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世界の海は繋がっています。 魚は自由に動きます。 淡水魚でさえ、いつ移住したのか知りませんが、同じ魚があちこちの川や湖に居ます。 ブラックバスや雷魚のように人間が放して広がったのも居ますけどね。 海の魚は何処に現れてもおかしくないですよね。 氷河時代でうんと冷たかった時もありますからね。 自分でそんなに泳がなくても自転車並みに流れる海流もあるし・・・ それでも、鱈や鮭などは北の海だと思います。 大体、日本で食べられている海の魚は北寄りの海の物ですよね。 沖縄などの魚には馴染みがないくらいですからね。 「鯖」も日本の近海、一番南が「関鯖」くらいだと思い、三陸とかを想像します。 そして、輸入品となると、「ノルウェー」「カナダ」が浮かびますね。 最近はおいしい「ノルウェー産」があまりお目にかかれません。 で・・・ 今日、何気なく塩鯖の下ろしたのを買ったら・・・ 「ベトナム」でした。 水産加工は東南アジアが増えていますが、缶詰でもエビでもキャットフードでも無い、「塩鯖」がベトナムなんて・・・ ベトナムは好きですが、ちょっと違和感がありますね。 でも、「骨取り」です。 人件費掛けて運んでもまだ安いんですね。 TPPでもっと安くなるのかな? 日本の店先に並べば買う気しますが、現地の戸板の上に氷もなしで並んでいると・・・ と、言いつつ・・・ ベトナムの道端の屋台のうどんなんて大好きなんです。 丼もまともに洗ってないけど(笑) 日本だって昭和30年代の夜泣き蕎麦なんて同じだったんですよ。「おしん」の世界がその頃まで残って居たのですからね。
2019/01/22
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ヴェトナム戦争…サイゴンが陥落したのが1975年4月です。 40年年を越えるのですね。 私が東京に居た頃は米軍の兵士がヴェトナムからの一事休暇で東京に来るので、随分荒れているのも見掛けました。 無銭飲食するやつも居たし… 遠くヴェトナムの戦争とは言えない部分もあったのです。 「ベ平連」というのもありました。 小田実・開高健などと言う名前はノンポリの私でも知っていました。 でも、今の日本人には遠い話なのでしょう。 「サイゴン」も「ホーチミン市」と呼ばれて居るし… でも、現地では中心部は「サイゴン」と呼ばれて居ましたね。 これはダナンの大聖堂でフランス統治下1923年に建てられたものです。 この様に、ヴェトナムという国は至る所にふらんす統治下の香りが残されています。 植民地時代を経験した国って、宗主国の影響も大きいし、以外と解放後も親密感を保っているところもあるようです。 近代国家になる時に文化を持ち込んできたのがヴェトナムではフランスだったのですから… そして、軍部の思惑はどうあったにしても、仏印辺りを開放したのは「大東亜共栄圏」を旗印にした日本だったと言うことなのでしょう。 ベトナム戦争当時は沖縄からB52が北爆に出撃したそうですが、ヴェトナムの人は親日的な人が多かったです。 フランスとの独立戦争の時に残留旧日本兵がベトナム軍に沢山参加したことも親日感情にプラスの作用になったのでしょう。 そして、「ドイモイ政策」の目標の一例に日本があったとかも言われますね。 近年、日本企業が大挙してダナンを目指しているようですが、今の企業人のモラルからすると、日本というものに対する印象を悪くしないか心配します。 この様な活気に溢れた現地の人の生活を壊さなければ良いのですが… 最近では熊野でもヴェトナムの人を見掛けます。 ミカンの摘果・収穫にも雇用されているようです。 他の地区の「農業研修生」のような扱いはして欲しくないです。 人が足りなくなってきているのです。 安く使えば良いという物では無いのです。 他の国の人とも共存して行かないと日本国の将来は明るくなりません。 私の介護をベトナムやインドネシアの娘がするかも知れませんよね。下のランキング、ポッチよろしく・・・
2017/11/14
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今日、ミノルタα7700iを使おうとしたら、フィルムが入っている… それも、20枚ほど撮影済みです。 と、言うことは… ベトナムの続きでしょう。 モノクロの写真で、撮ったはずのカットが無くて不思議だったのですが、こう言う事だったようです。 いくら同じボディを二つもって行ったからって、帰ってからの作業で片方のボディのフィルムをチェックしないとはねえ… それも、予定より撮影本数が少なかったのに… 夕方から現像作業をしたら、やっぱりベトナムでした。 無条件で裏蓋を開けるなんてのはしませんから無事でしたけどね。 これはやっぱり歳のせいでしょうね。(誰かに否定してもらいたい…) 詳しくは見ていませんが、一応きちんとしたネガに仕上がっています。 カンボジアとタイがドンパチをはじめたとか。 アンコールワットに入るルートではタイ・バンコク経由が日本人の場合は多いのですが、困ったものですね。 領有権って言っていますが、底には「世界遺産=観光収入」と言うのがあるようだとか… ベトナム・ダナンでも俗っぽい観光開発が進行中でしたが、「観光産業」=「濡れ手に粟」の考えは世界中にあるようです。 「世界遺産」なんて付くと、公共投資が付いてくるのも似てるのかな? 少なくとも、大義名分は立ちますからね。 日本国内でも富士山山頂の領有権が確定していませんね。 お金にならない名所なので取りっこしても何となく収まっているのでしょうね。 ベトナム・フエ FUJI GS645S + TRI-X ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください
2011/02/26
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長々と越南国の旅を書いてきましたが、一応帰国と言うことになります。 まるで観光案内の無い旅行記になりました。 観光名所はガイドブックでもネットでも簡単に見られますからそちらに任せて、自分なりの見方で見たベトナムを『レポートしました。 ベトナムの町では「猫」「犬」は少ないです。 あの交通事情では猫君は中々生き延びられないでしょう。 郊外や田舎に行けばのんびり出来るでしょうけどね。 日本のようにワン公を抱っこして歩く人も見かけませんでした。 ベトナムの小学校はものすごくハイカラなものです。 学制は分かりませんが、全部が公立ってことは無さそうです。 どう見ても、良い家の子女が通うという感じの学校がありますからね。 町中には「塾」?のようなものもありますし、英会話教室、パソコン教室もあります。 有利な人生を送るためには何処でも同じなのですね。 ベトナムではレンタカーが無く、国際運転免許も通用しないと言うことは… 現地で運転免許を取れってことでしょうね? そんなに難しい試験では無いでしょうけど、英語での試験があるはずも無し… まあ、下手に運転していて、変な奥地に迷い込んだり国境を越えたら大変なことになる地域ですけどね。 ベトナムで4つの飛行場を使いました。 ハノイーフエ間はビジネスクラスしかなかったので贅沢しちゃいましたから、機内持ち込み荷物が二個になりますから、出口もすんなり出した。 あとは、小さなカメラバッグに着替えを詰めたのを預けました。 日本から着いた時のハノイでも荷物が出るまで随分待たされました。 ローカル線で降りた、サイゴンでも待たされました。 何処の国でも日本の飛行場ほどの速さでは荷物は出ませんね。 ついでに、飛行場について… 帰国便はホーチミンの、「タン・ソン・ニャット国際飛行場・San Bay Tan Son Nhat」を午前0時15分発、ベトナム航空950便でしたが、その前にも成田行きがもう一本、大阪行きとかが出ています。 飛行場は日本のODAで作った物ですから、きちんと行き先掲示板もあり、館内放送もあります。 放送はベトナム語が基本です。英語が追加されることもありますが、日本語はめったにやりません。 日本語をしゃべるスタッフも居るはずですが… ここの飛行場で怖いのは、電光掲示板が当てにならないことです。 