太平洋戦争が終わりかかっていたころ、刀自ちゃんが小学1年生のときの話である。刀自イワク「ちっとも当たらない高射砲」がたまたまアメリカの軍用機に当たったのを目撃、当たった瞬間にパイロットはパラシュートで脱出した。すぐに脱出したらしい。彼方に飛行機は落ちたがパラシュートは消えたので、スヱ(刀自の母)とどこに行ったのか探したらしい。
ちなみに場所は北九州の上香月というところで現在は八幡西区である。製鉄所が比較的近いので攻撃の対象になってもおかしくない地域である。刀自の実家の前には川、裏には神社があった。刀自は結局パラシュートの人を見つけられなかったので家に帰った。
夜トイレに行こうと外に出ると(ぼくが小さい頃もまだあの家のトイレは外にあった)スヱが「マコちゃんこっち来んしゃい」と手招きをするので裏のトマト畑に行ってみるとガサガサ音がする。なんだろうと思ってよく見ると脱出したアメリカ兵がトマトを食べていた。
スヱはおにぎりをつくり(刀自の家は裕福で米や下駄などの物資が結構あったとのこと)アメリカ兵に差し出した。「あんたもおかあさんと離れて大変やね」と日本語でバリバリと話しかけておりアメリカ兵は当惑していたが普通におにぎりを食べていたとのこと。
その後スヱは警察に電話してアメリカ兵は連れて行かれたが、その際も「優しくしてあげてちょうだいね」と何度も念をおしていたらしい。その後すぐに戦争が終わったとのこと。 近所でラジオがある家が刀自の家だけだったので玉音放送のときいろいろな人が集まってきたが、刀自は放送の内容はよく分からなかったので庭で遊んでいたらしい。
その後小学校からの帰り道、先生も含めみんなで歩いていたらアメリカの兵隊たちと車ですれ違ったがその際に兵隊の1人が刀自ちゃんにだけ大きなりんごをくれた。「なんでマコちゃんにだけ?」とみんな不平を言い、刀自も「先生これどうしたらよかとね」と相談すると「もらっとき」と先生は言った。そのりんごの大きさが今でも忘れられないそうである。
母方のおじは 3
人いたが 2
人は戦死している。 3
人めの男は正(ただし)といい刀自の兄にあたるわけだが正はスヱに「デキのいいのからいなくなるねえ」と言ったそうな。