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沖縄自治研究会
大田県政の自治拡充の戦略 下
さて本日は、吉元さん、大変ありがとうございました。やっぱり非常に示唆的な話が多数ありまして、お聞きの皆さんも、ここはもう少し深めたい、ここは確認したいというところは多数あるだろうと思います。
時間が限られておりますので、できるだけ効率的に話を進めたいと思いますが、まず江上先生に、今の吉元さんの2時間にわたる話、その2時間にわたる長い話でしたけども、皆さん方、全然飽きもせずに、大変興味深くお聞きになっている様子がよくわかりました。江上さんにコメントをいただいて、これを沖縄の復帰後の政治を観察してきた政治学者が、吉元さんの話をどういうふうに分析をしたか、そのあたりをお聞きした後、質疑応答に入りたいと思います。
それでは、江上さん、宜しくお願い致します。
○江上能義 はい。仲地先生、どうも丁寧にご紹介頂きありがとうございました。
昨夜は早稲田大学で大学院の学生たちとのコンパで、何時まで飲んでいたのかな、12時ぐらいまで飲んで、ほとんど終電ぎりぎりまで飲んで、そしてきょう朝6時起きで、この吉元さんと島袋さんの話を聞くためにやってきたので、前半ちょっと眠たくて、島袋先生のときにちょっと寝てしまったんですけども(ちょっとだけですよ)、ところが吉元さんの話を聞いて、本当に眠気が吹っ飛びました。当時、日本の政治ばかりか、国際政治をも震撼させた大田県政のかじ取りをなさった吉元さんの話は、政治学者としてはとても興味深い内容でした。それだけ吉元さんも私たちにできるだけこの研究会の趣意に沿うように話してくださったんだろうと、その心配りと熱意に心から感謝したいと思います。
それで、皆さんもすでにご存じのように、私は去年の11月~12月にかけて、たまたま東京で下河辺淳さんにインタビューする機会に恵まれました。下河辺さんは全国の国土開発計画にずっと携わってこられましたので、その資料はほとんどNIRA(総合研究開発機構)にあるんですけれども、でも沖縄関係の資料がちょっとおさまりきれないということをある方から聞きました。その方はかつて下河辺さんの秘書をやっていて、たまたま私が琉球大学にいたはるか以前に、早稲田大学とインターカレッジ・セミナーをやっていたときの早稲田大学の学生だった関係で、私がその資料を預かることになり、いま研究室にあるんです。自分はもう沖縄を卒業するから、研究に使ってくださいと下河辺さんはおっしゃっていました。その下河辺さんの活躍がもっともマスメディアをにぎわせたのは、吉元さんが副知事だった大田県政時代に代理署名拒否問題で裁判で争い、日本政府と沖縄県が真っ向から対立していた頃です。どうやって対決姿勢の橋本政権と大田県政の両者を握手させるか、そのへんのくだりの資料がやはり出てまいりました。
下河辺さんと吉元さんは、吉元さんのお話にもありましたけれども、復帰前の1970年からの長いおつき合いだという事です。そうした資料をもとに5回にわたって下河辺さんにインタビューしました。1回分が約2時間ですから、合計10時間ぐらいインタビューする事ができましたが、その中でも吉元さんに対する深いつながりや信頼感というものを下河辺さんに感じました。
そして、きょうは吉元さんから、下河辺さんとのお話では出てこなかったいろんな示唆に富む話を聞けて、大いに参考になりました。それで私から、とくに下河辺さんのインタビューをした観点から質問させていただきたいんですけれども、ひとつは、県が提案したB案の特別自治構想というのは、年度はいつごろでしょうか。
○司会(仲地)97年だそうです。
○江上能義 97年の6月か、7月ごろにこういうことを検討しているということを県議会で答弁なさっていますよね。
○吉元政矩 7月16日付の文書があるんですが、これは公表されていません。
○江上能義 公表されていないんですね。
○吉元政矩 ワーキンググループの資料という形・・・。
○江上能義 ああ、そうですか。じゃあ、これは新聞等では全然出ていないんですね。
○吉元政矩 出ていないです。
○江上能義 ああ、そうですか。なるほど。ということは、これは未公開であるから、第三者が見ることはできないんですか。
○吉元政矩 この種のものは県庁に残っているんですかね。
○司会(仲地) 江上先生に私から助言ですけれども、情報公開条例を使えば、おそらく出てきます。(笑)
○江上能義 どうもありがとうございます。これは非常に興味のあるお話で、吉元さん、本当にありがとうございました。
それから吉元さんと下河辺さんが知り合われた復帰以前のころに戻ります。復帰に関する建議書というのが、お話をうかがって吉元さんの大きな原点になっているということを痛切に感じたんですけれども、この復帰に関する建議書とか、もしくは72年からの沖縄振興開発計画(1次振計)に下河辺さんの意見は織り込まれたんでしょうか。とくに1次振計には、当時の琉球政府が作成したものをそのまま載せたというふうに下河辺さんは言いました。そのへんはどうですか。
○吉元政矩 それは正しいです。正しいけど、どこがどう調整されてなくなったかと、消されたかというのは、下河辺さんが十分かかわっていますね。例えば、基地問題など。
当時は、沖縄県の1次振計策定は、琉球政府の最後の段階からですから。下河辺さんがかかわったのは、琉球政府の長期計画、「長計」という表現をしていた、これにかかわったときから沖縄にかかわるんですよね。
復帰を直前にして、1次振計策定の段階というのは、国と県がパイプをつくれないほど、ぎすぎすしたんです。理由はこの建議書にあらわれているように、復帰対策と言うんですか、復帰措置が国のペースで進んだということの反発です。そして振興開発計画原案をつくる沖縄県知事、企画のメンバーに、いわゆる「革新系」の職員が多かったということで、かなり大胆な書き方をしているんです。これが1つ。
