全19件 (19件中 1-19件目)
1
風邪なのか花粉なのかわからないけど体調がいま一つはっきりしないので今日は家でじっくり休んでいました。午前中の事なのですが「ぴんぽーん」とドアフォーンがなったのでめんどくさいと思いながら出て見ると「平成19年4月完成予定のあきる野市に建設される温泉の反対運動に署名してください」と言うものでありました。この件に関しては前々から「大丈夫?」って思っていた所がありましたので「反対」に署名しました。事の内容は以下の通りです。東京都「あきる野市」が25億円もの巨費を投じて温泉宿泊施設を建設するのであります。あきる野市といえば、都内26市の中で市民一人当たりの借金がもっとも多い市です。今回の計画も25億円のうち20億円を借金で賄うもので、市民から計画に対する大規模な反対運動も起きているんです。「第三セクター」の施設はあまり成功したためしがないのです。民間の施設なら、収益が頭打ちということになれば、次々にアイディアを出して新たな集客方法を考えますが、経営に役所が絡むとなかなか新しいことができず、「時代遅れの施設と赤字だけが残る」という結果が世の常でありました。夕張市がその典型的な例です。おいらは温泉大好きですが結果このツケがあきる野市市民に覆い被さってくるのです。公共事業の一環だと思いますが・・結果は「いやーな予感」がします。まあ最初のうちは順風万歩だと思いますが問題は2年~3年先の事なのです。いずれ飽きられる事は間違いありません。入浴料金の設定も大きなキイポイントになるでしょう。「反対」しても議会が承認している為建設の中止は不可能でしょう。それにしても市は「バクチ」がすきなんですね。市長さんにあった事もないのですが一度聞いて見たいと思ってます。「身銭払ってもやるのですか?」と・・・
2007.01.31
コメント(13)
「唸る」そんな作品を一つ。東野圭吾の「手紙」この人の作品はテレビ又は映画でも上映されることが多いので今や知る人ぞ知るポップな作家と読んでもいいだろう。出張の際本を読む事が多いもので東京駅に行くと必ず本屋に立ち寄る。そこで「読んで!」とささやきかけていたのがこの本である。内容は日本の「罪と罰」それも加害者の視点から実に見事に起承転結を伴って描かれている。「この手の内容なら俺でも書ける」と言い切る作家はいるだろう。しかし実際の所被害者の立場ではなく加害者の立場で書かれた小説は数えるほどしかないだろう。皆無かも知れない。犯罪作家と言えば佐木隆三が有名であるけど彼の本は小説ではない。犯罪の事実を丹念に分析して真実を付きとめようと書いているのだあるけどその事実から得られる事は犯罪の残酷さによる虚しさだけが残るのである。読み手をあまり想定していないからである。だからどうしても読み手に飽きさせる面がある。東野圭吾の「手紙」の内容は出口がないけど飽きない。それは何故か?簡単な事である。彼の作品全てに通じている面であるのだけど「読み手」を想定して常に書いている。いわゆる一人よがりではない文体で終始貫かれている。そして何よりここが重要なのだけど文体がわかりやすい。シンプルだからこそメッセージがストレートに伝わって行くのである。ゆえに加害者が何度も夢を掴み掛けて落ちて行く様を気の毒だと思いながら「ざまあみろ」「やっぱり」と読み手に思わせる。「現実は甘くない」そう思わせる事で読者をこのテーマに引きずりこんで行くのである。加害者の弟は殺人を犯していない。しかし殺人者の弟と言うだけで何度も挫折を繰り返す。恋人、仕事・・・何をやっても犯罪者の弟と言うだけで奈落の底に落とされる。最後は自分の息子までがその責め苦を背負わされると予言するところまで行く。読み手からするとテーマの「出口」がないため重苦しい雰囲気になる。思うに東野圭吾が何故このテーマに取り組んだのか?推測の域を出ないが「人が人を殺す」その先に「救いはあるのか?」出口がないとわかっていても小説家・・というより物書きである以上このテーマは避けられなかった。避けられない以上真正面から取り組んでみようと思ったんだと思う。毎日テレビで殺人が繰り返されている。被害者は必ず口を揃えて同じ事を言う。「何もいらない。もとのままで返してくれれば何もいらない」「死んだものは二度と生き返らないんだ!」「罪を犯せば罰を受ける」あったり前の事だ。