Dog photography and Essay

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広西--桂林旅情3



「桂林旅情16」

「中国写真ライフ」では、
広西自治区「桂林」の写真を公開しています。

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2億5千年前の地殻変動によってできた無数の
山が海水のひいた後に、そのまま残され
出来た地形との事だが目を奪われる。

漓江下りは桂林観光のハイライトで船の上から
観る何百という奇峰奇巌の風景は正に壮大な
パノラマであり、小雨降る中で船が進む事で
風が吹き、衣服が直ぐに濡れてしまった。

カメラにはビニール袋をかぶしレンズ部分のみ
穴を空け出していた。他の中国人を見ると
連れ合いが傘を差し出して微笑ましかった。

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桂林は黄山に並び賞される中国屈指の景勝地の
一つであり花鳥風月で、正に山水画の世界である。

男性的な黄山、女性的な桂林と写真的には興味が
尽きないが、思ったより早く陽朔へ着いた。

桂林が歴史の舞台に登場するのは紀元前214年
秦の始皇帝が広東と広西地方を統一し運河を
造った時まで遡り、その頃の桂林は街中を漓江が
流れているため「南連海域、北達中原」と呼ばれる
軍事上の基地として栄えた。また宋代には広西地方の
政治文化の中心地として賑いをみせていた。

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「桂林旅情17」

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漓江から陽朔までの漓江下りを終えた後
中国人ガイドから「ここからは徒歩で行きます」

「出来るだけ近くまでバスを呼んでありますから
また写真ばかり撮って遅れないようにね」と
釘を刺されたが、やはりシャッターを切っている。

写真の記念壁飾りは少数民族の女性を刺繍で
表現したものであり、少数民族のチワン族の女性の
手作りで他にも沢山刺繍を施した物が並んでいた。

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桂林市の人口は約480万人で少数民族は約70万人いる。
桂林は多くの民族が集まって住む街で漢族以外に
チワン族、ミャオ族、ヤオ族、トン族が暮らしている。

この少数民族の中でも取り分け一番人口が多いのが
チワン族で手織の生地を使って多種多様なデザインの
服を作り女性は色とりどりのロングの巻きスカートを
穿いたりウェスト切り替えのワンピースを着ている。

若者は前にチャイナボタン式の中華民国時代と
よく似た上着を着て腰に紐を結び肩から織物に
刺繍を施したバッグを提げる事も多い。

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「桂林旅情18」

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各観光地の土産屋売り場の定番商品は
写真の小物入れの巾着袋であろう。

桂林では桂林山水と刺繍がしてあり
雲南のシーサンバンナでは西双版納と
巾着袋に刺繍ミシンで地名が刺繍してある。

マチが付けてある巾着や小さなポケットが
付けてあるものなど3種類ほどあるようだ。

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巾着の価格は1袋10元(150円)と言われて
買おうかなと思っていると、隣で中国人が
値切り倒しているのを聞いていた。

束の間の時間だったが最終4袋10元で買い
私は思わず10人民元を財布に仕舞い込んだ。

土産屋の人は2袋10元にするからと言っていたが
あまりに衝撃的なシーンを見てニッコリ笑った。

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生地やデザインなどは少数民族のものであり
各観光地で売る人達も少数民族の人達が多い。

中国の少数民族は55民族あり、漢族と併せ
56の民族で構成されているが一番多い漢族が
無国籍を含まず13億人で少数民族は1億人いる。

その中で一番多いチワン族が1600万人であり
満州族が1000万人と回族950万人が続いている。

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「桂林旅情19」

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桂林市の漓江西岸に陽朔県があり
陽朔県には秀麗な景観があるとのこと。

