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私ガバちゃんです。上の写真の手前が私、左がジロウ君、右がモモ母さんです。モモ母さんは夏向きにさっぱりしたでしょ。今日は、みんなで大広間に出てきました。この間は、ジロウ君一人で出てきてランおばちゃんにつかまってさんざんしぼられたみたいだけど、『みんなで出れば恐くない』と、一家で出てきました。タロウ君は写真には写っていませんが、みんなの周りを走り回っています。ミドリちゃんも、賑やかさに誘われて出てきました。「ミドリちゃん、おばさんに見つかっても知らないよ。」みんなは、遊び疲れて一休みです。しばらくするとケン父さんとダイおじさんも現れました。写真の右端がケン父さん、その隣がダイおじさん。モモ母さんも、ケン父さんもお互いにしらんぷり、あの情熱はどこへいってしまったのだろう。これでは人間とかわんないじゃん。わたしたちもしらけ気味。
2006年06月08日
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私ミドリです。上の写真の右が私、左はタロウ君です。私たち4人兄弟ですが、みんなの話によると私は生まれてすぐにモモ母さんのお乳をもらうため、よそのおばさんに連れられてきたそうです。そんなこと信じたくもないが、、、、。でも、タロウ君たちはモモ母さんと同じような毛の色をしているけど私の毛は全然違うし、体の大きさも全然違う、、、、、、。さらに、私がお乳を飲まなくなったら、そのおばさんが私を連れ戻しに来るそうです。だから、私はタロウ君たちが離乳食を食べていてもモモ母さんのお乳を一生懸命飲んでいます。でも、モモ母さんのお乳はもうほとんど出なくなっています。お腹がすくのでみんなが見ていないとき残った離乳食を一生懸命食べます。モモ母さんの話によると、お母さんは「せっかくここまで育ったのだからミドリちゃんはうちで引き取るよ」と、言っているようだけど、よそのおばさんがどういうか心配です。みんなも「よそのおばさんが来てもいないと、言ってやるから押し入れの奥に隠れていな」と、言ってくれます。私の不安は何時なくなるのでしょうか?
2006年05月29日
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僕ヤンちゃんです。ここのところ、はっきりしない天気が続いています。僕たち3人(僕とリンちゃんとガクちゃん)は、朝と昼の2回裏庭に出て走り回るのを日課としています。鈴鹿にいたときは、朝と夕方お父さんが僕たちを代わり番こ散歩に連れて行ってくれてたのですが、四日市に来てからは庭が広くなったため散歩の代わりに裏庭に出て走ることになったのです。僕はたまには街を歩いてみたいなと思っていますが、お父さんはガクちゃんの散歩はゴメンしてほしいと思っているようです。ガクちゃんは体が大きくなり力も強くなったため散歩に行くとお父さんを引っ張り回し、どちらが散歩させてもらっているのかわからない状態だそうです。お父さんも四日市へ来てホッとしているみたい。そういうことで、晴れても降っても僕たちは裏庭で走り回ります。裏庭には芝生が植えられているのですが、けや木のケヤちゃんの周りだけは地面がむき出しになっているため雨の日にはけっこう体が汚れます。お父さんがきれいに拭いてくれるのですが、なんか僕黄色のピレネーみたい。ほんとは白色なんだよね。シャンプーしてほしいなと思っていると、お声がかかりました。日本ペット文化学院の生徒の実習で洗ってもらうことになったのです。喜んで実習室に行くと、待っていたのは2人の男性の生徒。ちょっとガッカリだけど、まあイッカと思ってシャンプーしてもらいました。でもドライングは、3人のお姉さんにやってもらって大満足。さらに、見学に来ていたミサちゃんになでなでしてもらって大大満足。お礼にミサちゃんを背中に乗せてすましている僕です。ああ、今日は充実した一日だったな。
2006年05月23日
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僕ジロウです。モモ母さんに僕たちの父さんのことを聞いてみたんです。母さんが言うには、父さんはケンといって二階の別の部屋で生活しています。僕たちがもうすこし大きくなったら家族みんなで一緒に暮らすそうです。ケン父さんは、モモ母さんより少し若くて正義感が強くて情熱家だそうです。僕たち3人はモモ母さんにケン父さんのことをいろいろ聞かされて、期待で胸がパンクしそうです。僕たち3人は「ケン父さんに早く会いたいね」と、話し合っています。ミドリちゃんまで「早く会いたいね」と、言っています。「でも、ミドリちゃんあなたの父さんはケン父さんじゃないんだよ」僕たちは、モモ母さんとミドリちゃんとで二階の和室で生活しています。モモ母さんは僕たちの目が見え始めた頃、厳しく言い聞かせたことがあります。それは、『この和室から外へ出ないこと(すぐ外は大広間になっています)、そしてモモ母さんがいないときは押し入れの中に隠れていること、この部屋にモモ母さん、お母さん、お父さん以外の人が入ってきても絶対に押し入れから出ないこと』です。大広間には、時々ランというすごく口うるさいおばさんがいて、そのおばさんにつかまると延々と説教されるそうです。でも、僕はケン父さんに会いたいという誘惑に負けてお父さんの閉め忘れた戸の隙間から大広間に出てしまいました。大広間でうろうろしていると、後ろから突然声が聞こえてきました。「こら!こんなところでウロウロしているのはどこの子だ。あ、モモところの子だな」そして、延々と説教をされました。でも最後には「小さい子がこんなところでいてはあぶないんだよ。早く部屋に戻りな」と、注意してくれました。僕は、大急ぎで部屋に戻りみんなにこのことを話しました。やっぱり、みんなと一緒にいるのが一番だ。
2006年05月21日
