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Dog photography and Essay
上海豫園旅情5
「上海豫園旅情61」
質問--道教は誰が説いた教えか分りますか?
釈迦・孔子・老子の三択。
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回答は「老子」でした。
老子の名は皆さんが知っている通りである。
だが老子の名を日本へ持ち込んだ人物は徐福とされる。
では徐福とは誰か?それは始皇帝に不老不死の薬草が、
東の海を越えると有ると伝え、始皇帝もそれを信じた。
巨額の資金を投じてまた多くの少年少女を従え、
新しい国を目指して渡ったのがニッポンだった。
日出づる国そして、日の本の国と呼んだ。
紀元前200年ごろの事で、日本へ渡ったその一族縁者は、
何世紀もの間、渡り続け奈良や飛鳥に文化をもたらしたと、
言われており、中国の歴史学者も否定はしない。
(豫園内園の白い塀の丸い門から)
老子は、競争心や欲望から何かをするのではなく、
川のように流れる「無為自然な生き方」を説いた。
その老子は2500年も前の人と言うことであるが、
10年ほど前から調べていた老子の生没年未詳だった。
画像は、大勢の観光客が通り抜けるのを待って、
その人の途切れを長い間待って、ほんの5秒ほどの時間で、
急いで撮影したものである。
人は待つ事が美徳であると語った哲学者もいたが、
NHKの大河ドラマ「功名が辻」の家康も待つ美学を、
実行した人物ではなかっただろうか。
でも待つ事って忍耐が必要で、待つのを止めてしまいたい
衝動にも駆られてしまいます。
質問--今まで長い間待った事って有りますか?
30分・1時間・一日・一日以上の四択。
(豫園内園の白い塀の丸い門から)
「上海豫園旅情62」
質問--今まで長い間待った事って有りますか?
30分・1時間・一日・一日以上の四択。
皆さんの回答は楽しいものでしたね。
「待っている事も楽しい事ですよ」と語る人が、
多かったのには、微笑ましいばかりでホッと致しました。
待つ事の大切さを語って頂いた皆さんのコメントに、
私も勇気を頂きました。私も待つ事にします。
次の検査は10月25日前後、日本へ帰国せずに、
この中国で健康診断をする事に致しました。
上海で一流の病院ですので安心なのですが、
日本本社に言わせると、日本でドックに入った方が、
良いのでは?と、私の耳にも届くところとなった。
(豫園内園の麒麟"キリン"の像から)
ネットでも私の病状について調べてみた。
日本でなら即入院のような事が書いてあった。
私が病院から2か月分頂いた薬は日本からの輸入品であり、
完全なる日本製である。日本で入院しても食事療法と、
安静と薬で、それなら自分でやれるはずだと頑張っている。
現在78キロから65キロまでになったが、そのお陰で、
身体は身軽に、結構快適に階段を上れるようになった。
ウエストも94センチが78センチまでになり、
皆が私は癌(ガン)ではないかと話し始めている。
9年前の胃潰瘍では53キロまで落ちたので、それから思えば、
まだまだ余裕であるが、初めて見る人はやはり驚く。
酒は相変わらず禁酒のまま、一生禁酒宣言をしたので、
今も2ヵ月後も1年後もなく、禁酒のまま・・・。
(豫園内園の麒麟"キリン"の像から)
画像は豫園も最終の出口に近づいたところに、
置かれている麒麟(キリン)の像である。
孔子の著作の「春秋」の部分に「獲麟」の文字が出てくる。
その解説書の「春秋公羊伝」の内容が麒麟を霊獣を、
扱った最初の文献である。
その中には孔子は今優れた王が居ないと言う事を、
「獲麟」の二文字で麒麟が捕らわれる事で嘆いて見せた。
この麒麟の像を見てキリンビールを思い描くのは、
私だけでは、ないのではないだろうか?
キリンビールの会社を友人から受け継ぎ、麒麟の像が、
好きだった彼は、麒麟の画像をラベルに使ったとか?
質問--その昔キリンビールを受け継いだ人とは誰?
鳥井信治郎氏・トーマス・グラバー氏・山本為三郎氏の三択。
(豫園内園の麒麟"キリン"の像から)
「上海豫園旅情63」
質問--キリンビールを受け継いだ人とは誰でしょうか?