一応、「チェックイン中」「最終チェックイン中」「搭乗中」「延刻」なんて出ています。 だからといって信用しては駄目です。 全く出ない便があります。 放送も聞き取りにくい場所があります。 自分の乗るビンが近づいたら、自主的にチェックインしないと・・・ 私の前の便のJALの便などは出発直前でも空白のままでした。 係りに、「あれおかしくない?」とたずねたら…「放送の方はしましたから…」と当たり前のような顔をしていました。 こんなのが世界にはたくさんありますからね。 ベトナム便って結構乗っています。 国内便も満席になります。 やっぱり、「リコンファーム」はきちんとした方が良さそうです。 ベトナム航空に関しては何処の町にでも窓口はあります。 ベトナムドンは世界でも一番弱い通貨の一つです。 持って帰っても仕方ないので、使い切りにかかりました。 チェックインしてから、売店でインスタント麺を食べて…最後の売店で残りのお金をレジに並べて「これで買えるだけお菓子でも頂戴」式に預けました。 電卓を片手に店の人が悩んでいましたが、ドンぴしゃり合う訳も無し… 最後はおまけしてくれました。 ここまでして使い切ったつもりなのに… ポケットの隅に「ドン札」が残っていました。 『1000ドン』もあります。 もったいないから、これを使いにもう一度ベトナムに行かなくっては… ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/20
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ベトナムはよい所です。 でも、悲しいニュースが入ってきましたね。 ハロン湾の観光船が沈んで大勢の方がなくなったそうです。 老朽化でしょうね。船底が割れて沈んで行ったそうです。 それも夜中に寝ている時間だそうです。 今も低温が続いているようですが、極寒の海と言うわけではないはずです。 昼間ならこんなに死ぬことはなかったでしょう。 アジアでは定期航路のフェリーが沈んだり…けっこう船の事故があります。 乗るつもりの船が古いからやめる…なんて決断は中々出来ませんよね。 今回、私は天候不順なので「ハロン湾」には向かいませんでした。 世界遺産にもなっている美しい海なのですが、割愛しちゃいました。 行く気になれば何時でも行ける…なんて考えちゃいましたからね。 実際は行くことも無いでしょうにね。 ベトナムって、カンボジアの「アンコールワット」「アンコールトム」などのようにものすごく目を引くものもありませんが、広い国土には山岳部の少数民族から大都会まで色んなものがあります。 そこそこ網羅するには一ヶ月では足りないでしょう。 「ここに行けばベトナムだ!」と言う物ではなさそうですから、やっぱり、自分の足で歩くのが一番だと思います。 人に触れながら…つまみ食いしながら旅をしていればお金もかかりません。 どんな田舎にも「市場」があるようです。 果物やうどんには不自由しないと思います。 ちょいと、胃の薬と下痢止めでも持っていれば何とかなるでしょう。 気になる方は予防注射を受ける方が良いのかもしれません。 もちろん、ツアーで行かれる方はリスクが大幅に減ります。 手づかみで呉れる食べ物まで食べようという方が対象の話です。 帰りに使ったサイゴンの飛行場、「タン・ソン・ニャット国際飛行場・San Bay Tan Son Nhat」は一目見るだけで分かる代物です。 なにがって? 日本のODAで作ったってことです。 インドネシアでもそうでしたが、とにかく、日本国ODAの臭いがむんむんしています。 立派と言えば立派なのですが、無駄が多いといえば無駄だらけです。 国内でも外国でも随分無駄な公共事業をやっています。 何処まで行っても、このひねくれ眼でこんなのを見つけちゃいます。 そんな飛行場で存在感を示しているのが韓国の家電メーカーなんですね。 市内の量販店でもすごい勢いでした。 そして、携帯電話は当然日本製など問題外で「ノキア」の天下です。 カメラ屋さんでは日本製のデジタルカメラが幅を利かせていましたけどね。 そうそう… ベトナムでは郵便局がおかしなことになっています。 「Western Union」と言う英文看板で営業しています。 看板とポストは西洋風の黄色いものです。 完全民営化なのでしょうかね? 営業時間はかなり長いようで夕方でもあいています。 気をつけてみていれば町なかで見つかると思います。 ガイドブックによると、ベトナムではコインは事実上使われないから受け取らないようになんて書いてありましたが、バスに乗ると日本同様料金箱にお金を入れると、運転手さんがガチャガチャとレバーを操作してお釣りを出します。 そして出てくるのがコインです。 機械には適していますからね。 バス料金にはそのコインも使えます。 つまり、外人さんには4000ドンでも地元の人にはそれより安い料金があるようです。 20円以下の料金ですから、私もあえて追求はしませんでした。 でも、バスで一回コインを渡されたので、一枚だけ手元にあります。 四つの街を歩きましたが、どの街でも道路横断は度胸試し、運動神経の検査場です。 信号があってもすんなり渡らせてくれる所はほとんど皆無です。 相手がオートバイですから阿吽の呼吸でお互いに避けて通ります。 渡りたいと言う意思をはっきり示すことです。 「この隙間であっしは3mほど前進しまっせ!」と示せば後続のオートバイは横断者の背中を掠めるように幅寄せします。 その代わり、向こうさんは止まるなんてことは考えても居ませんから、考えを急に変えたりすると大変です。そのおつもりで… だから、洪水のような単車と自動車の群れなのに道は結構流れています。 その喧騒の中を歩き回っていて、熊野に帰ってみると、まるで車も来ない… なのに…こんな道で歩行者の事故があるんですよね。 「手を上げて、横断歩道を渡ろうよ」なんて、ルールに守られて、歩行者も油断しちゃってるのでしょうね。 日本では色んなことが過保護になってしまったのかもしれません。 ベトナムではレンタカーはありません。 運転手つきのチャーターカーになります。 今の所、「国際運転免許証」も通用しないようです。 レンタル・オートバイなんてのもありますが、運転は違法行為になります。つかまったら罰金なのだと思います。私としては、あの洪水の中を車で走ってみたかったのですけどねえ…御堂筋とかで信号一個の間に全車線を幅寄せして反対側に寄せられる腕があれば大丈夫です。楽しそうだ…なんて考えるのは私くらいかなあ??? ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/19
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サイゴンはベトナムでは一番賑やかな町です。 一番国際的な町でもあるようです。 どう言う訳か観光客もものすごく多いようです。 国際便の乗り入れ先も多いのが影響しているのでしょうけどね。 中心部の「ベンタイン市場・Cho Ben Thanh」では、他の市場よりはるかに多く観光客向けの店が並んでいますし、行商の人も観光客向けの者を売っていることが多いです。 この様子だと、置き引き、引ったくりなんてのもあるのかもしれません。 文無し風の爺さんは心配ないです。 本職から見れば、私の手にしているα7700iなんて古いカメラは欲しく無いでしょう。 まあ、レンズは欲しいかも知れませんけどね。 でも、今流のでかくてぶっといズームでは無いですから迫力無いです。 デジ一のα3500は少し価値が残っていますけど… フィルムの方は17mmワイド、デジ一は10-20mmズーム、腰に付けたレンズケースには古いミノルタ28-85mmズームと言う変なラインナップでの撮影です。 でも、このラインナップだからこそ自由に何処でも撮影できたのです。 入らない、収まらないなんて事はほとんどありませんからね。 市場の外で一時間ほどカメラを構えたままで座っていました。 いろんな人が出入りします。 外人さんとベトナム人のカップルも居ました。 今は基地は無いですから普通の人でしょうね。 日本人の団体さんも何組か通りました。 ベトナム語、英語、フランス語、日本語、中国語、韓国語…色んな言葉が耳に入ってきました。 