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今日は、私ランちゃんの悲しい思いでをお話ししたいと思います。前にもお話ししましたが、私がこの家にもらわれてきたのは15年ほど前のことですがもうその時、この家にはピレニーズのヨウ君、ワカちゃんとプードルのプーちゃん、マルチーズのマルちゃんがいました。そしてその他にジロウ君とドラミちゃんの猫のグループもいました。プーちゃんはもう20歳近くになりますが今も健在です。鈴鹿の家でスー君達と一緒に悠々自適の日々を送っています。さすがに歯はなく、目もほとんど見えないようですがなかなか元気だそうです。プーちゃんの長生きの秘訣は物事をあまり深く考えないことです。病気をしたことがなく、医者に一度もかかったことがありません。あっ、一度だけありました。マルちゃんと喧嘩して顔を噛まれて病院へ運ばれたことがありました。ただそれ一回です。プーちゃんとマルちゃんは同じペットショップにいました。そこへお母さんが買い物に行ったのです。ジロウ君たちの缶詰を買いに行ったと思います。お母さんが店に入ってきたとき、プーちゃん達はこの人は僕のお母さんになる人だと思ったそうです。そして、じーと目をそらさずお母さんを見ていたそうです。後でお母さんに聞いたんですが、このときあまりにじーと見ている子がいるので家へ連れていかなくてはと思ったそうです。そうして二人はこの家に引き取られました。最初、二人はたいへん仲が良かったそうです。でも、性格が正反対です。プーちゃんは優柔不断、マルちゃんは質実剛健だったからお互いに敬遠するようになり、顔を合わすと喧嘩をするような状態でした。私がこの家にきたとき、すぐマルちゃんに惹かれました。若々しくて、かっこよくて私のタイプでした。何度か私からモーションをかけましたが、いつも「俺、今忙しいんだ。暇になったらつきあってやるよ。」でした。私は、マルちゃんの気を引くつもりでプーちゃんととつきあっていたのですが、うまくプーちゃんにだまされてしまいました。そんなマルちゃんは猫のドラミちゃんと気があって、よくドラミちゃん達の部屋に遊びにいってました。そのうちドラミちゃん達の部屋で一緒に生活するようになりました。そして7年前あの不幸な事件がおこったのです。お母さんは知り合いの大きな犬を預かりました。ヨウ君とワカちゃんが亡くなってすぐの時です。そのときマルちゃんと猫のグループは二階の大きな部屋に、私とプーちゃんとダイちゃんは二階の別の部屋に、他の部屋にも何匹かの子がいたと思います。お母さん達はその大きな犬を一階の部屋に入れてドアーを閉めて買い物に出かけました。お母さん達が出かけると、その犬は取っ手式のドアーを開けて二階に駆け上がったのです。私たちの部屋のドアーはノブ式のため開けることができません。取っ手式のドアーの猫の部屋に入っていったのです。猫の怒りの声、勇敢なマルちゃんの吠える声がしばらく続いていましたがそのうち静かになりました。お母さん達が帰ったときには、マルちゃんは床の上で動かなくなっていました。お母さんは一日中マルちゃんを抱きしめてないていました。15年も生きていると、楽しいこともたくさんありますが悲しいこともあります。
2006年05月12日
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私ランちゃんです。みんなが私のことを日記に書いているからだいたい私のことはわかっていると思うけど、、、。私は何でも一番でないとイヤ!うちのお母さんと同じでどんな橋でも渡ってしまってから考えないといった性格で、グズグズしてるのが大キライ!そんな性格が災いして15年前にこの家にもらわれて来ました。私は前の家では、スーちゃんという双子の妹と住んでいました。このスーちゃんは、私とは正反対の性格で全てに対してトロ~イ!私がイライラして少しかわいがってやると、すぐお母さんに泣いて告げ口をするんです。そういうことが度重なって、危機感を感じたお母さんが悩みに悩んだあげく私を近所の知り合いの所に預けました。ある日、お母さんは私のことを心配して近所の家にのぞきに来ました。ところが、部屋の中で走り回っているとばかり思っていた私が家の外にくくられていたのです。驚いたお母さんは、そのまま私を家に連れ帰りました。しばらく私も、おとなしくしていたのですが、【のど元過ぎれば熱さを忘れる】で、同じことの繰り返しです。ほとほと困り果てたお母さんは今のお母さんに相談して私を引き取ってもらったのです。でも、私はこの家に来て良かったと思います。お母さん達は、私をとても大事にしてくれるし、みんなも私のいう事に素直に従ってくれます。
2006年05月10日
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私ガバちゃんです。私たち三人は、モモ母さんにお乳をもらってお腹いっぱいになって、お昼寝中です。上がその写真です。あっ!黒い小さい子が写っていますね。ミドリちゃんです。ミドリちゃんは、私たちより一週間遅く生まれたそうです。ミドリちゃんのおばさんの話では、ミドリちゃんの母さんはヤンママでミドリちゃんの面倒を全然みないで遊びまわっているそうです。それに、お乳も全然出ないそうです。それでおばさんは、うちのお母さんに相談に来ました。お母さんは、「蒸しタオルでお乳をよくマッサージしてやればお乳は出るようになるし、一度お乳を与えれば母性本能に目覚めてしっかり面倒を見るようになりますよ」と、アドバイスしました。そのときお母さんは、モモ母さんにも子供が生まれてしっかり世話をしていることをしゃべってしまいました。それを聞いたおばさんの目がキラリと光った気がしたそうです。しばらくしてミドリちゃんを抱きかかえたおばさんがやってきました。「打てる手はすべて打ちました。やっぱりダメでした。モモちゃんのお乳を飲ましてやってもらえないだろうか」お腹がペチャンコで小さいミドリちゃんを見て、お母さんはミドリちゃんを引き取りました。今では、こんなにまるまる太って元気になりました。モモ母さんと間違えて、私のお乳をチューチューしにきます。くすぐったいけどかわいいです。ミドリちゃんもこのまま内の子になるといいね。