もう1つは、1次振計策定にあたっての県の審議会ですね。これは琉球大学の先生方もたくさんかかわったと思うんですが、そこもかなり激しい意見を持っている方が多かったんですよね。そういう意味では、県民全体が1次振計策定にあたって、沖縄のこの課題を全部ぶち込めという形で、そういうムードでしたから、策定段階ではほとんど国はものを言っていないです。
ですから、結果としては調整段階、つまり原案を国に上げた段階で、国の審議会段階で一番大きい問題が、基地問題だった。これは2次振計の西銘順治さんでさえカットされています。それから3次振計の大田さん、「県民が希求する米軍基地の整理縮小」と書いたが、この文言を入れるか入れないかで相当もめた。当時の総理大臣の海部さんが開き直って大田さんを脅迫する、そんなことまでやるんだったら、沖縄振興開発特別措置法の切りかえ、振計のつくりかえは10年毎の法改正が必要です。それを「知らんぞ」と発言した。
このように、いかなる事があっても振計に沖縄側から基地問題を「原案」に入れることについては、だめだというのが当たり前になっていたんです。
○江上能義 ということは、一応、沖縄が振興開発計画をつくったようなものだけども、しかしその後は審議会で修正をしたということですか。
○吉元政矩 原案をつくるにあたって、その後は2次振計からは、事前調整されているんですよ。1次振計は事前調整ができない、できない琉球政府側の態度だったと理解したほういいです。
○江上能義 それはやはり、下河辺さん等の中央政府側の人にとっては非常に異例なことだったということですね。
○吉元政矩 そうですね。ですから、下河辺さんは沖縄のことを知っているだけに、1次振計の中で沖縄から原案として出てきたものについては、かなりの配慮をしたつもりだけど、とはいえ、あの時代の、あの日本の政府の体質と言うんですか、政治の流れからするならば、それは通用しなかったんでしょう。
2次振計策定の段階で、私は労働組合の委員長を終わって職場に復帰した。西銘知事サイドから、だれか適当な「アドバイザー」がいないかということがあって、私が下河辺さんを西銘さんに紹介する。(笑)西銘さんが下河辺さんと対で話し合うのはそれが初めてなんですよね。かなり突っ込んだ話し合いは重ねられています。
そういう意味で、国のペースでと言うんですか、下河辺さんの流れで2次振計は色濃く事前調整と、事後調整がやられた、という言い方をしたので下河辺さんに怒られました。
○江上能義 わかりました。どうもありがとうございます。
○司会(仲地博)コーディネーターの職権を乱用いたしまして、コメントのコメントですけれども、1次振計のときには、県案は相当めったやたらに切られたわけですよね。ですから、当時の県はそれが不満で、県原案というのを印刷して、製本して県内の公共機関に配っています。厚さも、県原案は厚いんですよ。私の家にあるんじゃないかなと思うんですけど、あったら……
(テープ中断)
○江上能義 最初に言うべきだったのかもしれませんけれども、下河辺さんに最初に吉元さんが出会われたのは、1970年だったと下河辺さんにお聞きしましたけれども、吉元さんが労働組合か何かの集まりで下河辺さんを呼んだんでしょうか。
○吉元政矩 下河辺さんは何で来ていたんでしょうかね。琉球政府から呼んだと思いますけど。あのころは、CTSの問題、海中道路の問題でごたごたして、琉球政府主席の屋良さんにあの平安座の「許可を取り消せ」ということで地域からの反対闘争が厳しかったときです。
CTSを進めたのは、下河辺さんグループです。つまり、日本政府側なんです。ですから、琉球政府の長期計画の事後処理等があって、下河辺さんはときどき来ていたと思いますね。
私はあのときは、ちょっと年数は覚えていないんですが、屋良主席に、もうこれ以上CTSをふやさせないという歯止めをするために、夜な夜な主席公舎に行って、今の知事公舎ですが、屋良さんを説得するんです。最終的には宮里松正さんも入って、共同で屋良さん説得に入って、あの神様的屋良さんをついに「声明」を出させるというところまで持っていったんです。ですから、その段階では非常に厳しい時期でしたので、たびたび下河辺さんは来ていましたので、あの時期だったという気がしますね。
○江上能義 その時期にどこかでばったり会ったということですね。ありがとうございます。
それから次の質問ですけれども、81年に特別県構想の研究会をなさったときに、下河辺さんも入ってもらったということですが、その特別県構想に対して、下河辺さんは助言をなさったのか、あるいは特別県構想を下河辺さんはそのままメンバーの一人と承認なさったのでしょうか。
○吉元政矩 下河辺さんは、専ら聞き役ですね。すべての会議に出てもらいました。いや、逆に言えば下河辺さんが空く時間に沖縄から私たちが行ったということですから、会ってくれました。ですから、会う場所は下河辺さんお気に入りのと言ったら怒られるかもしれないけど、箱根であったり、熱海であったり、那須であったり、いわゆる温泉地でしたね。そうでなければ、少し場所が取れなかったというのがあるでしょうね。泊まり込みで時間制限なしで議論しますので、明け方まで。大体「2泊3日」でした。議論の中でやっぱりこういう考え方ができるんじゃないかとぶつけますと、下河辺さんは下河辺さんの立場で、これは可能性ある、これはない。ない場合の理由は明確に言ってくれた。
あとは、自治労本部の自治研担当の中央執行委員など、それから何名かの学者も一緒でしたので、そういう中で議論をしていったんです。でも、流れとしては専ら私たちの意見が中心でした。私たちは逆に、「償いの心」とかいう言葉を1次振計にあるので、あれを使って金を取ったほうがいいという、本土側からの意見に対して、僕たちはむしろ反発したぐらいですから。しかし、ねらいとしては日本政府を相手ですから、結局、その表現を入れることにしました。そういう意味ではどうすれば実現に近づくかという工夫は、随分アドバイスをもらったという記憶があります。
