imimiのリトリーバル日記

imimiのリトリーバル日記

冥王星



冥王星に到着しました。

一言で言うと、外観は茶色の月です。

月に非常によく似ています。

大気は存在していない印象を受けました。

なぜなら、地表に降り立ったとき、地平線と宇宙空間がつながっていたからです

(ただ、2回目に訪れた際には大気のような存在も感じられました)。



フォーカス49へと向かいました。

近未来都市的風景が見えてきました。

「宇宙ステーション」の文字が見えました。

しばらく景色が揺らぎ、前方に人の姿が見えてきました。

小さな人です。おそらく身長は1m程度でしょうか。

いわゆる宇宙人といった容姿です。

「オコツト」の文字が見えました。


「マジっすか?!」「オコツトだ。」

こう告げてくれているのは、多分モンローさんだと思います。

後でわかったのですが、オコツトとの交信を全面的にバックアップしてくれていたのは、モンローさんだったみたいです。

オコツトと話しているときにこにこしながらこちらを見ているのが感じられ、そのように伝えられたからです。



早速オコツトに聞いてみることにしました。

「あなたのお話の中で一番印象に残っているのは、太陽系の話です。太陽系の本質とは何ですか?」

「人間そのものだ。」

(???・・・(以下、心のつぶやきです)・・・こんなことで驚いてはいけない。確かそういう話もシリウスファイルにあったはずだ・・・)

「ところで、あなたは自分がオコツトだということを証明できますか?」

「無理だ。」

「・・・では、あなたが本当にオコツトならば、あなたしかできない話があるはずです。あなたしかできない話をしてもらえますか?」

「太陽系は海だ。」

「は?」

「意識の海だ。」

まあ、それなら理解できないこともないですけど・・・

これについては、あとでご紹介する太陽系(この宇宙)の起源について説明してくれようとしていたのかもしれません。

「つまり、意識の海のような状態から太陽系が生まれたということですか?」

「そうだ。太陽系は7日でできたのだ。」

「?!?!?!?!(←混乱中の私)

・・・つまり、そのくらい短時間でできたということですか?」

「時間という概念では言い表せない部分もあるが、そう考えていい。」

「それはどういったプロセスで?」

「原子転換のようなものだ。」

つまり、この宇宙全体、すべてのモノの組成が一瞬にして変化することで宇宙全体が新たに創造されたというあの有名な話のことをいっているみたいです。

「それは、われわれの前時代のものによって成し遂げられた。」



続いて、あの驚くべき話を聞いてみました。

「宇宙には太陽系しか存在していないというのは本当ですか?」

「本当だ。」

「?!?!?!?!」(←混乱中)

