いなかの猫の天邪鬼部屋

第11話

第11話 誰のために鐘は鳴るのか

真の民主主義を学んだシン、ケイを認めたジェミョン、一人で闘う事から同僚を求め始めた二人。
そしてそこに、市民革命の前兆がうねっていた。


'この国の国民が5000万でしょう?
そのうち500万だけ残せば、それでこの国は地球上で最も良く暮らせる最高の国になるのに20年も掛からない。
私ならそのように出来る。'


01.彷徨の末に立ったキム・シン、民主主義革命の到来を予告する

ドリームチームVSドウの株式戦争は、ドウに土下座までして元金をほとんどなくす事をようやく免れたキム・シンの屈辱を残して完敗を喫する。
既にジュハイと株式戦争で二度の完敗を経験したシンは、死んでも認めたくなかった宿敵ドウに土下座して自尊心にも大きく傷を受けた。どれだけじたばたしてもドウを窮地に追い込めない自分の限界を恨み、今はこれからどうすべきかさえも見えずに彷徨う。
折しも、ドリームチームの株式戦争の敗北で父の復讐が不透明になったジェミョンが独断的にケイに復讐を試みようとするが、逆に攻撃を受ける事件が勃発してしまう。
この事でジェミョンはケイが自分一人だけで相手に出来るくみしやすい敵でないという事を認め、初めてシンにドリームチームへの自発的な参加意思を明かす。
'次はどうやって闘うのか'というジェミョンの質問に、まだ何を持って闘うべきか答えを探せないシンは、すぐに答える事が出来ない。
皮肉にもキム・シンとドウの悪縁はまた新たな局面に入るが、それはシンの兄嫁'ミョンソン'の暮らす場所が、ドウが企画したミョンド市(ネオモナコ)の撤去地域に含まれた事だ。
事実を知ったドウは、シンと義兄弟の契りを結んだ'ジュンホ'を不法デモで訴え、再び シンに痛手を負わせられる機会 を得る。
足元に火が点いたシンは、ジュンホを救い出すために必死の努力をするが、既にドウの金(賄賂)で公権力まで買収された状態で、どんな手も受け入れられず、この事で老人や子供、何もしていない無実の人達まで連行されたという消息を聞いたヤン市長は、シンを連れてドウを訪ねて行く。
どさくさまぎれにヤン市長に付いてチェドンを訪ねたシンは、そこでドウの都市建設計画に接し、ドウの念願ネオモナコの存在を間接的に体験する。
庶民アパートや保健所等、庶民たちのための施設を要求するヤン市長と、大韓民国上位圏だけ属する500万名の人々の他はミョンド市への接近を拒否するドウの言い争いの中で シンとドウも同様に黒白対立 においてせめぎ合うが、その間シンは限りなく個人的な感情と望みによってドウと対立して来たが、上位500万名を代表するドウにぶつかり、残り4500万名を代表するシンはもう少し大きな大義的名分を作るようになるが、それが キム・シンの初'民主主義' だ。
黒白論理を通したこれらの極端的な対話は、あまりにも違う思想を持った二人の男主人公の衝突を見せてくれる。
復讐心に目がくらみ、ドウ以外見えていなかったシンは、ようやく兄'キム・ウク'でなくとも兄と同じ被害を受ける人たちまで、あまねく眺める事が出来る広い視野を持つようになり、 復讐心と民主主義という大義的名分まで求めるようになり、 その間ドウを相手に何を持って闘うべきか見えていなかった現実に新しい答えを求める。
まさにドウの名目的な操舵機ミョンド市都市建設で兄のような被害を受ける庶民たちをドウから守り通す事、それがシンの新しい目標になる。