○江上能義 どうもありがとうございます。
下河辺さんにも関連している次の質問です。私の下河辺オーラル・ヒストリーを吉元さんは時間を割いて読んでいただきましたので、わかっていらっしゃると思うんですが、1996年の代理署名裁判当時、橋本政権と大田県政の対立をどのように解消するかということに、吉元さんと下河辺さんは一生懸命努力なさったわけですけれども、それで大体の合意に至ったのは、下河辺さんが8月12日に書いた「沖縄問題を解決するために」がたたき台になったと下河辺さんは私に話しました。大田知事も吉元副知事も、それから日本政府側は橋本首相も梶山官房長官たちもこれでいい、これでいこうということになったということを下河辺さんは言っていますが、このメモについて吉元さんはどうおもわれますか。
○吉元政矩 いわゆる「下河辺メモ」ですよね。あれは大した中身じゃないと思うんですがね。いや、あの時点ではかなり工夫して本人はまとめられたと思うんですが、かなり沖縄側の意向を踏まえてくれたなという感じで、あの線が、官邸サイドがOK、特に橋本さんがOKすれば、突破口になるというふうな感じで、あれを後生大事に、あれを指一本さわれないものだという認識は持っていませんから、そういう意味では、可能な限り、あれが活用できるならばいいと思いました。
最初、橋本さんと大田さんが会ったときに、第1回トップ会談と私は言っているんですが、知事が単独で会った後で、総理の執務室に私たちも入った。どうも雰囲気がよかったみたいで、橋本さんから飯食おうと言われた。わかりましたということで、一度、私たちも東京事務所に帰って、夜に入って和食の店に行ったんです。カウンター的なところです。
そこで、これはいつも私が冗談で言うことなんですが、橋本さんは大田さんの著書を何冊か読んでいるんです。その中で、悪の帝王、高等弁務官の話の本が1つあるんです。この中身について大田さんに、これはこう書いてあるけど、違うんじゃないですかという質問をしたんですよ。それに対して大田さんは自分が書いた本ですから、反論していました。(笑)
それを見ていて、この2人はある種似たところがあるなと思いまして、何かいい表現をすれば事をきわめると言うんですか、何か雑な言い方をすれば小さいことにこだわりすぎているなというような感じで、そういう意味ではウマが合うかなという感じでした。その後の展開に相当大きな変化がありましたから、そういう意味では下河辺メモも大きかったと思うが、それ以上に大きかったのは、橋本さんが大田さんの著書を批判し、それに対して大田さんが反論し、それが契機となり、その後、2人が十何回か会うんです……。
○江上能義 そういった口論になったというのはいつですか。
○吉元政矩 いや、もう一番最初です。
○江上能義 一番最初、1996年の3月ですか。
○吉元政矩 そうですよね。かなり早い時期です。
○江上能義 ああ、そうですか。じゃあ、3月ですね。
○司会(仲地博)全員の皆さん、江上さんの聞き書きをお読みになっていますでしょうか。下河辺メモというのは、下河辺さんが提案した沖縄に対する特別措置の施策の一覧でしたね。研究所をつくるとか、交流センターをつくるとかいうふうな、17ぐらいでした?
○江上能義 下河辺メモは全部で8項目に整理されて書き込まれていて、そ
の6番目の項目に、吉元さんが強調された「国際都市沖縄」構想を、政府はどういうふうに具体的な施策としてバックアップするかということを、A~Jまでずらっと10項目、並べてあるんですね。それはもちろん全部が全部実現されたわけではないが、それらは吉元さんに言わせると、これで突破口になるというわけですよね。
ということは、このメモを下河辺さんがつくる前に、すでにもう吉元さんとかに打診なさっているんですよね。
本当は多分、吉元さんの意見を採り入れてつくったんだろうと思います。そうでなければ、つまり下河辺さんだけだったら、このメモは出来上がっていなかったのではないかと私はにらんでおりますけれども、下河辺メモだそうです。吉元メモではないということです。
それで、もう1つお聞きしたいのは、沖縄の自治についてです。インタビューの中で下河辺さんに、この折衝の中で沖縄の自治の問題は出なかったのかとたずねたら、もちろん今の話からもおわかりのように、当然出ているわけですね。これは沖縄側で吉元さんは特別自治構想などを模索、検討し、県庁の中にもそういった検討会をつくられたということで、このところはすごくよくわかりました。でも下河辺さんの話と少し違うなと思ったのは、こうした沖縄の自治に関する構想がうまくいかなったのは、もちろん吉元さんが途中から副知事を辞めたのも大きな原因だと下河辺さんは言ったんですけれども、さらに、組合との関係で、組合との話し合いがうまくいかなかったからだいうことを下河辺さんが言っていたんですけれど、それはどうなんでしょうか。
○吉元政矩 開発庁廃止については、きつい抗議を受けました。これは沖縄国公労からです。沖縄在の日本政府の出先機関に働いている労働者で組織する、沖縄国家公務員労働組合というのがある。そこは廃止反対で、猛烈に反発して、吉元が「廃止に賛成した」といううわさを聞きつけて、副知事室で抗議されました。
○江上能義 さきほどから私ばかりが吉元さんへの質問を独占していて申しわけありません、最後にもうひとつだけお願いします。