2006年05月09日
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僕スーくんです。僕も7年ほど前に、この家にもらわれてきました。この家に引き取られた仲間の話を聞いてみると、前の家ではずいぶん不幸だったみたいだけど、僕の場合はお兄ちゃんが犬の毛アレルギーになったため仕方なく引き取られてきました。前の家で幸せに暮らしていたのは、僕とランちゃんだけのようです。ランちゃんの話では前の家のお母さんが入院したためこちらにもらわれてきたそうです。でもお父さんの話では、ランちゃんには僕と同じ名前のスーちゃんという姉妹がいたのですが、ランちゃんがその子をいじめるので前のお母さんが困り果ててランちゃんをこちらの家にあずけたそうです。だから、僕がこの家に来たとき一番最初に部屋をのぞきにきたのがランちゃんで、僕の顔を見るなり「まぎらわしい名前をつけるな!」と、言ってプリプリして帰っていきました。僕たちの一部の者は、鈴鹿の家に引っ越しました。もともとお母さんとお父さんと僕たちは鈴鹿の家に10年ほど住んでいたのですがリフォームのため四日市の家に移っていたのです。ようやくリフォームが完了したので僕たちのうちできるだけおとなしい者が選ばれて引越しとなったわけです。そのなかにはランちゃんのもと夫でダイちゃんの父さんのプー君もいます。プー君は20歳になり目もあまりみえないのにあちらのほうはなかなか元気です。ダイちゃんと同じで若い子にはすぐちょっかいをだしにいきます。
2006年05月08日
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私ガバちゃんです。上の写真の右が私、真ん中はジロウ君、左はタロウ君です。私たちは、生まれてから1ケ月になります。下の写真は生まれて1週間だから、ずいぶん大きくなったでしょ。モモ母さんのお乳が十分でるので、私たちはいつもお腹いっぱいです。そのため、モモ母さんはたいへんです。私たちに栄養分を吸い取られてげっそり、、、とはならないか。モモ母さんは、もともと肥満形だからちょうどいい感じかな。それでも、お父さんたちはモモ母さんを心配して、私たちにミルクをつくって飲まそうとするんです。私も少し飲んでみたがまず~い!やっぱりモモ母さんのお乳のほうがず~とおいしい。これからもモモ母さんのお乳一本でいこうと決心するガバちゃんでした。お父さんたちはモモ母さんに、栄養をつけさせようといろいろな物を食べさせます。そのなかでモモ母さんが一番気に入っているのがフォアグラです。お父さんが、「モモちゃん、フォアグラだよ」と言うと、あっというまに食べてしまいます。でも、お父さんに聞いたんですがフォアグラといっているのは実は若鶏のレバーだそうです。モモ母さんは今もフォアグラをお腹いっぱい食べて、満足して眠っています。
2006年05月07日
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昨日に続いて、私モモちゃんの赤ちゃんの話をします。写真は3匹の私の赤ちゃんです。手前からガバちゃん(女の子)、タロウ君、ジロウ君です。一姫二太郎、うまく産んだでしょ。(ちょっと意味が違うかな?)今だから、こんな冗談も言って笑ってられるけれど、出産のときはそれはたいへんでした。皆さんは犬は安産の象徴で、犬の出産など水素より軽いとお思いでしょう。私も、ケンちゃんには内緒ですが出産にかけてはベテランですから軽い気持ちでいました。まず、タロウ君とジロウ君が産まれました。そして、10分ほどしてからガバちゃんが出始めました。その時、急にお父さんの声が聞こえました。「お母さん、モモちゃんの赤ちゃんが産まれてるぞ!」私の体から力が抜けていくのがわかりました。そのとき、赤ちゃんの体を締め付けたのでしょうか。産まれたガバちゃんは仮死状態でした。体は冷たく、手足もだらーんとしていました。お父さんの顔を見ると、『もう、ダメだ!』と言っているようでした。お父さん、このような場合決して顔に出してはダメなんだよ。犬は動物的な感で状況を察してしまうんだから。その時、お母さんの声がしました「モモちゃん、大丈夫だよ。お母さんが赤ちゃんを助けてあげるから!」そして、お父さんに言って熱い蒸しタオルを持ってこさせ赤ちゃんの体をマッサージし始めました。赤ちゃんの肺に空気が入りやすい状態にして、入念に胸をマッサージしました。15分から20分マッサージを続けたとき、赤ちゃんはびっくりしたように手をばたつかせ大きな声でミューと泣きました。赤ちゃんは生き返ったのです。お父さんとモモちゃんは同時に叫びました。「お母さんは天才だ!」お母さんは「この子はガンバル子だからガバちゃんと言う名前にしようね」と、赤ちゃんに名前をつけてくれました。ガバちゃんは美人の私にそっくり、タロウ君とジロウ君はケンちゃんそっくりです。
2006年04月19日