02.モナコの女王の地位に立つ二人の女、チェ・ウンスとソ・ギョンア

新しい王国を計画しているドウは、夢の都市<ネオモナコ王国>を準備する指導者の姿を取り揃えていた。
ドウの'王国'が完全な形態を整えるためには'王'の傍を守る'女王'が必ず必要だ。 女王がいない王国は命脈をつなぐ事が出来ない不完全な国家だ。
既に7話でギョンアに完全に女王の地位を譲る事を約束したドウだが、実は この女王の完全な地位はウンスのもの だ。
兄が王で妹が女王というのだから、近親ドリップがうっすら危険に見えるが、事実、ドウはそもそも他人の顔色を見る一般通行的な思考を持つ男でもなく、そもそもドウは危険な人物でもある(笑)。
また、ドウがウンスに持つ感情が、男女間の愛ではなく、もう一つの自分であると同時に自身の純粋性を持った人物としての執着に近い点で、王=ドウ、女王=ウンスは、さほど危険な発想ではない。
端的な例として、 ド室長(ド・マンフィ)が殺害された日、心の奥深い場所で、自身の惻隠の情を全てウンスに集めて与えた母に対する恨みをほのめかしたドウ は、自身の惻隠の情(心)を持って行ったウンスに憧れ、失ってしまったもう一つの分身のようなものを、そこに見る事が出来るのだ。
父チェ会長と息子チェ・ドウのチェドンを間に置いた対立は'王権争い'として描かれるほどで、ドウは 貴族主義的思想 に侵された人物だ。みすぼらしい人たちとの疎通に強い拒否感をさらけ出すドウの偏見と世界に対する不潔さは、潔癖症病症として現れるほどで、不信に満ち溢れていた。
そんなドウが賤民出身のギョンアに女王として目をつけたのは、何か釣り合わない。
ドウが'ネオモナコ'を建設する目的は、ひたすらウンスのための聖地であって、ネオモナコの全ての構想もまたウンスから始まった。
それならばドウが目的としたところの通りに成されたらウンスが女王の地位に座るべきという事が、道理にかなう事だった。
だが思いもよらず ウンスがドウから独立すると宣言 し、ドウの'ネコモナコ建設計画が'主人がいない王国'に没落する危機に陥る。
'ネオモナコ'はドウが幼い頃、漠然と掴んだモナコ関連の書籍から始まった夢だ。
ネオモナコの元祖的モデルであるモナコが、王族が統治する国だという特性上、王妃の空席はドウが夢見る完璧なネオモナコ建設に 大きな汚点 として残る。
ウンスを連れて来る事を、ネオモナコを完成させた後に保留する事にしたドウは、完璧な一つの国の形態を整えるためにギョンアを王妃代わりに利用する事にする。
ウンスの不在のおかげで強力な予備女王候補に上がったギョンアは、王国の出航式の女王の席を自分の物にし、 ドウの婚約者として浮上 する。

03.民主主義による、民主主義のための、民主主義の闘い方

死んだ兄と同じように、ドウによって踏みにじられる庶民たちに目を向け始めたシンは、頭でも金でも相手にならないドウに勝つために、大兄貴'ボムファン'の組織力を借りて 肉弾戦 を辞さない覚悟をする。
そして、ヤン市長はシンに、ミョンド市に徒党を組んだ闘いをさせるつもりなのかとシンの計画をけなし、正当に闘う方法は何かを教える。
ヤン市長がシンに教えた '名分を持って七転び八起きで粘り強く手綱を緩めず追い込む方式' は、民主主義の正当な闘い方式である ろうそくデモ と非常に似ている。
民主主義らしく飛瀑力運動に立脚した平和的な闘い。これが、ヤン市長が言う民主主義に最もふさわしい闘いだ。
たとえ相手が暴力で対立しようとしても動じずに辛抱すべきだというヤン市長の言葉から、現在私たちが接しているろうそくデモの明暗が間接的に見えるようなほろ苦さもある。
大韓民国の最も平和なデモの代表的なろうそくデモは、飛瀑力を前提にすべきだが、無力で、対立する政府と揃えたデモ団体の衝突で、血と点綴が乱舞する戦争を連想させる残酷な結果を招く事を、私たちは反復して目撃しなければならないだけだった。
これ以上耐えられずに肉弾戦に出る'シン'と、無力で制圧する'ドウ'と、二人が暴力に出たら、結局はミョンド市は本当に血と点綴が乱舞する悲劇を招くだろうし、また結局土地の主人であるドウが法の保護を受けて勝利する事が明らかだ。
個人の闘いなら、そうかもしれないが、 シンは今や庶民を代表する人物 として進み始め、それくらいの責任感も伴う人物になっていた。
今や、詐欺でも金でも暴力でもない、 民主主義を基盤にした潔い勝負手を打つべき時 だ。
そうして闘い、勝利してこそ、真の民主主義の勝利を握る事が出来るのだ。


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