わたしのブログ

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3 国際人権保障と中国の人権問題


(1) 国際法上の人権の位置づけ
 人権は普遍的なものか、それとも国家や地域により異なる特殊なものかという議論がなされたのは、1993年6月のウィ-ンでの第2回世界人権会議においてであった。アジアの政治指導者などの主張は、人権について、(1)アジア的人権観という特殊性の存在と、 (2)経済発展なくして人権の実現はあり得ない、というものである。この思想観は、管子(牧民)の言葉「衣食足りて礼節を知る」に由来すると考える。ただし、間違ってはいないが、普遍的な人権観念を否定するならば、人類の共存はありえないことになる。ただ、外国人の人権保障の取扱いについて、国際標準主義と国内標準主義とが対立していることは否定できないが、先進国の主張内容と後進国の主張する内容を同じ立場から考慮するのは難である。すなわち、方向としては、理念としての「人間の尊厳」の普遍性、さらに、実践としての「国内管轄事項」というように理解していく必要があると考える。ここで、言えるのは、国民は国家の必要な要件であり、また国家主権の主要な要素でもある。すなわち、基本的人権の取扱いは、各国に委ねるのが基本となる。
 なお、こうした思想観の違いからくる成立意義の違いの例として、国際人権規約(1996年12月16日)がある。ソ連を中心とする東側の諸国は、社会権が人権の中核であり、社会権が保障されてこそ自由権は存在意義をもつ、と主張するのに対し、西側の諸国は、社会権が保障されても、政府の政策に問題があれば批判して、それを変えさせる可能性のあることが重要で、そのためには表現の自由をはじめとする自由権が保障されなければならない、と主張した。
 人権保障についての文書は、歴史的に遡ると、1215年のイギリスのマグナカルタが近代的人権宣言の古典ということができる。しかし、この文書の内容は、人権が「天賦の権利」としてではなく、人権は国王が承認したものと、示しているのは、わが国の欽定憲法と類似する。
 また、人間が生まれながらにして自由、安全、財産所有など一定の不可譲の権利を有するとの思想は古くから存在した。示威的な行動としては、宗教改革に現れている。さらに、天賦人権思想へと発展する過程では、17.18世紀に入り、国家にたいする市民階級の台頭を背景に、グロチウス、ロック、ルソ-などの人権思想の影響が多大であった。
この「天賦の権利」を実定化した最初の人権宣言は、1776年のバ-ジニア権利章典である。たとえば、1条は、「人は生まれながらにして自由かつ独立であり、一定の生来の権利を有する。これらの権利は、人民が社会状態に入るにあたり、いかなる契約によっても、人民の子孫から奪うことのできないものである。かかる権利とは、財産を取得・所有し、幸福と安全とを追及する手段を伴って、生命と自由を享受する権利である」と規定している。
この自然法思想は、フランスにおいても「人および市民の権利の宣言」、すなわち1789年のフランス人権宣言を生み出す基となった。特に注意をひく内容は、財産権が他の自由権と同等の地位を与えられ、神聖不可侵の権利として保障されている点である。
フランスの二月革命(1848年)の影響は、ドイツにも波及した。1849年の「フランクフルト憲法」は、多くの権利・自由を「ドイツ人の基本権」として保障した憲法である。その後、1850年のプロイセンの憲法は、政治的な意図が加わり、権利・自由はは天賦のものではなく、「法律によるのでなければ侵されない」とし、自然法思想とはかけ離れるようになった。その後の、1919年のワイマ-ル憲法も、法律によって人権を制限する内容は変わっていない。
わが国の最初の立憲主義憲法である明治憲法(1889年制定)は、プロイセンの憲法を模範としていることから、人権保障について、憲法の制定者である天皇の恩恵としての性格が強く、その保障も法律の範囲内のものであった。
こうした人権に対する思想の違いは、第二次世界大戦に顕著にみられる。すなわち、別の観点からすると、自由主義と独裁主義との戦いともとれる。わが国について見るならば、第二次世界大戦後の占領下に一連の新しい法令作成が行われた中で、マッカ-サ-元帥が最も喜んだ内容は、人身保護法(1)の制度が確立したことである。「これは刑法を新憲法の民権規定と合致させるため日本の国会が立法化したもので、私は1901年、当時フィリピン軍政長官だった私の父がフィリピン人にそれと同じ保護を与えたことをおもいだした。強制的な拘禁を防ぐため、アングロサクソンがあみ出したこの制度を、アジア人を守るため東洋へもってくるという仕事に父子が導き役を果たしたことは、私にとってまことに感激深い出来事であった。」と語っている。

【註】(1) 人身保護法:
        1679年英国の「人身保護令」で確立した制度で、不当な逮捕や拘禁を防止するため被拘禁
   者を一定期間内に法廷に出頭させることを求めるもの。

