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この言葉は、去年の4月に新入社員で入ってきた女子社員が自己紹介のときに言っていた言葉です。自分の口から、声に出して言ってみると、それだけでとても元気になれる言葉です。もともとマイナス志向とかプラス志向って、生まれてから何歳くらいで備わるのでしょうか。専門家ではないので正確なことはわかりませんが、私の仮説はこうです。『生まれた時は物心がついていないので、プラス志向やマイナス志向という概念はなく、成長の過程で様々なことを経験し、自分が感じたり、身近な人の影響を受けて、その時々の「プラス」や「マイナス」の価値観を身に付けていく。』そんな気がします。とくに幼い頃は、身近な人の影響を受けることが多いでしょう。感情は自分で感じたものを表すことだと思われがちですが、人の影響を受けて身に付けていく場合も意外に多いと思います。例えば、お父さんと子供が目の前にある交差点を渡ろうとした時に、ちょうど信号が黄色から赤に変わったとしましょう。あるお父さんは「畜生、ツイてない!」と言って不機嫌になり、別のお父さんは「歌でも唄おうか!」と言って、子供と楽しく歌を唄ったとします。たったこれだけの違いで、「自分の目の前で信号が赤になったら、ツイていないと言い、腹を立てるものなんだ」と思う子供と、「赤信号では歌を唄って待つと楽しいんだ」と思う子供に分かれるのだと思います。そして、この考え方の違いが、人生を大きく左右するくらいの、習慣の違いに発展していくのだと思います。私は、新規開拓の営業を長く続けてきましたが、同じ会社で過ごしているにも関わらず、営業マンそれぞれの考え方が全く違うという事実を見てきました。たとえば、100件の飛び込み営業をして、話を聞いてくれるのは10件だとしましょう。すると、「10件のお客さんが話しに興味を持ってくれた」と捉えるか、「90件ものお客さんに断られた」と捉えるかの違いなのです。正直、後者は精神的にも肉体的にも疲れきってしまいます。なぜなら、断られることに焦点を当てているので、「自分のやっていることを、毎日90回否定されている」ように感じるからです。それに対して前者は、営業が楽しくて仕方ありません。なぜなら、「1日10件ずつ自分のファンが増えている」と感じることができるからです。去年、13人の新入社員が入社し、新人研修で飛び込み営業を体験しました。「何件のお客さんから名刺をいただいてくることが出来るか」を男女関係無く競い合ったんですが、毎日を楽しみながらトップの成績を収めたのが、「超が付くほどプラス志向で、がんばっていきたい」と言っていた女性社員だったのです。自分の人生を輝かしいものにしたいなら、常に「超が付くほどプラス志向」でいることが一番なのかもしれません。手に職を付けたり、資格を取ったりすることよりも、「常にプラス志向でいる」術を身に付けたほうが、有形・無形に限らず、安定が得られるのだと思います。 クリックしてね!
2005.02.27
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最近、大学生の面接をしていて感じたことがあります。それは、学生と社会人との大きな違いについてです。様々な違いはあるけれど、大きな点でいうと「人間関係」が違うなと思いました。学生時代の付き合いって、気が合う仲間や一緒にいて楽しい仲間とだけつるんでいれば良かったでしょう。少し接してみて、お互いが「ちょっと違うかな?」って感じれば、無理して付き合う必要ってなかったと思います。でも会社に入るとなかなかそうはいかないものですよね。イヤミな上司やエラソーに先輩風を吹かせる人もいれば、仲間を落として自分だけ上がろうとする人だっているかも知れません。だからと言って、やっつけるわけにもいかないし、シカトするわけにもいきません。まして、そのような人の悪口を言ったり、心底ムカついたりすると、その人達と同類になってしまいます。じゃぁ、なぜ、イライラしたりムカついたりするのでしょう?それは、自分の心が枯れているからだと思います。自分のことを振り返っても、気持ちに余裕がないときにイライラしてしまいますから。でも自分的には、些細なことにイライラしている人と、同じレベルであることのほうが空しく、悲しいことです。だから、こんな風に考えてみました。たとえば、小学生の子供が自分に歯向かってきたとしたら、本気でムカつくでしょうか?間違っても、本気でムカつくなんてあり得ないでしょう。もし、自分の身近に、些細なことにイライラする人がいるとしたら、その人のことを子供だと考えればいいのです。仲良くするために、こちらから近づいて行くくらいの大きな心で接していけば、こちらへの悪影響は最小限にできるでしょうし、きっと、相手も変わるはずです。愛し合うのも、いがみ合うのも、すべてはひとつの出会いから生まれます。人生において「出会い」とは限りあるものです。だからこそ大切にしていきたいと思います。気に入らない相手をやっつける強さは、強さではなく弱さなのかもしれません。本当の強さはすべてを包み込むこと。出会う人、すべてを味方にしていくことこそ、最強への道だと思います。 クリックしてね!
