプロセスのなかで、ゆっくりと、一方から他方が派生していきます。
変化はごくごく穏やかで各地で推移していくのです。(唯一例外はヨーロッパのネアンデルタール人です。彼らは250万年前頃にヨーロッパに渡ったホモ・ハビリスたちの末裔です。氷河期が相次ぎアルプスと北部氷河に遮られた孤島となり、他の大陸の同類たちとは異なった進化の道(遺伝的浮動)をたどったのです。)
ホモ・エレクトスは姿を消し、ホモ・サピエンスが登場します。ワタシたち、現世人類です。
 舞台をヨーロッパに転じましょう。
約4万年前からネアンデルタール人が姿を消す3万5000年前の間です。
ネアンデルタール人と現世人類クロマニョン人はながらく共存しました。
両者は解剖学的見地からすれば、不連続でありますが、文化的には全く連続していました。
好奇心にあふれ、鉱物を採取し、歯や貝殻を集めて首飾りを作り、骨などから笛などの楽器も作りました。
仲間を埋葬し、無償の行為をし、儀礼を行いもしました。
そして、意識及びその結果としての象徴的思考は、長い時間に渡って徐々に生み出されていきました。それは、『時間の観念』の発見です。
『世界のなかに自らを刻印』したのです。
そして、来世というものを『想像』し、そこへの旅支度のため、埋葬という儀式をするようになったのです。
それに伴い、『芸術』が生まれました。
 そして、その後の青銅器、鉄器、文字、私たちの知っている『歴史』がやってきます。
 わずかながら、クロマニヨン人から現代の私たちに進化はあります。
骨格や筋肉がさらに華奢になり、歯が小さくなり、本数も減ります。妊娠期間はさらに短くなり、母子関係は密接になり、それだけ学習期間も長くなったのです。
今晩はこのあたりで―――――。

ホモ・エレクトスたちの揺籃のアフリカからヨーロッパへ渡る「風景」から、ユーラシアへ目を向けてみましょうか。
 約150万年前あたりから、エジプトを北上し、現スエズを渡り、中近東へ進出しました。
その後、現イラン、アフガニスタンを通り、ユーラシア大陸へ進出していきました。
一方、カフカズ山脈を東に折れて、黒海を経由し、カザフからロシア、モンゴルへも進出していきはじめます。
この移動の過程で、寒冷適応などの条件による皮膚の色が抜けていったとされています。
現中国やインド、さらには当時陸続きであったインドネシアや、さらにはオセアニア、太平洋諸島へと進出し、その過程で約100万年前あたりからピテカントロプス・エレクトスや約60万年前のシナントロプス・ペキネンシスなどの原人が生まれてきました。
 現日本列島に目を向けてみると、たびたび氷河期と間氷期が繰り返されていましたが、約1万5000年前までは陸続きであった日本列島にヒトが進出したのは容易に想像できるでしょう。
 約9000年前から5000年前の間に気温が2度上昇し、現在より海面が5メートル上昇したとされています。
現日本列島は、大陸から分離し、縄文海進といわれる海流の影響で、東日本は落葉広葉樹林が広がり、西日本は照葉樹林が広がり、世界にもまれにみる豊かな森林生態系に恵まれました。このことは、現在も変わりありません。
 私たち(日本人、、、とされている)は、ユーラシア、オセアニアという広大な地域からさまざまな人種が混交しており、モンゴロイドという基底をなしているものの、列島が大陸から分かれた後も、カヌーや筏、船などで、さまざまなルートから、幾多の『ヒト』が渡ってきてできあがった「日本人」であるのです。
日本人=単一民族、などという馬鹿げた話が成立しえないことは、おわかりですね?

 神話や共同幻想を超えて、私(たち)は正しい「認識の地平線」へ向うべく「丘」に立たなくてはならない時期がきているのです。

 いよいよ、長い長い、しかしほんの煌めきでしかない、「私たち」の美しくもはかない物語のエピローグはもうすぐです――――。

 いえ、これとて、まだ始まりなのです。

人類はかくして誕生しました―――。
 約300万年前は東アフリカにわずか15万人だったのが、200万年前に地球各地に数百万人、一万年前は2000万人、200年前には10億人、そして現在60億人、遠からず100億人になろうとしています。
我が人類は世界各地で分化してきたと思われがちですが、人種という概念があるとお思いですか?
植物学や動物学には亜種という概念がありますが、ヒトに適用するのは誤りです。
私たちは皆、「サピエンス・サピエンス」なのです。
ヒトに亜種、、つまり「人種」というものはありません。
混交はきわめて進んでいて、組織、細胞、分子いずれのレベルにおいても、人種による区別などは何の意味ももたらさないのです。
 では、人類の人類たる所以は何でしょうか?
チンパンジーなどを観察してみてください。
ある種の行動が人間そっくりなことに気づくはずです。
ウブなオスはなかなかメスに言い寄れません。
人間社会が母子相姦のタブーの上に成り立っている、と指摘した有名な人類学者がいますが、このタブーはチンパンジーにも存在します。
では、愛や意識などの情動によって定義できるのでしょうか?
情動より高度な意識が存在します。。。。。
―――それは、「死の意識」です。
誰もが、かけがえのない存在で、死は取替えしのつかない出来事だと悟ること。。
これこそが、『反省的意識』の定義の核心をつくのだと思います。
それが、自己、他者、世界、時間を意識するということなのです。



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