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川澄の一礼こそ、大あっぱれ! なでしこが快進撃中! 川澄の一撃、決勝点、あっぱれ! しかし、それ以上に交代で退場する際の振り向いての一礼。 これこそ、大あっぱれ!!! なでしこは、やはり本当のなでしこだった。 私がこの国に生まれたことを 誇りに思う瞬間だった。
Sep 5, 2011
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21世紀の産業革命は、「よこマズロー」からスタートして、結果として「たてマズロー」に至る「命革業産」のパターンが増えるだろう。それは、産業として有益な新しいモノを発明したいという動機から始まる目的意識の明確な従来のパターンとは、全く逆に、「なんとなく、ワクワクするから作ってみよう」から始まる。いわば、「ワクワク動力」、「ワクワクドライブ」だ。この典型が、知人のホームパーティーのビデオを共有しようとして始まったyoutubeだ。従来のエンタメ産業は、供給されるコンテンから売れるものだけを淘汰する天秤産業だった。 それは、あくまで「たて」から「よこ」へと供給される天秤だった。「よこ」は、エンタメとしての受け手の娯楽の世界である。基本的に受身であった。ところが、youtubeは、積極的な提供者のコンテンツを「よこ」から「たて」に向けて天秤にかける仕組みだ。つまり、それが命革業産の順序なのである。それが、最終的に「たて」において産業として成り立つのであれば、コンテンツはおろか、「よこ」から「たて」に向けて、「産業が供給される(!)」という逆の新しいトレンドが生まれつつあるということを意味する。 そして、それがまさに本日(日本時間)起こったのだ。・・・歴史に残る記念日である。 以下は、ニュースの引用。(ダウ・ジョーンズ) - 9月19日10時0分更新WSJ-ユーチューブとワーナー・ミュージック、オンライン広告収入で協定ニューヨーク(ウォール・ストリート・ジャーナル)音楽ビデオのネット配信で、動画配信サイトを運営する米新興企業ユーチューブ(本社カリフォルニア州サンマテオ)と米音楽事業大手ワーナー・ミュージック・グループ(NYSE:WMG)は、オンライン広告収入を分け合うことで合意した。対象となるのは、ユーチューブのサイトに掲載されたワーナー・ミュージックのビデオや、ワーナーの音楽を使用したユーチューブ会員の自主制作コンテンツの脇に掲載される広告。この合意は、年末までに実施される予定。ユーザーのビデオコンテンツを掲載しているユーチューブやそのほかのサイトが抱える著作権の難問について、ユーチューブの取り組みを示したものと言える。ユーチューブは、ユーザーが同社のサイトに掲載した著作権付きの音楽・ビデオ作品をデジタル識別する自動システムを開発している。著作権保有者がユーチューブと合意し、作品をサイトから削除しない選択をした場合、作品の脇に掲載された広告料の数パーセントをユーチューブが支払う仕組み。ユーチューブは、このシステムをワーナー・ミュージック以外の著作権保有者にも広げていく方針だとしている。ユーチューブのチャド・ハーレー最高経営責任者(CEO)は、「ユーザーが創造したコンテンツの力を認め、彼らにコンテンツを合法的に利用させ、それによって発生する収入の恩恵を受けるという仕組みにおいて、ワーナー・ミュージック・グループはわれわれと組む最初のメディア企業となる」と述べた。(以下、省略)
Sep 20, 2006
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前回、ご紹介したワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の発案者として知られる英国のティム・バーナーズ・リー氏のケースはどうご覧になっただろうか。外国にいるときでも同僚同士が一緒に研究できることを目的として、WWWを発案し、それを無償で公開したことで、このインターネット革命が起きた。このブログをいま私が書けるのも皆さんが読んでいるのもまさにそのお陰だ。 さて、本当のところは分らないので私の想像なのだが、ティム・バーナーズ・リー氏は、きっと「こんなものがあれば便利ではないかな? 実際に作れそうだし、何より、作って同僚に連絡したらビックリするに違いない!」とワクワクしながら作ったのではないか。これを作ることで研究者として自分が認められたいとか、これが自分の能力を最大限に生かす自己実現の道だとか、社会に貢献するためにこれをつくろうとかの明確な目的意識、つまり「たてマズロー」的な動機から始まったのではないように思われる。目的意識が明確なほど、それが失敗した時には挫折感を味わうことになるが、彼は失敗したら挫折感を味わうつもりでこれを作り始めたようには思えないのだ。なぜなら、もともと挫折感を感じる必要がないテーマだからだ。本来なくても困らない、しかしできたものをいったん見たら誰もが欲しくなる、典型的な「よこマズローテーマ」なのである。いつか触れたソニーのウォークマンと同じだ。 しかし、いったん発明してインターネットがそれによって皆が使えるようになるということが分ったからこそ、彼はWWWを特許化せず、社会貢献するという選択をしたのではないか。つまり、あくまで仮説だが、最初は「よこマズロー」からスタートして、結果として「たてマズロー」に至ったのではないかと思う。・・・この人類に革命的な変化をもたらした大発明が、である。 21世紀の産業革命はこのようなパターンが増えるのではないかと考えられる。それは、産業として有益な新しいモノを発明したいという動機から始まる、目的意識の明確な従来のパターンとは、全く逆だ。それはおそらく、「なんとなく、ワクワクするから作ってみよう」から始まるのだ。これは、個人ビデオを公開しようとして作ったyoutubeにも共通している。 いわば、「21世紀の命革業産」だ。 まずは、生「命」の持つ心の躍動という「革」新がまず起き、創作や表現という作「業」を経て、最後にビジネスとしての価値が「産」み出されるという順番である。
Sep 18, 2006
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「たてマズロー」は、生理的欲求に始まり、安全、帰属、承認の欲求を経て、自己実現から社会貢献の欲求(注:最後は新規追加)に至る、より高次を目指した目的手段の関係の明確な行動の体系である。そして、それらの知的生産活動で疲れた精神的エネルギーを養うための息抜きとして、「よこマズロー」がある。そこでは、ワクワクすることが最高の価値だが、精神的リフレッシュ以外の特段の目的が存在しない、つまり合理的な目的手段の関係のない水平的な視点の世界である。また、「たて」を建前の世界とすると、「よこ」は本音の世界であり、「たて」を円滑に進めるために、「よこ」は必要不可欠で、むしろ積極的に活用すべきである、と整理してきた。 さて、ここでまた新たな仮説を設定したい。『歴史を変えるイノベーションは、「よこマズロー」が引き起す』。 いま、ミクシィ上場で注目されるSNSとならんで注目されているユーチューブ(You Tube)は、シリコンバレーのハーリーとチェンの二人が知人のホームパーティーのビデオを公開しようと作った仕組みだ。ユーチューブは、米国のサーバーにアクセスするとそこに登録された動画ソフトを自由に閲覧できるサイトだ。当初の個人のホームビデオ作品だけでなく、DVDで売られている音楽ソフトやさらには日本のテレビ番組や最新ニュースも誰かが登録すると誰でも見ることができる。ユーチューブがこれからどう発展していくのか、著作権問題などをどうクリアして産業化していくのか大いに注目されるところだが、私としてはそれが個人的ワクワクの追求から出発していることに注目したい。つまり、「たて」の補完として「よこ」が存在するという関係ではなく、ここでは「よこ」から新時代の「たて」が発生しそうな勢いなのだ。・・・では、すでに起きた「インターネット革命」のキッカケとなった下記の例はどうだろうか。以下は、2005年1月のニュースの引用である。(以下、引用) [ロンドン 27日 ロイター] ワールド・ワイド・ウェブ(WWW)の発案者として知られる英国のティム・バーナーズ・リー氏が27日、2004年の「最も偉大な英国人」に選ばれた。 謙虚さと才能に加え、利他的な姿勢が評価された。 審査員として選考に参加した歴史家のデービッド・スターキー氏はロイター通信に、「(バーナーズ・リー氏は)自分の発明を商業的には利用しないことを選び、ほとんど頑固と言えるほどの態度でこれを公開した。もしこれを完全に利用していれば、今日ではビル・ゲイツ氏が貧困者に見えるほど(の富を得ていた)だろう」と語った。 バーナーズ・リー氏は、スイスの研究所に在籍していた1990年に、外国にいるときでも同僚同士が一緒に研究できることを目的として、WWWを発案。しかし翌年、その特許を取得せず、インターネットに開放してすべての人がアクセスできるようにする方法を選んだという。
Sep 17, 2006
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「B2B」とは、「ビジネス トウ ビジネス」つまり、企業向けのビジネスのことだ。一方、「B2C」とは、「ビジネス トウ コンシューマー」つまり、一般消費者向けのビジネスである。さて、B2Bは、商品の部品や材料、研究開発のための機器、企業活動のためのシステムなどを売るビジネスである。 それらのモノは、企業経営のためのモノであるから、最終的には商品の性能向上などの付加価値アップやコストダウン、スピードアップ、問題解決(ソリューション)など、何か経営的な効果が購入決定の基準になる。合理的な目的手段の連鎖を追求する、いわば、「たてマズロー」の世界だ。ところが、面白いことに企業をお手伝いしていて感じるのは、B2Bのビジネスでも売れる営業マンは、話していてとても楽しい人だということだ。つまり、「よこマズロー」性(エンタメ性)の高い営業スタイルなのである。しかも、単に楽しいだけでなく、こちらのタメになる情報をその中に織り交ぜて、面白おかしく「なるほど!」と思う説得力で話してくれる。だからそれは非常に印象に残るのだ。ということは、「たて」と「よこ」を両方持っていて、それを上手く織り交ぜて話してくれる高度なワザを持っている。「面白くて、タメになる」のだから人気が出るわけだ。 B2Bが売れるかどうかについても意外にもエンタメ性が多いに関係しているといえそうだ。
Sep 16, 2006
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エンタメ産業は、典型的な天秤産業として進化してきた。映画 ⇒ テレビ ⇒ 家庭用ゲーム ⇒ 携帯電話 ⇒ Webサイト ⇒ プログ ⇒ SNS偶然なのだが、本日ミクシィが上場した。買い気配のまま、売買成立せず、気配値での時価総額は2200億円となった。 前回の一等さんとのやりとりでネタはばれているが、一等さんの言葉を借りると・・・事業者からコンシュマーへの一方通行⇒ 事業者とコンシューマーの双方向⇒ 更にはコンシュマー参加型へ移行⇒ ??? 貴方も考えてみていただきたい。次世代のエンタメの姿は、SNSだけではないだろう。 ・・・人間の発想力が、飽和しない限り、そらにその先もあるはずだ。 おそらく、それは「たてマズロー」と「よこマズロー」の限りない融合ではないだろうか。
Sep 14, 2006
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前回の天秤産業は、エンタメ産業の成り立つためのモデルである。 しかし、そもそもエンタメ産業の専売特許ではなく、あらゆるサービス・ソフト業界が「よこマズロー性」つまり、エンタメ性が高まるときに天秤産業化が必要になると考えられる。例えば、百貨店は代表的な天秤産業だ。高島屋で200年、三越では400年続いているビジネスモデルだ。しかし、昭和初期に小売業界のシェアは25%あったが、いまは8%以下だ。当然、その間に生活必需品も含めて全て(まさに百貨)を売っていたのが、いまはブランド品中心の商売となっている。裏をかえせば、それはまさにエンタメ性が高まっていることを意味している。(ソニーと同じで本来はいらないはずが、見たとたん欲しくなるものを売っている)その結果、比較して売れるものだけを中心に仕入れるという「天秤機能」が、人気の予測のつきにくいブランド品を入れ替えつつ、商業施設全体としての人気を維持するというために有効に機能し、そのため息の長い商売ができているのだ。バブル時代にもてはやされたロードサイドのカテゴリーキラーの小売チェーンの多くがすでに見る影もない状況になっているにもかかわらず、である。 基本的には、同じ小売のコンビニも同じ構造だ。