「でも、ちょっと信じられないな~本当ですかぁ~?だって、太陽系の外にあるプレアデスとかアンドロメダとかちゃんと見えてますよ。」

「それは君達の内的世界の表れだ。」

「夜の空に見えている星はすべて内的世界の表れだと。」

「そういうことだ。」

「では、太陽系はちがうんですか?太陽系は人間そのものだと。」

「基本的にはすべて内的世界の表れだが、これはとらえ方の問題なのだ。」

「なるほど、そういうことだったのですね。」



「あなたがわれわれのもとにきた目的はなんですか?まさか、地球征服じゃないですよねぇ~?」

「君達の意識改革をもたらすためにきた。」

「意識改革?それは2012年問題とかかわっていたのですか?」

「もちろんそうだ。そのための準備としてああいった情報をある時期与え続けていた。」

「その意識改革というのはどういったプロセスで行われるのですか?」

「まずは、凝り固まった古い考え方を解きほぐす。

そののち、内的世界の探究に向かわせる。今君達がやっているようなことだ。

それによって意識改革が達成される、こういうことだ。

今へミシンクを含めた精神世界系のことに興味を持っている人間は、その先駆けのようなものだ。」

「そうすると、やがてはすべての人類がそのような内的世界の探究の方向に?」

「そういうことだ。」



「なるほど~ ところで、へミシンクってぶっちゃけどうなんでしょうねぇ~。良いものですか?、それとも悪いものですか?」

「モノ自体は中立的なものだ。問題はそれを人間がどう利用するかだ。へミシンクそれ自体が良いか悪いかではない。」

「なるほど~納得です。」

我々の宇宙がホログラフィック宇宙であるという前提で考えてください。

もしそうなら、たとえばですが、「煙草が体にとって悪影響である。」というのも、ひとつのものの見方にすぎず、

煙草が体にとって良い影響をもたらす等のポジティブな考えしかもたなかった場合、煙草は体にとって良い影響しかもたらさないはずです。

へミシンクの話もこれと同レベルの話なんだと思います。




「愛について聞きたいのですが。あなたはシリウスファイルの中で愛についてあまり語らなかったと半田さんが述べられているのですが・・・

そして、愛とは単なる始まりにすぎないなどといって愛を軽視するかのような印象も読み取れましたが。」

「彼にとって受け入れられやすい形で情報提供する必要があったからだ。

愛そのものを軽視しているわけではない。愛とは空気のようなものだ。

あって当たり前のものなのだ。この宇宙は愛というエネルギーによって作られているのは紛れもない事実だ。

すべては愛によって始まり、やがてはすべての存在が愛に返っていく。」

「やはりそうなのですね。」

「そうだ。」



ただ、この辺は、私の先入観や間に入ってくれている高次の私への配慮があるように思います。

つまり、「愛」を重視するのは、その存在がこの宇宙に存在しているからで、いわば「我々」の視点から物事の本質を見ています。

それに対して、オコツトはこの宇宙には存在しておらずわれわれとは全く異なったエネルギー系に属しています。

ですから、オコツトにとっては「愛」すらも中立的な視点から見ることができる、こういうことなのかもしれません。

それに対して、通訳をしてくれている高次の存在は、いわば私の目線に立って物事を解説してくれている、こういった大きな違いがあるという点をご理解ください。



「あなたは先ほどこの世界が前時代の人間によって作られたと言っていましたよね?その編のことをもう少し説明してもらえますか?」

ここでオコツトが地面に模式的に図を書いて説明してくれることに。地面に円を描いて、円の上のほうに「アトランティス」と書かれていて、円の下のほうに「ムー」と書かれてありました。



