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Dog photography and Essay
セルフリンパマッサージ講習会
「セルフリンパマッサージ講習会」
「ワンダーフォトライフ」では、
下書きに保存してあった写真を公開しています。
昨日妻のヘアーカットに行きベッドの位置を斜めにし高さ調整をした。
妻の頭が出来るだけ私のカットし易いようにし始めハサミでカットを始めた。
病院内にハサミを持ち込むのは厳密には駄目だが私は許されている。
妻の髪の毛を指で摘んでカットするが髪の毛が切れる音が何とも心地よい響き。
髪の毛の伸びが早いような感じもするが髪の毛と爪切りは生きている証である。
看護師がマスクを持って入って来てこのマスクを付けてカットして下さいと言う。
療養病棟の中で奥さんのヘアーカットしているのは貴方だけですよと言う。
私はカット代を節約するためですよと言うとその意味ではなく奥さん幸せと笑う。
何度もカットしているので手際よくヘアーカット出来顔も拭くとスッキリした。
今日はセルフリンパマッサージ講習会の日で男は私一人なので一番前に行った。
殆ど私が日常しているマッサージによく似ていたので理論もよく理解できた。
体温35度台の人はガンの発症率が高くなりリンパマッサージで体温を上げる。
リンパの流れは家回りならば側溝と同じで流れが悪いと色々な症状が出る。
頭部の百会から米神、耳周り襟足首脇の下や鼠径部股関節から膝裏、足の裏まで。
体の老廃物を水分補給で外へ排出して健康に留意し旬の野菜を食べる事が大切。
「人の体は3年で細胞が入れ替わる」
「ワンダーフォトライフ」では14年前に起こった
ペニシリンによるショック後の後遺症を公開しています。
アナフィラキシーショックの後から来る後遺症を綴って行きます。
江蘇省常州市の第一人民医院へ行き状況を順を追って説明した。
第一人民医院は私の中国友人の父が院長をしている為便宜を図って頂いた。
医師は完全にペニシリン大量投与によるショック状態に陥ったと断言する。
症状が重いとペニシリンをブドウ糖液の中に多く投与する事を決定。
女医は私に早く治って欲しいとの思いから量を増やしたと思うと医師に伝えた。
日本人は貴方のように人を疑わない人が多いのかと聞くので人によると伝えた。
日本にいる時は陽性だったが50年も前の事なので体質が変わってしまっていた。
今回は第一日目にパッチテストをしてからペニシリン点滴を投与した。
人の体は3年で細胞が入れ替わり粗悪な抗生剤は拒否反応をしてしまうとの事。
アレルギーのバッチテストは昨日問題無くても翌日も問題無いとは断言できない。
テストを行わずに投与した場合患者の疲労状態が悪ければショック死する。
「何かの力で生かされている」
「ワンダーフォトライフ」では14年前に起こった
ペニシリンによるショック後の後遺症を公開しています。
3月11日午後2時46分に東日本大震災5年を迎え黙とうを捧げ、
犠牲となられた方々に衷心より哀悼の意を表します。
30年ほど前の中国ではペニシリンによるショック死事故が多発していた。
中国の30年前は日本の60年前の生活で日本でも医療事故が起こっていた。
日本では抗生剤を打つ前パッチテストしてから打つように徹底された。
私の場合初日バッチテストをしたが二日目にはテストを行わなかった。
一日目もアレルギー反応が起こっていたが気が付かなかったと専門医は言う。
また多量に投与した為限界を超えアレルギーショック症状が現れた。
ショック症状血圧脈拍、体温呼吸、意識レベルのバイタルサインを測定する。
私の場合激しいショック症状に陥り2人の医者ですら満足に出来なかった。
医師の言った「心臓が強い」から助かっただけで終わらせて良いのだろうか。
現在の中国でもペニシリンのアレルギーにより助からずに死に至る人もいる。