 占領下での、マッカ-サ-元帥の日本国に対する評価として、ニュ-ヨ-ク・タイムズ紙の社説(1963年8月)によると、「日本は、連合軍が軍政をしいている地域では、ただ一つの明るい場所だ。マッカ-サ-将軍の行政は、政治の模範であり、極東の平和にこの上ない貢献をしている。将軍は神がかった軍人の独裁政権を追い払って、そのあとにきわめて人間的な天皇をいただき、自由選挙で表明された国民の意思に基づく民主的な政府を作りあげた。」と記載している。同時に、ポツダム条項に違反したソ連から、日本の共産主義化を防止したことについても、将軍を評価している。
【註】以上のマッカ-サ-に関連する内容は昭和39年1月から掲載された、朝日新聞「マッカ-サ-回想記」、No.41 人権保護 についての内容である。
 ところで、人権の国際的保障への関心が高まったのは、1930年代から1940年代である。すなわち、日本・ドイツ・イタリアを主軸とした諸国による人権抑圧である。外国への侵略と国内における人権抑圧行為の事実である。たとえば、ドイツのユダヤ人集団殺害など。
 国際社会において平和を乱し、一方、国内において人権を抑圧するこれらの国の行動により、国際平和の維持と国内の人権尊重との必要性が、これまで以上に認識されることになった。つまり、国内における人権尊重が同時に国際社会の安定をもたらすことへの認識である。この意味は、第二次世界大戦が、英米などの連合軍にとっては、民主主義および人権擁護のための戦争だったともいえる。
 第二次世界大戦後、人権保障の国際化のきっかけとなったのは、アメリカ合衆国のフランクリン・D・ル-ズベルト大統領が1941年1月6日に提唱した「四つの自由」(1)であろう。これは、戦後の世界を展望しながら、人間の自由について議会に教書として出されたものである。
 1942年1月1日の連合国宣言は、連合国の戦争目的を明示し、戦争遂行における連合国の結束をはかったものであるが、其の中で、「敵に対する完全な勝利は、生命、自由、独立、宗教的自由を守るために、また、自国および他の国において人権と正義を維持するために必要である」と述べている。つまり、連合国はそれらの保障を戦争遂行の目的としたのである。これが、やがて世界人権宣言(1948年)、国際人権規約(1966年)、人種差別撤廃条約(1965年)、女子差別撤廃条約(1979年)など、その他の人権条約の締結へと発展していった。

【註】(1) 「四つの自由」:
    「言論と表現の自由」、「各人が自己の求める神を崇拝する自由」、「欠乏からの自由」、「恐怖からの自由」をいう。


(2) 中国における人権問題
前述した、人権は普遍的なものかについて、アジアの政治指導者などの主張は、人権について、(1)アジア的人権観という特殊性の存在と、 (2)経済発展なくして人権の実現はあり得ない、というものであった。このことはやはり、中国についても該当するのではないかと考える。すなわち、民主化政策を優先し、国内の法整備については、香港問題と国際人権規約との関係から、追随して検討課題となっており、国際社会との共存を求めている中国にとっては、早晩、その課題は国際人権法の解釈の問題となる。したがって、中国は条約の解釈にあたって、国内法と異なる要素が含まれている国際人権法について、条約の解釈原理として、「条約法に関するウィ-ン条約」(1969年5月23日作成署名)に基づいた条約の解釈を斟酌する必要がある。

