Dog photography and Essay

Dog photography and Essay

「枕草子(まくらのそうし)」を研鑽-1



「枕草子は日頃の事を書いたエッセイである」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



枕草子は、平安中期の随筆。清少納言34歳ごろの作で59歳没。
清少納言は1000年に、仕えていた皇后定子の死後、宮仕えを
辞したが枕草子の完成はこれ以後で、ほぼ300余段からなっている。



女性的な感覚の鋭さと燃えるように、美しく輝き、現れ出て
自然・人事を写し源氏物語と並んで平安女流文学の傑作と評される。
後世の文学に与えた影響も大きく、今や小学生から学習する。
枕草子は物語ではなく、日頃感じたことを書いたエッセイである。



春はあけぼの。
だんだん白くなっていく山の上の空が少し明るくなって
紫っぽい雲が細くたなびいている。



夏は夜。
月がある頃は言うまでもない。闇夜もやはり、蛍がたくさん
入り乱れて飛んでいる。それに、一つか二つだけが、かすかに光って
飛んで行くのも素敵。雨なんか降るのも素敵。


「秋は夕暮がよく冬は早朝がよい」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



秋は夕暮。
夕日がさして山の端にとても近くなっているところに
烏が寝る所に帰るというので、三つ四つ、二つ三つが急いで
飛んでゆくのさえしみじみとした感じ。



まして雁などが列をつくっているのが、ひどく小さく見えるのは
とても趣がある。日が沈んでしまって、風の音や
虫の音などもまた言うまでもない。



冬は早朝。
雪が降っているのは言うまでもなく、霜がとても白いのも
またそうでなくてもひどく寒いので、火など急いで起こして
炭火を持って運んで行くのも、冬の早朝にふさわしい。



昼になって、寒さがだんだん緩んでいくと
火鉢の火も、白い灰ばかりになってよくない。

明日は以前紹介した女子中学生の枕草子アレンジ版を、
再度公開、枕草子のタイトルではなく「病気」のタイトルで趣ある。


「春は花粉症、夏は熱中症、秋は風邪」

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愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



女子中学3年生が書いた枕草子アレンジ版。
授業で課題が出され教育研究会冊子本に掲載され話題に。

春は花粉症。
やうやう赤になりゆく眼球
すこし明かりて黄色だちたる鼻水のほそくたなびきたる。



夏は熱中症。
猛暑のころはさらなり。
屋外イベントもなほ、患者の多く倒れたる。
また、ただ一日二日など、寝込むもをかし。だらけるもをかし。



秋は風邪。
木枯らしが吹き、冬のいと近うなりたるに
ティッシュを買いに行くとて、二回三回とくしゃみするさへあはれなり。



冬はインフルエンザ。
鼻に綿棒を突っ込まれるは言うべきにもあらず。
リレンザのいと白きも、また、さらでもいと辛きにポカリなど
急いで買って来て、氷のうもて渡るもいとつきづきし。


「誰もみな身なりや顔を格別に装って」

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季節は、正月、三月、四月、五月、七、八、九月、十一、二月
すべてその時々によって、一年中おもしろい。



正月一日は、まして空の様子も、うららかに清新で、霞が
かかっているところに、世の中の人は、誰もみな、身なりや顔を
格別に装って、主人をもじぶんをも祝ったりなどしているのは
ふだんとは違っておもしろい。



七日、雪の消えた所で若菜を摘んで、青々としているのを、ふだんは
そんなものを見慣れない所で、もてはやして騒いでいるのはおもしろい。
節会の白馬を見に行こうと思って、宮仕えをしないでいる人は
牛車を美しく飾り立てて見物に行く。



中の御門(待賢門)の敷居を車が通り過ぎるときに、みなの頭が一所に
揺れてぶつかり、挿している櫛(くし)も落ちて、そんな事になるとは
用心していなかったので、折れたりなんかして笑うのもまたおもしろい。


「どんな幸運のもとに生まれた人だろう」

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左衛門府の警備の役人の詰め所のあたりに、殿上人などが大勢立って
舎人の弓を取って馬を驚かして笑っているのを、牛車の簾の隙間から
わずかに覗いて見ると、立蔀(たてじとみ)など見えるが、そのあたりを
主殿司(とのもりづかさ)や女官などが行ったり来たりしておもしろい。
殿上人(てんじょうびと)五位以上で殿上にのぼることを許された人。