その中でも殺人は一番罪深い。殺人を犯した兄は罰を受けるが弟は何も侵していないにも関わらず世間から罰を受ける。ラストのシーン。東野圭吾はこの場面を最後に書きたかったんだなと思わせる展開で終わる。おいらが「唸った」のはまさにこの場面である。ミュージッシャンになる夢を兄のために経たれた直貴が兄のいる千葉の刑務所で音楽仲間の寺尾と一緒に受刑者の慰問コンサートで「イマジン」を歌うシーン。「その男は深く項垂れていた。直貴の記憶にある姿より小さく見えた。彼の姿勢を見て、直貴は身体の奥から突然熱いものが押し寄せてくるのを感じた。男は胸の前で合掌していた。詫びるように。そして祈るように。さらに彼の細かく震えている気配まで直貴には伝わってきた」その描写の見事さ。「イマジン」は歌われたのか?「差別や偏見のない世界。そんなものは想像の産物でしかない。人間というのは、そういうものとも付き合っていかなきゃならない生き物なんだ」寺尾の発した言葉の先にある「イマジン」が絵空事に終わるのか、リアルな言葉として発せられるのか?イントロだけが流れて直貴の声がついに発せられないまま終わるラストシーン。答えを読み手にゆだねたあまりの見事さに「唸った」のである。小説って結局人間をどう表現するかであると思う。その面で余韻の残る「手紙」は確実においらの心に届いた。
2007.01.30
コメント(12)
じゃないのかな。土曜日釣り行ってからくしゃみが止まんない。目も充血している。軟弱な身体にいやんなる。これが3ヶ月位続くのかと思うと憂鬱な気分になる。とってもだるいのだけど寝込む程でないと言う所が曲者なんだ。花粉症の人この指とまれーだ。マクスマン今日満員電車の中でちらほら見かけだので恐怖の大王が降り始めたのかな。春は憂鬱な季節さ。ほんとは発情とか新芽とか燃える季節なんだけどなぁ。ほんとこの時期冬眠したいよ。
2007.01.29
コメント(20)

庄治郎へライトウイリーに行ってきました。相も変わらず朝起きられず港宿に着いたのが午前6:30。「何にしようか」と思う間もなく鯛はすぐ行っちゃう雰囲気がしたので、何かしら釣れるであろうウィリー五目にして見ました。港を後にして唖然としたのですがかなりのうねりがあったんですね。完全に底荒れしている感じ。少々不安がありましたが、船に乗るとやはり本能が勝つんですね。めらめらと闘争心に火がついてきました。予想通り最初の2時間ばかりは「ナーンの生体反応なし」おいらは左舷の艫から3番目〔そこがあいていたので・・〕に陣取り昨年キス釣りで海に放流したリーディングXA2再購入した竿とこれまたニューのダイワ「MAG FORCE 150SFハヤワザ」リールセットしてシャクリました。ターチさんのHPで拝見している小澤さんも乗船していましので状況聞くと「今日は最悪」だそうです。まあそんな状況でありましたが何人かは木っ端シマダイの型を見られた人もいました。残念ながらおいらの竿には一回だけ大物らしき当たりがありましたが見事に下針やられました。「ぐやじいぞ」 で結果はこんな感じです。アジも型がよく一番大きいのは38センチありました。帰着してからアジのタタキ作りましたが程良く脂が乗っていて抜群でした。取立ては魚臭さがまったくないんですね。 こちらは定番でありますがサバ君です。こちらも大きいのは40センチありました。真サバとゴマサバがいますがわかりますか?真サバは絞めて押しサバ寿司作る事にしました。ゴマは干物です。本当に久しぶりの海でしたが富士山が綺麗でした。海は条件次第で釣果が左右されますが、改めて思ったのは魚は市販で買ったほうが安いに決まっているのですが自分で釣った魚に対する愛着は店で購入した物とは比較にならないくらい愛情が詰っているという事です。釣りはやっぱり楽しいですね。今日は多分波も収まり爆釣り。そんな予感がします。
2007.01.28
コメント(22)