2005.02.25
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自分の未来について、「どんなふうになりたい?」「何をやりたい?」ってサラリーマンやOLに聞くと、意外と答えられない人が多いと感じます。なぜでしょう?例えば職人の世界だったら、もともとその世界のどんな職人になりたいとか、どんな技術を身に付けたいとかって願望があって、その業界に入ります。作家とか、料理の先生とか、ものづくりをしている人も、専門的な分野に焦点を当てて、その道を選んでいます。でも、サラリーマンやOLは、就職活動するにあたっては間口が広いし、専門的な知識は業界に足を踏み入れてから学んでいくので、あらかじめ焦点を絞るってことはしなくていいのかもしれません。そんな理由から、サラリーマンやOLは、特別やりたいこともなかったけど、「就職しなければ生活ができないから・・・」という理由で働いている人が少なくないのでしょう。だから、「何がしたいのですか?」って聞かれてもなかなか答えられない人が多いのだと思います。そんなことを考えながら、自分にこんな質問を投げかけてみました。「なりたくない」人はどんな人? 「やりたくない」ことはどんなこと?ありったけの思いつくことを紙に書き上げてみました。自分の外見を気にならないオヤジにはなりたくないし、人のことを批判ばかりする心の狭い人間にもなりたくないと思いました。好きでもないことを仕事にして、ずっと我慢をするのも嫌だし、一緒にいて楽しくない人と一緒にいるのも、嫌ないことだと思います。そして、その逆を考えていけば、やりたいことにたどり着くんじゃないかと考えてみました。外見を気にしないオヤジの逆は、お洒落なダンディオヤジだし、人のことを批判ばかりする人の逆は、人の良いところを見つけ出す、心の大きな魅力的な人です。そう考えていくと、自分はどうなりたくて、何がやりたいのかが鮮明に見えてきました。やりたいこと、なりたいことが明確になったら、あとは手に入れるまでひたすら繰り返すだけだと思います。あたかもそれを手に入れたかのように、鮮明にイメージし、それを手に入れるための行動を、とにかくひたすら繰り返せば、きっと手に入れられるのでしょう。自分自身を心から信じて、進んで行こうと思います。 クリックしてね!
2005.02.24
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「受験戦争」、「競争社会」、誰が付けたか、生産性のない無意味な言葉ですね。私が小学生の頃、勝次という同級生がいました。勝次はリトルリーグに入っていて、スポーツ万能、喧嘩も強く、正義感もありました。しかも、関心させられたのが、人に対しての優しさが半端じゃなかったのです。例えば、仲間がイジメられていたら必ず助け出し、団体行動のときは、自分のことは二の次で、相手を立てて後ろに回ります。私はそんな勝次のことが大好きでしたし、すごいヤツだなぁと思っていました。だから、私は勝次に勝負を挑むことにしました。勝次が何かに気付いて行動に移す前に、私が先に気付いて行動に出てやろうと考えました。勝敗は50:50くらいだったと思います。でも、勝負を挑んだことで、私には周りを見渡せる能力が身に付きましたし、さりげなく人を思いやるってことが、自然とできるようになりました。勝次に感謝です。学生の頃は、テストの点数や偏差値で争い、大人になると所得や所有を争うために仕事をします。車は何だとか、家は何階建てだとか。財力を人と比べて不安になったり、安心したり・・・。常にそんなモードじゃなくても、そんな風に考えてしまうことは少なくない気がします。確かに、自分の家族をはじめ、いろんなものを守るための財力は大きいほうがいいでしょう。でも、それは人と比べるものではないはずです。だから考えました。どうせ比べるなら、『勇気』や『思いやり』や『愛』にしたいと。どんな些細なことでもいいんです。たとえば、気付かずにスーツの襟が立っている人に、声をかけてあげることだっていいでしょうし、駅の階段で重そうな荷物を持っている人に、声をかけてあげることだって素敵なことです。もしも、世の中の人が、愛を与えることに競争意識を持ったとしたら、急速なスピードで愛が溢れる世界になるはずでしょう。勇気や思いやりや愛を、目の前の人に与えられるように、今日も心穏やかに過ごせれば嬉しいです。 クリックしてね!