鳥井信治郎氏・トーマス・グラバー氏・山本為三郎氏の三択。
回答はトーマス・グラバー氏でした。
皆様の回答で驚いたのは、yoshiyoshiさんの、
「三菱グループの一員として知ってますよ」から、
始まる回答のコメントの詳細な内容に参りました。
皆さんの中には「以外ですね」と意外性を強調し、
コメントを書かれている人も多かったですね。
私も、この話を25年前に聞いた時は、「エッ!」
「あの長崎のグラバー亭の・・?」などと、
驚いたものです。
画像は、やっと豫園の外に出たと頃のお茶屋さんの下に、
土産物が並び、その中には外国人が買い物をしていた。
豫園の正門から入ると、広い敷地内を楕円を描くように、
見て回ってくると、道教の寺である城隍廟の横へ出る。
(豫園の外へ出て豫園商城の通りにて)
その城隍廟の入口は、表通りに造り替えてあるので、
脇からチケットを買って入ると言う事は出来なくなった。
豫園茶庄はこの建物の2階に造ってあり、そこへ
上がってみると、お茶菓子や軽食が用意されている。
お茶を頼むと、ちょっと大き目の湯飲み茶碗に、
お茶の葉が入れられ、お湯が注がれてくる。
日本では、お茶の葉を直接湯飲み茶碗へ入れる事は、
まずないが、中国ではお茶の葉を直接入れて、その葉を、
息で吹きながら、飲み易くして飲む。
慌てて飲むと、お茶の葉が口の中に入って来る。
しかし、時間が経つと葉が下に下がって飲みやすくなる。
質問--直接お茶の葉を入れ、飲んだ事があります?
直接はまだ飲んだ事がない・飲んだ事が有るの二択。
(豫園の外へ出て豫園商城の通りにて)
「上海豫園旅情64」
質問--お茶の葉を入れ、直接飲んだ事があります?
まだ飲んだ事はない・飲んだ事が有るの二択。
皆さんの回答はそれぞれでしたね。
皆様の回答を見てますと、私が如何に中国に、
順応してしまったかを感じ得ずにはおれませんでした。
私も、中国へ来るまでは、お茶の葉を直接湯飲みに、
入れ込み、お湯を注ぐなどと言う事は考えもしなかった。
小さい頃には、番茶の茶柱がお茶の中で立って、
ウキ(浮き)のように、茶柱が立つと良いことがあると、
そのような迷信を信じて、小学校へ急ぎ行ったものです。
でも中国の場合、烏龍茶にしろ龍井茶でも普耳茶や、
ジャスミン茶また菊花茶でも茶柱がないので寂しい。
(豫園の外へ出て豫園商城の通りにて)
画像は、豫園商城通路両側にある土産物屋さんでは、
中国の凧(たこ)や仮面が売られていた。
ここには珍しそうに多くの外国人が眺めていた。
中国の凧は、春秋時代(紀元前770~前476)には、
木製や竹製の凧が有った。その後、紙製の凧が出てきた。
五代十国時代(907~960)からは風筝(feng1zheng)と呼び、
様々な色や形の凧が生み出されてきたと言う事である。
日本の凧とは様相が違うようにも思うが、皆さんは、
どのような思いでこの画像を見られただろうか?
私は小学校高学年では、その地域でも凧を早く高く揚げると、
自分自身で思っていた。四角い凧の下に新聞紙を8センチ幅に、
切りそれを10m以上繋いで、グランドで揚げると胸一杯に、
感動が込み上げてきたものだった。
女性は羽根突きが主流だったかとは思うが、ここで質問です。
質問--凧揚げをして遊んだ事がありますか?
正月はいつも凧揚げした・人が揚げてるのを見ていたの二択。
(豫園の外へ出て豫園商城の通りにて)
「上海豫園旅情65」
質問--凧揚げをして遊んだ事がありますか?
