Dog photography and Essay

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湖南省---鳳凰古城3





「パスポートでは宿泊できないホテル」

「中国写真ライフ」では、
湖南省「鳳凰古城」の写真を公開しています。

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鳳凰古城の川沿いに建てられた東門城楼の建物の前の、
道路沿いの商店街のカラフルな提灯や陳列物を撮影した。
古城のレンガ造りと黒い瓦にグレートーンの壁と、
売られている土産物の色が妙にマッチしていた。

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下の写真の看板に「客桟」とあるが、昔の旅館の意味である。
各地の古城の中には「客桟」という名の付いた旅館が多い。
宿泊代金も安いが外国人(パスポート)は宿泊できない。
現在では外国人の管理が厳しく、偶に中国国内でのツアーの場合、
パスポートで宿泊できないホテルもあるので困る時があるが、
外国人の身を守る為なのでいい加減な事も出来ないのだろう。

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「かんざしが粋な感じ」

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湖南省鳳凰古城の通門口東正街に来て左右を見たり、
振り返ったり、目に飛び込んで来る城壁内の石畳の、
商店街で時間を費やすが、中でもひと際目立つのが、
古き文化の流れを受け継いだ屋根の形と石畳の調和に、
癒された余韻を感じながら、ゆったりと散策した。
商店街の軒から吊るされていた蔓で編んだ笠を見つけた。

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蔓で編んだ笠へ無造作に挿した「かんざし」が粋で、
斬新な印象を受け撮影したが、中国のかんざしの歴史も古い。
ドラマ「jin」で見た花魁の野風が挿していた鼈甲の、
かんざしも見事だったが、写真のかんざしは別の意味で、
可愛い感じがした。ちなみに中国女性に重宝がられるのが、
日本の箸で髪の毛を束ね日本の箸で止めつけると粋だそうだ。

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「ストラップや小物の飾り物」

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鳳凰古城の商店街をのんびり歩いていると色々なアイテムの、
グッズが並べて置いてあったので許可を得てより撮影した。
ほとんどが携帯電話のストラップや小物の飾り物が多かった。
私は食事をするため3階の窓際のテーブルへ案内された。

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石畳で造られた鳳凰古城の道沿いには可愛らしくも艶やかな、
土産物が多く売られていて、軒下には提灯が並んで吊るされ、
心和む気分にさせてくれた。が、3階の窓から道を眺めると、
目に入って来たのは日本の昭和35年頃を思わせるような、
古い瓦が今にも壊れそうな感じで並んでいた。

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「写真の飾りものは花嫁衣裳」

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鳳凰古城でミャオ族の花嫁が結婚式で身に付ける飾り物。
写真の飾り物は首から掛けて胸に付けるものである。
頭に被る飾りものは、更に煌びやかである。
写真の飾りものはシルバーであるが、ゴールドもある。

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また写真から受ける重量感はどうだろうか。初めて見た時は、
重たく感じたが、実際に持ってみると軽いので驚いた事があるが、
中国では殆どの人が新郎新婦の故郷で結婚式をする慣わしで、
花嫁が身に付ける物が重たいならば疲れてしまうと妙に納得した。

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「写真を撮られると短命になる?」

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鳳凰古城に限らず中国の少数民族の人たちは写真を撮られる事を、
嫌がって写真を撮らせてはくれない。写真を撮られる事の意味を、
どうやら魂を取られてしまうというデマを信じているようだった。
日本でも写真機が出回った明治の初めには写真を撮られると、
短命になると誤解されていたようであり、写真撮影を嫌がった。

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一般に年配者は写真の中心位置という習慣があり、年配者が早くに、
天へ召されたということで写真は短命にすると言われた時代もあった。
その昔、写真撮影で10分以上呼吸をするのも注意をしながらの撮影で、
やはり、緊張のあまりに魂を吸い取られるような錯覚を受けたようだ。

現代は写真といっても250分の1秒と素早いシャッタースピードでも、
年配者は嫌がって顔を手で隠す。もし孫を撮影しようとしたならば、
懐深く抱きしめて写真を撮らせてはくれない。