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私モモちゃんです。4月8日に3匹の赤ちゃんが生まれました。ケンちゃんとの間の子供です。お母さんとお父さんは、今でも大家族のため私たちに子供ができることは十分注意していたのですが、ケンちゃんの情熱におされて子供ができてしまいました。ケンちゃんには内緒ですが、私子供を産むのは初めてではないんです。前の家にいたとき、無理矢理何回か子供を産まされ、すぐに取り上げられてしまいました。後で聞いたのですが、安いお金でどこかに売られていったそうです。今でも、その子供達のことを思うと胸が締め付けられるような気がします。お母さんにその事を話すと、「モモちゃん、お母さんがイギリスという国に行ったときその国には犬を売っている店は無かったよ。法律で犬を売買することは禁止されているんだね。日本も早くそうなるといいね。」と慰めてくれます。前の家のことがあったので、私はもう子供を産むことはやめようと思っていました。でも、この家に来てから子供と母親は一緒に生活できることを知りました。ランちゃんとダイちゃんは親子で10年以上も一緒だし、この二階の別の部屋にはショパちゃんと3人の子供達がなかよく暮らしています。この間もショパちゃんの部屋をのぞいて、子育てでわからないことがあったら教えようと声をかけてみると、「インターネットと本をみて勉強しているから大丈夫です」と、断られました。あ~あ、あんなに甘やかしていては人間の子供と同じになっちゃうよ。でも、ショパちゃんと子供達を見ているとやっぱり私も子供がほしくなりました。続きは、明日。
2006年04月18日
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今回は、僕ガクちゃん(写真)がヨウ君のエピソードをお話しします。ワカちゃんが来てから3ケ月ほどたったある日、お父さんたちはヨウ君とワカちゃんを連れておばあちゃんの家に遊びに行き、近くの川に泳ぎに行ったそうです。広い川にはたくさんの小学生や中学生が思い思いのスタイルで泳いでいました。さすがに犬や猫は泳いでいませんでしたし、犬かきで泳ぐ子もいませんでした。田舎の子供たちは、クロールが得意です。ヨウ君は初めて見る川とその中で泳ぐ子供達に非常に興味を示し、まばたきもせず見つめていました。その時、お父さんの声が聞こえてきました。「ヨウ君、泳ぐか?」その言葉が終わらないうちに、お父さんはヨウ君の手を引いて川の真ん中に出ていました。そして、ヨウ君の手を離しました。お父さん達は、『太陽は東から昇るもの』『猿は木に登るもの』『犬は犬かきで泳ぐもの』と思っていました。ところが、ところがです。ヨウ君は手をばちゃばちゃと水面にたたきつけクロールで泳ごうとしているのです。結果は明らかです。犬の腕であれだけ大きい体を浮き上がらす浮力を作り出すことはできません。ヨウ君の姿が水面から見えなくなりました。お父さんは、急いでヨウ君を岸に引き上げてきました。ヨウ君自身も何が起こったのか理解できない様子で、ポカンと口を開けていました。お父さん達も、最初のうちは大型犬は犬かきではなくクロールで泳ぐのかもしれないと半信半疑の様子でした。しかし、ワカちゃんの泳ぎを見て、その疑いも吹っ飛んでしまいました。ワカちゃんはちゃーんと犬かきで泳いでいるではありませんか。なんと、ヨウ君はいわゆる『カナズチ』なんです。お父さん達は悩みました。スイミングスクールへ入れることも考えましたが、犬を受け入れてくれるスイミングスクールはありません。お父さん達が考えに考えて出した結論は『ヨウ君を川や海に近づけないようにしよう。もし、近づけなければならない場合は浮き袋をつけよう』でした。その後、ヨウ君は17年間水の中にはいることはありませんでした。
2006年04月09日
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僕、けやきのケヤちゃんです。何歳になるのか、ここに植えられたのもずいぶん昔のことなのでよくわかりません。僕は最初この敷地の表のほう、つまり笹川通りに面した場所に植えられていました。この笹川通りはすぐ国道1号線と交差していて、すごく交通量の多い道路です。この両方の道路を通る車の排気ガスで僕たち木々は年がら年中苦しんでいます。そして、仲間のなかには苦しみに耐えきれず消えていくものもあります。でも僕は苦しみながらも、幹の直径が30センチ、背の高さが10メートル近くの立派な大人の木(?)に成長しました。その間、いろいろな人生の栄枯盛衰をみてきました。僕の前の持ち主もいろいろな事情で2年前にこの敷地を手放すことになりました。そして、この敷地の持ち主になったのが今の僕のお母さんとお父さんです。お母さんたちはこの敷地に日本ペット文化学院の建物を建てる予定でした。ところが、僕がじゃまになってうまく計画が進みません。そのとき、業者のおっちゃんたちの話を聞いた僕は目の前がまっ暗になりました。「切るキャないね」2,3日後やって来たお母さんたちに業者のおっちゃんはこう言いました。「この木はじゃまだから切ります。植えかえするにもこの大きさでこの時期だから成功は40パーセントでしょう。費用もかなりかかりますし。」「オイオイ、他人のことだと思って簡単に決めないでよ。」僕は心の中で必死に叫びました。お父さんは、手のひらを僕にあててこう言いました。「ケヤちゃん(このとき僕の名前が決まったのです)おまえを裏庭に植えかえてあげるよ。もし生きたければ自分でがんばりな」その年の夏は、お父さんは2日に1回、20分ほど僕の根元に水を流し込んでくれました。僕にとっては非常に厳しい夏だったが、お父さんのおかげで乗り越えることができました。そして、今年の春も新しい芽を出すことができました。お父さんはワンちゃんたちがケガをすると僕に手のひらをあてて頼みます。「ケヤちゃん、ケンちゃんの目を治してやってください。」って。僕はいまとってもしやわせです。ただ、朝ガクちゃんが寝ぼけ眼で近づいてきて電柱と間違えてオシッコをかけるのだけはかんべんしてほしいです。
2006年04月06日
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私はチョコです。ミックスです。キリッとした目がチャームポイントです。私はイタズラが大好き。座布団やスリッパを引きずって机の下に隠します。いつもボロボロにしてしまってお母さんに怒られます。怒られてもお母さんはいっぱいだっこしてくれるから大好き。私は生まれてすぐ、雨の日に妹と2人で道路の脇に捨てられました。恐くて妹と抱き合って泣いているところをお母さんに見つけてもらい、お母さんの子供にしてもらいました。妹はお母さんの同僚の紀伊長島からきているお姉ちゃんの実家に引き取られていきました。はじめは淋しかったけど、今は楽しい家族がいるから淋しくなんかない。でも、また妹に会って一緒にさわぎたいな。
