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1月最後の華道教室。早々と春の息吹たっぷりのゼンマイが添えられていて驚いた。ネコヤナギをメインに、『体芯D』に。ネコヤナギで体、用、留め。サーモンスナップは中間添えに。本ゼンマイ、クッカバラを根〆にあしらって、余ったネコヤナギを後ろの膨らみを持たせるためと、前のアクセントに使って。スナップには本当に色んな色があるが、名前の通り本当に綺麗なサーモン色。クッカバラは久しぶり。葉と茎の角度を生かして入れる。ホンゼンマイはいかにも春の息吹という感じに、渦の角度を変えて入れる。 段々とネコヤナギの殻が取れて白いのが増えるのが楽しみ。いかにも春という感じ。昨年10月に使ったアカメヤナギはまだまだ健在なのが不思議だけど、もしかして暖かくなれば殻が取れてしまうのだろうか。 ゼンマイも色んな種類があるらしい。これはホンゼンマイというからには日本産の品種なのだとか。先生ご自身が入れていらっしゃったのと形が違う。どうやら日本産ではないらしい。勿論生け花用だから、食用のゼンマイとはまるで大きさが違うけど、そろそろワラビやゼンマイなどの山菜?いえいえ、それには少し早いかも。 朝はいつ雪が降ってもおかしくないような冬空だったのがうって変わって、本当に綺麗な青空。その分また夜には冷え込むのかなぁ。昨夜、炊飯器に残っていたご飯に気がつかず米を研いでしまったから今日は炊き込みご飯にしようと思ったけど、やはり鍋が良いのかなぁ?
2007.01.31
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今朝の冷え込みようと言ったら車の上が真っ白になってるし、夫が出勤するときに水をかけておいてくれたフロントガラスにはうっすらと氷が。ウソ?ここは南あわじ市なの?午前中をハローワークへ。お邪魔したときにアンケートを書いたら、わざわざ郵送してくださったお食事券の使用期限が明日までとあって、帰りに立ち寄った松葉寿司さんでお昼を頂くことに。お食事券は3枚。なので夫に連絡を取ってみたけど仕事で手が離せないというし、友だちは勿論突然の誘いには乗れないということで一人。満腹感と、余りにもお天気が良いので気になっていた梅林へ車を走らせてみた。綺麗に整地されているし、ちゃんと駐車スペースもある。梅の蕾はすっかり膨らんでこのままだといつ開いてもおかしくないような。でも開花まではもうちょっとかかりそうかな。諦めかけて車に戻ると、何と、赤いのが目に入り近づくと、ヤエカンコウ(八重寒紅)の札が。なるほど真っ赤な八重咲きの梅が。思わず、“梅一輪 いちりんほどのあたたかさ”と木に近づいてみる。ほんのりと梅の香を漂わせている。思い切って来て良かった♪
2007.01.30
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次の診察日は2月6日となった母の手術日は一体いつになるのか、今のところまるでわからない。せめて暖房が要らなくなる季節になってからでは駄目なのかと切にお願いしたいところだけど、急激に痛みが襲うかも知れないと医師は言うし、痛みのことはまるでわからないから、やはり母次第ということになる。実のところ、3月には予定があるし、夜の泊り込みはまだまだきついものがあり、暖かくなってからだと申し分ないのにな。と、昨日コンサートの帰りに実家へ行っての帰りだろうと思われる兄の車とすれ違ったので、私は手を振ったのに全く気がつかない様子。家へ着いた頃を見計らって兄に電話をしてみた。 大体86歳にもなる母を一人住まいさせていること自体に問題がありそうな。兄が結婚と同時に家を出た頃は私は大阪に居た。祖父が健在だったから大人ばかり3人の暮らしが続き、母は一人で家事と自分ができる範囲の農業をこなしてきた。 兄一家にはなるほど事情があって、実家の様な田舎には住めない。父が逝き一人暮らしとなった母の足代わりに動くのは必然的に私かタクシーということになってしまう。元気な一人暮らしなら何も心配しなくて済む。ところがいつになるやらわからない手術の必要性を迫られると、とても複雑な気持ちになる。術後の1週間は絶対安静状態で、完全看護の病院ではないから家族の付き添いが必要になる。しかも深夜の排便介助。これはかなりきついものがある。付き添うのが嫌とかではなく、せめて暖かくなってからに。というのは単なる私の我がままなんだろうか。 「お金出したら誰でも来てくれる!」兄の捨て台詞には驚くばかり。付き添う方が病気になりそうな悪条件の下での介助を頼まなければならないのに、そんな風にしか考えられないのかと情けなくなってしまう。県の介護保険の担当をしているといっても役人は役人なんだ。と残念で仕方が無い。いっそのこと、家政婦さんたちに根回しして「誰も行きません」という返事をするように仕向けてやろうかしら。なんて思ってしまう。お金で片付く問題じゃないのに。今までは母の妹たちや、父の妹が一番大変なときを助けてくださった。一人ではとても続かない。今はその妹も一人逝き、末の妹ご自身も病気を抱えている。父の妹にしてもやはり股関節を入れ換える手術をしているから無理は頼めない。やはり、痛みに襲われることがないならばピータイルの上でも平気で寝られる時期まで手術を待って欲しい。
2007.01.29
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「地元の方の」コーラスを指導してくださっている先生とか、一昨年の「第九」を指導してくださった先生たちのグループと思しき、「淡路オペラグループ」によるコンサートの今日は二回目。本当に盛りだくさんの歌、楽器の演奏などで本当に楽しませてくれた。一部は「日本の歌」と題して、「ふるさと」をメインに、色んな情景を思い描きながら堪能させていただいた。他にも勿論ソロがあったりで、どの曲も情感たっぷりに歌い上げる部分には、私自身も大いに勉強させていただいた。二部は「オペラの世界」と題してオペラの数々の中からそれぞれの先生が一番お気に入りと思われる曲を披露してくださった。ときにはオペラの1シーンを思わせるような演出があったりして、のびやかな歌声にウットリしてしまった。オペラというと勿論原語での歌が多いのに、モーツァルト作曲『コシ・ファン・トッテ』より「ああ、ご覧、妹よ」は日本語に訳されていて、とても面白かった。共に「第九」のときには素晴らしいご指導をしてくださったけど、本当にお二人の実力以上のものを発揮できたのでは?と思うような仕上がりを感じさせてくださった。淡路島にもこんな立派な演奏家がいらっしゃるんだ♪中学校や高校で実際に教鞭を取られているのだそうで、私には実に羨ましい限り。 「叱られて」は清水かつら作詞引田龍太郎作曲の昔懐かしい童謡というイメージがあったけど、幅広い音程のとても難しい歌だということを思い知らされた。歌ってくださったのは、「地元の方の」コーラスを指導してくださっている先生。また、第二部の一番はじめに、ちょっと男の子っぽいいでたちで現れ、モーツァルト作曲歌劇『フィガロの結婚』より「恋とはどんなものかしら」を。他にも先生たちの見事なステージ衣装には目を見張るばかりだったけど、ドレスとはまた違った、こんな感じも素敵。また、一人だけ和服姿に文庫の帯。こういうのもハッとさせられてしまった。流石、先生!お見事でした♪
2007.01.28
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携帯も何もかも調理室の隣の和室へ置いたままだったし、正午を合図に帰宅予定だった為、盛り付け画像はありませんが、淡路くすの木学級閉講式のお手伝い。午前中だけのお手伝いと約束していた為、肝心の午後からの式典へは参加出来ませんでしたが、ノートテイクということで調理室へいざ集合。栄養士さんから、今日作るお料理の説明などがあり、調理開始。午前10時に始まった午前の部。献立はゆずしめじご飯、豆腐とひき肉のハンバーグ、ほうれん草と長芋の梅和え、コーンスープ、甘納豆かん。と盛りだくさんなのには驚いた。参加者、手話通訳ボランティア、そして私たち要約筆記通訳ボランティアなど均等に6つのグループに分かれ、先ずは手洗いを徹底して作業にとりかかる。◆ゆずしめじご飯。。。材料は、米、酒、しめじ、ゆず。米を研いで水気をきっておく。しめじは石突を取り除き、ほぐしておく。酒、みりん、醤油を合わせた鍋にほぐしておいたしめじを加えて火にかけ、さっと火が通ったら、しめじと煮汁に分け、煮汁は炊飯釜に入れる。ゆずはかなり薄く皮を剥き、細切りにする。ご飯が炊き上がったら煮ておいたしめじと細切りにしたゆずを一部残して加えさっくりと混ぜる。残しておいたゆずはご飯をお茶碗に盛ってから飾りに添える。◆豆腐とひき肉のハンバーグ。。。材料は、豆腐、鶏ひき肉、玉葱、パン粉、牛乳、すりごま、卵、キャベツ、人参、生姜。豆腐はふきんに包んで水気を切る。玉葱は皮を剥いてみじん切りにし、油で軽く炒める。パン粉を牛乳に浸しておく。豆腐、鶏ひき肉、炒めた玉葱、牛乳に浸しておいたパン粉、すりごま、卵を加えてよく混ぜ合わせ、真ん中をへこませた小判型に形を整え小麦粉をまぶして熱したフライパンに油を引いて両面を焼く。キャベツは7ミリぐらいの幅の4~5センチに切る。人参はキャベツと同じぐらいの大きさに切り人参から先に加えて塩茹でし、水気を切っておく。生姜は皮のまま丁寧に洗って下ろしておく。だし汁にみりんを加えて煮立て、しょうゆを加えて味を調え、水溶き片栗粉でトロミをつけ、最後に生姜の絞り汁を加え、盛り付けたハンバーグにかける。◆ほうれん草と長芋の梅和え。。。材料は、ほうれん草、長芋、梅干し、かつお節。ほうれん草は洗って塩茹でし、水にさらして水気を切り、3~4センチの長さに切り揃え、みりん、醤油で味を調えて味を馴染ませておく。長芋は皮を剥いて3~4センチの長さの短冊に切る。梅干しは種を取って包丁の背で叩いておく。長芋に梅干しをからませておく。皿にほうれん草、長芋を盛り、かつお節を真ん中に盛る。◆コーンスープ。。。材料はクリームコーン、人参、若布、牛乳。人参は皮を剥いて色紙切りにし、若布は水に戻して水気を切り細切りにする。鍋に水とコンソメ、人参を加えて火にかけ、人参が柔らかくなったら、コーン、牛乳を加え一煮立ちしたところで若布を加え、塩、コショーで味を調える。◆甘納豆かん。。。材料は粉寒天、甘納豆。鍋に分量の水をいれ、粉寒天を振り入れて混ぜ加熱し、沸騰したら砂糖を加え、3分間煮る。荒熱をとり、レモン汁、甘納豆を加え、流し箱に入れて冷やし固める。 何故か私が加わった班が一番手際よく出来たのは良かったけど、さて、コーンスープが冷めてしまったのでは?という心配をよそに、私は自宅目指して一目散に移動開始。コーンスープの塩加減はどうだったのかなぁ。栄養士さんの話では、レシピの分量どおりの味が薄く感じても、薄い味に慣れて欲しいということだったけど。。。試食する間も無く慌しく会場を後にしたもので、味の程は。。。?