2005.02.23
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人間誰でも、ビビってしまうことってありますよね?私はいっぱいありましたし、今もいっぱいあります。例えば、中学校のときに、イジメられてるヤツがいても、イジメッ子に「やめとけ!」の一言が言えなかったり、高校の時に好きな女の子に告白が出来なかったり、社会人になってからだと、営業職だったので、毎日がビビリの連続みたいなもんでした。お客さんに新しいコピー機を入れてもらって、調子が悪いって言われるのが怖かったり、自分の対応が悪くてクレームの電話がかかってきたり、何かにつけてビビッてました。今もそう。路上詩人をやってみようと思い立ったはいいけど、路上に初めて座ったときは、幽体離脱したみたいな感覚になって、ビビリすぎて独り言をブツブツ言ってました。(笑)ヤクザ風の人が私の作品を覗いてたときにもかなりビビりました。ビビるってこと自体、なにかメリットがあるのかって考えると何もないように思います。ビビッてしまうのは本能なのかもしれませんね。ビビらなくなるには、余程の場数をこなさなければならないでしょう。でも、大切なのは、『ビビってもまたチャレンジする折れない心』だと思います。『チャレンジしないヤツにチャンスは来ない。恐れずにチャレンジできる人間にのみチャンスはやってくる』そして、そのチャレンジを永遠に続ければ、チャンスも永遠に訪れるということなのでしょう。大丈夫、死ぬなんてこたぁない。人生、チャレンジあるのみ! クリックしてね!
2005.02.22
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自分に自信があるときってどんな時だろう?何かの成果や結果を形として表せているときは自信が持てる。でも、努力もしていないのに、成果がたまたま出ていたとしてもなかなか自信は持てない。努力せずに出ている結果そのものが、マグレだと自分でも分かっているからだろう。でも、逆に成果や結果は出ていないけど、ひたすら努力しているときって不思議と充実してる。結果はまだ出てないんだけど、精一杯やっている自分に自信が持てる。自分に対して後ろめたさがない時って、自分が思う精一杯を実行できているときで、自分の力を出し切っていない時って、自分に対して後ろめたさみたいなものを感じてしまう。正直言ってどっちも本当の自分だと思うんだけど、どちらでありたいかと言うと、全力を出し切っている自分であることは間違いない。結果を気にしてしまうと、いろんな感情が行動の邪魔をしてくる。だから、まずは結果を気にせずに、自分を信じて、今、目の前にあることに全力を注ぐことが大事なんだろう。クリックしてね!
2005.02.21
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仕事でもスポーツでも、メキメキと伸びる人と伸び悩む人の違いって何だろう?能力や学習方法など具体的なことを挙げれば限りなくあるのだろうけど、一番最初に必要な「意識」について考えてみよう。学生と社会人の一番の違いは、「お金を払う側」か「お金を受け取る側」かということだ。学校に行くということは、「授業と学歴」に生徒がお金を支払う。学生はお客さんなのだ。だから、授業をサボることも出来るし、我侭も言える。お金さえ払えば5年だって6年だって通うことは可能だ。「お金は払うが授業をサボる」ってことは、ツアー旅行に申し込んだけど、自家用車で目的地までいくようなもんだ。会社で働くってことは、全くの逆。1ヶ月働けば自然と決まった給料が貰えるってことじゃない。社会に出て働くってことは「自分が商品として世の中に売り出された」って考えると解かり易い。1ヶ月の給料が自分自身の商品価値であり、それを高めるのも下げるのも「自分という商品」次第なのだ。20万円の給料だったらそれが自分の値段だ。だから20万円の価値ある仕事をすることが、20万円を支払ってもらう最低条件ってことになる。入社したばかりの頃は、仕事が出来ないから、仕事を覚えるために研修を受けることが、新入社員の仕事になる。研修期間っていうのは会社が新入社員に先行投資をしているってことだ。成果を挙げることが出来るようになると、自分の商品価値が上がっていくから、給料が上がることになる。その仕組みをきちんと理解していないと、自分の商品価値が低いことに気付かずに、会社への不満しか言えない価値の低い人間になってしまう。下手な美容室には3000円しか払いたくないけど、技術があるカリスマ美容師になら7000円だって払う気になる。軽自動車には50万円しか払わないけど、高級車には500万円支払える。これは、人間でも同じことが言える。サラリーマンにとって、自分が勤める会社の上司や社長はお客さんだ。だから、その人たちを満足させるだけの仕事をしようと思わなければいけない。そう意識しなければ、いろんなことに気付かないし、気付けなければ行動も変わらない。行動がなければ成長はないから、商品はどんどん陳腐化してしまう。不平や不満を言っている時間があるなら、自分の商品価値を高める工夫をすることが必要なんだろう。「意識」が気付きの始まり、「気付き」が行動の始まり、「行動」が成功の始まり、附に落とすことの重要性を感じる今日この頃だ。 クリックしてね!