・・てなわけで大阪のお初天神近くの焼き鳥屋で飲んできました。あっという間に楽しい時間が過ぎていったんですね。修験者ヤス様も含め男三人にての痛飲でございます。途中から例の如く女の話になりました。意外というのか当然なんでしょうが女に関しては一番しょうたこさんがまともな気がしました。おぼろげな記憶ではありますが「昔の女を思い出すのか・・会ったらどうするのか?」そんな危険球を投げた会話だったように記憶しています。まあ誰にでもこんな事はあると思いますが・・時間と思いは必ずしもとおい距離ではないですからね。まあ大半が釣りの話だったのですが今年は神通川で鮎合流しようよという事で燃え上がりました。関東の忘年会出席の鮎釣り仲間にもよろしくとの事で今年は関東VS関西の釣り会〔飲み会〕もありそうな気配がぷんぷんしましたね。共通の趣味仲間と飲むのは楽しいもんです。翌日はちゃあんと岸和田行きましたよ。
2007.01.26
コメント(16)
「美味しんぼ」はおいらに取ってバイブルのようなもので性懲りもなく買い続けて再読し続けているのだけど海原雄山の間違いを19巻の「対決むらおこし」で発見してしまった。その間違いとは雄山が「湖にはマスやアユがたくさんいるから材料には困らない」というシーン。確かに稚魚は湖にアユ孵化している事あるけど成魚はいませんよーだ。これは雁屋哲さんの明らかな間違いですね。あれだけ食材にこだわる雄山がこんな初歩的な間違いをするのだからこの漫画のすべてを鵜呑みにするのは危険だと思いましたね。そもそも何々産の○○はどこで取れたと講釈する場面が何回も出てくるけど食べるほうとすればうるさいと思うよね。まあそんな悪口を差し引いてもこの漫画の魅力は食べ物にある。個人的に好きなのは米を主体にした料理。この漫画はその米を主体にした料理が何度も出てくるので嬉しい。特に丼物だね。おいらいろんな料理食べたほうだと勝手に思っているんだけど最後に行き着いたのは米だったね。炊き方もあるけど本当に美味しい米ってなーんもなくても十分感動するからね。日本人に生まれて良かったと思えるのが米と水だね。
2007.01.22
コメント(26)
今日の夕食は久しぶりにおいらが作りました。献立は豚と鳥のカツ。スープは「美味しんぼ67巻」第2話「ジャガイモ嫌い」に出ていたジャガイモスープを作って見ました。カツは正月高速道路のサービスエリアで購入したソースカツ丼とトキハピーコック〔生協〕のソースを使いました。出来はスープの塩が少々足りなかったけどまずまず。かつおの一番だしとバターとの取り合わせスープです。で・・材料を仕入れにスーパーいったら噂どおり納豆が飛ぶように売れていました。ダイエット報道恐るべしです。レジでも複数のおばちゃんが大量の納豆購入していたので・・おいらは「うーん」とただ呻いてばかりおりました。今日はセンター試験でした。菊川玲が報道陣に「東大受かった理由は?」と聞かれたとき「納豆食べていたからです」有名な話です。キットカット食べるのとそんなに違いはない話です。まあ確かに納豆は癖になる味だけど納豆食べていたら東大に入れるなら誰でもやってるわなぁ上戸彩の好物は納豆です。しかし二人の女優の時はそれほどブームにはなりませんでした。今回の騒動のキーワードは「ダイエット」再び「ウゥーム・・・」です。飽食の時代なんでしょうね。ヨガ然りフィットネス然り・・やせるために日本人はお金を使うようになりました。本当に日本は面白い国だと思います。さてとおいらも納豆食べるかな。
2007.01.21
コメント(20)
![]()
小原庄助どんがどんな人物なるやも知らぬまま朝風呂入る度にこの歌が口から出てくるのは、やっぱり遊んで暮らしたい願望があるからなんだろうなぁ。『♪エンヤー 会津磐梯山は 宝の山よ 笹に黄金が エー またなりさがる 小原庄助さん なんで身上つぶした 朝寝 朝酒 朝湯が大好きで それで身上つぶした もっともだ もっともだ♪』身上つぶすのは嫌だが「朝寝 朝酒 朝湯が大好きで・・・ ♪」この科白はいつも胸に落ちるものがあるのです。「人間50年、下天をくらぶれば・・・・」と信長は人生を語ったがそう考えるとおいらはとっくに死んじまって骸になってしまっている事になるのです。この信長の心境はとっても深みを感じます。「遊んで暮らす」これは男女に関わらず普遍的な願望ではないでしょうか?家族も捨て世間体も捨て乞食になればその願望は一挙に達成しそうなのですが、どうしても世間体が邪魔をするのです。世間様に顔向けできる出来る状況で「遊んで暮らしたい」根性なしの「楽して生きたい」世間体を気にした楽願望の方が強く、それは無理。やっぱり・・人間関係まみれの下界で右往左往、見ぐるしくも生きていくより仕様がないのでしょうか。