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【少し巻いてきたキャベツ】 毎日、暖かい日がつづいていて、今年も暖冬のようです。 我が家の畑のキャベツも、すこしづつ中央部から巻き始めてきました。外側の葉っぱは、穴が開いているので、鳥が来て突いていると思われます。でも、我が家はネコがいますので、鳥の被害も少ないのではないかと思います。 この時期、鳥も餌探しに必死でしょうから、畑に何の覆いもなくキャベツがあれば、ネコがいないときを見計らって、当然たべると思われます。 鳥が食べても、たかが知れてますから、特に腹が立つこともありません。これから、どんどん大きくなるでしょうか。 今頃からでも追肥をしてやるといいと聞いたことがあります。少し鶏糞でも入れてやろうかしらとも思ってます。
January 27, 2007
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【盛岡の冷麺とビビンバ】 昭和29年に、朝鮮半島の北部咸興(ハムフン)で生まれた青木輝人氏が「食道園」を開業し、 盛岡で初めて冷麺が提供されました。 透明で、いわゆるゴムのような麺は青木氏が修行していた東京数奇屋橋の店 (現在は閉店)で既に出されていたそうです。 が、レシピはなく、地道な研究と舌の記憶のみで現在の麺を作り上げたのだそうです。 その後昭和40年代になると、食道園の味をベースに、各店で盛岡ならではの素材を使い、より地域に受け入れられるための工夫が加えられ、 盛岡冷麺はじわじわと普及し始めたそうです。昭和50年代、「ペコ&ペコ」のテレビ・ラジオCMで、 冷麺は一気に大衆化。平成元年には「盛岡冷麺」の土産品が発売され、辛いものブームに乗って一気にブレイク。 平成12年4月からは、「盛岡冷麺」の生麺に対し、本場・名産などの表示が公正取引委員会から認められ、 ついに盛岡冷麺は“本場”であることが認定されたとのことです。 【米沢牛のお土産】 米沢牛と万吉の由来 米沢牛の歴史はまだ日本人が四つ足の肉を食べ始める前の明治4年にさかのぼります。この年上杉藩(米沢県)では、英国と大変な条約を結び、藩校興譲館(現在は高校)に、横浜に居留中の貿易商、チャ―ルズ・ヘンリ―・ダラスと言う紳士を英国語教師として招きました。 師はこの時、コックの万吉という青年を連れて赴任したそうです。彼に牛肉料理を作らせたのが、米沢牛の始まりだそうです。明治8年任期を終えて、居留地横浜に 米沢牛1頭を持ち帰ったため、この美味を、ハイカラな街の外国人たちが世に知らしめてくれたとのことですす。
January 23, 2007
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【山形県上空】 弘前に行く日は、雪が降ってもおかしくないような寒い日で、羽田空港は雨でした。雲を突き抜けて北上しましたが、山形県上空付近は晴れていて、地上がよく見えました。あわててカメラを取り出して1枚写しました。山の上には雪が積もってました。 【青森空港から弘前に向かう】 青森空港では、どんよりとした空から、雪がちらちらと舞い降りていました。空港付近は70cmぐらいの積雪。 空港から弘前に向かう途中は真っ白な雪景色で、北国へ来たことを実感しました。
January 20, 2007
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【高岡の大仏】 ここ1週間ほど、富山、金沢、長岡、弘前、盛岡、米沢と、仕事で回ってきました。各地の状況を思いつくままに・・・。 高岡の大仏は、奈良大仏(752年)、鎌倉大仏(1246年)と並んで日本三大仏に数えられ、「銅器のまち」「ものづくりのまち」である、富山県高岡市のシンボル的な存在となっています。 高岡大仏は、1221年頃、摂津国の源義勝が越中に移り、二上山麓に1丈6尺(約5メートル)の木造大仏を造営したのが始まりで、その後、1609年に前田利長公が今の場所に移設したとのことで、長年にわたって高岡町民に親しまれてきたとのことです。 大仏の近くで休んでいると、町の方が時折訪れてきて、手を合わせていきます。 【高岡古城公園】 慶長14年(1609)、加賀藩2代藩主前田利長が開いた高岡城は、大阪夏の陣の後廃城となりましたが、美しい水濠や土塁は残されて、約21万平方メートルの広大な城跡公園となり、四季それぞれに、鮮やかな自然美を見せてくれるとのことでした。 高岡は、静かで落ち着いた町です。
January 19, 2007
