Dog photography and Essay

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「蜻蛉(かげろう)日記」を研鑽-6



「千鳥が空高く舞い上がって飛び交う」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



若い男たちが、声細やかにて、面痩せにたるという歌を、
歌い出したのを聞いても、ぽろぽろと涙がこぼれる。
いかが崎、山吹の崎などという所をあちこち見ながら、葦の中を、
漕いで行くが、まだ物がはっきり見えないころだった。



遠くから、櫂(かい)を漕ぐ音がして、心細い声で歌って来る舟がある。
すれ違いざま、どこへ行くのですと尋ねると、石山へ人をお迎えにと答える。
その声もとてもしんみりと聞こえるが、迎えに来るように言っておいたのに、
なかなか来ないので、石山にあった舟でわたしたちは出てきてしまった。



そうとは知らないで迎えに行くところだったらしい。
舟を止めて、供の男たちの数人が迎えに来た舟に乗り移り、気ままに、
歌いながら行くが、瀬田の橋の下にさしかかった頃、ほのぼのと夜が明ける。



千鳥が空高く舞い上がって飛び交っており、しみじみと心に染みて、
悲しいことといったら、数えきれないほど多い。
行く時に舟に乗った浜辺に着くと、迎えの牛車を引いて来ていた。
京には巳の時ごろ(午前十時前後)に到着した。


「わが身を切り裂かれる気がする」

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愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



侍女たちが集まって来て、どこか知らない遠い所へ行かれたのではと、
大騒ぎでしたなどと言うので、なんとでも言えばいいわと思う。
でも今はやはりそんなことできる身ではないのよなどと答えた。



宮中では相撲のある頃である。子どもが見物に行きたそうにしているので、
装束をつけさせて行かせる。まず殿(父上)の所へと行くと殿は牛車の後ろに、
乗せてくれたけれど、夕方には、こちらへお帰りになるはずの人に、
わたしを送るように頼んで、あちらの邸へ行かれたと聞いた。



呆れるばかりで、次の日も、あの人は昨日のように、子どもが参内しても、
後は世話もしないで、夜になる頃、蔵人所の雑役係のだれそれの所へ、
この子を送って行けと言って、先に帰ってしまい子どもは一人で帰って来た。
この子のことを、どのように心の中で思っているのだろう。



わたしたちの仲が険悪でなく普通なら、一緒に帰って来られたのにと、
がっかりした様子で入って来るのを見ると、幼心に思っていることだろう。
あの人のした事をどうしようもなく酷いと思うけれど、どうなるものでもない。
わが身を切り裂かれる気がする。こうして月がかわっていった。


「すべてがしきたり通りである」

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月がかわり、二日の夜になる頃、あの人が突然見えた。変だと、
思っていると、明日は物忌だから、門をしっかり閉めさせなさいなどと、
言い散らすから、すっかり呆れて、胸が煮え返るようなのに、あの人は、
侍女たちのところに寄って行ったり、引き寄せたりしている。



我慢しろ、我慢しろと口を耳に押しあてながら、わたしの口真似をして、
困らせているので、わたしは茫然と呆(ほう)けたようになって、
前に座っていたので、すっかり気がふさいだあわれな姿に見えた事だろう。



次の日もあの人が一日中言うことは、わたしの気持ちは変わらないのに、
貴女が悪くとってとばかり。ほんとうにどうしようもない。
五日は司召(つかさめし)で、あの人は大将に昇進するなど、
いっそう栄達して、とてもめでたいことである。



それから後はいくらか頻繁に姿を見せる。あの子を元服させておこう。
今度の大嘗会で叙爵(五位になること)をお願いするつもりだ。
十九日にと決めて、執り行うが、すべてが、しきたり通りである。
加冠の役には、源氏の大納言(源兼明)さまがいらっしゃった。


「頻繁に訪れてくるような気がする」

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儀式が終わって、あの人は方角が塞がっていたけれど、夜が更けたと、
いうので、ここに泊まったが、わたしは今度が最後になるかもしれないと、
思ってしまうが、九月、十月も同じような状態で過ごしたようだ。



世間では、大嘗会(だいじょうえ)の御禊(ごけい)と言って騒いでいる。
わたしも妹も、見物の席があるというので、行って見ると、あの人は、
帝(円融帝)の鳳輦(ほうれん 帝の御輿〈みこし〉)のすぐ近くにいて、
夫としては薄情だとは思うが、その立派な態度に目がくらむほどに感じる。