サラリーマンやっていていつも思う事があります。「このままでいいのだろうか?」我慢と忍耐の狭間を通過すれば飯は食えるのであるけれど時々プライドがはぎ落とされる時があるのです。そしてそれは油断というのか思いもかけない時に突然訪れちゃうんです。そんな時サラリーマンを辞めたくなる時があります。「社会に恥ずかしくない生活」其処には世間から認められた会社名というブランドがあります。往々にして人は自分が何をやっているのか認められたい部分もあって、そこに逃げ込むのです。しかしサラリーマンは使われている以上それが「なんぼのもんじやい」と思う事もあるのです。「毎日が正月」「毎日が日曜」そんな生活だとストレスもたまらないし自分の好きな事も出来そうでとっても甘美な響きがします。そしてそんな毎日を送れたらと朝風呂はいっていると物凄く思います。そんな願望が多分朝寝 朝酒 朝湯が大好きな小原庄助どん願望になるのでしょう。しかしアリとキリギリスの寓話のように小原庄助どんは身上つぶしちゃうのです。見事に転落しちゃうのです。願望はいつか実現する事があるのだろうか。それとも既にある程度は実現しているのでしょうか・・考えるだけだと思考がストップするので釣りに出かけます。音楽を聴きます。本を読み、ちょっとだけ行動してみます。もっとも行動すると人間のしがらみに必ず遭遇します。めんどくさい行為が待っています。しかし行動しないと楽しい事は何も起こらないのです。思い出す、思いですらも残らないのです。「楽しき事もなき世を楽しく・・」高杉晋作のこの科白がおいらを「行動しろ」と励まします。「サラリーマンは決して楽ではないのだよ」つい最近おっちんだ青島さんに問いかけてみます。青島さんは苦しそうな顔をしておいらにこういいいました。「東京都知事にはなって見たけれど・・友達できなかったなあ」偉くなったからといって楽しい事が待っているわけではないのでしょう。よい事も悪い事もひっくるめて人生。そうなんです。「人生一路」美空ひばりのこの歌を聴くたびおいらの心に火が灯もります。1.一度決めたら 二度とは変えぬ これが自分の 生きる道 泣くな迷うな 苦しみぬいて 人は望みを はたすのさ(間奏)2.雪の深さに 埋もれて耐えて 麦は芽を出す 春を待つ 生きる試練に 身をさらすとも 意地をつらぬく 人になれ(間奏)3.胸に根性の 炎を抱いて 決めたこの道 まっしぐら 明日にかけよう 人生一路 花は苦労の 風に咲け作詩:石本 美由紀。作曲はやくざな弟、かとう 哲也。かとう哲也一世一代の名曲です。胸に染み入るこの曲を聴くたびこの詩に胸を打たれます。朝風呂で時々美空ひばりのこの曲をがなります。湯のぬくもりと歌が気持ち良く身体に沁みてきます。中原中也の詩ではありませんが「さらさらと・・・さらさらと・・」お湯が湯船からこぼれていきます。「はあああああ・・幸せじゃ・・・」
2007.01.20
コメント(20)
通勤電車の行き帰りなのですが、幸せだなあと思う瞬間は美人だなぁと思う女性と遭遇する時です。結構その場合極限ミニの女性が多かったりするのですが、自信の表れなのでしょうかね。結構ドキリとする女性が多いいのです。人はそれをフェロモンと呼びます。電車って楽しみが少ないので今日は自分の好みの女性に何人会えたかなんてチェックしているのですがたまに入れ食いみたいなときがあります。そんな時は幸せ感じますね。男には本能的に女性の服装スタイルに目がいっちゃうのです。露出度が多ければその本能は濃くなります。・・だからってまあ、何するわけでもなく単なる楽しみです。宇宙の無について考えるのも自分。色気にどきどきするのも自分。いろいろあっての自分です。アベックでしたが青梅方面に向かう電車で山口百恵そっくりの女性と会ったときの衝撃はいまでも忘れられない記憶として残っています。チャンチャン今日は難しい事考えたくない日でありました。
2007.01.16
コメント(30)
量子論の事考えるのも好きけどおいら女性の美について考えるのも好き。つうわけで考える事の不要な二人をご紹介します。http://www.youtube.com/watch?v=eYGdSaZubiMhttp://www.youtube.com/watch?v=7ZUjXDF36Lwどっちも化粧品の宣伝なんだけど「うーん」綺麗だね。(>_