2005.02.18
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今年もいよいよ新卒採用が始まった。会社にとって優秀な学生を採用するということが、こんなにも大変なことだとは思いもしなかった。学生にとっても、就職活動というものはかなりの労力だろう。多くの学生と接していて、それはひしひしと伝わってくる。この時期の学生のほとんどが、「自分はいったい何がやりたいのか」を絞りきれていない。「いったい自分にどのような職業が合っているのか」いろんなことに答えを求めて、さまよっているって感じだ。何社か訪問し、書類選考や面接で「落とされる」ことを経験する。そこで、ようやく真剣に考え始める。もちろん、早くから自己分析や企業研究に取り組んで、順調に活動をしている学生もいるだろう。ただ、自分の足元をしっかりと見つめながら歩いている学生は、ほんの一握りのように感じる。「義務的に就職活動をする時期」って、少なからず殆どの人が経験するのだろうけど、そういう気持ちで面接試験をどれだけ受けても結果は目に見えている。その会社のことを研究し、その会社の先輩たちと一緒に働きたいと心底思わない限り、面接官に熱意は伝わらないものだ。入社後、3年間で30%以上の新卒社員が会社を辞めるらしい。「なぜか?」自分の仕事や自分が身を置く会社と恋愛が出来なくなったからに他ならない。思いがなくなってしまったのは、会社に原因があるのかも知れないし、個人に原因があるのかも知れない。ただ言えるのは、「冷めてしまった」ということなんだろう。仕事は生活のためにだけするもんじゃない。もっともっと、働くことの意味を深く考えよう。自分の今やっている仕事がどれだけ価値が高いことなのかを考えよう。どんなことにも意味がある。意味など無いと諦めてしまえば、それは「作業」になってしまう。意味があり、使命があるからこそ「仕事」だと言える。自分の考え方によって「作業」なのか、「仕事」なのかに分かれるんだろう。まずは思いありき、夢ありき、楽しさありき、全てはそこから始まる。クリックしてね!
2005.02.17
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人生って大なり小なり選択の連続だと思う。服を選ぶのも食事を決めるのも、友達も仕事も全部が選択。そして選択するってことが、自分の人生の成否を分けるといっても、決して言いすぎではない。俺はその重要性みたいなものに20歳くらいの時に気付いた。20代は全てが経験だと考えていたから、自分を鍛えるために、岐路に立ったときの判断基準を決めておくことにした。「簡単な道」と「険しい道」があったら、必ず「険しい道」を選ぼうって。もともと好奇心や冒険心が旺盛ってこともあって、20代は決めていたとおりに進んでこれたと思う。その甲斐あって20代を適当に遊んできたヤツよりは社会的地位や収入は少なからず上回ることができた。ただ、30代になって、ある選択肢に迷ってしまった。それは「正しいか正しくないか」ってことなんだけど、今まではとにかく全てを犠牲にしても仕事に打ち込んでやるって思っていたし、そうすることが大切な人と幸せになるために必要なことだと信じていた。だからガムシャラに突っ走ってこれたけど、30代になってその考え方に少し疑問を持つようになってきた。今までは会社の利益を第一優先に考えてきた。そう考えることが個人の生活を裕福にするための最善の方法だと思っていたからなんだけど、最近、「会社の中の自分」と「人間としての自分」が重ならなくなってきてしまった。俺は自分の心に正直に生きたい。そんなときに「岐路に立ったら、正しい方に進め」という言葉が浮かんだ。これで迷わずに済むと思ったけど、「正しい方へ・・・」と考えれば考えるほど苦しくなっていく。気がぜんぜん晴れない。なんとかしたいと思いつつも「正しい・・・」を常に意識してしまってモヤモヤしていた。そんなときに3冊の本と出会った。ひとりは長者番付にいつも出ている斉藤ひとりさん、二人目は小林正観さん、三人目はてんつくマンこと軌保博光さん、特にてんつくマンは路上詩人としても先輩だし、すごく影響を受けた人だ。その3人が共通して言っていたのが、「正しいより楽しい方へ」って内容だった。まさに「これだぁ~」って感じでスーッと気が楽になり、心の重荷が取れたような気がした。そして自分の言葉を書き変えた。「岐路に立ったら、楽しい方へ進め」30代はこれでいこうと決めた。人生は1分1秒が選択の連続だと思う。だからこそ目的や指標がないと同じところをぐるぐる回ってしまう。いつも自分に問いかけよう。『目標はあるかい?そして、その目標は更新されているかい?』クリックしてね!