ただ、POSシステムでそれを徹底しているかどうかの違いだけだ。変わった例では、ラーメン業界、最高のエンタメ施設であるラーメン博物館も同じ構造だ。ソフトである各ラーメン店を少しずつ入れ替えているからこそ人気が持続しているのであろう。 さて、携帯電話は、さらに面白い。じつに象徴的だ。日本では当たり前だが、タダで端末が買える国は日本以外、殆どないと思われる。これは、日本人にとって携帯が通信産業ではなく、いまやエンタメ産業だということを意味している。日本独自のiモードによってそれは始まった。着メロ、着歌、ゲームソフト、様々な情報提供サイト、テレビ・・・・。どれとして、ソフトをドコモやKDDIなどのキャリアが自分で作っていないものばかりだ。これは、20年以上前の任天堂と同じビジネスモデルではないか!iモードの登場で通信機器がエンタメ機器になったのである。 以下は、いただいたjunpapakazuさんからのコメント。「さて、私は、この事業構造はサービスソフトを売る業界で共通している事業構造だと考えています。古くは、NECやIBMがハード仕様を公開してシステムサービスとしての付加価値を高めていったというビジネスモデルから、今や壮大な面積のテナントで日銭を稼ぐ百貨店やGMSまで。エンタテイメント軸でのビジネスモデルを応用した業界は、考えてみれば枚挙に暇ないかもしれません。共通していえることは、"コト"="時間消費"をコアコンピダンスとしていることだと思えてしまうのですが・・・ミクロ視点では、GMSの棚に並んだ食玩、プロモーション視点では、あのADKがプロデュースする"ガンダム"(サンライズはADKの子会社)インフラありきの軸では、携帯に付随する基地局インフラから携帯ショップ、(Docomoショップを運営する企業をみれば一目瞭然)着うたなどの携帯コンテンツ、忘れてならないApple iTunes・・・i PodやMac Book、そしてブロードバンドは、極論すれば、iTunesの受け皿ですからね・・・Tower Recordsの倒産も、天秤のバランスを崩してしまった、と考えると至極納得できます。ユーザーは時間消費を求めているのであって、CDやDVDのプラスチックの円盤を買いに来ているのではないですよね(爆)。実は、住宅というのも同じ"コト"なのです。」・・・まさにそのとおりだ。
Sep 11, 2006
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ある意味で日本の近代のエンタメ産業の草分けは東宝である。戦後の混乱期の娯楽として爆発的な人気を博した映画産業は、東宝に代表される企業が牽引した。大映は、一時期は6割配当(!)していた時期があるそうだ。しかし、東宝は労働争議を転機として、映画製作のための俳優や監督、カメラ、美術などの社員を別会社化し、本社は作品の選択と映画館という系列チャネルに映画ソフトを流通させる興行機能に徹するという改革を断行した。その前まではあの黒澤監督や有名な俳優達も東宝の社員だったそうである。その改革の特徴は、系列外の独立プロダクションからの作品も受け入れ、系列内の会社の作品と同列に評価して売れそうな作品だけを自社の系列映画館に流す点だ。いわばオープンな競争原理の導入である。東宝に作品を提供する製作会社は120社にのぼった。その提供作品の中から年間数本の大ヒットがあれば、十分な利益を上げることが出来る構造だ。つまり、映画製作とそれを選別し、興行を行う機能とを分離したのである。これにより、東宝は生き残ることが出来た。 さて時は流れ、それから約30年を経て昭和から平成に変わり、1980年代から1990年代にかけて全く同じ事業構造を確立して莫大な利益を上げた会社がある。 ファミコンで一世を風靡した任天堂だ。ファミコンは日本ではいわずと知れた家庭用ゲーム機の草分けだ。ファミコンというハードで利益をあげるのではなく、各家庭にあるファミコンという系列チャネルにゲームソフトを流す事業を開発したのである。・・・なんと、実によく似た事業構造ではないか。しかも、ゲームソフトを企画開発して提供した会社は約120社という。それらからの提供ソフトのうち、年間数本ヒットが出れば大儲けだ。あまりにも東宝との共通点があり、驚くばかりである。もっというと、東宝と比べて、ファミコンハードという系列チャネルをお客様に投資させた点でよりすごいビジネスモデルだ。ハードで利益を出さなくても良いわけである。 このようなエンタメソフトの提供を受け、選別して自社の系列チャネルに乗せて、天秤にかけ売れるものだけを売り続ける産業を私は「天秤産業」と呼んでいる。
Sep 10, 2006
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前回エンタメ産業はマネジメントできない、淘汰の仕組みでしかビジネスが成り立たないと書いた。前提として、ここでは、ビジネスとしてのエンターテインメントを対象に考察している。つまり、芸術の世界は別だ。芸術の世界は売れるか売れないかではない。つまり、芸術は「たてマズロー」のみの世界で、誰かがそれをよこマズローで楽しめるかどうかは関係ない(少なくも二次的)。あくまで、アーチストの感性と価値観よる自己主張、自己表現が全てである。売れるために作品をつくるのなら、その時点ですでにビジネスマンだ。 一方、エンタメ産業は、アーチストの自己主張、自己表現だけでなく、それが受け手に感動を与え、それを収益として回収する、つまりビジネスとして成り立たなければならない。ただし、エンタメの世界でも個人的なたてマズローを徹底して追求したからこそ、よこマズローでそれを受ける受け手が感動する点は芸術と共通する面がある。だからこそ、それをどう実現するのか、がポイントだ。ところが、まさにこの実際に受け手に評価される確率が極端に低いのだ。受け手に受け入れられるかどうかは予測不可能であり、極端な話、本人が亡くなってから突然、評価が高まる・・・という具合に偶然の要素が強い。であるから、アーチスト個人としてリスクをとるかどうかは人生の選択の自由だが、ビジネスとしてはそれにかける、というわけにはいかない。そこで、チャレンジしたいアーチストの一定以上の母集団を確保し続け、それを淘汰のふるいにかけつつ、統計的に成功の出現確率がある程度予測できるようなシステムがビジネスとして成立するために必要になる。というより事実この産業はそれを確立したところが生き残っているのだ。その典型が、ハリウッドであり、プロードウエイであり、日本で言えば東宝であり、任天堂であり、吉本である。