「つまりこういうことだ。ムーは定質系の流れ(おおざっぱに言うと陽のエネルギーの流れ)、すなわち人間の進化の方向性を示している。

それに対して、アトランティスは性質系の流れ(おおざっぱに言うと陰のエネルギーの流れ)、すなわち人間の退化の方向性を示している。

今の地球は、前時代の進化の方向性に向かった人間によって作られたものだ。そして、それを享受しているのが、退化の方向性に向かった人類だ。

そして、これから進化の方向性に向かうことになる人類は、新たな地球を生み出し、それを再び退化の方向性に向かった人類が享受する、こういうことだ。

つまり、人類とは常に、自分で自分の住む世界を創造しながら生活している、こういうことなんだ。」



このことは、高校の生物の時間になんかに習うような、エネルギーの循環モデルを念頭においてみるとわかりやすいかもしれません。

つまり、エネルギーというのは常に循環しているといった話です。

つまり、エネルギーの形態は常に移り変わっていくけれども、常にどこかで存在していて、ぐるぐる回っているみたいな感じでしょうか。

1滴の水が地表から蒸発し、雲になり、やがては雨となって再び地表に返ってくる、みたいな。

そういった水、エネルギーの循環のようなものが、人間にも起こっている。

それが、上でオコツトが言っているムーの定質系の流れとアトランティスの性質系の流れなのです。



ちなみに、「進化」、「退化」それ自体には、われわれが想像しているような良い、悪いといったニュアンスはまったくないという点にご注意ください。

オコツトはあらゆる事象を中立的に見ています。

オコツトがあまり愛を重視しないのも、われわれとは全く異なる次元にいて全く異なる価値観をもって存在しているからだと思います。

すべては自分で選択して決めたことですから。基本的にはどの道にも進むことができます。

また、ムーとかアトランティスという言葉にもご注意ください。

現代考古学上、ムーやアトランティスは伝説上の大陸であると考えられているようですが、

オコツトはこれらはかつて地球上に実在していたと考えているのみならず、

人間精神の進化の方向性としてムーの話が、退化の方向性としてアトランティスの話が出てくる、こういうことのようです。

しかも、それ自体に良い、悪いという価値観は一切含まれていないという点にご注意ください。

ムー(進化の方向性)が良くてアトランティス(退化の方向性)が悪いわけではないみたいです。

もちろん、ムーが進化でアトランティスが退化というのも、あくまで全てをエネルギーの作用としてみるオコツトの視点から見た話ですので。



最後にオコツトはいったいどこから来たのかについて聞いてみました。

オコツトは私にはすぐ眼の前に見えていましたが、オコツトの「主(ぬし)」は別のところにあるとのことです(「主」(ぬし)という言い方をしました)。

はっきりとそういった印象が感じられました。

つまり、オコツトは別次元にエネルギーとして存在していて、厳密には今私の目の前にはいない、こういうことです。

オコツトによれば、自分は「『系』のはざまに存在している」みたいな印象を投げかけてきました。

このときに見せられたビジョンは、宇宙球がたくさんあって、その宇宙球同士を何らかのエネルギーによって調整している様子でした。

オコツトは宇宙球の中に入ることはないみたいです。常に外にいて宇宙球相互を調整している感じです。

オコツトは、自分は「調整役」だと言いました。

オコツトのいう「系」とは「エネルギー系」のことで、それぞれの意識が織りなす「次元」、「宇宙」と言い換えてもよいみたいです。

つまり、オコツトは、「系」と「系」のはざまにあまねく存在する「ある種の意識をもったエネルギー」だというのです

(オコツトのいう「系」というのは、「宇宙」のことのようです。これには物質的宇宙もあれば、非物質的宇宙もあるようです。)。

「それは、愛のエネルギーとは別のものですか?」

「それとは別だ。」

実際、オコツトからは我々の高次(たとえば「本来の自分」)のような生命エネルギーは全く感じられません。

中性的なのです。



オコツトはマクロレベルでも宇宙球相互の調整をしていますが、ミクロレベルでも同様の調整役をしているみたいです。

オコツトによれば、この世界は、マクロレベルとミクロレベルにおいて相似形をなしていて、

今我々が外の世界(マクロレベルの宇宙)としてみているものはすべてミクロの世界(内宇宙)にも存在しています。

つまり、私達は、内宇宙にあるものと同じものを今外宇宙として「見ている」わけです。両者は本質的には同質なわけです。

ですから、オコツトの役割は、外宇宙球同士の相互の調整役にとどまらず、内宇宙球(我々の意識が顕現した各人のエネルギーフィールド)相互の調整役もしているらしく、

あらゆる場面において緩衝剤、ないしは調整役というエネルギー相互間の調整役をすることにあるみたいですね。

言葉にすると複雑なんですが、気にせずスルーしてください。



ちょっと補足しますと、ここら辺は私の理解を越えているのですが、われわれのいう非物質界というのは、F21以上の世界では時間や場所の拘束を受けないと教わってきました。

シルバーバーチなんかも、非物質界も物質界もすべてが融合しており、どこか特定の場所に非物質界があるわけではないということを以前言っていました。

ですから、私はずっとその理解できたわけです。

しかし、オコツトの話によれば、物質的宇宙球と非物質的宇宙球、そして、非物質的宇宙球同士、これらは一応区別して領域として存在していると理解しているのかもしれません。

あるいは、シルバーバーチのように全てが融合していると理解したとしても、オコツトの話は一応説明できるようにも思います

(シルバーバーチの考えは、あるのは一つの世界のみで、そこにあらゆるバイブレーション(振動数)に応じた世界が融合して存在しているという考えです)。

シルバーバーチの考えによったとしても、バイブレーションに応じた無数の世界が一応存在していると考えることができるので(すべて重なるように融合はしているものの振動数に応じた別世界が別個に存在していると考えますから)、