国からの大幅な権限移譲を前提にした沖縄州とか沖縄特別県とかについての話を下河辺さんにしたときに、こういうのにかかわってこられた割には彼はネガティブなんですよね。賛成しそう気がするんですが。ただ、最初から沖縄開発庁なんかつくるべきじゃなかった、開発庁の権限を全部まとめて、沖縄の知事にあげればよかったのに、私はそういう意見だったんだけど、周りがそうさせなかった、暗に山中さんが悪いというような言い方をしていました。
山中さんは亡くなってしまいましたけれども、そういうことを言っている割に、何かどうも、そういう道州制とか特別県とかを論じるのにちょうどいいタイミングではないんですかと水を向けたら、あまりいい顔をしないのです。「だいたい、自治というのは、国から譲り受けるものではないんじゃないか」とか言っていました。多分、これは吉元さんと相当、議論をしたのでそういう話になっていったんじゃないでしょうか。
本当に沖縄が州とかになるつもりだったら、沖縄は独立するつもりじゃだめだと下河辺さんは言っていました。独立する気概がなければ、それは無理なんだ、国から権限をもらって、財源ももらってなんていってたら、できるわけはないよと。そんなやり方では北海道なんかできるわけないよと一刀両断に切り捨て、沖縄だって同じ考え方だったらできるわけないということを言っていました。
話は変わりますけれども、最近は東京にいると沖縄ブームなんですね。これはよく皆さんもご存じで、沖縄にも伝わってきているでしょう。ところが基地問題とか、沖縄の本質的な問題には全然話題が及ばない、これは不思議な現象であります。先日、私の大学院の社会人学生でシンガポールに4年間住んでいたジェトロ勤務の女性が、シンガポールのバイオメディカル戦略について報告する機会がありました。それで沖縄の科学技術大学院大学構想とも大いに関係がありますので、沖縄の新聞記者にも声をかけ、来てもらいました。
そして20人ぐらいの学生たちに彼女がそういう話をしているうちに、いつのまにかシンガポール問題から外れてしまってだんだん沖縄問題になっていきまして、それが沖縄の振興開発問題になって、何で沖縄はうまくいかないのかな、という話になってきた。それで、科学技術大学院だって、もっと沖縄は十分注文をつけられるのに、日本政府は、あれはもともと沖縄のものではなくて国のものだって言って、日本全体に、あるいは世界に貢献する科学技術大学院にするんだって言っているというような話を私はしたんですけれども、どうも聞いている連中は納得しないんですね。何かたまっているような不満があるようで、沖縄が何でいつまでもそんなに特別扱いされるのかとか、そんな話まで出てきます。そうすると、いつの間にか沖縄の新聞記者の彼は、一人で防戦一方という、変な具合になってきて、何で沖縄だけなんだという言い方をバンバンされるんですよ。それなのに、米軍基地とかは全然、話題に上らない。
もし「沖縄は巨大な米軍基地を抱えている」なんて言ったら、逆に、基地を盾にとっていつまでも特別扱いされていいのかという、そんな意見が多分飛び出してきそうな、そういうような雰囲気がありました。
そして、前にも話しましたけれども、総務省の行政評価局長だった方が、いま早大の同僚として隣の研究室なんですが、この方と最近、一緒に食事をしているときに、「江上さん、いいかげんにもう沖縄は独立したら」と言われて驚きました。中央政府の要職にいた人までが沖縄の独立に言及するのかと。彼からもっと詳しい話をぜひ聞きたいと思っていますが、沖縄を甘やかすなとか、沖縄はもういい加減、いいじゃないかというようなこれまでの反応とは、もっと違ってきているような気がしますね。
これまで政府の一部で言われていたものが、若い人々を含めて国民の幅広い層にまでずっと広がってきているような気がします。沖縄には国はこれまで6兆円以上も支出して、吉元さんの言葉を借りれば、この30年間で沖縄は十分、元を取ったじゃないか、沖縄戦とかその後の米軍統治下で迷惑をかけた部分の迷惑料はもう6兆円で十分、償ったじゃないかと。それでなおかつ、うまくいかなかったのなら、もう独立したほうがいいんじゃないというような風潮がすごく強くなってきているような気がします。
そこで、もし沖縄が自治とか独立とかというものを今後議論していくときに、民族の問題やマイノリティの問題を前面に出さなくていいんだろうかということを私は考えます。民族の問題を提起しない限り、こういった自治の問題は、通用しないような状況になってきているんじゃないかなという気がします。
これはちょっと私の勝手な推測かもしれませんけれども、私の感想はそういうところです。どうもいろいろありがとうございました。
○吉元政矩 民族問題は後で話します。復帰前後から私たちが、私たちというのは、労働組合、琉球政府の労働組合だった沖縄官公庁労働組合、それから県庁の労働組合になって、沖縄県職員労働組合、さらに私自身が県内の労働運動のセンターである沖縄県労働組合協議会に行って、そして大田県知事が誕生し、知事の政策アドバイザーとして政策調整監、副知事という仕事をするようになって、勉強しておいてよかったなと思うのがあるんです。
1つはシンガポールです。復帰直前からシンガポールについては相当興味がありました。琉球政府時代の労働組合である沖縄官公労という組合は、国際自由労連加盟の組合でした。本来ならば、ナショナルセンターである総評が入るか、入らないかという議論になるべきところですが、労働組合のローカル・センターである沖縄県労協が国際自由労連に入るかどうかという議論です。
そのときに、反対したグループはアメリカ、いわゆるアメリカ帝国主義と手を握るのかという話でした。でも、私たちはそういうことではなくて、アメリカの労働組合が中心になり、東南アジア、とりわけインドを含めて労働組合、労働者への支援、てこ入れというのは相当やっていた。例えば、国際自由労連のアジア労働大学はインドにあった、沖縄からも2名ぐらい送り込んだいきさつがあります。もちろん沖縄官公労から行かせました。そういう意味では、沖縄がアメリカに支配されている以上、私たちの声をストレートにアメリカの中で政治や議会や、ホワイトハウスに声を出せるのは日本の総評じゃないでしょう。やっぱりアメリカの労働組合だ。だから、そことつながることで、沖縄に国際自由労連の事務所を置かせた。その力が基地労働者、全軍労の組織化につながった。これは忘れてはいけない大事なことです。
