みんないいこ

みんないいこ

継母になる決意

 私が彼と結婚を決意した時、”れんれん”は彼の前妻さんが育てていた。だから正直自分が”れんれん”の継母になるなんて思っていなかった、2002年の春までは・・・。

 私は以前にも”れんれん”に会った事があった。それは”れんれん”がまだ1歳の頃、彼が”れんれん”と面会する日、2度ほど一緒にお出掛けしたことがあったからだ。その時”れんれん”はどう思っていたか分からないけど、今思えば、すでに「家族ごっこ」を体験していた。その時はまだ言葉もしゃべれなかったけど、だから余計にちょこちょこついて来る”れんれん”が可愛かった。そうそう、出掛けた先で聞いた夕方5時を告げる「ななつの子」のチャイム。”れんれん”の小さな手を握りながら唄って歩いたっけ。

 2002年お正月。バツイチの彼との結婚を決意し、郷里の母親と兄に話した。それを聞いた母は涙を浮かべた。自分の娘が選んだ相手はバツイチで子どももいる。その時点では養育費を払う事になっていたので、この先金銭的にも苦しい思いをするかもしれない。なぜそんな相手を選んだのかと私を責めた。7年前に病気で亡くなった父に顔向けができない、とまで言って・・。反対されることは予想していた。世の中全般の離婚経験者がどうのとかではなくて、少しでも苦労の無い幸せな結婚をして欲しい、と望む親心は理解できる。そしてぎこちないまま数日を郷里で過ごし彼の住む街へ帰った。

 その後、渋々ながらも親から結婚の許しを得て、ふたりでの生活を始める。その頃は私もフルタイムでの仕事をしていて1日があっという間に過ぎていった。家事と仕事の両立って結構大変。なんて思っていたが、その後まさか「育児」も加わるとは・・・。

 新しい生活が始まって3ヶ月。彼が切り出した「こどもを引き取りたい」と。”れんれん”のことは知っていたし、可愛いとは思う。だけど、自分が産んでもない子の親になるって?だいたい結婚する前はそんな話じゃなかったじゃん。と、頭の中が整理しきれないぐらいグルグルしていた。彼の言い分はこうだった。「彼女(前妻)は癇癪持ちで、このまま”れんれん”を側に置いておくのは教育上も良くない。金銭的な援助だけでは”れんれん”が良い環境で育つとは思えない」と言うものだった。私は即答できなかった。これ以上自分の親に心配を掛けたくなかったし、「会社員、妻、母」の三役を上手くやっていけるのかも不安だった。

 とは言え、彼は着々を子どもを引き取る手はずを進め、相手とも話をつけ、託児所(私立保育園)も見付けてきた。

いよいよ引き取る日が迫ったある日、私は彼に尋ねた。

「私が反対する、って思わなかった?」
「思わないではなかったけど、分かってくれるって思ってるから。」
「初めから子どもを引き取るつもりで私と結婚しようと思ったの?都合よく母親を探しただけなの?」
「そうじゃない。子どもはいずれ離れていくけど、君とはずっと一緒だよ。ずっと一緒にいたいから結婚を選んだ。」

 翌朝、目が腫れるくらい泣いて泣いて彼と話をした。まだ自分の選択が正しいか正しくないか分からなかったけど、彼と一緒に生きていく、と言う事は、その全てを受け入れなければいけないのだと自分に言い聞かせ、母にもそんな事を書いた手紙を送った。

 初めて届いた母からの手紙。

「あなたの手紙を読んでお母さんは涙がとまりませんでした。すぐにでも行って手伝ってあげたいと思いました。」

 この一文だけで私も涙が溢れ出ました。母は、私がそこまで決意しているのならがんばりなさい、と言ってくれた。ほとんど事後承諾で結婚相手を決め、結婚式も挙げず、親戚の手前など色々迷惑を掛けているにも関わらず、母は許してくれた。これが親の持つ「無償の愛」なのかなぁ・・とその時思った。

 こうしてふたりで始まった新婚生活4ヶ月にして”れんれん”が新しい家族の一員となり、私は一児の母となったのだ。

家族2


© Rakuten Group, Inc.
X

Design a Mobile Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: