Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

河南省--嵩山少林寺1



「少林寺の映画」

「中国写真ライフ」では、
河南省の嵩山少林寺の写真を公開しています。

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少林寺は、1982年の中国・香港合作映画で、
主演はジェット・リー/中国名(李連杰)
私も日本の映画館で見て、DVDが出てより、
買って来て見たものだった。

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中国広東省へ行った時に、河南省より来た通訳より、
少林寺の話をよく聞いたものだった。
しかし、通訳は少林寺へは行った事がなく、
本や人の話を見聞きした事を、いかにも、
行って来たように話してくれた。

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「燃えよカンフーのドラマ」

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1977年頃に再放送した「燃えよカンフー」という、
アメリカのテレビドラマをよく見ていた。
深夜に放送されたが、清の少林寺でカンフーを、
会得したハーフの男がアメリカ西部を渡り歩くドラマ。
その中で何度も少林寺の修行や情景が出てきていた。

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燃えよカンフーはブルースリーの原作である。
主演は、デビッド・キャラダインだったが、
若い人たちは、知っている人の方が少ないだろう。
役の名前は、クワイ・チャン・ケインで、この時に、
西部劇ドラマの中でカンフーが取り入れられ、
そのカンフーを会得した修行の場が少林寺と言う事で、
その頃から、少林寺へ行ってみたい思いに駆られていた。

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「少林寺の歴史も古い」

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少林寺と言えば禅宗であるが、禅宗の祖と言えば、
浮かぶのは達磨ではないだろうか。
禅宗の祖は達磨であり、少林寺は禅宗を守り、
育んできた寺の中でも代表にあげられる。
少林寺の歴史は古く、北魏(495年)に作られた。

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インドより高僧の菩提達摩が少林寺訪ね、
少林寺に禅宗を伝授する事になった。
その後、寺院を徐々に拡大し、僧侶も日を、
追うごとに増えはじめ、少林寺の名は遠くまで、
名声を馳せるようになって行った。
写真は、2004年当時の中国総書記の江沢民の、
直筆で書かれた少林文化人類遺産の文字。

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「仏教弾圧の嵐」

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中国への仏教の伝来は、1世紀中ごろとされる。
だが、中々受け入れてはもらえず、弾圧の嵐が吹き荒れた。
少林寺も580年頃、他の仏教寺院同様弾圧に巻き込まれ、
少林寺同様に焼き打ちに遭い、僧侶は洛陽へ疎開した。

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王朝が代わり、新しい皇帝が座に着くと仏教弾圧は、
おさまり、その王朝は西安にあったが、大同から、
洛陽に遷都した頃から、少林寺の名前も復活。
広大な農地も与えられ、僧侶達も少林寺へ戻った。

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「現在のスケールとは比較にならない」

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唐代に入ると高宗と武則天の時代に、東の都として、
定められた洛陽で、近くの少林寺には皇帝が、
度々、訪れるようになり少林寺は一番栄えた。

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この当時の少林寺の土地が約9万3千平方km有り、
寺院敷地面積は3600平方KM有り、僧侶の数は、
2千人以上で、部屋数は5千以上あったという。
現在の少林寺のスケールとは比較にならない。

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「30万人の僧侶が追放になる」

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時代は、楊貴妃の最期の頃、中国各地の人々は、
重い税から逃れるため、出家する人が多くなっていた。
850年当時の仏教は非常に盛んで、寺院は多くの、
荘園を持ち非常に豊かではあったが、また弾圧が起こる。

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850年頃になると、皇帝は寺院と僧侶の整理を命じた。
多くの寺院が破壊され、僧侶は俗人へと寺を追放される。
破壊された大きな寺院は5千箇所余り、小さな寺院は、
4万箇所余りが破壊され、僧侶、尼僧も30万人余りが、
追放され、広大な土地は唐王朝に没収された。

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「優れた部分を取り入れた」

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少林寺は、499年に33歳という若さで崩御した北魏の、
孝文帝が建てたが、少林寺の僧侶は合掌するだけで、
ひざまずかないと、礼儀に対して非難を続けた。
儒教における礼儀と少林寺の僧侶は礼儀を重んぜず、
儒教とは違うと非難し、仏教は元々インドから、
伝来したもので、中国とは礼儀が違うと非難した。

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明朝の時代に入ると、少林寺の僧侶は仏教だけを認めず、
仏教の釈迦・儒教の孔子・道教の老子を、すべて、
尊敬すべきとの考えで、釈迦・老子・孔子の三人が一体の、
絵を掲げたが、正面は釈迦、右側は孔子、左は老子に見える。
少林寺がこんなに有名になったのは、他の寺院とは異り、
仏教と儒教・道教の優れた部分を取り入れ、また武術も、
行うという点でも、少林寺は他の寺院と異なっている。

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「選ばれた弟子たち」

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600年ごろの少林寺では朝晩の勤行と座禅修行に励み、
早寝早起きの毎日に僧侶たちは運動不足になった。
その運動不足を補うために、武術を取り入れ、
毎日鍛練をし少林寺の修行の一環として発展してきた。