まわりの人々が、ああ、やはり人より優れていらっしゃる。
ああ、もっと見ていたいなどと言っているようである。
それを聞くと、いっそう悲しくてならない。



十一月になって、大嘗会ということで、あの人も忙しいはずなのに、
その最中としては、いくらか頻繁に訪れてくるような気がする。
叙爵のことで、あの人もわたしと同じように、幼くて不似合いだと、
思っている拝舞(はいぶ)の作法もよく練習するようにと言っている。


「胸がつぶれるほど呆れてしまう」

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子どもを、いろいろ世話をしてくれるので、ひどく慌ただしい気分である。
大嘗会が終わった日、夜が更けないうちにやって来て、行幸に最後まで、
お供しないのはいけないことだが、夜が更けてしまいそうだったから、
胸が苦しいと仮病を使って退出して来た。人は何と言っているだろう。



明日はこの子の着物を緋色の袍(ほう)に着替えさせて出かけようなどと、
言うので、少しばかり幸せだった昔に返ったようにような気がする。
翌朝、供の従者たちが来ないようだから、邸に戻って準備していた。
装束をつけて来なさいと言って出て行かれた。



子どもを連れて叙爵のお礼まわりなどするので、とてもしみじみと、
嬉しい気がするが、少しつつしむ事があるからといった状態である。
二十二日も、子どもが、あちらへ行きますと言うのを聞くと、ついででも、
あるから、もしかして来るのではと思っているうちに、夜が更けてゆく。



子どもがたった一人で帰って来るので、胸がつぶれるほど呆れてしまう。
夜が更けて父上はたった今あちらにお帰りになりましたなどと話すので、
あの人が昔と変わらない気持ちだったら、子どもだけ一人で帰すような、
薄情な事はしなかっただろうにと思うと悲しくてならない。


「いつも来てほしいという私の望み」

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それから後も、あの人からは連絡がなく、十二月のはじめになった。
七日頃の昼、あの人はちょっと顔を見せたが、顔を見せてくれても、
まともに話をすることもなく終わってしまっていた。



今は顔も合わせたくないような雰囲気に、ついたてを引き寄せて、
私が不機嫌にしているのを、あの人は見て、もう、日が暮れたよと言い、
宮中からお呼びがあったからと言って出て行ったままになり、
その後。訪れる事もなく、十七、八日になってしまった。



今日は、昼ごろから雨がたいそうひどく音を立てて、わびしく長々と、
降っていおり、こんな雨ではなおさら、もしかしたら来るのではと、
以前なら抱いていたが、今では、そのような期待さえも失せてしまった。



昔のことを思うと、必ずしもわたしへの愛情というのではなく、持って、
生まれたあの人の性質でしょうが、雨風も苦にしないで、いつも訪ねて、
くれたのに、今思うと、その昔だって心の安まる時が、なかったのだから、
いつも来てほしいというわたしの望みは身分不相応だったのかも知れない。


「この女流作家が現代に生まれていれば」

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雨風なんか苦にしないで来てくれると思っていたが、今はもう、
そんなことも期待できないと物思いに沈んで過ごす。
元日にも寄ってもらえず素通りされ落ち込んでしまっていた。



兼家がひと月あまり顔を見せなかったことに腹を立てているのだから、
顔を見せれば解決するだろうと考えるのは浅はかな考えなのかも。
ひと月顔を見せない兼家は自分を大切にしていないと不満なのかも。



長い時間会わなく、その長い時間、他の女性のことを考えていて、
自分を楽しませる事を考えていないと思うと、余計に辛く悲しいのだろう。
以前のように3日に一度会っているなら、ここまで落ち込む事もないのでは。



3日に一度会っていても、会っていない日に他の女性の事を思って、
わたしのことを思わない日々を過ごしていると思う事自体耐えられない。

紫式部に大きな影響を与えたとされる平安時代の女流作家の本音なのだろう。
もしこの女流作家が現代に生まれていれば、どう生きたのだろうかと思う。


「寝所でもない所で夜を明かした」

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雨は相変わらずで、そとは暗く灯りをともす頃になった。
南面(みなみおもて)の妹の所に、この頃通って来る人がいる。
この雨の中を、足音がするので、いつもの方らしいと、煮え返る心。



長年わたしたちをよく見て知っている人が、殿はこれ以上の雨風でも、
昔は、苦にもなさらないご様子でしたのにと言うと、あふれる涙が、
熱く頬にかかるので、心に浮かぶままに和歌を詠む。



思ひせく 胸のほむらは つれなくて 涙をわかす ものにざりける
訪れない夫への苛立ちをこらえている胸の炎は 表面には見えないけれど、
激しく燃えて こんなにも熱く涙を沸き立たせている。



何度もつぶやいているうちに、寝所でもない所で、夜を明かしてしまった。
その月は、三度ばかり訪れた程度で、年を越してしまった。
年末年始の行事はいつもの通りに行われたので、記さない。