(2)-1 法制度と権力濫用に関わる問題
1)刑法と罪刑法定主義
 中国には、過去において刑法典にあたるものは存在せず、刑法及び刑事訴訟法は、1979年7月に公布、1980年1月1日施行された。この二法は、文化大革命により多くの人権問題を生み出した結果であろうか、「自由化」という観点を考慮してか、個人の権利保護という姿勢を窺える発布である。現行刑法は、1997年3月に公布され、10月1日から施行された。
 刑法典が存在しない間、刑事実体法の役割を果たしたものは、例えば、反革命処罰条例、汚職処罰条例、国家貨幣妨害処罰暫行条例などであるが、いずれも規定の仕方が抽象的かつ広範囲に及んでいるため、犯罪について特定する明白な基準を示すものではなかった。この3つの条例以外に、政治情勢などに対応して、中央政府の規定や、共産党中央の指示文書や司法機関の解釈などが刑事実体法として適用された時期であり、特に1966年から1976年までの文化大革命中、政治指導者の指示や語録が刑事実体法上の「根拠」として使われていた。
しかし、現行刑法は総則5章各則9章の419条と軍人について10章が規定されている。また、附則において、全国人民代表大会常務委員会により制定された条例、補充規定及び決定は、すでに本法に吸収されあるいは適用できないと規定している。だだ、こうした自体法の存在意義は認めるに値するが、権力の衡平原理が確立されていない制度の下では、刑法典も予期せぬ結果を生じる危険性がある。
各則第1章102条以下は国家安全を危害する罪を規定しているが、概ね、従来の反革命罪に該当する罪であるが、この罪に対しては、政治的権利剥奪から死刑までの処罰規定がある。暴力的手段を用いなくとも、その信条や特定の民族・性・人種・、特定の言語、出生・国籍・社会的地位・経済的地位などを理由に投獄される人を「良心の囚人」というが、こうした人を反革命行為として処罰する根拠に、第103条から105条を適用する。こうした、基本的人権に相当する内容について、処罰対象とすること自体問題である。
次に、罪刑法定主義であるが、国際刑事裁判所(ICC 1998年.効力発生2002年)の設立過程で、国際法委員会(ILC)により「人類の平和と安全に対する罪の法典草案」作成がなされた。この、国際刑事裁判所規程は、従来の条約に類例を見ない充実した刑法の一般原則諸規定が第3部としておかれた。3部では、「法律がなければ犯罪はなし」および「法律がなければ刑罰もない」の原則が明文で規定され、さらに、慣習国際法にのみ基づく処罰を否定した(22条、23条)。また、罪刑法定主義から派生する遡及処罰禁止(24条)と類推解釈の禁止(22条2項)も規定されている。

【註】だだし、中国は当時国ではない。批准、署名をしない理由として、中国では、三権分立がなされていないことと、憲法上、政治権力が司法へ介入できることが考えられる。

すなわち、罪刑法定主義の基本原理は、第1に、犯罪と刑罰を定める法律こそが法源であり、国家権力の発動根拠である。第2に、刑法の適用にあたっては裁判機関の公正中立な判断が要求され、人権の保障がなされなければならない。さらに、疑わしきは被告人の利益となるように刑罰法規を制限的に解釈すべきであり、類推解釈や拡張解釈はゆるされない、また刑罰法規の遡及的適用も排除されるべきである。第3に、刑事法の内容が適正、すなわち、刑罰法規の明確性と刑の均衡さらに、刑の適用に際しその射程につき、やむをえない最後の手段として最小限の範囲・程度にとどめる必要があると考える。
この点につき、現行刑法(97年)は、類推制度の廃止、曖昧な不正投機取引罪の廃止、反革命罪という用語の廃止、遡及効の廃止、マルクス・レ-ニン主義・毛沢東思想が刑法の指導理念という条文の削除、量刑基準を具体的に示し法定刑の再考、さらに死刑について規定は維持するものの、18歳未満の被告人に対する刑罰の上限を無期懲役に制限している。
基本的には、中国において罪刑法定主義が第一歩として踏み出したのは79年刑法典が制定されてからという事になる。つまり、それまでは、「罪刑法定」、「無罪推定」、「法律の下での平等」という近代市民法の基本原則や、ブルジョア的イデオロギーを持つ事すら、「右派分子」とか「ブルジョア的自由分子」として批判、迫害されていたのである。この変化については、「経済中国」として、経済発展が至上視され、建設経済が国家権力活動の中心となった為、経済発展の必要に応じていくつかの近代市民法的要素が取入られたことによる。
 眠れる獅子と称されていた中国が、「社会主義市場経済の確立」を目指し、またと小平の南方講話(1)で示した改革・開放路線とあいまって、他諸国との均衡を考慮した刑法典の改正はまだまだ完全とはいえないにしても、余地はあると考える。