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少林寺での武術の具体的内容は、1500年の間、
選ばれた弟子以外には伝えられずに伝統を守ってきた。
少林寺の高僧たちが伝授してきた武術は、想像を、
絶するハイレベルな目標への到達を目指していたからだ。
だが、5年連続中国武術大会でチャンピオンの経歴を持つ、
ジェット・リーの映画で一躍脚光を浴びる事となった。

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「これも時代の流れ」

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嵩山少林寺も1982年に映画化されて以来、
脚光を浴びるようになり、観光客が後を絶たない。
そんな中国の市場経済波及に伴い武術公演など、
商業活動を活発に行って来ている。

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今まで公に武術を公開して見せる事がなかった。
だが、1988年から少林武術ショーを行なうようになり、
現在では出張公演も、世界各地で催されている。
更には、武術ばかりではなく、少林寺で会社を起業し、
お茶のネット通販も行うようになった。
だが、これも時代の流れと達磨尊師も苦笑いかも。

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「自分の腕を切断し求道」

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少林寺は、北魏の孝文帝がインド僧のために建立。
少林寺の初祖であるインド仏教の釈迦から数えて、
第28祖の達磨が座禅の修行をしているときに、
少林寺二祖である慧可が訪ね達磨の姿を見て、
教えを求めたという伝説が残っている。

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達磨尊者が9年もの間、座禅をし待っていた処へ、
二祖慧可が弟子にしてほしいと懇願しても、
部屋へ入れてもらえず、慧可は自分の腕を切り落とし、
求道の真心を達磨尊者に示した。その事実があるが故に、
今の少林寺が存続しており、中国で禅の教えが広まり、
やがて日本へも、禅の教えが伝わって来ることになる。

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「武芸、技撃、技巧、技芸」

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中国武術とは中国の伝統体育運動の意味を指し、
武術は蹴る・打つ・なげる・掴む・切るなどを、
含む動作で、規則正しいルールに照らし素手の動作を、
組み立てて行う運動形式を武術と呼ぶが、
ヌンチャクなどの武器をてにする場合もある。

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武術を心得るための運動には、心身の鍛練、体質増強や、
自己防衛などの効用が有る。武術は長い歴史の中で、
内容と形式を変化させていったが、武術と言う呼び方も、
清朝に入ってからで、それまでの1500年間、武術は武芸、
技撃、技巧、技芸・技勇、国術などと呼ばれていた。

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「少林寺拳法の名の由来」

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写真の石碑には「世界唐手道協会」と書かれている。
中国では、元々拳法と呼ぶ技法はなかったとされている。
少林寺拳法という呼び名も、戦後日本で創始され、
日本武道の一門派として日本から中国へ渡っている。
少林拳と少林寺拳法とは、根本的に技法が異なり、
少林拳は南方の拳法を改良して出来上がった。

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唐手は日本の空手道から起源を発し、日本でも、
琉球地方で発祥した拳足による打撃の技を特徴とする。
当初は関節技なども取り入れた自衛手段としての、
武術格闘技であったが、映画により世に知られた後は、
打撃技による攻撃のみがクローズアップされている。

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「心が曇っている時は」

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昨夕から夜中までは、悪夢のようなひと時だった。
突然、パソコンのモニターが真っ黒になり電源が落ちた。

朝ベットで目が覚めて、何となく突然ノートPCが、
壊れたのは、夢の中の出来事ではと思いながら、
壊れたPCの電源を入れてみたものの夢ではなく現実だった。

この写真は、ブログ管理の中に残っていた最後の3枚である。
憂鬱な思いで、公開してはダメではあるが、写真への、
コメントまで感じ方が違っているようである。

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中国禅宗の寺を訪れた折に、僧侶に「仏」とは何ですかと、
聞いたことがあり、私の質問に対して、微笑みを浮かべて、
そうですね~、仏って何でしょうかね?っと、逆に、
質問されたような事があったが、中国の僧侶なので、
もちろん日本語が話せるわけでもなく、仏教の中国語は、
それなりに難しいので、回答を話して下さり、
私が聞き逃していたのかも知れない。

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心が清らかなときは、全てのものが温かく感じられ、
心が曇っている時は、全てのものが冷たく感じられる。
これは誰しもが実感している事であり、自分の心の、
有り様であり、自分自身の姿を言い表している。
自分の見方が変われば、物事の見え方も変わってくると、
言うものの、自分から発する事柄が、欲徳絡みで、
自分勝手な事柄ならば、相手は離れて行くだろう。

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「嵩山少林寺の旅」シリーズは、PCが退院して来てより、
PC内部データが初期化してなく、画像が残っていれば、
更新して行きたいと思うが、いつになることやら・・?
また最悪、修理段階で初期化してデータが失われていれば、
初めからフォトをアップしながらでも更新して行ければと、
思っている。それまでの暫しの間、上海郊外の写真を、
更新して行きたいと思うが、古いパソコンが役に立っている。

暫しの間、更新する画像は、下のような写真ですよ。

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データ復旧会社より連絡あり、必要なデータを取り出すのに、
最低7万円前後必要であり、その後メーカーへの修理依頼で、
メーカーでは、どのような大切なデータであっても、
データ保護は考えていないとの内容電話連絡であった。
50時間前後の作業時間のデータを壊れたPCに保存してあるが、
バックアップを取っていない報いのシワ寄せが来たようだ。
再度、画像等のアップを別パソコンで行った方が無難か??


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