「少し皮肉をこめて返事を書いた」

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何年もの間、今思えば元日にあの人が来ないということはなかった。
今日来てくれるかしらと期待し、午後二時前後に、先払いの声がする。
侍女たちが騒いでいるうちに、さっと通り過ぎてしまった。



きっと、急いでいたのだろうと気を取り直すが、夜も来なかった。
翌朝、ここへ頼まれていた縫い物を取りに使いを寄こしたついでに、
昨日通り過ぎたのは、日が暮れてしまったのでなどと書いてある。



返事をする気にはとてもなれないが、侍女たちが年の初めから、
あまり、腹を立てないでくださいなどと言うので、
少し皮肉をこめて返事を書いた。



こんなふうに心穏やかでなく心の赴くまま言ったりするのは、
あの疑っていた近江という女に、手紙を通わせ、結婚したらしいと、
世間でも面白がって噂しており、その不愉快さからだった。
こんなふうにして、わたしは心揺れる二、三日を過ごした。


「何もわからなくなってしまった」

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四日、また申の時(午後四時前後)に、元日のときよりいっそう、
声高らかに先払いして来るので、侍女たちが、騒ぎだしている。

いらっしゃいます、いらっしゃいますと言い続けるので期待する。
先払いとは、貴人が通行するとき、前方の通行人を追い払うこと。



でも、先日のようになったら困るし、侍女たちにも気の毒だと思う。  
そう思いながらも、やはり胸がどきどきする中、行列が近づいた。
召使いたちが中門を開いてひざまずいているのに、通り過ぎてしまった。



今日は、先日にもましてどんなに辛い思いをしたか察してほしいと思う。  
翌日は右大臣(兼家の兄、藤原伊尹の大饗ということで騒いでいる。
すぐ近くなので、今夜はいくらなんでも来るだろうと密かに思う。



牛車の音がするたびに胸がどきどきするが、夜もかなり更けた頃、
皆が帰って行く音も聞こえ、門のそばを車が次々と先払いしながら行く。
通り過ぎてしまったと聞くたびに、平静ではいられなく、これが最後の車と、
聞き終わると、わたしは茫然として何もわからなくなってしまった。


「心も体も閉ざして夜を明かした」

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次の日の朝早く、さすがにそのままにはしておけないで手紙を寄こす。
わたしは、返事はしなかったが、また二日ばかりして、手紙が届く。

思いやりがなかったのは確かだが、ひどく忙しい時でね。
夜に行こうと思うが、どうだろう。あなたが怖いけれどなどと書いてある。



わたしは、気分が悪い時なので、お返事はできませんと使いの者を帰す。
すっかり諦めていたのに、呆れたことに平気な顔でやって来た。
何のこだわりもなくふざけるので、ひどく憎らしくなってくる。



ここ何か月も我慢してきた不満や不平が一気にこみ上げ、何を言っても、
一言の返事もしないで、寝たふりをしているのがやっとだった。
わたしは背中を向けずっと聞いていながら、ふと目を覚ましたふりをした。



あの人は、どうしたの、もうお休みなのと言って、みっともないほど、
からみつくが、わたしは木石のように心も体も閉ざして夜を明かした。
翌朝、あの人は昨夜とは打って変わり、何も言わないで帰って行った。


「さまざまなことを人は言い塞ぎこむ」

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それから後は、無理にさりげなく装っていたが使いの者をよこす。
例によって機嫌が悪いが、この着物を、こうして、ああしてなどと、
言ってくるのも、ひどく憎らしくて、断って返したりしていた。



次第に、連絡もなくなり、二十日あまり経った。
古今集春上・よみ人しらずの、あらたまれどもと詠われるうた。
よみ人しらずは作者不詳のことだが、皇族が名前を伏せて投じたうた。



百千鳥 さへづる春は 物ごとに あらたまれども 我ぞふりゆく

いろいろな鳥が さえずる春は いろいろな物が新しくなるが、
わたしだけが歳をとって古くなってゆくと詠われている。



春の日ざしや、うぐいすの声を聞くと、憂鬱な気分になる。
そんなわたしと、比べてしまい、涙が浮かばない時がない。
あの人は、噂の女の所に三夜通ったとか、結婚の契りを交わしたなど、
さまざまなことを人は言い、わたしの耳にも入り余計、塞ぎこんでしまう。


「わたしが嘆く数には及ばない」

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世間の人たちは、さまざまに無責任なことを言い喜んでいる。
何もすることもなく過ごしているうちに、彼岸に入ったので、
何もしないでいるよりは精進しようと思い、上筵(うわむしろ)を、
普通の筵(ござ)のきれいなものに敷き替えさせた。



