雲外蒼天

雲外蒼天

夢 その①


話しながら帰ってきた。

そういえば、小さい頃から私の夢は人とちょっと違ってた。
ず~っと思い続けた夢っていうのもなくて、ころころ変わってた。。

幼稚園生のとき、「スーパーのレジ係」。
母曰く、「レジの中のお金が全部自分のものだと思ってたっぽいよ」
・・・・がめついなぁ。。ちびっこの私。

小学校時代。
「和菓子職人」・・・近所の和菓子屋さんの主人と顔なじみになるぐらい
飽きることなくずっと、和菓子を創っている姿を見てた。
主人の手の中でリズミカルに出来上がる和菓子に夢中だった。

「藍染職人」・・・・テレビで後継者がいないと聞いて、あたしが!!って思ってた。

「花火職人」・・・・火薬球につめる火薬と色粉の量ひとつで、いろんな形・色がでること。
そして、なによりも自分の技術一つで美しい形になるかどうかが決まる
という職人技の部分と見る人にワクワクとした感動を与えられる
ところが好きで、本当になりたいと思ってた。
(思えばこれが一番長続きしてた夢かも。)

「大工さん(特に宮大工)」・・・・これまた、後継者が少ないことと
とことんまでの職人技な仕事であることが気に入ってた。

「体操選手としてオリンピックで金メダルをとること」・・・・時はバルセロナオリンピック。清風高校 西川・池谷両選手が大活躍した頃。
本気で体操選手になりたくて、市の器械体操教室に通ってた。

このころ地転・バク転をほぼ独学で体得したし、基礎編のブリッジからの直立もできた。
コンクリートの上でもぴょこぴょこ地転を繰り返して、飛んでたなぁ。
バク転は、ちょと用心して毎日芝生の上で練習してた。
まさにはまってた。一番はまったかも。

ある時、文集に「オリンピックで金メダル」と書くはずが、「"全"メダル」と書いていて、
当時好きだった男の子に、「『金』の文字間違ってるよ」って
言われて、ショックだったな。。。ちょっと蛇足の情報。

そんな私だけど、6年生の卒業アルバムには
「インテリアコーディネーター」って書いた記憶がある。
当時の私が、そんなかっこいい職業について本当に知っていたとは思い難い。
きっと、横文字の名前がかっこいいからといったような理由によるものだと思う。。。

そんなこんなで、ちびっ子の私はやたらと職人芸に憧れを抱いていたことは確か。

常に人とは違う何かがしたかったし、遊びも勝手に自分で考え出したものが好きだった。
考えるのも好きだったし、みんながそれを楽しんでくれるのが好きだった。

その反面何かを突き詰めることって全く努力せず。

両親の大反対を「絶対毎日練習するから」と押し切って習い始めたピアノ。
さ~~~っぱり練習嫌いで、いっつも先生に怒られてた。
どちらかというと、あきれられてたかも・・・。楽しささえも当時見出せなかった。

もう一つの習い事。
隣町まで一山超えていかなきゃならなかった習字。
その遠さゆえに大っ嫌いだった。

いっつも先生に、「あと何枚かいたら終わり?」って聞いてた。
やる気がでるのなんて、級があがったことを知らせるはがきをもらうときのみだった。
もちろん全然字が綺麗にならなかった。
当たり前か。。。

思えば当時からあたしは隣の芝生ばかりを追い求めてきたような。
そんな気がするなぁ。

ただ一つ筋が通ってるとすると、「人と違うことがしたかった」「手に職をつけたかった」
それだけかも。

これらの夢の中で最も夢中になってたのは、最も非現実的な
「体操選手になって金メダル♪」。
あれは、ほんとにはまってたと思う。毎日練習するのが楽しくて、夢中だった。

われながら変な小学生やったなぁ。



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