つまり、私たちは思想的に沖縄での労働運動をやったんじゃないです。どうすれば、私たち働く者の権利を一番確実に手にするためには、どこと手を組んだほうがいいのかという議論です。そのことが国際自由労連につながった。もちろん、いつまでも続かなかった。復帰段階では今さら国際自由労連に、県労協が入っていても意味ない、もう役割は終わった、国際自由労連とのつながりは自動的に解消した。だから、沖縄官公労も国際自由労連から抜けたんですよ。それでよかったかどうかという議論が何かあのときあったようですが、私はそういう意味では割り切ったんです。
そのときに私たちの沖縄の労働組合を指導してくれたのが、実はシンガポールの労働組合・総評です。かなりきめ細かく沖縄を支援しました。アメリカに対する発言だけじゃないです。レバ・ナヤンという有名な指導者がおりました。そういうつながりもあって、沖縄は復帰前からシンガポールに対し興味を持っていました。マレーシアから離れて独立のために闘ったんです。独立したんです。そして、国づくりをしていった労働組合と、そこを中心とする政権、つまり国の権力、政府、こことの関係というのはよく見ていたものですから、これが一つ。シンガポールのような「都市国家」をつくりたいと私は復帰前後から言っているんです。これは沖縄の将来の姿。
2つ目はハワイです。そのハワイには、副知事になって初めて行ったんですが、それまでは行ったことはなかったんです。復帰前の国外旅行はパスポートを取って、戸籍を持って東京の総評の地番に登録、住民登録して、日本人として外務省からビザとってソ連に行きましたけど、アメリカには行く機会がなかった。
ハワイを勉強したかった。それは、米本土と島の関係です。それは単なる役割分担ではなくて、つまり沖縄で言うならば、日本における沖縄の関係です。どういう特色を出すのか、どういうふうな沖縄の将来の産業構造をつくったらいいのかという役割分担。つまり、日本唯一の亜熱帯の、この沖縄を観光で売り出すことです。
3つ目は、プエルトリコです。復帰後にかなり勉強しました。これは制度的な意味で、独立国でもありながら、なおかつそれでいて、たしかアメリカ大統領選挙の投票権を持っているんです。そういう関係である。消費税ゼロで、今はわかりませんけど。アメリカ国家はプエルトリコに対してきちっとした財政的面倒を見るというような仕組みがあるんです。
この3つが、実はこの81年、86年につながる、特別県政などにつながる下絵になっています。ただし、本当に生きた形でつながったのかというと、それは理念的なものです。理念的なものだけど、私たちが見たのは、日本の中における一地域ではないんです。国際関係の中で「島」というのがどういう役割を持ち得るかという意味なんです。マレーシアで言うと、マレー半島、インドネシな諸国とシンガポールの関係というのは、戦略的な意味では大きな問題があります。そういう意味では、やっぱり学んで損はしなかったという気がしています。
シンガポールの戦略は、今日のアジアの中でずば抜けてすごいです。それは民族的に言うと中国人が90%はいるというだけではなく、英語も国語として使っている。そういう意味ではかなり戦略的で、またそうでなければ生きていけない、地政学上の要所にあるのだと思います。
それから、そういうことを通じて言うと、実は、これはまだきれいに整理した考え方は持っていません。民族問題ですね。シンガポールも同じです。ハワイも同じです。プエルトリコも同じです。私が興味を持ったこの「3つの島」というのは、やっぱり民族問題で抱えているのは共通です。例えば、マレーシアからシンガポールの島に追い出されたのは、中国系だからです。華人であり経済を独占していたからです。ハワイだって、カリフォルニア州に統合されるところを、いわゆる土着民という表現をしますけど、彼等が「弓とやり」を持って、アメリカ合衆国に対して独立を叫んで「戦争」を挑んだ、戦争にはならなかったけど、それでハワイは一つの州を勝ち取ったという。そして、今日、あの州が自立し展開をしている。
それは、プエルトリコだって同じなんです。スペインの植民地の中でどう生きてきたか、そして独立闘争では、アメリカの支援を受けて独立を果たした。しかし、生きていけないというところから、アメリカとのつながりを切ることができない。いずれはと思いながらも、なおかつ切ることはできない。この事情は、沖縄の今までと、これからにも参考にしながら見ておく必要があると思います。
この課題は日本の46都道府県、沖縄を除いて鹿児島までの46都道府県のどこにも沖縄が教訓化するところはないんです。北海道も違うのです。そういう意味で言うならば、沖縄はやっぱり自分で決めないといけない。それを沖縄人と言うのか、沖縄のアイデンティティーと言うのか、歴史と言うのか、文化と言うのか、いろんな言い方があるんだろうけれども、そこまでくると、民族的なとらえ方でいいのかどうか、ちょっとわかりません。
○司会(仲地博)ありがとうございました。江上さんのコメントの、一番最後の沖縄に対する理解や同情は急速に薄れていると、沖縄が自治や分権というのを主張しようと思ったら、民族という視点を据えることを検討する必要があるというのは、我々の東京アンテナショップである江上さんからの、この研究会に対する大変重い問題提起ではないかなと思って受けとめました。
