2008.03.07
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カテゴリ: 石仏閑話


 二宮尊徳の名は、のちに名乗った名。江戸末期の人で、武家や藩の顧問的立場で財政改善、農村の救済・復興を果たしました。この手法を二宮仕法といいます。さらに、神道、儒教、仏教の三教一致の通俗道徳思想から、道徳と経済を説く報徳教という思想を創設。これを「神儒仏正味一粒丸」と自ら戯称し、神道1さじに対して儒仏各半さじの割合と述べています。

 これらを実践する報徳社を設立しました。この結社は弟子たちに受け継がれ、明治27年、小田原に報徳二宮神社が創建されたのに続いて、栃木県今市市や北海道など、全国に10余社の報徳二宮神社がつくられました。

 修身の象徴として明治政府に採用され、学校に置かれたのが金次郎の像でした。しかし、文部省主導というわけではなかったようです。自然発生的に普及し自然消滅した流行神的な面が見られます。

 初期のものは銅像。このため戦中に供出され、皮肉にも弾丸となって飛び去りました。戦後の多くはコンクリート製。





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最終更新日  2008.03.24 18:28:51
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