サイゴンでは米ドルが通用するからか、民間の両替所はあまり見かけません。 この市場のお店の一部では日本円も通用しているようです。銀行より通用性が良いかもしれません。 きちんと交渉すれば誤魔化されることも無いでしょう。 ダナンの銀行で拒否された5000円札、1000円札も大丈夫みたいです。 何しろ、品物を売ることに関しては熱心な人たちですからね。 金が無さそうでも、観光客はそこそこ持っていますから、物売りさんたちは片っ端から声を掛けています。 「果物」「ベトナム菅笠」「宝くじ?」「携帯電話」「バッグ」「ベルト」「財布」「サンダル」「ハンモック」・・・実に様々です。 その中で、「買って!」とも声を掛けないで、私のそばで20分ほど休んでいました。 ただ一言…「重い」って言ったようです。少し淋しそうな笑顔で… こんなのに男は弱いです。 でも、物を運んでいるのではないから肩代わりも出来ず… バスターミナルそばの公園で花を一杯売っていましたが、「ぼんさんが花を買っているのを見ました。 三人ほどで檀家?の人と来ていたようです。 結構、きつそうで、念仏系のお坊さんではなさそうです。 このお花の市は、お正月の前だからなのかお起きは鉢植えが多いです。 ただ… ハノイとフエでは「蝋梅」のようなものが多かったのですが、熱帯のサイゴンでは派手なひまわりとかが多かったですね。 見渡す限り、花の鉢植え… これを買って帰るのですから、人々の心に余裕があるってことでしょう。 所得が伸びず、経済も行き詰まりとか言われるベトナムの人の心は意外と豊かなのかもしれません。 それが若い娘の優しい笑顔になるのかも… そして、生活苦の方がおばさんのきつい表情に表れているのかも… ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/18
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一人で自分の足で歩いて、町のあちこちを覗いて回りますから、団体さんでは味わえない。見かけることも無いようなものも見ました。 むしろそちらの方が多くて、ガイドさんが連れて行ってくれるようなお店とか観光名所は抜け落ちているでしょう。 そりゃあ、名物だって言うから、「生春巻き」を食べるためにきちんとした所でも食事をしてみました。 見た目のきれいだし、そこそこ美味しかったですが、屋台の方が性に合いました。 商業活動の好きなお国柄なんでしょうか、町中いたるところにお店があります。 なんだか不法建築的に上へ上へ積み重ねたような家が多いですから、人口密度は高そうです。 香港ほどでは無いですが、恐ろしいような強度の無さそうな家が立ち並んでいます。 国土が狭いわけではないのですが、土地制度がそうさせるのでしょうか? 火事と地震を心配していたら、下町では暮らせませんね。 東南アジアに多いパターンで家で落ち着いて食事をしない種族も多いし、お店をやっている人は普通のように店先で食事をしています。 もちろん営業中にお構いなしです。 一流店ではやら無いでしょうが、私がうろつくような所はほとんど店先で食べていましたね。 一族揃っての食事会?も営業中の自分の店の前にテーブルを並べてやっていました。 飢えの写真のお店は大きくてこの辺では一流なのでしょうが、お店の前の道路にテーブルを並べお料理の準備をしていました。 次に通りかかった時には20人ほどで「乾杯」をしていました。 あと三日でお正月ですから忘年会なのかな?? そばの家では、店先でお坊さんを呼んで法事をやっていましたしね。 実に何でもありの様子です。 そうそう、「サークルK」がありました。 ちゃんと丸にKの字では分からないだろうと、「Circle K」って書いてありました。 ですから、絶対、「サークルK」です。 中身はコンビニもどきでした。 もちろん、これはニセモノですよね。 それと・・・ 世界中にあるそうですが、「NAKAMURA」と言う店が、ハノイ、フエ、ダナン、サイゴンで見かけました。 多分、店主さんは中村さんではないと思いますけどね。 サイゴンは明らかに「外人さん向けの繁華街」と言うのが出来ています。 米軍が居た頃はもっとすごかったのでしょうけど、今はそんなややこしい雰囲気では無いですね。 この一角などは、安ホテルに泊まる外人さん向けですから、高級店と言うほどのものは無いようです。 この一角は英語表記の店が多いです。 そして、ベトナム・ドンとともにUSドルが流通している感じです。 ちょっと換算がしにくいですけど、きちんとやれば得な場合もあります。 昔の日本でも、闇でドルを使うと公式レートより良いことが多かったのですからね。 そうそう、アジアで一番売れているのが「スズキ」だそうですが、サイゴンでは超小型の乗り合いバスに、「スズキの軽トラ」が使われています。 きちんと路線番号も付いた正規のものです。 せまーい路地裏まで入ってゆく路線なのでしょうね。 日本ではとても営業許可の下りない構造ですが、地元の人は一杯乗っています。 補助椅子は、屋台で座って食べる「風呂椅子のお化け」です。 屋根の上にはキャリアも付いています。 日本の田舎では、乗客が居なくなったのでマイクロバスが走っていますが、図体はでかいし、30人ほど乗れるものです。 乗っているのは、このベトナムのバスの定員にも満たない二・三人なんて状態です。 ベトナムの方がきめ細かい配慮がなされているのかもしれません。 自由経済化しても社会主義国ですからね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/17
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ベトナムは基本的には大乗仏教の仏教国のようです。 フランス統治時代のキリスト教もあるし、土着の宗教もあるし、イスラム教も入っています。アジアらしく、多宗教国家ですね。 サイゴンでも「チョロン Cho Lon」の辺りには華僑が多く住み、古い仏教寺院がいくつもあるようです。 街中なのでさほど大きくは無いですが、古そうなものがあります。 ガイドブックに乗っているお寺を覗いてみました。 中国式のお寺で線香を供えて拝んでいる人も居ます。 旧正月直前と言うことで、おかしな格好をした集団が居ました。 何か踊っていましたし、この仮面からすると縁起物のようですね。 日本で言えば「三河万歳」のようにお正月にはつき物なのかもしれません。 何処のお寺でもお坊さんの姿を見かけません。 まあ、日本のお寺でもあまり見かけないものですけどね。 回教のモスクもガイドブックにあるので覗いてみましたが、外からは良く見えない、壁に囲まれた地味なものでした。 見落とす可能性もありますね。 中には結構信者の方が居られました。 喫茶店のようなのが敷地内のくっ付いているのもアジアらしかったです。 異質なものなので目立たないようにしている風でもありました。 ほとんどが回教のインドネシアとは大違いです。 スピーカーでコーランの朗読を響き渡らせると言うことも無いようです。 そして、何処の町でも遠くからでも見えるのが、キリスト教会の尖塔ですね。 フランス人が作ったはずなのですが、どういうわけかピンクとかの色物が多いですね。 ヨーロッパの都会のように石炭の煙で真っ黒にならなくて済むので綺麗な色にしたのでしょうかね? このチョロンでも何処からでも高い塔が見えています。 目印には良いですね。 中心部の超高層ビルと町外れの教会と… 目印が二つもあれば迷うことも少ないです。 ただ… とにかく、バスのルートが一方通行でずれていますから、それだけが厄介です。 元に戻ってターミナルから乗れば問題は無いのですけどね。 もう一つ、町の人がバス停を良く知らないし、英語で話しかけると逃げちゃう人も多いです。 まあ、向こうから声を掛けてよってくるのには禄なのが居ないのは何処の国でも同じですけどね。 こうした下町の路地裏では無理も無い話しですね。 この熊野で外人さんが地元のおばちゃんに声を掛けたら同じように手を振って逃げますからね。 比較的話しかけよいのは、「若い女の子」と「ガードマン」ですね。 まあ、若い女の子の方は数多く声を掛けますからヒットする数も増えるのでしょうね。 でも、日本だって、高校生や中学生の女の子が一番外人さんにやさしいですからね。 私もベトナムでは「外人さん」で、とてもベトナム人には見えないようです。 30度を越す炎天下を、カメラを二台…時によっては三台持って、。汗をかきながら歩いている、お年寄りのカメラマンにしか見えませんから、皆さん安心しているようです。 だから、果物を呉れたりするんですね。 旅をする時は、お金持ちに見えるより、金が無さそうに見える方が絶対に安全だし得です。 そんな中、歩いていて見つけたチョロンの公園ですが、噴水が涼しげでほっとしました。 にしても、この金ぴかの龍って、ベトナムの趣味?それとも華僑の趣味??? 何処の公園も綺麗に掃除されています。 国民性?社会主義のおかげ? 通りも、ホコリっぽいけどそんなに汚れていません。 いたるところで収集用の大きなゴミ箱がありますしね。 ペットボトルはデポジット制なのか、空き瓶は喜んで受け取ってくれます。 ポイ捨てしなくて済むのでありがたいです。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/16