どんな幸運のもとに生まれた人が、宮中で馴れ馴れしくできるのだろうと
思われるのだが、宮中でこうして見るのは、かなり狭い範囲だから
舎人の顔は地肌が見えて、本当に黒いうえに、白粉(おしろい)が
行きわたらない所は、雪がまだらに消え残っているような感じだ。



ひどく見苦しく、馬が跳ねて暴れているのもひどく恐ろしく思われるので
自然と体が奥へと引っ込んでしまって、よく見ることができない。
八日、加階(昇進)した人がお礼を申し上げるために走らせる車の音が
いつもと違うように聞こえて、おもしろい。



十五日、粥の祝い膳をご主人にさし上げ、その粥を炊いて燃え残った木を
隠していて、年配の女房や、若い女房が打とうと隙きを狙っているが
打たれないわよと用心して、いつも後ろに気を配っている様子も
とてもおもしろいが、一体どんなふうにしたのだろう。


「顔を少し赤らめて座っている」

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相手の尻をうまく打ちあてたときは、とてもおもしろく
みなが大笑いしているのは、とても華やかで陽気であり
打たれた人が悔しがるのも、もっともだと思う。



新しく通って来る婿君などが宮中に参内する頃を、わくわくして
その邸では、わたしなら大丈夫と思っている女房が、物陰から
覗いて、今か今かと、奥の方でじっと立って待っている。



姫君の前に座っている女房が気づいて笑うのを、しっ、静かにと
手で合図して止めるけれども、姫君は気づかない様子で
おっとりと座って、そこの物を取りましょうなどと言って近づく。



走り寄って姫君の尻を打って逃げると、そこにいた者はみな笑った。
婿君も、まんざらでもなく微笑んでいるのに、姫君は別に
驚きもしないで顔を少し赤らめて座っているのもおもしろい。


「若い女房たちは真似をして笑っている」

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女房同士叩き合って、男の人まで叩くようである。
いったいどういうつもりなのだろうか叩かれて泣いたり腹を立てたり
叩いた人を呪ったり、不吉なことを言う女房もいるのが、おもしろい。



宮中あたりなどの高貴な所でも、今日はみな無礼講で遠慮がない。
除目(じもく)の人事の頃など宮中のあたりはとてもおもしろい。
雪が降りひどく凍っているのに、上申(じょうしん)の手紙を持って
あちこちする四位や五位の人が、若々しく、元気が良いのが頼もしそう。



年老いて頭の白い人などが、人に取り次ぎを頼んで、女房の局などに
立ち寄って、自分自身が優れているわけなどを、ひとりよがりに熱心に
説明して聞かせるのを、若い女房たちは真似をして笑っているけれども
本人はそんなこと知るはずもない。



どうかよろしく帝に申し上げてください、皇后さまにもなどと言っても
望みの官位を得られた人はとてもいいが、手に入れられず
叶わなかった人は、あまりにも気の毒なものである。


「木の葉がまだそれほど繁っていなく」

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三月三日は、桃の花が咲き始めたところなので、うららかにのんびりと
日が照っていなくてはいけない。柳などのおもしろい風情は言うまでもない。
それもまだ、繭のように芽ぐんだばかりなのが素敵で
葉が広がっているのは嫌な感じに見える。



晴れやかに咲いた桜を、長く折って、大きな花瓶に挿してあるのは素敵。
桜襲の直衣に出袿をして、それがお客様でも、ご兄弟の君たちでも
その近くに座ってお話なんかしているのは、とても素敵。



四月、賀茂祭の頃がとても素敵。上達部や殿上人も、袍の色が
濃いか薄いかの区別があるだけで、それぞれの白襲も同じ様子で
涼しそうに見えて素敵。木々の木の葉がまだそれほど繁っていなく
若々しく青みがかっているところがよい。



春の霞も秋の霧もさえぎらない初夏の澄んだ空の景色が
何ということもなく無性に趣のある頃に、少し曇ってきた夕方や夜などに
まだ密かに鳴くホトトギスが、遠くからと思われるくらいか小さい声で
鳴くのを聞きつけた時は、どんな気持ちがするのだろう。