2007.01.15
コメント(10)
本からの知識です。ですからこれが本当の事かどうかは八ップルさんとペンジアスさんとウィルソンさんに聞いて見てください。「ビッグ・バン」なんて聞かれると皆様は何を想像されるのでしょう?おいらはプロレスラーの「ビッグ・バン・ベイダー」を真っ先に思い出しちゃいましたね。アントニオ猪木をめったくったにやっつけちゃったあのビッグ・バン・ベイダーです。昨日のプログにアレキサンダー・ビレンケンは「宇宙は物質も空間も時間もない。無から生まれた」と書きました。そうなるとやっぱり「無」から「生」が誕生した事に思いをはせないといけない気がしました。地球上に生命が芽生えた35億年前からの時間を考えなければいけない気がしました。私たちの一人一人は、その35億年の生命進化の歴史をDNAに刻み込んで体内にもっているのです。〔多分〕もっとも、生命が芽生えるための準備期間も考慮に入れると、やはり、地球誕生の46億年前に溯って考えたほうがベターな気もします。地球は、銀河系のなかの小さな一つの惑星です。銀河系の直径はだいたい10万光年であるといわれています。中心部はアルジとよばれる年老いた星の集まりで、その周辺部には若い星々が群がっているそうです。その星の総数は約2000億。凄い数ですね。銀河系もまた、宇宙の中の1000億を越える一つに過ぎないそうです。150億年前にビッグバンで始まった宇宙は、強烈な光のもとに、時が刻み始め、猛スピードで膨張する空間に多量の物質が創成されたと考えられています。勿論おいらがいっているんじゃないですよ。この世界のすべての存在の根元が、このエネルギーに満ち満ちた「真空」から生まれ出たそうです。何も存在しない「無」の状態に詰め込まれた巨大エネルギーが爆発して、宇宙そのものが具体的な姿をとって立ち現れたそうです。おいらにはこの点が理解できないのでありますが・・私たちが、光を懐かしく感じるのは、ビッグバンの光が私たちの存在の原点であることを、どこかに記憶しているからださうです。「無」ってそもそもなんでしょう?色即是空とかいう言葉もありますがなんかちょっと違うような気もします。・・で・この話はもっと推し進めたいと心がいってますので続ける事にしますが今日は天気も良いので宇宙の無限を感じる前に銀座方面に寿司食いにふらふらしてこうと思っています。
2007.01.14
コメント(19)
![]()
ボブ・マーレーのこのアルバムがリマスターで蘇生しました。レゲエの独特のリズムに憑かれるように「エクソダス」を聴くとファイティング・スピリツツが拳にこめられます。「目をあけて自分の心の内を見つめるんだ。自分の生き方に満足しているといえるのか?」単純なリズムにこそパワーの呪詛を感じるのがこの曲です。過激ともいえるリフレインのストーム。2枚組みのアルバムとなっているのですが今回はじめて「エクソダス」ライブを聴きました。「うーん」過激としかいえない「ずんちゃっちゃ」のリズム。「自分達がどこから来てどこへ向かおうとしているのか?」夕焼けが沈み夜の帳が落ち頃、暗黒物質(ダークマター)に思いをはせるのであります。120億光年の彼方にある銀河系の内部にあるという光やx線を放たないという未知の物質・・・夕闇の空を肉眼で見ると星のきらめきしか見ることが出来ません。ダークマスターとは不思議としかいえない物質です。相も変わらずアインシュタインの「相対性理論」読んでいるのですがさっぱりわかりません。ウラシマ効果を含めておいらは時間=有限という生に対して宇宙は無から生まれたという説がさっぱりわかりません。「自分達がどこから来てどこへ向かおうとしているのか?」アレキサンダー・ビレンケンは「宇宙は物質も空間も時間もない。無から生まれた」といいきりましたが無って一体なんなんでしょうか?ボブ・マーレーの「エクソダス」と宇宙との関連性はまったくありません。関連性そのもはある面振動と同じで引き合うものがあるはずなのです。偶然と必然がDNAの螺旋のように絡み合って・・・・「時間って一体なんなんでしょうか?」時間のある重力地点は確実に年を刻みます。音楽は確実に時間を刻みます。時間がリズムとなり、時空と重なります。まあこんな事を考えようと、考えまいと体制には影響ない事なので、どうでもいい事ちゃそうなのですがボブ・マーレーの「エクソダス」聴きながら「カチ」っとスイッチがはいっちまっうのですね。「エクソダス」燃える曲です。これは万人に共通した実感なんじゃないでしょうか。