2005.02.16
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自分のやりたいことをしていますか?言いたいことが言えてますか?大人になればなるほど、様々なことに妥協・我慢しながら生きていかなきゃならないって思っている人は多いと思う。でも考えてみた。子供の頃は言いたいことを言い、行きたいところに行き、やりたいことをやっていたのに、なぜ大人になると妥協が必要になるのか。その場面ごとに振り返って考えてみた。でも、よくよく考えてみると本当は妥協する必要なんてなかったのに、自分で勝手に決め付けて、ただ意思表示をしてなかっただけってことも少なくない。じゃぁ、なぜ意思表示をしなかったかというと、結局は怖かっただけ。「言っても否定される」とか、「行動しても後ろ指差される」とか・・・。自分が認められいないような状況を味わうのが、ただ怖かっただけなのかも知れない。人って、自分の発想に無いものを見たり聞いたりすると、「意味ないじゃん」とばかりに否定するタイプと、「素晴らしいね」って感動するタイプに分かれるよね。誰でも肯定的感情と否定的感情を両方持ち合わせているけど、人の発言や行動に否定的な時って、実は自分を認めてもらいたいのかなって思う。逆に肯定的な時って自分自身に自信がある時で、謙虚で素直な感情の時なんだと思う。だからいつも否定的な人は、人のことより常に自分が中心でいたいという現われのような気がするし、逆にいつも肯定的な人は、素直で前向きな思考の人だと言える気がする。世間一般の人はどっちを目指したいと思うだろうか?間違いなく100人いれば100人が肯定的な人って答えるだろう。自分では肯定的になりたいと考えているにも関わらず、なぜ、否定的な人間の言うことが気になり、振り回されてしまうんだろう。自分が考えているほど、相手は大したことを考えていない場合が多い。だったら、思い切って、開き直った方が、人生、楽しいような気がする。
2005.02.15
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20代前半って、俺はすごく勘違いをして生きてきたような気がする。高校卒業後、大学浪人はしたものの、本気で進学したいと思っていたわけじゃなかったから、当然、失敗に終わった。そのときに親父に受験費のことを言われて、反発でアルバイトを始めた。仕事は朝7時から夕方6時くらいまでで、1ヶ月の給料は25万くらいはあった。そのときは正社員で働いてたヤツより給料が良かったし、仕事もそれなりにこなしていたので、かなり図に乗って、世の中を甘く見ていた。バイトにも飽き、求人誌を買ってきて、就職したのがOA機器の営業会社だった。車やバイクが好きだったから、そっちの方に進むのかなぁ~なんて考えていたんだけど、一度でいいからネクタイをして働きたかった。あとは、母親がテレアポのパートかなんかに行っているときに、口癖のように「男はやっぱり営業やでぇ~」と言っていたのが脳裏にあったのだろう。営業を始めて、バイト時代の自信は根拠のない過信だったことに気付かされた。21歳くらいの若造が会社の経営者と対等に話が出来るわけなかった。アルバイトでやっていた仕事はサービス業だから、お客さんの方から来てくれたけど、営業は全く逆。飛び込み営業を経験し、世の中の人はこんなにもセールスマンに対して冷たいのかって感じた。それでもあきらめず、営業し続けた。強気でがんがん攻める営業をした。すると徐々に契約が取れ始めた。だけど問題も起きた。それはクレームも結構発生したということだ。だけど、クレームに対しても強気で泣き寝入りさせればいいという発想だった。この頃のことを振り返ると、とても恥ずかしく思う。ただ、その頃の経験があるからこそ今があると思う。心から叱ってくださったお客様がいたから、目先の利益だけを追っていても、ダメだと気付くことができた。決して安い買い物ではないのに、信用して契約してくださったお客様のお陰で、いろんなことを学び、今の俺が存在することに心から感謝したい。
2005.02.14
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成長ってどうなることだろう?俺の中では、出来なかったことが出来るようになること。考えられなかったことが考えられられるようになること。思いやれなかったことが思いやれるようになること。子供の頃を振り返ると、たくさんの成長を感じられるよね。例えば、かけっこでよく転んでいたけど、繰り返し走っているうちにいつのまにか転ばなくなっていたり、自転車に乗ることが出来なかったけど、来る日も来る日も練習を重ねて、ある日突然スイ~っと乗れるようになったり。俺自身、転んでスリ傷をいっぱい作ったのを憶えてる。変な風にコケちゃって骨折した友達だっている。でも、それで走るのを止めたか?自転車に乗ることを諦めたのか?って考えてみた。そう、止めなかったんだよね。あきらめなかった。そのときの自分の考え方には今の自分とは根本的に違うところがあるような気がするんだ。それはゴールまで、できるまでやり抜く自分に全くの疑いを持っていなかったってこと。転ばなく走っている自分、スイスイと自転車に乗ってどこにでも走って行ける自分を想像し、期待に胸を膨らませ、信じ続けたから出来るようになったんだ。少しでも自分を疑ってしまったら、その思いはあっという間に膨れ上がって、否定的な感情で自分を埋め尽くしてしまう。それは仕事でも同じ。今、自分がやっている仕事や自分の能力に疑いを持ってしまった時点で成長は止まってしまう。成長に子供も大人もないんだよ。出来ないことにチャレンジすること。疑わず自分の未来を信じ抜き、未来の自分を鮮明にイメージ化することが成長の秘訣であり、成功へと導いてくれる。あのときの、子供の頃の情熱を、俺は取り戻そうとしているんだ。
