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地上波アナログの終了に思う かつてドラッカーが、「イノベーションと企業家精神」の中で指摘したようにテレビは人々にとっての「外への窓」だった。しかし、いまや人々は窓を受動的に眺めるのではなく、自分に必要な情報を取りにはいっていく時代になった。ただ、受動的にみるニーズも多少は残るので、おおざっぱなテーマ別のマスコミ型放送や書店も生き残るとみている。 その意味では、総合的な内容の大手地上波テレビ局は厳しい時代となるだろう。 総合性の維持の前提となる規模の経済性が生かしづらくなるからだ。 いや、総合性で生き残るのは、NHKと民放1~2社となるだろう。3位は経営的に苦難が予想される。 それは多くの産業が通ってきた道でもある。
Jul 24, 2011
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新しい日本を創る! 閉塞感あふれる日本に追い討ちの大震災。被災者の皆様には心よりお見舞い申し上げます。 しかし、我々は負けません!ピンチに強いのが日本人です。 単に元に戻すだけの復興ではいけません。 さあ、皆で新しい日本のあり方を考えましょう!コンセプトの公募コンテストをしたいと考えています。私もメンバーであるドラッカー実践行動研究会が主催します。 自分たちの日本は自分たちの手と知恵で創り上げましょう! まずは、facebookの「新しい日本」に行っていただき、「いいね!」をクリックお願いします! またお友達にも広めていただけると嬉しいです。 facebookの「新しい日本」はこちら↓「新しい日本」
Mar 23, 2011
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出でよ!21世紀の坂本竜馬、勝海舟 明治維新は、どのくらいの期間を経て成し遂げられたか、ご存知だろうか。 実は私も知らずに、あるとき調べた。 1853年 ペリーの浦賀来航1877年 西南の役(日本最後の内戦)の終結 つまり、足かけ25年である。 ひるがえって、現在の外需依存経済から内需型経済への転換には、どの程度かかっているだろか。 内需型経済への転換を提言した前川レポートが1986年現在が2010年 あしかけ25年経っているが、いまだに達成されていない。 坂本竜馬、勝海舟、その他の人々が命がけで信念をもって活動したからこそなしとげられた明治維新。 いまは、平成。あらためて維新のために竜馬、海舟の登場が求められている。
May 29, 2010
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肥大化する概算要求・・・計画は守らなければならないのか? マニュフェストを公約として、自民党から民主党に政権交代がおきた。それ自体は望ましいことだが、公約を実現しようとしたら、予想されたこととはいえ、来年度概算要求が肥大化した。 はたして、計画は必ず守られなければならないのだろうか? 残念なことにいまのところマニフェスト最優先主義で、民主党が実社会での実務経験が乏しい人材ばかりであることを露呈してしまったように思う。(これは二世議員だらけの自民党も同じだが) 私も尊敬してやまない鳩山総理の母方のおじいちゃんであるブリヂストン創業者石橋正二郎氏は、次のような言葉を残している。「計画は守れ。しかし、守らなくても良い」・・・含蓄のある言葉ではないだろうか。
Oct 17, 2009
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日本の目指すべきビジョンとは? 今日は衆議院選挙だ。日本の転換点になるともいわれている。 しかし、日本が目指すべきビジョンはどちらのマニュフェストにも明確に掲げられていない。 そこで、「Fine Japan 2」として、私案をご披露したい。これは、以前にもご紹介した「Fine Japan」と名づけたビジョンをベースとして、現時点で見直したものである。 狙いは、日本が次の4項目の転換を果たすことにより、人類社会が継続的に発展していけるよう、世界がFineになるための先導国家となることである。 これらの施策により、日本は長期的視点から内需主導経済に転換することができ、また日本人がその特徴を生かして世界と自分たちを幸せにする道であると考える。 Fine Japan 2 1.商品戦略の転換「世界標準の汎用商品を開発する」から → 「日本独自の高品質・高付加価値・創造型商品に特化する」へ 2.産業戦略の転換「商品の世界シェアを高める」から → 「世界の製造装置を独占し続ける」へ 3.成長戦略の転換「無限環境における外部志向の成長戦略」から → 「有限環境における内部志向の成長戦略」へ 4.社会政策の転換「格差社会による成功モチベーション促進」から → 「格差のない安心・安全・信頼社会」へ
Aug 30, 2009
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「無限の有限」問題から「有限の無限」問題へ 経済、環境をはじめとして、人類社会が行き詰まっている。何かが根本的に変わらなければならない。いままさにパラダイム転換だ。 しかし、その方向性は明確ではない。だから、日本も世界も新しいビジョンが描ききれない。 だが、カメラをひいて宇宙的視点で見てみよう。 これまで人類社会は、地球環境や経済フロンティア(未開拓地)が無限であることを前提とした物的成長志向のシステムを構築し、運営してきた。しかし、今日誰しもが認識しているように実際はこれらは有限である。 無限を前提としたシステムが有限の壁にぶつかったのが、現在の危機の本質だろう。環境問題しかり、資源問題しかり、食糧問題しかり。金融問題ですら、リスクの引き受け手が無限に開拓できることを前提としている点で同根だ。実際はリスクの引き受け手もちろん有限なので、折り返し引き受けの役割が戻ってくる時点で、ねずみ講と同じ問題がおきるからだ。 つまり、現在の危機は、「無限の有限」問題だ。 では、新しいビジョンの方向性は何か。 それは、「有限の無限」問題ではないか。 人類の創意工夫は無限だ。経済の物質的土俵が有限であることを前提にその中で、無限の創意工夫を展開することで、経済を発展させ、生活満足度を向上すればよいのだ。 物質的な生活満足度により、成長を追求する時代は終わなければならない。 まったく新しいチャレンジをする時代が来るのだ。個々人の価値感に基づく無限の創意工夫そのものが自分自身の生活満足度を向上する時代がくるだろう。
Aug 16, 2009
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歴史の合わせ鏡(その2) 以前のこのブログで、「歴史の合わせ鏡」として、今回の新資本主義の危機を20年前の社会主義の崩壊と対比させたことがある。そのときは、それぞれが社会システムとして機能しなくなり、一般市民が生活に甚大な被害を受けることを指摘した。 しかし、いまシティーが36%の株を政府が保有し、立て直すことになった。AIGも15兆円の公的資金を投入し、政府管理下で立て直すことになった。 これは、いうまでもなく実質的な国有化であり、社会主義的アプローチ以外の何者でもない。20年前に社会主義を進めたら、崩壊して資本主義になった。今回は、新資本主義を進めたら、崩壊して社会主義になった。 これは、「歴史の合わせ鏡」の完結編というところか。 次に来るものは、これらをアウフヘーベン(止揚)した社会システムでなければならない。
Mar 8, 2009
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大不況で市場は代替商品へシフト中 クルマや高級品など、需要が減退し消費不況が深刻化しつつある。まさに未曾有の大不況となっているが、単に市場が縮小しているだけなのか。よく見ると、同時に代替商品への劇的なシフトが起きている。 百貨店、総合スーパー、外食は売上高減少に悩んでいるが、ネットや食品スーパー、郊外型アウトレットが売上高を伸ばしている。ネットでは、商品を価格を比較しながら交通費や面倒な時間手間をかけることなく購入できる。外食は減っているが、その分、内食にシフトし食品スーパーの客が増加している。アウトレットは、ブランド物が安く買えることはもちろん、日帰りで温泉まで楽しんで帰るという。 広告も伝統的な4媒体は減少し、ネット広告が急増している。Web制作会社は、問い合わせの急増に驚いているという。 不況で既存市場は需要が大きく減少しているように見えるが、じつは市場シフトの要素がそこに加わっていることを見逃してはならないだろう。