「そのまま脱がせないでおいてあげたい」

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祭の日が近くなって、青朽葉や二藍の布地を巻いて、紙などにほんの
形ばかり包んで、手に持ち行ったり来たり、歩いているのって素敵。
裾濃(すそご)、むら濃に染めた物も、いつもより素敵に見える。



女童が頭だけ洗って手入れして、服装はほころびて縫い目が切れて
ぼろぼろになりかかっているのもいるが、そんな子が屐子(けいし)や
沓(履物)などの、鼻緒をすげて裏を直してなどと騒いで、早く
お祭りにならないかなと、はしゃぎまわるのもとてもおもしろい。



変な格好をして飛んだりはねたりしている子どもたちが、祭の日に
衣裳を着て飾ると、まるで法会の時の定者(じょうざ)などという
法師のように練り歩くが、どんなに不安なことだろう。



身分に応じて、親やおばにあたる人、姉などがお供をして世話をしながら
連れて歩くのもおもしろい。蔵人(くろうど)になりたがっている人で
すぐにはなれない人が祭の日に青色の袍(ほう)を着ているのを
そのまま脱がせないでおいてあげたいと思ってしまう。


「精進物のひどく粗末な食事をしても」

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同じことを話していても、聞いた感じが違うものがよい。
法師の言葉や、男の言葉や、女の言葉など。
身分の低い者の言葉には、必ずよけいな言葉がつくものである。



可愛がっている子を僧にするのは、本当に気の毒だと思う。
精進物のひどく粗末な食事をしても、寝るにしても
若い人ならば、好奇心だってあるだろうに。
世の人が僧を木の切れっ端のように思っているのは、とてもかわいそう。




女などのいる所でさえ、我慢してどうして嫌がっているように
覗かないことがあるだろうか。それさえも世間ではうるさく言う。
まして修験者などは、ひどく苦しそうにさえ見える。



疲れてウトウトすると、居眠りばかりしてなどと非難されるのも
ひどく窮屈で、どんなに辛いことだろうなどと思ってしまう。
でも、これも昔のことで、今はずっと気楽になったようだ。


「かえって驚く人もいるでしょうね」

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大進(だいじん/中宮職の三等官)生昌(なりまさ/平生昌)の家に
中宮(定子)様がいらっしゃるというので、東の門を四本柱の門に
作り変えて、そこから中宮様の神輿はお入りになった。



北の門から女房たちの牛車も、まだ警護の武士がいないから入れるだろうと
思って、髪の乱れた人もたいして手入れもしないで、車を建物に寄せて
降りるからと思って気にしないでいたところ、檳榔毛(びろうげ)の車などは
門が小さいから、つかえて入ることができないでいた。



例によって筵道(えんどう/敷物)を敷いて降りなければならないので
実に憎らしく腹立たしいけれども、どうしようもない。
殿上人(てんじょうびと五位以上の蔵人で殿上に上る事を許された人)や
地下の役人たちも、陣屋のそばに立って見てるのもひどく癪にさわる。



中宮様の御前に行って、先ほどのことを申し上げると、ここでだって人が
見ない事があるのよ。どうしてそんなに気を許したのと、お笑いになる。
でも、ここではわたしたちを見慣れていますから、きちんとした格好を
してたりしたら、かえって驚く人もいるでしょうねと笑っていた。


「身の程に合わせていると答える」

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それにしても、これほどの家で、車が入らない門があるのかしら。
見えたら笑ってやるわなどと言っているときに、これを差し上げて
くださいと言って、生昌が中宮用の硯などを御簾の中にさし入れる。



貴方ってずいぶんひどい人ね。どうしてあの門を狭く造ってお住みなのと
言うと、生昌は笑って、家の程度、身の程に合わせているのですと答える。
でも、門だけを高く造った人もいたのよと言うと、ああ怖いと驚いて
それは于定国(うていこく)の故事のことではないですか。



年功を積んだ進士(漢文の専門家)などでなかったら、うかがっても
わからないことです。わたしはたまたま漢学の道に入りましたから
これくらいのことは理解できるのですがと言う。



あなたのおっしゃる道というのもたいしたことなさそうね。
筵道(えどう)が敷いてあっても、穴に落ちて大騒ぎでしたよと言うと
雨が降りましたので、そんなことになったのでしょう。 いやあこんな
答え方では、また何か言われそうですね。失礼しますと言って立ち去った。