Sep 10, 2006
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21世紀に成長する「エンターテインメント産業」のマネジメントはどうあるべきか?ときたまそのような質問をうける。それに対して私はこう答えることにしている。 「そもそもマネジメント自体ができません。」 マネジメントとは、あるべき姿を設定し、それに向けてコントロールすることだ。そもそもあるべき姿を描けるのは、昨年の成功商品、成功ビジネスは今年も成功するという「再現性」が前提となっている。しかし、エンタメ産業に成功の再現性はない。だから、本来の意味のマネジメントは不可能だ。では、何もできないのか?手も足もでないのか? そうではない。「マネジメント」はできないが、「淘汰の仕組み」を作ることはできる。成功するあるべき姿に向けたコントロールはできないし、やっても意味がないのだが、現時点でより成功する確率の高いものだけを選抜することはできる。それでもって最後は企業側ではなく、お客様が選ぶ。良いものが選ばれるのではなく、選ばれたものが良いものなのだ。歴史的に見て、エンタメ産業で、唯一の成り立つビジネスモデルはこれだ。
Sep 9, 2006
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そろそろ「よこマズロー」もいったんまとめよう。趣味の世界は、分け隔てのない水平視点の人間関係の「よこマズロー」。精神的リフレッシュ以外は、特段の目的がない。キーワードは「ワクワク」。じつは、ビジネスも一見、目的手段のはっきりした「たてマズロー」に見えるが、一皮剥くとホンネの世界は「よこマズロー」。水平視点で、楽しさ、ワクワクを共有できる人同士が仕事の協働がうまくいく。そんなビジネススタイルの人が成果を出し、人望を集め、成功していく。一見同じ、あるいは似た商品カテゴリーでも「たてマズロー商品」「よこマズロー商品」があり、これを取り違えると手痛い目に合う。どちらかというと「よこマズロー商品」のほうがヒット性、成長性がある。だからソニーは成長してきた。産業分野としての「よこマズロー」は、急成長中。生活自体に不自由がなくなって、人生に潤いを与えてくれるエンタテインメント産業は21世紀の主力産業となる。そこでは、時間が消費される。一日をどれだけ楽しいエンタメで満たせるか。あくせくしている人は、お金持ちでも豊かとは言われない時代となっていく。「よこマズロー的時間持ち」がこれからの本当の富裕層に違いない。仕事もそのように楽しんでやれる人が成功するし、そのベースとしてそんな産業分野が主力産業化していく。・・・・・・21世紀は実に楽しい時代になりそうだ。 ------------------------------- さて、以前私がここで取り上げた(マズローの話題ではないが)、ボブディラン。最新アルバムが初登場1位の久々の快挙とのこと!!以下、ニュースの引用ですB・ディラン新作がチャート1位=30年ぶり返り咲き-米 【ロサンゼルス6日時事】米調査会社ニールセン・サウンドスキャンが6日発表した先週のアルバム販売チャートによると、フォークロック界の大御所歌手、ボブ・ディラン(65)の新作「モダン・タイムズ」が19万2000枚で、初登場1位を獲得した。「欲望」(1976年)以来30年ぶりの首位返り咲きだ。 新作は通算44作目。ディランは60年代、「追憶のハイウェイ61」などを発表し、公民権運動で揺れる若者の代弁者として熱烈に支持された。その後もメッセージ性が高い作品を手掛けてきたが、大ヒットには恵まれなかった。 (時事通信) - 9月7日11時1分更新
Sep 7, 2006
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「よこマズロー」とは、精神的な開放(リフレッシュ)という欲求である。その中には「新しい世界の発見」という区分があり、そこではワクワクすることそれ自体が唯一の目的となっている。 そのコンテンツを提供する人が「たて」マズローとして行い、受け取る人が「よこ」マズローとして楽しむのがエンターテインメントの世界だ。その発信と受信が行われる場所がある。それは皆さんも良く知っている次のような場所だ。・ステージ(舞台)・テレビ画面・スクリーン・CD、DVD・スタジオ・展覧会場・球場・土俵・リング・紙面・誌面・書物・Web(HP、ブログ、コンテンツ配信・・・)・・・これらの場所で、提供者の「たて」マズロー(自己実現~社会貢献欲求)と受け取る人の「よこ」マズロー(ワクワク欲求)とが交差する。ここで出会い、楽しまれ、評価される。これらは地球上にある素晴らしい場所であり、ここで「人生の潤い」が形作られ、やり取りされる特別な価値ある場所だ。それは第一次産業(農林水産)、第二次産業(工業)、第三次産業(サービス業)に続く、第四次産業(エンターテインメント業)そのものといってよいだろう。 しかし、これらのステージは、提供者と受信者の双方にとって、夢のある世界であるとともに、提供者にとっては厳しい淘汰のルールの支配する世界でもある。
Sep 2, 2006
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趣味の世界は典型的な「よこマズロー」の世界だ。ビジネスの世界も、古くは木下藤吉郎が信長に取り立てられたように、「水平視点」によるビジネス革新が歴史上、たびたび起きていると考えるべきだろう(仮説・・・今後、検証予定)。銀座のママさんが語る現代の出世する経営者像も「よこ」的な人物像に合致する分け隔てのない人たちらしい。 趣味の世界ならいざしらず、なぜビジネス本流の世界でも「よこマズロー」がキーになるのか? これは日本の誇る経営学の権威、野中郁次郎先生が昔からとなえていらっしゃる「インフォーマル」な世界そのものではないかと思う。野中先生によれば、情報のサイクルにはフォーマルとインフォーマルがあり、実は後者がビジネスの成功を支配しているという。日本的に言うと、本音と建前だ。本音なくしては、ビジネスの成功はないのだと思う。 私もかつて日本の典型的な大企業に就職して、13年勤めたあとコンサルタントに転職したが、いまだに分らないことがあった。「新入社員研修で、夜な夜な行われる同期の間の飲み会をどうして人事部は黙認、というより奨励していたのか・・・・?」その答えが今わかった気がする。(セオリー的に、という意味で) つまり、建前だけで勝負しても誰も動かない。私は、けっして「腹芸」を奨励しているわけではない。しかし、ビジネスの世界も本音、つまり「心のありよう」を共有しないと前に進まないということのようだ。