Jan 11, 2009
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「金融危機を根絶するには」 金融危機にゆれた2008年も終わろうとしている。2009年は、もっと大変な年になるだろう。実体経済への影響がこれから顕在化するからだ。 さて、大恐慌への景気対策としての日本版ニューディールはすでに提言した。 これまで歴史的に繰り返されてきた金融危機による大恐慌を原因から根絶する方法はないものか。ここでまた提言をしたい。 金融危機の本質原因は、じつは単純だ。「カネ余り」である。 実業で生み出された利益はその行き場がなく、再投資されずに運用投資される。そこで運用投資が高い期間損益を出しているように信じ込まされている間に静かに進行していた資産の毀損がある日、顕在化するのが金融危機であり、バブル崩壊だ。 これを根本的になくすには、このカネ余りをなくすことである。実業に対して一定以上のカネが余るならば、課税して国庫に収めるようにすれば良い。 具体的な方法としては、法人税を累進課税にするのである。それも、単純な法人ごとの累進課税ではあまり意味がない。実業ではそもそも過大な利益は生じにくいからである。 問題は、少人数で出来る金融の運用投資(特に煙幕効果つきの「金融工学」による運用投資)により、資産の毀損と引き換えに高い期間損益をあげている(ように表面上、見せかけている)利益だ。この利益にたいして、より大きな課税をするには、社員(含む非正規労働者)一人当たりの経常利益に対して、累進課税すればよい。 これにより、金融の運用投資による期間損益により大きな課税がされることでうま味がなくなることからブレーキがかかり、かつ課税により得られた税金で金融危機対策による財政赤字を補填することが出来る。(あるいは準備することが出来る)それだけでなく、実業界も含めてより多くの社員を養ったほうが節税になるということで、ワークシェアリングにもなる。いわば、一石三鳥の効果が見込まれるのだ。 これは、現在の資本主義に欠けている「方程式」の穴を埋めるものである。それは資本主義の不安定性という欠点を補うものになるだろう。資本主義におけるバブル崩壊は必然的で避けられないものだと真顔で主張する意見もあるがいかがなものだろうか。あきらめない限り、改善できないシステムというものは存在しないのだ。 さて、このように個人所得と同様に法人の社員一人当たりの利益に累進課税することで、はじめてこれらが一人あたりに統一され、ある最適係数を掛けて「=(イコール)」で結ばれる方程式ができあがる。もとよりイコールで結ばれていないものは方程式とはいえず、したがって自然に本来のバランスがとれないことから生じる過分な自由度による不安定なアンバランスが発散要因となって、膨張と破裂をくりかえすからである。この過分な自由度を放置する限り、システム的な金融危機、金融バブルは避けられない。 実際、いま個人所得と法人所得の間には、それらの最適な関係性を定義するなんらの方程式もない。 法人の利益も個人の資産も金融機関に預けて運用される。しかし、景気がよくなるほど増える法人利益は、いつしかカネあまりとして金融バブルを生む原因となる。その後に生じる金融危機で公的資金、つまり税金が投入され、その財政赤字の穴埋めのために増税が待ちうけている。つまり、過大な法人利益の運用によって生じる見せ掛けの期間損益が原因となって起きる金融危機のツケを最終的に払わされるのは結局、個人なのである。 であるから、この個人所得と法人所得の間のバランスをとるための方程式の欠落によって生じる非対称性は致命的なのだ。このままこの非対称性を放置するならば、各国の財政赤字は増え続け、世界の全ての国の財政が破綻する未来を想定しなければならなくなる。これは不完全とはいえ、少なくとも失敗に学ぶ「英知」を持つ人類のすることではない。 今後、納税者番号が導入されれば、社員数の水増しなどの不正はごく簡単にチェックできるようになる。海外では納税者番号は常識である。運用投資業務やその他の業務にそれぞれに何人が携わっているのか、についても企業のセグメント情報として、売上高、利益と同時に公開することを義務付ければよい。セグメント別に法人税を計算することもこれらの情報があれば小学生でもできる。 この方法は、金融機関を通じた運用投資のバブル防止に対して有効であるが、個人投資家の直接投資については、対象範囲外となる。資本主義社会である以上、これはもとより自己責任である。問題は、自己責任を問われるべき以外の一般市民が深刻な景気後退で生活に打撃を受け、時として生命すら脅かされることなのである。大恐慌の歴史を見れば、「人類史上最大の悲劇」といわれる第二次世界大戦を起こしたのが典型的だ。 さらに現在では、債権の証券化やデリバティブという金融工学(本質的な機能は「煙幕効果」)の手法を使って、金融機関の運用投資リスクが、一般企業や一般市民にまで拡散していることがより問題を大きくしている。ここに前回の大恐慌以上の悲劇となる可能性が潜んでいるのだ。 金融関係者が「自己責任」で行った結果の金融バブル崩壊の結果、起きる世界中の不都合な事象の全責任を取ってくれるならよいが、それは不可能だろう。 また金融工学にグローバル経済における金融危機の予測と対策が組み込まれるのを期待することも当面、ムリな相談だ。これから世界で一致協力してこのようなシステムを整備していこう。 さて、この提言は連結社員数に海外の社員数をどう含める(為替で調整するか)か、や累進税率をどう設定するかなど、検討すべき課題は色々とあるが、可及的速やか、かつ真剣に検討すべきアプローチと思うが、いかがだろうか。
Dec 31, 2008
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「百年の危機は百年の計を以て制す」年3兆円の損金で、真水100兆円の日本版ニューディールを!前回の大恐慌では、失業率が25%に達した。今回も近いレベルに達することが懸念される。700万人の失業を予測する報道機関もでてきている。 この金融危機は、百年に一度の危機といわれている。であれば、百年の危機は百年の計で制するべきであろう。「百年の計」とは、もちろん「教育」である。 全国の校舎は老朽化している。設備もあいかわらず、明治以来の黒板を使っている。つまり、百年前のままだ。 社会に出ると黒板を使っている企業はもうない。一人一台のパソコンが当たり前だ。電子白板、液晶プロジェクター、パソコンがなければ、スピード時代についていけないからだ。 そこで、国家百年の計として、日本全国の老朽校舎の建て替えと設備の近代化、情報化を景気対策を兼ねてこの機会に一気に進めてはどうか。 まず、全国の小中高の約5万校のうち、1万校の校舎を建て替え、かつ設備も近代化、情報化する。その費用は、80兆円。(1校あたり80億円)それに加えて、残りの4万校を改装し、設備を近代化、情報化するのだ。こちらの費用は、20兆円。(1校あたり5億円) しめて、100兆円の真水の景気対策、兼 百年未来投資である。これを3年間で実施すると、毎年ざっと300万人の雇用創出になると予測される。 さて、どう実現するか。 まずは、学校の校舎を管理する独立行政法人を創設する。独立行政法人は、複式簿記が義務付けられているので、貸借対照表と損益計算書をつくることになる。つまり、減価償却が可能なのだ。 校舎は47年、付属設備は8年の償却期間とすると、100兆円の平均償却期間は約30年となり、1年あたりの損金は3兆円にしかならない。景気が回復するならば、3兆円の税収はすぐに確保できる。 あとは、独立行政法人の原資であるが、これは低金利時代を活用して国債などで調達して出資することになるだろう。 その国債の買い手は誰か。 今後、いまやゼロ金利となったドルの長期低落と引き換えに継続的な円高が見込まれる「円」が、外国投資家に注目されている今こそ、実施できる思い切った施策ではないか。(本日、米国の著名投資家はドルは今後数年間で90%下落すると予測している。つまり、1ドル10円時代が来る可能性があるのだ!)
