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(by iwasaki chihiro san)「火星人になって自分を見ることが大切です」「・・・・へ?」春から少しずつ学んでいるカウンセリングその授業の中で先生が突然火星人になれという・・よくよく話しを聞いていると・・・「自分の存在を遠くから見ると自分のことがよく分かる」という意味だと気づくなるほどなぁ・・何かに直面し、抱え、押しつぶされそうになる時未来どころではなくなっていく過去と今でいっぱいになって前に進めなくなるような時が私にもあったそんな時、狭くなっていく自分に「大丈夫だよ」という選択肢があることには気づきにくい私たちは自分が中心に世界がまわっているから今起こっていることが自分の全てになりがちあ、たまに火星人になろっとそうやって、自分を知りながら自分と向き合い誰かとも向き合いながら「大丈夫だよ」って火星人になってささやきたいな~(ちょっと恐いか・・)
2008年09月26日
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「うしろを歩かないで。わたしが先導者になりませんように 前を歩かないで。わたしが従者になりませんように 並んで歩いて。わたしの友人であって下さい 」最近出会った素敵な言葉いろんな人と関わっていく時何も言えなくて黙ってしまう時がある言い過ぎてしまう時もある土足で誰かの心に入ってしまったりもう誰とも関わりたくないと思う時もあるそんな時私は誰かの上に立ったり下に立ったりしてる2007年の暮れからずっと心にある聖書の言葉「喜ぶものと一緒に喜び 泣くものと一緒に泣きなさい ローマ書12:15」簡単そうで難しい一緒にいることはできる一緒に笑うこともでもいつのまにかバランス感覚がわからなくなって凸凹になる今日はぽかぽか陽気に誘われて庭の金柑を収穫金柑の枝のとげにちくちく刺されながら「何をそんなに一生懸命身を守る必要があるの?」金柑の木に話しかける金柑の木は私にそっくりそのまま同じことを聞いてきた(笑)深呼吸眉間のしわより笑いじわの方がいい凸凹したなら並んでもう一度スタートすればいいんだんだそうだ!フィリピンでバナナやさとうきびの繊維を利用して紙漉きやデザインをしている弟が、以下に出展中!もし良かったらのぞいて見てくださいね~!新作を数点含んだ大型紙タペストリー(4mx135cm)と小型版何点かを20点ほど天井からつるしてもらうはずとのこと。 会社名はMEDIです。“サステナブルな紙展” 会期 2008年2月21日(木)~3月4日(火) ※水曜日(祝日を除く)休館 時間 10:30~19:00 会場 リビングデザインセンターOZONE(3F OZONEプラザ) 〒163-1062 東京都新宿区西新宿3-7-1新宿パークタワー 主催 東京造形大学・大学院造形プロジェクトチーム 入場料 無料 問い合わせ先 03-5322-6500(10:30~19:00 水曜日休館) ホームページはこちら
2008年02月19日
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この間、父が一枚の新聞の記事を切り抜いてくれた。それは、元野球選手の石毛宏典さんの記事私は野球は詳しくない恥ずかしいことだが石毛選手を知らない・・しかし、父は、記事の中の2行を私に読ませたかったらしい『サイン:最近は「根心」と書く。土中の根も心も目には見えない 大切なものは見えないの意 』そう書かれていた。”根っこの今”のテーマと一緒だ!そして本文には、彼が四国で始めた「四国アイランドリーグ」について。私は、”生きる事”に一生懸命な一人の人を感じた。人の根っこである「心」を大切にしている。びんびんと伝わってきた。(関心のある方は・・23日の朝日新聞be on saturday)(うちの畑のねぎぼうず)根の心・・久しぶりに、原点に返ったそして思った心が、花として現れ私の気となり、生活にしみでてくるんだというあたりまえのことそして、ふと思い出した詩がある「自分の感受性ぐらい」茨木のり子ぱさぱさに乾いてゆく心を人のせいにはするなみずから水やりを怠っておいて(前文はフリーページに載せてあります。)私もみずやりしなくちゃな!