筵道-天皇や貴人が徒歩で進む道筋や神事に祭神が遷御する時の道に敷く筵。


「灯台の光が明るく照らしている」

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どうしたの。生昌がひどく怖がっていたじゃないとお尋ねになる。
なんでもありません。車が入らなかったことを言ったのでございますと
申し上げて局に下がった。同じ局に住む若い女房たちと一緒に
なんにも知らないで、眠たいので、みな寝てしまった。



局は東の対屋の西の廂の間で、北に続いているが、その北の襖障子には
掛け金がなかったのを、それも確かめなかった。
生昌はこの家の主人だから、それを知っていて襖を開けた。



妙にしわがれた騒々しい声で、お伺いしてもよいですか
お伺いしてもいいですかと何度も言う声で、目が覚めて見ると
几帳の後ろに立ててある灯台の光が明るく照らしている。



襖障子を五寸(15.2センチ)ほど開けて言うので、ひどくおかしい。
まったくこのような好色めいたことを決してしない人なのに
中宮様が自分の家に来られたというので、むやみに勝手気ままな事を
しているのだろうと思うと、実におかしい。


「襖を開けたのならただ入ってくればいい」

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そばにいる人を揺すって起こし、あれを見てと言い、更に
あんな見たことがない人がいるみたいと言うと
頭を持ち上げて向こうを見て、ひどく笑っている。



一体あれは誰よ、厚かましいと言うと、いえ、家の主人として
ご相談したいことがあるのですと言うので、門のことなら
申し上げましたが、襖を開けてなんて申し上げたでしょうかと言う。



やはり、そのこともお話ししましょう。そちらに行ってもよろしいですか
そちらに行ってもよろしいですかと、また言うので、みっともないったら
ないわねえ。お入りになれるわけないでしょうと言って笑ったのがわかった。



若い人がいらっしゃったのですねと言って襖を閉めて去ったのを見て
後でみんなで大笑いしたが、襖を開けたのなら、ただ入ってくればいい。
そちらに行ってもよろしいですかなんて言われて、いいですよなんて
誰が言うものかと思うと、おかしくてたまらなくなった。


「他に話があるわけでもない」

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翌朝、中宮様の御前に参上して申し上げると、そんな浮いた噂は
さいきん聞かなかったのにねえと言い、昨夜の門のことに感心して
行ったのでしょうね。かわいそうに、生真面目な人をいじめたりしたら
気の毒だと思わないのと言ってお笑いになる。



ちょっと用事が途絶えていた時に、大進(中宮)が、ぜひお話したいと
言っていると言うのをお聞きになって、またどんなことを言って
笑われようというのかしらとおっしゃるのも、またおもしろい。



行って聞きなさいとおっしゃるので、わざわざ出て行くと、先夜の門の事を
中納言に話しましたら、とても感心されて、ぜひ適当な機会にゆっくり
お会いしてお話をしたいと申していましたと、他に話があるわけでもない。



先夜訪ねて来た事を話すのかしらと胸がドキドキしたけれど、そのうち
ゆっくりお部屋に伺いましょうと言って立ち去るので、宮様の所に戻ると
ところでなんだったのとおっしゃるので、生昌が申した事を申し上げた。


「飛びかかったので猫は怯える」

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わざわざ取り次がせて呼び出すようなことではないわね。
端近とか局などにいる時に言えばいいのにと言って女房が笑うので
じぶんが優れていると思っている人(惟仲)があなたを褒めたので
嬉しく思って、知らせに来たのでしょうと話す様子も、とても立派だ。



帝のおそばにいる猫は、五位をいただいて「命婦のおとど」と呼ばれ
とても可愛いので、帝も大切にしていらっしゃるが、端近に出て
寝ているので、お守役の馬命婦(うまのみょうぶ)が、まあお行儀の悪い。
お入りなさいと呼ぶが、日がさしている所で眠ったままだった。



少し脅かそうと、翁(おきな)まろ(犬の名)、どこなのと呼び寄せて
命婦のおとどを噛めと言うと、本当と思って、馬鹿正直な翁まろが
飛びかかったので、猫は怯え、あわてて御簾の中に入った。