Dec 18, 2008
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「9.11と金融危機」 21世紀に入って起きた、世界を変えた大きな事件には、「9.11によるWTCビル崩壊」と今回の「金融危機による金融市場崩壊」がある。 いずれも人知を超えているように見えるこの二つの事件には、実は何か共通点があるのではないか。 皆さんのご意見を集いたい。 今週末の日曜日には私個人の意見をご披露したいと思う。
Dec 15, 2008
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「時価会計を即刻廃止せよ!」 金融危機の臨時対策として時価会計の継続の是非が議論となっている。 しかし、そもそも、時価会計自体が大間違いなのだと思う。微分積分における関数と一階微分と一階積分とを一緒くたにしているからだ。 保有株式を現時点で売ったら、総額いくらになるか、が時価総額だ。しかし、そもそも全額を売ること自体が無理であるし、もし出来たとしても暴落して実際には、決して得られない資産価値である。合計すると時価総額となる上場企業の株式を、それを保有する企業が時価で評価し、各社の企業会計において資産として計上すること自体がおかしいのである。 仮に1~2社が大株主として、市場でそれを利益として実現するために、いっぺんに売却しようとしたことを考えれば簡単に分かるはずだ。 全体の発行済み株式のごく一部の売買でついた価格を全体に引きなおして適用するということには、ほとんど何の根拠もないといってよいだろう。 しかも、会計決算は発表されてから保有有価証券の時価が正しく反映されるのであるから、それを反映した株価は必ず一定の時間遅れが生じる。じつは、このことが機械的な連鎖反応となり、スパイラル的な動きをさらに加速する。上昇するときは、加速度的に上昇するが、下降するときも加速度的に下降する。これが、まさに現在の金融危機を加速しているのである。 企業が保有する有価証券の時価をまったく反映しない簿価評価はおかしい、という議論はあるだろう。確かにそうだ。しかし、完全に反映してしまうのも上記のように、実際には決して実現しない価値を計上してしまうという大きな矛盾をはらんでいるのである。 適正な値は、その間のどこかにある。 それは神様しか、分からない。それは未来を予測し、振り返って現在の位置づけを判定すること、そのものだからである。 だからこそ、企業が保有する資産価値の評価は市場評価に任せるべきなのである。簿価評価の決算書だからといってそれだけの株式評価でなければならないというわけではない。どの程度のプレミアムをいま乗せるかは、市場参加者がそれぞれ自己責任で判断すればよいのである。(時価は、投資家への参考情報として公開すれば十分だ) それこそが「市場主義」というものではないのだろうか。ポールソンさん。 -----------------------------------時価会計ルールの代替案みつかっていない=米財務次官補 12月11日10時39分配信 ロイター [ワシントン 10日 ロイター] 米財務省のカシュカリ次官補は10日、時価会計規則は市場の大幅な変動につながっているが、この問題に対する明確な解決策はみつかっていないとの見解を示した。 同次官補は下院金融委員会で「時価会計は循環的で変動を増幅させているという点で疑いはない」と語った。そのうえで「同時に、より良い代替案はみつかっていない」と述べた。 最終更新:12月11日10時39分
Dec 13, 2008
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「日本は次の社会へ」 金融危機に端を発する円高が進む。いまは一服しているが、金融機関の救済が一段落すれば、米欧の巨額の財政赤字が問題となるだろう。打ち出の小槌は実在しないからだ。 そうなると円高は進む。円高が進んで日本経済はダメになると騒いでいる。 しかし、それ自体がおかしい。 自国の通貨が強くなって、滅んだ国はない。通信簿の成績があがって、泣いているようなものだ。 1985年のプラザ合意のときも半年間は、大不況が来るといって騒いでいた。しかし、実際は円高で原材料は下落し、利益が大幅にあがるようになった。 しかも、半年すぎたら、世界中のお金が集まって、準備もビジョンもなかった日本は不動産バブルに走ることになった。海外からのお金と自国の利益は行き場を失ったからだ。日経平均も3.9万円までいき、怪しいリゾート計画もたくさんでき、回収の見込みのない投資も多く行われた。その先の苦節10数年間については、説明不要だろう。 今回も、世界不況による原材料価格の下落と円高のダブル効果で、11月からの値下げがどんどん発表されている。新日鉄も利益を大幅に上方修正した。パナソニックもしかり。 考えてみれば、そもそも円高で泣かなければならないような構造になっていること自体がおかしいのだ。 日本の優良輸出企業は、世界で稼いでいるが、実は日本では利益が出ていない。同質化競争の日本では稼げないので、そこで鍛えた品質で世界で稼ぐという構図だ。 なので、日本では利益が出ないという理由で、日本の働き手は貧しい生活のままだ。世界の実業、とりわけ製造業を支えているのは日本であるにもかかわらず。 米国の大企業の係長は、クルーザーを共同所有している。課長はクルーザーを持っている。部長はセスナを持っている。日本の部長はよくてトヨタのクラウンだ。 もう一度言う。 誰が世界の実業を支えているのか。実業を支えている人たちが幸せになれない日本の産業とはいったい何なのか。このゆがんだ構造こそが問題なのではないか。 非正規雇用者が、「内なる外国人」として虐げられている、いわゆる格差問題も同根なのではないか。 国内市場が儲かるようになれば、このような問題は解決する。 そのための条件は、差別化による棲み分けだ。 まさにそのためにブランドマネジメントが必要な時代がやってくる。 今度こそ、次の日本社会へのビジョンを持って円高に臨もうではないか!今度こそ、金融や不動産バブルではなく、世界の実業を支える日本の働き手の実際の生活が向上するような構造改革を実現しよう。
Nov 1, 2008
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「驚天動地の危機打開策」 ここで、一見荒唐無稽と思われるシミュレーションをしてみよう。 金融危機の震源地である米国とそれの影響をモロに受ける欧州に比較して、すでに10年前にバブル崩壊した日本との為替バランスが崩れている。 いま世界のために日本ができることは何か・・・。 驚天動地の打開策を提案(予言?)しておこう。 日本も財政赤字を追加することで、異常なアンバランス的円高をどうすれば是正できるか・・・。 ハワイか、アラスカを米国から買うのである。 ざっと100兆円くらいかと思う。 そうすれば、日本も巨額の財政赤字と赤字国債を積み増すことになり、極端な円高を避けられる、つまり世界経済秩序の崩壊を防げる可能性がででくる。 麻生さんは、解散時期がどうのといっている場合ではない。 米国にこの提案をしてはどうか。 荒唐無稽な話と笑われるだろうが、果たして・・・。
Oct 24, 2008
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「歴史の合わせ鏡」 金融危機だ。それも罪なき人類の生活にとって、核戦争並みの影響のある危機だ。 今週、月曜日と水曜日に弊社でミニセミナーを開催した。そこで、下記のような予言をした。・円高になる。来年にかけて1ドル80円。・内需産業は、為替差益と原料市況の下落のダブル効果で収益を上方修正。・輸出産業は、国内シフトで優勝劣敗が明確化し、生き残った企業はこれまでの国内の低収益が是正され、国内が欧米並みに儲かる市場になる。・・・と。しかして、今週中に予想以上に早くその流れが明確になった。今日は、欧州で1ドル90円をつけた。来週は80円台となるだろう。さて、問題はこの状況は歴史的に何を意味しているかだ。これは、1988年のベルリンの壁崩壊、89年のソ連邦崩壊に匹敵する。それにより社会主義が崩壊した。それと同様に、社会主義崩壊後に20年近くわが世の春を謳歌した市場万能の自由主義が崩壊しているのが、今日の歴史的な意味だ。 グリーンスパン元FRB議長が今日米国議会で証言した。「自由な市場経済に任せすぎた米国経済運営に問題があった」と。 社会主義の崩壊で、多数の経済難民が生まれた。いま、放任自由主義の崩壊で経済難民が多数、生まれている。これを「歴史の合わせ鏡」と言わずして、何というべきか。
Oct 24, 2008
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「幻の高収益、高配当、高金利」 金融危機の本質は何か。「永久機関の発明」という子供だましのギミックに大人が踊らされたことだ。 金融工学という永久機関は、高い収益を生んだ(ように見えた)。つまり、高効率のPL(損益計算書)である。その金融業の高い収益性が根拠となり、高配当、そして高い金利が定着していた(はずだった)。 しかし、実際にはその代償としてBS(貸借対照表)が、激しく痛んでいた。誰も気がつかないうちに。しかし、ある日突然、その資産価値の毀損が顕在化する。 いま考えれば、資産価値の空洞化と引き換えに期間損益の高収益を維持していただけだ。 それがいまの金融危機だ。つまり、タコが自分の足を食っているようなもの。永久機関と宣伝されて、信じてみたが所詮はまがいもの。 それこそ、現代の錬金術だ。それを一度は信じた者は、大いに恥ずべきだろう。 自然界の法則の前に、いま一度謙虚になり、その声にしたがうしかあるまい。