そのそれぞれの世界を各宇宙と考えれば、オコツトの調整役をしているという話も同じように理解して考えることができるからです。

この辺はちょっとわかりづらいですから、そのままスルーしてください。



「意識が織りなすこういった宇宙、次元というのは、ほかにも無数に存在すると考えてもいいわけですね?」

「そうだ。」

「それは入れ子構造になっているのですか?つまり、あなたが『シリウスファイル』の中で伝えているようなホロニック・ペンターブのことですが。」

「違う。すべて並列的に存在している。それが無限に続いているのだ。」

ホロニック・ペンターブというのは、オコツト独自の空間認識のことで、入れ子構造のようなもののことを指しています。

要は、この宇宙の外には無数の宇宙があり、それらはさらにひとくくりになって大きな一団を形成し、

さらにその大きな一団が無数にあってそれらがさらに大きな一団となり・・・といった構造、

つまり、入れ子構造には宇宙球同士はなっていないということです。



<2回目の探索>

やはり、月に非常によく似ている外観をしています。

大気はないと思いましたが、もしかしたらあるのかもしれません。

白っぽく見えるところがあります。

これは氷なのかそれとも大気なのかはわかりませんでした。

そのまま冥王星の高次元の領域へと向かいました。



中に吸い込まれるようにして入っていきました。

暗闇の中、しばらくしてどこか地面のようなところにみんな立っていました。

ここから自由行動らしいです。

前回きた宇宙ステーションかもしれません。

実際に宇宙ステーションとして使われているのか否かは謎ではありますが。

私はモンローさんの指示で、オコツトに会いに行くためにさらに別の宇宙船を使って高次の領域へと向かうことになりました。

その時、メンバーの誰かから私達が行くところを見られているのを私は感じていました。



私達は宇宙船に乗りこむと、さらに高次の領域を目指して上昇していきました。

フォーカス50以上を越え、さらに上昇しました。

着いたのは、フォーカス63でした。一面、白っぽい世界で大雲海の上にいる感じです。

目の前にオコツトが現れました。

背は小さいのですが、なにかしら知的な表情をしています。

はじめ女性的な雰囲気に感じられたのですが、性別はないのかもしれません。

中性的な感じがします。

顔は、どちらかというと人間に近いかもしれません。

それでいて慈愛に満ちた表情というか、知的さが表情ににじみ出ている、そういった感じがします。

以下のオコツトとの会話は、モンローさんや「本来の自分」の助力を得つつ行ったものです。



オコツトに2012年問題について聞いてみました。

これを聞いたのは、いつものように最近の私のへミシンク体験の流れ的なものを感じていたせいかもしれません。

私のへミシンク体験は何の脈略もないように見えますが、互いに関連しあっていることが多いからです。

オコツトに、先日私がマシュー君から言われた、2012年以降人類が3つの方向性に進むということについてビジョンを見せてほしいと言ってみました。

すると、かまわないということになりその様子をちょっとだけ見せてくれました。 



まず、進化の方向に進むパターンからです。

明るい日差しの照りつける中、草原の上にたくさんの動物が寝そべっています。

よくありがちな肉食獣と草食獣とが互いに寄り添っているようにして近くにいる感じです

(個人的にはこれっていったいなんなのだろうと思いますけどね。まあ、一種のもののたとえなのでしょうね。)。

人間の存在も感じられます。

どちらかというと、自給自足みたいな平凡でのどかな印象がありました。



「でも、自分的には都会的な暮らしが好きなんだけどなー」と思っていると、

オコツトから、生活スタイルはここ数十年、君が生きている間に急変するから心配ないみたいなことを言われました。

ここでいう生活スタイルというのは、食生活のことを言っているみたいです。

食事をとったり生きていくための基本となるような生活スタイルがここでは変わるみたいな印象がありました。