帳台の敷物で綿入り侍女が塵を払ったりするのを見て、こんなに、
塵が積もるとは思いもしなかったなどと思うと、たまらなくなった。
帳台とは、平安時代の貴人の座所や寝所として屋内に置かれた調度。



うち払ふ 塵のみ積もる さむしろも 嘆く数には しかじとぞ思ふ

うち払っても、沢山の塵ばかりが積もっているが、むしろのちりも、
多くのその塵だって わたしが嘆く数には及ばないと思う。



これからすぐに長精進(ながしょうじん)して、山寺に籠もり、できるなら、
やはりなんとかしてあの人が関係を断ちやすい、尼になろうと決心したが、
侍女たちが、精進は秋頃からするのが良いと言い、妹の出産の事もあり、
出産が終わってからと、いろいろ考えているうちに月が替わってしまう。


「人生の最後は思いもしないことに」

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それにしても、この世のことはなにもかもつまらないと思うのだが、
去年の春、呉竹(中国三国時代の呉からの竹)を植えようと思って、
頼んでいたのを、この頃になって、さし上げますと言われた。



いやもう、幸せには生きられそうもないこの世の中で、
思慮がないようなことはしておきたくないのですと話した。

とても心の狭いお考えです。行基菩薩(ぎょうぎ)は、将来の人の、
ためにこそ、実のなる庭木をお植えになったのですと呉竹を届けてきた。



ここがあの女の住んでいた所だと後々見る人がいたら見てほしいと、
思って、涙ながらに植えさせたが、二日ばかり経って、雨がひどく降り、
東風(こち)が激しく吹いて、呉竹が一、二本倒れかかっていた。
なんとかして直させよう、晴れ間があればいいのにと思いながら詠む。



なびくかな 思はぬかたに 呉竹の うき世のすゑは かくこそありけれ

呉竹は思いもしない方向倒れ掛かり、なびいているが、わたしも、
人生の最後はこんなふうに思いもよらないことになっているだろうか。


「いろいろな物を取り片付けていると」

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今日の雨はとてしとしと降り、しみじみと身に沁みる。
夕方になって、とても珍しく、あの人から便りがあった。

あなたがあんまり怖いので気後れして、何日も経ってしまったと。  
わたしは、返事をしなかったが、雨は依然として降り続いている。



時しもあれ 花のさかりに つらければ 思はぬ山に  入りやしなまし

ほかの時もあるのに、花の盛りの今、あなたが冷たいので、物思いの、
ない山に入ってしまいたいと思っていると、尽きることなく涙が流れる。



降る雨の あしとも落つる 涙かな こまかにものを  思ひくだけば

降る雨のように涙がとどめなく、こぼれ落ちてくる、そして、
さまざまなに思い乱れていると 今はもう三月の末になってしまった。



ひどく退屈なので、忌違え(いみたがえ)をかねて、しばらく何処かへ。  
などと思って、地方官歴任の父の所へ行ってきた。

気になっていた妹のお産も無事にすんだので、長精進を始めようと、
決心して、いろいろな物を取り片付けていると、あの人から便りが届く。


「また今日来るかしらと思ってしまう」

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あの人からの便りは、お咎(とが)めはまだ重いのでしょうか。
お許しくだされば夕方に。どうでしょうと言ってくる。

侍女たちがこれを知って、こんなふうにいつまでも疎遠にして、
いらっしゃるのは、とてもよくないことですなどと言う。



このままにしてはおけないでしょうから、今度だけでもお返事をと、
騒ぐので、ただ、何か月も逢わないのに、本当かしらとだけ書いた。

あの人から返事など来るはずがないと思ったので、急いで父の所へ、
行ってきたが、あの人は何も気にしないで、夜が更けてからやって来た。



いつものように胸の煮え返ることも多かったが、家の中が狭く、
人も大勢いて騒がしい所なので、息を殺して、胸に手を置くような格好で、
夜を明かしたが、翌朝は色々としなければならないことがあるからと、
急いで帰って行った。あの人のことは気にしないでほっとけばいい。



などと思ってはみるものの、つい、また今日来るかしらと思ってしまう。
何の連絡もなく四月になった。父の家はあの人の家から遠くないので、
ご門に車が停めてありますから、こちらにお越しになるのでしょうかなどと、
わたしの気持ちを乱すようなことを言う人までいるので、とても辛い。


「そんな女に限って未亡人になる」

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無責任な噂が以前よりもいっそう心を切り裂かれるような気がする。
あの人への返事を、しなさいと勧めた侍女まで、不愉快で憎らしくなる。
四月一日の日、子どもを呼んで、長い精進を初めますから一緒にと始めた。