Oct 21, 2008
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「金融業復活への緊急提言」 このたびの金融危機は、偶然ではない。 いま金融業の本質、原点に帰るときだ。 金融業自体が何かを生み出すということは基本的にないはずである。あったら物理学の質量保存の法則に反している。金融工学を仕事とする者、それをマネジメントしようとする者は、数学だけでなく、まず物理学を学ぶべきだ。 数学だけでは、現実社会との対応がとれ、客観性と再現性が担保された有用な法則であるという確証がないからだ。 その点、物理学の理論は常に現実の実験結果との整合性によってチェックされている。 質量保存の法則、エネルギー保存の法則、エントロピー増大の法則、古典力学と量子力学の対応原理などを最低限理解してから、仕事をすべきだ。 相手にするのは、ロジックだけでできた数学の世界ではない。自然現象であり、生身の人間社会だ。 そうすれば、永久機関ができるといっているような全くの子供だましのような話をしなくなるはずだ。 そうでなければ、金融工学は、こんどの金融危機をどうそれ自身の論理的整合性のなかに取り込むのだろうか。 何かの社会的に有益な産業を金融面から支援することによってはじめてそこに存在価値と付加価値が生まれるということをまずは知ってから全ての行動を起こすべきだ。
Oct 20, 2008
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「金融工学の本質」 リーマンブラザースが破綻し、AIGが政府管理下で再建を目指すことになった。なぜ、このようなことが起きるのか。 資金を集め、運用する。あるいは、そのサポートをする。その際におけるリスク管理は、金融機関の本来機能の一つである。そのリスク管理を先端的数学とコンピュータで行う金融工学で、世界最高のリスク管理を実現し、その基盤の元に世界中の巨額の資金を運用していたはずだった。 では、なぜ今回のような事件が起きるのか。 金融工学がどんなに先端的であろうと、いや、それが先端的であればあるほど、それは素人には中身の良し悪しを判断できない。 良し悪しを判断できないということは、結局どの程度のリスクを負っているかを、一般の顧客はもちろん、経営者や株主、さらにはそれを監督する政府当局すら判断できないということだ。実際にリーマンの60兆円に上る資産のうち、不良債権がどの程度か誰にも分からないといわれている。 結果として、金融工学の機能価値は、リスクをわからなくする「煙幕」のような役割を果たしているだけはないのか?その「煙幕」が、始末に悪いことに最先端の技術の包装紙をまとっている。 それが、所詮はゼロサムゲームでしかない金融資産運用があたかも、プラスサムで、科学的に管理可能な「打ち出の小槌」であるかのような誤解を与えているのではないか。 それは、一般顧客はある程度いたしかたないととしても、金融監督当局や、当の金融機関すらそのレベルにとどまっているのではないか。だとすると、今回のような事件は繰り返されるだろう。「リスクの見える化」というリスク管理の基本ができていないからだ。 金融業界の方向性に危惧を感じるとともに、本来の金融業の社会的な提供価値は何か、という原点からの再スタートが必要ではないか、と思う。
Sep 21, 2008
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「部分最適から全体最適へ」 バブルが崩壊して以来、日本企業は遅ればせながらの「選択と集中」により景気を回復した。次の課題は何か。 そのひとつは部分最適から全体最適への転換だ。 今朝のニュースで経団連の御手洗会長が、下記の方針を示した。 「10年内に世界最高の所得水準を実現する政策結集が必要=経団連」景気回復にもかかわらず、毎年の賃上げを抑えてきた経団連の今後10年間の方針だという。(!?)もちろん、大いに歓迎したい。 あとは毎年の方針との整合を望む限りだ。企業業績回復のための賃金抑制が、格差社会、老後の不安、少子化という形で日本社会の全体最適に矛盾してきた限界を認めたものとも考えられる。 カンパニー制だ、分社化だと個別事業の独立経営を指向してきた日本企業が、グループ総力の資源移動により戦略分野を集中育成するサムスンにかなわない。 褒めることで人はやる気を出すという、コーチングやモチベーションマネジメントを実践していると、成果主義人事制度の評価の際に、「あんなに褒めてくれたのになぜこんな評価なのですか」と聞かれて現場の管理職は返答に困る。 ・・・部分最適を追求する限界は、もう見えた。 2008年は全体最適追求の元年になるだろう。
Jan 1, 2008
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「コンテンツ産業は誰のもの?」 著作権侵害のコンテンツが確かにYoutubeにはある。 その著作権侵害のコンテンツは権利者の削除依頼に応じて、どんどん削除されている。しかし、そうされるのが果たして当たり前なのか。 見方を変えると、除されたコンテンツは私たちが見たいときにいつでも手に入るのかどうか?実は多くが手に入らない。 ・・・売っていないものを見たい人の権利はどこへいったのか。 確かに「アーチストあってのコンテンツ産業だ」という主張はもっともに聞こえるが、本当か? その前にそれを見たいと思う人あってのコンテンツ産業ではないか?誰も見たくないコンテンツにいったいどんな経済的価値があるのか? 消費者が見たい人がアーチストなのではないか? 著作権侵害を指摘するコンテンツ産業の方にいったい「供給責任」をどう考えるか、ぜひ伺ってみたい。 供給していないコンテンツをいま見たい人に供給して需要喚起しているYoutubeには本来、感謝すべきなのではないか?売れると見たら即座に発売すればよいのだ。Youtubeに削除を要求するなら、どこのサイトにいけば即座に購入できるのか、その情報を同時に消費者に提供すべきだ。(私も知りたい) それこそがビジネスというものだろう。 その努力を怠って、規制だけするのは消費者の利益にかなっていない。 そして、消費者の利益にかなっていない産業の衰退も歴史を見れば明らかだ。 私は著作権はキチンと保護されるべきものだと考える。いま売っているものはコピーが配布されれば売れないのは当然で、これは著作権以前に立派な営業妨害だ。その一方で、同時にその保護自体が消費者の欲求に水をかけるならば、コンテンツ業界は発展しないだろう。 消費者の欲求を、著作権を保護しながら満たす仕組みを創り上げることこそがコンテンツ業界の使命だと考える。 コンテンツ産業の方の反論をぜひ期待したい。
Nov 27, 2007
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「ゴアさんの行動原理は何か」ゴアさんが「不都合な真実」により、ノーベル平和賞を受賞された。心から「おめでとうございます」と申し上げたい。 以前、このブログで「歴史はどんなモデルで動くのか」を書いた。下記は歴史に登場する政治家や指導者の行動原理をあえて単純な行動モデルにまとめたものである。 ■新しい魅力的なビジョンで味方をまとめる。■新しい技術を生かしブレイクスルーを成し遂げ、優位に立つ。■本音でやりたいことに建前で理由をとってつける。■共通の敵をつくって味方を増やす。■硬軟対応を使い分けて戦わずして味方に引き込む。■強い敵にたいしては油断させて間髪いれずに攻撃する。■弱い敵には戦う準備をしたうえで準備不足の相手に戦いの火蓋を切らせる。・・・など 歴史上の殆どの指導者の行動パターンがこれに含まれる。やっているプレーヤーは代替わりしているが、やっているゲームそのものは同じ。こんなゲームのために歴史上、世界中で沢山の命がすり減らされていたのかと考えると驚愕するものがある。いまでも多くの外交、内紛、紛争、戦争はこの行動原理の結果、起きている。最近、よく言われる「国益」という概念もこの原理を追求するものだろう。 しかし、ゴアさんの副大統領のあとの一連の行動はまったくこれらでは説明が付かないのである。このことに当時のブログにいただいたコメントとのやり取りで教えていただいた。(以下、コメント引用)『ゴア元副大統領は、共通の敵を「他の民族」とせず、「人類の危機」とすることで人類全体の結束を働きかけていますね。』(ocean-manさん)『ゴアさんは、人類の危機における敵を他の民族ではなく、ほかならぬ人類自身の無関心と無行動であると訴えているのではないでしょうか。まさに新しい行動原理を持った指導者だと思いますね。』(イニシア)
Oct 13, 2007
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4月13日18時47分配信 時事通信
Apr 13, 2007