Sep 1, 2006
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よこマズローの人間関係は、「水平視点」だ。そこには、分け隔てがない。「釣りバカ日誌」だけではない。皆さんも趣味のサークルに参加している方はそれが常識と思われるだろう。事実そうだ。そのような視点でしか、分らないことがある。それが、そのような付き合いの魅力だ。「水平視点」とは、人を階層の中の位置付け(別の言葉でいえば、目的の達成レベル)ではなく、その人の心のあるがままを見る、その人の心のありようを見るという視点だ。木下藤吉朗(もちろん、後の豊臣秀吉)が織田信長に認められたのもそのような風変わりな信長の「水平視点」によるものと思われる。そうでなければ、ぞうりを暖めていたからとって足軽をどんどん取り立てたりしなかったと思う。なぜら、お家大事の武士社会は、「垂直視点」の最たるものだからだ。しかし、その常識に反して信長は秀吉を取り立てた。それ自体が武士社会の常識はずれであり、信長の「水平視点」に負うところであろう。これは、想像だが、秀吉もワクワクしながらやったし、信長もワクワクしながら取り立てたのではないだろうか。 現代でも銀座のクラブのママさんによると、出世する経営者の共通点は、どんな人とも分け隔てなく、接することだという。水平視点の有効性は、趣味の世界だけではないらしい。
Aug 30, 2006
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なぜ、「表/裏」マズローではなく、「たて/よこ」マズローにしたのか?その狙いは3つある。1)表マズローが価値の階層性を示しており、いわば「たて」に伸びていく特徴を表現したい。2)一方、裏マズローは価値の階層性がなく、表とは一次独立の関係にある、つまり軸としては直交し「よこ」に広がっているという特徴を表現したい。3)裏マズローの名称自体にネガティブなイメージがあるため、中立的な表現にしたい。 さて、表/裏マズローから定義は変わっていないが、もう一度、定義と特徴を確認しておきたい。「たてマズロー」の定義=「たてマズロー」とは、生理的欲求、安全の欲求、集団への帰属欲求、承認の欲求、自己実現、社会貢献(最後はオリジナルに追加したもの)という階層的欲求である。それぞれの階層は下の階層が満たされるとより高次の欲求に向かって人間の欲求は上っていくという特徴がある。したがって、この「たてマズロー」の欲求に従った活動は、より高次の欲求を満たすことを目的とした、それを達成するための手段としての精神的生産的活動である。 「よこマズロー」の定義=「よこマズロー」とは、精神的な開放(リフレッシュ)という欲求である。その中には「自分や環境の否定」、「中立的」、「新しい世界の発見」の3つの暫定的な区分がある。しかし、それらの区分の間には階層的な関係はない。したがって、「よこマズロー」の欲求に従った活動は、精神的開放(リフレッシュ)以外の特段の目的がない。つまり、精神的なリフレッシュそれ自体が唯一の目的である。 「たてマズロー」の活動の典型は、例えば職業の世界である。そこでは目的手段の階層性がはっきりしている。食べるためだけの労働から、立身出世を目指した職業、自分を生かすあるいは社会貢献のための職業まで色々な階層がある。それゆえにどの階層に達しているかにより、社会的地位や立場というものが生まれる。しかし、「よこマズロー」は水平指向である。階層性がない。その活動の典型は、趣味の世界だ。だからそこでは人間関係にも階層性がない。例えば、「釣りバカ日誌」を思い浮かべていただきたい。社長と平社員が、「釣り」という趣味の世界では全く対等の友人関係にある。だからこそとても人間臭く、そして痛快なのだと思う。また、例えば茶の湯の世界がまさにそうだ。豊臣秀吉と千利休は、茶の湯の世界ではその道を求める一個の人間対人間であった。師匠と学ぶ弟子であったかもしれないが、天下人と一介の魚屋の関係ではなかった。あえて言えばむしろ逆転していたのである。
Aug 27, 2006
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以前に「表マズロー」と「裏マズロー」としてシリーズ化していた内容を図のような「たてマズロー」、「よこマズロー」にリニューアルした。人間の表の精神的生産活動を支える精神的開放(リフレッシュ)としての「裏マズロー」について、その特徴や本質を解き明かすべく楽天ブログの皆さんからのアドバイスや建設的コメントを参考にさせていただき、またあるときは勇気付けられながら体系化を試みてきた。しかし、洗練された生産的な意味での精神的リフレッシュだけでなく、ある場合は人間の心の闇にまで踏み込む裏マズローの深い世界観を整理するには、どうすればよいか、悩んだ。そこで、現段階の結論として上の図のようなフレームで考えることにした。 これから、このフレームを使ってさまざまな人間の日常生活行動を切ってみたいと思う。基本的なコンセプトは「表/裏」と「たて/よこ」は変わっていないので、以前の議論はほぼそのまま有効だと考えている。しかし、「たて/よこ」とすることで、その間に形成される面積部分において、人間行動の多くの営みに光を当てることができそうである。このことは、少なくとも本家「マズロー」の欲求5段階説ではなしえていなかったことではないかと思われる。ここにこの場を借りて、楽天ブログの仲間たちに感謝を申し上げたい。さて、これからひとつずつ、テーマを決めてとりあげていきたいと考えている。(以下、次号)
Aug 26, 2006
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しばらく続けてきた「裏マズロー」の名称を廃止します。当然ですが、「表マズロー」という呼称も同時にやめます。 新しい名称は、「たてマズロー」(元表マズロー)と「よこマズロー」(元裏マズロー)です。 理由は、これからまたシリーズでお話していきます。このほうがより本質的な議論に向いていることが判明。ここから新しい地平が開けていきます。 新シリーズ、ご期待下さい!