2005.02.10
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「あなたはなぜ、仕事をするのか?」1.お金、生活のため2.お金、生活は大前提だが、それ以外の何かを求めてはじめはお金のためと考えた。だから営業の仕事を選んだんだ。でも、こんな風にも考えてみた。「もし、宝くじで3億円が当たったら・・・」仕事を辞めるか?「お金のため、生活のため」と答えたなら、お金が手に入ると働く目的がなくなったことになる。生活のために稼がなきゃならないお金がすでにあるんだから。そしてその光景を想像してみた。創造してみたけど、浮かばなかった。それは「3億円が当たるなんてあり得ない」と潜在意識にあったから、浮かばなかったのかもしれないけど、なんとなく楽しくなさそうな気がしたのを憶えている。じゃぁ、なぜ働くんだろう?プロ野球選手とか映画スターとかは一生働かなくてもいいくらいの資産はあるはずなのに、なぜまた過酷なトレーニングを積み、試合や作品作りに挑戦するんだろう?彼らによって答えはそれぞれだろうけど、「ファンのみんなに喜んでもらいたい」とか、「子供に夢を与えたい」とかが理由だと思うんだ。彼らがプロ野球選手や映画スターになりたいと思ったのは、子供の頃に憧れていた選手や映画スターがいたからだろう。「子供たちに憧れられるような人間になりたい」と思う欲求は、人間誰でもある。たとえ、生活のために働く必要がなかったとしても、子供たちに憧れられ続けるような存在でいたい。そんな思いじゃないだろうか。じゃぁ、自分は?サラリーマンにどんな夢があるんだ。どうせならデカイ夢を持とう。と覚悟を決めた。1.親父の収入を抜く2.役職に就く(経営的感覚を身に付け、会社側の人間になる)3.会社を自分の力で大きくして、自分の好きなモータースポーツのスポンサーになるこう考えるようになった頃から仕事が楽しくなったし、愛社精神もふつふつと湧いてきた。今、振り返ってみて思うのは夢を個人的なものだけにしないで良かったと思う。個人的な夢や目標だけを設定して会社勤めしてる人は、経営的視点で物事を考えることがなかなか出来ず、しかも、会社に対して批判的になりがちだ。そうなれば当然上司や経営者からも気に入られにくくなるし、その分チャンスも少なくなる。そうなるとますますグチばかりがでてくるようになる。これじゃ全く楽しくない。仕事は1日の3分の1の時間を費やす。家族より恋人より長い時間を会社の仲間と過ごす。仕事は仕事、プライベートはプライベート、区別は必要だが、「プライベート=楽しい」、「仕事=辛い、我慢」と思ってしまうと可能性が狭まってしまう。仕事にも、思いありき、夢ありき、楽しさありき、じゃないと何も始まらない。
2005.02.09
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人間ってさぁ、物心付くか付かないかで幼稚園とか保育園とか行くでしょ。そこで団体行動や、友達との関係作りを学ぶんだよね。そこまではいいの、団体行動とか仲間意識はやっぱり大切だし。身に着けておかなければあかんと思う。でもね、小学校からは運動会でもないのに「競争」させられる環境に変わっていくよね。たいていのことに順位を付けられるようになる。基準はあくまでも「良くできた」か「そうでないか」というひとつの軸で。悲しいかな先生も同じ教育を受けてきているもんだから、生徒に競争をさせることが教育の最善の手段であり、1等賞に誰もが憧れていると、勘違いしている先生も少なくないと思う。1等賞になって優越感にひたることは確かに悪くはない。最初は気持ちのいいもんだ。でもいつかは楽しくなくなる。よほどの才能があって楽勝で1等賞をとり続けられるんなら楽しいかもしれないけど、いつかは自分を脅かすライバルが出てきて、1等賞になるためにはそいつをコテンパンにやっつけなあかんねんから。はたしてそれが楽しいかってことやろう。親の優越感、先生の優越感、そんなもののために「頑張れ!」って言われてきたんかもしれへん。「あなたの息子さんスゴイわねぇ」「先生のところの○○ちゃんは優秀ね」ってな感じで。だから比較をすんのはもうヤメにしよう。比べても意味ないやん、1つの軸でしかないねんから。テストで100点を取るやつもすごいけど、毎日ノートをきちんととって、しかも友達に見せてあげられるヤツもすごいと思う。それだって十分に評価に値することや。自分の成長のための、ひとつのバロメーターとして、他人のことを見るのはいいと思う。ベンチマーキング的な発想でね。ただ、他人と比べて自分を見失うのは全く意味のないことやと思う。人間はオンリーワン、存在するだけでパーフェクトやねんから。クリックしてね!