2007.01.28
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子どもの睡眠時間「世界最悪」というタイトルが目に飛び込んできたのは、今日付け地元紙の子育て欄。更に、母親の生活習慣影響の文字も目に付く。そのまま引用させていただきます。 『睡眠不足の子どもの脳はほろ酔いと同様の状態にあり、寝不足が続くと他人と協調できにくくなるー。国立精神・神経センター精神保健研究所室長の白川修一郎さんが、東京都内でこのほど開かれた「ねむりフォーラム」(松下電工など主催)で、子どもにとっての睡眠の重要性を力説した。 白川さんによると、米国の研究者が睡眠不足と飲酒それぞれの条件で作業能力を比較した結果、睡眠が必要量より2時間不足したときの能力は、血中アルコール濃度が0.05%のほろ酔いと同じだった。 ほろ酔い状態では集中力や判断力が弱まる。睡眠不足が続けば、意欲や感情、他人の心を推し量る能力などをつかさどる前頭葉の働きが鈍り、記憶力にも障害があらわれる。睡眠時間が短いと、食欲を促すホルモンが増加し、肥満にもなりやすい。 子どもの睡眠時間は米国より日本の方が短く、「恐らく世界最悪」。子どもの睡眠は、接触時間の長い母親の生活習慣の影響を強く受けており、遅く寝る習慣を持つ子どもを早く寝かせようとしても、挫折することが多いという。 白川さんは1、まず普段より30分早く寝かせ、定着したらさらに30分早める 2、未就学の子どもは最低10時間、就学児童も8時間以上の睡眠を確保する 3、幼い子に安心感をもたらす“就眠儀式”として、寝る前に親が本を読んだり、話をしてやったりするーよう訴えた。 「日本では、睡眠不足が子どもに与える影響についての調査が遅れている」と話す白川修一郎さん。』 これは怖い話!睡眠不足になれば、誰だって気分の良いものではない。頭は重いし、身体はだるいし。しかも、そのだるさがなかなか抜けなかったりする。眠れないのも問題だし、就寝時間が遅くなってしまいがちな日が続くと、健康面でも影響が出てしまうのはいわば当り前のことだといえる。就寝前のお子さんなら昼間にちょっと補うことも出来るけど、働いている人の場合はなかなかこうは行かない。でも、何とか睡眠時間を確保する工夫をしたい。
2007.01.28
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12月3日に行われた『要約筆記研修会』のテキストを元に、「三原則達成をめざして」という話に始終した中、現代の仮名遣いについても一度正確に確認する必要があるということになった。漢字で書くと「地面」のふりがなは「ぢめん」ではなく、「じめん」となること。何か漢字を読んだ通りに書いてしまいそうで、実は驚いた。解説では、『現代語の音韻にそって書き表わす原則と、表記の慣習を尊重した特例(助詞・四つ仮名・長音と付記)からなる』とあり、例題の中の実は私自身が納得できないままでいたものだから、解答を書いていなかった。例えば、“ひとりずつ”なのか、“ひとりづつ”なのか。私自身は、“ず”ではなく、“づ”を使って書いていた。ここでみんなに「どうして、解答を書いておかなかったのよ!」と責められてしまったけど、単に解答だけを書いてあっても、自分自身が納得できなければ、人にだって説明できない。それと、最近は、平仮名で表記することが多い“できる”という言葉。私はずっと漢字を使ってしまっていた。これも最近では殆ど使わず、平仮名の方が良いらしい。また、“子供”も最近では“子ども”が多くなっているというし、公文書などでは、“○○して下さい”とは書かず、“○○してください”となるのが普通になっているとのこと。そうそう、この“こと”だって当り前に平仮名を使うことになっているらしい。私自身は平仮名を使っていたから、実際変換するときに中々出てこなくて困ったりすることがある。そうそう、“時”も“とき”と書くようになっているらしいし、“○○の様に”というのは“○○のように”と平仮名を使うのだそうだ。頭がこんがらかりそうだけど、正確に文字情報として伝えるためにも、基本的な勉強はまだまだ続けなければいけなくなってきた。 “現代仮名遣い”は本当に奥が深い。驚くことだらけ。それだけ私の頭が古いってことになるのかなぁ。ただ、もし間違えて書いてしまったとしても、むやみに訂正はしない。ということ。人が喋っている言葉をそのまま書き表すなんてことはとてもできない。だから要約して書く。という作業が必要になるわけで、いちいち訂正なんてしていたら話についてはいけない。 初級講座で学んだ筈なのに、抜けていることの何と多いこと。先輩の皆さんと一緒になって勉強するのはとても良い刺激にもなる。まだまだこれから。でも、新たな知識を身につけるのはやはり楽しい。
2007.01.27
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1月26日付け地元紙の『正平調』の中で、『「アイ・ラブ・ユー」を夏目漱石は「月がとっても青いから」、二葉亭四迷は「私、死んでもいいわ」と訳したそうだ。』という一文を発見してしまいましたので、そのまま引用させていただきます。 『話の中で横文字を好んで使う人がいる。当人にとって、ごく自然な話し方かもしれないが、耳障りなことが多い。ごまかされているような気持ちにもなる◆安倍晋三首相もかなりの横文字派だ。8千3百1文字だった昨年9月の所信表明演説では、カタカナ言葉が109回あった。「技術革新」を強いて「イノベーション」、「開かれた」でいいものを「オープンな」。こうまで多いと、正直、鼻につく◆小泉さんは横文字にうるさかった。あまり使わないよう閣僚に指示していたが、安倍さんはどうか。塩崎官房長官が会見で、「インテリジェンス」(機密情報)」などを多用していたのを見れば、そんな指示もないようだ。だが、それでは困る◆きょうの国会で首相の施政方針演説がある。内閣の基本姿勢を明らかにするのが施政方針である、教育再生、格差是正など重要課題が多い国会だ。分かったようで分からないカタカナことばは厳に慎しみ、分かりやすい言葉を心がけてほしいものだ◆横文字で人は感動しない。揺さぶられるのは味わい深い日本語だ。「アイ・ラブ・ユー」を夏目漱石は「月がとっても青いから」、二葉亭四迷は「私、死んでもいいわ」と訳したそうだ。原文と訳文のどちらが味わい深いか、言うまでもない◆もっとも、訳し方次第で情勢が変わる。「ホワイトカラー・エグゼンプション」は、分かりやすく「残業ゼロ制度」と意訳されて逆風が強まった。しかし安倍さん、大事な国会は分かりやすい日本語でいこう。それも、美しい日本語で。』 次第にカタカナ言葉じゃないと通じなくなってしまうのかなぁ。だから世代が違うと段々意思疎通もし難くなってしまうのか、募集案内のチラシなども30歳代で区切っているところが多い。実績なんか抜きで、ただただ年齢で区切られてしまうことに嫌気がさしてしまう。仕事が出来るか出来ないかではなく、ただ“若い”というだけで採用を決めてしまうのって、どうかなぁ。と思ってしまうけど、これは単なる“おばちゃん”のひがみでしかないのかな。少なくとも美しい日本語というものにはこれからも耳を澄ましていたい。 「月がとっても青いから」。。。の後には「遠回りして帰ろう」と続く歌があったけど、元々は夏目漱石のこんな訳から生まれた歌詞だったとは。まぁ、遠まわしな言い方。。。だから私の胸のうちを察してください。というのはいかにも古風な女性を想像してしまう。はっきり言わなきゃ相手にわからなくなってしまったのは、一体いつからなんだろう。。。?