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中心部が近代化して行く「サイゴン・Sigon」も、下町に行くと古いベトナム・VIETNAMが残っています。 東京でも下町に行けば昭和の東京どころか江戸の面影も残っているのですから当然ですね。 サイゴン。バスターミナルから「1番」のバスに乗って終点の「チョロン・Cho Lon」に行きました。 ベトナム最後の日ですが、帰りの飛行機は次の日の午前0時15分と言うものですから、丸々一日あります。 そうでなくてもオートバイで込み合うベトナムの道ですが、終点の「チョロンバスターミナル」についてびっくり… 目茶目茶混んだ歩行者天国状態のところに大きなバスを構わずに持ち込むのです。 日本なら人身事故が一杯起きるでしょうが、人もオートバイもバスもなれたもので、クラクションの山を築きながらもちゃんと所定の場所まで進んでいます。 人間、やりゃあ出来ると言うことの見本ですね。 この終点は「ビンタイ市場・Cho Binh Tay」があるからターミナルになったようです。 大きなベトナム式市場があり、私が着いた午前9時にはもう大賑わいでした。 この下町にはサイゴンに住む中華系の人の多くが住んでいるそうです。 観光客の多い中心部の市場とはかなり趣が違います。 ハノイの市場では見なかったのですが、南の方の市場では建物の前に消防自動車が待機しています。常駐しているようで、職員も配置されています。 ベトナムの道では通報を受けてから消防自動車を出したのでは、この狭い通路で混雑している市場で火事が起きたらとても間に合わないからでしょうね。 それでも、市場内に居ると不安になります。 でも、この市場は中庭がきちんと庭として残されているのでその面では安心です。 その分小振りになっています。 サイゴンで見物するようなお寺などはこの周辺に固まっています。 仏教のお寺は例によってベトナム式?中国式?です。 いくつかあって、歩いて回れる範囲です。 ガイドブックにある地図でも、地図が読める…方向感覚のある人なら、ベトナムの町は歩けます。 ただ… 地図を片手に…は構いませんが、地図を見ながら…は危ないですよ。 歩道の上には障害物は一杯あるし、オートバイも走ってきますからね。 喧嘩など起きるとお巡りさんは来ますが、交通整理のためにと言うようなお巡りさんは見かけません。 宝石店、銀行、高級ホテル、高級そうなお店の前には必ずガードマンが居ます。 テレビでも、防犯テレビの宣伝があるのですから、そこそこ泥棒とかはあるのでしょうね? 私の泊まったホテルは全部そんなものは居ませんでしたね。 そんな下町ですから、街角には風呂椅子のお化けに腰掛けて食べる屋台が結構並んでいます。 私の昼飯です。 この、「具」の野菜が信用できませんね。 私は、自分の体を信用してこれを放り込んで食べます。 これを食べて歩く分には野菜不足なんて起きません。すこぶる健康的な食事です。 だから、ベトナムの人は太らないのでしょう。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/15
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私などはこの町を「サイゴン・SAIGON」と呼んで来ました。 ベトナム戦争が終わってから。英雄・ホーチミンの名を取って、「ホーチミン・シティ Ho Chi Minh City」になりました。 社会主義国の先輩、ソ連では「サンクド ペトロスブルグ」が「レニン グラード」になり、「ボルゴ グラード」が「スターリン グラード」になったのと同じですね。 ソ連ではその二つとも、今は昔の名前に戻っています。 国がそう決めても、変えられた町の人間が中々納得しないのでしょう。 このベトナムの「ホーチミン シティ」がずっと定着するのかどうか… と言うより、公式にはどうやら「ホーチミン」らしいですが、町では「サイゴン」と言う呼び方の方が強いように思われます。 町の真ん中のバスターミナルも「サイゴン・バスターミナル」です。 統一鉄道の駅も「サイゴン駅・Ga Saigon」です。 少なくとも町の真ん中へんは「サイゴン」ですね。 サイゴンはものすごい近代都市になってきています。 高層ビルがどんどん出来、世界中から資本が流入して発展?しているようです。 下町とか路地裏とか市場はベトナムそのものですが、ミニ東京に成りつつあるようです。 私から見ると、下町とか以外は見るもの無し… 雑貨でも仕入れに行くなら別にして、ベトナムを求めてゆくなら省いても良い町だと思います。 大都会でも。「ハノイ・Hanoi」のほうが良いですね。 予測して、滞在時間も短くしてあったのが正解みたいです。 お金を一杯使って、一杯御土産を買う人には良いのかもしれませんけどね。 サイゴンの中のベトナムを求めて、下町の「チョロン Cho Lon」に出かけました。 サイゴンの中心、「ベンタイン市場 Cho Ben Thang Poa」のまん前にバスターミナルがあります。 郊外向けを含めひっきりなしに色んなバスが出ています。空港向けもここからです。 分かりにくいですが、「1番」のバスに乗って終点まで行くと。「チョロン」と言う下町まで行き、「びんたい市場 Cho Binh Tay」の前のターミナルに付きます。 バス代は例によって4000ドン、20円弱です。 少々道が混んでいるのと結構遠いので30分くらいかかります。 一方通行が多いので途中でバスを拾うのは大変ですが、路線番号さえ分かれば大丈夫です。 バス停には路線番号が大体書いてあります。 これがどうも絶対ではないようで、帰りは「1」の表示の無いバス停から「1番」のバスに乗って帰りました。 バス停では手を上げないと止まらないし、終点以外のバス停では動いているバスから飛び降りる覚悟で無いときちんと止まる運転手の方が少ないです。 それでも、なんと言っても安いのが魅力ですし、同じ道を走るのですからタクシーでも時間はあまり変わらないようです。 空港向けは「152番」です。料金は同じです。 終バスが早く、19:20頃のようですから、夜中発の便のときは少し早い感じですけどね。 泊まったのは、安宿が並んでいる、バスターミナルから500mほど郊外向けに行った一角です。 まさに安宿街…5ドルくらいのバッグパッカー用の宿から、30ドルくらいまでのがごちゃごちゃあります。 一泊だけなので一番近いのにしたのが少し失敗だった感じです。 暑い所だけに、ちゃんと部屋を見せてもらってから決めた方が良さそうです。 12ドルでしたが、割高なほどひどい部屋でした。 1000円でも高く感じるほどベトナムのホテルは安いですからね。 そんな宿でも無線ランは動いていますよ。 日本より遅れている国は無いのでは無いでしょうかね。 こうした安宿街で目立つのは外人さんです。 日本からのツアー客とか日本で予約してくる人はこうした安宿街には流れてきませんからね。 安宿街に泊まれば周りの食堂も安いのばかりです。 例によって150円とか300円で夕食が食べられます。 ベトナムは基本的にチップも要らないし… ポケットを探って。「うん? 銭が無い!」と思っても、100000ドン…500円もあれば大船に乗ったようなものなのです。 これは私のような旅をする人間の話で、タクシーやシクロに乗り、日本のガイドブックに載った、ちゃんとしたレストランでワインなど飲みながら…なんて方だと全く足りませんけどね。 一流の所ではクレジットカードも通用するようです。 そりゃあ、私が食べる屋台では無理ですけどね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/14