2005.02.08
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新卒採用を始めて気付いたことがある。学生の立場からしてみると仕方がないのかも知れないが、皆が一様に口を揃えて言うのは「個人を見て欲しい。個性を殺したくない。」ということだ。言いたいことは分かる。企業の歯車にされたくない!ということだろう。じゃぁ、逆に聞きたい。個性って何ですか?辞書で調べると「個人、個物を他の人、物から区別し得るような固有の特性」となっている。さてどうだろう?学生の言っているのは「個性」、それとも「社会への拒否」?後者に当てはまる人も少なくないのではないだろうか?ファッションが個性ではないし、好きなことをただやるだけが個性では決してない。気に入ったファッションがスーツになると個性はなくなるのか?学生受けするヘアスタイルから社会人らしいヘアスタイルになると個性はなくなるのか?違うよね。それは単に服装や髪型が変わっただけ。個性というのはこだわりであり根拠だから。根拠のないこだわりは単なるわがまま。だから思う。本物の個性とは本物の努力によってのみ花開くと。本物の努力を重ねることで、初めてこだわりが持てるようになるし、そのこだわりに対しての根拠が説明できるようになる。流行でころころ変わる個性って本物じゃないでしょ。だから本物の個性を意識して、自分を磨いていかなければいけないと思う。今じゃ想像も付かない能力を、発揮するなんて人も大勢いるだろう。これからが個性の発見のときだ!クリックしてね!
2005.02.07
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人間って何でそんなに名誉にこだわるんだろう?何でそんなに世間の評判が気になるんだろう?もともと臆病で小心者なのだろう。人から『良く思われたい』って欲求はいいことだと思うけど、人から『悪く思われたくない』って欲求はダサイと思う。良く思われるってことは普通以上にならなきゃ駄目で、そうなるためには普通以上の努力と工夫が必要になってくる。それは自分磨きにつながるし、ポジティブな思考だと思う。でも、似てるようでぜんぜん似てないのが、人から悪く思われたくないという発想。悪く思われないようにするためには、当たり障りないところにいて、当たり障りないようにじっとしておけばいいってことになる。目立たないように自分を抑制して、あくまでも自己主張せずに調子よくやる。それは決して自分磨きにはならないと思う。人から悪く思われたくないって人は、常にビクビクしていて他人の目を気にしながら、変に虚勢を張って、ことあるごとに攻撃的になっている。逆に、良く思われたいと思っている人は、いい感じに開き直っているから、堂々としていて、気配り、心配りが上手で、自分というものを持っている人が多い。やっぱカッコいいのは後者だ。だから俺は、常に自分に対してあつかましく、いろんなものを最上級で要求していこうと思っている。「Going my way」 これがカッコいい。クリックしてね!
2005.02.04
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家から近くて、人通りが少なくないところ。それでいて落ち着きのある街を探そうと思った。一駅先に「中野」がある。夜、食事のついでに商店街をぶらついた。するとそこには、すでに路上詩人が座っていた。名前はムツといった。21歳の関西人だ。路上で詩を売りながら全国を回ってるという。商店街に2人の路上詩人がいても悪くはないと思い、翌週の週末から出てみることにした。土曜日の夜9時半くらいから商店街に座り込む。ムツと仲良くなったので、隣に座ることにした。路上に座って人の流れを見ているのが面白い。キャッチのお兄さんが行ったり来たりしてるし、酔っ払いもいる。警察も何度か通り過ぎる。20分くらい誰も立ち止まらないのは普通だが、一度、誰かが興味を持って立ち止まるとそれにつられて人が増えてくる。ほんとはたいていの人が興味あるんだと思う。でも、恥ずかしさから立ち止まることができないんだと思う。「何やってるんだろう?」くらいはみんな思ってて、次の瞬間に「なんだ、詩かぁ、くだらん」って判断してるような感じに見える。でも、立ち止まってみてくれる人は、座り込んで全部の詩をくまなく見ていってくれる。一日の終わりに近い時間だから、疲れて家路をたどっている人がほとんどだ。うつむいて、疲れた顔して、歩いている人を元気付けたいと心から思う。インスピレーションで詩を書かせてもらった人は、たいてい喜んでくれる。「出会えて良かった、明日からまたがんばれる」って言ってくれるから、俺もまた路上に座ろうと思える。明日からは作品を書いていこう。クリックしてね!