2007.01.27
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かの阪神淡路大震災でかなり岩盤に影響を受けていたせいか、先年の台風による被害が甚大だった南あわじ市灘黒岩水仙郷。昨年はパラパラだったお客様。道路に立って警備する人が3人。仕事も無くて手持ち無沙汰状態だったのが、今年は10年か20年に一度といわれるぐらいの開花なのだそう。昨日付け地元紙の地域ニュース欄で紹介記事を見つけましたので、そのまま引用させていただきます。 『好天続き+10年に1度の花盛り 淡路島の冬を代表する観光地・南あわじし灘黒岩水仙郷(同市灘黒岩)の集客が好調に推移している。先月24日の開園から1ヵ月を過ぎた入場者数は、昨シーズンに比べて約1.6倍。好天続きの天候に加えて近年にない開花の良さもあり、このまま順調に客足が伸びれば、2001年度に記録した約9万7千人に迫る勢いと、関係者は期待している。(大森 武) 同市観光課によると、開園後1ヵ月の入場者数は2万6千9百9人で前年同期の1万6千2百1人を大きく上回った。 今シーズンは晴れが続き、今月23日には、今月23日には、平日にもかかわらず入り口前の県道に入園待ちの車が30~40台連なり、臨時駐車場に誘導して急きょシャトルバスで送迎した。 天気だけでなく、花の開花も順調だ。中村義光支配人は開花状況について「10年、20年に1回見られるかどうかの状態」と話す。昨年10月まで降雨が少なく生育が遅れたが、11月以降に平年並みの降雨があって開園以降は順調に開花。今シーズンは好天の影響で開花に結びついた球根が例年より1、2割多いという。 また、同市観光協会(鳥井幸祐会長)では、今年から神戸淡路鳴門自動車道下りの淡路サービスエリアに水仙郷の紹介コーナーを設けたほか、今月23日には約3年ぶりに阪神梅田駅とJR三ノ宮駅でキャンペーンを展開し、PRに努めている。 中村支配人は「このまま推移すれば9万人は堅い。2月中旬まで見ごろなので、来園者が集中する土日の天候に期待したい」と話している。 同水仙郷でんわ0799・56・0720』
2007.01.26
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があるからと今夜は帰りが遅くなると言っていた夫。試しに提示額を聞いてみた。1万円を遥かに下回っている。今どきはこれが当り前なんだろうか。とすると、20年余りも前に勤めていた郵便局の方がずっと良い。確かに地域の繁忙手当ての関係もあっただろう。淡路島にあるどんな大きな郵便局でも端末機は2台しか無いのだから。田舎と都会の差には本当に厳しいものがある。時給などでも20年余りも前の金額を保証してくれる企業なんて、淡路島のどこを探しても見つからない。確かに、住居費は不要だ。でも、交通費として支給される金額なんてたかだかしれている。淡路島では自家用車での通勤が当り前。維持費だってかかる。走行距離に応じてオイル交換だって必要になってくる。公共交通機関なんて皆無状態で、一便乗り遅れたら最悪。2~3分待てば次の便が来るというような、大阪の地下鉄御堂筋線が本当に羨ましい。 賃金格差と、この生活面での不便さ。田舎には田舎の良さがあると言っても、こうまで格差がつけられる理由は一体どこにあるのだろう。近隣の家は殆どが兼業農家だから、飯米を買うなんてことは考えられない。家賃なんて要らないのだから確かに経費面では安上がりかも知れない。でも、支出の殆どが交通費に消えてしまう。自転車で通える範囲なんてたかだかしれている。しかも道路は危険極まりないから危なくて仕方が無い。せめて自転車通行可の歩道が整備されていれば自転車も危なくはないけど。 空気が綺麗ということは、結局な~んにも無いってことになるのかな。単に金額だけで比べると、大阪市での20年余り前にも及ばないなんて。でも、どうして組合組織が無いのが当り前。みたいなことになってしまうんだろう。これでは労働者が守られているとはとても思えない。田舎の人って本当に辛抱強いんだ。クミアイなんていうと、白い目で見られてしまいそうな。 で、夫の会社では本格的な折衝は今から。賃金闘争なんて形だけに終わってしまいそうな。まぁ、企業も労働者もそれどころじゃない。というのが本音なのかな。せめて働いただけ、流した汗が報われる制度であって欲しい。
2007.01.25
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午前中は食育についてのお話やら、美容などについての話があり、午後は「障害者自立支援法」についての勉強という予定を聞いていて、私は午後からのお手伝いに加わることに。5つのグループに分かれて貰って、それぞれのグループで話し合うことになった。障害の種類によらない共通のサービスということになるらしいけど、例えば介護保険でしか利用出来なかった施設でのデイサービス。申請しておけば入浴以外のデイサービスは利用出来るという小規模作業所が4月に立ち上がるらしい。そして、2~3月の間に案内状を出したり、個別訪問で利用に当たっての希望などを聴き、一度見学会に参加してみませんか。というのが主な内容。 何か、「障害者自立支援法とは」というのはどこへやらで、今は月に一度行われている「社会生活教室」の様な感じで、申請さえしておけば好きなときに好きなだけ施設を利用出来るということで、皆さんとても楽しみな感じ。途中から申請書を書く時間になってしまって、要約筆記通訳者はお手上げ状態。利用するのは良いけど、料金などはどうなるのか。なんてことについては全く触れられなかったけど、個別訪問で明らかにされて行くのかなぁ。 実際に、聴覚に障害があることで家に閉じこもりがちなのもわかるし、だからこそ、仲間が集える機会があるなら利用したいと思われる人が多いことにも正直驚いた。介護保険を使って施設でのデイサービスを利用したくても、回数に限りがある。要介護度によって支給される金額が違うから、支給額内で納めようとすると、人によってまちまち。回数を多く利用するとなれば、支給額を超えた分は全額自己負担になってしまう。この障害者自立支援法によると、施設サービスを利用した場合の食費、光熱水道費などは全額自己負担となっているけど、一体いくらぐらいになるんだろう。何か基準額みたいな数値は明らかにされているのかな。料金面での行き違いが無ければ良いけど。今日集まって聴いたことよりも、個別訪問のときに色んな質問が吹き出してしまいそうな。だったら、今日の会は一体何だったんだろう。。。?まぁ、一人ずつに「地域生活支援事業」についての資料は配られたけど。 午前中に参加出来なかった時間で、参加者一人ずつがキチンと眉の形を揃えて貰ったとのこと。いくつになっても身だしなみには気をつけよう。ということだったのかな?鏡って余り見ないけど、意識して見る。そして気になる部分は直す。笑顔だって歩き方だって、姿勢だって変わるかも知れない。母の歩き方も鏡一枚で変われば良いのになぁ。
2007.01.24
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母の眼科通院日。午前中に整形外科も回りたいとのたまうので、家を午前8時半に出て一旦実家で母を車に載せ、一路洲本市の眼科へ。取って返して今度は整形外科の診察予約に。友達とお茶の約束をしていたので、時間を気にしつつ整形外科の窓口へ診察券を入れて予約表に母の名前を書いて、大急ぎで約束した喫茶店へ。友達はもう到着していた。約束の時間は午前10時だったけど、さて、何分の遅刻だったんだろう。そして慌しく母が眼科医院の薬を貰う薬局へ連絡を入れて。。。結局眼科医院への到着が早かったために、友達が頼んだハニートーストを食べ終えたところで薬局からの電話。約束は11時頃までなら。ということだったのに、申し訳ないと思いつつ友達と別れ、母を今度は整形外科へ。 ここの院長先生は淡路フィルハーモニー管弦楽団のコンサートマスターでもいらっしゃる。なのでいち早く5月に開かれる中村紘子ピアノリサイタルのポスターなどが貼られているわけだ。S席8000円という数字にはちょっと驚いたけど。 今日の待合室には珍しく民放の番組がかかっていた。華々しい福澤さんの声にかき消される様に聴こえてきたのは、間違い無くモーツアルトのレクイエム。勿論全曲ではなかったけど、こういうのでも聴いていないことには待ち時間が持たない。どうかするとテレビに目が行ってしまったりするけど、母の名が呼ばれて診察室へ。私が往復した甲斐があって、正午までには診察・会計が済んで開放された。 やはり、3月中には手術をすることになりそうな。そうなると完全看護じゃないから術後一週間は誰かが付き添うことになる。暖房が切られる夜のことを考えると、付き添う側には少しでも暖かくなってからじゃないと、ピータイルの上に少しだけ何かを敷いて寝る方にはたまらない。完全武装でもしていないとやられてしまいそう。せめて予備のベッドが置かれていれば別だけど、大部屋だと付き添う者にとってはまるで地獄の様な。ただ横になっているだけだけど、高齢の母は夜中に何度も起きてしまう。本当にきつい。まぁ、痛いとか言わないだけましかなぁ。「誰かに下の世話をして貰わなきゃいけない間は少しは口を慎んで」とは言っているけど、こればかりはどうにもならない。先生は「なるべく本人が楽な方法を。」と言ってくださり、目下のところは思案中だとか。絶対安静の期間が少しでも短くなれば良いけど。。。
2007.01.23
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気にはなりつつも、やはり出たか。という感じのタイトルを見つけたのは21日付け地元紙の教育欄。更に、続発する10代の親殺し 「上昇志向から離れて」と書かれている。そのまま引用させていただきます。 『10代の子どもが親を殺傷する事件が続発している。親への反抗は思春期の子どもの“特権”だが、暴走するのはなぜか。家族問題の専門家は「個人の競争をあおり、勝者をもてはやす社会が暗い影を落としている」と話す。 「敗者が続出する格差社会で不満にいら立ち、暴力的に妻子を支配する父親が増えた」。悩む子どもや家族を援助する「日本子どもソーシャルワーク協会」(東京)主催のシンポジウムで、精神科医で岐阜大助教授の高岡健さんはこう話した。 ■連鎖する暴力 不登校の問題に取り組む高岡さんは、犯行時15歳の少年が昨年末、懲役14年の判決を受けた東京の両親殺害事件で、少年の精神鑑定を担当。「暴力的な言動で反抗を抑圧された子どもは、頭の中で父親を殺して自立することができず、実際に殺して乗り換えるしかなくなる」と説く。 同じシンポで、評論家の芹沢俊介さんは、親の離婚に注目。長男の放火で継母らが死亡した奈良の事件(昨年6月)、長男が実母の殺害を友人に頼んだ北海道の事件(同8月)には、いずれも親の離婚が絡んでいるとし、「ずっとそばにいると思っていた実母や実父を失った子どものケアを怠れば、親に捨てられたと感じ、殺意を抱きかねない」と話した。 他人を顧みず、自分の都合を最優先する近年の世相にも懸念を表明。「授乳中も携帯電話のメールに熱中するような“空洞化”した母親が増えた。“死ね”“殺す”と叫ぶ幼児が目立つのも、こうした“いるのに、いない”親の影響が大きいのでは」と述べた。 ■体験の積み重ね必要 コレに対し、「完全な母親などいない。子どもの問題行動は家族の力だけでは解決しない」と言うのは、二神能基(ふたがみのうき)さん。自室に引きこもり、通学も求職もしないニートの再出発を支援する「ニュースタート事務局」(千葉)の代表だ。 「暴力は親に向かう」と題した講演を各地で行い、内容を同名の著書(東洋経済新報社)にまとめた。「引きこもり、ニートの約二割には、親への暴力が存在する。経済が低成長で勝ち残るのが難しい時代なのに、勝ち組志向だけが脅迫的に強まり、受験戦争などでつまずいた子どもを追い詰めている」と語る。 速く親離れしたいのに、自立の道筋が見えずに焦る子どもたち。悩む姿が心配で、いつまでも子離れできない親たち。そんな家族が煮詰まると、親殺し、子殺しの危険が高まるという。「子どもたちが一人暮らしするか、私たちのような他人を家に入れ、上昇志向に凝り固まった家族をほぐさないと、突破口は見えない」 同事務局では、引きこもる若者をスタッフが繰り返し訪問し、自立の足掛かりをつくる。地域と連携して介護、保育などの仕事体験の機会も提供。「親への暴力は、上ばかり見て空転する若者の悲鳴。実体験を積み重ね、勝ち組を目指さない生き方に気付けば、彼らはきっと動きだす」「世の中の数%しか勝ち残れない現状では、完ぺきを目指さない“60点主義”が大事」と二神さんは話している。』 学校の教室での殺傷事件などがあると、卒業出来ることが奇跡なのかな?などと思えてしまう昨今。自分の身は自分で守る術を知っておくことはとても大事なことだと思う。せめて、朝になったら起きられる。起きられた自分を褒めてあげる。そしてそのことを続けるだけでも随分違うと思うけど、何も出来なくなってしまった人には朝起きることがとても苦痛だったりする。でも、体内時計を元に戻す工夫をしないと益々深みにはまりそうな気がする。
2007.01.22
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8月4日開催と決まった「淡路音楽祭」。文化方面にはことごとく予算が削られ、とうとう県からの補助は1円もまかりならぬ。ということに。何か、学校の授業からも音楽、美術といった芸術科目は消えて無くなってしまうという話も出て驚いた。受験には関係ないからだとか。一体、日本の教育はどうなってしまうんだろう? 当面は3月17日に開催する「淡路合唱祭」に向けての準備が第一の目標になるけど、この会場費だって、前回とは比べ物にならないという。1時間千円計算で、前回利用したときは4千円で済んだらしい。それが、何と!今回は1時間7千円だと提示されたらしい。エッ?そんなまさか。前回使ったのは何年前だっただろう。せいぜい2~3年前のはなしなのに。4町が合併されて南あわじ市になった途端にこんな状況に。一体何のための合併だったんだろう。 元々淡路島自体が、スポーツ関連施設とかクラブとかには熱心にお金を出すのに、文化面にはどうしてお金が出ないんだろう。文化に貧しい島だからこそどうにかして演奏会を開き、普段耳にしないような音楽を聴く場を作ろう。というのが目的だった筈なのに。 それにしても、千円と7千円では余りにも違い過ぎる。基準は一体どこにあるんだろう。それとも、千円が間違っていたということなのだろうか。音楽活動に自治体はどうしてこうも非協力的なんだろう。 それなら手作りの、例えば体育館で。ということになるんだろうか。日曜日だからって体育館を借りるのもなかなか大変だと思うし、体育館はスポーツクラブの練習で予定が詰まりきっているだろうし。。。 それにしても、学校の授業から音楽が消える?んなバカな!