Aug 24, 2006
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先のブログにソニーこそは、裏マズロー企業のチャンピオンだと書いた。ここで、有名なソニーの会社設立の目的を引用してみたい。(ソニーWebサイトより引用)「会社設立ノ目的 一、 真面目ナル技術者ノ技能ヲ、最高度ニ発揮セシムベキ自由豁達ニシテ愉快ナル理想工場ノ建設 一、 日本再建、文化向上ニ対スル技術面、生産面ヨリノ活発ナル活動 一、 戦時中、各方面ニ非常ニ進歩シタル技術ノ国民生活内ヘノ即事応用 (以下、省略)」最初の項目が有名な「自由闊達にして愉快な理想の工場」である。これは当時としては、極めてユニークな宣言であった。しかし、それ以降の項目は、当時の社会情勢を反映したものだが、別のほかの会社にもあてはまりそうだ。ということは、ソニーをソニーたらしめたものは、まさにこの第一項であると考えることが出来る。ここには自分たち自身が日本の企業の新しいあり方を創っていこうという強い意気込みが感じられる。実際に明治時代以来の富国強兵という表マズロー産業のビジネスモデルに対して、新しい技術で人々に(本来いらないはずだが)見た瞬間に欲しくなる商品を創り出すという新しいビジネスモデルを創り出したのである。その最初の成功はいわずと知れたトランジスタラジオである。いま、「モノづくりへの原点回帰」により復活を目指している。しかし、私見だがそもそもソニーの原点はそこにはないのではないかと思われる。実はソニーの原点は、「新しい高品位の裏マズロー提案」にあったのではないか。そのためのメディアが新技術開発やモノづくりだったのではないか。「真面目ナル技術者ノ技能ヲ、最高度ニ発揮」とは、新技術で「新しい高品位の裏マズロー」を提案することに他ならないのではないか。だからこそ時代が変われば、映画のコンテンツもその新しいメディアとなりうる。ただし、映画コンテンツとしての新しい高品位の提案性がそこになければならないことは言うまでもない。これは言うほど簡単ではない。そこが問題なのではないか。いずれにせよ、そんな新しい意味づけが、21世紀の新・ソニーの条件ではないかと個人的には考えている。
Aug 19, 2006
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「裏マズロー」でビジネスが成り立っている企業は多いのではないかと以前にも書いた。企業は当然ながら商品やサービスを販売して対価を得て成り立っているわけだが、その商品にも大きく分けて表マズロー商品と裏マズロー商品とが存在する。 たとえば、同じ電機業界でも冷蔵庫や洗濯機などの白物家電は目的手段の関係が明確なので表マズロー商品であり、アイポツドやウォークマンなどは精神的リフレッシュ以外に特段の目的はないので裏マズロー商品といえる。それほど明確な区分けはできないが、同じパソコンでもウィンドウズPCは表マズローに近いが、アップルPCは性格的に裏マズロー性が強い。ウィンドウズPCは何かをするために買うが、アップルPCはそれを持つこと自体が目的化したファンが多いからである。やはり一見良く似たカテゴリーの商品であるヨーグルトとプリンもそのように考えると違う性格の商品だ。ヨーグルトは健康のために食べる人が多いという点で表マズロー商品であり、プリンは息抜きに食べるという点で裏マズロー商品なのである。 ラーメンは典型的な裏マズロー商品だ。だから健康に良いラーメンというのはヒットしない。そもそも健康に悪いのは分りきっているが、あえてギトギトの味の濃いラーメンを思いっきり食べたい!という欲求を満たすことが目的化しているからだ。味の濃いクセのあるラーメンの店ほど流行るのはそのためだ。健康に良いラーメンを食べるくらいならそもそも食べなければ良いのである。だからこそ、「完食」といってスープまで一滴残さず飲み干すことがラーメン道における「美味しかった!満足した!」ということの正統的な表現となっているのである。表マズロー的に考えるとスープを全部飲むと塩分を取りすぎるので残しましょう、ということになるが、そこには明らかに目的手段の連鎖として通常考える以外の強烈な論理(というか欲求)が支配している世界なのだ。だからラーメンはブームになったのだ。ちなみに乳製品の世界では、アイスクリームもラーメンと全く同じ理屈で典型的な裏マズロー商品である。 あるソニーの役員が、「ソニーは(白物家電中心の松下さんや日立さんと違って)いらないものを創ってきたから成長したのだ。」と語ったといわれている。これは含蓄のある言葉だと思う。もちろん、「いらない」だけでお客さんが買ってくれるわけはなく、「(目的手段の関係で考えると)本来はいらないはずだが、見るとどうしても欲しくなる商品」という意味であろう。ソニーこそ、裏マズロー企業のチャンピオンではないか!経営の世界には、「いらないものほど儲かる」という格言もあるようだ。 さて、いったい日本のGDP(国民総生産)を表マズローと裏マズローに分けるとどのくらいの比率になるのか?これはなかなか見当がつかないが、たとえば、百貨店やコンビニの店内を見渡して、表と裏の比率を考えてみると大まかに推測がつくかも知れない。これを読んでいる皆さんの業界で表マズロー商品を作っている会社と裏マズロー商品を作っている会社を成長性、利益率などの観点から比較してみてはいかがだろうか。
Aug 19, 2006