2005.02.03
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平日は会社に行き、週末は路上で詩を書く。そんな生活が始まった。まさか自分が路上詩人になろうとは夢にも思わなかったが、これも何かのおぼし召しと受け取り、続けていくことにした。どうせやるなら、ホームグランドを決めたい。まずは路上のメッカ、表参道に行ってみた。アクセサリーを売っているおじさんがひとり、似顔絵を書いているおじさんがひとり、それだけだった。「あれれ、?」と思い、アクセサリーのおじさんに声をかけてみた。すると、原宿警察がうるさくて、しつこい人は留置所に何日か入れられるそうだ。それからは、パタリといなくなったということだった。「じゃぁ、あなたは?」って聞いたら、「俺はいいんだよ!」って言っていた。縄張りみたいなものがあるのかもしれないと思った。それから、明治通りを渋谷方面に向かった。途中、右手に公衆便所がある前に御香を売っているお兄さんを発見した。話しかけてみると、やはり警察とやくざがうるさいと言っていた。人通りもそこそこあるし、場所的にはいいかなって感じた。渋谷のハチ公前で詩を書いている人を以前見かけた。それが軌保さんだったかどうかはわからないが、ハチ公前は少し気が引けた。渋谷、表参道はちょっと違うなぁと思ったので、新宿に行くことにした。「えぇい、もう視察するのはめんどくさいから、どうせなら座ってしまえ」と思い、金曜日の夜、9時半ごろに新宿駅の西口に作品を並べ、座ろうとした。すると、易者の人が何人かいて、そのうちのひとりのおっさんが、「おい、こらぁ、ここは易者が並ぶとこなんじゃ、向こういかんかい!」って言ってきた。内心「ブチッ」ときたので言い返そうと思ったが、なんせまだ初心者だから、何も言わずに少し離れたところに場所を移した。なんといっても金曜日の新宿西口はすごい人だ。地べたに作品を並べて座っている俺の前を、渓流のごとく人が流れていく。酔っ払いに作品を踏まれることもあったが、それは仕方がない。地べたに詩がならんでいるなんて誰も思わないだろう。「俺はこんなところで何をやってるんだろう?」「こんなところを会社の部下に見られたら、どうなんだろう?」などを考えながら、20分ほど座っていた。すると、人が立ち止まりはじめた。その日は、若いサラリーマンの男の子や若い女性に書き下ろしをした。おじさんも詩を買ってくれた。新宿西口に座ったことが、自分の中で何かがはじけた感じで、なんとなく自信につながった。
2005.02.02
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読書を始めて、いろんな本との出会いがあった。きっかけは忘れたが、軌保博光さんの自叙伝を読んでかなり熱くなった。「あなたの目を見てインスピレーションで言葉を書きます」というやつだ。営業をしていた数年前に、渋谷の駅前や表参道で見かけたことはあったと思う。だが、その頃は冷めた目で見ながら通り過ぎていたに違いない。軌保さんの本に出会う前に、俺は会社の部下や後輩が仕事で落ち込んでいるときに、筆で言葉を書いて贈っていた。それぞれがデスクマットにはさんでくれていて、毎日目にすることができるものは、励ましになると実感した。そんなときに軌保さんの本に出会ったもんだから、「よしっ、俺も世の中の人のためにいっちょうやってやるか!」と何かにとり付かれた様に路上へと出かけたのだ。初めて路上に座ったのは平成16年8月28日高円寺の阿波踊り終了後の夜10時頃だった。阿波踊りのあとだったこともあり、商店街の人通りはかなり多かった。めぼしい場所を見つけはしたが、根性が決まらず、その前を3往復くらい行ったり来たりを繰り返した。ようやく腹を括って、自分の書いた詩を路上に並べ、地べたに座り込んだ。このときに思ったのは、「あぁ~~~~、とうとう座っちゃったよ~」って感じだった。あまりの恥ずかしさと、緊張で身体からアドレナリンがあふれ出した。キャップを目深にかぶり下を向いた。顔を上げることができない。そうこうしているうちに、ななんと人が集まりだしたのだ。みるみるうちに10人くらいの人に囲まれて、作品について「この言葉いいよね~」とか、「これ面白い」とか感想を言ってくれているのが聞こえた。すると、「お兄さん、私を見てインスピレーションで何か書いてください。」って言う女性が現れた。そのときに何を書いたのか、正直、まったく憶えていない。手が震えて書きづらかったことだけは憶えている。書き終えてから、その女性に「実は路上に座ったのは今日が初めてで、人を見て詩を書いたのはこれが初めてやねん。記念にこのノートに第1号として名前を書いて行って。」と告白した。その日は1時間半ほど座っていたのだが、10人ほどの人に詩を買ってもらった。しかも、かっぷくのいいおじさんが「にいちゃん、我が家の家訓を書いてくれ、一休さんの言葉で、『大丈夫、気にするな、なんとかなる』だ。お金はこれから5000円取ってくれ。おつりと作品はまた会ったときにもらうわ。」といって10000円を渡された。俺はこれからも路上を続けるかどうかも決めてないし、まして地元の高円寺で活動するかどうかも決めてない。それなのにお金を預かってしまったら、間違いなく返せなくなってしまう。アセって「いつもやってるとは限らんから、せめて携帯番号だけでも教えてください」と言って、なんとか教えてもらうことができた。このときはさすがにどうしようかと思った。結局、このおじさんの5000円を計算に入れると、初日の1時間半くらいの時間で、なんと13000円ほどを稼いでしまったのだ。ちなみに軌保さんの本では、初日180円だったか、そのくらいの金額だと書いてあったので、「おぉ~、俺って才能ある」ってちょっと浮かれてしまった。
2005.02.01
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