わたしは、初めから大げさにはしないで、ただ土器(かわらけ)に、
香を盛って脇息(きょうそく)の上に置き、そのまま寄りかかって、
仏に祈りを捧げたが、その内容は、ただ、この上なく不幸せな身の上です。



今までの長い年月でさえ、少しも気の休まる時がなく辛いとばかり、
思っていましたが、まして今はこのように呆れるほどの状態になってしまい、
早く仏道を成就させてくださり、極楽往生をかなえてくださいと、
無心になり、勤行をしているうちに、涙がぽろぽろとこぼれる。



この頃は、女も数珠を手にし、経を持たない者はいないと聞いた時、
まあ、みっともない、そんな女に限って未亡人になるというのに。
などと非難した気持ちはどこへ行ってしまったのだろうと思う。


「悪い夢なのか良い夢なのかわからない」

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夜が明け日が暮れるのもじれったく、暇がないくらい過ぎていく。
かといってはっきりした目安もないけれど、勤行に精を出しながら、
数珠持たない女に限って未亡人になると言ったのを聞いた人は、
きっとおかしく思って今のわたしを見ているだろう。



はかない夫婦仲だったのに、どうしてあんなことを言ったのかしらと、
思いお勤めをしていると、片時も涙が浮かばない時がない。
人に見られたらと恥ずかしいので、涙をこらえながら日々を過ごす。



二十日ほどお勤めをした時に、髪を切り落として額髪を分けている夢を見た。
悪い夢なのか良い夢なのかわからない。七、八日ほど経って、わたしの、
腹の中にいる蛇が動きまわって内臓を食い千切るが、これを治すには、
顔に水を注げばいい、という夢を見る。



これも悪い夢なのか良い夢なのかわからないけれど、このように、
書きとめておくのは、このようにわたしの行末を見たり聞いたりする人が、
夢や仏を信じられるか、それとも信じられないか、判断してほしいなどと、
思うからである。そして月は変わり、五月になった。


「胸をどきどきさせていたのに通り過ぎた」

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わたしの家に残っている侍女から、ご不在でも、菖蒲を葺かないと、
縁起が悪いでしょうか、どうしたらいいのでしょうと言ってきた。
端午の節句には、邪気を払い、火災を防ぐ意味で軒に菖蒲をさす。
だけど、いまさらどうして縁起の悪いことがあるだろうか。



世の中に あるわが身かは わびぬれば さらにあやめも 知られざりけり

この世に本当に生きているわたしなのだろうかと、思い悩んでいて、
物の道理もわからないから、菖蒲を葺くしきたりなんかどうでもいいのと、
言ってやりたかったけれど、こんなわたしの気持を誰にも、
わかってもらえる筈がないので、心に思うだけでただ日を過ごした。



こうして物忌が終わったので、じぶんの家にもどって、前にもまして、
退屈な日々を過ごしていたが、長雨の季節になった。
庭の草花が生い茂っているのを、お勤めの合間に、
掘って株分けなどさせたりする。



お勤めをしている時に、いらっしゃいますと侍女が騒ぐので、見ると、
あの人が、わたしの家の前を、いつものように煌びやかに、先払いしながら、
通った日があったが、いつものように通り過ぎるだろうと思いながらも、
もしかしてと胸をどきどきさせていたのに、通り過ぎた。


「飲む薬草が畳紙の中に挟んであった」

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あの人へ書いた返事は、とても珍しいお手紙なので、誰からの手紙なのか、
わからなかったほどでで、ここへ帰って来てからずいぶん経ちますが、
本当にどうしてわたしが帰ってるとお気づきにならないのでしょうか。



それにしても、ここが以前お通いになった家とも気づかないで、素通り、
なさったことが、何度もありましたが、これもすべて、今までこの世に、
留まっているわたしのせいですから、もうなにも申し上げませんと書いた。



考えてみると、こういうことを思い出すだけでも不愉快で、この前のように、
後で悔やむようなことがあったら嫌なので、やはりしばらく、遠くへ行こうと、
決心して、西山にお参りする寺があることを思い出し、そこへ行こうと思う。
あの人の物忌が終わらないうちにと思って、四日に出発する。



物忌も今日で終わるだろうと思う日なので、気ぜわしく思いながら、
物を整理したりしていると、上筵(うわむしろ)の下に、あの人が朝に、
飲む薬草が、畳紙(たとうがみ)の中に挟んであったが、父の家に行って、
ここへ帰って来るまでそのままになっていた。


「花が散って立っているのが見えた」

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わたしから、あの人への、急ぎの手紙に対する返事には、
なにもかももっともだが、ともかく出かけるのはどこの寺だ。
この頃は暑くてお勤めをするにも都合が悪いから、今度だけは言う事を、
聞いて、やめなさい。相談することもあるから、すぐ行くと書いてある。 



