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Dog photography and Essay
クアラルンプール
「イスラムの教えは平和?」
結構長い時間バスに揺られていたような気がする。
バスの中で、風邪の熱と薬の効果で、ぐっすりと、
寝込んでしまったようで、現地ガイドの話も断片的にしか、
記憶がなかった。それをつなぎ合わせて意味を理解しようと、
努めるだけの気力も無かった。
バスは、マレーシア最大のイスラム寺院に着いたのも、
ほぼ夕方近くになっていた。
イスラム寺院のモスクの何とかして入りたかったが、
今日は信者しか入れなかった。
私は、アラー~!と大きな声で言ってはみたものの、
怒られるどころか、笑われるだけだった。
後から、現地ガイドや上海からの添乗員が、
今日は諦めましょう。と言うが、今日しかこのモスクに、
入るチャンスが無いではないか?と、
言ってはみたものの、肩からショットガンを、
下げている人が近寄ってきたので、「ハーイ!」と、
言うのがやっとであった。
外観の撮影は問題ないと、モスクを撮影したが、
辺りは結構薄暗く、暗い画像になってしまっている。
1941年に日本軍は、コタ・バル近郊に上陸し、
太平洋戦争の歴史が始まったのである。
1942年には、日本軍は、マレーシア全域を占領した。
これも、悪魔の成せる業であると私は信じる。
その日本軍の侵略の忌まわしい事実も過去のものとなった。
現在では、テロ事件の影響によって、イスラム教が好戦的な、
宗教と、レッテルを貼られてしまっている。
私も1年ほどイスラムを研究をしてきたが、
イスラムの歴史は平和世界を構築する歴史だった。
そのように思うのは私だけではない筈だ!
イスラムの意味は「帰依する」とか「平和にする」と言う意味。
アラビア語の「サリア」という動詞から派生した名詞である。
アラビア語の「こんにちは」も直訳すれば、
「貴方の上に平和がありますように」と言う意味が分かった。
イスラム教が本来、平和、平安を重視している事を、
示しているのにも関わらずどうしてテロを繰り返すのか?
私には大きな疑問であり、仏教徒の私には理解できなかった。
マレーシアをはじめ、ほとんどのイスラム国家は、
最近のテロ事件をどう感じているのだろうか?
自爆テロによって多くの罪の無い一般市民が犠牲になっている。
これがイスラムの教えなのか?洗脳と言う言葉が有る。
彼らは、満足な教育も受けずに、只教えられた方法で、
死は幸福をもたらし、残された家族をも幸福に導くなどと、
洗脳されているのではないだろうか?
なぜ自爆テロにより、同胞の一般市民が被害に遭うのか?
私にはどうしても納得がいかなかった。
「右手にコーラン、左手に剣」などとの教えは何処から来たのか?
イスラムの教えは、物理的な戦いだけなのか?
内面的な戦いである大ジハードが重要ではないのか?
私は、イスラムの教えの何たるかも知らないが、武力の行使は、
あくまでも自衛のために限るというのがイスラムの基本的な、
考え方ではなかったのではないかと思うと辛くなる。
今回、イスラム圏にも入ってみて、彼らや彼女らとも話した。
彼らの自分の宗教が最も素晴らしいと考えるのは当然の事。
いかなる宗教にも、他の宗教を認める開かれた考え方と、
自分の宗教だけが正しく他を認めようとしない閉じられた、
考え方が有っては殺戮のない世界は永遠に訪れない。
私のような仏教とも、彼らのようなイスラム教徒も、
求めるのは平和であり、永遠な平和な世の中の構築ではなかったのか?
しかし、現在の乱れた世の中を見るたびに、心が痛んだ。
何とか人種や宗教を乗り越えた平和な世界はいつ訪れるのか??
「イスラムの戒律とは?」
今回、シンガポールからタイに入った。
その時に、シンガポール空港内でイスラムの人々が、
乗り換えの為に待っていた。
その人数も80名はいたであろうと思う。
皆、同じ服装をしている姿を見慣れてない所為か?
何となく重厚な雰囲気があった。
女性はベールにも似た白のスカーフを頭から、
すっぽりと被り、男性は帽子を被っていた。
シンガポールへ旅行に来た帰りなのか?
シンガポールから旅行に行くのだろうか?