2006年04月05日
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こんにちは。私の名前はシェリーです。シェットランドシープドッグのブルーマールっていう毛色なの。ちょっと珍しいでしょ。お母さん達も最初、子犬の私を見たときは、シェルティーってわからなかったんだって。シェルティーって聞いて、お母さん私に一目惚れしちゃったんだって。そんな私も今はもう12歳なの。昔は楽々上がっていた階段も今ではもうダメ。2階に行くだけで疲れちゃうから最近は2階に上がるのをやめちゃった私が一番活発に動くのは、お母さん達が外出する時なの。フルパワーで『行かないで』って、叫んでいるんだけど叫ぶだけでは足りないからお母さん達の履いているスリッパを取って振り回しているの。でも、みんな外出しちゃうから淋しいな。私も連れてって!!あっ、でも、お母さん達がいないといいコトもあるんだ。それは、つまみぐい。いない間に大根をかじっちゃった。あのシャキシャキ感がたまらないのよねあとはお菓子を食べたり。あっ、そうだ。乾燥中のお餅もたくさん食べちゃったこともあるんだ。気付かれないように知らない顔してたんだけど、前胸にいっぱいお餅が付いてて気付かれちゃった。次は何を食べようかな。お母さんにバレないようにしなくっちゃ。
2006年03月29日
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僕の名前は吉(きち)です。ロングコートチワワ、4歳、男の子です。ごはんとおやつが大好きです。この間もお母ポンのいないすきに、僕の体と同じくらいの大きさのパンをペロっと食べちゃいました。そうしたら、あわてて病院に運ばれて、、、。獣医さんが一言「おいしかったやろな~」って。「うん、おいしかったっス」その次に好きなのが、おでかけ。毎年桜の咲く頃、奈良公園へお弁当をもっておでかけします。公園をお散歩して、大仏様にお参りして、お弁当を食べて、、、。昨年は人力車にも乗っちゃいました。最初はちょっと恐かったけど、だんだん風を切って走るのが気持ちよくって、楽しかったです。いつもはしゃぎすぎて、帰りの車の中ではぐっすり眠ってしまいます。今年もそろそろ桜が咲きます。早く奈良公園へお出かけしたいです。その時は、お弁当大盛りでネ。
2006年03月27日
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ヨウ君は小さいとき、胃腸がすごく弱く下痢をよくしたそうです。そういえば、ヤンちゃんもよく下痢をしてお父さんに整腸剤をもらって飲んでいるよね。同じ食事をしても、僕(リン、写真)やガクちゃんは何ともないのに。ピレニーズは、全般的に胃腸が弱いのかな?ある日、お父さん達が仕事で出かけた後、ヨウ君のお腹がゴロゴロ鳴りだしたそうです。最初のうちは、絵本なんか観て気を紛らわせていたのだが、そのうちどうにも我慢できない。外に出ようにも、鍵がかかっていて出ることができない。仕方なしに、部屋の隅に下痢をしてしまったそうです。そして、この失態をどのように隠そうかと、考えたすえ新聞紙を細かく噛みちぎり覆い被せたそうです。そして、部屋の隅ですまなさそうにお父さん達の帰りを待ったのです。夜遅く帰ってきたお父さん達は、この様子を見てヨウ君をほんとうに愛おしく思ったそうです。ヨウ君には何の教えもしていないのに、この子は恥ずかしいと思う気持ちをもっている。この子は犬でなく、犬の毛皮を着た人間の子ではないのかと、真剣に考えました。そして、それからはヨウ君を犬と思ったことは、一度もありませんでした。このようなお父さん達の愛情にもかかわらず、ヨウ君の胃腸の調子は良くなる気配はありません。しかたなく、ヨウ君の生まれた旭川のペットショップに相談してみると「人間と同じで男には女が一番の薬ですわ。イ、ヒ、ヒ、ヒ」そして、とっておきの美女が旭川からやって来ました。それがワカ(若)ちゃんです。うそかほんとか、ヨウ君の胃腸の調子もすっかりよくなりました。
2006年03月25日
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昨日に続いて、僕ケンちゃんが今日の日記を書きます。上の僕の写真、目のまわりが茶色っぽいでしょ。お母さんが心配して病院に連れて行ったんです。すると、先生が「涙焼けです。よほど悲しいことがあったんでしょうね」。お母さんには心当たりがありません。でも、僕にはあるのです。僕たち4人は、夜お母さんとお父さんの布団の上で寝ます。まず、ランちゃんがお母さんの枕のところに場所をとり、続いてダイちゃんがお母さんの足のところに、僕がお父さんの足のところに、最後にモモちゃんがお父さんの枕のところに寝場所をとります。たまにランちゃんがお父さんの枕のところに場所をとったときは、モモちゃんは仕方なく部屋の隅の座布団の上で寝る羽目になります。昨日も言ったように、僕はここのところずーと、ダイちゃんの動向を監視しています。モモちゃんにすこしでも近づこうものなら、ホイッスルを鳴らしイエローカードをあげます。もちろん夜だってずーとそうです。眠れない夜を過ごすために、僕はお父さん、お母さんとDVDを観る羽目になってしまいました。日本に韓流ブームがおこった時、お父さん、お母さんもご多分にもれず『冬ソナ』にはまってしまいました。『夏の香り』『秋の童話』『ガラスの靴』『オールイン』『アスファルトの男』と、寝るのも惜しんではDVDを観て感動し涙を流していました。日本ペット文化学院は韓国の東亜人材大学と姉妹校の提携を結び、東亜人材大学の生徒の学院見学を受け入れたり、お母さんも大学に招かれて2度韓国へ出かけたりしました。また、韓国語を習おうと家庭教師を雇って勉強していましたが、家庭教師が都合で来れなくなるといつしか韓国語の学習も断ち切れになりました。ただ、いたずら電話がかかると『ヨブゼヨ(もしもし)』と、怒鳴ります。そうすると相手はすぐに電話を切っていくそうです。お母さんの韓流ブームはまだ続いていて韓国DVDに涙を流しています。一方、お父さんはというと、お父さんは典型的な日本人で比熱が非常に小さい、つまり熱しやすくて冷めやすいから韓国映画、日本映画、アニメと次から次へとはまりまくっている。僕の涙焼けは、お母さん、お父さんと一緒に流した涙のせいだと思います。