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「トンバ文字の風鈴」

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鳳凰古城の路地で見掛けたトンバ文字の風鈴だが、トンバ文字は、
雲南省の麗江地方の納西族の文化の象徴である。しかし、多くの
納西族の若者は、象形文字のトンバ文字を読めないとのこと。
だが象形文字なので形を見れば、なんとなく理解できそうな印象。

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象形文字のトンバ文字を漢字で書けば東巴文字と書くと言うべきか、
描くと言うべきかは分からないが、風鈴やストラップの小物に、
使うと読めなくとも可愛らしいと買っていく旅人も多い。
麗江には東巴文化村がありトンバ文字が語る意味が、
分かったような錯覚をしたが・・・。   「雲南麗江」

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「中央の科挙試験にも合格」

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鳳凰古城の川沿いの堤防へ行く途中に熊希齢の旧居へ行った。
熊希齢と言えば清朝末と中華民国初代の総理大臣である。
政治家であり学者や教育家でもあり実業家でもあった。
また14歳の若さで科挙の秀才となり、3年に一度行われる郷試に、
合格し21歳で挙人となり、22歳には中央の科挙試験にも合格。
24歳で科挙最終試験の進士に合格し皇帝自ら決める殿士になった。

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3年に一度の試験に合格しなければ次の3年を待たなければならず、
郷試、会試、殿試を三元と呼ぶほど難しかったが、麻雀の大三元は、
中々出来ないという三元をもとにして出来上がった。
壁には孫文(孫中山)ではなく、なぜか若き日の毛沢東の写真が、
貼られていたが、その下の写真は毛沢東と林彪で、林彪は逃亡中、
モンゴル付近で飛行機墜落事故により死亡している。

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「一番人気といえば周恩来」

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中国で一番人気といえば周恩来、この人物を置いて他にない。
こう書いても過言ではないだろう。国務院総理を務めた。
毛沢東の信任も熱く、文化大革命中も失脚しなかった。
中国解放を実現したトウ小平や温家宝総理と同じ役職である。
日本では当時首相だった田中角栄と日中共同声明に調印し、
ほとんどの日本人に親近感をもたらした人物でも知られている。
周恩来は日本へ留学中に靖国神社の大祭を見物し感慨を催した。

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その後も靖国神社に親しみを抱いていた事でも秘話として残る。
だが、日中戦争が始まる前の事であるので頷けるが中国人に、
周恩来が靖国神社に興味を抱いていたと話しても信じない。
留学中、外へ出る時はかすりの着物に私も持っている兵児帯をしめ、
ロシア風の毛皮の帽子を被り日本の風俗を好んでいた日本通だった。

また留学中酒びたりとなり帰国し帰国後、学生運動に熱中して一度も、
通学すせず中退し、陳独秀が起こした五・四運動に参加し逮捕され、
若いころの 「周恩来」 像をみると到底中国を支えた人物とは思えない。

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「政府高官の評価は低いが」

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熊希齢は中華民国の財政総長後、内閣総理を歴任したが、
熊希齢の晩年は、政界から引退し実業や教育を盛んにした。
また献身的に慈善事業に取り組み、精力的に幅広い成果を出し、
後には赤十字中国分会会長となり社会に貢献している。

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日中戦争の際には、前線で戦う兵士や国民への救護などに、
赤十字の立場で積極的に取組み多くの人から信頼を集めた。
このようなことも手伝い、中国での政府高官の歴史的評価は、
低いにもかかわらず、熊希齢の評価は高く庶民の心に残った。
中華民国26年熊希齢は香港で脳溢血により死去。享年67歳。

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「鳳凰沱江に埋め込まれた石柱」

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多くの中国人が絶賛する古城といえば鳳凰古城であろう。
だが、絶賛する人たちの多くの人は鳳凰を訪れていない。
写真は鳳凰古城を流れる沱江に対岸へ渡る手段として、
均等に埋め込まれた石柱物が、独特の風情を醸し出している。