あさましや のどかに頼む とこのうらを うち返しける 波の心よ

驚くほどあきれたことだ 心のどかに信頼をしていた わたしの心を、
裏切るとは、本当にひどいと書き添えてある。
その返事を見ると、ますます気が急いて出発していた。



急いで出発したものの山道は特に風情もないけれど、しみじみと昔は、
あの人と一緒に、時々ここに来たことがあり、わたしが病気になった時、
三、四日この山寺に来ていたのも今頃の季節で、あの人は出仕もしないで、
ここに籠って一緒に過ごしたこともあったなどと思い返していた。



供人が三人ほど付き添って、都から遠い道のりを涙をこぼしながら行く。
寺に着くと、まず僧坊に落ち着いて、外を見ると、庭先に籬垣が、
結いめぐらしてあり、また、名前も知らない草花が茂っている中に、
牡丹がなんの風情もなく、すっかり花が散って立っているのが見えた。


「そちらにお手紙があるでしょう」

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秋の野に なまめき立てる 女郎花 あなかしがまし 花も一時

秋の野に 艶っぽく立っている女郎花 ああ 煩わしい 美しく咲くのも、
ほんの一時なのにという歌を、何度も思い浮かべては、ひどく悲しくなる。



湯などにつかって身を清めてから本堂にと思っているときに、
家から慌ただしそうに使いが留守番の侍女の手紙を持って走って来た。
読むと、ただ今、殿のお邸からお手紙を持って使いの者が参りましたとある。



使いの者が、わたしの山寺行きを止めなさいと殿がおっしゃり、
殿もすぐにお越しになりますと言いましたので、ありのままに伝えました。

もうとっくにお出かけになり、侍女たちも後を追って行きましたと答えると、
どういうつもりで山寺などに行かれるのだろうと、心配していらっしゃった。



どうしてそんなことを殿に申し上げられましょうと言いますから、
これまでのご精進なさっていたことを話しますと、泣いていらっしゃり、
とにかく、早速殿にご報告しましょうと言って急いで帰って行きました。
きっとそちらにお手紙があるでしょう。そのつもりでいてくださいと書いてある。


「木の間から松明の火が二つ三つ見えた」

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殿がいらっしゃることが、書かれてある手紙を見て、深い考えもなく、
大げさに話したのではないかしら。まったくやりきれない。
生理になったら、明日か明後日には寺を出るつもりなのにと思いながら、
湯の用意を急がせて、身を清めてから御堂に上った。



暑いので、しばらく戸を開けてあたりを見渡すと、御堂はとても高い所に、
立っており、山が取り囲んで懐のようになっていて、木立がこんもり茂り、
趣があるけれど、闇夜の頃なので、今は暗くて見えない。



初夜の勤行をするというので、僧たちが忙しく動き回っているので、
わたしも戸を開けて念誦しているうちに、時刻は、山寺のしきたりの、
法螺貝を四つ吹く亥(い)の刻(午後十時前後)になってしまった。



大門のほうで、召使いたちが、殿がいらっしゃいましたと言いながら、
騒ぐ声がするので、巻き上げていた簾を下ろして見ると、木の間から、
松明の火が二つ三つ見え、子どもが取り次ぎ役として出て行くと、
あの人は物忌中なので車に乗ったままで、迎えに来たと言う。


「どうしても帰るわけにはいきません」

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あの人は今日まで穢れがあるので、車から降りることができないが、
どこへ車を寄せたらいいかと言うので、気が変になりそうな感じがする。
どういうお考えで、このように非常識にお越しになったのでしょう。



今夜だけのつもりで、上って来ましたのに。穢れのこともあるというのに、
分別のないことをなさいます。夜が更けました。早くお帰り下さいと伝えた。
子どもは、あの人とわたしの言葉のやり取りの取り次ぎに、何度も往復する。



一町(約110メートル)の間を、石段を上ったり下りたりするので、
子どもは疲れきって、ひどく苦しがるほどになった。

侍女たちは、まあ、かわいそうになどと、気弱なことばかり言う。
父上は、お前がこれくらいの事を説得できないと機嫌が悪いという。



子どもは、わたしとあの人の板ばさみで、しきりに泣いていたが、
どうしても帰るわけにはいきませんと言い切ったので、あの人が、もういい、
このように穢れの時だから、いつまでもいるわけにはいかない。しかたない。
車に牛をかけろと言っていると聞いて、ほっと安心した。


「そちらにお手紙があるでしょう」

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秋の野に なまめき立てる 女郎花 あなかしがまし 花も一時