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この町の郊外・ほんの数キロの所に飛行場があります。おそらく今の飛行場以上に広い面積の米軍基地があって、「ランボー」に出てくるような「攻撃ヘリ」がうじゃうじゃ居たのでしょう。 資材を陸揚げしたであろう砂浜は、今では「チャイナ・ビーチ」なんて名前になって大型の高級・大型リゾートホテルの建設ラッシュです。 大きなビルから、コテージ風のものまでを抱えた立派なもので、目の前がビーチになっています。 出来上がれば、外人さんがたくさん宿泊するのでしょうね。 まあ、私の場合は出来ていても値段交渉にも行きませんけどね。 といっても、日本と違い円で言えば、一万とか二万の話なんだと思います。 飛行機の切符もマレーシアまで5000円なんてのが出てるのですから、東京から南紀に来て熊野の「里創人・くまの倶楽部」なんて所に一人二万円も払うよりは安いでしょうね。 バリ島でもこの「くまの倶楽部」くらいのホテルは2000円とかですからね。 為替と言うものと、物価の違いを抜きにして観光振興などといっても、今の時代は感覚がずれているとしか見えません。 こんな爺さんでも、ベトナムを歩き回る時代ですからね。 ダナン・Da Nangは、目下開発中と言う、リゾート地・観光地ですが気候的には冬がなく、秋と春と夏だけの所です。 サイゴンのように年中夏よりは変化があって良いでしょうね。 ここの海は「南シナ海」になります。 街の中にはベトナムらしく大きな市場が二つもあります。 おそらく外れの方にはもっとあるのかと思いますが、歩いてゆける範囲にも二つあって、押すな押すなの人出です。 ハノイと少し違うのは、「バナナの葉っぱ」を売っている人が多いです。 だいぶん南になって、いたるところにバナナの木が生えているのですから、料理にも良く使うのでしょうね。 半端な量じゃないのを売っていますからね。 もちろん、バナナだとかドリアだとか南方の果物が並んでいるし。北の山岳地帯や中国から入ってくるりんごの類も並んでいるし…果物は豊富です。 一人で買って帰って食べられるような量ではないので、買いませんでしたが、よほど欲しそうな顔をしていたのか、あちこちの八百屋の伯母さんが呉れました。 どう見ても、「いけ面」だから呉れたのではなく、「飢えた日本人」に見えたようです。 とにかく女の人は優しいです。 太平洋戦争の後で、日本兵が一杯ベトナムに残ったのも理解できるような気がします。 それにしても。道端で「バナナの葉っぱ」だけを売ったり、「ふかし芋」などをほんの少し籠に入れて天秤棒で担いで売って歩いたり… 結構売れているし、町は活気であふれていますが、あれで食わなくてはならないのですから大変でしょうね。 私が東京に出た昭和30年代の後半、日本でも「担ぎ屋」「カンカラ部隊」なんて呼ばれるおばさんが「総武線」などで東京に来ていましたが、あの人たちの担いでくる量は生半可なものではなかったですね。 その辺りが、南方気質と日本人の違いなのでしょうかね。 市場の中とかには安い屋台が並んでいますが、南の方に来ると道端の露天の食堂は減ってきます。 無許可に近いような道端の店の方が絶対に安いのですけどね。 ちゃんとした料理は南と北では違うのでしょうが、こうした屋台的なところでは相変わらず「ベトナムうどん」が主力です。 トッピングが少し変わったようにも思いますが、良く分かりません。 水道など無いのでいつ洗ったか分からないような生野菜を放り込んだ「うどん」を食べ続けましたが、コレラにも赤痢にも成りませんでした。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/13
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この準観光地のダナン・Da Nangでは本当に見るものは「五行山・Ngu Hanh Son」だけに近いです。 日本のガイドブックではあまり大きく取り上げていないようですが、あんなエレベーターをつけようかと言うくらいですから、外人さんはたくさん来ています。 寺はこの五つの山の周りにたくさんありますが、日本人から見ると、全部、中国式のお寺です。 日本人の感覚からすると、伽藍も大きく無いし、仏様もお釈迦様とか観音様らしきもの以外は、戦いの神様とからしき、鍾馗様?とか大黒?布袋?みたいなのとか、少し趣味が違うので有り難味が少なく見えます。 こっちの方が本家に近いのですからそんな事を言っては罰が当るでしょうね。 大乗仏教だからご利益もある代わり罰も当るのでしょうからね。 この中で、一番入り口のエレベーターを作っているのが一番参拝客の多いお寺のようです。 山の中腹の洞穴の中にお堂を祀っています。 そのお堂の裏側に回りこむと、鍾乳洞の様な感じで天上に穴の開いた洞窟に出ます。この洞穴は道にはなっていませんがよじ登ることができます。 往年の田舎育ちのやんちゃ坊主で無い方は登らない方が良いかもしれません。 現地発の案内などにはこれも乗っていますが、少しよじ登ると洞穴から外に出て、岩壁を登るコースに成り、それを上るとこの岩山の頂上に出るようです。 洞穴の出口までは登ったのですが、隠されたようなコースなので、洞窟にも入ってこないし、全く誰も登って来ませんでした。、それから先に登っても景色が良いだけらしいので途中で引き返しました。 カメラで手はふさがるし、ザックが岩にあたるし… 落っこちても通りかかる人が居ないようなので止めざるをえませんでした。 それに、昔のように身が軽い訳でも無いし… 30年若かったら、何も考えずに登って行ったでしょうね。 案内板も無い代わり、危険立ち入り禁止と言うのでもありません。 仏様のご加護のある洞窟ですから大丈夫なのでしょう。 岩山の周りは石屋さんだらけです。 お土産用の小さな大理石の玉から、どでかい彫刻まで、一杯並んでいます。 今はこうした石も他の山から運んでくるのだそうです。 小さな玉で1ドル程度、大きなのでも7ドルとかですが相手は石ですからね。気軽に買ったらその先が思いやられます。 帰ってから、お寺に寄進するおつもりなら、2mも3mもある「観世音菩薩」のほぼ日本式のが立っておられます。仏像って値切ってよいものなのかどうか分かりませんが、値切って買えば送料をかけても日本より安いのでしょうね。 良いお顔をなされておられる観音様も居られましたよ。 ご利益は、奉納してから後の「性根」の入れ方???「開眼」の仕方???次第でしょう。 単純なご利益なら「大黒様」???も一杯座ってらっしゃいました。 お参りの仕方は、あの長い線香を買って、拝む方式のようです。 単純なお賽銭箱にお金を放り込んで、「まんまいちゃーーん」と拝むのではなさそうです。 どんなお寺でも、厳かな所ですから、必ずフラッシュは止めて撮影してください。これも、禁止とか書かれていませんけどね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/12