【註】(1) 南方講話:1992年春、と小平は珠海、上海などを視察し、改革・開放政策の拡大と経済成長の加速を呼びかけた、市場開放政策。

 ところで、条約の効力であるが、人権条約の国内的実施とは、自国が批准し、または加入した人権条約が課す義務を国家が国内で実現することである。つまり、自国が批准したものに限られ、その他の国際人権文書については、自国を拘束しないことになり、条約上の履行義務はない。すなわち、人権保護に関する慣習国際法上の規則の実施や、国際機構・機関の勧告などの実施は、原則として国内的実施にはあたらないが、国際機構・機関の決定の場合、それが条約上の履行監視機関(実施機関)の決定の場合事実上は法的拘束力を有する。尚、勧告については、当時国の判断に委ねることとなる。
 法的拘束力を有する場合、条約上の国家の義務について、自由権規約と社会権規約とについて検証する。第1に、社会規約(A規約)における国家の基本的な義務は、「この規約の各締約国は、立法措置その他すべての適当な方法によりこの規約において認められる権利の完全な実現を漸進的に達成するため、自国における利用可能な手段を最大限に用いることにより、個々に又は国際的な援助及び協力、特に経済上及び技術上の援助を通じて、行動をとることを約束する。」(2条1項)としていることから、これは漸進的実施義務を定めるものである。つまり、義務履行について完全な実現ではなく、徐々に実現するべく義務と解されている。第2に、自由規約(B規約)における国家の基本的な義務は、「この規約の各締約国は、その領域内にあり、かつ、その管轄の下にあるすべての個人に対し、人種、皮膚の色、性、言語、宗教、政治的意見その他の意見、国民的若しくは社会的出身、財産、出生又は他の地位等によるいかなる差別もなしにこの規約において認められる権利を尊重し及び確保することを約束する。」(2条1項)としていることから、これは即時的実施義務を定めるものである。つまり、この規約を批准したならば、規約上の権利が保障される必要があると解されている。本来、自由権は憲法上にの規定に示されるべきものであり、前国家的性格を持つものであるから
 しかし、人権侵害に対する問題は、外国に対するものではなく、実際問題は国家領域のなかでの問題と考えられる。しかも、当該政府によって人権が侵害される事例もけっして少なくはないと思われる。身近な例としては、北朝鮮であろう。
      つまり、国際人権規約の批准がなされていない国々の問題となる。尚、わが国においても、留保つき批准とか、未宣言の条項はある。但し、批准のなされていない国でも、国内法上の制度が確立された国家の場合には、人権侵害にたいする司法的救済が得られる可能性はあるが、現在そう多くはない。したがって、人権侵害が行われている国々に対し、積極的に国際機関による監視や、NGO機関などの調査資料なども考慮し、国際連合の機関をも含め地域を限定しない全体的監視および是正勧告が必要と考える。方法については、マスメデイアを通じても可能である。

2)国家安全法
 憲法(82年)第1章総則第28条は、国家は社会秩序を維持し、国家反逆と、その他の反革命活動を鎮圧し、社会の治安を乱す活動、社会主義経済を破壊する活動と、その他の犯罪活動に制裁を加え、犯罪者を処罰し改造する、と規定している。1999年の改正で、「国家は社会秩序を維持し、国家反逆と、その他の反革命活動を鎮圧し」の部分が、「国家は、社会秩序を維持し、国家の安全に危害を与えるその他の犯罪活動を鎮圧し」に修正されているが、社会主義という社会秩序の維持に関して、内容に異同はないと考える。
 憲法をもとに発布された、国家安全法(1993年2月公布)と実施細則(1994年5月公布)には、基本的人権を制限する条項があった。現行刑法各則第1章102条以下の内容である。
国家の安全に危害を及ぼす範囲について、政府の転覆を企てる、諜報活動、境外の機構(1)及び敵のために国家機密を収集し、漏洩する、官僚の反逆を扇動する、国家の安全を脅かすその他の活動、などかふくまれる。問題は「その他の活動」である。例えば、法の解釈にあたって、その規定が例示列挙なのか制限列挙かについて、また抽象規定かく具体的規定なのかにつき学説の対立がみられるが、その他の活動について、明示が曖昧と考える。実施細則によれば、言論・出版・集会・集会・信教の自由といった基本的自由権の行使が、「国家安全に危険を及ぼす」場合には、すべて「その他の活動」に含まれる。罪刑法定の基本原理は、前述したように、第1に、犯罪と刑罰を定める法律こそが法源であり、国家権力の発動根拠である。第2に、刑法の適用にあたっては裁判機関の公正中立な判断が要求され、人権の保障がなされなければならない。さらに、疑わしきは被告人の利益となるように刑罰法規を制限的に解釈すべきであり、類推解釈や拡張解釈はゆるされない、また刑罰法規の遡及的適用も排除されるべきである。第3に、刑事法の内容が適正、すなわち、刑罰法規の明確性と刑の均衡さらに、刑の適用に際しその射程につき、やむをえない最後の手段として最小限の範囲・程度にとどめるひつようがあると述べた。つまり、どのような基本的人権の行使が、どのような状況で、国家安全にとって危険となるかについて明白な基準がない。でも、三権分立制度を採用していないことに、権力の濫用を阻止することは困難と考える。また、解釈において、公正中立な判断のできる司法制度が確立されていない現状は、当局の指導を仰ぐものであり、結局のところ、党が現在の政治体制を揺るがすものと判断する限りにおいては、「国家安全にとって危険」という概念は変わらないことになる。