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表マズローと裏マズローと文字通り表裏一体のようである。表マズローのレベル高い人(5~6段階)は、裏マズローもポジティブで品位の高いモノを求め、逆の人は逆になるのではないかと思われる。また、裏マズローを利用する人だけでなく、創る人についてもそれがいえるのではないだろうか。レベルの高い裏マズローの例としてラスベガスやディズニーランドなど幾つかあげたが、それを実現した人は表マズローの5~6段階の志があったからこそ、そこまでのレベルのものが創れたのではないかと思われるのだ。ひるがえって、バブル時代に全国にできたテーマパークの殆どが訪れる人にとっての魅力に欠け、結果として経営に行き詰まったのもそれを実現した人の中に表マズローの5~6段階の要素が乏しかった可能性はないだろうか。もしそうだとすると、ポジティブで品位の高い裏マズローは、レベルの高い表マズローから生み出されるということになる。 また、その逆にレベルの高い表マズローの精神的生産活動は、ポジティブで品位の高い裏マズローによって養われた英気によって実現されるという仮説も成り立ちそうである。いずれにしても、表マズローと裏マズローは、密接なスパイラルアップの関係にあるのではないか。それらの相互バランスは勿論のこと、それらの良循環によるスパイラルアップこそが大切なのではないかと思われる。つまり、表と裏のマズローは表裏一体、光と陰、の関係にありそうだ。・・・光があるから陰があり、陰があるから光がある。こられの一対の正反合の実現により、より高い人生の満足感が得られるのではないかと考えられるのだがいかがだろうか。
Aug 17, 2006
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・ラスベガスのような華麗に遊べるおしゃれな街・ハリウッド映画のような楽しくてワクワクするコンテンツ・ディズニーランドのようなお伽の世界が現実化したようなテーマパーク・いまや生活の一部となったポピュラー音楽・世界に誇る日本のコミック、アニメーション、ゲーム・日本の伝統芸能である能、狂言、歌舞伎・・・。裏マズローはネガティブなものだけでなく、このような立派なエンターテインメントが沢山ある。これらは世界中の人々に人生の潤いを与えている。それではいったい、これらは表と何が違うのだろうか?その本質は何なのか?裏マズローの最大の特徴は、表マズローのように明確な目的がないということだ。表マズローは、生理的欲求、安全の欲求、集団への帰属欲求、承認の欲求、自己実現、社会貢献(最後は私が追加したもの)を達成するための手段である。しかし、裏マズローには、このような明確な目的がない。あえていえば、リフレッシュ。それも身体的なリフレッシュだと表マズローになってしまう。裏マズローのリフレッシュとは精神的な開放である。裏マズローは精神的なリフレッシュそれ自体が唯一の目的なのだ。表マズローに合わせて6段階で定義したが、別にそれらの段階ごとに何かを達成したいという目的があるわけではない。例えば、赤提灯で会社の愚痴をいうのに精神的開放以外に何か意識している目的があるだろうか。では、なぜそれが必要なのか?これがポイントだ。とりあえずの仮説・・・。人間は精神的な生産活動をする唯一の地球上の生物である。その目的は、生理的欲求、安全の欲求・・・ といった表マズローの段階そのものであり、目的・手段の関係の明確な精神的生産活動だ。しかし、そのような精神的生産活動を行っていくうちに疲労が蓄積され、精神をリフリッシュしなければならなくなる。体を使って生産活動をすると疲れがたまり、栄養と休養が必要となるように。だからこそ、人間にだけ裏マズローが存在するのではないか。素晴らしいエンターテインメントを必要とする、それが分る、それをキチンと楽しめるということは、普段から表マズローの活動をキチンとしていればこそなのではないだろうか。
Aug 16, 2006
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ここまでの「裏マズロー」のイメージは、良くないかもしれない。浪費型のストレス解消、世の中の必要悪、身を滅ぼす悪癖・・・ しかし、たとえばラスベガスはどうだろうか。かなりおしゃれで、気の利いた「人生の潤い」というレベルではないだろうか。全米、いや世界中の観光客にとってラスベガスで遊ぶというのは憧れでもある。ちなみに今はカジノだけでなく、音楽コンサート(セリーヌディオンはここでしかライブをしない)や格闘技イベントなど、かなりのエンターテインメント(ここでいう裏マズロー)、それも世界最高レベルのものがそろっている。これらは、ラスベガスに訪れる人にとって別に自己実現でも社会貢献でもないが、人生の潤いを世界中の人に与えている点で大いなる存在価値がある。同じような評価は、映画創りのハリウッド、テーマパークのディズニーランド、ブロードウエイのミュージカルなどにも与えてよいと思う。もちろん、そのような「価値ある裏マズロー」は日本にも昔から沢山あることはいうまでもない。・・・じつに「裏マズロー」は素晴らしいエンターテインメント文化を頂点とした世界を形作っているのである。そして今日の人々に確実に素晴らしい「人生の潤い」を提供しているのではないだろうか。
Aug 13, 2006