国会で上原さんも独立の手続きを聞いたことがありまして、喜納昌吉さんが言ったらもっとインパクトが大きいでしょうね。我々はどんなアクションとリアクションがあるか、注目したいと思います。
吉元さんのお話の中に、この研究会に期待をするというお話が最後のところでありました。謙遜でしょうけど、自分が言ったら、あるいは労働組合が言ったらだめなんだと、こっちから問題を提起する必要があるという趣旨のお話でしたけれども、100人委員会の制度の要綱まで準備しているということですが、そのあたりについて島袋純さんにこの問題にひとつ絞ってのコメントをいただけますかね。
○島袋純 わかりました。沖縄自治研究会の、特に自治基本条例のプロジェクト、このプロジェクトは最初から、ことしいっぱいでとりあえずモデル条例を出して終わるという計画なんですよね。
それで、それに引き続きまだ皆さんに言ったことも、あんまりどういうこ
とを考えているか言ったことはないんですが、私のほうはこの100人委員会方式ではなくて、何かしらスコットランドの県政会議に似たような、全県民的な会議体というのを設ける必要があるのではないかというようなイメージを何となくはしていました。いろいろ考えているんですけれども、とりあえず、研究を通したモデルの構築ということは、とりあえず一たん役割は終わって、今度はそれを素材にして具体的に県民の中で合意が得られるようなシステムはどうにかつくらないといけないだろうということですね。
特に私どもはスコットランド研究者で、スコットランドのモデルというのは非常に、そこは大きい影響を受けているんですが、最初にやったことは、この建議書が権利の請求書だったという位置づけを、吉元さんはしていましたが、これなんですよ。権利章典をするんですよ。最初の会議体を設けたときに、合意事項は権利の章典だった。
これを、こういう建議書みたいな細かい文章ではなくて、もうちょっとわかりやすいパンフレットみたいなものなんですけれども、それでまず合意を得て、それで会議体が出発して、具体的な基本法を策定していくという過程になるんですが、想定、考えていたのは、そういった組織をどうにか、この後、研究が終わった後につくっていって、次につなげていけないかなというイメージでした。
それで、議会は議会だけで、議員だけで勉強会をつくるということだったんですが、私が想定したのは、これは憲法制定国民会議みたいなものなので、基本的に沖縄県選出の国会議員全員、それから沖縄県議会議員全員、それから沖縄の基本的な祖国復帰協議会みたいな、基本的な団体、そういったのを代表全員、そういったものがあるいは学識経験者とか、そういったものが全員含まれたような大きな会議体ができれば、相当大きな特別自治制度なり、あるいは道州制なり、沖縄の新しい制度を出して、これが県民の合意としての政治的正当性、それを持ち得るんじゃないかということです。
それが原案として、これもスコットランド方式ですけれども、日本の国会のほうに原案を出していくと。それで、原案を出した後に、憲法95条による住民県民投票ですか、そういうプロセスを一応スコットランドモデルを念頭に考えてはいたんですが、最近、先ほどの、地位協定改正があんまり有効ではないんじゃないかという話だったんですが、私も地位協定改正のNGOの理事をやっていまして、それで私の発想からすれば、これは日本国内の刑法の、刑事手続きの問題とかありまして、絶対日本政府がそれを条件にされたら認めないだろうと。
要するに日本は先進国の中で、刑法、あるいは刑事手続きが非常に後進国で、あまりにも有名ですので、アメリカが地位協定改正を要求するんだったら、日本の国内法、まず世界レベルにやってくれということですよね。それじゃないと、議論は始まらない。それで、これは基本的には、もうほとんど宮里政玄先生が言うところの、日本にいることの負担を非常に高めると、要するにアメリカ軍が日本にいることに対して、心理的に負担を大きくする。あるいは、環境的に負担を大きくするとか、そういう戦略ですね。
要するに地位協定の改正というものが、日本で議論されていて、アメリカ人に本当に日本の法律を適用させようとしているんだという、この姿勢を示す事ですね。これが非常に重要じゃないかと思っているんですが、ちょっと話をそれましたが、そういったNGO方式、今で言えばNGO方式と言いますか、NPO方式と言いますか、こういう過程の中で、何かしら次につなぐような組織をつくっていく事も、今考えられるかなということで考えている所です。
ですから、基本的にスコットランド方式を念頭に置きながら、その他別の方法で何かしらできはしないかなという事もあって、実を言うとそのNGOに参加しています。そのやり方を学んだり、あるいは参加している人との関係、そういったものを考えながら、地位協定のNGOにも参加しているという事です。
○司会(仲地博)はい、ありがとうございました。
島袋さんの構想を初めて聞きました。島袋さん自身が初めて話すということですから、私が初めて聞くのも当たり前ですが、最近は聞いたのかどうか、いつも忘れてしまいます。きょうコーディネーターというのもあんまり聞いた記憶もないんですけど、しかし、島袋さんの全国会議員、全県議、各層の代表というのは聞いたら大風呂敷という感じがしますけれども、島袋さんのバイタリティーであれば、意外と何か実現するかもしれないという期待感も持たせるような島袋さんの行動力ですね。
その構想に我々がどのように乗ることができるのか、賛同するのか、協力することができるのかというのは、また島袋さんがどういうふうに議論を進めていくかということを考えておられるのでしょう。皆さんもひとつご意見を、この点について、きょうの議論ではありませんけれども、ご意見をお寄せください。