朝食の食卓に帝がいらっしゃった時で、ごらんになり、ひどく驚かれる。
猫を懐にお入れになって、男たちをお呼びになると、蔵人の忠隆と
なかなりがやって来たので、この翁まろを打って懲らしめて
今すぐに、犬島(野犬の収容所)へ追放しろ、とおっしゃる。


「懲らしめていらっしゃると言う」

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犬島(野犬の収容所)へ追放しろと言うので、みなが集まって
大騒ぎして追い立てる。帝は馬命婦をも叱られて心配でならないので
お守役を変えてしまおうとおっしゃるので馬命婦は御前にも出なく
犬は捕まえて、滝口の武士などに命じて追放なさった。



ああ、今までは体を揺すって得意そうに歩きまわっていたのに。
三月三日に、頭弁(とうのべん)(藤原行成)が、柳の飾りを頭にかぶせて
桃の花を挿させて、桜の枝を腰にさしたりして、歩かせられた時は
こんな目にあうとは思わなかっただろうなどと同情する。



皇后様(定子)のお食事の時は、必ずこちらを向いて待っていたのに
ほんとうに寂しいわねえなどと言って、三、四日経った昼頃、犬がひどく
鳴く声がするので、どんな犬がこんなに長く鳴くのだろうと思って
聞いていると、たくさんの犬が様子を見に走っていく。



御厠人(みかわようど)(便所の下級女官)の女が走って来て、犬を蔵人二人で
叩いているので、もう大変。死んでしまうわ。犬を島流しになさったと
いうのが、帰って来たというので、懲らしめていらっしゃると言う。
心配なことだ。翁まろらしい。忠隆と実房などが打っていると言う。


「かわいそうなことをしたわね」

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忠隆と実房などが犬を、打っていると言うので、止めに行かせると
すでに鳴きやみ、死んでたので、陣の外に引っ張っていって捨てたと
言うので、かわいそうになどと思っている夕方、ひどく腫れ上がり
汚らしそうな犬で、苦しそうなのか、ぶるぶる震えて歩いている。



翁まろなの。この頃こんな犬は歩いてはいないと思い、翁まろと言っても
何の反応も示さない。翁まろよと言っても、違うわよと口々に申すので
右近なら見分けがつくから、呼びなさいと言って、皇后様がお呼びになる。



右近がやって来たので、これは翁まろなのと言ってお見せになる。
似てはいますが、これはあまりにも、みにくく気味悪いですね。
それに、翁まろなら、翁まろと呼びさえすれば、喜んでやって来るが
呼んでもやって来ないので、翁まろとは違うようですと言う。



翁まろは、殴り殺して捨ててしまいましたとはっきり申していました。
二人で殴ったのなら生きている事はないでしょうと申し上げるので
皇后様は、かわいそうなことをしたわねと落胆される。


「犬でもこのような心があるんだなあ」

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暗くなって犬に食べ物を与えたが、食べないので、違う犬ということに
してしまった翌朝、皇后様は髪をとかしたり、顔や手を洗ったりして
わたしに鏡を持たせて髪の様子をごらんになっていると犬が柱の下に
いるのをわたしが見て、ああ、昨日は翁まろをひどく殴ったのね。



死んでしまったなんてかわいそう。今度は何に生まれ変わるのかしら。
どんなに辛かったことだろうと何気なく言うと、その柱にいた犬が
ぶるぶる震えて、涙をひたすら流すので、翁は死んだのではなく
あまりにも意外なことに、それは翁(おきな)まろだった。



昨夜は隠れて我慢していたのねと、可哀そうなばかりか素晴らしい事
この上ないと思い、持っていた鏡を置いて、じゃあ、翁まろなのねと
言うと、頭を下げひどく吠える。皇后様もびっくりしてお笑いになる。



右近の内侍をお呼びになって、こういう事なのとおっしゃるので皆で
笑って騒いでいるのを、帝もお聞きになって、こちらへお越しになった。
驚いたね、犬なんかでも、このような心があるんだなあとお笑いになる。


「翁まろはもとのような身分になった」

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帝付きの女房なども、翁まろの事を聞いて集まって来て、名前を呼ぶと
今は立って動くが、この顔が腫れているのを手当てさせなくてはと
私が言うと、ついに翁まろびいきを白状したわねと女房たちが笑う。



その様子を、忠隆が聞いて、台盤所の方から、そういう事だったのですか。
手当の様子を拝見しましょうと言ってきたので、まあ、とんでもない。
そんなものは絶対にいないと言わせると、そうおっしゃってもいつか
見つける時があるので、いつまでもお隠しになることはできないと言う。