2007.01.13
コメント(6)
![]()
本が「買って」っていっていた。衝動買い。実はこの漫画武蔵村山にある巨大モール「ダイヤモンド・シティ・ミュー」にいったときヴィレッジ・ヴァンガードにおいてあった。何せ漫画の中にロバート・ジョンソンとボニー&クライドが出てくるのである。勿論ブルースの塊である巨大なクロスロード伝説となったロバート・ジョンソンの事もたっぷり書かれている。内容は・・・ふふ・・面白いんだ。これが。平本アキラの漫画を読むのははじめてだけど引き込まれてしまったね。・・で漫画はこんな表紙。今の所3巻まで。話はまだ続いているのだけど、ブルースに興味がある人には必読漫画だね。この漫画を読んだ後ロバート・ジョンソン聴きまくっているんだけど「ミー&デビル・ブルース」聴いた瞬間「ゾク」ってきたね。たった29曲しか世の中に残さなかったんだけどこの29曲がなかったら「ロック」は世の中に存在しなかった。大袈裟に聞こえるかも知れないけど、それほど凄い曲ばっかだよ。録音は当然古くて音も悪いのだけどなんていうのかな。30回くらい聴いていると物凄いメロディの中に隠された魂の震えというのかな。それも墓場から出来たような魂。ちょっと恐さも感じる魂の言霊なんだ。誰も相手にしていないといった感じすらする声なんだ。
2007.01.10
コメント(12)
![]()
今日は音楽三昧の日々を過ごしました。というのも、釣りに行こうと決めていたのだけど昨日の嵐の海の状況を聞いてしまって触手が動かず寝坊してしまったのが原因なんですけどね。「ドリーム・ストリート」っていうペギー・リーのアルバムに「イッツ・オール・ライト・ウィズ・ミー」っていうコールポーターのミュージカル「カン・カン」っていうアップ・テンポのナンバーがあります。1953年のナンバー。この曲をちょっとしゃがれたペギー・リーが熱唱しているんです。ペギー・リーって「ブラック・コーヒー」ってアルバムが有名なんだけどこちらのアルバムもピアノのルー・レヴィーっていう人がとってもおしゃれなメロディを叩いているんですね。そのピアノのメロデイとペギー・リーの歌がとっても合うんです。全体的に静かに歌う曲調の方が多いのですが「イッツ・オール・ライト・ウィズ・ミー」はご機嫌なスィングをかまして歌っているんです。ベニー・グッドマンの夫人アリスに認められた事もあってかスィング感は抜群のひらめきをペギー・リーって人は持っていたんでしょうね。ペギー・リーっていうと思い出されるのがやっぱり「わんわん物語」でしょう。ペギー・リーが歌う「ララルー」、「ベラ・ノッテ」は小さい頃よく聴いたものです。このウォルト・ディズニーの映画に出てくるのがご存知レディです。おいらはこのレディを見た時思わずとりこになりました。 でもってこれが我が家のレディ、アニーです。相変わらず散歩と食事以外は「ぐうぐう」寝ていますが可愛いものです。今日はアニーのいる部屋で色んな曲をかけて見ましたがアニーは「とろん」とした目つきでわかったのかわかんなかったような顔して聴いていました。「わんわん物語」に登場してくるわんこはどれも愛くるしくて心が弾みます。たまにこういった映画もいいかも知れません。そしてペギー・リージャズ・ボーカリストに重要な艶を感じます。何故か在庫がないとでてしまいましたのでこちらのアルバムから見てください。「イッツ・オール・ライト・ウィズ・ミー」がしっかりはいってます。
2007.01.08
コメント(14)