定かではなかったが、ただ殆どの女性が、風邪を
こじらせている様で、咳き込みが激しいのを記憶している。
(上は、イスラム寺院に着き直ぐに撮った画像)
彼女等と、少し話そうとしたが言葉の壁に、
遮られてしまって、英語が上手く表現できない。
彼女等は、にっこり笑顔を見せてくれたが、
マレーシアのガイドが、その人たちに、
この人は日本から来てますよと余計な事を言うので、
彼女達も、ちょっと変な表情になった。
「I am not a scary person」とか、
「Allah's god is believed in」などと話すと、
甲高い声で笑ってくれた。
(帰り際に後から彼女達を撮影した)
現地ガイドは、私の右腕を取ると、中国語で、
もうそれくらいで、満足しましたか?と聞いてきた。
あまり長話は、周りにイスラムの男性達が、
来ていたので、争いに巻き込まれても不味いと、
彼女達との会話を制止させたかったのだろう?と思い、
両手を前に持ってきて、手を合わせて礼をしようと、
その時、現地ガイドは、その方法はと言いかけて、
その後にいた、上海からの添乗員が「タイでは有効!」
そして、その姿を見ていた彼女達は口を押えて、
笑っていた。結構明るい人達と思った。
イスラムでは、お酒が禁止されており、私には絶対
無理であろうと思った。
酒は正気を失い、また、お金も失ってしまうとの事である。
友と争いが起こり、いずれは互いに憎みあうことになり、
そして、アラーの神を忘れていまい、最後には、
大切な祈りをも忘れてしまうというのが禁酒の原因だ。
断食というのも理解できないひとつである。
やはり、小さい頃からの環境が違うからではあろう。
仏教にも断食はある。修行の為30日間小さな蔵に、
閉じこもったままで、修行に入るが、
出てこられたときには仏のようであるという。
断食にも方法があのであろうが、その方法は分からない。
全く食べなければ、餓死してしまうであろう。
豚をも食してはならないとの教えではあるが、
やはり、その宗教の中に入っていかなければ、
何も理解できないのかもしれない。
「モスクの中へは信者のみ」
今日ネットの調子が悪くなって、楽天広場管理画面へ
入れなくなってしまった。ADSLの調子が悪いようだ。
電話回線だと、上海163回線へは、部屋からは駄目なので、
現在パソコンを、外まで持ち出し管理画面へ繋ぎ、
画像の更新をした。明日までは回復しないので、
皆さんへのレスは明日からになってしまいます。
イスラム教の信者のみしかモスクの中へは入れない。
何度もお願いして、衣装を変えてでも中に入りたいと、
現地ガイドの通訳で話したが、ガイドの方から、
それは、変装したから入れるものではないですよ!と、
言われたが、兎に角聞いてもらった。
答えは、やはり駄目だった。
現地ガイドは、通訳の中で困っていたが、
直訳で言いからと言うと話し出した。
幾ら変装しても、心の中まで変えることが出来ない。
そんな事を許したら、私が地獄へ落ちてしまうと、
アラーの神を信じている心の強さを知った。
イスラムの信者達が、どんどん中へと入って行った。
上海からの観光客達は、諦めてバスの中に乗っていた。
私も、もう中へ入る事は諦めたが、ギリギリセーフの
モスクの中から外の景色を撮影した。
私が、どんどんと後へ下がっていくので、
それ以上は、入ってはいけませんよと、制止された。
そして、モスクの中から見る外の景色が綺麗で、
私は警備の人に「ちょっと来て見てみなさい」と、
手招きして言ってみたものの、彼は面倒臭そうに来て、
「こんな所は毎日見てるから何も感動しない」と、
手を広げて私に意思表示をした。
私には、彼が肩から下げているショットガンが、
モデルガンのようにも思えて、触りたい衝動に、
駆られたが、もし触ってズドン!っと1発食らっても、
痛いだけでは済まなくなると思い止まった。
モスクの丸いアーチの入口の上から吊るされた
飾り板越しに見る景気が、綺麗で思わずその方向へ、
歩いて行って撮った画像である。
30Mほど離れた所に停まっている観光バスより、
「日本先生!早くして下さい!」
「早く出発して食事に行きますよ」と大声で、
声を掛けてきたので、手を振って合図した。
「クアラルンプール郊外のモスクから」
昨夜は、午後4時頃からネットが出来なって、
古い方のノートパソコンを持って、