2005年07月26日
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(写真:畑に咲いた花)父の日に参加した教会のメッセージでこんな言葉が心に留まった。「"愛する"という言葉・・ 日本人はあまり使わないけれど それを違う言葉で表現すると・・・ 相手を尊敬する 相手に感謝する 相手を励ます 相手を許す という事ではないか 」あ~、わかりやすいなぁと思ったそして励ますというのが新しい感じだった身近にいる人を励ましたりすることって今まであまりなかったかもなぁなんだか照れくさいしお互いに嫌なところも見えてしまったり・・遠い友人を励ましたり、ありがとうって言ったりはするけれど・・日々の中で、少しだけでも意識して生活したい・・・生活しようそんな事を思う
2005年06月23日
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(ちひろさんの絵:虹の橋)今日、ある会合に出席。胸に響いた言葉。「自分の目におかしい事でも、他の人の目にはおかしくない事がある。それぞれの、違った正しさがあって、絶対に正しい。という事なんてないんじゃないか。それぞれがどこか欠けていて、どこかおかしい。欠けている者同志が関わっていく中で、互いに気づける事がある。」関わりあう機会の少ない時代。それは、自分の弱さに気づかなくてもすむという時代。人と関わっていると、間違った自分も、みじめな自分も、弱い自分も見ざるを得ない。そして相手のそれも見えてくる。避けては通れない。そして、自分の正しさを主張したくなる。「絶対・・」「普通は・・」「常識的には・・」「一般的には・・」無意識のうちに口から飛び出る言葉たち。人の数だけ”普通”がある。人の数だけ”弱さ”がある。人の数だけ”素敵”があるのだよね・・。自分に理解できない事も、受け入れられない事も日々、たくさんある。面倒くさい事もある。でも、そんな多様性をexclusive(排他的)ではなくinclusive(包括的)に向き合って生きること。人を受け入れること、それは、赦すことでもある。そして、自分も、赦されて生きている。Inclusiveであるというのは、平和への近道なのかもしれない。そんな事を気づかされる夕べでした。
2005年05月14日
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(佐倉市川村美術館の散策路にある“かりん”の花)学校で、車の「HONDA」の創設者の話しを聞いた。その方(ごめんなさい、名前は忘れました・・)の言葉「98%は失敗。2%が成功。失敗を許してくれた人々を私は忘れない」あ~・・・。4月10日の日記、「学びの機会」にも書いたのだけど、あらためて思う。なんて多くの人に私も支えられ、許されてきたのだろう!あの日記を書いた後、両親と話しをしていた。私は、小学校の頃、自分で物事をあまり考えられず、ものわかりも良くなくて、夏休みの宿題の読書感想文も、何を書いていいやらわからず、姉に、「読書感想文はどうやって書けばいいの・・・」と聞いていたのだそうだ。自分の意見もなかったし、考えろと言われれば言われるほどあせってしまっていたのだと思う。ただ、そんな不器用な私を、受け入れ、可能性を伸ばそうと向き合って下さった多くの方々を想う。私の98%の失敗や弱点を許し、2%の可能性や個性をいつのまにか引っ張り出して応援してくれている。私も、2%を見つけられるものになりたい。自分の2%、そして誰かの2%!そしてその陰にある、根っこの部分でその人を支える98%の失敗や欠点を見守れたら、どんなにいいだろう。
2005年04月18日
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私の通う職業訓練校コースは、「マネージメント情報システム科」昨日から、「経営戦略と経営革新」についての講義が始まった。私のことを知っている方は、「ついに気が狂ったか・・・」と思うだろうなぁ~。それほど、私には縁遠く思える分野でもある。でも、これがなかなかおもしろい。専門用語が並んで難しいけれど、この経営戦略の土台にあるのは、「ビジョン」であり、「リーダーシップ」なのだと思う。いかに、掲げているビジョンをアクションに移せるか。リーダーが、いかに自分の言葉・自分の行動で具体的にスタッフにビジョンを伝える伝道師になれるか。それが大切なのだと・・。根っこ通信に、1年前こんな事を書いた。(以下) #5(2) 「人間らしく?」リーダーと呼ばれている人たちがより「人間らしく」なる。