2007.01.21
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ハム仲間が所有するアパートは、先年の台風でかなりな被害を受け、やっと改築工事が済み新しい入居者も決まったからと、お披露目会に招かれた。というより、名目は一応竣工祝いということにして気の合う仲間の飲み会といったところ。 シェフの最初の目的はイノブタステーキと、イノブタ鍋。ということだったし、料理人が居るから、その人に任せて楽しもうということだった。ところが。。。開始30分前に着いても全くその気配無し。しかも、ステーキの積もりで用意されていたイノブタを、鍋用にと削ぎ切りにしなきゃいけない。勝手知ったる他人の家というわけには行かないけど、ここは男性陣が頑張ってステーキ用にカットされたイノブタを綺麗に削ぎ切りにしてくれた。女性陣は野菜の用意。白菜、椎茸、春菊、長ねぎにエノキ。アッ!豆腐を忘れてる。では買出しに。携帯用のコンロにカセットボンベをセットして。。。あら?ボンベの予備が。。。兎に角鍋なんだから土鍋にある程度のお水を入れてセット。沸騰したところに同量の料理酒で溶いたお味噌を加え、肉から加えて煮込むだけ。たったこれだけなのに、コクが出て野菜の美味しいこと。 そして宴もたけなわ。予定ではお寿司などもテーブルに並ぶことになっていた。ご飯物が全く無かったので、また買出しに走ってくださった人が居る。閉店時間までにはかなりの時間があっても、お寿司の部門はもう店じまい間近。なので購入出来たのは一人用の盛り合わせを4個。 集まったメンバーの中には、バイオマス広報活動に熱心な方がいらっしゃって、同時に日本の竹問題についても熱心に研究していらっしゃる方も加わり、一大討論会よろしく、会は大いに盛り上がった。例えば、暖炉に竹を薪代わりに使うことで、環境にも優しい暖房になるし、拡大する竹林を整えて行くことは竹による自然災害の発生を防ぐことにも繋がる。海に流れ込む水が綺麗でなければ魚は棲めなくなるのであれば、森林を保護し、竹林の環境を整えることがとても大事なことになるし、自然に優しいエネルギーはそのまま環境にも優しい。全国に広がりつつある竹の増殖にやられてしまった山々を元に戻そうという動き。国土保全というのは本来はこういうことなんじゃないかと。 というわけで、お料理の内容にはガッカリだったけど、話の内容に大いに盛り上がった祝賀会となった。 極めつけはただ8つ切りにしたトマトに添えられた大根サラダ。レタスがあると綺麗ねぇ。という声にレタスを用意してくださった施主の奥様、そして、余っていた大根で素早くサラダを作ってくださった女性。更に大根の葉っぱを手際よく塩もみして即席のお漬物を作ってしまった男性。ここまで料理人が揃うと何とかなるもの。皆さん、お疲れ様!
2007.01.20
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1月13日(土)より開講予定だった、洲本市社会福祉協議会主催の要約筆記養成講座が中止となり、急遽サークルのステップアップ講座に変更された。で、午後1時30分からというので、私には初めて向かう建物だったし、少し早目に家を出たつもりだったけど、やはり渋滞に引っかかってしまう。右折しようと思っていたのをうっかり真っ直ぐ走ってしまったのが間違いの元だけど。 養成講座で使ったテキストとかスケジュール表とかを点検したり、結局『三原則』速く、正しく、読み易く に尽きるということ。また、養成講座を開く場合の講師の育成にも力を入れて行きたい。ということで、誰でも動ける体制作りに向けて、模擬養成講座と言う形で、自分たちでスケジュールを立ててみよう。ということになった。 初心者の私が加わること自体、おこがましい感じだったけど、第一回目のステップアップ講座は、そんなことを確認してお開き。 積極的に参加してみたのは良かったけど、講師のお二人以外は私を含めて三人という少なさ。これでこれから一体どうなるんだろう。。。確かに、センター試験が始まって、それどころじゃないお母さん方もいらっしゃるわけだけど。まぁ、ボランティアというと、出来るときに出来ることを。が原則。まぁ、私だって全10回参加出来るとは限らないけど。
2007.01.20
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たまたま昨日見学に行った、都美人酒造株式会社の協力を得て美酒を造ると題して“With Awaji”には其の弐として精米の巻が掲載されていましたので、そのまま引用させていただきます。 『日本酒のできるまでのお話を都美人酒造株式会社のご協力を得てシリーズで掲載しています。 基本的に酒造りの米と飯米用とは全く違うものと前回述べましたが、食べて美味しい米は酒造りには適していません。何故かといえば米の表皮にはアリュウロングレンと言って1、脂肪 2、たんぱく 3、灰分 4、繊維質 5、ビタミン類が含まれていて、これらは食べて美味しく栄養素も高いわけですがお酒にすると雑味や嫌な香り、そして色が悪くなります。これらを除く為にも出来るだけ精米をして中心にある心白(でんぷん質)に近付けます。しかしながら酒造好適米はとても高価。むやみに削るのではなく目的とする品質や酒質を決め精米をしていきます。 私たちが食べている飯米は玄米から10%ほど糠で捨てますが、これを酒造用語で精米歩合90%といいます。長家は普通酒でも精米歩合70%。精米機で約7~8時間精米し、実に30%も糠を削ります。酒造りはお米が白ければ白いほどいいお酒が出来ると言われます。大吟醸にもなりますと精米歩合40%。これはもう三昼夜精米機を回しっぱなし。それはあたかも真珠のように真っ白い美しい米粒になります。これだけ時間を掛け精米しますと、相当水分も少なくなりますので約一ヵ月「枯らし」と言ってじっくりと寝かせます。これにより摩擦によって失われた水分を取りもどし、熱も放冷します。珠玉の大吟醸はこの辺から手間ひまがかかってまいります。』 小さい小さい粒だから、普通にお米を研ぐような洗い方をしていたのでは米は潰れてしまうので、ネットの様なものに入れて大切に大切に手洗いするのだそうで、それも冷たい水。極寒の中での作業は大変だと思う。 飲む側もこの辺のことがわかっていないと、造り手に失礼な気がしてしまう。で、削り取られた白い粉などはちゃんとお菓子工場へと送られるのだとか。恐るべし、日本酒!
2007.01.20
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地元淡路島三原地区が誇る都美人酒造株式会社さんのメルマガ担当者=ハム仲間からご案内をいただき、天秤絞りの見学に行ってきました。画像は、チラシからの引用で私が携帯を近づけて撮ったものなのでイマイチ良くありませんが。実際にあの石の塊を見たら誰でも驚きそうな。全重量は8トンと聞いたけど、さて想像が出来るでしょうか。 今夜は午後8時から「楽しい方の」コーラスの練習があり、車に乗る時間までには酔いを醒まさないといけないので。と、午前9時には酒造会社へ到着する様に家を出てひたすら歩く。中学生たちが通学路に使っている部分を実際に歩いてみて驚いたことは、社屋の広いこと、広いこと。いつもは車で通り過ぎるので気はつかなかったけど、一体社屋の端から端までは一体何キロあるんだろう。という様な。。。だから移動には自転車が欠かせないのだとか。これにも納得。 また、精米の度合いは普段私たちが普通に食卓に上るご飯とまるで違う。まるでまんまるの様な。だから精米には3日もかかるのだとか。真っ白い宝石といった感じに精米された米を実際に見せていただいたけど、美味しいお酒になるにはやはり原料に磨きをかけて。というのも納得出来る。 時間の関係で実際に画像の様な形を目にすることは出来なかったけど、100年前の技術を復活させた、この天秤に使われている木そのものは何と九州から運ばれて来た樫の木だと聴いてまた驚いた。美味しいお酒を造るために、この天秤絞りの設備を復活させた皆さんの情熱も凄いし、3年の歳月を費やしても是非!と復活させてしまった心意気が凄いと思う。また、こんな会社が自宅から歩いて行ける距離のところにあることも、とても誇りに思う。
2007.01.19
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14日の講義時間変更を知らされないまま大学へ着いたら既に。。。ということで受け直し。時間変更通知が無いまま結局郵便局で調べて貰う手続きをしたけど、その間にもそれらしい封書は届かず。郵送途中亡失?もしくは投函されていない?まぁ、どちらにしても気を取り直して授業開始。 あくまでも本人が独立した一人の人間として自分の人生を探求していくのを援助する総合的カリキュラムなのであって、就職斡旋であってはならないということ。 生涯設計というとライフサイクル、例えば幕末の儒学者佐藤一斎は一生を70歳として、30歳までを(視)=現象を見る=広く浅く=表相。50歳までを(観)=本質を見る=何が正しいのかを見極める=実相。70歳までを(察)=全体の実装を把握=全相=人生の味わい深い人。という風に捉えている。「小にして学べば、即ち壮にして為すことあり、壮にして学べば、即ち老いて衰えず。老いて学べば、即ち死して朽ちず」だから人間一生勉強なんだよ。また、「一灯をかかげて闇夜をいく。闇夜を憂うるなかれ、ただ一灯をたのめ」と、人のせいにしてはいけないというような意味に捉えたけど、どうなのかな? また、ドイツの哲学者ニーチェは人生の30歳までを(ラクダの時代)=知識を貯蔵。50歳までを(ライオンの時代)=奔放に戦う。70歳までを(幼児の時代)=天使のように。と例えていたということ。「老いては子に従え」というのと意味は違うと思うけど、ある意味子供時代に戻った様な気になるというのはありそうな。でも、それより遡って、お母さんのお腹から生まれる前に戻りたい。というのはある意味自殺願望かも。と聴くとドキッとさせられる。何もかもを否定してしまうのではなく、やはり誤りを正す時期があっても良いのでは?というのは甘いのかな?以下はレジュメからの引用です。 『 1、ライフキャリアに関する正しい自己理解を促す。 2、ライフキャリアデザイン・キャリアプランなどキャリア開発の支援を行う。 3、職業選択、キャリアの方向性の選択、意思決定の支援を行う。 4、キャリア目標達成のための戦略策定の支援を行う。 5、キャリアに関するさまざまな情報提供の支援を行う。 6、よりよい適応、個人の発達の支援を行う。 7、動機づけ、自尊感情の維持と向上の支援を行う。 8、キャリア不安、葛藤など情緒的問題解決の支援を行う。』 単に、就職斡旋が目的ではないということ、前向きな考えを支援するためのものだということ、いかにキャリアプランに必要な情報を正確に得ることが大切か、ということがわかった。そして、課題は自分の人生のいわば設計図を表にしてみること。これは日曜日に貰っていたので、自分なりにこれからのことを考えながら書き上げて提出したから、後は修了論文に集中しなきゃ。
2007.01.18
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年末以来、今年になって今日が初めてのお稽古。まだまだ松は十分元気だけど、そろそろ雰囲気が変わっても。ということで毎月第二・第四水曜日を稽古日に充てていたのを、お正月の花は長持ちしそうだからと先生が一週間延ばしてくださった。そして、今日の花材は雪柳をメインに、赤いチューリップと綺麗な紫色のアゲラタムを中間添え、根〆に。雪柳は枝ぶりを楽しむ感じに、今日は体を思いっきり横に倒し、用を芯にする用芯Aという形に。チューリップを三角形に入れた間へアゲラタムをチューリップとは反対に左側に1本入れることでバランスよく。アゲラタムの葉、チューリップの葉を添えて出来上がり。何かとてもすっきりまとまった感じ。一足先に春が来た様な♪ 実は先日、何故かフォト管理へ入れない日があって、それから何だか調子が悪い。昨日から今日にかけて、お気に入りからは自分のサイトへ入れない。そんなにアクセスが多いんだ!と、待ってはみたけど相変わらずのコメント。考えを改めてYahooで検索してみたらすんなり入れた。コレって一体。。。? 楽天といえば、実は地元の中学を卒業した人(お祖父様はハム仲間)が入団を決めたチーム。今期の活躍を大いに期待したいところだけど、まさかその応援メッセージが。なんてことは。。。?