画像の更新始め、皆さんへのレスを行った。
しかし、昨日の昼間は汗ばむ気温であったのに、
陽が落ちて暫く経つと、段々と冷え込んできた。
薄着で飛び出して、冷え込んでいるのも気付かずに、
レスに一生懸命だった為、我慢できないほど、
震える指先と震える肩にジャンバーを貸して下さった。
おまけに、顔見知りの中国人がやって来て、
寒いというと、45度以上の白酒(バイジョウ)を、
コップに入れて持ってきてくれた。
(水面に写るモスクを画像にした)
中国時間の夜10時過ぎに家に帰り着き、
すぐにシャワーを浴びた。冷え切った体に暖かいお湯を、
5分ほど頭から被ってのち、体を洗った。
湯船にお湯を入れてからとも思ったが、芯から
体が冷えてしまったので、とにかくシャワーを浴びた。
中国では、殆んどの所では、湯船など無い。
シャワーの蛇口が付いていて、そこからシャワーを、
浴びるだけで、日本のように風呂には入らない。
私は、湯船を付けてもらったが、ホテルにあるような、
長い湯船で、肩まで浸かり体を温めると言う事は出来ない。
もし、どうしても体を温めたいと思うなら近くの、
銭湯に行っても良いとは思うが、旅行で来た日本人なら、
垢が一杯浮いた湯船の中には、入れないだろう。
(まだ陽の落ちかけていないモスクの画像)
私は、そんな湯船(15人用)にでも平気では入れるし、
いい気分になって、歌も歌う事が良くある。
このような体の暖まる頃合いの、お湯の中では、
自然に歌が出てくる。
また私が歌っていると、始めは静かに聴いている中国人も、
一人が鼻歌交じりに、他の人も私のリズムに合わせハミングしだし、
そのうちに、あちらこちらで、合唱にも似た歌となる。
中国人と目が合っても、台湾人くらいにしか思ってないので、
彼らもニコニコしながら歌いだし、疲れを癒すかのように、
目を閉じて、肩まで湯船に浸かっていた。
この辺の銭湯の入浴料は、5元(75円)である。
あまり疲れているときは、サウナに行くが、サウナの入泉料で、
30元(450円)~60元(900円)位でちょっと違う。
私が近くのカットサロンへ行き、かっとして頂いて、
5元(45円)髪のメッシュ染めは20元(300円)位で、
髪を全部染める場合は50元(750円)位である。
(イスラム・モスク前の宿舎だろうか?)
今日の画像の更新は、イスラム・モスクの画像を背景に、
銭湯やサウナやカットサロンの話題を綴って、罰が当たりそう?
サウナに行く間隔は、2週間に1度ほどで頻繁には行かない。
カットサロンにも、2週間に1度に行が、日本の殿方に、
比べれば、カットに行く回数は多いのではないかと思う。
しかし、月に2回のカットサロンとしても10元(150円)である。
日本では幾らしているのか?私が日本に居た13年前は、
確か3000円ほどであったように記憶しているが今は幾らだろう?
その13年前と比較しても、150円と3000円では違いすぎる。
そして銭湯では、日本に帰ると500円くらいの入浴料で、
露天風呂や食事も出来るところへ行くが、そのよな銭湯は、
まだ中国ではお目に掛かっていない。サウナの大きなところは、
結構、上海でも出来てきて、衛生面でも気を遣っている。
その話は、また次回するとして、今日も上海の3分の1に当たる
地域で、昨夜からネットが出来なくなってしまっている。
だから、ADSLはこの地域では全滅になってしまった。
今日は、先に外へ行きネットで自分のページを開けダウンロードし、
USBメモリーに保存し、家に持って帰り、暖かい中で更新。
その書いたものを、またUSBメモリーに保存し外に行き、
更新をするという大変面倒な事をしている。
近くのインターネット喫茶はネット出来ずに客は誰もいない。
(クアラルンプールへ向かってバスは動き出した)
「カキコの難しさに悩んだ時も有った」
今日も外から更新してますが、今日は風が強いですね。
昨夜の昼間の26度と夜になり13度と大陸では夜と昼の、
温度差が激しくなるので注意しなければならない。
昼間よる少しだけ温度が下がるだけだろうと高を括って、
あまり防寒をしないとしっぺ返しに遭うので注意が必要。
でも、幾らADSLでネットが出来ないからと言っても、
外に設置してある電話回線から出来ると知らせがあって、
外に飛び出し、必死になってネットをしている姿が異様・・?