米、三つ葉、せり、大根葉、青葉、塩少々で七草粥食べました。かあちゃん偉い!というか我が家は食べましたが皆様のお宅はどうでしたか。おいら古い慣習に関してどうのこうのいう立場でも、大それた事いいたいわけでもないのですが昨今の「いじめ」「正月明けの歯科医の息子の長女殺人」見ていて家族の絆といったものが希薄におもえてしょうがないのです。家族で七草粥を食べる。そんなあったり前の事をやってる家ってどんどん減っているのではないでしょうか。おいら評論する人種も正直あんまし好きになれないところがあるので評論はしません。評論してどうにかなるものでもないのです。新聞もそうですが事件の結果について論評はしますが改善策はほとんど出ません。七草粥は神への感謝と、新年を無事に迎えられたことへの慶びを込めた行事なのです家族で七草粥を食べましょう。たったそれだけの事ですが何かが変わるかも知れませんよ。小さな実行。それが多分これからの時代、大きな説得力を持つと思います。今年の日本のテーマは美しい日本なんて抽象的な言葉ではなく家族の絆です。家族とはいったい何か?悲しいかな、昨今の事件を見ていて日本は特にそれが問われていると思います。七草粥を家族で食べましょう
2007.01.07
コメント(35)

実家で泳いでいる鯉です。街中で鯉を飼って入る家は最近珍しくなったと思います。井戸水を引いて飼っています。 こちらは田舎の井戸水です。懐かしさを感じるでしょ。 96歳になる親戚のおじいちゃんの所に行く途中にあった風景です。柿の生命力を感じました。 柿を作っている家では一般的に見られる風景です。柿は日本の果物の中で一番甘みが強いと思います。 鳥取のシンボル久松山の玄関口にある碑です。山陰と山陽はやはり醸し出す風景が違います。山陰は寂しさも感じますがキリッとしています。半端じゃない冷たい空気に触れると身が引き締まります。場所によっては時間が止まっている風景に遭遇する事もあります。時間がゆっくり流れています。若い頃はそれが嫌だったのですが今はそれも「いいなぁ」と感じます。時間についてこだわりを持っている為もあるのでしょうが人の営みに関しては太陽が昇り日が沈む。生きていくなんて単純なもんだよ。それだけあればいいさ。2日連チャンで放映された「マグロ」の影響もあるのでしょうが・・・・干し柿の風景が目に残像として残りました。自然に囲まれて作り出される時間というものは、心が落ち着きます。
2007.01.07
コメント(26)

故郷の仲間から「初釣り行こうがぁ」と誘いがあり、鳥取網代港へ行ってきた。狙いはメジナ。一緒に行く仲間は昨年シマノの鳥取チヌ大会地区予選で優勝したすご腕の奴。今回は教えを乞いましたね。メジナというと地磯のイメージがあるんだけれど今回は堤防からの撒き餌釣り。オキアミとメジナ配合パワーを使っての撒き餌。おいらほとんどやった事がなかったんで見よう見まね。ウキは丸を使った。メジナは物凄い数でいたんだけどこっぱが多かった。又アジも多い。そのためおいらは最初アジ専門に狙って釣りまくったね。黄色い目印が海に沈んでいく瞬間の当たりを取る。この瞬間が楽しいんだ。 4人で釣って一人平均7匹くらいかな。手のひらから30センチオーバーも混じりましたね。結果はご覧の通り。その夜は地元の同級生と20年ぶりの再開をはたしたりして楽しかったな。勿論メジナをお土産に持参して行きましたよ。メジナっの醍醐味って引きだね。あの引きを知ったら病み付きになるね。鳥取は釣り人も少なく天国だね。
2007.01.06
コメント(18)

日本海の海は太平洋側程魚種は豊富ではないけど旨いものはたくさんあります。茨城方面アンコウが有名なんですが鳥取でも取れるんです。肝の入ったアンコウは蟹とは又違った鍋の王様です。とろりとした触感がたまらないのです。勿論こちらも胃袋に収まりましたよ。 ブリは養殖と天然物が売ってましたが断然天然物が買いです。値段は1本いい物で8,500円。一回の釣り船で十分お釣りが出る買い物です。このブリは家族で食べるにしても多すぎるので半身にしてもらいました。 ハタハタです。こちらは安い魚の代表です。1箱で500円。安い!煮付けで食べましたが脂の乗りは最高でした。 鳥取で忘れちゃならないのがアカカレイです。煮付けで食べる子持ちカレイのうまさときたら、ワックスマンの「カルメン」のような乗りです。舌に甘みが残るんですね。3匹で700円位から購入出来るんです。正月はアカカレイを食べないと新年が明けた感じがしませんね。 ちょっとなんだかわかんない感じですがタコです。こちらも丸ごとだと多すぎるので半身にしてもらいました。 カサゴの一種です。こちらもお買い上げ。唐揚げにして食べましたよ。 こちらはグロテスクなイメージの深海魚です。地方により呼び名が違うので正式名称はわかりませんがこちらではババーと呼んでます。鍋にして食べるんです。 