【註】(1)境外の機構:外国のほか、香港・マカオ・台湾地区をさし、その地区の各機関を意味する。

3)国家機密保護法
 国家機密に関する法律は、きわめて政治的分野について適用されるもので、国家機密を
漏洩したことで、党幹部すら起訴される。前述した、国家の安全に危害を及ぼす範囲につい
て、政府の転覆を企てる、諜報活動、境外の機構及び敵のために国家機密を収集し、漏洩する、官僚の反逆を扇動する、国家の安全を脅かすその他の活動の中に含まれるものである。
 ここでも、問われる内容は、国家の機密漏洩について、どのような機密が、どのような状況で、国家安全にとって危険となるかについて明白な基準がないということである。国家機密保護法(1988年)によれば、国家機密とは、「国家の安全および利益にかかわる物事」である。それは、わが国同様、国防・外交に関する事項等、一般に国家安全にかかわるとみなされる事柄であり、国家の統治行為である。しかし、それ以外にも、「国家の情勢にたいする重大な政策決定をめぐる機密」や、「国家経済と社会的発展に関する機密」、さらに「その他の国家機密」が含まれる。また、「党の機密」も、それが「国家の安全および利益にかかわる」と判断される場合は、「国家機密」扱いとなる規定がある。つまり、広い範囲において「国家機密」の定義がなされている点、中国共産党に関わる情報もすべて公開されることを禁じられることになり、権力構造の中で下位の者にとって弱い立場となる。
 「国家機密保護法実施に関する手続き」(1990年)は、さらに規定を広げ、もしある事項に関する情報がもれ、ある「結果」が生じた場合、その事項に関する情報を「国家機密」とする、という規定である。「結果」の内容について、(1) 国家の政治権力の強化・防衛を危険に陥れる(2)国家の統一、国民の団結、社会的安定を脅かす、という規定があり、すなわち、政府の権威を傷がしたり、社会的不満や民族の権利主張につながる恐れのある情報は、ほとんど全て「国家機密」とされた。これは、わが国の国家公務員法100条(秘密を守る義務)と、その罰則規定109条、110条とは比しても、内容が大幅に異なる。やはり、個人の基本的人権をはじめ権力的地位にない者の言論の自由を脅かす法制度と考える。
また、この「国家機密」の判断も、やはり当局の指導を仰ぐものであり、結局のところ、党が現在の政治体制を揺るがすものと判断する限りにおいては、「国家機密」という概念は変わらないことになる。

(2)-2 司法制度と行政拘禁に関わる問題
 中国における人権問題について、人権侵害の源泉は「行政拘禁」と述べている書がある。また、この行政の権力について、「行政権力を握る者は、法律をお飾り程度にしか考えていない。彼らは、行政法規のほうが、ずっと拘束力を持つと信じている」という言がある。(1)

【註】(1) 「法制度が脆弱なため惨事を防止できない」(サウス・チャイナ・モ-ニング・ポスト紙1993年6月4日、張偉国)

1)収容審査
 収容審査は、有罪推定的拘禁制度をいうが、この有罪推定の慣行は廃止され、現行監獄法典上の「行刑法定」にとってかわった。
 従来慣行の収容審査は、政治的反体制あるいは、経済政策の反対者などを、拘禁したり、弾圧の手段として利用していた。こうした利用は、明白な証拠、そうした事実がない場合、疑わしい者を逮捕・拘留する術がない場合に、疑わしいという名目だけで拘禁する制度である。この点について、人権規約(B規約)第9条は、逮捕拘留等の要件を規定し、身体の自由と安全を保障している。したがって、中国政府が未だ、B規約を署名・批准できない理由は、この規約が社会主義を維持する政策に反する内容だからと考える。
つまり、中国が社会主義国を存続させるため、こうした制度により、家反社会主義的見解をもつ人々や、微罪を犯した人々に適用するものである。当局にそのような人物とみなされれば、起訴も裁判もなしに拘禁され、弁護士はおろか家族にすら連絡することもできない。いったん拘禁されたら、たとえ無実であっても、それを証明する手段さえ与えられない状態になる。すべての自由を束縛され、身柄を拘束されるのである。こうした制度が廃止されるのは、当然の結果であると誰しも考えるはずである。
1994年12月発布、施行の現行監獄法典は、従来の不備を修正した「行刑法定」に改正された。その主な改正について、7点(2)その内容は下記による。
1 監獄が刑罰を実行する国家機関であること、行刑の目標が受刑者を「法律を遵守することのできる公民に改造することにある」ことを定めて、旧体制の「労働改造」という用語自体を廃止し、従来慣行をなくし、行刑が純粋な法的・専門的な行為であることを修正した。
2 「労働改造」の名のもとに、受刑者の権利を事実上否定していた旧体制を改め、剥奪されない法定的なものとして受刑者が多くの権利を有することを確認し、それらの権利を具体的に定めている。例えば、人格が侮辱されない権利、人身安全が侵害されない権利、弁護権、告発・告訴権、減刑・仮釈放の請求権、釈放後の救済請求権、労働報酬を受ける権利、通信会見等などである。
3 強制労働のみを強調し、事実上それを行刑のほとんどの内容とした旧条例の規定を改正し、
教育と労働を結合し、受刑者を懲罰しおよび改造すると定め、強制労働の割合を減じ、代わりに職業技術教育や文化知識教育などを内容とする教育活動の割合を拡大した。
4 受刑者の外部交通権の規制を緩和し、手紙においても親戚以外の人との文通が認められ、面会時間と回数において、法的制限を撤廃した。
5 旧条例にはない規定として、受刑者の監房ないでの生活環境の改善と受刑者の医療保険について、医療条件の改善をはかり、さらに労働法令の定めを参考にした労働時間および法定祝祭日・休暇日に受刑者が休息する権利を与えている。
6 旧条例と異なり、手紙等に関する監獄側の検査を許すものの、告発・告訴・不服申し立てに関する受刑者の資料については、監獄側は、速やかに転送しなければならず、さらに受刑者が上級の監獄機関や司法機関に宛てた手紙等は、監獄側の検査を受けないことを定め、受刑者の保護を考慮している。また、受刑者の不服申し立てには、各司法機関は迅速に処理する義務を負うことを定めている。
7 旧条例とは異なり、労働に参加する受刑者に対して関係のある法律に従って報酬を支払い、
労働保険を適用すると定めて、受刑者の労働報酬権を認めている。