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フエから少し南に下った「ダナン」は少しマイナーな土地になるかもしれません。 ベトナム戦争当時にはニュースに登場することのあった地名です。 米軍が再上陸して基地を構え、最前線の役割を果たした所です。 統一鉄道で抜けてきたフエとの間の山間部などはベトコンの前線でもあったのです。 うっそうとしたジャングルではなくても、かずらの類がびっしりと覆い尽くした山地は全く見通しが利かず、空からでも大部隊ではないベトコンなどは発見は不可能でしょう。 見た目には明るい山地ですけどね。 だから、『ナパーム弾』に『枯葉剤』を使ったのでしょう。 雨の多い所とはいえ、全部が海に流れ出たはずも無し、残留ダイオキシンはどうなっているのでしょうね。 米軍が苦しんだのと同様、太平洋戦争中はこの仏印からマレーシア、ビルマにかけて日本軍もジャングルと疫病に苦しんだ所です。 この明るいジャングルでもおそらく5m先は見通せないでしょう。そして、目標物を探すことも困難になり、現地の案内人無しでは、道に迷うこと必定でしょうね。 かくして、米軍の前線基地になったダナンには米軍の残したかまぼこ型の格納庫や倉庫らしきものが郊外に残されています。 それ以外は全く平和なベトナムの地方中核都市にしか見えません。 この町にも市場「ハン市場・Cho Han」と「コン市場・Cho Con」があり賑わっています。フランス統治時代の教会・ダナン大聖堂があり、美味しそうなケーキ屋さんもあります。 つまり、ベトナムらしい町のつくりです。 真ん中を流れる「ハン河・Song Han」によって町は二つに分かれますが、外人にとっては駅のある旧市街の方だけで用が足りるでしょう。 この町の見所は郊外にある「五行山・Ngu Hanh Son」と言う山とそこに並ぶ仏教寺院です。 大理石で出来た山は「マーブル・マウンテン」とも呼ばれます。 米軍の兵士あたりがつけたのでしょうかね。 やたらと、大理石の彫刻を作っている業者さんが並んでいます。 かなり俗っぽい感じの「観光地」になっています。 驚いたことに、この中国式?の大乗仏教のお寺さんは、急な石段を登った崖の中ほどにあるのですが、現地でローマ字の文章で少し触れたように、ものすごく俗っぽい観光開発がなされつつありました。 30mほどでしょうかね? このお寺まで、歩かなくて良いように、なんと「エレベーター」のタワーが工事中でした。 今年中には完成して、エレベーターですいーーっとお参り出来るようになりそうです。 こんな観光開発って、日本だけではないのですね。 「ダナン市」がやっているのでは無さそうだったのが、日本との違いでしょうかね。 なんだか嫌なものを見た気分でした。 泊まったのは川のほとりの中級ホテル、「バックダン・Bach Dangホテル」です。 ガイドブックにも載っている中級ホテルですが、いつもどおりダブルベッドですが朝食つき20ドル・1700円でした。 ドル安円高なので相対的に安くなっています。 名前も「爆弾ホテル」ですから覚えよいです。 同じチェーンかどうか分かりませんがこの名前のホテルはサイゴンでも見かけました。 そうそう… ローマ字で併記していますが、ベトナム語ではaだとかoだとかに発音記号の色んな髭が生えています。そのおかげでローマ字打ちもままならなかったのです。 ベランダからの夜景はきれいだし… すぐそばの中華飯店も中々だし… 食後の河っプチの散策も治安は悪く無いし… 五行山では幸運を招くという大理石の球を売っているし… 当然のように、アオザイの仕立てもやっている店もあるし… 一人ではもったいないです。 かといって、現地調達する腕は無し… ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/11
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以前、インドネシアに行ったとき鉄道に乗りたかったのですが子供たちに拒否されて乗れませんでした。 今回はほんの一部だけですが、列車の旅を入れました。 ベトナムの中央部、フエとダナンを結ぶ間にある「ハイヴァン峠・Deo Hai Van」と言う難所を越す区間に乗って見ました。 日本で言うグリーン車に相当する「ソフトシート」と言う車両です。 列車番号SE3 フエ発10:29 ダナン着12:51 と言う手ごろな長さの鉄道のたびになります。 今では道路の方は新しいトンネルができて短時間で走れるため、特に希望しないとこのルートはバスでのトンネルの旅になっているようです。 ベトナムの鉄道は日本同様「狭軌」です。 人間も小さいですし、狭軌でも良いのでしょう。 車両は少し痛んではいますがそこそこ綺麗です。 ソフトシートの方は外人旅行者と現地では少し裕福な人が乗ります。 外人切符ですが同じ料金らしく40.000ドン…166円と言う驚異的な値段です。 車内販売もありますし、長旅でも大丈夫でしょう。 ハノイからホーチミンシティまで通しで乗れば32時間とかになります。 トイレも「和式」?もあります。綺麗に掃除されています。 一時間近く遅れての発車に成りましたが、平地はそこそこの速度で走ります。 見所と言われる「ハイヴァン峠」の区間は、岬周りの急坂、急カーブの連続で這うようにして登ります。 短い距離で結ぼうと言うものではなく、地形のままに線路を通していったものですね。 道路の方が先に長いトンネルでショートカットしてしまったようです。 景色はどんよりした天候でもう一つでしたが、晴れていれば素晴らしいでしょうね。 デッキの窓を開けての撮影になりました。 フエの駅での光景はやっぱり鉄道は庶民の乗り物ですから何となく安らぐ風景ですね。 見送りの人との別れなんて、今の日本の鉄道では味わえなくなっていますが、ベトナムには残っています。 やっぱり「旅」とか「別れ」なんてのはこうでなくては…なんて古い人間は思いました。 この娘は、フエから一緒に乗った娘で、「ダナン・Da Nang」の実家に帰るところでした。 フエの学校に行っているそうで、旧正月にかけて少し休みなので家に帰るのだそうです。 物怖じしないで一生懸命答えてくれました。 ベトナムの女の子に比較的共通なことです。 かといって、媚はしないし…感じの良い娘が多いです。 カメラマン風の爺さんの一人旅…警戒するに当らないのでしょう。 ブラリブラリと景色と人を眺めながら歩く旅なのですが。景色は良いにしても、人間の方はどうも若い女の子ばかり見て歩いていたようです。 これは写真部時代に「ポートレート」をやっていたからでしょう… と、言うことにしておきます。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/10
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アジアの諸国では「市場」と言う形の商業施設が発達していることが多いです。 自発的に集まった市場から公に作った建物に店が集まり、その周りにも店が群がる形態がありますが、ベトナムでは公の施設が中心になっているようです。 日本でも関西などには「市場」と称する商店街がたくさんあったのですが、規模としてはそんなに大きくなかったし、今ではどんどん寂れているようです。 ベトナムなどでは、ガイドブックを見ても観光客の見学先として定番化しているようです。 大きな建物の中に、ものすごい数の個人商店が入っていますが、どういう基準で入っているのか良く分からないような混然とした形で、「消防法」なんてあるのかどうかも分からない考えてみれば恐ろしいものです。 高層化はしていないものの、二階まであるものが多いし、通路も何も判然としませんからね。 そんな中に押すな押すなのお客さんがひしめいています。 活気にあふれては居ますが、この購買意欲は何処から来るのか不思議です。 街角の普通のお店でも、オートバイを止めて買い物する人がすごく多いですからね。 フエの大きな市場は「ドン・バ市場」で旧市街、王宮から近いところにあります。 そばには新しい商業施設もあり、マクドナルドだったと思いますがハンバーガーもあります。 もちろん、市場の前には地べたに構えた屋台もあり、安いうどんも食べられます。 私はそちらの屋台のうどんを食べましたが、そのお店の娘さんのお友達らしい娘が居たので写真を撮らせてもらいました。 珍しく、少し髪を脱色した娘ですが、事実上ノーメイクの素朴な娘です。 お互いに英語がスムーズに通じないのであまり話はで来ませんでしたけどね。 かつての日本がそうであったように、町中に若い人があふれています。 決して豊かではないのですが、こんな風に目を輝かせた若者が多いですし、話す時も会釈をする時もきちんと目を見ています。 日本がこんな風に戻ることはもう無いのでしょうね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/09