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「学力回帰にモノ申す」 「教育」については、いろいろな価値観や考え方があり、日本は非常に混乱していると思われる。そこで、少し原点に返って考えてみるのも良いだろう。 「ゆとり教育」の失敗と反動で「学力重視」の流れが優勢となっている。しかし、そもそも何をどう学ぶべきかの議論のないまま、ただ最近の子供はアホになったということで回帰を目指しているのが現実だ。新しい方向性を目指したならば、その結果に従来の物差し当てれば劣っているに違いない。 ずばり言うと、問題は従来の学力回帰が目指している「能力」は、ほとんどが各家庭に普及しているネットワークパソコンですでに代替できる機能ばかりだということだ。・データの記憶・プログラム(公式)に従った正しくて早い演算・ネットワークによる新しい情報の獲得 さて、 我々人間は何をして付加価値を出しますか・・・???その答えに対する議論なく、「教育」を論ずることは意味がないと思われる。学校も企業も・・・
Apr 3, 2007
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「格差社会を解消するには」 ・・・格差社会の原因、そのひとつは仕事の二極化であろう。先日の週刊ダイヤモンドに辻広さん(取締役、元編集長)がコラムにかかれていた。「コンビニ業界に典型的に見られるように、システム化が進むと販売データを見て戦略を企画する人と、それにしたがって実行するだけの人に二極化していく」確かにこのメカニズムは、経営の中にシステムが中核的に組み込まれ、システムなくしては企業経営がなりたたない時代にますます加速するだろう。 かつては、工場の現場で品質管理が行われ、それが品質を高めた。日本の自動車メーカーが世界をリードするようになった大きな要因がそこにある。 これからは、「現場の知恵を経営に生かすシステム」が、必要になってくるだろう。それが格差社会の解消と企業競争力の向上を両立する道ともなるはずだ。
Apr 1, 2007
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「日本にとって格差社会はマイナス」 戦後日本は、長らく平等社会として発展してきた。いま、それが日本を閉鎖的にしたことや、非効率を内在する原因となったこと、活力の源泉が失われることなどの理由から、格差を是認する社会へと移行してきた。個人の創造性を発揮する社会になるべきとの示唆がそれを後押しする。 しかし、格差社会はさまざまな不安定要因を抱え込むことになる。貧困の拡大、犯罪の増大・・・ 問題はそれだけでない。格差社会の最大の問題点は、日本人の特徴が失われることだ。 格差がないことは、均質で高い品質、サービスを生み出す源泉となっている。格差社会でなくても十分に日本社会は競争力を高め、富を生んできた。個人でなくても組織力で創造性の高い仕事をするという新しいビジネススタイルも生んできた。 世界の中で、日本が高い品質の高級ゾーンを確保し、将来とも生き残っていくためには、なにも世界標準にあわせる必要はない。むしろ世界平均に近づける安易な道を避け、日本が世界から評価されるようになった特徴をいかに温存し、さらに発展させるかをこそ考えるべきではないだろうか。
Mar 24, 2007
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「日本の食品は世界の高級品!」 前回のブログで、高級品としてのみかんの輸出の話を取り上げた。ちょうど今、NHK総合テレビで日本の食料、とりわけ果物などの農産物、水産物などの食材系が海外特にアジアで大変な人気であるという番組を流している。かなり前から、寿司は人気だったが、寿司ネタ以外の水産物や果物にも人気が広がっているのだ。 メロン、みかん、いちご、わさび、しゃけ、なまこ、さば、マグロ、ホタテ、貝柱、牛乳、ホヤ・・・ たとえば、日本国内で500円くらいのいちごが1000円くらいで売れている。年収で購買力換算するとと、軽く10倍前後のものが売れていることになるのだ! 人気の理由は、 やわらかくて甘い。みずみずしい。 よい香りがする。安心・安全・・・ とどのつまり、外国人から見て、日本の食品は「食の芸術品」とまでいわれているそうだ。丁寧な作りこみと物流プロセスを含めた絶えざる創意工夫がその味と品質を維持・向上し、日本の食材のブランド化にまでいたっていのだ。 以前に日本の産業戦略として、高級ゾーンに集中することを提案したが、工業製品だけでなく、農産物、水産物でもその製造過程の創意工夫で高級品として評価を確固たるものにしつつある。政府は現在、7兆円の食料輸入に対して、3000億円の輸出であるのを2013年には、1兆円とする目標だそうだ。日本のお家芸の官民連携の産業戦略で、ぜひ実現してもらいたいものだ。
Mar 17, 2007
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「歴史はどんなモデルで動くのか」 人類の歴史は長い。その中で似たようなことが繰り返されてきた。最近でもイラク戦争の泥沼化は、ベトナム戦争の繰り返し(デシャブ)だともいわれている。 ・・・なぜ歴史は繰り返すのか? それは政治家や指導者の行動原理が、同じようなモデルで動いているからではないかと思う。簡単にいくつかをまとめてみた。 ■新しい魅力的なビジョンで味方をまとめる。■新しい技術を生かしブレイクスルーを成し遂げ、優位に立つ。■本音でやりたいことに建前で理由をとってつける。■共通の敵をつくって味方を増やす。■硬軟対応を使い分けて戦わずして味方に引き込む。■強い敵にたいしては油断させて間髪いれずに攻撃する。■弱い敵には戦う準備をしたうえで準備不足の相手に戦いの火蓋を切らせる。・・・など もちろん、これらは例に過ぎない。しかし、ここに新しい視点による行動原理のモデルを加えない限り、人類の未来はないのだと思う。
Feb 25, 2007
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「潜在意識を見方につけよ」 潜在意識とは、普段は顕在意識の下にある、過去の長期的な記憶や経験が蓄積された意識だ。たとえば、何かのプランについて会議をする。その結果、論理的な議論によってある「結論」に達する。 このような理由によって、いついつまでにこれこれこうしなければならない。 そして、会議は終わる。 しかし、誰もそれを実行しようとしない。 そんな経験はないだろうか。 実行できない理由は、明白だ。参加者の潜在意識が、それを否定しているからだ。 「論理的には合意はしたものの何か腹に落ちていない。自分は個人的に、何か違和感を感じている。 」 参加者の潜在意識が合意するプロセスを経ない限り、未来指向の新しい施策は実行されない。
Feb 11, 2007
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「生かされることに感謝する」 新年の予測、あるいは希望として、『「親子の絆」の大切さや家庭の役割が見直され、暖かい家庭を築く運動が起きる。』と書いた。 生きる基本単位の家庭、とりわけ親子の絆が薄れている。極端な話、親子間の殺し合いの事件が後を絶たない。 親子とは何か・・・永遠の問いだが、生かされていることへの感謝だけはお互いに忘れないように・・・そんな家庭を作ることにもっと関心がいけばと思う。 ↓13年前に息子が歩き始めた頃の靴
Feb 4, 2007
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「話は単純」 以前に、「いわれなきいじめ」をどう撲滅するか、について意見を発信させていただき、いろいろな議論を頂戴した。ニュースとしては、沈静化しているが、続編のニュースを聞いているとやはり抜本的な対策が必要だと思う。 問題が問題だけに社会的な背景とか、家庭の親に問題とか、学校の教師の問題とか、さまざまな観点からの議論をいただいた。いずれも大切な要素には違いないが、早期に有効な対策をとるという観点からすると、もっと話を単純に整理しなければならないと思う。 ・・・要は、大人が「いじめは悪いことだ」とキチンと教えていないことが問題なのだ。 今年はそれを大人達が結束して推進しよう。 すべては、そこから始まる。 なぜなら、「何かの社会的背景のある」いじめも確かにあるだろうが、そんなご立派なものばかりではなく、単なる愉快犯や尻馬的であって「麻薬中毒のような」いじめも実に多いからである。いわれなきいじめに対しては、毅然と断罪しなければならない。どんな背景や理由があれ、麻薬を罪悪であると教えない選択肢がないのと同じように・・・。 最後に「てむとさん」の勇気ある発言を引用しておきたい。------------------------------------------------------いじめによる自殺が後を絶たない。連鎖反応をしているような気がする。私自身、いじめられた経験といじめた経験を持つ。いじめられたのは小学校3年生と中学校2年生の時。口での暴力だった。特に、小学校3年生の時はひどく、ストレス性の胃腸炎になった。中学校の時は、いじめを受けたことがある経験、いじめたことのある経験、ある程度達観していた面もあり、親しい友人もいたことから、耐えることができたが、今でも本人にあったら殴りかかりそうだ。いじめたのは小学校6年生の時。みんなから「きたない」「ばい菌」とよばれていた女子に対して、いじめをした。今だから思える、ものすごい罪悪感。でも、いじめているときは、正直、快感だった。ドラッグに手を出す犯罪者のようだった。子どもたちは、いじめの快感・誘惑に勝てずに、弱いものの揚げ足を取っていじめる。大人が、いじめは非合法であり、犯罪であることを教えなければならない。子どもたちも、ドラッグが悪いことは理解できるはずだ。それと同じように、いじめも本人の精神をむしばんでいく。自殺した少年をいじめていたグループが、別のいじめの対象を見つけてまたいじめをしたというニュースもあった。既に精神がむしばまれているのだ。大人が、勇気を出して子どもに接しなければならない。