【注】(2) 現代中国法講義 西村幸次郎 編 法律文化社(72~74貢 引用)

 以上が従来慣行の「収容審査」を廃止し、改正された「行刑法定」である。こうした規定内容については、大きく進歩しており、受刑者の人権を考慮したもので、評価できるものと考える。しかし、文頭に紹介した張偉国の言は、中国の現状を示しているとも考えられ、今後も監視の必要は否めない。また、こうした改善も結局のところ、受刑者の権利享受は依然として監獄側の掌中にあり、また、「改善」の程度に対する判断は監獄側にあり、受刑者が受ける恩恵はその判断に拠るところとなる。


2) 労働矯正
 「労働矯正」は「労働教養」ともいい、前述の「労働改造」とは区別される。労働改造は、刑法により有罪の判決を受け、懲役刑が確定した囚人に適用される監獄法上の行刑法定であるが、「労働矯正」は、行刑ではないが、行刑に類似する制度である。
 労働矯正とは、警察等の行政機関の判断で、行政処分とし、ある者を「労働矯正」のための施設に収容して、強制的に労働させ、教育矯正を行う制度で、その期間は普通で、1年~3年で、特殊な場合は4年である。これは、前述の収容審査によって拘禁された後、最終的に「労働強制」処分を宣告されることが、従来の慣行であった。この制度を定めているのは1957年8月発布、施行された「労働教養問題に関する国務院の決定」、1979年に制定され、1982年改正の「労働教養問題に関する補充決定」である。この制度の特徴は、警察など地方政府の代表からなる行政委員会によって処分の決定が行われ、司法手続がないこと、次いで、その執行に関して必ずしも
十分な法的規定がないことである。これは、1979年の刑事訴訟法の規定に矛盾した内容である。刑事訴訟法第48条は、起訴前に10日間以上拘禁することを禁じている。しかし、反社会主
義的見解をもつ人々や、微罪を犯した人々に適用される。当局にそのような人物とみなされれ
ば、従来慣行の収容審査の時と同じく、起訴も裁判もなしに拘禁され、弁護士はおろか家族に
すら連絡することもできない。いったん拘禁されたら、たとえ無実であっても、それを証明す
る手段さえ与えられない状態になる。すべての自由を束縛され、身柄を拘束されるのである。
 この制度が、廃止もしくは改正されないかぎりは、行政拘禁の恐怖が中国公民の頭を過ぎり、他の制度が改正されても、文化大革命当時と、少しも変化があったとはいえない。この行政の権力は、文頭に示すように「行政権力を握る者は、法律をお飾り程度にしか考えていない。彼らは、行政法規のほうが、ずっと拘束力を持つと信じている」という言葉を物語っているとしか言いようがない。従って、この制度は廃止されるべきであると考える。