ゆえに、中国人が私の周りに集まって来たのだろうか?
人は、悪い事を考え出すと何処までも考えてしまう。
人が逆境に陥った時に、心から明るく振舞える人が、
この世にいるのだろうかと思ったりもした。
(食事も終えてやっと到着したクアラルンプール)
私は、仕事では滅多に落ち込まなかった。
一瞬の内に400万ほどのお金を失っても、車一台パーにしたと、
思っていれば落ち込む事などないと言い聞かせてきた。
しかし、中国へ来てからネットの世界で、苦しんだ。
仕事が手に付かないように、明日からどうすれば良いのか?
もうこの世の終わりなどと、柄にも無いような思いが、
私の心を占領して、食事も喉を通らない事があった。
それは、今までに後にも先にも一度だけあった。
小さく落ち込む事はあるが、結構心に衝撃を受けたことは、
この1回だけであるし、後は笑って済ませれる問題であった。
名前や団体などは伏せて簡単に紹介したい。
ある女性より私のブログではなくホームページへカキコが、
有った内容は、昨年中国へ旅行しました。
(クアラルンプールのタワービル)
北京へ行った時も、広東省へ行った時にも感じたのですが、
中国では、最近ペットの犬のコンテストをするわりに、
家庭での犬を買う習慣は無いのでしょうか?
これが、カキコの内容であったが、私のレスは、
---中国、特に広東省では、犬でも食べてしまう習慣が有り、
----省略---道路などでまず犬を見かけることは無いでしょう?
私は、中国の習慣を知って頂こうと、私なりに精一杯書いたのですが、
私のリンクしている関連のホームページなどに、私の悪魔部分を、
暴露するようなカキコが相次ぎました。
後で分かったのですが、その方には子供さんが無く、また、
車椅子に乗ってみえる人であることが分かりました。
私が非難される事で、心凍らせたのではなかった。
そのような境涯の中で、必死になって書き込み下さったその女性に、
広東省では、四足のもので食べないのは椅子かテーブル位だと、
レスしてしまい、その人の心を傷つけてしまった事に悩みました。
(クアラルンプールの2つのビル)
ネットは、顔が見えない。相手の立場が分からない。
相手の人の考えている事が分からない。今の心理状態が分からない。
その中で、長い書き込みの内容であるにも関わらず、
いとも簡単に1行か2行のレスで仕方ないと思っている人もいる。
その女性が、私のハンドルネームを表示し、このような人でなしが、
この世に居たなんて、この世でホームページを開設してるなんてと、
あちらこちらの掲示板に、コピー&ペーストされてました。
私は2002年に、全く孤立してしまった錯覚に苦しみました。
ホームページを開設して、3年目の挫折でした。
そして、第一回目の掲示板の閉鎖を決意した時でも有りました。
この時こそ、ネットでのカキコやレスが如何に相手の心を、
を傷つけるものか?と、思い知らされた事はありませんでした。
ネットは相手の心が分からないゆえに、よく相手の事を理解し、
相手が何を望んでいるのかを理解した上でレスをしたいと思った。
無闇に、訪問者を増やしたい為に、初めての所へ人懐っこく、
書き込みに行ったりする事を出来るだけ抑えては来ているが、
やはり、十年来の友達のようにカキコに行くのは、
私の悪いところなのか?良いところなのか?ネットは難しい。
(クアラルンプールの一番高いビル)
「クアラルンプールの百貨店」
クアラルンプールの中に入ってから食事をした。
海鮮料理は受けが悪いので、メニューを変更したようだった。