さて、皆さんご質問、ご意見あるかと思います。ご意見はもうやめにしましょう。せっかくめったにない吉元さんから直接話を聞ける機会ですので、吉元さんに対する質問と、島袋さんの報告に対する質問もあるかと思いますけれども、きょうは吉元さんに対する質問に残りの時間を絞りたいと思います。どうぞ。
みんな質問のある方は手を挙げてください。ちょっと待ってください。質問のある方は全部質問をして、その後吉元さんから、この質問には答えておくべきだというものを選んで答えていただきたいと思います。
一問一答をすると最初の人だけ聞けて、後の人からどういう重要な質問が出るかわかりませんので、質問を全部一応出していただきます。
○質問者(高里鈴代氏)それではトップバッターで質問します。前回、下河辺さんのオーラル・ヒストリーのことも伺ったものですから、先ほど江上先生が確認をしていらしたこと、少し私も伺いたいと思っています。下河辺さんの役割、存在と言いますか、その前の山中貞則さん、実は先ほどもありましたが、沖縄のためにもう5兆円も使ったんだというような話があるんですけれども、山中さんの、この間追悼式があって、沖縄県の自治体から随分と名誉県民、名誉市町村民ももらっているんですね。それで功績がものすごいと言われるんです。
でも、それは何だったのか、むしろ沖縄の状況を逆に国政の国益にとって必要な安定を維持するためのものとして機能しなかったのではないだろうかと考えますと、この下河辺さんの役割は、そのあたりのところ、つまりチャンネルとして国に対してパイプ役になったりいろいろあるんですが、特に最後に独立できるならやってみろとか、あるいは本気ならやってみろというようなおっしゃり方は、決して沖縄サイドに立って、沖縄の気持ちを気持ちとして言っていることよりも、むしろ逆じゃないかなとも思ったりするわけです。
それで今、副知事として、あるいはそれ以前からの関係性、それと、その下河辺さんの功もあるでしょうけど、罪はないのかなということが一つと、それからその後、岡本行夫さんという存在が、結構またパイプ役としてもあったと思うんですが、そういうときに実際に吉元さん、中枢にいらして働かれて、そういう方々との関係の功罪と言いますか、あるいは期待したものと、そうではなかった側面について伺いたいと思います。
○質問者(島仲徳子)私は、これから5つ目の節目があると思われますか、ということをおききしたいと思います。
ずっとお話を伺っていて、国は全く変わってきていないような気がします。変わってきたのは、沖縄に住む人たちではないだろうかと。 復帰に関する屋良建議書、1971年。これは復帰するにあたって、こういう建議書をつくった。そして、復帰した後も、81年に、やはり気概と志を持っていたと思われる方々が、国に向かって、いろいろボディーブローのようなことをやった。けれども、全然その効果がなかった、ということで、今日まで来ていますけれども、これを見てみますと、引っ張ってこられたのは、沖縄戦を体験されて、それからアメリカの占領下に置かれて、そして復帰を迎えた、という方たち。その方々がリーダーシップを取って、ずっとやってこられた。
私は戦後生まれた世代ですけれども、私の子供たちがもう成人しています。沖縄に住む沖縄県民と言いますか、住んでいる人間が変わってきたような気がするんです。
そういう自分たちの検証が必要ではないかという気がするわけなんですね。今、島袋先生のお話を聴きまして、これからぜひ5つ目の節目があってほしいと願うのですが、ただあまりにも強大な国と、それからずっと一昨年から自治について勉強させてもらっていますけれども、復帰前には、これほど自治について恋い焦がれて自治を求めてきてやってきたのに、今はもう自治というよりも、償いをしてほしいと。償いのうん十年、とかありましたけれども、沖縄県民は償われてきて、それですごく、何かちょっと言葉は適当ではないんですけれども、いつの間にか鈍くなってしまって、今日に至っているのか、という気がします。
最後に吉元さんはおっしゃいました。もう地位協定問題であれこれ言うのは本筋ではないと。基地をなくせば、そういうふうな地位協定の改定など、言う必要はないと。確か、私も高校生、大学のころ、基地撤去という運動がすごくあって、「基地をなくせ」、という声が大きかったんですけれども、いつの間にかそれも言わなくなった。
先ほどお話にありましたけれども、アメリカは基地を撤去してもいい、基地をなくす方向にあるけれども、日本政府がそれにうんと言わない、しかし、これについてもずっと後になって、いやむしろ沖縄県民のほうでそういう声が少なく、小さかったんですと言われかねない。そういうふうに沖縄県民に要因があることで、状況がこれからどんどん悪くなり、私たちが、復帰後、いや、戦後、あれほど願って、欲しいと思っていたことが本当に手に入らなくなるんじゃないかという気がしたんですが、そのことについてどう思われますでしょうか。
○質問者(曽根淳)自分も吉元さんが言われたように、この第5の節目というのはもう来ていると、今がそのときだと思っていますが、ここを越えるためには2つの対応が必要と考えます。
今まで吉元さんがやられてきたことというのは、当時の政府の状況と、時代の流れというものがあったとは思うんですけど、何かタイミングが悪くて、沖縄がもしかしたら勝ち取れたかもしれないところを、逃してしまったということがあるのかなと思っています。
今も沖縄にとっては新たな交渉のタイミングが来ているような感じを持っていますが、実は沖縄はこういうふうにしたいんだということを、東京の人は知らないですよね。日本政府も知らないし、こういうことをちゃんと発信していく、それは誰かだけが言うということではなくて、県民の合意形成をしていきながら、県民全体の声として発信していくような、さっき島袋さんが言われていたような形が非常に必要だろうと思います。今までの県対政府の交渉だけでは、ここの節目は越えられないだろうと。この仕組みと情報発信ということを私たちは考えていかないといけないだろうと思います。