3) 居住監視
 「居住監視」とは、当局が人々の行動の自由を完全に奪うために、利用している制度である。つまり、生活をしながらに監視を受ける処分である。この制度も、逮捕後の処分であるが、起訴に関する手続もせず、容疑内容も明白ではなく、家族に対し連絡もなく当然、本人も自分が何の容疑かもはっきりしない場合もある。「居住監視」を受ける人は、自宅または指定さえた区域や場所、例えば、政府管轄の「招待所」などで監視される。つまり、本制度は囚人を拘禁して、外部との接触を完全に絶つのが目的である。また、居住監視の期間は定まってはいない。刑事訴訟法44条によれば、「居住監視」が適用できるのは、「逮捕する必要があるが、十分な証拠が得られていない人物」に対する場合についてである。この意味は、反社会主義的見解をもつ人々や、微罪を犯した人々にも適用されることになり、逮捕された者にとって、また、その対象とされるものにとって不可解な制度である。前述のように、刑事訴訟法第48条は、起訴前に10日間以上拘禁することを禁じている。また、第43条は、「被拘禁者の家族は、拘禁がなされてから24時間以内に、拘禁の理由及び場所を告知されなければならない」、と規定する。その後の文言は、「告知が取り調べの妨げになりうるか、あるいは告知する方法がない場合は、これを無視できる、」と但し書きがある。これこそ、なんの意味もない規定であり、人権侵害の源泉とも考えられる。やはり、適正なる審査と適正なる手続が、人権保護に繋がるのであって、起訴前の被疑者、起訴後の被告人の権利保護は重要な問題である。
 この点について、1996年3月に、刑事訴訟法は改正され、「無罪推定」という飛躍的前進した概念を取り入れた。その、主要な改正につき、6点(1) 列挙する。
1 「マルクス・レ-ニン主義・毛沢東思想が指導理念であること」や「プロレタリア独裁の経験に基づくこと」、「敵に打撃を与え、人民に保護を提供すること」といった政治的概念、スロ-ガンのすべてが現行刑事訴訟法典から消えて、その代わりに、法的概念・法的文言が使われた。
2 現行訴訟法典は「無罪推定」の確立をはかろうとして、その総則12条で「人民法院が法に基づいて言い渡す有罪判決を経なければ、何人に対しても有罪を確定することができない」とした。この一般規定を受けて、有罪判決が出るまでは、被疑者・被告人を犯罪者と結論づけてはならないとした。この規定を反映するかのように、各則の規定では、起訴されるまでは「被疑者」、起訴後は「被告人」とそれぞれ区別している。
3 現行刑事訴訟法典は弁護人による弁護の開始時期を大幅に繰り上げ、捜査が終了して検察に起訴を請求する時点から、弁護人は正式に訴訟手続に加わり、弁護活動を始めることができるようにしたほか、捜査段階においても、被疑者は最初の取調べを受けた時点または強制措置をとられた時点で弁護士を選任することができるようになった。選任された弁護士は、被疑者に法的諮問を行い、被疑者の代理人として違法捜査などに対して不服申し立てをし、告訴を行うことができる。その間、弁護士は捜査機関に被疑者の容疑の罪名を聞き、被疑者と面会して事件についての状況を聞くことができる。
4 現行刑事訴訟法典は、被疑者・被告人の権利を保護し、不当な捜査を避けるために、身柄を拘束されていない被疑者・被告人に対する、召喚や拘引などによる取調べは、12時間を越えてはならないことを定めた。
5 現行刑事訴訟法典は、検察の権限を大いに制限した。旧法典で、当局の持っていた「起訴免除権」を廃止したほか、法廷の公判手続における当局の「法律実施監督機関」としての権限を縮小し、それを「人民法院が法定の法廷手続に違反した」ときのみに限定した。
6 現行刑事訴訟法典は、旧法典で確立された「職権主義」的公判手続を改めて、部分的ながらも「当事者主義」的公判手続を導入した。具体的には、まず、「法廷前審理」を廃止し、「起訴状」による審理の制度を導入。次に、裁判官が法廷で証拠を挙げ、すべての立証活動を行っていた旧制度を廃止し、法廷での挙証責任を検察側と弁護側に負わせ、被告人への尋問や証拠の開示などの立証活動を検察側と弁護側に中心的に行わせ、裁判官はただ審理と判断だけに専念するようにした。最後に、証拠・証人について、旧制度を変更し、検察側の証拠・証人と弁護側の証拠・証人とを区別し、それぞれ訴訟上の異なる意義を賦与するようにした。

【注】(1) 現代中国法講義 西村幸次郎 編 法律文化社(68~70貢 引用)

 以上が従来慣行の「居住監視」を廃止し、改正された「刑事訴訟法典」の内容である。こうした法改正の内容については、大きく前進しており、被疑者・被告人の人権を考慮したもので、評価できるものと考える。また、旧法典が実施されていた時に比べると、容疑の罪名について知ることができ、被疑者・被告人が、自己の置かれている状況を把握することができ、自己防衛に関する対処方法も容易に見出すことができると考える。