2006年03月23日
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僕ケンちゃんです。上の写真の左が僕、真ん中がダイちゃん、右がランちゃんです。ランちゃんは若造りしているが、ずいぶんいい歳で15歳近い年齢だと思います。すっごく口うるさいおばさんです。ダイちゃんはランちゃんの子供で長男です。僕はまだ2歳の若者です。僕たち3人とモモちゃんとで2階の同じ部屋で生活しています。写真にはモモちゃんが写っていませんが、ランちゃんがソファーにいるときは、モモちゃんはソファーにあがることができません。この時も、モモちゃんはソファーの周りでうろうろしていました。僕たち犬の部屋は1階にあるのですが、歳をとったり、病気だったり、他の犬にいじめられたりする子は2階で生活します。ランちゃんはぼうこう結石で薬と食事で治療しています。僕はけんかして目に大けがを負い、大手術のすえ1ケ月入院して、やっと退院してきました。ダイちゃんは若い子にいじめられて2階に上がってきたのですが、くるなり「日本は年功序列制じゃないのか!若いやつは先輩に対して礼儀を知らない!」と、プリプリ怒っていました。僕はモモちゃんに、ほのかに好意をよせています。モモちゃんは僕よりずっと年上のようです。お母さんがモモちゃんの歳を7歳ぐらいと言っていたような気がするのですが、モモちゃんに聞いても「ケンちゃんよりちょっと上ね」と、はぐらかされてしまいます。お父さんに、「モモちゃんに歳を聞いても教えてくれないんだけど、モモちゃんいくつ?」と、聞くと「バカ!女性に歳を聞いてどうするのだ!」と、教えてくれません。でも、いいんです僕の気持ちは真剣です。ところが最近、年功序列のダイちゃんがモモちゃんにちょっかいをだしにきます。僕が注意をすると、年功序列、年功序列と言って相手にしませんし、モモちゃんもまんざらでなさそうなのが悲しいです。
2006年03月22日
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私の名前は、アリス。ラブラドールの女の子です。チョコレート色の毛並みが自慢なの。生まれて8ケ月の私は、どんなことにも興味津々。揺れるカーテンに音のする電話、クーラーの室外機、いいニオイのするクッションにスリッパ。とにかく夢中で遊んでいるうちに壊してしまって、いつもお尻をたたかれる始末。でも、そういう時は、ちょっとゴローんところがってお腹を見せれば、すぐにゆるしてくれるの。みんな私のことが大好きで、とっても優しいの。そんな私がこの家に来た理由は、「番犬」をするため。いったい「番犬」って、何をしたらいいのかよくわからないから、とりあえず毎日ボールを喰えて、しっぽをふって、家の前を通る人に愛想をふりまいているの。待っててネ。がんばってきっといい番犬になるから。それから、私もうすぐママと一緒にしつけ教室に入学するの。どんなことをして遊ぶのかしら?おいしいおやつがいっぱい食べれるかしら?友達100匹できるかな?今から、とっても楽しみにしているの。
2006年03月20日
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僕リン(葉)ちゃんです。どうしてリンちゃんで『葉』と書くかと言うと、僕のほんとうの名前はリーフ(leaf)といいます。それで、『葉』と書くんです。お父さんが、ヨウ(葉)君を忘れられなくて僕にリン(葉)とつけたのです。だから、お父さんは僕にすこし甘いです。僕の顔を見ると「男前のリンちゃん」と声をかけます。ヤンちゃんとガクちゃんはお父さんはリンちゃんに『甘~い』と、漫才師のように声を合わせていいます。上の写真は僕です。逆光のためさいわい顔がはっきりわかりませんが、いつかはっきりした写真が載るでしょう。その時は、笑わないでね。ヤンちゃんがふてくされているので、今日のヨウ君のエピソード3は僕が話します。ヨウ君はお父さんとお母さんの愛情に育まれて、すくすく成長し、2歳になると70キロを超えるほど大きくなったそうです。お父さんはヨウ君を散歩に連れて行くと、近所の人から「大きな犬ですね」「かわいい犬ですね」と、言われるものだから有頂天になり、ヨウ君ほど大きくてかわいい犬は他にはまずいないだろうと勝手に思いこんでしまいました。そしてその時、津市の呉服屋さんに大きなグレートピレニーズがいるという噂が聞こえてきました。ヨウ君が世界一と信じて疑わないお父さんは、お母さんとヨウ君を連れてそのグレートピレニーズを見に行ったそうです。往きの車のなかでお父さんはお母さんに「ヨウ君が世界一だから、ヨウ君より大きな犬がいるはずがない。いるとしたらそれは白熊だろう。ワッハ、ハ」と、上機嫌だったそうです。ところが、津市の呉服屋さんには白熊がいたのです。なんと90数キロのグレートピレニーズがそこにいたのです。呉服屋のおばさんは涼しい顔で「私どものピレニーズは、フランスからイギリスに渡って改良され、お宅のピレニーズはフランスからアメリカに渡って小型化されたのです」と、説明してくれました。お父さんは、その説明を上の空で聞いていました。帰りの車のなかでは3人は一言もしゃべりませんでした。家に帰ると、お父さんはヨウ君に「ヨウ君、男は外見じゃあないよ。見栄えだよ」と、自分自身を慰めるように訳のわからないことを話していました。
