沖縄自治研究会

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第5回講座 上


早稲田大学大学院教授 北川 正恭 氏


 ただいまご紹介いただきました北川正恭でございます。自治研究会の先生方や多くの皆さまから熱心にお誘いいただきまして、まことに光栄なことだと思っております。会場を拝見いたしますと、一般市民の方もいらっしゃるようでございますから、一般論でできるだけお話したいと思いますが、専門用語が入って分かりにくい点があるとすれば、お許しをいただきたいと思います。

 自己紹介をさせていただきますと、私は昭和19年生まれでございまして、現在59歳でございます。私は、若いときから政治家をしておりまして、28歳から三重県議会議員を3回やりました。そして、39歳から衆議院議員を4回やりました。さらに、平成7年1月17日、この日は阪神淡路大震災があった日ですが、三重県で二つ大きな地震が起こりました。朝には阪神淡路大震災、そして夕方に私が知事選に立候補するということが報道され、二つあったという話になるわけです。それから2期8年知事を務めました。現在は、早稲田大学大学院の教授ということになっているわけです。

 私は知事に立候補したときの記者会見で、「知事、市長、総理大臣など、公の権力の座にいる期間があまり長いのはいかがなものか」ということを申しました。さらに、「場合によっては3期やる場合もあるかも分かりませんが、2期8年が一番いいでしょう」とも付け加えました。私は、このとき、2期8年がいいと思うということを記者会見で意識的に言っていたのです。そして、知事を2期8年で辞めるときに、「北川さんどうして辞めるのですか」ということをよく言われました。「私はあのとき公約といいますか、記者会見で2期8年と言っておりました」と説明しますと、「そういえば、北川さん言っていたね」ということになりました。しかし、多くの人は、「どうせ政治家の公約だから」というようなことで、軽く見ていたのです。少し語弊を恐れずに申し上げますと、知事ですとか、市長にも当てはまるかと存じますが、期限のついた独裁者という考え方があってもいいのではないかと思っております。

 なぜ独裁かというと、それは民主、民が主役で民が選んだからです。民が選んだ知事や市長だからです。だから民の声に従って、断固やるということが知事の仕事であって、公約もせずに何となく組織に頼り、白紙一任で知事になって、県庁の職員と十分な打ち合わせをし、県庁の都合にあわせて知事の仕事をするということならば、これは官僚主義、官主主義になります。これは、かつてのソビエトの体制、いわゆる官僚主導、社会主義体制であって、選挙もせずに民の声も聞かずに一方的に政権を取りつづけたら本当の政治独裁になってしまいます。民主主義というものを本当に実践していくためには、民が主力の時代をつくりあげていかなければいけないと思います。民が決めることが民主主義でございますから、私は期限の付いた独裁者として全力投球すべきだと考えました。したがって、使命達成のために、成果を上げるためにがんばりますが、それがあまりに長続きしますと、自然科学の世界ではなく、社会科学の世界、相対的な世界ですから、権腐10年、権力の座は腐るというのは、これはもう本当に至言だと思います。したがって、よかれと思ってもだんだんとしがらみができてきます。例えば、私が三重県庁でAさんという人を部長に抜擢したとします。それは全く私的な思いではないのですけれども、自分のビジョンを達成するために選び抜いて、この人がこのポストに就くべきだと考えます。その人を8年間、重用したとすると、私とAさんに私的な関係は全くないとしても、外から見たらえこひいきにも見えます。このことは権力の座、特に独裁を目指すためには、余計に気をつけなければいけないということであり、自ら辞めるという決意がないと、一つの政権が50年も続くことになるのです。30年も続いたら何にも変わりません。その人が立派かどうかというのは、自然科学の世界では点数はつけられますが、社会科学、政治学の世界では難しいですが、あの知事を生かしておけば便利だという人がいっぱいいるでしょう。だから、その知事や市長はどうでもいいかもしれませんが、建設業協会のために生かしていたほうがいいということになります。医師会にとってですとか、労働組合にとってどうかということになるのです。よって、これを避けるため、あるいは権力が腐ることを防ぐためには、民の手によって裁かれることが一番いいわけではありますが、権力の座に就くその本人そのものが自覚をして、一定の期間がきたら辞めるべきだと私は思い、2期8年で辞めました。私は多選禁止の条例についてもずいぶん勉強しましたが、憲法でいう基本的人権ですとか、職業選択の自由というのは、これまた保障されなければいけないことですから、憲法上無理であると判断し、自ら辞めたということでございます。

 これから民主主義を考えていくには、単に理屈だけではなしに、過去の風土とか、慣習、そんなものだという思い込みこそが民主主義を停滞させていくというようなことを本当に理解すべきです。8年間いささか頼りない知事でありましたが、1回ぐらいは世の中にきちんとしたことを示したいと思って2期8年で辞めました。そうしましたら、ある知事に怒られました。その方は、昔から仲間だったのでよく知っているのですが、「北川さん、2期8年で辞めるのですね」と聞かれ、「はい、そういえば、あなたは亡くなるまでやるそうですね」と言いました。そうしましたら、「違う、私は死んでもやる」とお答えになりました。これは、それぞれで自由ではありますけれども、権力の座というのは恐ろしいものだということが本当によく示されていると思います。100%国民に支持された社会主義体制の崩壊は、権力の座にある人が心しなければいけない問題があることを示しています。そういう前提で民主主義は成り立っているという怖さも考えなければなりません。そのような事情で2期8年落ちこぼれて、今や大学院で教えている、こういうことなのです。