(3) 国際人権保障上の問題点
 自由権規約をはじめとする人権条約は、人権の保護という国際社会の共通利益の実現という目的を達成するために締結された典型的な、立法条約である。したがって、人権の保護という国際公序の実現を目的にするのであって、国家間における相互利益の追求のための条約とは異なるものと考える。さらに、法適用にあたって、国内法と国際法との解釈が異なる場合については、やはり、国際的人権条約としての自由権規約の性格を十分に踏まえ、かつ解釈の方法も「ウィーン条約」に基づいた解釈を行う必要がある。この点、中国政府は、国際人権法を基本とした、国内法の改正および修正等を早期に実施することが望まれる。
 人権条約を国内で実施する場合、国内法と条約との関係が問題となる。この点、わが国においては、違憲審査の対象として条約について、条約優位説と憲法優位説とが対立している。条約優位説をとれば、そもそも条約の違憲審査の問題は生じない。しかし、だからといって国民の基本的人権を侵害することは許されないと考える。また、憲法優位説をとれば、条約について違憲審査の可否の問題が生じる。まず、条約の締結手続きが違憲の対象となることに異論はない。問題は、条約の内容である。この点について、否定的見解もあるが、「法律」に準ずるものとして、違憲審査の対象の可能性を認めるのが通説的見解である。
 ところで、人権侵害に対する問題は、前述のように、外国に対するものではなく、実際問題は国家領域のなかでの問題で、しかも、当該政府によって人権が侵害される事例もけっして少なくはない。また、1989年の天安門事件での中国政府の主張した、「国内事項不干渉の原則」の考え方は、実質的な「人間平等」を実現しようとする国際社会に適用できるかが問題である。
 つまり、自由権規約をはじめとする人権条約は、人権の保護という国際社会の共通利益の実現という目的を達成するための立法条約である。すなわち、国家はその領域内に在住する外国人に対して管轄権を有しており、外国人の法的地位やその享受すべき待遇については、原則として領域国がその国内法によって決定することとなる。従って、第1に、内外人平等取扱いの原則を採用する必要がある。
但し、この場合、文明国と発展段階の国では、すべてにおいて待遇内容が異なる点、国際標準主義(文明国標準主義・客観主義)と国内標準主義(主観主義)とが対立している。
前者は、「国家が外国人に与えるべき保護には、一定の国際的な標準があり、これにみたない保護しか与えられない国家は、そのこと自体によって国際法に違反する」という見解で、後者は、そのような国際標準の存在を否定し、「国家は自国民に与えるのと同程度の保護を、外国人に与えれば足りる」という見解である。
この見解の相違について、中国に当て嵌めると、香港返還6周年を向かえ問題となっている、香港特別行政区基本法(1)(3)であろう。この法律は国家転覆や国家機密窃取などを禁じる香港特別行政区基本法(憲法に相当)23条に基づく法律で、「国家安全条例」である。草案によると、香港における国家反逆、国家分裂、国家転覆、煽動性の出版活動、国家機密窃取、外国政治組織活動などが禁止される。新法が成立すると、香港も本土並みとなり、人権侵害が予想される。しかし、この法律内容は、香港問題に関する中英共同宣言(2)とは実質、異なる。国内標準主義に立っている。只、忘れてはならない事は、自由権規約をはじめとする人権条約は、人権の保護という国際社会の共通利益の実現という目的を達成するための立法条約であるということである。必要な事は、将来、国際社会においては裁判手続きの公正、裁判の正当性など、国家の相当なる注意義務が要求されることである。例えば、今回のイラク・ブッシュ戦争での、取材後の毎日新聞記者の不注意な行為で命を落とした事件では、当該国家ヨルダン政府の相当なる注意が払われている。
こうした身近なことから考えると、国際交流が蜜になればなる程、人権問題が国際関心の的となり、もはや、国内管轄事項では済まされない、あるいは処理しきれない分野である。

【註】(1)北京=福島香織 「一国二制度」に危機 産経新聞 2003年6月29日国際15版。 
   (2) 「中華人民共和国政府とグレート・ブリテン・北アイルランド連合王国政府の香港問題に関する共同宣言」(1984年12月19日 調印)。
(3)北京=福島香織 「香港行政長官の選出法改正」 産経新聞 2004年4月7日
以下産経新聞報道を引用
「香港行政長官の選出法改正」~中国、直接選挙阻止へ~北京=福島香織
 「中国の全国人民代表大会(全人代=国会)常務委員会は6日、香港特別行政区基本法(ミニ憲法)が定める2007年以降の香港行政長官選出法の改正について、その必要性を判断する権限が全人代常務委にあるとの解釈を可決した。全人代常務委は事実上、中国共産党の指導下にある。
香港の民主派が要求する2007年行政長官直接選挙実施を事実上阻止するかっこうとなり、香港の自治は大きく損なわれた。香港民主派の反発は必至だ。」と報じている。
 すなわち、中英共同宣言とはかけ離れた方向へと進む可能性が高いことを示している。昨年まで「現実に即した対応を」と静観のかまえを見せていた胡錦濤政権が今年に入り強硬姿勢に転換した背景には、香港をコントロ-ルできない薫建華行政長官に失望、見限ったためという。つまり、今後、直接干渉の度合いが増すことになるとの観測が内外で噂されている。

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