正月はいつも凧揚げした・人が揚げてるのを見ていたの二択。
皆さんの回答は凧揚げしたでした。
子供の頃東京で育った人は、凧揚げする場所が、
無いからと凧揚げをした事が無いとの事でした。
その他の人は、学校のグラウンドや広場などで、
父親が作ってくれた凧や、自分達で作った凧で、
思う存分凧揚げした事を思い出されたようですね。
子供の頃の事を思い出す機会が余り無い最近、
少しは郷愁の思いで懐かしかったのでは・・・。
私の小さい頃は、パソコンも殺人ゲームも無く、
「めんこ(しょうや)」やビー玉、フラフープなどで、
暗くなるまで、遊んだ事を思い出しますね。
記憶に残っている事で、この当時流行ったのは
黒のビニールで出来た「だっこちゃん」が流行。
(豫園の外へ出て豫園商城の通りにて)
画像は、重厚な門構えとは思いませんか。
この門には「龍」の彫り物が飾りつけてある。
その上の名前を見ると「緑波廊」と書かれている。
この「酒楼」は各国VIPが訪れる上海料理の名店である。
ここは予約が必要である。何を売っているかと言えば
「色んな小籠包」が食べれるが、他の料理も沢山。
私は一度しか入った事がないが、明、清時代の、
建築風格を模倣して造られた三階建てで黒い瓦の先が、
角の尖った屋根は江南の建築風格を十分に顕している。
朱色のペンキを塗ってある木造であるが、中は、
さすが200年以上の歴史が有るだけ素晴らしい気分になる。
「緑波廊酒楼」へは、イギリスのエリザベス女王をはじめ、
アメリカのクリントン元大統領、日本の羽田元首相や、
日本の村山首相など四十カ国・地域の貴賓を迎えたそうだ。
(豫園の外へ出て豫園商城の通りにて)
上海料理から点心(軽食)・蟹料理(上海蟹)・フカヒレなど、
高いものが食べれるが、私は小籠包のセットしか食べてない。
以前にも話した事がありますが、小籠包の食べる時には、
舌を火傷しないように注意しなければならない。
私が一番初めに失敗した事は、商社時代に初めて小籠包を、
お客様や工場の人達と食べに行きました。
表面が冷めた感じだったので、お腹も空いている事も手伝い、
ガブッと噛んだのは良いのですが、熱さの為に我慢できず、
皿の上に思いっきり吐き出してしまいました。
あとから分ったのですが、小籠包の下の皮の角を歯で千切り、
中の熱いスープをすすってから、食べると火傷しない。
後から後から素晴らしい料理が出てきたのですが、口の中を、
火傷してしまって熱い内は何も食べれませんでした。
質問--小籠包で口の中を火傷した事ありますか?
ちょっと火傷した・火傷した事はない・猫舌ですの三択。
(豫園の外へ出て豫園商城の通りにて)
「上海豫園旅情66」
質問--小籠包で口の中を火傷した事ありますか?
ちょっと火傷した・火傷した事はない・猫舌ですの三択。
皆さんの回答は「火傷した」でした。
皆さんからのコメントを見て、安心しました。
何故かと申しますと皆さんも結構火傷してるので、
「ドジなのは私だけではなかった」と安心。
仲間が多い方が、何となくホッとしますね。
友人の
JINO@上海
さん などは、皮にかぶりついた瞬間、
液体が飛散して、向かいに座っている人に付着したり、
されたり、そういう経験がありますね。
「小籠包を頂くときは、できれるだけ、目の前の相手と、
距離を取った方が良いでしょう」と教訓・・。
でも、距離を取り過ぎて他のお客さんとの距離が、
接近してもこれまた困りものですね・・・。
(豫園の外へ出た南翔饅頭店にて)
画像は、南翔饅頭店の前の画像である。
店に入るまでの路地は、小籠包を食べようと、
列に並んでいる人達である。
ここの南翔饅頭店では、日曜日以外の日でも、
大勢の観光客で満席になる。
この南翔饅頭店の本店は上海郊外の南翔鎮にあり、
そこで食べると美味しく混んでなく安く食べれる。
しかし、そこまで行くまでの時間とタクシー代を、
考えたならば、近くて混んでいて高い所へ行ってしまう。
(豫園の外へ出た南翔饅頭店にて)
南翔饅頭店は既に、100年余りの歴史がある。
永い間庶民に親しまれているのは、皮が薄い事であろう。
実際食べても美味しく、もし火傷をしなければ、
円やかな味であり、口の中でサッと解けるような舌触りだ。
私は別に南翔饅頭店の営業マンでも何でもないが、
その味は保障できるので、一度は食べてみると良い。
日本にも、南翔饅頭店は進出しているとは思うが、
皆さんの中でも東京などで見たこと有ると思います。
(豫園の外へ出た南翔饅頭店にて)
画像は南翔饅頭店の中で、待っている人達を撮影。
カメラの前ばかりではなく、私の後ろ側にも人の列。
その列は、階段にも数珠繋ぎ状態で、この日は、
私は、写真だけ撮って、小籠包は食べずに帰ってきた。
そして、私の住む地域のサウナが完備してあるホテルに、
まずサウナに入り、その後でホテルのレストランで、
小籠包を頼んだが、南翔饅頭店のような味ではなかった。
2番目の画像で、上海蟹の身と味噌を時間を掛け、
丁寧にほじくり出している光景があるが、この蟹の
小籠包が有名であり、熱い内に食べると実に美味しい。
質問--小籠包を点心と呼ぶが点心の意味分りますか?
