今が生死

今が生死

2012.03.24
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カテゴリ: 政治
大学の同窓会雑誌に87歳の先輩、竹村敏雄氏が「日本人の国家観」という一文を載せていた。

終戦時の思い出として敗戦は間違いなかったのに、新聞もラジオも敗戦の言葉は一切使わずに終戦という言葉だけが使われていたと記している。その理由は敗戦後でも特攻隊の訓練を受けた復員兵が沢山いたので、命を捨てて突っ込んできた特攻隊を大変恐れていたアメリカ軍はそれらの復員兵を恐れて敗戦の言葉を使わせなかったとのことである。

歴史的事項として、本当はどうだったのかを検証しなければならないが、興味ある事だと思った。私は敗戦より終戦の方がメンツが保てるような気がしたし、かっこもよかったので気に入っていた。そして終戦の言葉を国全体に広めたのは、日本政府であり、日本のマスコミだと思っていた。しかし本当はアメリカGHQがそうしたのだと言われてみるとそういえばそうだなと思えた。

GHQは教育から経済や広報すべてを統括して取り締まっていたので、日本人が敗戦を終戦と言い合っていてとんでもないということになれば直ちに「敗戦だ!」の指令が出された筈である。


敗戦も終戦も戦争が終わったことでは変わりないが、人々の心に与える影響は格段に違う。敗戦なら「負けて悔しい、かたきををとる」とか「いつか必ずアメリカを打ち負かしてやる」などの反骨精神が芽生え、占領軍との小競り合いや小戦争が続いたかも知れない。

終戦ならあいまいなので、「戦争が終わってよかった。」「日本は負けていない。仇などはいない」など反骨精神が全くない骨抜きの人間が育つことになったのだと思う。それはアメリカの思うツボだったのである。

今からでも遅くはない。日本はあの時完全に負けたのだということをしっかり認識するべきだと思う。





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Last updated  2012.03.25 10:14:29
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