干し物はお土産に買って帰りました。干し魚といっても足が速いので3日前後が賞味期限なのです。ハタハタの一部は生から家で干し物にしました。 これは干し物乾燥機。くるくる回転してイカを乾燥させていました。ちょっと珍しいなあと思ってデジカメで「パチリ」鳥取は蟹のイメージが強いのですが実は他にも美味しいものが一杯あります。写真では取り上げませんでしたが赤・白バイガイ、ノドグロ等も美味しくいただきました。これだけの海産物が胃袋に納まれば当然お腹はパンパンになりますね。これに焼きにくだぁ、丸もちだぁ、といった感じで地元の銘酒諏訪泉がそぞきこまれればどう考えたって太りますね。
2007.01.04
コメント(43)

あけましておめでとうございます。本年もよろしくお願い申し上げます。映画のキャッチをパッ食ったタイトルなんだけど中央、名神、中国道と約730キロの高速を駅伝選手のように四角い箱に囲まれて故郷鳥取に13時間かけていってめいりました。車編は後程書こうと思っていますが、鳥取で何をしてきたかを現すにはやはり食いもんが一番ではないかと思い、豪華絢爛たる食素材シリーズで新年のご挨拶とさせていただきます。とにかくまあ食いまくりました。食いしん坊万歳の胃袋は破裂しそうになりましたが、年末年始の楽しみは食いもんだね。きっぱり。それでは食の素材のはじまりーー、はじまりーーー〔ぱちぱち〕。やはりなんてったって鳥取といえばカニだね。ズワイガニ。上品な肉質。食べた瞬間に「笑いがこみあげる」感動。刺身、ボイル、焼き、なべ、何でもござれだね。それそれが極上の香りと触感のハーモニーを醸し出してくれるね。クラシック音楽で例えるとパ・ガニーニの「ラ・カンパネラ」のようにメロディが天空の空から降ってくるようですね。ヴァイオリンは15歳の天才少女。クロエ。〔もっともクロエはズワイガニ食べた事ないでしょうが・・〕音楽と食は重要な関連性があると思いますのであえて書きました。ジョンリーの原点は音楽ですからね。今年年最初の音楽はクラッシックです。格調高い香りがしてきますでしょ。ズワイガニはカニのジャンルではクラッシックだと思うのですね。ほんまかいな。 結構な値段でもあります。 鳥取加露港「加露一」のカニであります。このポイントは他にも店があるのですが観光用店でなく地元が訪れる店が一番なのです。とにかく鳥取の鮮魚の王者はなんてったってカニです。冷たい日本海で水揚げされた引き締まったその味はやはり地元で食すのが一番なのです。ただしロシア産カナダ産も結構相撲界と同じように混じってますから後は好みの問題ですね。カニ業界もグローバル化が確実に押し寄せてきています。 こちらが活きガニです。値段もちょっと高いけど、やはり生からボイルしたカニの鮮度は抜群の味わいがあります。勿論花吹雪のような刺身も絶品であります。こちらは脳天をツンざばかん限りの刺激を醸し出してくれるカニミソです。好きな人にとってはとにかくこのカニミソでご飯が3バイお替り出来ます。ちなみにその日は一人で10個買っていく御仁を見かけました。ジョンリーは?おいらは4個でした。 ジョンリーはこのカニミソ食いたさに故郷に帰省するといっても大袈裟ではないほど150円の超安値のカニに勝負をかけています。今時150円でご飯を3バイ出来る食いもんがありましょうか。年末30日には網代港でカニ安売り放出というキャンペーンもあったりしてそちらも家族総出で迎え撃ちました。先着100名までは乾燥ノリもくれるというのできっちりゲットしてきました。親父殿はなんと2回も並び2個ゲットでしてきました。ようやるなぁ・・。この親にしてこの息子ありとしみじみ思いましたねー。カニゲッチューキャンペーンはメスガニ採り放題1,000円というのがありましておふくろの指示の元親父殿は78歳にもなったちゅうにの欲望の塊と化してなんと11個のカニを詰めて悦に入っておりました。ようやったぁ。勿論このこうばこ蟹はおいらの胃袋に味噌汁として料理されきっちり収まりましたよ。あの赤い脳というのか膵臓というのかあの部分が本当に美味しいのですよ。さて続きは明日又書くことにさせていただきます。これから恒例の福袋瑞穂モールに行ってお楽しみーーしてきます。
2007.01.03
コメント(25)
全19件 (19件中 1-19件目)
1