点心の意味は分る・何となく分る・分らないの三択。
(豫園の外へ出た南翔饅頭店にて)
「上海豫園旅情67」
質問--小籠包を点心と呼ぶが点心の意味分りますか?
点心の意味は分る・何となく分る・分らないの三択。
皆さんの回答は「何となく分かる」でした。
今回も色々なコメントがありました。
点心の点は時だから三時のおやつで、
その心はと聞かれると、美味しいとうなる。
間食として食べるものの意味とか、
物を少し食べて空腹をしのぐ意味など。
食事の前の簡単な食べ物の意味。
中国料理からこの名前が出ているそうです。
点心だけではお腹が納まりませんという
コメントもありましたね。
(豫園商場の通りは下町の風情が漂う)
画像は、中国結びと呼ばれているもので、
土産物売り場などでよく売られてます。
私も始めの頃は、珍しく良く買っては、
人にプレゼントばかりしておりました。
中には「香袋」と言って、良い香りのする
袋も売られております。
このような通りを目的も無くただぶらりと、
歩いてみるのも、心が洗われますよ。
(豫園商場の通りは下町の風情が漂う)
下の画像のとおり、この日は雨が降っていた。
今年の夏は、例年より雨が多かったようだ。
雨の日の撮影は慎重になる。なぜならば、
時にはレンズ交換をする時に雨が入らないように、
出来るだけ、商店街の軒下で慎重に交換する。
やはり、雨の日の撮影時には、レンズを決めて、
それ一本で押し通すようにした方が良い。
カメラも重たい本体とレンズで、1.5キロはある。
交換レンズを、3本入れたバッグを肩から提げ、
一日歩くと翌日は肩が痛いほどに凝ってしまう。
先日、マッサージに行ったら50肩と言われて、
改めて歳を取った事を自覚した。
質問--歳を取ったなと感じる時ってあります?
いつも感じる・全く感じない・考えた事が無いの三択。
(豫園商場の通りは下町の風情が漂う)
「上海豫園旅情68」
質問--年を取ったなと感じる時ってあります?
いつも感じる・全く感じない・考えた事が無いの三択。
皆さんの回答は「感じる」でした。
皆さんよりは、疲れがすぐに取れない時とか、
物忘れ、名前を思い出せない時などに感じる。
この名前を思い出せないは、人の名前でしょうね。
ご自分の名前が思い出せなくなったら大変ですね。
皆さんのトップは、物忘れですね。
何をしようとしていたとか、話している最中に、
何処まで話したか続きが思い出せないなどでした。
また鏡をみるといやがおうでも感じますねと、
これは殆どの人が感じる事ではないでしょうか。
私は上海などへ旅行に来られている年配者を見て、
元気な人がいるんですよ!そんな人を見ていて、
自分がその歳になって、こんなに元気でいられるか?