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【Sさんのお別れ会で歌う】 平成19年1月13日(土)の今日は、男声合唱仲間のSさんのお別れ会が開催されました。 Sさんは昨年秋、体調がおもわしくなく入院していましたが、お正月をまじかに控えた年末に退院したやさきの12月29日に亡くなられたとのことです。 病気とはいえ64歳という年齢は、亡くなるのにはあまりにも若く、信じられない思いがしました。 Sさんは船社に勤務していて、長い間タンカーのキャプテンをしていたそうです。一度航海に出ると、年に1~2度返ってくるぐらいだったそうです。 そのうち年をとってきて地上勤務になったそうですが、世の中は低成長、不況の時代に入っていて、ずいぶん苦労をされたようです。 性格も穏やかで、まじめな方だったので、リストラなどを断行したりするのに、大変な思いをされ、身体をこわされたのではないかと推察しています。 お別れ会には、ご親戚をはじめ、もとの会社関係者、友人、ご長男の会社関係者などがたくさん集まリ、故人のお人柄を感じさせる思いがしました。 弔辞や弔電の披露があり、お別れ会の最後に、我々の合唱団で、Sさんを偲んで「野ばら」「希望の島」「遥かな友に」を歌いました。 Sさんまで、歌声が届いたでしょうか・・・。 御冥福をお祈りいたします。
January 13, 2007
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【いなかのマミちゃん】 実家に行くとマミちゃんがいます。マミはカリカリ以外のものはほとんど食べません。缶詰めのえさも、魚も、鰹節も、興味がないのです。珍しいネコです。 親がノラで、実家の縁の下で子供を3匹生んだうちの1匹が、このマミです。小さい頃からカリカリを食べていたということですが、普通は人間と同じように、同じものだけでは飽きると思うのですが・・・。 私が時々実家へ行くため、私のことを覚えてきたようです。まだ2歳ぐらいですが、じゃれたりするのが大好きなネコです。
January 10, 2007
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【結婚後、初めて作った味噌汁】 昨年12月、実家の義父が入院し、その看病をしていた義母も入院しました。年末に両親とも退院して一緒にお正月を迎えましたが、母が看病疲れで再度入院したため、父も入院となりました。 そんなこんなで家内はしばらく実家にいることになりました。 我が家では長男、長女とも既に就職しており、自分のことは自分でやることを基本に生活しています。とは言っても下着の洗濯、ネコの世話は娘がしてくれるので助かっています。 私も休みの日の夕食のおかずをスーパーで買ってきたりしています。昨日は、結婚してから初めて味噌汁を作りました。 沸騰した鍋にジャガイモ、たまねぎ、ちんげん菜を刻んで入れて少し煮詰めた後、味噌、鰹節を入れて、はい、出来上がり。 結構おいしい味噌汁が出来上がりました。
January 8, 2007
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【にんにくの芽】 昨年秋に蒔いたにんにくの芽が出てきました。殺風景な畑の土から、しっかりと芽を出し、1月の寒い風ももろともせずに育っている感じがします。 にんにくは血液をさらさらにするそうで、がんの予防などにもなるとか・・・。この芽の下に、にんにくのタマができるようです。収穫したら、毎日2粒づつ食べようと思います。
January 7, 2007
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【会津で迎えたお正月】 年末年始を会津若松で過ごしました。元旦に、家内の実家から歩いて10分ぐらいのところにある“諏訪神社”に、お参りに行ってきました。 ちょうど、境内に消防車が1台止まっていて、消防夫の方がお払いを受けていました。年末に降った雪が、神社の屋根や参道に残っていました。 ここは、わが家にとっては思い出の神社です。 お正月を若松で迎えた時は必ずお参りをして、破魔矢を買ってきます。また、子供が生まれた時に、最初に連れて行ったのもこの神社です。 正月三が日には拝殿の脇にお神酒(樽酒)が置かれ、無料でふるまわれます。これがまた、いい。雪がちらつく寒い日でも、冷たいお神酒をいただくと、ジワッとほのかに甘い香りが広がってきます。 今年のお正月は雪は降っていませんでしたが、これまでお正月にここで手を合わせたときの事を、少しづつ思い出しました。
January 4, 2007
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【みかんの冬支度】 明けましておめでとうございます。 今年もよろしくお願いします。 年末年始を家内の実家である会津若松で過ごしました。 会津若松では、年末に雪が降って道路や庭には10cmぐらい、雪が積もっていました。 でも、お正月は風もなく、暖かで、穏やかな日和でした。 昨年末にホームセンターで買って来たみかんの木を畑に植えましたが、寒くなるにつれて葉っぱの元気がなくなってきました。 もともとみかんは静岡や愛媛など、暖かい地方で育つ樹なので、寒さには弱そうです。 物置にわらが残っていたので、周りを覆ってみました。これで冬の寒さがしのげるかな・・・と思いつつ・・・。 でも、全部覆ってしまったら、まずいかな・・・という気がしましたので、上の方は幹が出ています。こんなもんでいいのでしょうか・・・。 全くの自己流です。
January 3, 2007
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