Jan 28, 2007
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「たて/よこマズローの相互交換」 昨年、このブログの意見交換から「たて/よこマズロー」は生まれた。 今年は、この「たて/よこ」の相互交換が頻繁に起きるだろう。 すなわち、真面目一途の企業・商品はエンタメ要素を、逆にエンタメ企業・商品は真面目な価値を追求するようになる。 昨年暮れに、マーカスエバンズのブランドセミナーの議長をやっていて、そこで取り上げられた最近のヒット商品のプレゼンテーションを聞いて確信することができた。 ・・・ヒット商品作り、企業ブランド向上の方程式が見えた。 今年は、これがもっと盛んになるだろう。
Jan 25, 2007
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「Web2.0からリアル2.0へ」 いま、Web2.0が話題のようだ。 (あくまで伝聞・・・笑)これは、私が20年前(1987年)に予測したとおりになった。 ・・・それはともかく、リアルはどうなるのか。 おそらく、連動しだすのだろう。何度か取り上げているFREE HUGSキャンペーンもそうだし、米国大統領中間選挙もそうだ。これからは政治が変わる。直接民主主義に先祖がえりする。 しかし、そんな変化がもっと身近にもおきるようになる。 誰もが、身近な双方向のコミュニティーを持つようになる。そして、ヒーロー、ヒロインが無数に誕生する。リアルな人が、Webコミュニティーに登場し、Webコミュニティーの人がリアルにブレイクする・・・ リアルな生活が、Webの世界との相互作用によって成り立つようになる。 それはもうひとつの宇宙誕生となる。
Jan 17, 2007
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「インターネットは、平和への武器」-Peace Weapon 武器とは、本来は戦争のための道具だ。強い武器を持っているものが勝つ。そして支配する。 一方、これまで平和を望むものには、武器がなかった。非暴力による抵抗、意思表示、説得・・・これらが平和を「平和的に」実現しようとする人たちの武器ともいえない、「手法」だった。 ・・・ しかし、時代は変わるかもしれない。 インターネットが平和への武器になるかもしれないからだ。 なぜ、平和への武器になるのか?それは戦争が終わる条件を満たせる可能性があるからだ。 以前、書いたように、戦争が終わる理由は二つ。1.どちらかが勝ったとき(=もう一方が負けたとき)2.戦争をする意味がなくなったとき 地域の貧困が戦争の大きな理由だとすれば、経済成長こそが特効薬のはずである。 世界中の皆の知恵を集めて、戦争国・地域の経済成長シナリオを書こう!そのために、その地域の特徴や強みを知るために地域の人たちにも協力してもらう。そして、それをどう生かすのか、インターネットで世界中の知恵の共同作業で描くのだ。 どんなに貧困で、資源のない地域でも、少なくとも人件費の安さという強みは持っている。それ以外に、何かプラスアルファがあればしめたもの。 それらを生かすために必要なものは、戦争ではなく、経済成長シナリオと投資誘致のための法令整備や産業基盤づくり、そして何より人材育成だと気がつくはずだ。
Jan 14, 2007
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「YouTubeの社会的インパクト」 以前に2007年の10大予測の一つとして下記のようなコメントを発信した。「 2.「YouTube」の個人提供コンテンツが世論と政治に与える影響が無視できなくなる。」 昨年、秋に米国大統領中間選挙が行われた。野党である民主党が躍進し、上下両院で過半数を占めることとなり、イラク戦争に対して現政権に大きな痛手となった。その結果には、YouTubeが影響を与えているのではないかと思う。 現時点のデータだが、「War」で検索してみると、13万件の動画が、「Iraq War」で検索しても、4.2千件の動画がアップされている。アクセス数はピンキリだが、おおざっぱに平均1千件と仮定すると、全部でそれぞれ1.3億アクセス、420万アクセスということになる。 しかし、それらの全てが反戦的内容というわけではない。むしろ、官製あるいは、兵士支援団体による鼓舞的、同情的、追悼的なものも多い。 ■鼓舞的なものの例これに対しては、視聴者からコメントとしてきびしい批判が寄せられている。 ■追悼的なものの例 前線の兵士の苦労をねぎらい、また兵士の遺族への配慮も感じられるよく出来た作品である。だが、これに対しても賛否両論がコメントされ、激論も交わされている。 これら以外にも現地で兵士が戦場で撮った生々しいものもある。 かつての湾岸戦争では、ピンポイント攻撃とされる官製フィルムをニュースを通じてみるだけであったことからすると全く異なる情報環境になったといえるだろう。動画、音声(音楽)を通じて、様々な意図の作品が発信され、それに対して様々な反応が直接寄せられる。さらにはそれらの反応自体が、誰にでも閲覧でき、また次の反応を呼び起こす・・・。 これは、すでに権力のチェック機構といわれた従来のメディアという枠を超えてしまっている。YouTubeは個人一人ひとりの、より直接的な意思表示の場となったのである。将来は「議会」ではなく、ここが民主主義の実質的な意思決定の場になってしまう可能性すらあるのだ。つまり、直接民主制である。
Jan 8, 2007
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「10大予測(1)」 予測1.「Free Hugs キャンペーン」のオリジナルサイトのアクセス数が億の単位に達する。 このビデオがアップされたのは、2006年の9月22日。2007年1月1日現在、840万アクセスである。コメントがなんと1.6万件。(全て読める人がいるだろうか)これは他の登録コンテンツと比較して、とてつもない注目度といってよいだろう。 そして、さらにビデオレスポンス(呼応して創られたビデオ)が71本。世界各国のビデオがあるが、先にご紹介した各国で創られたビデオが全て登録されているわけではない。むしろ、ごく一部だ。 ・・・ということで、私の予測。年内にアクセスは1億に達するだろう。この運動のさらなる世界的な拡がりと共に・・・。 そうなると何が起きるのか? それを知る人間は数億人に達する。ざっと見積もって10億人かも知れない。ということは、つまり先進国の多くの人々がそれを知ることになる。 それはきっと、「文明が置き忘れてきた何かがある」ことに人類がハッキリと気づく瞬間だろう。それがおそらく、今年中にやってくる。そして、それが人類文明にとっての大きなターニングポイントになる可能性がある。
Jan 3, 2007
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「2007年の10大予測!」 明けましておめでとうございます。 1.「Free Hugs キャンペーン」のオリジナルサイトのアクセス数が億の単位に達する。(2007年1月1日現在、840万アクセス) 2.「YouTube」の個人提供コンテンツが世論と政治に与える影響が無視できなくなる。 3.「Peace Weapon」としてのインターネットの価値と機能が明確に認識されるようになる。 4.インターネット上の双方向性、参加性(Web2.0的現象)がリアルと連動するようになる。 5.「たて/よこマズロー」の相互交換が起きる。すなわち、真面目一途の企業・商品はエンタメ要素を、エンタメ企業・商品は真面目な価値を追求するようになる。 6.「いわれなきいじめ」が人権侵害行為であることが社会共通の価値観、ルールとして認知される。 7.「親子の絆」の大切さや家庭の役割が見直され、暖かい家庭を築く運動が起きる。 8.「潜在意識」に従うことが成功のために大切であり、その深耕の方法・行動が注目される。 9.問題空間(問題を定義する領域)の大切さが認識され、相手を理解するためのコミュニケーションの新しい枠組みが提示、議論される。 10.「人類の歴史」を問題モデル化という新しい視点から捉えなおし、比較意思決定の研究が始まる。 ・ ・ ・ ・ これらは予測というより、希望。希望というより、意思に近いでしょうか。 本年もどうぞよろしくお願いいたします。
Dec 31, 2006
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「父と娘の絆」ここに一つの作品がある。 チャレンジャー美樹さんに教えていただいたものだ。創られた背景はよく分からないが、とても心に響く何かがある。 ずっと、ずっと、ずっと、父を待つ娘・・・。 (YouTubeより) 親子とは何か、考えさせられた。 そして、笑いながら一緒にいることへの感謝。