2007.01.17
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15日付け地元紙のオピニオンのページに『あ・ん』というコラム欄がある。折りしも12年前の1月17日は阪神淡路大震災の日。新聞各社はいとわず、テレビなどでも阪神淡路大震災について取り上げられることが多くなったけど、こういうことも必要なんじゃないかな。とふと思いましたので、そのまま引用させていただきます。 『「淡路屋」は神戸・和田岬の下町にある。歳月を重ねた小さな食堂の中は、不思議な作りだ。左右の壁に沿って細長い畳敷きの腰掛けがあり、その上に狭い木の食卓が3つずつ。4人と4人が向かい合わせで座る。 「話がしやすいようにしたらしいです」と、店を切り盛りする伊藤由紀さんが説明してくれる。 約50年前、祖母の代で創業。造船所の人たちが集う食堂だったが、1994年末、会社勤めなどをしていた伊藤さんがクレープも始めた。直後に震災。町の被害は大きかったが、この建物は何とか持ちこたえた。 それから11年、今も夕方から店に出る祖母と母との三世代で支える。「クレープはOL向けのはずやったのに、昼間は子どもばっかりで」と笑う。ソース付きのたこせん20円、コロッケ80円、凍ったミカン缶詰半分50円・・・。10円の駄菓子もたくさんある。 「もうからなくても楽しい。下町の子は人懐こくてかわいくて。年の違う子も仲良く遊びます」 小学生の女の子がやって来た。「宿題は?」と伊藤さん。「ようけあるねん」。するとタコ焼きを待つおばあさんが「昔はなかったで」。「ええなあ!」「けど、お小遣いもなかったよ」 伊藤さんたち大人は優しいだけではない。食べ物を粗末に扱ったりしたら、遠慮なくしかる。 「先生でもない親でもない」人の目があり、たった10円でずっといられる子どもの居場所ー 町の本当の豊かさはこういうところにあるのだと、100円のクレープを食べながら教わった。(編集委員・松岡 健)』 配食サービスの仕事に携わっていたとき、いつも子どもたちで賑わっているお店があった。子どもたちの間には子どもたちなりのルールがあったみたいで、あれもこれもと店番のおばさんを困らせたりしない。誰かがおばさんと話しているときは、じっと待ってあげる。たったこれだけのことだけど、最近忘れている人が居るのじゃないかな。『順番』てある意味大事なルールだと思う。
2007.01.16
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8日付の地元紙総合欄の中の『人』で全国高校ラグビー大会で二度目の優勝を果たした東海大仰星監督・土井崇司氏のことが紹介されていました。そのまま引用させていただきます。 『普段の冷静な表情が、とびっきりの笑顔に変わった。二度目の全国制覇。「選手を褒めたい。最高にうれしい。前回優勝はぼーっとしていたが、今回はガッツポーズをした」と笑みがはじけた。 大阪・金岡高から東海大へ進学。司令塔のSOだった。全国的な選手ではなかったが、指導者としての方針もそのポジションさながらの理論派だ。外国のラグビーをまねるのではなく、常に独自の練習法やプレースタイルを模索してきた。 洗練されたラグビーを知りたいと、北海道から沖縄まで多くのチームが訪れる。全国大会が開催されている間でも、他校と合同で練習を実施。「来る者は拒まない。自分のチームを放ってしまうことになるが、楽しさを知ってほしいから」 自己分析ではしつこい性格とか。大好きなラグビーのためには、妥協を許さず、時間を惜しむことはない。今大会期間中の平均睡眠時間は4時間。対戦相手のビデオを分析してきた。 ラグビースクールを主宰し、小中学生への普及にも努めている。ラグビーの魅力については「とにかく面白い。常に新しいことを考えることができて、想像力をかき立てられる。子どもに自主性や判断力をつけるには最高」と熱く話す。 家族は孝枝夫人と小学3年の長女を筆頭に二女一男。「夫としては役に立っていないかな。ラグビー以外では、子どもの顔を見るのが唯一の楽しみ」。座右の銘は「一心不乱」と「ひたむきに」。保健体育教諭。大阪府出身。47歳。』 出身が大阪府でいらっしゃることも私には親しみを覚えてしまう。また、優勝後の一番最初の言葉が、「選手を褒めたい。」というところに惚れ惚れしてしまった。また、「想像力をかき立てられる」、「自主性や判断力をつけるには最高」といった言葉が何か、勉強以外でももっと人生の役に立つことがあるんだよ。と仰っているように思えてならない。高校でもラグビー部なんて無かった田舎だから、身近なスポーツと捉えることが出来ない私だけど、判断力という点は、サッカーとかと共通しているのかなぁ。一人では出来ないスポーツというところがまた素晴らしい気がする。
2007.01.15
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私にだけ時間変更の連絡が無かった。だから昨年貰った予定表どおり午後1時15分開始だと思い、随分早い目に大学へ着いた。階段を上がると、何故か講義をしている学長の声がする。恐る恐るドアを開けると、いきなり学長が、「ホラ、時間を間違える奴がおる」とのたまう。何のことやらさっぱりわからない。今日の資料を頂いて、前回の講義の課題を提出して。。。講義終了間際だったから、座っていた時間は、高速バスの比ではない。あほらし。片道1950円プラス160円もかけて通ってきてコレだもんなぁ。講義が終わって、他の人に尋ねてみる。何と、昨夜変更のファクシミリが届いたのだそうな。それでまぁ、よく都合がついたものだ。半年以上も前から予定は組まれているのに、そんなに突然の変更だったのだろうか。 最近、地元紙の投書欄にも年賀状がいつもより少なかったとか、毎日5~6枚ずつ配達されてくるとか、今頃になって配達されてくるとかの投書が目につく。どうしてこんなことが起きてしまうのだろう。 学長が出したと仰るなら、それでもう後はユ101で事故調査を頼むしかない。日曜日は駄目なのだそうで、月曜日、母を整形外科へ連れて行ったら早速郵便局へ行ってみようと思う。どこの郵便局で差し出されたものかは、郵便局の人に尋ねてもらうことにして。 講義は木曜日は午前9時から。出直すしかない。でも、何とか木曜日までには変更通知のことをハッキリさせたい。着いた、着かないは普通郵便では有り得ることかも知れない。でも、自分自身のウッカリのせいで時間を間違えた。だなんて言われるのは心外だ。一体何のための『臨床福祉心理士』の勉強なんだろう。。。バカみたい。 (写真を貼り付けたいけど、今メンテ中とのことで。。。)
2007.01.14
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10時38分最寄りバス停発の高速バスに乗り込んで、神戸へ向けて出発。なもので、言い訳ばかりですが、この辺で。。。来てくださった皆さんのところへもお伺い出来ない日が続いていますが、本当に申し訳ありません。 授業は午後1時15分から、最寄り駅が兵庫から徒歩12~3分のところの大学での今日の講義は「キャリアカウンセリング」。講師は学長という予定になっています。では、詳細はまた帰宅しましてから。。。
2007.01.14
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はばたけ若人! かがやけ わが都市!として、今年も華やかに「神戸フィルハーモニック」のニューイヤーコンサートが開かれた。いつもと違って何か熱気があるのは、共演された神戸市立平野中学校・吹奏楽部の皆さんのご家族が客席にいらっしゃったから。納得!実は、加古川に次いで明石市へと回り、私には3会場目となる神戸文化ホール。神戸駅へ着いた時点で既に開演10分前。タクシーをお願いして辿り着いたのは、私には初めてのことだったけど、既に1階は満席と伝えられ、階段を上がる。ステージに向かって左側の適当な席が空いていてホット胸をなでる。やれやれ。これならフルートの藤原さんの姿がバッチリ。いえいえ、決して演奏者の皆さんを観に来たのではなく、あくまでも音を聴きにきたのですから。。。 歌劇「ウイリアム・テル」序曲より「スイス独立軍の行進」で幕を開ける。凄い、凄い演出。開演と共にこの行進曲が鳴り響く。という感じ。ただ、残念だったのは、演奏が既に始まっていても席を探そうとウロウロされる人がいらっしゃること。それだけならまだしも、鈴の音を鳴らしながら遠慮もせずに堂々と入っていらっしゃる。邪魔な音をさせないで!と叫びたいぐらいだったけど、そうすると演奏会にならないのでじっと我慢。小物に鈴を。というなら演奏会のときには遠慮願いたいもの。こんなにあの鈴が邪魔だと思ったことはありません。 演奏会の最後はワルツ「美しく青きドナウ」確かに1部のチャイコフスキーのバレエ組曲「白鳥の湖」からセレクトされた4曲も素晴らしかったけど、この「美しく青きドナウ」にも感動させられた。そして極めつけは、あのアンコールの「ラデッキー行進曲」何故か、一昨年の暮れの「第九」を思い出して涙が溢れてしまいました。 共演された平野中学校吹奏楽部の皆さんとの グリエール バレー組曲「青銅の騎士」より抜粋曲と「大都市への讃歌」これはもう、ブラス大好き人間の私にはたまらないほどの響きでした。中学生の皆さんにはこれからもずうっとブラスバンドを続ける機会を持って欲しいな。皆さん2年生でいらっしゃるから、これから受験に向かって大変な時期もあるだろうけど、何か一つ続けて欲しいな。
