ありがとうのホームページです

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親鸞さん

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 恐れる必要がないと言われても、人間にはできない相談です。
ですから、恐れがあっても、そのままに恐れを超える他に方法は
ないのですね。恐れそのものに立つといえばいいでしょうか、
「地獄は一定すみかぞかし」という言葉のとおりです。

苦悩を人間的努力で解決しようという立場を超えた、その新しい
立場を「本願」という言葉で聞いてださるのが、親鸞の立たれた
「本願の宗教」であると思うのですね。

 自分が苦しいから、「ナンマンダブ、ナンマンダブ」と念仏して
苦しい心を消すのではないのです。もしそうであれば消すための自力
の方法になってしまいます。

 そうではなくて、私の苦悩を消すために名となってあるということを
深く信じて称えればよいのです。称えてからどうにかなるのではなく、
称えるところに助かる。称えてから助かるのではないのです。

     (はじめての親鸞:本多弘之 著)聖文社
 森田療法に似ていませんか?


 (南無阿弥陀仏と)こちらから仏に呼びかけるというのでなく、
仏の方から呼びかけられているというのが念仏だということです。
それは仏を念ずるのでなく、仏に念じられる念仏ということです。

 こちらから呼びかける念仏では応答はないのですが、それは、
仏に応答がないということではなく、仏の応答は私たちに呼びかける
というかたちをとって現れているということです。すなわち、呼びかけ
と応答は一つであるということです。

     (歎異抄 最後の一人を救うもの:古川 泰龍 著)地湧社



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