2006年03月19日
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みなさあーん、はじめまして! 私の名前は、華ちゃんで~す。3歳で、おすまし屋さんの女の子です。ふつうは、『はな』と言えば『花』と書くのが多いと思いますが、私は、『華』と書きます。ちょっと気品が高い感じがしませんか? テヘェ~・・・・・。 私は、昼間は家族みんなが出かけているので、もうひとりの『空ちゃん』とお留守番をしています。その間は、ほとんど寝ていることが多いです。 でも、とっても臆病なので、チャイムが鳴ったり、物音がしたりすると、びっくりして大きな声で鳴いてしまいます。もっと、おおらかな気持ちで生活できたらいいなあと、いつも思っているんだけれど・・・・・。性格だから、直らないかなあ?? あっ、そうそう。私は、寒いのが大嫌いで、寒い日は、コタツの中で丸くなって寝ています。「えっ、まるで猫みたいですって?」そうなんです、みんなからそう言われています。ちょっと恥ずかしいなあ。それに、やっぱり寒い日のお散歩は大嫌いです。そんな、私でした。
2006年03月18日
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私はアコちゃんです。上の写真の右が私で、左はルルちゃんです。まだ寝起きで、眠そうな顔をしているでしょ。私たちの母さんはマリちゃんで、この部屋に一緒に住んでいます。母さんも一緒に写真に写れば、と言ったのですが、マリちゃんは寝起きで顔も洗ってないからダメよ、と笑っていました。この部屋には、他に私たちの兄弟姉妹のマコちゃん、ユウ君とエンジェルおばさんが住んでいます。エンジェルおばさんはマリ母さんの姉妹です。あ、それからもう1人チャコちゃんと言うミックスの子がいます。私たちペルシャのルーツは私たちのおじいさん、おばあさんにあたるジロウ君とサリーちゃんです。2人は、17年前、前の飼い主が飼えなくなって、この家に引き取られてきました。もう、2人とも亡くなっています。チャコちゃんのルーツは、チャコちゃんのおばあちゃんにあたるドラミちゃんと言う猫で、おかあさんとおとうさんが津市に住んでいたときにどこからともなくやって来て住み着いたそうです。ドラミちゃんももう亡くなっています。私たちペルシャのグループとドラミちゃんのグループは、最盛期にはそれぞれが10人(?)ほどの大所帯で広い1つの部屋にお互いのテリトリィを守りながら生活していました。ジロウおじいちゃんとくらべるとドラミおばあちゃんは半分以下の小さな体でしたが、グループをみごとに統率していました。私たちは、ドラミおばあちゃんからいろいろなことを学びました。今では、少ないグループになりましたがドラミおばあちゃんの教えを守って仲良く生活しています。
2006年03月16日
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昨日に続いて、僕ヤンちゃん(写真)がヨウ君のエピソードを続けます。ヨウ君が来て一週間ほどたったある日、おばあちゃんの所に行く機会がありました。おばあちゃん達は、北の国から来た白いお客を大喜びで迎えてくれました。そして、得意のお寿司をたくさんつくりご馳走してくれました。ヨウ君もお父さんと競争でお寿司を食べたことは言うまでもありません。ところが、その夜ヨウ君の様子がおかしいのです。くったりして立つこともできません。お母さんとお父さんは驚いて、ヨウ君を近くの動物病院に連れていきましたそして、そのとき初めてお母さんとお父さんは、犬には絶対に食べさせてはいけない食べ物があること、人間が好む食べ物でも犬にとっては命にかかわる物があることを知りました。ネギ類、生卵の卵白、チョコレート、コーヒー、紅茶などは絶対に食べさせてはいけません。調味料、香辛料も不要です。お母さんとお父さんは、ヨウ君を連れてよく旅行に行ったそうです。静岡県の舘山寺温泉に行ったときのこと、近くに大きな遊園地があり、遊園地から向かいの島にロープウエィが通っていました。たくさんの観光客が向かいの島にロープウエィで渡っていました。お母さんも向かいの島に渡ってみたいと言う衝動に駆られました。しかし、ヨウ君はロープウエィに乗ることはできないでしょう。そこで、お母さんは一計を案じました。そして、お父さんに向かってこう言いました。「お父さん、ヨウ君と物陰に隠れていて!私が係員に頼んでくるから」お母さんは係員のところに行くと、微笑みながらこう言いました。「係員さん、向かいの島に渡りたいの、犬を連れて乗ってもいいですか。」そのとき、お母さんは若くて、きれいだった。係員は70キロの犬とは思いもよらず小さい子犬を抱いて乗るのだろうと思ったのでしょう。「いいですよ」係員の返事が終わらぬうちに、お母さんは叫びました。「お父さん、いいって!」お父さんとヨウ君が出て行った時の係員の顔はほんとうに気の毒だったそうです。結局、お母さん達はロープウエィに乗ることはできなかったそうです。しかし、係員さんの取り計らいで、お母さんとお父さんとヨウ君はお猿のチンチン電車に乗ることができたそうです。これからもヨウ君のエピソードを時々紹介していきたいと思います。
2006年03月15日