2007.01.13
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高校の名前は聞きそびれてしまったけど、折角加古川まで行って神戸へ戻るのだからと、急に思い立って義父には妹に当たる方のお宅へお邪魔することに。加古川駅で西明石までの切符を買って新快速に乗り込む。時間的に、最終目的地は神戸文化ホールの座席に午後2時には着席していたい。ギリギリだったけど、ここは勇気を振り絞って。。。加古川でお昼を済ませておいたのは正解だったかも。 そんなに長居は出来ないと思いつつ、加古川のヤマトヤシキでかったお菓子を手渡し、暫く話し込む。それにしても脳梗塞で倒れられた叔母の元気なこと。本当に寝込んでいらっしゃったのが嘘の様な。そして、おもむろに、「観て!」とテレビ画面に目をやると、卒業記念演奏会の、丁度叔母には孫に当たる人の部分だけをダビングしたのを観せてくださった。何か、表情の付け方が凄い。これで高校生?と思うけど、全国大会レベルで3位に入賞なのだそうで、叔母夫妻にはご自慢の孫ということになる。この後の、「神戸フィルハーモニック」のニューイヤーコンサートでは、中学生たちのブラスバンド部が共演されるとかで、中高生たちの活躍には本当に期待がもてる。 でも、高校を卒業されたということは。。。エッ?今からが受験?実際には経験が無いもので、そこまで話を進めることは出来なかったけど、きっと進学先の話も出ていたんだろうなぁ。場所柄もあるし、私自身が子育て未経験ということもあって受験生を持つご家族の大変さというものがイマイチわからないからかな。ごめんなさい。でも、これから先も頑張って欲しい。姉妹揃っての演奏会が開催されるとしたら、真っ先にチケットをゲットしなきゃ。
2007.01.13
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心の故郷を訪ねてと題して平山郁夫展が開催されているのは、ヤマトヤシキ加古川店。場所はわからなくはないし、会期が15日までとあっては行かないわけには。と、少し早目の高速バスに乗って舞子で下りれば。。。と段取りしていた。お天気は良かったし、歩くには最高。といっても駅前だから歩くというほどの距離でもない。これが明石市文化博物館(?)(歴史?)だったら少しばかり歩くことになるけど。 『「私の原点は瀬戸内の風土である」。広島県豊田郡瀬戸田町(現尾道市瀬戸田町)に生まれた平山郁夫画伯の感性は、瀬戸内海の穏やかな自然と風土にはぐくまれた。といっても過言ではありません。四季折々、朝夕刻々と変わる空や海がみせる色彩豊かな表情から、あの固有色が生まれたのです。 静かなたたずまいの瀬戸田は、経済発展とともにその姿を変貌させます。中でも「しまなみ海道」の開通(1999年)によって、島の生活は大きく様変わりしましたが、平山がはくは、優しい眼差しで新旧の美しい景観をとらえています。 また、広島で被爆したこともあって、平和を願う祈りにも似た気持ちから、仏教がもたらした日本文化の源流を求め、シルクロードに心を寄せています。さらに、アフガニスタンやカンボジア、北朝鮮などアジア各国の文化遺産の保護活動にも尽力しています。 本展は、1997年に開館した平山郁夫美術館の特別協力のもと、その所蔵品の中から、初期の作品や、こよなく愛した故郷を描いた素描の数々、さらに「心の故郷」ともいうべきシルクロードを主題にしたほ本制作など合わせて52点を展観し、「平山郁夫の原風景」を紹介するものです。』と、案内チラシには書かれている通り、懐かしい風景にも出会うことができる。素描に色を施したという作品をこんなにも沢山目にすることが出来る機会は滅多と無いのではないかな。確かに、尾道へ行けば出会えることなんだけど。南あわじ市からだと加古川がせいぜいなもので。
2007.01.13
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あれは母を眼科医院へ送って行った日だから、火曜日だった。母を乗せるときには無かった傷が、連絡を頼んでおいた眼科医院隣りの薬局から電話を貰い、母を向かえに行こうと車を見たら、傷が入っている。エッ?ってことは、隣りに停めた人の仕業。大体、タイヤホイールに傷が付いていないのに、こんなところに傷を付けるなんて。たしかにへこみは無い。人間で言うところのかすり傷だけだから運転に支障をきたすわけじゃない。でも、コツンぐらいの音では済まなかったと思うのに、どうして喫茶店から黙って走り去ってしまったんだろう。火曜日のことを、今更ほじっくってもどうしようもない話だけど、夫が見るに見かねて修正ペン宜しくペイントを施してくれた。白い車だから、黒い傷はちょっとでも目だってしまう。この傷の付き方では狭い所を無理矢理すり抜けようとして付いたものじゃない。 お気に入りだと思って入っていた喫茶店。いつも人気だから満車状態。 以前は、ちょっと長目にお喋りに夢中になっている人にはだまぁってほうじ茶をサービスしてくれた。それがまたタイミングが良くて、惚れ惚れしていたのに、駐車場での出来事とはいえ、こんなことがあるとやはり、お客さん全体の品位を疑ってしまう。残念だけど、二度と行きたくない店ということになってしまう。。。
2007.01.12
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というには余りにもおこがましいけど、兎に角、1月31日で終わってしまう、「南海淡路ライン」=人だけでも乗れるというフェリー=大阪泉佐野港と淡路島津名港を結ぶルート。3月25日に行われるという高石市での「第九コンサート」。往復をどうやって移動しようかと迷っていた私は、取敢えず行ってみることにした。岩屋からだと船そのものは終夜運行だけど、駐車場に問題がある。いつものバス停を少し西へ行った所からだと、大阪・難波直行便というバスが出ていて、最終が何故か三ノ宮発午後11時30分。これは便利だけど、同じバスに座ったままで2時間余りというのは、身体的にもきつい気がして。 午前10時8分発の高速バスに乗り込み、三ノ宮そごうで叔母さん宅へ持って行くお土産を買って、阪急で梅田へ、そして地下鉄御堂筋線で難波へ。南海電車で高石市へ。歩く距離も結構あるけど、叔母さん宅へ付いたのは正午を30分ちょい過ぎ。これなら難波直行バスになんか乗るより、乗り換えて行った方が楽だ。歩くのは平気だから、ずうっと座りっぱなしなんてのより身体にも良さそうだし。料金は確かに割高になるけど、ここは身体のことをまず第一に考えたい。 叔母の家にはお嫁に行った、理学療法士の孫娘さんが叔母のリハビリをしていた。丁度良い!といったらおかしいけど、早速母のことを相談してみた。叔母も股関節を入れ換えるという手術は経験している。でも、この孫娘さんのお陰で立ち姿も綺麗だし、歩き方も全く普通。母とはまるで違う。このことも実は羨ましくて仕方が無い。いつも必要なときに必要なケアが出来る人がそばにいらっしゃるというのは、こんなにも違うものか、と思う。 今回、介護認定を受けるに当たってそれこそ5年ぶりに訪れた整形外科医院。当初、先生はかなり困った顔を見せたらしい。意見書にはどのように書いてくださったのか、全くわからないけど、なるべくなら母に有利な様に。。。?まぁ、それは家族の意見であって、医学的にはどうなのかはわからない。 もし、手術を勧められたにしても家族の同意が無ければ手術は出来ないこと、なるべくなら触らずに、手摺りを付けるとか、何らかの住宅改修という方法で、母の負担を軽くすることを考えた方が良いのでは?という、そのお孫さんの意見に従いたいと思う。入院生活が長引けば長引くほど、高齢の母には負担になるだろうし、全く環境が変わってしまうことは、退院後の生活にも影響が出てしまいそうだし。リハビリに通わなければならないなら、私が通院に付き添って。。。 さて、認定審査員たちがいつ母に面談に来るのか、15日以降でないとわからないけど、母自身もなるべくなら手術は避けたい様子。骨折の様に何ヶ月間かすれば元通りになる。というものじゃないだけに、極端な環境の変化は避けたいところ。 私自身はスポーツ方面はまるっきり駄目人間だったから、スポーツをしていて骨折。という経験はないけど、スポーツが好きで好きでたまらない人が怪我で、そのスポーツを断念せざるを得なくなってしまうということ。そして、見守ってくださった医師たちのお陰で、「今度は私が」と思わせしめたその医師たちのお人柄もさることながら、その孫娘さんの強い意志で叔母さんが守られていること、母にも適切な指示をいただけたこと、またこれからも色んなことを教えてくださいね。と叔母宅を後に出来たこと。高石市へ行ってみて、本当に良かったと思う。 午後8時からは「地元の」コーラスの練習があり、叔母とはゆっくり話も出来なかった感じだけど、それでもおぜんざいを頂いたし、結構な時間お邪魔していたことになる。せめて、高石駅じゃなく、羽衣駅が最寄駅だったら急行が停まるんだけどなぁ。。。でも、帰りは堺駅で特急に乗り換えることが出来たし、スムーズに帰れたと思う。午後5時10分三ノ宮発の高速バスが目標だったから叔母の家を出たのは午後2時半過ぎ。なのに、午後4時40分発のに乗るのに十分時間があったのだから。レールで繋がってるってのは本当に凄い!