それを思うと、何とも言えず辛くなりますね。
(豫園商場の通りは下町の風情が漂う)
画像は、豫園の通りの出店で扇子を売ってる画像。
中国の観光地へ行けば、よく筆で漢字を書いた扇子が、
売っていますが、ここでは京劇などのくま取りの絵です。
扇子に色々な模様の絵が書かれてますが、見ていても、
実に丁寧に書かれていて時間を忘れて見ていられます。
小学校低学年の頃に「日本舞踊」を習っていた時期があり、
踊りの最中にパッと扇子を開ける練習をさせられました。
今も、引き出しに扇子を入れてますし、暑い日に、
上海の街の大通りを、扇子で扇ぎながらゆっくりと、
歩くのもまた粋な感じと、自分だけ思ってます。
もう今は涼しくなって来ましたので必要ないでしょうが、
でも和服を着られる人は扇子を持って出掛けられますね。
質問--扇子に興味を持った時が有りますか?
白檀の扇子を持っている・団扇はある・ないの三択。
(豫園商場の通りは下町の風情が漂う)
「上海豫園旅情69」
質問--扇子に興味を持った時が有りますか?
白檀の扇子を持っている・団扇はある・ないの三択。
皆さんの回答は「白檀の扇子」が多かった。
皆さんよりは、こんな扇子だったら、私欲しい。
娘がプレゼントにくれた可愛いケース入りの扇子や、
白檀の扇子持っていますとの事でお幸せですね。
お茶のときに使う小さめの扇子を持っている人や、
和服を着なくても、夏場は持ち歩きますよ。
今年の夏は結構女の子でも可愛い扇子を持ち歩き、
料亭でお土産に戴いた物で可愛いウサギさんの柄。
はるか昔?15歳まで日舞やってましたから扇子は
馴染み深い道具の一つですとのコメントも!
(豫園商場のアーケードを通り抜ける)
京都に住んでいる娘が今迄5本買って貰って、
持って居りますと幸せまっしぐらですね。
台湾の方から 壁飾り用の大型扇子をお土産に、
戴きましたと語るアメリカ在住の人です。
白檀の扇子は大抵の人達が持っておられましたね。
画像は、豫園商場の商店街の間の上を綺麗に覆い、
雨の日にも傘を差さずに城隍廟の通りへ抜けれる。
アーケードと言っても、日本の商店街のようでも、
また通路が少し狭く、商店や店の装飾が艶やかだ。
(豫園城隍廟入口の保障海隅の文字)
「保障海隅」と「城隍廟」の入口の上に描かれてる。
「保障(bao3zhang4)」とは読んで字の如くである。
「海隅(hai3yu2)」とは、「海のほとり」と言う意味で、
この「城隍廟」は「海のほとりを保障する」と言う事?
上海は海辺の都市として、その昔より交易はじめ侵略等
上海城隍廟は色々な教えの中で海の機能を守ってきたと、
言えるのかもしれないが、真相は分からない。
「城隍廟」の中でも、この上海城隍廟は、比較的に、
文化大革命で壊されてはいなかったようである。
「城隍廟」は道教の廟として、上海の市民に限らず、
付近の省や他の観光客からも祈りに来ている。
質問--城隍廟には誰が祀られているか?
老子・陳化成・諸葛孔明の三択。
(豫園商場から城隍廟の入口へ)
「上海豫園旅情70」
質問--城隍廟には誰が祀られているか?
老子・陳化成・諸葛孔明の三択。
回答は「陳化成」でした。
質問が難しいとコメントを残し辛くなりますね。
気楽に入って気楽に足跡を残せる内容が良いですね。
中国人に、「陳化成って誰か知ってます?」と、
聞いても、「そんな人、内の会社に居ました??」
その女性は、大学院を卒業した人なのですが、
そのような人も知らないのですから、日本に居る
皆さんが、知る好も有りませんでしたね。反省です。
それでは城隍廟の中へと入って行きましょう。
(豫園の事を城隍廟とも言う)
この日は小雨が降る生憎(あいにく)の天気だったが、
それが返って良い画像を作り出してくれたようだ。
この城隍廟には、これで7・8回は来ている。
私は仏は自分の心中にあると思っている1人である。
だから他力本願的な祈りや写経や賽銭を多く出したから、
願いが叶うような事は信じた事が無い。
しかし、罰が当ると言う事に関しては、誰よりも敏感で、
言わば何かに怯えるが如く怖い思いが今でもある。
(豫園城隍廟の境内)
皆さんは、子(ね)、丑(うし)、寅(とら)、卯(う)
辰(たつ)、巳(み)、午(うま)、未(さる)、申(ひつじ)
酉(とり)、戌(いぬ)、亥(い)は何か知っていると思います。
中国では若い人も「あなた干支は何?」と聞いてきます。
日本では、若い人の間では使われなくなったのでは?