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「人間バーベキュー」「坊主のバーベキュー」と言う言葉を記憶している人も少なくなったでしょう。 1963年6月11日・南ベトナム・サイゴンで起きた事件です。ティック・クアン・ドゥックと言う仏教の僧侶が時のアメリカの傀儡政権・ゴ・ディン・ジェムの仏教弾圧に抗議してサイゴンの街中、アメリカ大使館前で自らにガソリンをかけて焼身自殺したものです。 写真・記録画像が広く世界に配信され世界中に衝撃を与えた事件です。 私は大学生でノンポリ写真部員でしたが、やはり衝撃を覚えたものです。 この後に、焼身自殺が続き、ベトナムは泥沼のベトナム戦争に追い込まれたのです。 そして、その事件の時に秘密警察の長官婦人が発した言葉が。「バーベキュー」だったのです。 世界中の非難を浴びその政権は倒れましたが、巨大な東西冷戦の代理戦争の力は止められなかったのです。 しかし、その先のアメリカ敗北の原因の一つでもあったのでしょう。 上の写真は当時世界に配信され衝撃を与えたものです。 下は、今も保存されている上の写真の後ろに写っている水色のオースチンです。 この僧侶が居たティエンムー寺と言う寺院が、フエにあります。 フエの大宮から4kmほど離れたところにあり、今でもその時にサイゴンに乗っていった水色のオースチンが残されています。 これは世界に配信された写真の背景に写っている彼の車そのものです。 この事件に衝撃を覚えた一人として、その車を見たときには思わず手を合わせました。 すでに、日本や世界からは忘れられようとしている事件ですが、忘れてはなら無いものを含んでいると思います。 王宮からタクシーで行って、待たせておいても3ドルもあれば大丈夫では無いかと思います。 対岸にある遺跡群を巡る船によるツアーも立ち寄るようです。 行かれる時はこの事件を心に留めてからにしていただきたいと思います。 かの僧侶も間がメタと思われる、本堂にある円窓の眺めです。 丸窓から眺めても、世界が丸く見えなかった時代だったのでしょうね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/07
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フエ・HUEはベトナムのグエン朝の都とした栄えてきた町で、世界遺産に登録されている旧市街の中心には1802年から143年続いた王宮が残されています。 年代的には新しいものですは、広大な面積を抱えた、堀を持ち堅固な要塞のような王宮です。 ベトナムと言う国を治めるのが大変だった事をあらわすようです。 王朝が滅びてからの痛みが激しく、昔のままで残されている建物は少ないようです。 荒れているのが、かえって趣を与えている面もあります。 少しずつ、修復と復元がなされているようです。 これが進むと、人によっては嬉しいのでしょうけど、奈良の平城宮跡のようにギンギラギンに成りすぎて「古をしのぶ」のには向かなくなるかもしれません。 この回廊は妃のために建てた建物を囲むように作られたものの一部だそうです。 グエン朝の人も、多分、今のベトナム人のように小柄だったのだと思いますが、各建物は大きいし、こうした回廊なども立ちが高いです。 権威を示すには大きさも必要なのでしょうね。 一辺が500m以上ある敷地の中に色んな建物が立ち並び、それを回廊で結び、庭は細かく塀で区切られかなりややこしい配置だったようです。 板を打ち付けて立ち入り禁止にしたところもあちこちにあり、半分は廃墟のような状態です。 これも、「世界遺産」に登録され、大切な観光資源にもなっていますから、綺麗になってゆくのでしょう。 昔訪れた、タイ国のアユタヤなども私が訪れて時はまだ廃墟状態だったのに、今テレビに出てくる風景は随分変わっていますからね。 荒廃が進まないようにするのは良いですが、やたら綺麗にするのは廃墟好きの私としては好きな方法ではありません。 ここでの注意事項は、石畳が濡れると滑りよいです。 あまり人の歩かないところは薄くコケが生えかけていたりして油断は出来ません。 この町にも日本人・もしくは日本語をしゃべるガイドが居るようで、現地のツアーも色々募集されています。 街中も、やたらと高く段差のある歩道の端っこにオートバイ用?の切り落としがあったりするので滑りよいところがあります。 繁華街が少ないので夜になるとかなり暗い道も多いですしね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/06
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ハノイ3泊の後は、ベトナムの古都、「フエ」を目指します。 この移動には当初、列車を使おうと思いましたが、いかにも時間が掛かるので、飛行機にしました。 ベトナムは南北に長いので、丁度真ん中にある「フエ」まででも飛行機で1時間10分かかります。 それくらいなので、ベトナムの国内便も結構乗客が居るようで、1月25日のフライトを1月頭に問い合わせたら、エコノミーはすでに満席で、仕方なく「ビジネスクラス」で手配しました。 手配はネットで調べた「日通」系の「ペリカントラベル・ベトナム」でしたが、メールのやり取りは日本語でしたし、親切でしたね。 この料金は概算で9000円ほどです。日本国内よりは安いですね。 ビジネスクラスだと待合室に専用のラウンジが用意され、スナック、食事も食べ放題です。もちろん、短いフライトでも機内食が出ます。エコノミーだと水が1本ですけどね。 でも、高くは無いけどエコノミーは大体半額です。列車じゃないから立ち席は無いですからエコノミーでよいでしょうね。この国では食事も安いですしね。 そうそう… ベトナム国内便とかに関してはきちんとリコンファームした方が良いです。 ベトナム航空の看板の上がった旅行業者は一杯ありますが、どうも、ちゃんとした支店の方が良いようですけどね。 今はeチケットですから確認した方が安心です。 ハノイ市内のバスターミナルからは乗り合いバスが出ています。料金は4000ドン20円ほどです。番号は17番のバスです。 良く分からないのは、市内に向かったときは国際便のターミナルから出た代わりに便数がなかったのに、市内から乗った便は数が多い割けど終着点が空港の不便な場所…安いですから文句も言えませんけどね。 市内向きは「荷物代よこせ」と言ったのに、空港向けの時はフリーパス… まあ、日本じゃないですからね。 これは、他の路線でも見かけましたね。 どうも、運転手の小遣い稼ぎのような… 最初から料金を用意してさっと渡せば言い出さないようです。 フエの飛行場はローカルの小さなものです。 フエはベトナムに色々あった王朝の一つ「グエン王朝」が都にしていた町で。日本で言えば京都のような存在です。 町の中心は世界遺産の「王宮」があります。 他にも色んな遺跡があり、一大観光地になっています。 空港から町までは当然バスがあります。 ここも30Kmほど離れていますが、バスは4000ドンで済みます。 この町も中心部は広く無いですから、何処で降りても大丈夫でしょう。 ホテルも結構たくさんあります。 15ドルから30ドルもあればいくらでも見つかります。 安ホテルは繁華街にあり、高級ホテルは王宮などによったフオン川の近くにあるようです。 ツアーで行けばそちら泊まりでしょうね。 私が泊まったのは、朝飯抜き15ドルでした。 一応バスルームつきでしたが、ヨーロッパの古いホテル並で湯沸しの能力不足と言うやつでした。 変なところがフランス流??? 朝飯は隣のカフェで取りましたが、オムレツにパン・コーヒーで34000ドン…150円ほどですから、朝飯がなくても気にすることも無いでしょう。 円が強いのと、ベトナムの物価が安いのでこの部屋で15ドル…1300円ほどです。 飛行機は安いし、ホテルは安いし、飯も安いし、景色も外国だし… 国内観光がしんどいのは当然でしょう。 フエではホテルを取って最初にやったのは、町外れの「フエ駅」に出かけて、二日後の行程、フエーダナンの間の列車の切符を買うことです。 ベトナムでは「駅」を「Ga」と呼んでいますが、これもフランス統治時代の名残なのかな? 鉄道は「ベトナム統一鉄道」と呼ばれているようです。 この国は社会主義国ですから、やたらと国旗があふれています。 それと、われわれにとっては見かけることの少なくなった、「鎌とハンマー」の共産党・プロレタリアートのシンボルの赤い旗です。 そして、社会主義国らしい制服のお巡りさんと兵隊さんですね。 それを抜きにすると、「ドイモイ政策」以来の経済自由化の流れで街中では社会主義国を感じませんけどね。 あとは、バス代を払う時にも実感しますね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/05