具体的にどう変わるのかはよくわからなかったのですが。まあ、あまり気にしないでください(笑)。

上の例はマシュー君も触れていますが、このような共通性も高次の存在同士の連携というか協力関係があることをうかがわせるものではないかと私は考えています。

つまり、私は自分勝手にへミシンクしているつもりでも、上の世界では全部つながっているのかもしれません。



次に見せてもらったのは、退化の方向性です。

今と大して変わらないのですが、一番大きな違いは、環境破壊が大きく進むという印象がありました。

地球温暖化の影響がものすごく顕著で、日本列島の形は様変わりしていました。

あと、大気の色も変化しているように見えました。

光化学スモッグか何かの影響なのでしょうか。後はそれほど大して変わったという印象はありませんでした。



最後に見せてらったのが、上の両者の中間的方向性です。

オコツトによれば、いずれはバシャールの言うように二極化が進むことになるみたいなのですが、

その経過措置として、2012年の段階では両者の中間的方向性を持つ地球も高次の我々によって用意されることになるみたいです。

急激な変化による混乱を回避するという配慮もあるのかもしれません。



この中間的方向性と2番目の退化の方向性はかなり良く似ていました。

しかし、オコツトによれば、一番の大きな違いは、私達の精神の方向性の違いにあるみたいです。

つまり、中間的方向性では、私達は仲間や地域社会への配慮や協力関係というのをかなり重視していますし、スピリチュアルなことにも多少なりとも関心があります。

しかし、退化の方向性では、これらは極端に少ないものとなっている印象でした。



つまり、スピリチュアルなことへの関心はともかく、仲間、地域社会への配慮、協力関係という我々自身の意識の問題です。

その最たる影響が、環境破壊となって表れていたのかもしれません。

つまり、内的精神が外的環境と完全にリンクしているんです。



オコツトに、もし進化の方向性を望むなら、具体的には我々はなにをしたらよいのかと聞いてみました。

すると、仲間との協調関係を大切に、家族や地域社会を大切に、現実社会から眼をそらさずに、みたいな印象を投げかけてきました。

スピリチュアルなことに関心を寄せることは大切なことなのですが、そうかといって現実逃避するような態度ではだめだよ、ということかもしれません。



要は、自分が今置かれている環境でやるべきことをしっかりやることが大切なことかもしれません。

つまり、進化の方向性を望むにしても、何も特別なことをやることを求められているのではなく、普段通りの生活でよい、むしろそれが大切なのだ、こういうことが言いたいのかもしれません。



次に私は、オコツトにどうしても信じられないことを聞いてみました。

それは、前回も聞いた、この宇宙が太陽系までなのかどうかということにかかわる問題です。

なぜこんなにしつこく聞いたかというと、たとえばモンロー研ではスターラインズというプログラムがあって、この太陽系を越えて他の銀河まで旅をしたりしています。

しかし、もしこの宇宙が太陽系までしかないとなると、あのような体験はいったい何を体験しているのかという問題にまで発展してくる重要な問題だったからです。



私は、太陽系の外縁に観測されている煙幕のようなバリア(ヘリオスフィア)について何かに促されるように聞いてみました。

すると、オコツトは驚くようなことを言ってきました。

物質宇宙というのは、ヘリオスフィアまでで、その外は非物質界だというのです。

その意味で、オコツトは「この宇宙は太陽系しか存在していない。」こう考えているみたいです。



「でも、正直、信じられないですね~。じゃあ、夜に空を見上げた時に、一体私達が見ている星、あれはいったいどう考えたらいいのですか?」

「あれは、君達の精神の反映だ。いわば、ホログラムのようなものだ。」

「・・・いや、信じられない。だって、私にはC1ではUFOも幽霊も見えませんけど、あの星は夜になるとリアルに見えますよ。それでもあれはホログラムだというんですか?」