いつかは体は朽ち果てるが何かの力で生かされていると痛切に感じていた。
私の場合は運が良かったがそれからの後遺症はしゃっくりから始まった。
「横隔膜の痙攣によるシャックリ」
「ワンダーフォトライフ」では14年前に起こった
ペニシリンによるショック後の後遺症を公開しています。
私の場合は点滴を打つ前日に荷を引き取る通関のトラブルで相当疲れていた。
中国税関からコンテナの荷に問題あると連絡があり現金を持って交渉する。
北京出張の疲れが一気に現れ女医は私の身体を早く良くしようとした。
医務室の女医の行為が逆にあだとなってしまった。
だが今こうしてタイプできるのも生きてればこそと感じる。
女医は責任を感じたのか逮捕を恐れてか失踪してしまった。
私は誰をも恨んでいないが風の便りで広東省にいると聞いた事がある。
ショックの翌日担当している工場に200人を招いての式典セレモニーが行われた。
私は一番前の席に着いたが後遺症によると思われるシャックリが止まらずにいた。
静まり返ったセレモニーの会場では軽く咳払いをしても大きく響くほどであった。
この時全身に蕁麻疹が出ている事は知らず横隔膜の痙攣によるシャックリだけ。
ペニシリンショックの事を知らない来賓の人も多かった。
私がシャックリをする度に来賓の視線が私に注がれた。
「誰も私を笑う者はいなくなった」
「ワンダーフォトライフ」では14年前に起こった
ペニシリンによるショック後の後遺症を公開しています。
生理的現象のシャックリは我慢しても止められず突然にやって来た。
私の場合自然に起こるシャックリでなくショックによる横隔膜痙攣で起こった。
式典式次第の来賓挨拶の中に専務の代理で私が挨拶をする事になっていた。
中国語で話す挨拶にも力が入らずそして突然襲ってくるシャックリである。
訳を知らない来賓からは笑いが起こりシャックリを期待する雰囲気に変わった。
私の持ち時間5分間のスピーチで地域からの人材支援や品質向上を語った。
だがシャックリが起因して笑いの渦になり品質向上の話どころではない。
急遽内容を切り替えアナフィラキシーショックに掛った事を話し出した。
今までシャックリを聞き大笑いをしていたが誰も私を笑う者はいなくなった。
来賓の皆さんの挨拶も終了し宴会に入り多くの人が私の席へ来て下さった。
命を落とさずに良かったですねとお見舞いを添えて下さった。
ご自分の席に着かれてからも心配そうに私の方を見ておられた。
「昼夜を問わず咳き込む地獄」
「ワンダーフォトライフ」では14年前に起こった
ペニシリンによるショック後の後遺症を公開しています。
ショックの後遺症で昼夜構わず続いたシャックリは2日後に止まった。
横隔膜の痙攣によるシャックリで次第に筋肉の痛みが出だした。
シャックリが止まると快い気分の中に胸を叩かれた痛みだけが残った。
誘発されたシャックリではあるがショック後1日経ち起こり2日間続いた。
眠れない状態が続き辛いという度合いを越えていたが自然に治まっていた。
次に私を襲ったのは全身に出来た蕁麻疹で口の中や舌にも蕁麻疹が出来た。
蕁麻疹は食道や気管支にまで出来ており内臓にも出来ているとの事だった。
蕁麻疹だけならまだ良いが気管支に出来た蕁麻疹の為咳が止まらなくなった。
風邪で気管支を患い咳が止まらず喘息症状が続き専門医に診てもらった。
薬を2回替えたが症状は良くはならず医師も首を傾げていた。
私の咳は風邪から来ているのではなく医師の着目点がズレていた。
喉から胸から脇腹全てに蕁麻疹が出て咳は止まらず苦しんでいた。
シャックリの時も辛かったが喘息も昼夜を問わず咳き込むと地獄だった。
身を案じて日本から専務が駆けつけて来たがどうすることも出来ずにいた。
「空港でも荷物を持つ体力がなかった」
「ワンダーフォトライフ」では14年前に起こった
ペニシリンによるショック後の後遺症を公開しています。