城隍廟の中には、この干支に纏わる縁の人々が祀られていて、
それを眺めているだけでも時の経つのを忘れるほどである。
干支(えと)の事を「十干と十二支」とも呼ぶ。
「十二支」の呼び方を「じゅうにし」と呼び、上の十二の、
動物を表したものである。
質問--十干にふり仮名をふって下さい?
じゅっかん・じっかん・とかんの三択。
(豫園城隍廟の境内)
「上海豫園旅情71」
質問--十干にふり仮名をふって下さい?
じゅっかん・じっかん・とかんの三択。
回答は「じっかん」でした。
前回の十二支の中で、順序は合っていたものの、
読み方を間違えてタイプしてしまいました。
子(鼠ね)、丑(牛うし)、寅(虎とら)、卯(兎う)
辰(龍たつ)、巳(蛇み)、午(馬うま)、未(羊ひつじ)
申(猿さる)、酉(鳥とり)、戌(犬いぬ)、亥(猪い)
そして、十干(じっかん)については下記のとおり。
甲(こう)乙(おつ)丙(へい)丁(てい)戊(ぼ)
己(き)庚(こう)辛(しん)壬(じん)癸(き)であり、
きのえ・きのと・ひのえ・ひのとなどと呼ぶ。
(豫園の事を城隍廟とも言う)
深く考えるとまたタイプミスが起こりそうである。
簡単に説明も出来ないが「木火土金水」の五行説。
五行説と陰陽道とが結びつき陰陽五行説になり、
十干は、陰陽五行説と結びついている。
つまり「木火土金水」には、陰と陽の二つがあり、
五行を陰陽に分けた十の区切りを十干と呼ぶ。
十干と十二支を組み合わせたものを干支と呼び、
甲子(きのえね)乙丑(きのとうし)丙寅(ひのえとら)
・・・丙午(ひのえうま)・・など丁度60周期になる。
還暦を60歳の時に祝うのは、この六十干支からだ。
画像は、城隍廟で日本とは違う線香を持ち、
火に当てて煙を出して身を清めようとしている。
中国の若者に、何故線香を炊くか分かりますか?と、
質問をしたところ、正確な解答は少なかった。
(豫園城隍廟の境内にて)
そればかりか、「日本でも神社にお参りする時に、
手を三回叩くでしょう?それと同じですよ!」と、
上手に切り返されてしまった。中国の若者にも、
日本の仏教信仰は根強いのに、直ぐに神社のイメージが、
沸き起こるのは、小泉さんの影響が相当強いのだろう。
そして、日本の線香の長さや太さなどを説明したところ、
そんな細くて短いのでは有り難味が少ないと言われた。
中国の禅宗のお寺に行っても、この様な太くて長い、
線香が売られているし、日本のような細いものは無かった。
質問--線香を炊くのはどんな意味があるか?
儀式決まり・心身を清める・香りが良いの三択。
(豫園城隍廟の境内にて)
「上海豫園旅情72」
質問--線香を炊くのはどんな意味があるか?
儀式決まり・心身を清める・香りが良いの三択。
回答は「心身を清める」でした。
線香を炊く事は、邪気を払うという意味と、
体や心の汚れを取り除き清浄になるとの意味がある。
ですから皆さんの中に「邪気を払う」との回答も、
正解ですね。私はどうしても心を清めたいという、
強い気持ちがいつも有るのでしょうね。
今回、蘇州までの「一人旅」へ行きました。
今までの疲れが出たのか、蘇州へ着いてより、
その日の夜中から高熱で大変な目に遭いました。
(豫園の事を城隍廟とも言う)
二日目の朝にホテルの近くに病院が有った事も、
手伝いまたホテルの管理者の進めもあり、
病院へ行ってきました。
ペニシリンは、アレルギーなので他の薬を、
点滴に入れて打って頂きました。
すい臓の事や胃潰瘍の事など心配でしたが、
その心配も他所にぐっすり眠ってしまいました。
医師より、ホテルの部屋で安静にしているように、
釘を刺され、余程観光に出かけようかと思ったが、
目が回ってそんな気分にはならなかった。
(豫園城隍廟の境内にて)
3日目にタクシーを使い、蘇州の市内にある寺や、
園林を急ぎまわったが、どこの寺でも、この画像のように、
カラフルな太く長い線香を、自分の顔の前に持っていた。
そして、真剣に祈る姿にシャッターを切ったが、蘇州の
画像はまだまだ相当先の更新になりそうだ。
皆の祈りの内容は、私には計り知れないが、祈りは、
漠然であってはならない。具体的に祈った方が良い。
私は全く信じてはいないので、祈ることも線香を、
炊く事もなかったが、女性の祈る姿は美しいと思った。
神や仏は一体何処に存在するのかと思ったことも有るが、
こんな私も何かを信じて生きている。
質問--祈りはどんな時に捧げますか?