2007.01.11
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というタイトルを見つけてギョッとしたのは、8日付の地元紙のくらし欄。アトピーのことにも触れられていたけれど、糖尿病進行、妊婦も注意なんて副題が付いている。そのまま引用させていただきます。 『少し前までは歯槽膿漏(のうろう)と呼ばれていた歯肉の病気「歯周病」。現在は口内にいる複数の細菌による感染症であることが分かっている。 経験的に、糖尿病になると歯周病が進み、歯ががたがたになって抜けたりすることが知られていたが、「細菌は糖尿病だけでなく、肥満や骨粗しょう症などが歯周病を悪化させること。またその逆に、歯周病が全身の病気に悪影響を与えることが分かってきた」と大阪大歯学部臨床教授の野村慶雄さんは指摘する。 健康なときは、歯と歯肉の溝は2~3ミリだが、歯周病になると4ミリ以上に開き、その間に「プラーク(歯垢・しこう)」と呼ばれる細菌の塊がすみ着く。 通常、口の中は3百~4百種類の細菌がいるが、このうち、約1割に当たる30~40種類の細菌が歯周病を起こすとされている。 歯周病が進行すると、炎症部分から歯周病菌が血液の中に入り、全身を回り、動脈硬化をはじめ、さまざまな悪影響を体中に与えることになる。 「糖尿病の人が歯周病になると、糖尿病を悪化させるほか、妊婦の場合は早産や低体重児出産の可能性が高くなる」と野村さん。 このため、糖尿病などの病気を治療する際、歯周病がある場合は、歯周病の治療も一緒に行うことが大切だ。治療の効果が一段と強まることが分かっている。』 少し前に、プラークに含まれる細菌の中には、インフルエンザウイルスを呼び込み易い=大好きな菌があることに驚いたけど、やはり口の中を清潔に保つことの大切さがここでも言われている。細菌の宝庫なのだから、良いのもいれば悪いのもいる。細菌の総てを死滅させる。なんてことは無理なのだし、唾液の中には身体を守ってくれる成分も含まれているとなれば、やはり粉物など、柔らかい物を硬い食事に変えるだけでも違うのかな。いたずらにおやつを食べないこともかなり有効な気がする。歯を守ってしかも健康に良いなら、食べる物にも気をつけなきゃ。
2007.01.10
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地元紙の社会面にシリーズで載っている、気が付けば家族だったというシリーズの7回目が載ったのは、もう8日の月曜日のことになるけど、■虐待の傷というタイトルが気になったので、そのまま引用させていただきます。 『昨年10月、三田市内であった里親の会合で、神戸市の前島良一さん=仮名=は、明石市の松山清さんに語った。 「専門里親になろうと思っています」 児童虐待を受けた子どもを里子にして育てる専門里親は、兵庫県の養成課程を受講しなければならない。 2003年度から始まったプログラムで、前島さんは「児童福祉論」など8科目の通信講座を終え、次は約1週間の施設研修に臨む。県内の専門里親は10人しかいない。 05年度に兵庫県内の自治体が受けた児童虐待の相談は、約千6百件。虐待を受けた子どもの心の傷は深い。 「しっかり勉強せんと対応できへん」。前島さんを突き動かすのは、里親としてかかわる浩介君=仮名=への思いだ。 「どないや。お母さんのこと覚えてるか」 前島さんは一緒に湯船につかりながら、小学5年生の浩介君に聞いた。昨年秋のことだ。 「1年生のころ、九九を間違ったら頭をたたかれた。縄跳びを連続百回できへんかったら、鉛筆で耳を突かれてん」 「そうやったんか。よう辛抱したな」 子どもに虐待を思い起こさせるのは、酷かもしれない。でも3年間、月に1回食卓を囲み、風呂で裸の付き合いを続けてきた。そろそろ本当の気持ちを聞いてもいいかなと思った。 「母さんに会いたいか?」 浩介君は視線を落とすと、投げやりに答えた。「どっちでもええわ。ちょっと怖いし」 前島さんも詳しい事情は知らない。関係者から聞かされたのは、浩介君と弟が母親の虐待を受け、弟が亡くなったこと、母親は今も服役中だということ。浩介君は弟の存在を覚えていないこと。 冬の午後、前島さんと浩介君はいつもの公園に向かった。 2人でサッカーボールをける。「浩介!ちゃんと正面にボールを返せよ」 「ははは、ごめんなさ~い」 屈託のない笑顔を振りまき、息を切らす浩介君。けり返すボールが次第に強くなっていく。 そういえば最近、母親から受けた頭の傷を指さし、「はげてるみたいで恥ずかしい」と打ち明けてくれるようになった。 浩介を支えたい。 前島さんの中で気持ちが膨らんでいく。 前島さんは養護学校を3年前に定年退職した。今は時間を見つけて、ボランティアで児童養護施設に顔を出す。 里親を始めたのは5年前のこと。家族を説得し、手探りでのスタートだった。 淡路島での幼少期、貧しい生活の中で育った。「大変な境遇を経験した子は目や表情を観たら分かるんよ」 ひょうひょうとした語り口が熱を帯びる。 「母親が刑を終えて迎えに来たとき、浩介は受け入れられるだろうかと思うんよ。その土台作りを手伝いたいんよね」』 耳を鉛筆で突くだなんてこと、どうしてわが子に出来るのだろうか。浩介君に笑顔が戻り、正面からサッカーボールに取り組むように、お母さんと向き合える日がくることを願ってやまない。また、こうした取り組みをされる専門里親が県下には10人しかいないということもちょっと残念。それにしても、子どもたちを守るのは親の務めだと私は思っていたけど、虐待をしてしまう親は一体どうやったら。。。?きっと親も苦しんで、もがいているんだと思う。刑に服する間に、色んなことが見えてくるとは思うけど、どうか繰り返さないで!と願うしかない。
2007.01.10
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今日は母に振り回された一日だった。午前中を眼科医院へ、午後からは整形外科へ。といっても眼科医院での診察中はお気に入りの喫茶店でくつろいでいたし、昼食を一緒に食べてから母を整形外科へ送りつけておいて私は一旦自宅へ戻って洗濯物を取り込んだり、仏様のを下げて片付けたり、夕食の準備をしたり。。。とちょこっと用事を済ませてもう一度車に乗り込んだのは午後3時半を回っていたかな? 午後の診察は3時半からだから、診察が始まる頃に家を出たので十分だと思っていたので、よもや一人でバスで帰るなんて時間ではないだろうな。と恐る恐る待合室へ。すると、母が今にも診察室へ入ろうとするところだった。ヤレヤレ。 実は連休明けということもあって、眼科医院の診察も予定より大幅に遅れ、昼食を外食で済ませて整形外科へ入ったのは午後2時前。それでも午前中に受け付けた診察が終わっていなくて、待合室で何人もの人が待っていらっしゃる。受付の順番取りの名前を書いたのは6番目だったかな。待たされるのは皆さん分かっていらっしゃるみたいで、随分早くから午後の受付を済ましていらっしゃるのには驚いた。 待合室ではテレビで相撲の放送が始まっている。それでもかすかに聞こえてくるのは、確かにあの、ウィーンフィルの音色だ。拍手喝采の音だってちゃんと入っている。院長先生は音楽好きでいらっしゃるから、入院患者さんのためのBGMにと先日の放送をちゃんとビデオに録っていらっしゃったのかな。流石!まぁ、相撲の放送と一緒だから、あの「ラデッキー行進曲」にワクワクしていたのは私だけかも知れない。 そりゃそうだ、皆さん身体のどこかが痛くて診察やらリハビリに来ていらっしゃるんだもの。でも、相撲放送のテレビも程好いボリュームだからこそ、BGMを耳にすることが出来た。母は横で、「琴欧州が二敗になった!」と叫んでいたけど。オイオイ、自分はどうなのよ、手術しなきゃいけないかも知れないって、さっきまでショボンとしてたのに。琴欧州のことなんかより、自分のことでしょうが。 「5日ほどしたら来てください」と仰った先生の指示に、土曜日にするか、月曜日にするか散々迷ったけど、私の我がままで月曜日にして貰ったのは良くなかったのかなぁ。。。土曜日は前からコンサートの予定だったしなぁ。 ってことは、琴欧州のことで叫んでいた母のことにあきれてしまった私も私かなぁ。高齢の母の足にメスを入れるなんて判断を先生はなさらないのでは?というのは甘い考えなのかな?今日は炎症止めの注射をして、後は湿布での結果待ち。ということだったらしいけど、術後10年だからなぁ。かなり人工関節の部分が磨り減っているのは隠し様もない事実のようだし。手術ということになれば、本人の体力の問題かな?まぁ、メスを入れるのは避けられたとしても、通院の回数が増えることになるんだろうなぁ。なら、結論を急いだ方が良いのかなぁ。5日後って、月曜日じゃ駄目なのかなぁ。もう、母には『月曜日』ということにして別れたけど。。。
2007.01.09
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12月は16日に開催予定だった勉強会を1月に延ばし、併せて新年会ということで、午前10時38分最寄バス停発の高速バスに乗り込んで一路神戸・三ノ宮へ。会場へは一番乗り。やれやれ。 目の前に美味しそうなお菓子が盛られたトレーが並び、ビールが飛び出し。。。先ずは乾杯で始まり、続いて簡単な自己紹介。皆さんどなたもかなりITにはお詳しい方ばかり。で、私はというと、昨年7月にNECシニアITサポーター養成講座を受講したばかり。印刷屋勤務だったときにもPCとは全く関係ない部門での仕事だったから、PCを触ると言えば毎日の更新ぐらいのもの。こんな私がITサポートなんて。とも思うけど、「シニア」世代の、全くの初心者を何とかPCに親しんで貰うきっかけになれば。ということで。 11月から12月にかけての「PCを使って年賀状を作ろう」という講座のお手伝いに参加させていただいて、不安ながらもキーの位置とか、操作の順番とかわかる範囲で一緒に。という形で私自身も学ばせて頂く感じだったけど、これからはそうは行かない。 高齢者、障害を持つ人も隔たり無くPCに親しめる様に、ということが求められる。あくまでも初心者が対象。ということにしていても、ある程度までは操作出来る人。全く一からの人が一緒になると、やはり授業が前に進まない。わかる人は先へ先へと進もうとする。でも、分からない人にとっては、何がどうなってるのかがわからない。噛み砕いて説明しても、納得されるまでには時間もかかってしまう。ある程度分かる人にとっては退屈でしかない授業かも知れないけど、初心者にとってはついて行くのに必死。 だから、単に「パソコン教室」といってもやはり受講生のレベルをある程度一定とした上で募集をかけて貰わないと、少し使い慣れた人にも、全くの初心者にもつまらない授業になってしまう。私がサポート出来る範囲のことなんてたかだかしれているけど、勉強会には参加して、兎に角、PCを使える楽しさみたいなことを伝えて行けたらと思う。甘いかな?