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ベトナムは古くから王朝が入れ替わりながら治められて来た国です。 南北に長いし、一つの国家には中々なれないところです。 世界中が植民地になったとき、ベトナムの王朝も滅ばされ、フランス領になったのです。 いわゆる「仏印」と言うところです。 西洋人から見ると日本人を含め東洋人は小さくて下等に見えたのでしょうね。 映画で言えば「エマニュエル婦人」の目で見るアジアがフランス人の見るアジアだったのでしょう。 日本は植民地にならないで済んで居ますから、征服者の横暴と言うのはもう一つピンときません。 ベトナムではそうした弾圧の歴史が一杯残っています。 第二次世界大戦でフランス軍を追い出してしばらくは日本軍もここを抑えていました。 ハノイでは弾圧に使われた牢獄跡も残されています。 いかにも西洋的な牢獄です。 ご丁寧に「ギロチン台」まで用意されています。 自国の国王や王妃の首を切り落としたのに味を占めて世界中にこんなものを配置したのでしょうかね。 やっぱり、肉食系なのでしょう。 カエサルに言わせれば、「フランス人は野蛮で臭い」となるのですからね。 日本人は「猿」ですが、猿の方がましなのでしょうかね? ハノイだってそんなに見て回るところも多い訳でも無いし、市内を歩き回りながら、もっぱら人間を眺めていました。 ベトナム人は小さいですね。 女の子は150程度の娘が多いです。 お尻が丸くて小さく、太った娘も少ないし… 黒髪でセミロング…狸のような目の化粧も無し・・・ 皆、良い娘に見えます。 10代から20代前半の娘は中々です。 それに、すれ違っても、カメラを持って街角に立っていても、顔が合うと、しっかり目を見て微笑みます。 今の日本の都会で目があったらにらんでくるようなのではありません。 微笑んで、会釈をして通り過ぎてゆく娘が多かったですね。 ハノイのような都会でも、古き時代の日本に様なものが生きているようです。 男の人とは顔を合わさないので良くそっちは分かりません。 可愛いパリジェンヌが居るのに、可愛いマドモアゼルがほとんど居ないのと同じで、ベトナムにもこの娘たちが大人になったようなおばさんが居ないんですよね。 一体何処へ行くのでしょう??? その点では、日本には少し位は「かわいいおばちゃん」も居ますね。 「八千草薫」とか「黒木瞳」なんてね。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/03
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さて、最初に着いたのがHANOI・首都ハノイです。 北部に広い土地を持つベトナムにとっては決してはずれの方ではないのですが、日本人からすると随分北の外れに感じます。 飛行はスムーズだったけど、荷物が出てこない… 荷物以外の入国などは、IC旅券の読み取りが出来るようになったベトナムでは非常にスムーズです。 お金持ちの日本人で気をつけなくてはならないのは、持ち出し外貨の制限があることです。台湾は今どうしているのか分かりませんが、たまにこんなのがあって、申告せずに大金を持ち込んで、使い残して持って帰ろうとすると、抜き打ちの所持品検査で没収と言うことが起きてもおかしくないのです。 ベトナムの出国検査は物々しくなかったですが一応大金を持って入る方は申告してください。 持っていない私などは気楽なものですけどね。 と言うことで、動くのに必要なドンを手に入れるのに両替所に… 価値の低いことで昔から有名な「ベトナム・ドン」は使い残すと大変ですから、とりあえず日本円の「1万円」だけにしました。 これでも、一日千円で10日分もありますからね。 ホテルは分かりよい米ドルで交渉するつもりですからね。 空港を出て市の中心部までは普通タクシーになるのでしょうが、バスがありますからそれに乗りました。 距離もあるし、タクシーより絶対に安いですからね。 ターミナルから市内のターミナルまで約40Kmです。 日本の感覚だと、このバス代でも両替した金がうんと減るはずですが、乗ってびっくり…バス代は40.000ドンです。閑散レートは1ドン=240円ほどですから、日本円で166円です。 旅行用換算は概算が一番ですから、その先はゼロ二つとって2で割ることで安いか高いかを判断して行動しました。 なんでも、その結果の日本円より二割ほど安い訳ですからね。 空港からの道は路面は良くないがまあまあと言う感じで、結構飛ばしていました。 さっぱり分からない町に入るまでに日は暮れてしまい、賑やかかどうかの判断は出来ても様子が分かりにくいのでキョロキョロしていました。 運転手には「シティ・ターミナルまで」と言ってあるのでバスとはいえ大丈夫のはずですが、何しろ外国ですから… 外人さんの旅行者が二組降りたあたりで、明らかに中心に近く、ホテルの看板が多くなったので、その次で下ろしてもらいました。 運転手さんは、「もう一駅だよ」と言う風に指一本立ててから。行く先も示してくれましたから、ターミナルの一つ手前で降りたのでしょうね。 これは「結果オーライ」でした。 バイパス風の道をバスが走っていたので、一段低いところを平行している街中風の道に入って進行方向同じに向かって歩き出すと。ポツポツと安そうなホテルがありました。 しかし、日本語のガイドブックと地図にあるホテルが無いので地図上の位置が確定できないまま歩き、「ちょっと高いかも…でも、こんなものだろう…」と言うホテルに入ってたずねると、「朝飯つき30ドル」と言うことでした。つまり2550円…ベトナムのエコノミークラスと言うことです。 腹は減っているし、少なくとも繁華街だし、道のそばには路上屋台が一杯あるし…チェックインしました。 腹が減ると歩くのもしんどいし、思考能力も落ちるし… と言うことで、すぐに町に出て、ホテルの前の交差点脇の路上に並んでいる屋台で、念願の「ベトナムうどん」を食べました。 屋台と言うほどでもなく、風呂椅子の少し大きなのと低いテーブルを歩道を占領して並べての営業です。 メニューなんてものもありません。 具が何種類かあって選ぶ程度の店ですから、注文にも悩みませんね。 ただ… 『綺麗じゃない』です。 具の野菜は生のぶつ切りとか鶏肉とかベトナムハムを放り込むだけ。 もやしやレタス、しそ、クレソンみたいなのなどをゴチャ混ぜにしたのを手づかみで放り込んでくれました。 ふうふう吹くほどの熱々でもなかったですね。 本来のスープは辛くないのですが、ただでいくらでも入れられる「生唐辛子」は小さいのに恐ろしく辛いです。 七味唐辛子とは訳が違います。 小さいし、細かく刻んでいないから良いだろうなんて何本も放り込んだら、泣くことになると思います。 私もなめて掛かり、二つ入れたらかなり辛かったです。 でも、お腹も空いていたしおいしかっらです。 隣のおじさんも、「美味いだろう!」と言う風に上機嫌で指を立てて笑っていました。 と言うことで、ベトナム最初の食事は「25000ドン」概算125円、正確には103円でした。 この値段もトッピングもまちまちのようです。 でも、高くて40000ドン…200円もあれば足りますね。 「ベトナムおかゆ」も同じ位です。 つつましく旅を続けたら、10000円も両替しちゃうと、正味9日間では余っちゃいます。 リュックを背負っての旅が始まりました。 ↑↑よろしければ一日一回ポチッと押してください ベトナムの地図です
2011/02/02
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