今度は、野菜中心の料理で、その中に肉料理もあったが、
何となく中国人に受ける料理内容との感じがした。
その後、マレーシアの首都のクアラルンプールへ入った。
クアラルンプールの夜景を見た後、有名百貨店の中を見て回った。
待ち合わせの時間を決めたが、早くホテルに行きたいと言い出す者や、
百貨店の中を出来るだけ見て回りたいと言う者に分かれた。
私が、この百貨店の閉店時間はと聞くと、10時ごろとの事だった。
では、この百貨店の前に集まるのは9時半と提案し、1時間あれば、
問題なく見て回れるだろうとも思った。
百貨店の中に入って行ったが、大きな声で現地ガイドが叫んだ。
「日本先生!集合時間を守って下さいよ!」と言われ、
「OK!」と手で表示した。この表示方法は何処でも同じとも思った。
中に入り、暫く歩くと、吹き抜けのフロアーに来た。
天井を見上げると、後に倒れそうな感覚になるほど高かった。
エレーベーターで上がろうとして、下を見ると小じんまりとした店が、
15店舗ほど並んでいて、上のフロアーに着いて、すぐに下へ降りる、
エレベーターに乗って、その狭い通路を利用した店の画像を撮った。
この狭いフロアーは結構暗く、ISO400のEV+1.2で撮影した。
それでも、暗い感じになったが、その暗さが雰囲気をかもし出していた。
更に、そのフロアーを歩いて行くと、煙突状に結構高い建物が出来ていた。
空間を思う存分使った宇宙未来都市にも似た感じの空間だった。
その上には昇らなかったが、下より撮影してもその雰囲気が見て取れる。
また結構綺麗なファッション空間もその中に造り出していた。
意識して撮影したわけでもないのであるが、画像の中にイスラムの、
女性が写って、そのマレーシアの雰囲気が出ているようだった。
この中の、売り場の女性は、皆イスラムの党員ではないだろうか?
全ての女性がスカーフを頭から被っていた。
暗い中だったのでと、EV値を+1.2のままで撮影していたら画像が、
飛んでしまった部分がある。やはり、その撮影しようとする対象を考え、
カメラの値をその都度変更していく習慣をつけておく事が大切である。
「香港ネーザンロードでの盗難」
今日もネットが回復しないままだった。でも人は困難時には、
知恵を出して乗り切れるものである。パソコンは問題ないので、
パソコンに入れてある画像を元に、その画像のナンバーと画像を、
照らし合わせながら、記事を書いていき、外へ出て更新。
画像の登録は、ネットが問題ないときに200画像を登録してあった。
その画像を元に、更新をすれば「備えあれば患いなし」の通りである。
問題無しとは言っても、ネットの普通により、外に行って通信。
特に今日は、午後4時位から雷と大粒の雨で、一気に冷え込んだ。
昼間に外へ行って画像の更新をした。その時に、書き込みの人の、
内容を、返信するを画面に出しておき、部屋に入ってより、
仕事の合間合間にレスを書き込んだ。そして、仕事のメールや画像も、
添付して、外に飛び出し送信したり、ネットで私のページを、
出して持ち帰るという方法が、相当手早くなった。
まだ、多少雨が降っているので、更新する為に、中国人に傘を、
差して頂き、歩いて5分の所まで行く予定である。
ブログが趣味になってしまっているからとしても行き過ぎではと思った。
中国の百貨店でも感じることであるが、一回フロアーから、
天井まで吹き抜けにして、その周りに店を置いている。
土地が広いからだろうか?とか建物を広くし使っている。
日本では、このような吹き抜けの百貨店は有るのだろうか?