「そうだ。じゃあ、聞くが、今君の前に私はリアルに見えているかい?」

「はい。」

「しかし、それは幻想だ。ホログラムなんだ。私は実際にはここにはいない。君にここにいるように『見せているだけ』だ。」

「そのことと夜の星空も全く同じだと?」

「その通りだ。」

「世界を見る視点というのは様々なんだ。

君達人間が見ている世界がすべてではない。

他にも無数の世界の認識の仕方が、種の数だけ存在している。

同じ世界に共存しているように見えるが、実は違う。

無数にある異なる世界から、窓の奥にある共通世界を覗き見ているようなものだ。」



オコツトは、このようなモノの見方についての認識の仕方というものを印象として私に投げかけてきました。あと、次のような印象も投げかけてきました。

「君達にとっての『宇宙』は、君達人間が全ていなくなったら消滅する。

君達にとっての『宇宙』というのは、君達のために存在しているんだ。」

おそらく、我々の常識を超えた宇宙観ですね。

ですが、オコツトは自分の考えが絶対だと言っているわけではなく、あくまで我々の考え方を解きほぐすための一つの提案にすぎないようです。

「客観的情報」の真偽を追究しているわけではありませんので、その点をくみ取っていただければと思います。



まあ、非物質的に内宇宙を旅していると考えれば、プレアデスなどの領域にも辿りつけることは間違いないようです。

ただ、あの領域、というか太陽系外のすべての領域は、オコツトによれば非物質界だというから驚きです。



あと、2012年問題で補足的に次のようなことも言われました。

上で、これから我々の進むべき方向は3通りあるというお話をしましたが、

その変化がいつ起きるのかという興味深い内容でした

(ただオコツトは、それは「自分にとっての」真実だと伝えてきました。どうやら、オコツトもすべてを知っているわけではないらしいです。あえて自分の知っている限りという限定を自らつけてきたからです)。



それによれば、2012年末に地球は大きくわけて3通りのパラレルワールドに移行します。

それは、先ほども述べたように、元の(今の)地球から、進化する方向性をもった地球、退化する方向性をもった地球の2つに分かれ、

最終的には元の地球にいる意識も進化か退化のいずれかに分かれていくといった印象を投げかけてきました。



そのパラレルワールド(宇宙)が誕生するのは、2012年12月23日から30日までの約7日間らしいです。

「ちょっと信じられませんよ。」と私が聞くと、「では、へミシンクをしてその時確かめてみたらよい。ちょうど3通りの地球が知覚できるだろう。」と言われました

(みなさん、覚えていたら、2012年12月23日から30日までの間に、へミシンクをしましょう(笑))。



そういえば、マシュー君からも似たような情報をもらっていました。

向こうの世界はたぶん協力関係で動いていますから、マシュー君の話と今回のオコツトの話は密接に関係しているように思います。

たぶんあの話の続きなのでしょうね。

マシュー君が言っていた、2012年に地球が「次元のポータル」(「次元上昇しやすくなる特別な空間」くらいの意味でご理解ください。)に入るというのは、

かなりピンポイントの話で、それが今回オコツトに言われた2012年12月23日から約7日間くらいなのかもしれません。

このブログを読まれた方で誰かこれについて似たような情報をもっている方がおられましたら、ぜひ教えてください。

私自身、全く聞いたことがありませんので。



オコツトは明確な印象として、今回私に伝えてほしいことは上でお話しした2012年問題と、この太陽系の問題の2点で、それ以外のことを伝えるかどうかは君の好きにしていいと言われました。



「いやー、でもちょっと信じられないなー。私なんかが伝えたって誰も信じませんよ。」

「いや、私が君を信じているように、君の言ったことを信じる人もいる。

だから君に伝えてほしいんだ。これは意識改革のための例示にすぎない。

これによって、物事の常識というものをいったんわきにおき、いわゆる現代科学で証明できないようなことにも広く目を向けていくためのきっかけにしてほしい、

そういった願いから今回の情報を公開しているのだ。」



あくまでご注意していただきたいのは、これもあくまで私の主観的事実だということです。

ただ、面白い考え方ではあります。

内容の真偽はともなく、我々が信じて疑わない、

それでいて本当かどうかわからない「常識」の数々をいったんわきにおくことで、

新たな世界が見えてくる可能性があるからです。

「宇宙人なんているわけがない。」と鼻からきめつけていると、実際何も見えなかったりしますが、

「宇宙人は必ずいる。」と信じている人にとっては、わりとよく見る場合だってありうるからです。

実際、あるマイミクの方から言われたんですが、友人とすぐ隣の位置にいて、巨大な宇宙船が自分には見えているのに友人には見えていないことがあったらしいです。

そういうことがありうるみたいです。

私には経験はないんですけど。問題はわれわれの意識改革にあるのかもしれません。



(3回目の探索です)

