Dog photography and Essay

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南京大虐殺はあったのか2



「南京事件8」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。

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写真は「平和の鐘」の書かれた中国文を
アップで撮ってみたが上手に撮影できていない。

内容は1937年12月13日に日本侵略軍は南京を
占拠し6週間の長きに渡り残忍な暴行大虐殺を
行ったと書かれ、レイプの事も書かれている。

平和の鐘は2006年9月24日に寄贈されたが
寄贈したのは日本2団体中国5団体を含む10団体。

2011年12月13日の南京大虐殺74周年記念の
追悼集会に平和の鐘が撞かれ鐘の音が響き渡る。

中国の報道では、日本は南京事件を避けているが
それでは双方の国民感情のわだかまりは解けない。

何故日本は南京事件に向き合って話が出来ないのか
日本の首相が南京を訪問し犠牲者に献花し謝罪すれば
必ず分かり合う事が出来る筈だと報道した。

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2012年の12月13日には75周年儀式を挙行し
その儀式に日本の首相が参加し犠牲者に献花する事が
一番望ましく日本人に対するイメージも大きく変わる。

中国人の日本人に対するイメージは74年経った今でも
何も変わってはいないし、テレビや映画で描かれる
抗日戦争の日本人は極悪卑怯で小心者として描かれる。

中国国民の日本人に対するイメージは毎年ダウンし
現在の多くの若者は極悪日本人と記憶されている。

だが、そのようなイメージ作りを誰がして来たのか
日本ではなく中国共産党の政治戦略の中で中国国民が
騙されていた事実を知ったならば、どうなるのだろう?

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「南京事件9」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。

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東京裁判で日本軍将校2人が日本刀でどちらが早く
100人を斬るか競ったとされる将校が死刑になった。

将校が腰に掛ける軍刀は指揮を高めるためのもので
武士の魂の日本刀ではない。日本刀であっても一度に
人を3人斬れば刃こぼれがしてしまうであろう。

座頭市のように一度に何十人も斬れるような映画の
世界ではない。人を斬れば血糊が付着し切れ味が
悪くなってしまう。骨まで斬れば刀は曲がりくねる。

それとも将校は30本以上の軍刀を事前に用意して
100人斬りを行ったのだろうか。不思議である。

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上の写真は5連発発射できる小銃だが、例えば
日本皇軍兵士3千人で1人が100人虐殺すれば中国
共産党の主張する「300000」の数字には到達できる。

戦後66年過ぎた今でも、多くの中国人の恨みを残す
「南京事件」が今でも日本との政治の駆け引きに
必ずと言ってよいほど使われてしまう。

「南京事件」はあったのは事実であり認めてもいる。
中国の各工場を訪問した折、初めはピリピリしていた
中国の若い人達も、私に慣れて来ると南京事件の問題を
必ず言い出すが、どこの工場の作業員も同じである。

私が黙っていると、黙っているのは認めているからと
薄笑い顔で言い出すので、何とも辛い思いをしていた。

(館内は全面撮影禁止であるので注意)

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「南京事件10」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。

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上の絵の写真は虐殺を始めたところの1シーンだが
日本皇軍で使用されていた機関銃は九九式軽機関銃。

1分間に550発を発射させる事ができるが装弾可能は
30発なので何度も装弾しなければならない。

1ヶ月余りの期間、南京市内を巡回して残党兵を
射殺するだけでも大変な精神的苦痛を受けるだろう。

その前に残党兵は戦意を喪失して士気が下がり
白旗を掲げて投降して来たのではないだろうか。

中国の映画やテレビでは、投降した便衣兵を集め
虐殺に及ぶシーンを延々と映し出しているが
当時の日本皇軍の機関銃では延々と射撃できない。

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中国側が問題にしているのは日本の残虐行為だけで
南京攻略までに至った前後関係には口を閉ざしている。

日本人が忘れ去ろうとしている。または全く知らない
中国軍による日本人居留民の虐殺「通州事件」の事を。

中国の居留区に暮らす大勢の日本人を虐殺した。
「通州事件」日本の世論を奮い立たせ日本皇軍を動かし
南京攻略に踏み切り命を下したが上海で戦死者が続出した。

下の写真は「支那事変」で皇軍連戦勝利の「画報」である。

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「南京事件11」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。

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初め難色を顕にした中国共産党幹部に日本社会党が
資金を提供してまで推し進めた大虐殺記念館とは何か。