秋の野に 艶っぽく立っている女郎花 ああ 煩わしい 美しく咲くのも、
ほんの一時なのにという歌を、何度も思い浮かべては、ひどく悲しくなる。



湯などにつかって身を清めてから本堂にと思っているときに、
家から慌ただしそうに使いが留守番の侍女の手紙を持って走って来た。
読むと、ただ今、殿のお邸からお手紙を持って使いの者が参りましたとある。



使いの者が、わたしの山寺行きを止めなさいと殿がおっしゃり、
殿もすぐにお越しになりますと言いましたので、ありのままに伝えました。

もうとっくにお出かけになり、侍女たちも後を追って行きましたと答えると、
どういうつもりで山寺などに行かれるのだろうと、心配していらっしゃった。



どうしてそんなことを殿に申し上げられましょうと言いますから、
これまでのご精進なさっていたことを話しますと、泣いていらっしゃり、
とにかく、早速殿にご報告しましょうと言って急いで帰って行きました。
きっとそちらにお手紙があるでしょう。そのつもりでいてくださいと書いてある。


「木の間から松明の火が二つ三つ見えた」

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愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



殿がいらっしゃることが、書かれてある手紙を見て、深い考えもなく、
大げさに話したのではないかしら。まったくやりきれない。
生理になったら、明日か明後日には寺を出るつもりなのにと思いながら、
湯の用意を急がせて、身を清めてから御堂に上った。



暑いので、しばらく戸を開けてあたりを見渡すと、御堂はとても高い所に、
立っており、山が取り囲んで懐のようになっていて、木立がこんもり茂り、
趣があるけれど、闇夜の頃なので、今は暗くて見えない。



初夜の勤行をするというので、僧たちが忙しく動き回っているので、
わたしも戸を開けて念誦しているうちに、時刻は、山寺のしきたりの、
法螺貝を四つ吹く亥(い)の刻(午後十時前後)になってしまった。



大門のほうで、召使いたちが、殿がいらっしゃいましたと言いながら、
騒ぐ声がするので、巻き上げていた簾を下ろして見ると、木の間から、
松明の火が二つ三つ見え、子どもが取り次ぎ役として出て行くと、
あの人は物忌中なので車に乗ったままで、迎えに来たと言う。


「どうしても帰るわけにはいきません」

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あの人は今日まで穢れがあるので、車から降りることができないが、
どこへ車を寄せたらいいかと言うので、気が変になりそうな感じがする。
どういうお考えで、このように非常識にお越しになったのでしょう。



今夜だけのつもりで、上って来ましたのに。穢れのこともあるというのに、
分別のないことをなさいます。夜が更けました。早くお帰り下さいと伝えた。
子どもは、あの人とわたしの言葉のやり取りの取り次ぎに、何度も往復する。



一町(約110メートル)の間を、石段を上ったり下りたりするので、
子どもは疲れきって、ひどく苦しがるほどになった。

侍女たちは、まあ、かわいそうになどと、気弱なことばかり言う。
父上は、お前がこれくらいの事を説得できないと機嫌が悪いという。



子どもは、わたしとあの人の板ばさみで、しきりに泣いていたが、
どうしても帰るわけにはいきませんと言い切ったので、あの人が、もういい、
このように穢れの時だから、いつまでもいるわけにはいかない。しかたない。
車に牛をかけろと言っていると聞いて、ほっと安心した。


「子どもの道綱に手紙を託した」

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子どもから、父上をお送りして、私も車の後ろに乗って帰りますと言い、
また、二度とここには来ませんと言って、泣きながら出て行った。
この子だけを頼りにしているのに、ずいぶん酷い事を言うと思った。



なにも言わないでいると、人々は皆帰ってしまったらしく、子どもは、
戻って来て、お送りしようとしたのですが、お前は呼んだ時に、
来ればいいと言って、お帰りになりましたと言い、しくしく泣く。



可哀そうだと思うが、あなたまでお見捨てになるわけはないでしょうと、
言って慰めるが時は八つ(丑の刻・午前二時前後)になってしまった。
侍女たちが、京への道のりは遠く、お供の人は間に合わせの人たちなので、
京の中のお出かけより、とても少なかったですと気の毒がったりしていた。



京のわが家に連絡することなどあるので、使いを出すことにした。
子どもの道綱は、昨夜のことが気になるので、父上のお邸のあたりに行って、
ご様子を伺ってきますと言って出かけるので、子どもに手紙を託すことにする。


「京へ出かけた子どもが帰って来た」

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手紙には、普通では考えられない人騒がせな昨夜のお越しでしたが、
お帰りは夜も更けるのではないかと思いましたので、ひたすら仏に、
無事にお帰りになれるようお守り下さいとお祈りしていました。