どうしても確かめたかったことがあったので、モンローさんの力を借りて再びオコツトのところに行ってきました。

それは、太陽系の外は本当に非物質界なのかということです。

オープニングザハートの4を使いました。

モンローさんと別の協力者の助力を得て、まずはハイアーセルフのもとへと向かいました。

ハイアーセルフと一体化して、私達はまずはモンローさんの指示で太陽系の外縁がどうなっているのかを非物質的に見に行くことになりました。

モンローさん達とともに、太陽系の外縁までたどり着きました。



マルチロケーションですべての状態を俯瞰(ふかん)的に見ていると、モンローさんが太陽系の外縁をゆっくり体を通していくと、

こちら側(太陽系内)にはモンローさんの体はちゃんとあるのですが、太陽系の外縁を通り抜けたモンローさんの体は消えているように感じられます。

同じ非物質的身体なのですが、太陽系内と外とでは、非物質的身体の組成(もしくはバイブレーション)に変化が生じるのかもしれません。

なお、私はこれらの様子を肉体の目で見ているわけではないですから、

われわれの常識と超えた知覚力をもってモンローさんが太陽系の外延を通り過ぎる様子を知覚していたとご理解ください。

言語で表すにはあまりにも限界があります。



ちなみに、モンローさんに、アパーチャーは我々には抜けられないのではないかという点について聞いてみると(実は最近モンローさんからそう言われていました。)、

そのアパーチャーというのは物質界・非物質界すべての外縁に位置するもので、ここではないということでした。



モンローさんの指示で私も太陽系の外縁を通り過ぎてみました。

すると、確かに別空間に感じられました。

見えるというよりも感じられるのですが、太陽系内の宇宙はその存在間が圧力のようなものとして感じられるのに対し、

太陽系外の宇宙ではそれが感じられない、こんな感覚です。



もちろん、私達は今非物質的に活動していますから、物質的宇宙の外縁を確かめるにはどうしても限界があるわけです。

物質的感覚と非物質的感覚を同時に確かめることができませんから。

ただひとついえるのは、何か壁のようなもので太陽系の内と外とが区分されているということです。



これはいったいどういうことなのかとモンローさんに聞いてみると、

「これがいわゆる『真実』だよ。」ということでした。

「でも、『真実』は人によって違うのではありませんか?」

「そう。『真実』を私が君に話した時点で『君』というフィルターを通さざるを得ない。

だから、君から発せられる私の言葉はすべて『君にとっての真実』とならざるを得ない、こういうことだ。」



「大は小を兼ねる」という言葉がありますが、我々が死んだ後より高いレベルまで進むと、

地上にいたころよりも物事に対する認識力・理解力等すべての面において生前より高くなると言われていますから、

高次になればなるほど創造主に近い視点で真実を見ることができるようになるみたいです。

同じことはシルバーバーチも言っていました。

モンローさんとの上の会話も、この文脈でご理解ください。

つまり、モンローさんは私なんかよりはるかに創造主に近い視点から物事を見ることができるのですが、

残念ながら「私」という視点を通すことで真実が歪められてしまう、こういうことです。



モンローさんからこういわれました。

「ただね、宇宙の外縁が太陽系までなのか、それともまだ続いているのかなんて、正直どちらでもいいことなのさ。」

「・・・でも、われわれにとっては重大問題ですよ。」

「君達から見た宇宙の姿が君達にとっての『真実』さ。われわれから見た真実はまた別のところにあるけれどね。」

「それはそうなのでしょうけど。」

要するに、私達が夜空を見て、星を見たりして宇宙はずっと続いているんだと錯覚しているのであったとしても、

そう認識しているのであればそれが私達にとっての真実だということのようです。



この辺で私達は再びオコツトのところに行くことになりました。

行き方は前回と同様です。フォーカス49を経由してフォーカス63まで移動しました。

オコツトに会って早速先ほどの疑問点についてきいてみようと意思表明しようと思うと、

オコツトにはこれから私が何を聞くのかすでに分かっているようです。