それまで日本が大好きと言っていた中国の青少年までが
アンチ日本となり反日デモの先陣を切っている。

反日デモをする彼らに、大虐殺記念館を建てたのは
日本だと話した所で信じないだろうし逆効果でしかない。

1937年7月7日盧溝橋付近に駐屯する旧日本軍に中国
共産党革命軍は中国国民党と日本軍の緊張状態の中
ゲリラ軍の共産軍が発砲し両軍の戦闘を招いた。

旧日本軍は中国国民党革命軍と思い込み発砲したが
問題が大きくなると判断し発砲を中止した。

これを中国共産革命軍は日本が弱腰になったと
さらに発砲を続け盧溝橋事件勃発へとつながった。
旧日本軍は完全に共産革命軍の罠にはまった。

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ゲリラである共産革命軍はその場を逃げ去った。
盧溝橋事件が勃発したが、停戦協定がなされ
落ち着いたものの今度は中国国民党が協定を破り
攻撃を仕掛けてきた。更には通州事件へと発展する。

中国支那保安隊による虐殺は日本本土へ知らされ
日本国民の世論も手伝い軍部を激怒させた。

日本では直ぐに派兵をするべきか意見が分かれた。
中国側は戦争を継続させる為、停戦協定も何度となく
破られ、遂に日本は派兵を採決し支那事変となる。

中国国民党に対し米英は、武器と資金を支援し日本に
対しては経済制裁を行なうなどの行動をとった。

日本海軍は空母から爆撃機で中国沿岸部を爆撃し
中華民国の首都南京へ兵を進め、南京を攻略した。

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「南京事件12」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。

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「通州事件」の事も手伝い旧日本皇軍が
南京占領時に復讐心で南京事件が勃発した。

孫文と結婚した宋慶齢の妹の宋美齢は蒋介石と
結婚したが、南京事件の事をアメリカにおいて
反日運動の目的で世論に訴えたが反応なしだった。

宋美齢は南京事件の犠牲者の数を大幅に改ざんし
中国兵が犯した「通州事件」の残虐な写真を
レイプ・オブ・南京として日本兵の仕業だと発表。

中国側が行った満州馬賊の惨たらしい公開処刑写真も
日本軍の残酷な仕業の証拠写真として発表した。

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レディー・ファーストの国アメリカは人道主義に敏感で
レイプ・オブ・南京のテーマで反感ムードが一気に
高まり、ここでも宋美齢の策略の罠に落ちた。

アメリカ大衆は南京での日本軍の野蛮行為に憤り
悪い日米関係に火を注ぎ反日の感情は高まった。

このアメリカ世論の意識を行動へ誘導した中国側の
プロパガンダ作戦は成功し更に中国側に武器を提供
アメリカの武器により旧日本軍兵士の多くが死亡した。

(画報は大阪毎日と東京日日の特派員の写真を掲載)

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「南京事件13」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。

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上の写真は南京大虐殺を描写した油絵であるが
リアルさを超えて実に奇妙な油絵である。

旧日本皇軍の二人の将校が腕組みをして
仁王立ちしている姿を描いたのは旧日本軍の
兵士が如何に残忍だったと印象付けたいからだ。

多くの中国人は、この油絵を見て日本人の
残虐さを確信しただろうし、日本鬼子と呼ぶに
相応しい絵に仕上げられているが、もし私が
その場に居たのなら、直視は出来ないと思う。

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南京大虐殺は中国共産党により捏造された。
中国国民党の調査で大虐殺前の南京の人口は
20万人であったと報告されている。

だが、南京大虐殺での犠牲者数は30万人とされ
また同じく南京安全区国際委員会の事務局長の
報告では旧日本軍の南京陥落の3ヶ月後の人口が
25万人であったとされ、旧日本軍が南京へ
入り物資を配る噂で人口が増えたとしている。

万が一にも中国共産党の主張する南京大虐殺が
本当に有ったとするならば、南京の人々は
我先に逃げ出しているのではないだろうか?