困った時・感謝の時・祈った事がないの三択。
(豫園城隍廟の境内にて)
「上海豫園旅情73」
質問--祈りはどんな時に捧げますか?
困った時・感謝の時・祈った事がないの三択。
回答は「困った時と感謝の時」でした。
皆さんの年齢は私も含めて、それなりの年齢に、
なっているのではと推察致します。
私が子供の頃に育った熊本阿蘇では、朝仏様に、
ご飯とお水を持って行くのが私の当番でした。
広い屋敷の奥に金ぴかの大きな仏壇が置いてあり、
そこへ行くのが怖くて仕方がなかった。
この年齢になってしまえば怖いと言うこともないのだが、
あの頃の私は5歳から9歳と幼かった頃だった。
また人一倍、純真な心を持っていたような気もしてならない。
子供心にも、大人がご飯を捧げに行けば良いと思っていた。
(豫園の事を城隍廟とも言う)
しかし、真実は私の実母が乳飲み子の弟を背負って入水自殺。
その不憫さから、私にその役目をさせていたようだった。
だが、その当時はそのような深い意味も分からなかったし、
理解する事も出来なかっただろう。
人は神代の昔から、人の死を見送ってきた。
その数は天文学的な数字になるのではないだろうか。
私も色々な人の死を見送って来た。しかし、私は僧侶ではない。
ただの名も無き20世紀後半から21世紀初頭に生きた者だ。
私は3歳半の子供にして母親の死を思い知らされたが、
悲しくて胸が苦しいとの感情は無く、年を経ると共に、
その辛い苦しい思いは大きくなって行ったような気がする。
(豫園城隍廟の境内にて)
その事を思うにつけ人の苦しみの思いに国境は無く、
イラクなどでも悲惨な死がその人たちを悲しみの渦に、
包み込んで、やるせない思いでいっぱいだ。
寿命と言う言葉をよく耳にする。ある人は、この世に、
その人の使命が無くなったから、天に召されたと言う。
その意味が未だに分からない。人はいつ死を迎えるのか、
分からない。分からないからこそ逆に生きて行けるのだろう。
ネット友人の隣の家で父親より早く逝ってしまったと言う、
記事を目にしたが、一人一人の人生の時間とは何だろう。
飲酒運転の犠牲になった幼い3人の命、子供達の使命は、
飲酒運転撲滅運動の切っ掛けを作ると言う使命なのか?
幼い命が、いとも簡単に奪い取られて行く事に対し、
憤りを感じずにはおれない最近の心境である。
(豫園城隍廟の境内にて)
画像は、城隍廟の屋根の上の飾り物である。
中国に限らず、東南アジアの建物の瓦の上には、
シーサーのような魔よけが多く飾られている。
今回蘇州に行ってきたが、ほとんど同じ造りの屋根だった。
また魔よけなども同じく芸術品を思わせるものだった。
日本の瓦で言うならば「鬼瓦」であろう。
日本の鬼瓦の歴史は奈良時代から始まっている。
710年から74年続いた奈良時代、今から1222年前のこと。
家内安全や長寿を願い厄を払う儀式や信仰心との事だが、
それ以外に意味があるようである。
質問--鬼瓦は何の為に置いたのか?
魔よけ・災いから身を守る・代々繁栄の三択。
(豫園城隍廟の境内にて)
「上海豫園旅情74(最終)」
質問--鬼瓦は何の為に置いたのか?