「『真実』とは人にあれこれ聞くものではなく自分で見つけるものだ。」みたいな印象を投げかけてきました。

オコツトはチャネラーの半田さんにも一貫してそのような態度だったと聞いていますから、それ自体は私は当然かなという心境でした。

でも、オコツトはこう言いました。「ヒントを言うと、宇宙が有限だということさ。」

「でも、それはある程度推測がつくことですし、それだけでは宇宙の外縁が太陽系なのかそうでないのかの判断がつきません。」

「それを君は自分で考えるんだ。」

「でも、私も忙しいですし、そんなことできるのかな~・・・私にどうしても納得できないのは、夜空に見える星がなぜあんなにリアルに見えるのかということです。」



「君達のもっている信念体系は非常に強固に出来上がっている。それは一朝一夕にできあがったものではなく、数千年にわたって人類全体として受け継がれてきたものだからだ。

たとえるなら、それは情報(DNA)の記憶として体の隅々に刻みつけられているようなものだ。

だから、だれが見ても、地球は丸く見えるし、しっかりとした強固さをもって共有できる空間として存在している(もちろん、振動数があっているためということもあるのでしょうけど)。

夜空に見える星も、まさにその強固な信念体系によって作り上げられたものなのだ。

季節によってちゃんと移り変わりがあり、それがまったく人によって同じに見えるのも、その強固な信念体系によるものなのだ。

後はそれを受け入れるかどうかという問題だ。」



オコツトは、私に考えを進めるきっかけとして、この宇宙ができたときのことを教えてくれました。

「この宇宙は、『無』から『有』が生まれた。

『無』しかなかったとき、この宇宙には意識が存在していた。

意識がやがて『無』から『有』を生み出す決断をした。

はじめての有が生じたとき、それは熱だった。

その後、気体だけの世界が生じ、その後、液体だけの世界が生じ、最後に個体の世界ができあがった。」



もしかしたら、この宇宙が『無』から『有』として生まれたのだとすれば、『有』ではない部分、つまり、『無』の部分も依然として存在している、そこに焦点をあててみなさい、こういうことなのかもしれません。

オコツトの言うとおり、太陽系外の世界が非物質的宇宙だとしても、『無』ではないわけです。非物質界が存在していますから。

ですから、どこに宇宙の外縁があろうと結局は大した問題ではないということが言いたいのかもしれませんね。

たぶん、オコツトが私に今提示しているのは、それ自体が重要だというよりは、私自身のものの見方をより広げるためのきっかけにすぎないのかもしれません。

既存の古い信念体系の殻を破り新たな可能性の扉を開くための。

何度も言うようですが、オコツトはそのために我々の前に姿を現したと言っていましたから。



「物事の見方は一通りではない」、このことは最近私がよく高次の存在から言われ続けていることです。

なぜそれが大切かというと、多分それが自分の可能性をおさらに広げる原動力というか、きっかけになるからなのかもしれません。

「そんなことはありえない。」そう思った時点で自分自身に制限をかけてしまいます。


「・・・だって『科学的』に証明できないから。」



しかし、いつの時点での『科学』でしょうか? 現時点までの発展途上の『科学』で証明できないなら、すべて否定されてしまうのでしょうか?

 それはある意味、偏ったモノの見方ではないかという気がします。

まあ考え方は人それぞれだとは思うのですけど。

少なくとも、最近、惑星探索を通して本来の自分や惑星の高次の意識と意思疎通する機会を通して、私が学んだことで特に重要だと感じるのは、

この「モノの見方は一通りではない。」、これに尽きるかもしれません。



どんなに現実からかけ離れた世界を見てきても、結局はふたたびこのC1という現実世界に戻ってきます。

ここがわれわれの生活するためのかけがえのない場なわけですから。

オコツトからも言われたのは、目の前の生活を大切にしてほしいということでした。

現実に直視する中で、私達は自分にとっての真実とは何かを探し続けているのかもしれません。

たとえそれが意識的にしても無意識的にしても。


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