それにしても、どういうお考えでこんな山奥までお越しになったのかしら、
と思うと、あの時すぐ帰るにはひどく恥ずかしくて、帰ることなど、
できそうにない気がしたのですなどと、こまごまと書いておいた。



その手紙の端に、昔、あなたもごらんになった道と思いながら、この寺に、
入りましたが、昔のことを例えようもないほど懐かしく思い出しました。
近いうちにすぐにも帰るつもりですと書いて、松の枝に結びつけた。



夜明けの景色を見ると、霧か雲かと思われるものが一帯に立ち込め、
しみじみともの寂しい。昼頃、京へ出かけた子どもが帰って来た。
父上は出かけていらっしゃったので、召使に手紙を預けてきましたと言う。
もし、あの人が出かけていなくても、返事はないだろうと思った。


「蛍は驚くほど辺りを明るく照らしている」

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昼はいつものようにお勤めをして、夜はご本尊の仏をお祈りする。
まわりが山なので、人に見られるのではないかという心配もない。
簾を巻き上げてあり、季節はずれのウグイスがしきりに鳴いていた。



梅の花 見にこそ来つれ うぐいすの ひとくひとくと いとひしもをる
梅の花を見に来たのに 鶯が人が来た、人が来たと鳴いて、嫌がっていると。

鋭い声で鳴くので、人が来たのではないかと思って、簾を下ろさなければ、
ならないような気になる。これもわたしの心が虚ろになっているせいだろう。



生理になったら山寺を出ようと決めていたが、やっと生理になった。
京ではわたしが尼になったと皆噂しているとすれば、帰っても、
みっともない思いをするだろうと思って、寺から離れた建物に下りた。



京から叔母にあたる人が訪ねて来たが、普通とはまったく違う住まいだから、
落ち着かなくてなどと話したりして、五、六日経つうちに、六月になった。  
木陰はとても風情があり、山陰の暗くなっている所を見ると、
蛍は驚くほどあたりを明るく照らしている。


「小寺の小さい鐘を競って打ち鳴らしている」

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昔あまり悩みもなかった頃、杜鵑の鳴き声で、夜深く目を覚ましてしまった。
なんともじれったく思ったほととぎすも、ここでは気楽に何度も鳴く。
水鶏(くいな)はすぐそこと思うほど近くで叩くように鳴いている。
ますます侘びしさがつのるもの思いが多い住まいである。



人から勧められた山籠りではなかったので、訪ねたり見舞ったりする人が、
いなくても、けっして恨んだりすることはなく、気が楽であった。
ただ、こんな山住まいまでするように定められた前世の宿縁ばかりを、
つくづくと思うにつけて、悲しいのは息子のことであった。



このところ長精進を続けてきた子が、すっかり元気がないようなのに、
わたしの代わりに世話を頼む人もいないので、山寺に籠もりっきりで、
松の葉だけを食べる覚悟での私と同じような粗末な食事をさせたので、
なにも食べなくなったのを見るたびに、涙がいっそうこぼれてくる。



こうしているのは、とても心が落ち着くが、ただどうかすると涙が、
こぼれるのは、とても辛い。夕暮れにつく寺の鐘の音、ひぐらしの声や、
周りの小寺の小さい鐘を、われもわれもと競って打ち鳴らしている。


「粗末な食事をして酷く痩せたのを見る」

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前の岡には、神社もあるので、僧たちが読経をあげたりする声を聞くと、
どうしようもなく悲しくてならない。このように生理の間は夜も昼も、
暇があるので、端の方に出て座り、物思いにふけっていると、
幼い子どもが、部屋に入りなさいと言うので、その様子を見る。



子どもは、わたしにあまり深く思いつめさせたくないらしい。
わたしがどうしてそんなことを言うのと聞くと、やはり体にとても悪いし、
わたしも眠いからなどと言うが、ひと思いに死んでしまうはずだったのに、
あなたのことが心配で今まで生きてきたけれど、これからどうしようかしら。



まったくこの世から姿を消してしまうよりは、世間の人が噂しているように、
尼になろうと思うが、尼姿でも生きていれば、心配にならない程度に、
訪ねて来て、かわいそうな母と思ってください。
山籠もりをしてとてもよかったと、わたし自身は思うのです。



ただ、あなたがこんな粗末な食事をして、ひどく痩せたのを見るのが、
とても辛くて、私が尼になっても、京にいる父上はあなたを、
見捨てないとは思うけれど、私が尼になること自体が非難されることだから、
こんなふうに悩んでいますと言うと、子どもは、しゃくりあげて泣いていた。


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