その後お咎(とが)めも許されて、翁まろはもとのような身分になった。
それにしても、震えて泣きながら出て来た時は可哀そうに思われて
人間なら、人から言葉をかけられて泣くこともあるが
翁まろはとても悲しく泣いていて感動的だった。



正月一日、三月三日は、とてもうららかだったが、五月五日は
一日中曇って、七月七日も、一日中曇っていて、夕方になって晴れた空に
月がとても明るく、星がたくさん見えているのが風情がある。


「今にも降りそうなのも風情がある」

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九月九日は、明け方から雨が少し降っていたので思った通り
かぶせてある綿などもひどく濡れて、菊の露も大きな珠になり
移り香もいっそう香りを高めて、早朝にはやんだけれど
それでも曇っていて、今にも降りそうな様子なのも風情がある。



昇進のお礼を帝に申し上げるのっていいものね。下襲(したがさね)の裾を
後ろに長く引いて、帝の御前に向かって立っていて、帝にお辞儀をして
左右左と袖をひるがえして舞って、喜びを表すのも素敵。



新内裏の東を、北の陣という。梨の木が見上げるほど高いのを
いく尋(ひろ)あるのかしらと言う。一尋(ひろ)は六尺あり1.8m。
権中将(ごんのちゅうじょう/源成信)が、根元から切って
定澄僧都(じょうちょうそうず)の枝扇にしたいねとおっしゃっていた。



僧都(そうず)が山階寺(やましなでら/興福寺)の別当になって、そのお礼を
申し上げる日に、近衛の役人として、この権中将がいらっしゃったが
僧都は長身なのに高い屐子(けいし)まで履いているので、おそろしく背が高い。
屐子(けいし)とは、下駄のことで高い屐子(けいし)で高下駄のこと。


「昔の恋人を今は気にも留めなくなり」

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僧都が退出した後で、何故あの枝扇をお持たせにならなかったのですと
言うと、よく覚えているねとお笑いになる。定澄僧都には短すぎるから
袿(うちき)はない。すくせ君(小柄な人)には、長すぎるから
袙(あこめ-肌着と表着の間に着る)はないと言った人って実におもしろい。



山は、小倉山(おぐらやま)。鹿背山(かせやま)。三笠山(みかさやま)。
このくれ山。いりたちの山。忘れずの山。末の松山。片去り山とは、
〈どんなふうに脇へ寄るのだろう〉とおもしろい。五幡山(いつはたやま)。
帰山(かえるやま)。後瀬の山(のちせのやま)。朝倉山は、歌に



むかしみし 人をぞわれは よそに見じ 朝倉山の 雲居はるかに

昔の恋人を今は私、気にも留めなくなって、まるで朝倉山の雲が
遥か向こうに離れてるようにねとあるように、知らない顔をするという。
おおひれ山、石清水八幡の臨時の祭の舞人などが思い出される。
三輪の山。手向山(たむけやま)。まちかね山。たまさか山。耳なし山。



歌によく詠まれる歌枕で名前のおもしろいものを挙げているが
歌枕とは、古くは和歌において使われた言葉や詠まれた題材で
またはそれらを集めて記した書籍のことを意味したが、現在はもっぱら
それらの中の和歌の題材とされた日本の名所旧跡のことをさしていう。


「蔵人などの衣裳にできそうだから」

「Dog photography and Essay」では、
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市は、辰の市(たつのいち)。さとの市。椿市(つばいち)は、大和(やまと)に
たくさんある市の中で、長谷寺に参詣する人が、必ずそこに泊まるのは
十一面観音の観音様にご縁があるのかと思うと、特別な感じがする。
おふさの市。飾磨の市(しかまのいち)。飛鳥の市(あすかのいち)。



峰は、ゆづるはの峰。阿弥陀の峰。いや高の峰。
原は、みかの原。あしたの原。その原。
淵は、かしこ淵は、どういう底の心を見ぬいて、そんな名前を
付けたのだろうと思いを巡らし考えると、おもしろい。



