臆病者の一撃を!

Franz Ferdinand

Franz 24

左・アレックス(Vo.G)
上・ボブ(B)
下・ポール(Dr)
右・ニック(G.Vo.Key)

<プロフィール>

2001年 スコットランドのグラスゴーにて結成。グラスゴー大学で出会ったアレックス(Vo.)とボブ(B)を中心に活動がスタートする。「フランツ・フェルディナンド」という名は第一次世界大戦勃発の要因となった“サラエボ事件”で暗殺されたオーストリア皇太子の名前。「名前の響き」と「この事件(サラエボ事件)でその後の世界が変わってしまった史実」が気に入ってバンド名にすえた。

2002年5月 初めてのギグを行う。場所はグラスゴー芸術大学の展覧会。スローガンは「女の子を踊らせる!」こと。そして彼らは女の子を踊らせるのに成功。

2003年9月 英国のインディ・レーベルDominoからリリースされた一枚のシングル「Darts Of Pleasure」がシーンに決定的な衝撃を与えた。レーベルの戦略で極端にエア・プレイが制限された(なんとBBC/Radio Oneでのオン・エアーは6回!)にもかかわらずこの曲は「UKキッズ必携の一枚」となり、アルバム・デビューを前に英国全土が沸きあがった。

2004年1月 英NME誌は後々まで語られることになる扇動的な見出し--「このバンドが君の人生を変える」というキャッチとともにフランツを表紙に掲げ、全世界的なフランツ・フィーバーがここにスタートする。同月リリースのシングル「Take Me Out」は、当時の“全て”を変えてしまう程の威力をもった決定的な一撃となる。その人気はイギリスからヨーロッパに飛び火し、“最もクールな4人組”の世界制覇がスタートする。
2月 記念すべきフランツ・フェルディナンドのデビュー・アルバム『Franz Ferdinand』が全てを証明した。インディー・レーベルからリリースされたにも関わらず、この傑作は一週間で80000枚を売り上げ全英ナショナル・チャート初登場3位を記録。そしてこれを機にUKシーンは瞬時に活力を取り戻す。イギリスのバンドは彼らに続けとばかり国内/国外で勢いを取り戻し、若者たちはフランツにならってシャツを"タック・イン(=ズボンの中に入れること)”し始め、そしてロック/ポップ/ダンスの垣根は取り払われてしまった。イギリスから飛び火してまずはヨーロッパが熱狂、そして遂にアメリカまでもがフランツの虜になった。「近年最も熾烈な入札競争」(米Billboard誌)と言われる契約争奪戦を経て、USエピック・レコーズが巨額にてフランツ獲得に成功。アルバム発売を前に全米ツアーは次々とソールド・アウトに。
6月 遂に日本デビュー。そして7月末には早くもフジ・ロック・フェスティヴァル参加での来日を果たす。前代未聞の「真昼間14時台でのグリーン・ステージ完全満杯!」を経て、11月には即日完売/日本縦断単独公演を成功させる。

2005年3月 アルバムは全米チャートのTOP40にひたすら留まり続けセールスは100万枚に到達。そしてUK新人では唯一のグラミー賞でのオープニング・パフォーマンスを務めることに。彼らはグラスゴーに帰り、次のアルバムに向けてレコーディングを開始。アレックスの自宅のスタジオで骨組みはあらかた作られた。プロデューサーとして白羽の矢が立ったのはリック・ルービンの片腕としてレッチリ、レイジからフィオナ・アップル等を手がけてきたリッチ・コスティー。
7月最終レコーディングとミックスはNYのAvatar Studios (Chic, Bowie, Roxy Music) で行われた。その間4人はマンハッタンのロフトで共同生活、スタジオには地下鉄や自転車で通う日々。

2005年9月全世界待望の2ndアルバム『YOU COULD HAVE IT SO MUCH BETTER』が日本先行にてリリースされる!


Franz3

Do You Want To
Take Me Out
The Dark Of The Matinee
The Fallen
This Fire
Darts Of Pleasure
Walk Away
Lynsey Wells
Jeremy Frazer

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