専務は私を日本へ連れ戻すまで残ると執拗に語るが返って気を遣った。
私の咳はそれから昼夜を問わず続き日本へ帰ってからも1ヶ月半続いた。
専務は急用が出来たと急きょ帰国し翌日社長が直々に中国へ来てくれた。
わざわざ来る必要もないと思ったがマッサージが目的で来たようだった。
私がペニシリンのアレルギーで死ぬ思いをした事は担当する工場へ広まった。
北京や広東省の各工場の董事長や総経理から私の携帯電話へ連絡が入った。
電話の内容は自分が見聞きしたペニシリンのショックで亡くなった事を語った。
咳も出るので最後には電話の応対に疲れ携帯の電源を切ってしまった。
上海付近の病院でも咳を止める薬が見つからずに苦しい日々を過していた。
中国春節(旧正月)まで何とか我慢して仕事だけは片付けコンテナを出荷した。
春節を利用して社長と共に帰国したが空港でも荷物を持つ体力もなかった。
ご年配の社長が私の重たい荷物をふら付きながらも運んで下さった。
日本へ着いたが我が家にも戻らず社長の友人の個人病院へ入院した。
血液採取など丸一日検査が続いたがとにかく咳を止めて欲しいと思った。
「私が危ないと数珠を用意していた」
「ワンダーフォトライフ」では14年前に起こった
ペニシリンによるショック後の後遺症を公開しています。
日本では検査の結果が出ない事には医師は咳を止める薬は出してくれない。
看護師は「これを渡すように先生から言われた」とトローチを置いていった。
「な~んだ!トローチか」と思い一粒舐めると喉の痛みが和らい感じがした。
だが咳は相変わらずで止まらないばかりか酷くなっていった。
社長は日課のように病室へ通ってくれ専務は一度見舞いに来てくれただけだ。
冗談が好きな専務は「中国であんたが危ないと数珠を用意してた」と言う。
「使わずに済んで良かった」と冗談を言い笑うと咳が余計に酷くなった。
妻や娘も150キロ離れた病院へ駆けつけ「何やってんのよ~」とにらまれた。
長女は「お母さん!車の中で言ってた事と違うこと言ってる!もう!」と。
1週間を個人病院で過したが咳が止まらず総合病院に替わることになった。
何が何だか分からないまま社長の指示で転院したがまた検査攻めにあった。
そして今までの薬はすべて没収され新しく処方されるまで投薬無しだった。
「妻よりの懇願の言葉を耳にする度に」
「ワンダーフォトライフ」では14年前に起こった
ペニシリンによるショック後の後遺症を公開しています。
検査の結果内臓の機能は問題なかったが心臓の不整脈が見つかった。
2日間薬なしの状態き3日目から薬が出たが症状は良くはならなかった。
抗ヒスタミン薬や抗アレルギー薬も大きな効果は無かった。
私が細かく薬の作用を聞くので医師は困った表情をしていた。
どの薬も効かないので酷い喘息者が使用する粉末状の薬をされた。
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咳が酷くなったら粉末状の粉容器を口にくわえて強く息を吸い込んだ。
粉末状の細かい粉なので咳き込むかと思ったが症状は良くなってきた。
中国での旧正月の休暇も大分前に終わり仕事が始まっていた。
病院へ2人の営業が生産が始まっている工場の事で私と打ち合わせに来ていた。
妻は150キロの道程を来ていたがバツの悪い事に営業と打合わせの時ばかり。
仕事最前線の姿を見たのか妻の心は次第に変化し仕事を辞めて欲しいほしいと。
妻は病院へ来ては私と口論になり帰って行ったが暫く来なくなった。
妻よりの懇願の言葉を耳にする度に一体どうすれば良いのかとも思った。
昼間の咳は止まったが体力は落ち歩く時も自分の身体ではないような感じだった。
「細菌に感染してしまうのを防ぐ」
「ワンダーフォトライフ」では14年前に起こった
ペニシリンによるショック後の後遺症を公開しています。
昼間の咳が治まり掛けても薬の投与は続けられロキソニン60mgが処方された。