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僕はヤン(若)ちゃんです。ほんとうはヤングと言います。僕はグレートピレニーズと言う犬種で、原産地はフランスです。お母さんたちとグレートピレニーズとの出会いは、20年前、お母さんたちがテレビを見ていると偶然グレートピレニーズが画面に映ったそうです。その時、なぜかお母さんは‘この犬が私を呼んでいる’と感じたそうです。そして、大急ぎで画面に映っているペットショップの車にかかれている電話番号に電話をしました。「おっちゃん、この犬ちょうだい」(この時お母さんは若かった)そうして、北海道の旭川からこの家に最初に来たグレートピレニーズがヨウ君でした。(ヨウ君の写真はホームページのトップにあります。また、日本ペット文化学院のカタログの表紙にもなっています。)お母さんとお父さんは、ヨウ君を名古屋の小牧空港まで迎えに行ったそうです。2人は、小さな子犬が来るものと思ってました。ところが、飛行機から降りてきたヨウ君を見て驚いたそうです。子犬でも2人の知っている成犬ぐらいの大きさだったからです。それから2人の悪戦苦闘の子育て日記がはじまります。続きは明日。
2006年03月15日
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私ツキ(月)ちゃんです。上の写真の一番前が私、次がアサ(朝)ちゃん、一番後ろはデコ君です。私たち3人は、一ヶ月前に生まれた3つ子です。私たちの母さんは、ショパといいます。お父さんがショパンのファンなので、母さんの名前をショパとつけたそうです。ちなみに、父さんの名前はベートーベンのベンちゃんです。ショパ母さんは、まだ2歳でいわゆるヤンママです。ベン父さんも2歳です。みんなは朝、庭に出て走り回って一暴れしてから部屋で牛乳をもらって休みます。その朝も、ショパ母さんはいつものように庭に出て走り回っていたそうです。お父さんとお母さんはもちろん、ショパ母さんですらお腹の中に私たちが入っているなんて気がついていないようだったとのことです。その後、私たちが突然生まれました。私は生まれたとき調子が悪くて、冷たくなっていました。犬の母親はたとえ自分の子供でも体温が低くなると絶対に近づきません。お父さんとお母さんは出かけているし、昼頃になると私の意識はもうろうとしてきました。その時、お母さんとお父さんが帰ってきて私を見つけてくれました。お母さんは、蒸しタオルで私をくるんで体をマッサージしてくれました。30分ほどすると、私の体温がもどってきたそうです。私は生き返りました。お母さんは私の命の恩人です。最初、ショパ母さんは部屋の中でうろうろして私たちにお乳をくれようとしませんでしたが、私たちがお乳に食い下がってちゅーちゅー吸うとその後はおとなしく私たちにお乳をくれるようになりました。いまではすっかり母親しています。
2006年03月13日
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私モモ(桃)ちゃんです。ほんとうはモモコ(桃子)て言います。上の写真は私なんだけど、朝からおもらしをしてお母さんにひどく叱られたため落ち込んでいます。写真にもその様子がでているでしょ。それに私すごく写真写りが悪いんです。よそのおばちゃんは私を見て、「本当にかわいい犬ね」と言ってくれます。でも、そのおばちゃんが陰で「本当にぶさいくな犬だね」と言うのを聞いてしまいました。その事をお母さんに話すと、お母さんは「モモコ、人間には本音と建前と言って表と裏のようなものがあって人間は面と向かっては本音では話さないものなんだよ」と、教えてくれました。私には難しくてよくわからないので、お父さんに聞いてみると「モモちゃんかわいいとこわいいは一字違いで紙一重なんだよ」と言ってク、ク、クと笑っています。犬と人間では美的感覚が違うんだから、よそのおばちゃんがどのように感じようと私は気にしていません。私は4年前、3歳のときこの家にもらわれてきました。前の私の飼い主が、お母さんにもうこの子を飼うことができないから保健所に連れて行くと言ったそうです。お母さんは以前テレビで保健所で抹殺される犬の映像を見て、死を予感している犬の目が頭から離れないそうです。だから、保健所に連れて行くと聞くと犬を引き取ってしまいます。そのようにしてこの家に来た犬はたくさんいます。飼い主の方は、私たちは物でなくl生き物だということを忘れないでください。
2006年03月12日
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僕はガク(学)ちゃんです。上の写真の左が僕で、真ん中のリンちゃんと右のヤンちゃんんの3人(?)で同じ部屋で生活しています。僕の名前はお父さんが、全てのことをよく学ぶようにとつけてくれました。だから、お父さんは僕の顔を見ると、ガク、勉強しているかと言います。僕は返事に困って、あいまいにしっぽを振っておきます。すると、お父さんは納得したような顔で、うんうんと言って頭をなでてくれます。僕たち3人は、3年前同じ頃にこの家に来ました。僕は宮崎県、リンちゃんとヤンちゃんは三重県の出身です。リンちゃんとヤンちゃんは僕より3ケ月ほど早生まれのため僕がこの家に来た時には、2人は僕より体がずっと大きく、いろいろ修行をさせられましたが、僕の体が大きくなるにつれて対等につきあってくれるようになりました。僕のほんとうのお母さんとお父さんのことはよくわかりません。血統書というものがあるのですが、お父さんたちはぜんぜん信用していません。だから、ぼくは今のお母さんとお父さんをほんとうのお母さんとお父さんだと思っています。僕のお母さんは日本ペット文化学院の学院長で、お父さんはもと松永進学塾の塾長です。お父さんはなぜ塾をやめたかというと、子供たちがみんなお父さんより賢くなってしまって、何となくむなしくなったからだそうです。だから、これからは、おまえたちを一生懸命教育してやると言っています。僕たち3人は、遠慮しとこうねと話しています。
2006年03月11日
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