ないりその淵。誰にどんな人が、入るなと教えたのだろう。
青色の淵はおもしろい。蔵人などの衣裳にできそうだから。
かくれの淵。いな淵。



海は、湖(みずうみ)。与謝の海。かわふちの海。
陵(みささぎ)は、うぐるすの陵。柏木の陵。あめの陵。
渡し場は、 しかすがの渡り。こりずまの渡り。みずはしの渡り。
太刀(たち)は、たまつくり。太刀なら玉造り、舘(たち)なら玉楼。


「固紋の袴をはき何枚か下着を重ねている」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



家は、近衛の御門(みかど)。二条。みかい。一条院も素晴らしい。
染殿の宮(そめどののみや)。清和院(せがい)。菅原の院。
冷泉院(れいぜいいん)。閑院。朱雀院。小野宮(おののみや)。
紅梅殿(こうばいどの)。県(あがた)の井戸殿。竹三条院。小八条院。小一条院。



帝の御殿・清涼殿の東北の方角の隅の、北の隔てになっている障子は
荒海の絵、生きている物どもで、恐ろしい姿のもの手長、足長などが
書いてある。弘徽殿の上の御局の戸が開けてあると、いつも目に
入るのを嫌がったりして笑う。



高欄の所に青磁の瓶(かめ)の大きいのを置いて、桜の晴れやかに美しい
枝の五尺くらいのが、とても多く挿してあるので、高欄の外まで
咲きこぼれている昼頃、大納言殿が、桜の直衣の少しなおやかなのに
濃い紫の固紋の指貫(袴)をはき、白い下着を数枚重ねている。



上には濃い紅の綾織物のとても鮮やかなのを出衣(いだしぎぬ)にして
参内なさると、帝(一条天皇)がこちらにいらっしゃるので、上の御局の
戸口の前にある細い板敷きにお座りになって、お話などなさる。


「月日が移り変わっても永遠に変わらない」

「Dog photography and Essay」では、
愛犬ホープと歩いた道と「愛犬もも」との物語を公開してます。



御簾の内で、女房たちが、桜の唐衣をゆったりと垂らして藤襲や山吹襲など
さまざまに感じよく、たくさん小半蔀(こはじとみ)の御簾からも
押し出している頃、帝の昼間の御座所の方では、お膳を運ぶ足音が高い。



先払いの者たちの警蹕(けいひつ)のオーの声が聞こえるのも、うららかな
のどかな春の日射しなども、とても素敵だが、最後のお膳を持った蔵人が
やって来て、お食事の用意ができたことを申し上げるので
帝は中の戸から昼間の御座所にお越しになる。



帝のお供に廂の間から大納言殿がお送りに行かれて、先ほどの桜の花の所に
帰って座っていて、中宮様が御几帳を押して、下長押(しもなげし)の方に
出ていらっしゃるなど、ただもうどうしようもなく素晴らしいのを
お仕えしている人も、満足した気がするのに、歌を詠われる。



月も日も かはりゆけども 久に経る みむろの山の とつ宮どころ

万葉集の月日が移り変わっても三諸山の離宮は永遠に変わらないで
栄えるという意味の祝いの歌から大納言がひっぱってきたもので
大納言は、この歌を引用して、三室(三諸)山の離宮が永遠に栄えるのと
同じく中宮様の栄華も永遠のものでありますようにとの思いを綴った。


「どうしていいかわからなくなった」

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歌を、ゆったりと吟唱なさったのが、とても素晴らしく思われるので
なるほど千年もこのままでいてほしい中宮様(定子)のご様子である。
給仕する人が、蔵人たちをお呼びになるうちに帝はこちらにいらした。



硯の墨をすってと中宮様はおっしゃるが、わたしは上の空で、ただ帝が
いらっしゃるほうばかりを見ているものだから、危うく墨ばさみも
放してしまいそうになるほど。中宮様は白い色紙を押したたんで
これに、今思い出せる古歌を一つずつ書いてとおっしゃる。



外に座っていらっしゃる大納言殿に、これはどうすればと話すと
男が口出しするようなことではありません早く書いてあげなさいと言って
色紙を御簾の中に入れてお返しになった。



中宮様は硯をこちらに向けて、早く早く、ただもう深く考えないで
難波津(大阪港湾)でもなんでも、ふと思いついた歌をと急かされるが
どうしてそんなに気後れしたのか、まったく顔まで赤くなって
急がされればされるほど、どうしていいかわからなくなった。




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