Dec 29, 2006
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「爆発! Free Hugs」 Free Hugは世界中で爆発している。現代の最新のメディアであるYouTubeが、そのキッカケとなり、拡大のメカニズムそのものともなっていることは注目される。 文字通り世界各国で、各都市で、Free Hugs キャンペーンの映像がどんどん作られ、アップされ続けている。その総数は不明。とても全てを捕捉仕切れない。 今回は、できるだけ沢山の映像をピックアップしたので、ご興味のある国や都市を見つけてご覧いただければと思う。アジア、北米、中東、中南米、欧州・・・。本当に世界中で広まっていることが分かっていただけると思う。最後には、時節柄サンタクロースが登場するのが、ほほえましい。 以下、全てYouTubeより。 ■Juan Mannさんへのインタビュー。Free Hugs - Juan Mann Interview- You Tube sensation ■各国のFree Hugsのビデオ映像オーストラリア・メルボルンFree Hugs Melbourne v2.0 ブラジル・ブラジリアFree Hugs / Abracos gratis Brasilia BrazilペルーFree Hugs PeruメキシコFree Hugs MexicoベネズエラFree Hugs Campaign in Venezuelaスペイン・バルセロナAbrazos gratis en Barcelona (Free Hugs Campaign)イスラエル・テルアビブFree Hugs Campaign in Tel Avivスイス・チューリツヒFree Hugs in ZURICH 韓国・インサドンFREE HUGS IN 'INSADONG OF KOREA' 中国・クンミンFree Hugs in KUNMING(2006.11.11)ハンガリー・ブタペストFree hugs in Budapest, Hungaryカナダ・バンクーバーFree Hugs in Vancouverイタリア・ミラノFree hugs Milano 12-11-06ポーランドChristmas Free Hugs in Torun (Poland)
Dec 23, 2006
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「日本でもFree Hug!」しばらく前にご紹介したオーストラリアで始まったFree Hugが日本でも本格化しだした。日本では11月ころから、渋谷、新宿などで各地で行われ、参加者が急増している模様だ。そのビデオが、元祖に習ってどんどん作られている。 4連発で見ていただきたい。見ていただけば、明らかなようにどれも素敵な出来上がりだ。泣けちゃう方は、タオルを用意してからクリックして下さい。 元祖YouTubeの画像サイトは、実に800万アクセス!に近づいている。しかも、日本だけではない。韓国でも、バリでも・・・世界各国で運動の様子のビデオが作られているのだ。 私はここで一見、荒唐無稽と思われるかもしれないが、ある予言をしたいと思う。おそらく、これを最初に始めたFree Hug manことJuan Mannさんは、いつかノーベル平和賞を受ける日が来るに違いないと・・・。 下記のブログから詳しい説明を引用させていただく。 本当の「わたし」に出会えるコーチング - リュッカティルFree Hug manの名前はJuan Mannさん。なんと2年半もシドニーの街角で、Free Hugs(無料ハグ)キャンペーンをしているのだそうです。このビデオはFree Hug manと友人でもある、BGMの曲を歌っているバンドSick Puppiesのメンバーが、祖母を亡くした友人を励ますために創ったものなのだそうです。その後、あのYou TubeにビデオをUPしたところ、世界中から爆発的にアクセスが集まって、Free Hug manは一躍、時の人になっているのだとか。アメリカでは朝のTV番組でも、このビデオが放映されたそうです。この無料ハグ・キャンペーン、一度は警察の取り締まりにあって禁止されましたが、10,000人もの署名を集めて嘆願書をシドニー市に提出、ほどなく許可が下りたのだそうです。
Dec 18, 2006
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「親子の絆」 親は子供を育てる意識が希薄になり、子供は親の愛情を感じられない。 家庭とは、親子の愛情が基本だ。 それが希薄になっている。 親子どうしの無関心、不干渉。 それが他責を生み、本来の関係をますます打ち壊していく・・・。 ・・・立ち返ってみよう。 我が子が、初めて歩くようになって、うれしかったその日に。 それをいつも思い出すことが、きっと親子の絆の再確認になる。 (息子の1~2歳の時の運動靴) ・ ・ ・ ・ ・ (右は同じ息子の現在15歳の運動靴) ・・・歩き始めた時の「くつ」をとっておこう。 ずっと、ずっと、ずっと。 それを見るたびに、きっと思い出す。 自分たちは、「親子の絆」で結ばれていることを。
Dec 16, 2006
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「これは偶然の一致なのか?!」 これまで、人種差別撤廃に大きな貢献のあったキング牧師について幾度かこのブログで取り上げた来た。 しかし、これから紹介するこの不思議な一致については、あまり知られていないのではないかと思う。 キング牧師=Martin Luther King Jr. マルチン・ルター=Martin Luther マルチン・ルターとは、かのヨーロッパで宗教改革の旗を振ったあのマルチン・ルターである。なんと、英語で書くと全く同じスペルになるのだ。 これは果たして偶然の一致なのか?! ご参考までにWikipediaからルターとは、どんな人かについての解説を引用しておこう。マルティン・ルター(Martin Luther、1483年11月10日-1546年2月18日)はドイツの神学者、牧師。ルーテル教会の創始者。もともと聖アウグスチノ修道会の修道士であったが、運命的に宗教改革の中心人物となったことでプロテスタント教会の源流をつくった。聖書をキリスト教の唯一の源泉にしようというルターの呼びかけはプロテスタント諸教会のみならず、対抗改革を呼び起こしたという意味でカトリック教会にも大きな影響を与えた。宗教上の足跡のみならず、ヨーロッパ文化にも大きな足跡を残した。たとえばルターの手によるドイツ語聖書が、近代ドイツ語の成立において重要な役割を果たしたことや、自ら賛美歌を手掛けたことなどが挙げられる。カタリナ・フォン・ボラという元修道女と結婚したことでプロテスタント教会における聖職者の結婚という伝統をつくったことでも知られる。熱心な反ユダヤ主義者であったことは、あまり知られていない。
Dec 12, 2006
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「視点」 逆の視点。相手の視点。(YouTubeより) どちらが見ているのか、見られているのか・・・
Dec 11, 2006
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「抵抗」 ・・・ 新しい基準には常に抵抗がある。 (YouTubeより) エイブラハム・リンカーンマーチン・ルーサー・キング・Jrジョン・F・ケネディ この偉大な3人の共通点は、米国人であること、信念に基づいて人種差別撤廃に大きく貢献したこと、そしてそれに反対する勢力に暗殺されたことだ。 今では彼らが命を賭して示した新しい基準こそが、一点の疑いもない常識なのだが・・・。
Dec 9, 2006
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「誰が止めるのか? この雨を。」 ・・・いったい誰が止めるのだろうか? この降り続く雨を。 (YouTubeより) 曲は、Creedence Clearwater RevivalのWho’ll Stop The Rain。 (1970年)内容は、降り続く雨をいったい誰が止めるのかと歌っている。 だいぶあとから分かったのだが、雨とは罪のない人に降り注ぐ「爆弾」のことだったようだ。 「誰が・・・?」の答えは、この動画ビデオ作品の一番最後に浮かび出て来る。
Dec 6, 2006
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「共生」 ・・・共に生きるということ (YouTubeより) Judy CollinsのAmazing Graceがなぜか、YouTubeにはまだない。そこで、1970年の同じアルバムのタイトル曲を探すと、実に見事な映像の作品に出会った。ちなみにJudyの歌声のバックに聞こえる不思議な自然の呼び声は、「鯨の鳴き声」である。 ・ ・ ・ 共に生きるとは何か
Dec 4, 2006