魔よけ・災いから身を守る・代々繁栄の三択。
回答は「魔よけの為」でした。
皆さんの回答のトップは「魔よけのため」でした。
文献によると、どれも正解なのでした。
最近、体の不調により、中国語の勉強ブログや、
若者サイトまた「上海画像の更新」などなど・・。
更新が滞っているのが現状である。
特に、この楽天ブログの「上海画像の更新」では、
画像の登録最中にエラーを起こし、登録できない。
ゆえに、夜中2時からの登録に挑戦しても、
思うようには登録できないと言う事態に陥った。
体の調子の良い時ならまだしも、最近は目に見えて、
疲れが残って、仕事にも影響を及ぼし出して来た。
(豫園城隍廟の中は撮影禁止)
中国のネット事情の問題でもあり、日本の速さとは、
比べ物にならない。よくコメントを頂く広東省在住の、
通りすがりさんも、そのような事を訴えていた。
-------8月27日の日記から--------
昨日2006年8月25日上海○○人民病院へ行った。
胃潰瘍と膵(すい)臓炎再検査をする為である。
78キロあった体重が、2ヶ月間で67キロまで落ちた。
膵臓が再度炎症を起こせば、胃液の調整が出来ず、
それにより成人病を併発し最悪死に至ると・・。
確かに、この半年はネットでのイライラで、
酒の量が倍増していた事は確かだった。
----------抜粋ここまで---------
(豫園城隍廟の干支の鼠)
現在は、63キロにまでなってしまっている。
ここに「禁酒宣言」を発表し、それにより、
永らえた命で、自分の夢に向かって進めれば良い
と、
決断したが、決断までには1ヶ月掛かった。
この禁酒宣言をしてから、既に2ヶ月が過ぎ、
実際に、自主的に禁酒を始めて3ヵ月半が過ぎた。
そして、
再々検査の日が、あと5日と迫った
。
今度の検査は、体の全ての検査をする事になっている。
私が加入している傷害保険より、年3回事故日・傷病名
年齢やその処理方法が記載されているコーナーがある。
(豫園城隍廟の干支の牛)
死因のトップは、くも膜下出血などの脳出血と心筋梗塞
突然死と交通事故死と自殺など細かく記載されている。
最近は、30代の心筋梗塞やくも膜下も増えているし、
自殺は20代に多い。ストレスによるものだろうか。
いずれにしても、企業戦士が疲れ果て去って行く。
私も、その中の一人にならないようにしたいと願う。
そこで、突然ではありますが「楽天ブログの休止」を、
ご報告させて頂きます。最近の更新状態で、この休止を
感じていた人も居られたのではないかと察します。
多分、私の事ですから、もっと手早く簡単に画像が、
登録更新できるブログを始めると思います。
(豫園城隍廟の干支の蛇)
勿論
タイトルと画像のみで、文章はなし
です。
文章は誤解を招き、その誤解が攻撃的な文章を誘発します。
画像は、六十星宿あるいは本命星君と言い、
すべての人々の干支それぞれに守神がいる。
豫園城隍廟の中に作られた多くの武将たちの姿です。
日本でも「干支」人形っていうのがあるそうである。
ここ城隍廟でも「十干」と「十二支」の掛け合わせから、
例えば甲戌(きのえいぬ)1934(昭和9)年 1994(平成6)年
乙亥(きのとい)1935(昭和10)年 1995(平成7)年
丙子(ひのえね)1936(昭和11)年 1996(平成8)年
(豫園城隍廟の干支の狗)
60年を周期で入れ替わっている。60歳は還暦である。
70歳を古希、77歳を喜寿、80歳を傘寿、88歳を米寿と呼び、
90歳を卒寿、99歳を白寿で、108歳を茶寿と呼ぶ。
60年を周期で廻るが、干支と書くように「十干」と、
「十二支」の組み合わせ60種類を干支と呼ぶ。
この城隍廟での武将たちは60体ありそれぞれに、
干支と十二支を組み合わせた名前が付けてあった。
質問--家族か親戚に白寿の人いますか?
居ない・居る・近所に居るの三択。
(豫園城隍廟の干支の辰)
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