日本へ帰国しても、成田から入り、東京青山辺りのお客様の所へ、
商談をしてその夜は、東京のホテルに泊まり、翌日また、
お客様の所や検品センターなどへ行き、研修会に参加。
その後は、お客様と共に食事に行き、そのままホテルへ。
3日目になると、パソコンの売っている家電センターへ立ち寄ったり、
カメラ販売の店に寄ったりして、夕方5時位の「のぞみ」に乗り、
名古屋まで帰ってくる。名古屋から中央本線に乗り我が家まで。
以前は、大阪のお客様の所へ寄っていたので、名古屋へ行く時間が無く、
関西空港からそのまま上海へ帰ってしまい、長女に連絡し、
日本に居るんだけど、家には行けれなくなったと伝達。
「何それ~?家に寄らず上海へ帰ってしまうの~?」と話す。
でも、中国へ行ったばかりの時には、いつ頃家に帰って来れますか?と、
それが、最近は家にいつ来れるか?と言い、上海へいつ帰る?と、
他人が私達の会話を聞いていたら、変な親子の会話と思うだろうと、
思ったりもしたが、上海に1年間の11ヶ月以上居るのだから、
そのような会話になっても、当たり前なのかなと思った。
画像は、香港でも有名な「ジョルダーノ」私はこの店を見てから、
すぐに、香港での盗難事件のことを思い出した。
今から10年前に、香港へ用事で行った。
中国深センの「ロウフ」から中国から出境手続きをする為、
長い列に並び、いつも30分ほどに時間を掛けてパスポートに、
スタンプを押して頂き、次に、鉄道で香港まで行くのだが、
ここで香港入境手続きの為に、30分ほど並ぶ事になる。
スタンプを押してもらってやっと香港の鉄道で、地下鉄駅まで、
そこより乗り換えて「チムサーチ」まで来るのであるが、その日は、
1つ手前の駅の「ジョーダン」で下り、香港の恒生銀行へ行った。
その銀行で、7万5千HK$を引き出し、バッグの中へ入れた。
ポケットの財布の中の3千HK$もバックへ入れ、更に20万日本円も、
一緒にして、バックを下げながら、更に左胸のポケットに入れてあった
パスポートまでバックの中に入れ、香港の繁華街を歩いていた。
銀行から1分ほどの所に画像の「GIORDANO」の前に来て、綿のシャツを
探しているうちに、下に置いたバックを泥棒さんが持って行った。
全部バックの中に入っており一文無しになってしまった。
7万9千HK$(118万5千円)と20万円とパスポートと貴重品類。
香港がいろんな人が集まっており、一番盗難が多いので気をつけよう。
日本人の悪い癖は、バックを下に置いてしまうような癖がある。
それまで香港へは60回以上行っていたのに、油断から盗難に遭ってしまった。
当然の如く、パスポートが無いのでホテルへ泊まれないし、中国へは、
帰ってくる事が出来なかった。パスポートが出来るまで缶詰状態だった。
全ての金を盗難に遭ってしまい、無一文で8日間を香港で過ごした。
今まで経験した事のない事だったが、良い経験をさせてもらったと思う。
昔、ヨーロッパへ行った時には、気をつけてお金も、何箇所かに分けて、
バックは絶対に下に置いたりなどしなかったが慣れとは怖い。
何でも同じではないだろうか?車の運転でも慣れた頃に事故を起こしてしまう。
仕事でも、始めはマニュアル通り確認しながら進行しているときと、
2年ほどして慣れて来ると、初心者のようなミスを犯してしまう。
やはり自分は海外旅行は慣れているという驕りから、変なバックの持ち方は、
おかしいとか考えてしまう。仕事でもブログでも、どんなに慣れても、
初心を忘れず、これからも頑張って行きたいと思っている。
画像は、クアラルンプールの百貨店に入っているテナントの状況。
マレーシア・クアラルンプールも結構都会と思いませんか?
「台湾の工場へ視察に行った時の事」
今日もネットは回復しないまま4日目の朝を迎えた。
このネットが不通になってから私の一日のリズムに、
メリハリが、着いたように思えてならない。
今まではいつでもネットと言う感じで、ダラダラとした時間が、
過ぎて行ったような気がするし、実際そうであった。
しかし、更新するためには、歩いて5分足らずとはいえ、
外に行かなくてはならず、外の寒さと雨や風の為、
4月20日にも拘らず手がはじかみ、指は震えた。
更新の文章でさえも、ネット不通前は、ネットの片手間に、
仕事をしていたという感があったようだ。
だが、このページの内容は、昨夜の内に記事を書いたものだ。
そして、外へ工場のものと行き(一人では危ないと工場から手配)
急ぎ、ADSLではない昔の回線でネットにつないで、既に、
楽天の更新画面を出してあるため、コピーをし更新した。
そして、皆さんからのコメントが来ておれば、その部分を出し、
返信をするを出し、レスはそのままにしておき、
ネットを切断して、工場へ帰り、仕事の確認後、問題なければ、
次の、ページの記事を書き出し、また皆さんのコメントへのレスを、
書き出したりして、ある程度の時間が経つとまた外へ行き更新した。
この動作を繰り返すが、1日3度が限度である。
昼間はまだ良かったが、夜の寒さには平行したし余り長い時間は、
中国人が私のノートパソコンの周りに集まり、キーボードを、
叩くのが早いとかこのノートパソコン幾らしたとか?