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「南京事件14」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。

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旧日本海軍は朝鮮半島、現在の韓国済州島や
東支那海の空母から爆撃機で中国沿岸部を爆撃し
中華民国の首都南京へ兵を進め、南京を攻略した。

下の画像は中国の軍旅詩人「王久辛」が書いた
「狂雪」詩集で、王久辛は1956年生まれる。
「狂雪」は1990年に発表、1995年記念館へ。
大虐殺の事柄は1991年中国高校歴史教科書に載る。
翌年の1992年には中学の歴史教科書にも載った。

1991年当時、17歳として37歳ほどになっており、
中学で教育を受けた人でも34歳ほどである。

最近起こっている反日デモに参加している人々は
若い人や大学生が多く反日教育の副作用である。

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1937年11月、旧日本軍は上海を占領し上海から
南京まで移動する中、蘇州、無錫、揚州などで
潜む中国国民党革命軍に神経を集中させながら
南京へと向かい南京を包囲した。

蒋介石は南京を易々と日本軍には渡さない6ヶ月間
守りぬくと述べたが、6日間で陥落してしまった。

そして蒋介石は最後まで戦わず重慶へと逃げ去った。
取り残された国民党軍5万の将兵と25万の南京人民が
日本皇軍兵から大虐殺を受けたと主張するのが
所謂、南京事件であり南京大虐殺と呼ばれている。

下の画像の足型は、78歳から89歳の人達が多い。
南京事件の証言者の足跡の形をとったものである。

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「南京事件15(完)」

「中国写真ライフ」では、
江蘇省南京「南京大虐殺記念館」の写真を公開しています。

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写真の「300000」の数字は今後も変わらないだろうし
もちろん中国側からは変えようともしないだろう。

河村名古屋市長の南京事件はなかったのでは?との
発言に対し、名古屋市との交流を一時凍結すると
日本のマスコミが騒いだようであるが、こちらの
メディアでは大きくは取り上げられてはいない。

また河村市長は昨年、南京市へ書面にて南京事件の
事柄を送っており、今回の交流一時凍結も南京側の
面子もあるが、交流団の中止は安全面を考慮して
全て中止としたが中国にいる日系企業はたまらない。

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私は右翼主義者でも左翼主義者でもない。
中国での日本人に対する言動についても
出張ベースで中国へ来られる人には
南京事件の事については何も言わない。

また片言しか中国語を話せない人にも
南京の虐殺については言わない。

上の写真は旧館の日本が造った記念館の遺骨だが
日本人の心を持っているならば、このような
これ見よがしの並べ方はしないであろう。

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私のように中国の片田舎で20年近く中国の
人達の中で知人も増え交流が多くなる中で
日本人の残忍さを言われ続けた者にしか
ブログに書いた辛さは分からないだろう。

上の写真は強制労働させられ病気で体が弱ると
日本人による残虐な殺人が行われた炭鉱労働者の
事柄を歴史教科書に載せて中学生に教育する。

犠牲者は10万人ほどと中国側では発表しているが
その満州吉林「万人坑」で掘り起こされた遺骨が
南京の大虐殺記念館に展示し青少年教育している。

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日本人の残虐性の教育ばかり受けた若者たちが
日本人を憎むようになるのは当然の摂理であろう。
1992年以降の反日教育は共産党の思惑通りになった。

下の写真の花は「紫金草」や「二月蘭」と呼ばれる。
別名「諸葛菜」と呼び、孔明が占領陣地に食料として
栽培したということで諸葛菜とも呼ばれるようだ。

南京陥落から南京の紫金山麓で無邪気な少女が日本兵へ
手渡したとされる花であるが、南京では有名な話である。

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紫金山の麓で少女から手渡された紫金草の花の
種を採集して日本へ持ち帰り紫金草花の普及に
努めたのが今から70年以上前のことになる。

紫金草の花は「平和の花」として日本でも
多く咲いているので見た人もいることだろう。

2007年南京記念館の拡張工事で当時83歳の
故・山口誠太郎さんの息子さんが日本各地で
1000万円の募金を集め南京に寄付した。

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南京市は記念館に紫金草花園を造園し紫金花少女の
像も建て日中両国人民が共に平和を祈念する
シンボルとして多くの人が少女を訪れる。

紫金花少女が左手に持つのが紫金草の花である。
反日デモも南京だけは一度も起こってはいない。

まだ南京大虐殺の写真は有ったが「大虐殺」の
活字は目にしたくないと言う一人の女性ブロガーの
意見を尊重し、今回で終了と致しました。

私は一時帰国のための準備に入りブログの更新は
帰国してより、その時まで・・・。
次回は日本からの更新になりそうです。

上記のように書きましたが、2012年4月20日に
中国の住まいの道具を始末し帰国予定です。

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