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「非生理的欲求」はある、との一等さんのありがたいご指摘のお陰で、「裏マズロー」はさっそく進化した。1.生理的欲求(同じ。これがないと上へは行かない点はマズローと同じ)を1.非生理的欲求(カラダに悪いことをあえてする。例:徹夜マージャン、ジャンクフード、タバコ、(意味のない)絶食・偏食、飲み過ぎ、食べ過ぎ・・・)に訂正する。 これらをみてもいかに日常的なよく見かける行動であるかがわかる。どれも、手軽なストレス解消の方法として知られているものが多い。要は、バランスなのだろう。やりすぎは良くない結果を生むし、後悔したりする。油ギトギトのジャンクフードが無性に食べたくなって、ドカ食いし、胸焼けしてあとで後悔するなどというのは大抵の人が経験しているに違いない。 「裏マズロー」は、身近な日常生活の別の姿でもある。これらの商品でビジネスを成り立たせている企業は実に多い。このような視点で見ると、「裏的行動」を喚起するCMも毎日沢山流れている。というより、殆どがそうだといったら言い過ぎだろうか。さすがにタバコやお酒については、注意を喚起するメッセージがセットで流されている。だが、他の多くの商品は自己責任でバランスをとらなければならないことは言うまでもない。
Aug 12, 2006
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「裏マズロー」。これは、決してあってはならぬということではない。むしろ、息抜きにエンタメとして楽しむことで心身のバランスが健全に保たれるものと考える。 まずは、本家「マズロー」の欲求5段階説+独自の6段階目追加バージョン。1.生理的欲求2.安全の欲求3.集団への帰属欲求4.承認の欲求5.自己実現6.社会貢献 そこで、いよいよ「裏マズロー」。1.生理的欲求(同じ。これがないと上へは行かない点はマズローと同じ)2.不安全の欲求(リスクを犯してスリルを楽しむ。例:株、ジェットコースター、一気飲み・・・)3.不帰属の欲求(既存の枠組みからの離脱を楽しむ。例:会社への愚痴、親や権威に反抗する、しらけて仕事(勉強)しない・・・)4.不承認の欲求(別に認めてもらいたいと思わない。例:自分は他人と違う、理解されなくても良い、一匹狼の美学・・・)5.自己非実現の欲求(自分を殺してラクをする。例:皆で渡れば怖くない、挫折の美学、とりあえず流行にあわせる・・・)6.社会非貢献(自分だけ上手く立ち回る。例:批判・評論だけする、利益を抱え込む、他人の苦労・不幸を見て楽しむ・・・) 繰り返すが、これら自体が悪いということはない。赤提灯で今晩も繰り返されているのは、これらのコトだ。明日の朝のワイドショーのネタもおんなじだ。来週の週刊誌の中吊り広告もそのためにある。だからきっと明日からも生きられるのだ。
Aug 10, 2006
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「裏マズロー」についての前に、今回まずは本家のマズローについてあらためて考えて見たい。そもそも「自己実現」が人間の欲求の最も高尚な頂点であるというのは、一般的に受け入れられているが、私は違うと思う。 人間の欲求の最も高尚な頂点は、社会のために役立つという利他の心だ。と私は信じる。 それも自分のもって生まれた能力を最大限に活用して・・・・。 それ以上の人間の存在証明があるだろうか。 つまり、マズローの自己利益の5段階+社会貢献で、合計6段階が正解なのではないか。暫定的に、私はこれを「人間存在証明の6段階説」と呼びたいが、いかがだろうか。
Aug 7, 2006
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「裏マズロー」とは、聞きなれない言葉だと思う。それもそのはず、私の造語であり、しかも今回初めてお披露目するものだ。(内容自体は、以前からあちこちで話している)この「マズロー」とは、もちろん有名な自己実現を頂点とする欲求段階説のことである。人間は、生存の欲求が満たされると徐々に自分の存在価値を認めてもらいたくなるものであり、その頂点が自己実現という説である。これはこれで一般に受け入れられていると思う。しかし、私はこのマズローの欲求段階説だけでは、人間は生きていけないと考えている。崇高な「自己実現」という頂点とは全く別の猥雑で、覗き趣味で、くだらなくて、しかし場合によってはエスプリが効いて、おしゃれな「エンタメ」という頂点があると考えている。人間が生活していくには、この両方の頂点が必要なのだと思う。機能的に美しく都市設計されたニュータウンでストレスからくる自殺者が多いなどは、その典型的な現象ではないか。従来の都市には赤ちょうちんや怪しげな飲み屋などが共存しているからこそ、人間くさい都市であり、ある意味で住む人の心が安らぐのだと思う。
Aug 6, 2006
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お父さんがたまに小学生の子供の授業参観日に行く。土曜日の午前の授業を見ていると子供が走り回っている。「学級崩壊だ!」「先生がだらしないからこうなるんだ」しかし、よく考えてみたい。色々な教育者や専門家のコメントがあるが、意外にも子供の視点から見た教育論がない。いま子供はどんな環境で生活しているのか。子供部屋は当たり前。一人一台の携帯、ゲーム機、PC。朝食からして、一人一人が好きなものを好きな時間に食べる「個食」。小学校時代から子供はすでに「ワントウワンマーケティング」のお陰で自分の都合に環境のすべでてがあわせてくれる。自分から相手に合わせることは殆どない。ただ、学校の授業を除いては。企業は生活者をマーケティングの対象として、その個人的ニーズに合わせて「ワントウワンマーケティング」や「ビジネスモデル」を展開する。その結果として、子供は自分に合わせてくれる環境以外には適応できなくなっている。「学級崩壊」を招いているのが誰かは明らかだ。月曜日から金曜日までのお父さんだ。
May 18, 2006
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