 私は知事を辞めるときには、次のあてがありませんでした。当分の間、プータローをやろうと思っていたら、早稲田大学で、公共経営、英語で言うと「パブリック・マネジメント」という今までにないことを専門とする大学院をつくりたいというので、相談にあずかりました。そして、私が知事を辞めると言いましたら、大学院の教授になって下さいとオファーがきました。これを聞いて、なかなかいいなと思って早稲田大学の先生になったわけです。私は情報公開論者ですが、大学の教授を引き受けるときに条件を一つつけました。私の学部時代の成績は非公開。これだけが条件です。もし、それがばれたら私は生徒に教える立場がなくなるからです。それはさておきながら、行政学や政治学は、多分、今大きく変わっていく過程にあるのだと思います。これまで政治学は、情報非公開の下で動いてきました。つまり、大きな政府であったのかもしれません。日本の社会は中央集権ということで動いてきましたが、この前提が崩れてきました。そしてパブリック、公共とは何か、公と共、公共とは何だという議論をもう1回改めてつくり直すべき時期がきているということを感じたときに、今までは公共政策、パブリック・ポリシーというのが限界だったと思いますが、早稲田が目指した専門職大学院は、「パブリック・マネジメント」、つまり経営ということでございますから、アドミニストレーション、管理から経営へと発想に変わってきて、私のように学術的な経験していない者でも大学の先生になれました。これは学の証明ではなしに、感覚、切り口の変え方だということだと思いますが、私も恥ずかしながら大学院の教授をしているというのが、今までの経歴でございます。

 そのような状態の中で「北川さん、知事を辞めたらいつ国会議員に戻るの」とか、「いつ内閣に行くの」とか、いろいろなことを言われます。私は中選挙区制で4回選挙をやりまして、知事になったときに小選挙区制に変わったのですが、私がいた小選挙区は本当に日本一恵まれた選挙区で、多分、私がスキャンダルを起こさない限り、生涯、絶対落ちないというほどいいところが当たったにもかかわらず、知事選にぽっと出ました。なぜかと言いますと、私が知事選に転向しても衆議院の選挙がつらいから逃げたとも言われないというので、あなたしか立てないとお願いされまして、正直仕方なしに出たということでございました。私は政治家に戻る気は本当にありません。未成熟な社会では、政治の果たすべき役割は、すごく大きいと思います。あるいは行政の果たす役割もすごく大きいと思います。しかし、成熟した社会になればなるほど、実は政治や行政の力がそぎ落とされていくほうがいいと考えておりまして、日本の国では知事を辞めたら、国会議員に戻るのが一番当然だという見方が常識なのでしょうが、この発想は少し貧弱だと思うわけでございます。国会があるところは永田町、霞ヶ関は中央官僚の官庁があるところですが、永田町と霞ヶ関で全部日本の国を牛耳ろうとすることこそが間違いであり、戦後、永田町と霞ヶ関ががんばって、戦後復興をなしえたということは認めますけれども、成熟した社会になれば、知事を辞めたあとに、プータローになろうが、何になろうがいいではないかというように思います。数ヶ月前に札幌市で日本NPOの大会がありました。そのとき私は招かれて上田札幌市長と対談しました。上田さんは、NPOから市長になられた方ですが、私は知事からNPOになったわけです。そこで、皆さんに聞きました。NPOから市長になった上田さんが落ちこぼれたのか、知事からNPOになった私が落ちこぼれたのか、どっちなのでしょうかと。市長ってそんなに偉いのか、知事ってそんなに偉いのかと思っていることこそが民主主義から外れているのだと思います。NPOから市長になろうが、市長がNPOになろうがどっちでも同じだという、そういう感覚で世の中をみていかないといけないのではないでしょうか。すなわち、世の中を変えて行くのに政治家も、あるいは霞ヶ関も、知事も、市長も、町長もとても重要な役割というのは認めておきますが、「さはさりながら」というところがいかにあるかということが、成熟した社会だと思います。 イタリアに水の都ベネチアがありました。1000年間、商都として栄えました。特に大きな軍隊があったわけではありません。そこで、ベネチアでは、「商売人さんは大いにもうけてください。広く大海を行って、世界中をまわってもうけてきてください」ということになりました。そして、「さはさりながら」、人間としてはどうでしょうか。芸術というのは大切じゃないでしょうかということになります。キリスト教の教会と、いいか悪いかは別ですが、貴族が支えました。だから政治行政という現実に対応するのものと、もう一歩離れて、「さはさりながら」ライフスタイルはどうだとか、まちはどうだということを宗教や貴族が支えてきました。「さはさりながら」ということで、あのルネッサンスをつくりあげていく情熱、あるいはみんなが楽しむという、個人のライフスタイルを大切にするイタリアのライフスタイルを築き上げてきたのは、政治行政ではなく、実はそういった芸術だとか、宗教だとか、市民活動がしてきたのだと思います。

 野球を変えたのはイチローであり、松井ではないでしょうか。大リーグがNHKの番組を変えてしまいました。毎朝見ていますからイチローのファンです。我が家も変えてしまいました。あれは政治が変えたわけではなく、イチローが変えたのです。スポーツからも変わりますし、芸術家が変えるというのもあると思います。どうぞ沖縄も琉球大学から変えてもらいたいとお願いしておきたいと考えているわけです。県庁が絶対だとか、市役所が絶対ということではなしに、この中にいらっしゃるNPO的、自主的に勉強しようという人たちがよりいい政府をつくるために、よりいい自治体をつくるために、みんなが立ち上がって変わってきたときに、沖縄はあっという間に日本一になれると私は信じています。 もし、沖縄の県庁とか市役所が悪いと皆さんがおっしゃるならば、皆さんのレベルがそれだけのことでございまして、明らかに民主主義はそこへいかないといけないということを次に話したいと思います。

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