sun♪sun♪sunny♪

妊娠発覚


靭帯を切った2週間後なんです。ジャスミンを妊娠しているのが発覚したのは・・・きっとお腹の中から『ママここにいるよ~』って訴えかけてたんでしょうね。その後いろいろ悩んで、4ヶ月に入ってから両親にFAXで妊娠を報告。ただ、今すぐ結婚とかは考えていないんだけれど、幸せを感じていますみたいな感じのものだったように記憶しています。当然両親は『激怒!!』もう激怒を通り越していました。あんなに怒った両親は見たことがありませんでした。私が悪いのは良くわかっていたのだけれど、母親にはちゃんと気持ちを話して理解してもらって、味方になってほしかったんですよね。予想に反して父親よりも母親の怒りの方がすごかったんです。

1997年元旦。人目をはばかるようにして京都へ出てきた二人。ダーリンに会うことももちろん拒否。会っていたら血を見ていたかもしれません・・・わたしはまるでワンルームに監禁されているようでした。中絶して、仕事をやめ、マンションを引きはらって実家へもどることを説得されていました。どうしてもどうしても子供を生みたかった私は、もう考えすぎて泣きすぎて思考力もなくなっていました。病院まで押しかけてドクターに『大きさは~くらいです。よく動いています。お嬢さんももう20歳を越えてらっしゃいますので、ご本人の意思を優先します』と言われても『とにかくおろしてください。よろしくお願いします』そう両親は言ったのでした。一日部屋に監禁されて、説得され、私の書いた誓約書を手にすると人目を気にして両親は帰っていきました。中絶して仕事を整理し、家を引き払って3月までには戻ること。戻ったらもう2度と外へは出さない、そういう感じでした。仕事をなくし、友達とも離れ、子供をあきらめた上にダーリンを引き裂かれるなんて、きっと一生親を恨むことになる・・・そう思っていました。

約束どおり病院へ入ったのはあと3日で6ヶ月に入るという日。6ヶ月を過ぎると中絶は不可能になります。おなかはかなり目立つようになり、子供もお腹の中でよく動きました。それでも、自殺するなどとわめいていた母を思うと、今回はあきらめて一からまた仕事と住む家を探し、田舎へは帰らないでこちらでやっていく、そう心に決めての入院でした。結果は・・・・・・ジャスも6歳になりました♪私たちは赤ちゃんを産む決断をしたのです。たとえ両親とどうなろうとも、それが自分達の決断だったのです。時間をかけて両親とは和解ができればいい、、そうしていこうと言う気持ちでした。そしてその日からわたし達が再び帰省を許されたのは6年半もたってからでした。




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