ただ、具体的には吉元さんが橋本政権とやられた話と同じになってくるんですけれども、結局は財政の話なんですよね。自分は今日の話を聞いてすごい驚いたんですけれども、この特別自治構想と、あと3,000億円というものがあれば、自分だったら、やったと、もうこれでいけるというぐらいの話だと思うんですけれども、これを本当に逃したのは惜しかったです。
ひとつは、正々堂々と県民はこう考えているんだというのを押していくと同時に、もうひとつはこれは対政府の交渉事ですからネゴシエーション能力が必要だと思います。その対政府というのは、官僚機構と、あと野党や、自民党の塩川さんと交渉されたという話がありましたが、昔はこのチャンネルを全部吉元さんが両方になっていられたので、県側には政策形成能力があって、ある程度交渉も実るところまで行ったと思います。
ところが今、自分が知る範囲で考えると、まず県側からそういう政策形成能力がかなり損なわれている。それから対政府交渉、これは官僚機構と、それから対政権与党に対するチャンネルですよね。結局、県民の声があって、具体的なこのA案、B案とかがあって、最後何を取るのかと、これをどういうふうに、どのチャンネルでやるのかという、このあたりが今は弱くなっているんだろうなと思います。
これは基本的には両方鍛える必要があると考えていますが、全体の話はさっき島袋さんがしていただいたので、この裏と言ったらなんですが、じゃ実際のネゴシエーションと言うか、対日本国政府の交渉のチャンネルをどのように構築していくのかということを、どう考えていったらいいのか、お聞かせいただければと思います。
○司会(仲地博)じゃあ、こちらから。
○質問者(高良鉄美)意見は言わないということなので、質問は手短にやっています。2つだけですね。
1つは、沖縄県と中央政府との関係ということで、橋本政権のときにいろいろ真ん中に入って苦労されたということで、きょうのお話は非常に興味がありました。その時期というのは、おそらく少女暴行事件以降の沖縄の状況というのが、県と国という関係以上に、県民との存在というのが大きかったんじゃないかなと思うんですよね。
だから、そのあたりの、例えば吉元さんが副知事時代に交渉していたときの苦労というのは大変あったと思うんですけれども、県民投票の時期に、もう何かその前に結果が決まっていたんじゃないかというのがあって、かなり県民のほうからの反応が違っていた部分、つまりそういう沖縄の基地問題がどうのこうのというよりも、自治の問題とか、直接民主主義とか、そういう民主主義の機運の中で沖縄県民が動いたから、でもそれは政治的には政府は抑えにかかるけれども、日本国民として、いわゆる日本の地域の国民としては、かなり沖縄県民投票の動きとか、あるいは代理署名なんかのときも、江上さんの今のお話と本当にギャップがあるぐらい、沖縄県民の動きというのをすごいサポートしていたと思うんですね。
それは一つある意味では、民主主義の問題とすごく、やっぱり交渉としては、実際にはあるところで決めて行くわけですけれども、その前にやっぱり存在しての住民と言うんですか、この存在があったのではないかという面で、そのあたりにおそらく、ジレンマも吉元さんあたりもあったんじゃないかなと思うので、そのあたりのお話をちょっとお聞きしたいというのが1点ですね。
申しわけないんですけど、もう1点が、日本政府と沖縄の問題ということになると、基地問題が政府の外交政策、安全保障政策がどうのこうの、といいながら、それも中心的には関係はするでしょうが、基地縮小に消極的なものがあるのは、やっぱりその沖縄の人たちが考えるとか、あるいは日本の政府が決断するとかという中に、やっぱりゼネコンと言うんですか、この存在がすごい政治的な中にあって、沖縄の基地問題というのはまさにそれじゃないかなというのがあるんですけれども、そのあたりの話題も何か吉元さんの交渉の過程に何か入ってきたのかなというのを教えていただけたらと思います。以上、2点です。
○司会(仲地博)土木建築企業等が影響を及ぼしたかというふうなことでしょうか、交渉の中に。
○質問者(高良鉄美)はい。2つの質問にはそれもあります。
○司会(仲地博)それでは、どうぞ。
○質問者(阿部岳)すみません、ありがとうございました。
先ほど3,000億円の話があったので、それの続きと言うか、関連なのですが、当時、特別自治構想ではどういう論理で財政を、金を要は国からとってくるのかという、どういう論理でやっていらしたのかということと、今、三位一体改革で税源を移譲するけど、補助金は削るけどという状況で、追い風か何かよくわかりませんが、この状況の中でもし今やるとすると、どういうふうに、どういう論理がつくれるでしょうかという事をお伺いしたいです。
○質問者(藤中寛之)自分も曽根さんの質問の継続になると思いますが、現在の道州制 の文脈において、沖縄と政府との間の政府間交渉で、省庁再編によって、自治省が総務省になったことの影響は何か、ということを教えていただきたいです。
というのは、道州制の文脈では中央省庁の権限を道州に権限移譲するということ が大きな争点になると思いますが、従来、中央省庁の抵抗によってそれは非常に難しい課題であると聞いています。
しかし、省庁再編によって、地方自治に加え、内閣や内閣総理大臣の補佐をする役割を担い、各省庁の行政監察や人事、機構管理などの業務を行う事ができるようになった総務省が、かなり中央省庁に対して、何かうまいぐあいに調整し、指導的な役割を担って、その中央省庁の権限を地方に移譲する、何か実効的な機能を持つようになったと聞きましたので、その事を、お伺いしたいです。
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