そしてリーダーとは、誰か特定の人を指すのではなく、日々の生活の中で、それぞれの機会に、違う方法で人を刺激し、導き、また何かを作り上げていく「みんな・人間」を指しているのだと思う。そして私たちがそれぞれの立場で「いのち」を大切にした生き方を選んでいけるんだと思う。リーダーっていうと“権力”がついてまわるから、リーダーなんて言葉もういらないのかも。皆さんどう思いますか?(根っこ通信、フリーページに掲載しています)そして、1年後の今も、その想いは変わらない。自分の持つヴィジョンや価値観を、どうやって私たちの生活の中で生かしていけるのか。口だけではなく、生きるその姿で・・・。先生はそれを「伝道師」と読んだ。皆がリーダーであるならば、皆が伝道師。生活の中で、何かを互いに伝えていける!こんな風に、感覚で学んでいるから、経営戦略も、人生論みたいになってしまう。試験がないから良いけれど、あったら大変!さて、明日にまた期待して。
2005年04月14日
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99年度、アジア学院で学び始めた頃から、通信を知り合いの方に送らせていただいている。毎年1回。時に2年に1回。その名も「根っこ通信」。第6号が出来上がった!この通信作りは、私にとっても自らの一年を振り返る良い機会。また、発送する際に、自分の人生で出会った一人ひとりの知り合いの方を思い出し、感謝でいっぱいになる。ドバイ日本人学校6年生の時お世話になった、先生からのお手紙にこんなコメントがあった。“今の教育に加えて育てるべきことは、「意欲」であり、 「個性」であり、「豊かな心情」ではないか。”アジアで出会った子供たちを想う。学校に行きたくてしょうがない彼ら。学校の帰り道には思いっきり遊び、やんちゃな彼ら。遊びの中から、体で人間関係を学び、家に帰ると、いっちょまえに鶏のと殺もこなしてしまう彼ら。 学校で学ぶのが当たり前になると、そのありがたみを忘れてしまうのだと思う。自然も私たちの前から消え、食べものも買うものになる。自分たちが食べているものが、命あったものだなんて気づく事もなく、当たり前のように目の前にあるものを食べる。物が豊かになり、いろいろな事が「あたりまえ」になってしまった時に、どれだけその「あたりまえ」を乗り越えて創造的になれるのか。先生の言葉から、そんな事を考えていた。 写真は、昨年9月に訪問したカンボジアで働くNGOワーカーの友人(アジア学院同級生Yさん)の活動する村の子供たち。
2005年03月04日
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今日、本屋さんで出会った素敵な本「ちひろBOX」 12月に女の子が生まれたばかりの姉に送りたいと思った。ちひろさんの絵にはこどもの素を感じる。やさしさも、やんちゃな感じも、そしてさびしさも。この本の中の、さだまさしさんの言葉が印象的だったのでちょっとご紹介。========ちひろが問いかけてくるのは僕の魂の根元です。あなたはだあれ、あなたはどこから来ましたか?あなたはどこへ行きたいのですか?あなたはどんな風に生きたいですか?大切なものはなんですか?そのたび僕は困る。全部がわからないからだ。だからちひろに問い返す。生まれてきてよかったんですよね、と。ちひろは必ず答える。もちろんですよ、と。そうして最高の少女の肖像を僕に贈る。僕はその度に、その子のためにもう少し生きよう、と思うのである。=========私も、ちひろさんの絵を見ていると、生きる勇気がわいてくる。人はいろいろだけど、生きていこうって、何か新しい表情や、出来事に今日も、明日も出会えるような気がする。
2005年02月28日
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今日、友人と話しをしていた時に出会った素敵な言葉「こどもには、手をかけるんじゃなくて、目をかける事が大切。」私は子育てしていないけれど、すごくうなずけた。子育てだけではなく、日常の人間関係の中でもこの言葉はあてはまると思うから。「こうして」「ああして」「どうして?」と相手に要求してしまう事が多い。心配だから、出すぎた事をしてしまったり、信頼して待つ事ができず、相手を傷つけてしまったり。あ、神様も私たちにあーせい、こーせいと言わない。それよりも、目をかけて、信頼して、見守って下さっている。感謝だなあ。そんな事を話していた。
2005年02月27日
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