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「いわれなきイジメをなぜ行うのか?」 以前のいわれなきイジメの問題構造モデルで次のようなイジメの自己増殖メカニズムを仮説モデルとして書いた。A)他者からいわれなきイジメを受けた人間が、そのストレスを解消するために別の人にいわれなきイジメを行う「イジメの連鎖」B)一度、イジメを行うとその快楽性におぼれ、何度も繰り返したくなる「イジメの麻薬性」C)グループのボスによる命令により自分もイジメなければイジメられるという「イジメの恐怖政治」他にもありえるが、殆どのいわれなきイジメの自己増殖メカニズムがこれらもしくは、その派生タイプに含まれると考える。注)問題モデルでご紹介したように、原因はこの自己増殖メカニズム以外にも引き金と歯止めの欠如が原因となるが、今回は、この自己増殖メカニズムだけにスポットしている。 これらのメカニズムを断ち切り、「自己死滅メカニズム」に転換するにはどうしたらよいだろうか。A)「イジメの連鎖」 ⇒ ア.加害者の子供が受けたいわれなきイジメにどんどん遡って、イジメをなくす。行き着く最後は大人社会が子供にストレスを与えているのでそれをなくす。⇒ イ.自分がいわれなきイジメを受けたとしても自分が解決、あるいは必要な大人の助けを得るように動き、決して安易に第三者に八つ当たりしないよう教育する。 B)「イジメの麻薬性」⇒ ア.イジメることの快感は、本能的にあるものなので快感の原因であるイジメる対象が存在しないようにする。(クラスを分ける、転向するなど)⇒ イ.自分の快感は、被害者の塗炭の苦しみであることを教育する。自分がやられたくないことは他人に施さないように。 C)「イジメの恐怖政治」⇒ ア. ボスの存在は人間社会の縮図なので、これを否定すると子供に社会性が身に付かないので、ある程度子供たちに任せ、自分たちで学ぶように仕向ける。⇒ イ.間違ったリーダーシップが子供社会に広まらないようにリーダーシップの教育をし、人を意のままに支配したいという欲求を自制できるよう教育する。 典型的なものを2つずつ書いてみたが、もちろん上記の対策が全てではない。私は概ね、ア.よりも、イ.が大切だ、と考えている。自己責任社会を創っていくために・・・。
Dec 3, 2006
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「毅然と社会正義の実現を目指そう!」 いわれなきイジメ問題に対する私の意見発信に対してこれまでに様々なご意見をいただいた。ここで、まずその真摯で深い洞察に基づく沢山のご意見に感謝を申し上げたい。 その上で、あらためて私の主張を整理し、論点を明確化することで、少しでもいわれなきイジメ撲滅への推進力になればと考える。 まず、そもそも私の論点は単純であり、それは次の2点に集約される。1.「出発点」として、イジメは憲法違反の重大犯罪であるのにそう定義されていないことが問題であることから、まずそう定義すべきだということ。2.「目指すゴール」としては、いわれなきイジメはなるべく減らすよう、家庭も学校も打てる対策を速やかに打つ必要があるが、他の犯罪と同様に完全になくすことではできない。であるから、それを前提として罰を与えるコンセンサスを社会的に確立し、それにより「社会正義の実現」を目指すべきであること。 罪として定義したり、罰を与えたりしても犯罪はなくならないというご意見もいただいている。しかし、犯罪は完全になくならないからこそ、被害者が泣き寝入りしたり、加害者がのさばらない社会を目指す必要があると考える。問題は「罰がないからやってしまえ」という犯罪者が増えていることだ。確信犯が子供を含めて増えていると思う。 また、犯罪は、様々な社会のひずみや犯罪者を取り巻く環境が生み出しているというご意見も多くいただいている。しかし、私は環境も背景だが、問題モデルで説明したようにそれが原因というのは疑問がある。犯罪を犯すのは意思ある人間だ。環境が原因ということならば、同じ環境のほとんどの他の人はなぜ犯罪を犯さないのか?説明が付かない。また、いじめる側の心理を含めた様々な方向からいじめ問題の本質に迫っていく必要があるというご意見も頂戴している。それは一理あると思う。犯罪心理分析はイジメを減らすための中長期的な対策に繋げるためには必要だ。中長期的な対策や家庭、学校といった環境への対策は客観的な分析に基づかなくてはならない。しかし、例えば罪の意識のない万引きが青少年に流行っているとして、万引きの心理分析が対策として有効だろうか?まず、社会正義の実現の意思を明確化することが中長期的な対策、環境への対策を粘り強く推進するための基盤となると考える。 「社会正義の実現」を、我々大人社会が毅然と宣言しないこと自体が、いわれなきイジメの被害者を苦しめているとはいえないだろうか。
Dec 2, 2006
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「他責社会は滅びる」 これは、仮説だ。しかし、私は確からしい仮説だと思う。 1.他責ばかりの個人は、幸せになれない。これは単なる仮説ではない。・・・他人の責任であると責任転嫁した瞬間だけは、楽になったと感じるが、その後はその論理に自縄自縛となり、自分が動けば解決できる場合も動くと自説と矛盾するため動けなくなり、問題の常駐に悩まされる。「誰々が○○してくれない。だから××。」 ・・・ 通称、「くれない族」・・・常駐する問題は、どんどん増え続けいつしか非常なストレスにさらされることになるが、それでも他人が悪い、大人が悪い、社会が悪いと考え続け、そのため当然ながら何の自己成長することもなく、最後には・・・おそらく何らかのカタチでの不幸な結末が待っている。・・・ニュースに出てくる「犯罪者の動機」は、ムシャクシャした、恨みがあったなど、全て「他責」であることから、他責は犯罪の動機になりやすいと考えられる。 2.他責ばかりのチームや組織は、沈んでいく。これも単なる仮説ではない。・・・ロジックは個人に同じ。 3.他責ばかりの会社は沈んでいく。これは事実である。・・・ロジックはチームや組織に同じ。構造不況だからと、政府の保護に頼っていた会社の悲惨な末路は、山ほど事例がある。米国自動車業界のビッグ3もそれだ。自分のコンサルタントとしての経験からしてもこれは紛れもない事実である。 4.よって「他責の社会は滅びる。」・・・これはまだ仮説。でも、おそらく正しい、つまり確からしい仮説。なぜなら、個人が沈んで、チームと組織が沈んで、会社が沈んだら、理屈から考えて社会が滅びないはずがない。 なんとか、社会が一致団結してこの方向のベクトルをなくしていかなければならない。傍観している場合ではない、と思う。
Nov 29, 2006
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「アメージンググレースの秘密」 この曲は有名な賛美歌だが、残念なことに作曲者は諸説あり、正確には不明である。作詞は、18世のジョンニュートンという奴隷貿易の商人だった人だ。 あるとき、暴風雨に巻き込まれたが、必死に神に祈ったところ、奇跡的に助かった。一説には、自分一人だけが助かったという説もある。そこで、これには何か神の意図があると考え、しばらくして改心して奴隷商人を辞めて牧師補となり、奴隷解放の最初の運動を行った人物といわれている。また、定かではないが、そのために奴隷貿易で得た全財産を投じたという説もある。 この人が晩年に書いた歌詞をすでに知られていた曲に載せたのが、あの「アメージンググレース」というわけだ。 ・・・「驚くべき神の恵み」と歌われている。その曲と歌詞は、いまでも我々の心を掴んで離さない。
Nov 27, 2006
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「キング牧師の夢は実現したのか?」 少し前に、キング牧師の有名な「I Have a Dream」の演説をあらためてご紹介させていただいた。人種差別という、最も典型的ないわれなきイジメと闘った公民権運動の象徴としてである。写真はキング牧師の演説の草稿 「・・・かつて奴隷だった者の子孫たちと、かつて奴隷主だった者の子孫たちとが兄弟愛をもって同じテーブルにつくことができることを。私は夢みています。」 さて、キング牧師の演説から40年以上が経った訳だが、その高らかに謳いあげた「夢」は、はたして実現したのだろうか・・・。大変、気になるところではある。キング牧師の夢が実現するなら、日本社会からもいわれなきイジメがなくせるはずだからだ。 ・・・どうやら、その夢は、実現していると言っていいらしい。 私は、その証拠といえそうなものをYouTubeの中に偶然、見つけた。その極めて現代的なITの産物のお陰で・・・。そして、ここにリンクを貼って直ちに見ていただけるというのもすごいことだ。 いまここでご紹介する聖歌隊か、コーラスグループの仲良しメンバーらしい彼女達がほほえましい姿で歌うのは、まさしく「Amazing Grace」、その曲だ。日本でも非常に有名な賛美歌である。私がファンであるJudy Collinsが1970年に歌って、全米トップヒットとなった。後にも先にも賛美歌による唯一のトップヒットと言われている。日本でもこの30数年間、おびただしい数のテレビCMに使われたので、誰もが聞いたことがあるに違いない。 ・・・この曲が持つ特別な意味をまた、後日お伝えしたいと思う。 YouTubeより
Nov 26, 2006
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