医師は1錠服用後30分様子をみて足りない場合にまた1錠服用と注意された。
効いている時間が6時間なので6時間は間隔を空け飲むようにと釘を刺された。
フロモックス100mgも服用していたが抗生剤で扁桃腺などに効果がある。
免疫力が低下している時に細菌に感染してしまうのを防ぐのにも使われた。
重症の喘息患者に使用する吸入専用のフルタイド200マイクロも処方された。
フルタイド200マイクロは肝臓で分解し易く副作用は心配ないと念を押された。
私が薬の恐怖に陥っていると感じた医師は気を遣っている事が良く分かった。
マイクロについて討論し合ったが大分よくなったのですね~と医師もうれしそう。
だが夜中に襲う咳き込みにフルタイドディスクへラーを吸うのであった。
大学病院に入院していると30分毎に救急車の甲高い音がし昨日まで元気で、
笑っていた人が翌朝にはベットが綺麗に片付けられた光景を目にした。
初めは咳が酷いので敬遠していた人が慣れてくると私の病室に出入りした。
看護師や医師に見つかり注意されても中国の話が聞きたくてやってきていた。
大学病院へ入院してより1ヶ月半過ぎた頃に医師より退院の許可が下りた。
「出来るだけ早めに現地へ飛んだ」
「ワンダーフォトライフ」では14年前に起こった
ペニシリンによるショック後の後遺症を公開しています。
退院する前日普段言葉少ない医師は人が変わったように私と話しをした。
仕事の話や趣味の話等、そしてやはり商社って大変ですねと言ったのち、
自分のマンションの住所と電話番号を書いたメモを置いていった。
私は退院してから一度も電話をしていないが本当にお世話になった医師だった。
喘息持ちではない私に処方が見つからなかったその医師が思いついたのである。
思いついたと言えば失礼だが14年前の日本でペニシリンのショックは少なく、
アナフィラキシーショックにより身体に異変が起こった例は少ないようだった。
病院へは退院当日妻が車で迎えに来たが3時間の道のり言葉数は少なかった。
社長が中国までの航空チケットを持って現れオープンチケットにしてあるからと、
言ってから取って付けたように出来るだけ早く現地へ飛んでくれると助かると。
病院を退院してから休暇を取ったものの自宅では運動不足で余計に身体が弱った。
家には3日間居て中国へ行くよと妻に言うとそんな体で大丈夫ですかと言う。
ペニシリンのアナフィラキシーショックから実に2ヶ月半後の復帰だった。
「理解させるには好都合だった」
「ワンダーフォトライフ」では14年前に起こった
ペニシリンによるショック後の後遺症を公開しています。
中国へ入ってからは予定を立てずに抜き打ちで北京や広州の工場へ入った。
工場で車を手配して頂くと素早く工場へ着くがそれでは整理整頓されてしまう。
私が入院している間に教え込んだ事が守られているかを確認する為にも必要。
北京から広州まで1000キロを3時間掛けて飛びバスで向かいタクシーで行った。
中国国内の一人旅が役に立ったが工場に着く頃は夕方でありアパートへ。
ホテルより経費は安上がりの為北京や上海、広州にアパートを借りていた。
治安面で問題と地元の公安警察から高級アパートへ移るよう指導されていた。
アパートから工場までは車で20分ほどなので運転手に迎えに来て頂いた。
2000人規模の大きな工場に着くと大勢が立って掃除をしているのが見える。
工場の経営者が怪訝そうな表情で迎えるが応接間には行かず工場ラインに行く。
経営者は長旅でお疲れでしょうと言うが直ぐに会議と管理者を集めた。
中国へ着くまで長い入院生活で中国語を忘れていないか心配だった。
会議を始めて見ると今までの調子が戻って来たが咳は出ていて吸引した。
休まれた方がと言うが咳が出て苦しい方が理解させるには好都合だった。
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