また、日本人と分かってからは、気のせいか緊張してキーボードを、
叩くようになった。早くネットが回復してくれないものか?
ネットが回復すれば、この現在の貴重な体験を生活の中に、取り込み、
今までのように、どっぷりとネットに浸かるような事を避けたい。
その意味では、今回のネットの長期不通はプラス面に動いてくれた。
「このページでは、台湾の工場視察の事を書いてみたい」
中国へ旅行へ来た時は、何とか時間が過ぎていった。
しかし、時代の流れで、日本の工場の受注も芳しくなく、
この先、どうなって行くのだろうか?などと思っていた時に、
中国行きの話しが来た。
始めは台湾の2500人ほどの工場を見てくれないかとの話で、
台湾の工場へ視察に行った。台湾も一番初めに行った時の、
1883年当時より10年の歳月が過ぎており、結構変わったなと思った。
2500人の従業員の工場ともなれば凄い広さだった。
1ライン30人ほどの作業ラインを、簡単に見て回ったが、
半分も行かないうちに、昼の休みになってしまった。
私は従業員の食堂がどのようになっているのか?好奇心で、
見に行った・・・。300人が座れる長椅子のテーブルが、
所狭しと並べてあり、食堂の中は凄い熱気に包まれていた。
そして、スズメの学校?メダカの学校?ではないが、
ピーチクパーチク雲雀の子・・・。何かおかしいですね?
このセンテンス?メダカがピーチクパーチク言わないですね。
でも、そのようなざわついた状況は表現されてますでしょうか?
食堂の管理者に聞いてみましたが、300人収容の食堂は、
2箇所に有るとの事だった。そして、15分毎に入れ替わっても、
1時間は掛かるのではと思った。食堂も大変である。
食事が終わってから、次のラインの見学に行った。
しかし、技術者は問題対応に追われ、その工場の責任者と商社の
担当者で回っていたが、5時になっても回りきる事が出来なかった。
夕食になったが、私はまた好奇心で、もう1つの食堂へ行った。
全く同じ造りになっていて、食事を作る人と並ぶ人が違うだけだった。
「美味しいですか?」と既に席に着き食べていた女子作業員に、
通訳をに聞いてもらったが「美味しいから食べているのではない」
次に「食べなければ体が参ってしまうから・・」と、食べていた。
2500人の食事を作ることも大変だが、その残飯が残っているのを、
目の当たりにしたが、次から次へと残飯は山になって行った。
私は、そのままホテルに帰った後、工場の総経理たちと食事をした。
作業員が食べているものとは、見るからに違っていた。
何となく、申し訳ない思いで、その料理を食べたが、次から次へと、
運ばれてくる料理に、置く場所も無く、料理の盛ってある皿の上に、
更に皿を置いていくのには平行した(今は麻痺してしまった)
二日間の見学をした後、ホテルのスイートルームで、工場の総経理と、
商社の人や工場のオーナー達でミーティングを持った。
私は台湾の仕事を断るつもりでミーティングに臨んだ。
彼らが提示した私の1年のギャラは1500万だったが、私は断った。
あと100万くらいなら上乗せしても良いといわれたが断った。
断った理由は、一日掛かっても工場の全てをじっくりと見れない。
この事が引っかかった。午前中に見たところが午後に大きな問題を、
発生して、ラインが停止する事もある。また、問題発生の時は、
次から次へと重なって発生するものだと経験で分かっていた。
幾らギャラを積んでもらっても、私の体が半年と持たないうちに、
ダメになってしまうと思った。勿論、この93年にはブログも無かった。
もし、今の時代にこんなギャラの話は無いが、もし有ったとしても、
ブログ作成の時間が持てないとは、言わないにしても断るだろう。
その工場も、私に話しがあってより、3年後に倒産している。
大所帯で、小回りが利かなかったのと受注が進まなくなった為だった。
その頃は既に広東省で、500人の工場で働いていた。
画像の説明が出来なかったが、同じ百貨店のウィンドウの中である。
職業柄、やけにこのファッション関係の画像が多い。
「中国写真ライフ」へ戻る。
「クアラルンプールタワー」へ
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