「桂林山水」の詩に「陽朔は桂林で一番」と
詠われるほどに中国内では有名な所である。

改革開放を打ち出して以来、対外開放の
観光都市の第一番として、陽朔はその美しく
独特の風景により多くの観光客を呼んだ。

陽朔一帯の自然景観は独特であり桂林山水の
真髄で精華が集まっていると言われている。

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張芸謀(チャン・イーモウ)監督の映画の
「劉三姐」の撮影が行われた大榕樹景区も
陽朔地区にあり監督指揮による大規模な
山水を背景にした野外ショー「印象劉三姐」に
多くの観光客が訪れている。

夜に「印象劉三姐」の中国初の野外ショーを
見たが野外でもあり途中から雨に降られた。

写真はホテルの前の道路から街並みを撮影した。
陽朔中心から少し離れているので田舎町の風情。

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「桂林旅情20」

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陽朔のホテルで一夜を明かし朝食を
食べようとバイキングレストランへ行った。

大きな皿に少しずつ野菜類を載せて
目玉焼きコーナーで目玉焼きが出来るのを
待っていると昨晩も食事をご一緒した女性から
今日は筏乗りですからご一緒して頂けませんと
声を掛けられたので、宜しくとお願いした。

彼女は50半ばの裕福な中国家庭の奥さんで
一人旅で来ていたが、何度も食事をご馳走して
頂き申し訳ないような心持ちがしていた。

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筏乗り場まで地元ツアーのバスで行くと
沢山の二人乗りの筏が連なり泊められていた。

私と女性の二人で筏に乗り込み、女性から
色々と話をされるが、私はただ相づちを
打つだけで、もっぱらカメラのファインダーを
覗き見ながら切り取る構図を探していた。

ふとカメラを太腿に乗せ、辺りの風景を見渡すと
目の前には陽朔特有のパノラマに山が連なる。

筏は静かに陽朔の川を下り船頭の竹竿が川面に
跳ねる水の音が気持ち良さに拍車を掛けていた。

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「桂林旅情21」

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漓江下りの船着場から少し川沿いを見渡し
石段を下り写真のような二人乗りの筏が
岸に繋がれているのを見ていた。

女性現地ガイドが日本人は何処へ行ったのと
大きな声で探しているようだった。

私が手を振りながら声を掛けると「そんな所で
何やっているんですか」と「皆さんバスへ
乗って貴方が最後ですよ」と声高らかに言う。

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バスに乗り込んでより「日本人早くしろよ」と
言うので中国人からは大きな笑い声が上がった。

あんな筏に乗る人なんか居るんですかねと
ガイドに聞くと「何言っているの、明日あの筏に
乗るんですよ」と言うと、また笑い声が起こった。

上の写真は筏から望遠で撮影したが鵜飼の鵜を
間近で見たのは、この時が初めてだった。

長良川の鵜飼は夜舟遊びした事があるので鵜匠が
鵜を巧みに操り魚を獲って来るのかと思ったら
鵜匠が魚を川へ投げ込み、鵜が潜って魚をくわえて
上がって来ると言っていたが日本もそうなのかな。

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「桂林旅情22」

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筏のあとガイドは私の前を歩こうとはせず
ぴったり後について歩いたために他の中国人の
女性達も同じようにガイドについて歩いていた。

私が振り返ると「貴方の所為ですからね」と
言わんばかりの表情であったり指差す女性もいた。

だが、写真の鍾乳洞へ入るとワクワクする表情に
変わったり、中には「暗いからブレないように
しっかり撮りなさいよ」などと、
言葉は違えども心は皆同じと思った。

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引率していた地元旅行社のガイドは暫し休み
鍾乳洞専属のガイドが付いて説明してくれていた。

蘆笛岩と呼ばれる全長2kmの巨大な鍾乳洞で
800mが観光客用のルートとして許可されている。

洞内には数多くの鍾乳石や石柱、また石の花が
見られ七色のライトアップで幻想的である。

広大な中国の中でも桂林の蘆笛岩ほどの大きさは
他に類を見ないとの説明であったが、鍾乳洞の
出口の所に赤提灯が飾られており居酒屋を思い出す。

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「桂林旅情23」

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夕方になると「印象劉三姐」の野外ショーを
見るためにチケットを購入する事になった。