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2001年に国家歴史文化名城に指定され多くの旅人を招いている。
鳳凰古城は湘西の明珠と親しまれる美しい古城である。
今は冬でもあり、観光客の姿は少ないが、夏ともなれば、
埋め込まれた石柱の上に人が群がり、
少し風情に欠ける絵になる。

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「沱江を遊覧する船」

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湖南省鳳凰古城を流れる沱江を遊覧する船に乗った。
鳳凰古城は清朝の康熙39年に建築されたが、康熙時代は、
清朝で有名な乾隆時代から50年前でラストエンペラーの、
溥儀からは210年ほど前の時代になる。

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現在からは310年ほどの歴史を持つが保存状態も、
良いと思った。また街全体の道は石で敷かれ縦横に、
規則正しく交差し、街の中を流れる沱江の両岸には、
珍しい高床式建物と沱江を遊覧する船が行き交う。
当然の如く、船には定員分の救命胴衣が吊るしてあった。

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「いえ、重たくないですよ」

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湖南省鳳凰古城の一番人気がある河の辺に座る花嫁衣裳の、
艶やかな飾り物を身に付けた女性と話しが出来た。
頭や首から掛けた飾りものは重たいですかと聞いてみたところ、
「いえ、重たくないですよ」と少し戸惑いながらも笑顔で、
答えてくれ、尽かさず「一枚撮らせて下さい」と撮影した写真。

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私は首飾りの重さが、どれ程の重さなのかは既に確認していた。
だが、女性と話す切っ掛けがつかめず、既に知っていることを、
聞いてしまったが、そのこともあり撮影の許可も得れたし、
3分ほどの時間だったが、鳳凰古城の事なども聞く事ができた。
下の写真は、これから船に乗り遊覧する前に撮影したものだが、
救命胴衣の着用時、ダウンジャケットを着ていた為きつかった。

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「彼女もレンズを見てくれた」

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鳳凰古城沱江で遊覧船に乗ったが私一人では船を、
出してくれず5分ほど待って15人ほどが乗ってきて、
船を出してくれた。船を出して間もなく、
甲高い女性の民謡を唄う声が聞こえて来た。

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スピーカーから聞こえて来る歌声は静まり返った沱江に、
響き渡り船は静かに、またゆるやかに進んで行ったが、
その時、彼女に焦点を合わせてシャッターを、
切ったが、彼女もレンズを見てくれた。
上下の写真は、沱江の辺りに作られた水車で、
動いてはいないようだった。

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「洗濯をする人々の姿」

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鳳凰古城の沱江の辺りでは、洗濯をする人々の姿が見られた。
観察しながら撮影をしたものの洗濯板を使って洗濯する姿は、
あまり見られず、直接石の上で洗濯している人が多かった。

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私もその昔、中国で洗濯板を買い求め選択した事があるが、
なかなか難しいものであり、気をつけないと洗濯板の、
新しいうちは、綿の肌着の織り糸が切れてしまい、
破けてしまう時もあったが、石の上などでは、
問題ないかななどと思いながらシャッターを切った。

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「いつ頃になったら」

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鳳凰古城の沱江の辺りでは、至る所で洗濯をするご婦人の姿。
日本では、川で洗濯をする姿は見かけないのではと思う。
田舎でも洗濯機で洗濯をしているのではないだろうか。
ただ、下水が整備されておらず汚水を垂れ流して、
川を汚染させてしまっているところはあるかも?

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鳳凰古城の街でも沱江沿いのご婦人方達が洗濯に来ていると、
思っているが、石鹸の泡が川へ流れ込んでいくのは、
あまり気分のよいものではないが、日本の昔でも、
川で洗濯する光景はあったが個人の生活水準も低かった。

水準も徐々に上がり各家庭洗濯機の普及が進み、川の汚染の事も、
騒がれ、個人の道徳観も向上したからではと思うが、中国では、
いつ頃になったら川での洗濯がなくなるのだろうかと思った。

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