初めは「印象劉三姐」と言われてもパンフレットを
見せられても、どのような物語か分からなかった。

出発まで2時間あったのでホテルのフロントに
お願いして「劉三姐」のDVDを見せてもらった。

ミュージカル風の物語だったが時間もなくなり
簡単に説明をしてくれたものの意味が分からない。

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会場となる漓江山水劇場へ着くまでの間に
二人の中国人が早口で教えて頂いたが分からない。

開園までまだ時間があり山水劇場の写真を撮った。
辺りは、かなり薄暗かったが数値を換え撮影した。

野外ステージで漓江の山並みが目の前にあり一枚目の
画像の山にライトアップされ本当に自然劇場である。

会場には筏に乗った多くの若者たちが長い布を
巧みに操っていたが水上での動きが乱れず
目を見張るものがあったが丁度雨が降り出した。
松明の火で小雨と風が吹いているのが分かる。

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「桂林旅情24」

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「印象・劉三姐」のチケットを360元で購入。
日本円に換算すると約6000円ほどであるが
前の方がチケット代が高いのかと思ったら
屋根付きの座席が一番高く650元もする。

「印象・劉三姐」の「三姐」とは三女の事で
広西自治区桂林に受け継がれる悲恋物語である。

「歌垣」に似たような感じで、若い男女が集まり
互いに求愛の歌謡を掛け合う風習が今も残る。
(写真は山にライトを点け大掛かりな舞台)

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万葉集に「山に雪が降ったのかな~、それとも
愛しい彼女が白い布を干しているのかな~」と
「歌垣」に似た歌詞もあり遣唐使の時代からである。

唐代から語り継がれる「劉三姐」は唐のころ
広西チワン族の娘で歌と踊りが上手だったので
「歌仙」と呼ばれ美人でとても人々に慕われていた。

劉三姐が兄と船に乗って親戚の所へ行く途中に
地主に仕える番頭が村人を苦しめているのを見かけ
三姐は掛け合い歌で番頭をやり込め漁民の妹を助ける。
つづく

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「桂林旅情25(完)」

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「印象・劉三姐」はチャン・イーモウ監督により
映画が公開され中国で大ヒットとなり劉三姐の
悲恋物語は中国の誰もが知るところとなった。

上の画像は望遠で撮影しているのでブレを起こし
見にくい画像だが、皆一人が一つの筏に乗り
演技をする姿は感動的だった。「印象・劉三姐」の
物語は「桂林旅情24」の所で少し触れた。

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劉家の三女である三姐は美人で心根も優しく誰からも
慕われていたが地主の番頭が「掛け合い歌」に
負けた事を腹いせに主人に妾にする女性がいると話す。

金持ちの主人である老人は三姐を見るなり一目惚れし
妾になるよう強要したが、三姐には村の「歌垣」で
出会った青年に恋をしていたため断り続けた。

劉家は裕福ではなく兄が金を目当てに妾になれと強く
勧めるが三姐は恋人を慕っており幾度も拒絶する。

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だが、執拗に迫られた三姐は仕方なく「掛け合い歌」に
負けたら妾になってもいいと答え「歌垣」対決が始まる。

金持ちの爺さんは三人の秀才を雇って三姐に対抗するが
全て負かされ、今度は役人と結託し三姐が歌う事を禁じた。

三姐は村の娘達に写真のように陣を張らせ抵抗するが
追い詰められた三姐は崖から身を投じ死んでしまった。
だが、三姐は水底から魚に乗って昇天し天女となり
村人を守り続けたという物語で代々受け継がれて来た。

これで桂林旅情は終わりとなり、明日よりは今問題の
南京大虐殺記念館の写真を元に私なりに書いてみたい。
ちなみに、私は南京虐殺は無かったと信じている。

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「中国の旅」


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