2007.01.08
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12月30日付け地元紙の文化欄に講座「21世紀文明を考える」からの9回目として、いおきべ・まことさんのこんなタイトルがつけられた文を発見しましたので、そのまま引用させていただきます。 『世界と日本 21世紀を発展する土台は20世紀。まずは簡単におさらいしよう。 20世紀を戦前・戦後に分けると、戦前日本は一勝一敗といったところ。産業革命による科学技術を背景に列強諸国が世界を再分割する中、非西洋社会として初めて近代化を成し遂げた。外来の文明を保つことは、日本人の素晴らしい習性。これは遣隋使(けんずいし)・遣唐使の昔から、中国に対して行ってきたからだ。 しかし成功後はよくない。外に学ぶのは得意でもリーダーとして各国を導くことは未経験。日本に続けと立ち上がったアジア諸国を植民地化し、銃剣で抑えつけた。結果、中国に共産党を台頭させ、アメリカの極東進出を促すことに。いずれも日本陸軍が最も避けたかった事態だが、阻止すべく力み過ぎたために招いた悲劇だ。 そして戦後。世界秩序を守るため、二つの大きな仕組みができた。一つはプレトンウッズ協定による国際経済システム。戦後の日・独が暴発したのは、技術力はあるのに資源がないという“持たざる者の正義”を振りかざしたから。この自由貿易体制があれば我慢できたかもしれない。もう一つは国連だが、これは米・ソの対立などで常に有効とはいかなかった。 そんな中で日本は、国防では大国アメリカの庇(ひさし)を借り、経済発展に全力を注いで、世界で最も格差のない豊かな民主主義社会を築いた。合わせて遅れた国には、政府開発援助(ODA)などで国造りを支援。これは立派な実績だ。先に敗戦日本は一勝一敗といったが、戦後を含めると二勝一敗といいたい。 しかし冷戦終結後、世界秩序はいたるところで綻(ほころ)び始めている。プレトンウッズも国連も盤席ではなく、核拡散防止条約(NPT)体制も怪しくなってきた。最大の問題はグローバリゼーション。唯一の超大国となったアメリカの主導で、経済も情報も国境を越えて広がる大津波の中、のみ込まれて潰(つぶ)れそうなくにが多くある。すると自国の伝統やアイデンティティーで対抗しようという動きが出てくるのは当然。宗教や民族の対立が各地でよみがえってきている。 東アジアについてみれば、経済発展の渦巻きから取り残された北朝鮮が荒れている。それが当面の大問題。また急速に台頭してきた中国の動向も懸念される。 日本としては今後、日米同盟と日中協定を両軸にして進むべきだろう。アジア太平洋の秩序としてASEANやAPEC、六カ国協議などがあるが、どれも決定打ではない。大きな話は日米中でつける。この三カ国の首脳会議を定例化するとよい。それが実現すれば21世紀も何とか乗り切れる。 (12月21日、県立神戸学習プラザ、まとめ・平松正子) いおきべ・まこと 1943年西宮市生まれ。京大大学院法学研究科修士過程修了。神戸大学名誉教授、ひょうご震災記念21世紀研究機構研究調査本部長、元日本政治学会理事長。専門は日本政治外交史、政策過程論、日米関係論。06年8月、第八代防衛大学校長に就任。著書に「米国の日本占領政策」「日米戦争と戦後日本」など。』 仲良く。とはそんな生易しいものではないかも知れないけれど、手を携えて平和への道を歩んで行きたいし、またそうでなければ人間として余りにも恥ずかしい気がする。
2007.01.08
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「題名の無い音楽会」の放送2000回を記念して、先月から本当に豪華な出演者によるガラコンサートが開かれている。今日は、カリヤザキさんと共に猫談義から始まった。何か以前私が飼っていた猫と似ている気がする。カリヤザキさんもフジコさんも猫が大好きなのかな? さて、やはりテレビは手の動きまで映し出してくれるから好き。生にはかなわないだろうけど、流麗というのか、響きが違うというのか。。。この音に導かれてピアノに触ってみたい。と思われる人は多いんじゃないかな? それにしても、とある女子大学の構内に、こんなオケが載っても全然狭さを感じさせないホールがあるだなんて。。。もう、私はそのことだけでも羨ましくて仕方が無い!
2007.01.07
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自分のことに精一杯で、テレビの番組欄にも目を通していなかった為、帰宅してテレビを点けてみて驚いた。何と、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートの様子が華々しく放映されている。何で?と、番組表を観ると、始まったのは午後3時15分!エッ?そんな。と思うも、既に午後5時前。そんなこと知ってたらテレビにかじりついとくんだった。 お昼を一緒にと、○ーソンで母が好きそうなお寿司を買って、粗供養と、膳先の盛り籠に入っていた中から母が好きそうな果物を。一緒に食卓についてちょっとだけ話して帰りにスーパーで買い物して。。。だったから既に午後2時近くにはなっていた。 来客中だったため、少しばかり雑談して、テレビどころではなかったし、一人のときは大抵大好きなさださんのCDを聴いているし、手は寒中見舞いを兎に角14枚。書き上げなきゃと思っていたから、尚更テレビなんて。。。書き終えて切手が足りないからと、おもむろにスーパーへ。そこで元職場の管理栄養士さんと雑談にふけり。。。 なわけで、気がついたときには、「美しく青きドナウ」の演奏が始まっていた。惜しい!でも、「ラデッキー行進曲」が聴けただけでも良かったかな? 演奏される人も、指揮者も、それから会場の人たちも、本当に楽しそうな笑顔で聴き入っていらっしゃる。日本みたいに、しゃちほこばったりなどしていない。これぞ演奏会って感じで、何かそのことが本当に羨ましく感じられた。日本も、こういう雰囲気にならないかな?
2007.01.06
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地元紙の暮らし欄に『夢の家を作ろう』というシリーズがあって、12月30日付の12回目はカーテンについて述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『快適な室内を考える上でインテリアは重要ですが、カーテンは後回しにされることが多いようです。窓のサイズが決まったら、建物やインテリアに合うカーテンについて検討を始めてください。 最近は、窓のサイズや形もさまざまな種類があり、どんなカーテンがよいのか迷ってしまいます。そんなときは、閉めた状態のカーテンを“壁”と考えてイメージします。「壁全体の面積のどのくらいを占めるのか」「どう見せたいか」などに思いを巡らせながら、取り付ける高さと幅、色や生地を決めましょう。 カーテンは意外に重量があり、カーテンレールを取り付ける壁には補強が必要な場合もあります。最近はブラインドを好む人も増えていますが、条件は同じと考えてください。工務店や設計者には希望するレールやカーテンなどを伝え、壁の補強についても相談しましょう。 次に、窓から入る光の量と、そとからどう見えるかを確認します。室内から外の風景が見えるということは、当然ながら外から室内も見えています。道路に面した部屋の場合は、防犯の観点からの注意も必要です。 例えば、暑い時期にレースのカーテンだけにしてしまうと、特に夜間は照明を付けた室内が丸見えになります。レース生地の中には、外からの光は通しても、中の様子は見えにくい製品があるので、そんな生地を選ぶといいでしょう。 ところで、夏は熱を遮り、逆に冬は熱を取り入れるなど、太陽とはうまく付き合いたいものです。それには、窓の向きと季節を考えてカーテンの使い方を工夫することで対応できます。 例えば、夏には薄い生地を2、3層に織った物を選んだり、太陽光の入るすき間をなくすような取り付け方をしたりします。それによって窓ガラスとカーテンの間に空気の層ができ、外気温が遮断され、冷房の効率が良くなります。 カーテンはオーダーメードになるため、縫製や加工に時間がかかります。以上のような点を一つ一つクリアしながら、引っ越しの日に間に合うように計画を立ててください。(OZONEコンサルタント・堀内優子)』 例えば、子育てには日当たりのいい南側が良いとか、落葉樹を植えることで夏は日を遮り、冬は葉が落ちて日光を取り入れ易くする。などといった工夫は、確か中学校3年生の家庭科の教科書に出ていた気がする。中学校の3年間で学んだことをそのまま家庭に持ち込めば、それこそ良妻賢母の出来上がりな気がする。木工の時間なども少しだけあって、簡単なコンセントの修理なども実習にあった気がする。男子の様に、大工さん、建具屋さん顔負けの様な工具は使わなかったけど、作図するところ(立面図・平面図)から始まって、花瓶敷きを作ったことを覚えている。ならば、わざわざ大学で専門に学ばなくても、これで十分家庭の主婦はこなせそうな気がする。それが今、受験には関係ないからとないがしろにされているらしいけど、生きて行く上で、やはり衣・食・住ってとても大切なことなんだから、知識を身につけておくことは一生の宝になる気がする。
2007.01.06
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確かに、毎食豆腐ばかり食べては居られないけど、マーガリンに含まれる、トランス脂肪酸のことを薬剤師さんに聞いて、何だか怖くなってしまう。結局、『カタカナ食から...ひらがな食へ』ということになりそうな。いつも相談に乗っていただいている薬剤師さんが、体に良い食治の話!!として、こんな例を挙げていらっしゃった。 『パン......→ご飯、ラーメン......→そば、スパゲティ......→うどん サンドイッチ→お握り、スープ...→味噌汁、ハンバーグ.....→がんもどき』などなど。 『ドレッシング...→三杯酢、ソース→醤油、ピクルス.........→ぬか漬け ミルク...→豆乳、アイスクリーム→かき氷、ケーキ.........→まんじゅう』などが挙げられている。やはり和食に限るという様な。あの、珈琲に入れるミルクなどにもトランス脂肪酸が含まれていると聞いてびっくり。私はブラックが好みなので、家では買わないけど、たまに入れるときがあるので、何だか怖い。それでなくても、クッキーには必ず含まれるマーガリン。パンには何も塗らないからと、クッキーをおやつに食べていたのでは何にもならないのかなぁ。 究極は成長期が過ぎてしまった大人には食べ物など無用なのではないか。と仰るむきもあるとかで、これには驚いた。ちゃんと腸内細菌が必要な栄養素を作ってしまうらしいけど、食べ過ぎるから変な病気になったりするんだ。と仰る。食べ過ぎて太り過ぎて、その結果がメタボリックシンドロームなら、やはり食べ物が入る口も少し上品にした方が良いのかなぁ。。。 ただ、急性白血病などについては、高電圧の送電線の近くでは可能性は高くなるし、プラスイオンが身体には良くないとかで、その一番は何とホットカーペットなのだとか。では、やはりこたつに火鉢が身体には一番優しいということになるのかなぁ。 それなら、身体に悪いとわかっていて、何故メーカーは対処しないのだろう。やはり病気になった方が悪い?ドロボーに入られた方が悪いみたいに? また、トランス脂肪酸については、個々でどうぞ検索なさってみてください。
2007.01.05
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今日付け地元紙の『正平調』に、歴史小説で名を馳せた池波正太郎さんのこんなエピソードが述べられていましたので、そのまま引用させていただきます。 『作家の池波正太郎さんは、「総菜日記」なるものを長くつけていた。その日に食べたものを並べただけで、例えば昭和42年12月9日は、こんなふうだ◆「昼12時 鰤(ぶり)の塩焼き、葱(ねぎ)の味噌(みそ)汁、香の物、飯。夕6時 鶏(とり)のハンバーグ、グリーンサラダ、鰤の山かけ、大根とアサリの煮物、飯。夜食11時 更科(さらしな)の干しうどん」。昼の項には、ウイスキー・ソーダ(2)とあって、なかなか細かい。冷や酒(茶碗2)なんて日もある◆奥さんが献立を考えるヒントにするためだった。池波さんは家にこもって仕事をした。気分転換の意味でも食事は大事にしたい。だが、三度三度、頭を痛める奥さんはたまらない。それなら過去食べたものを並べ、お気に入りに丸印を入れておけば参考になる◆ここで終わらないのが食通の食通たるゆえんだ。自分でつくる。とりわけ冬の池波流「小鍋だて」は絶品だ。底の浅い小さい土鍋に、酒3水7の割合で煮立て、アサリのむき身と白菜を入れて、火が通ったらさっと引き揚げ、ポン酢で食べる◆刺し身にした後の鯛(たい)のアラを強火で焼き、身を崩して、豆腐とミツバを混ぜて似る。小鍋だては煮すぎてはいけない。具材も2、3品でいい。手際よくつくり、さっと食べる。お相伴の奥さんの笑顔が浮かんでくるようだ◆「おふくろの味」には、思い出がつまっている。毎年正月のお雑煮が典型だ。張り合う必要はないが、「おやじの味」があってもいい。不器用な手つきは、ひと味違う形で、子どもたちの記憶に残るだろう。』 簡単で、しかも美味しいとあれば、作らない手はありませんね。今夜あたり。。。どうでしょう?
2007.01.04
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ハム仲間に暮れから誘われていたコンサート。チェロの音が再び生で聴けると思い、誘いに乗ることに決めていたので、夫と義母が出かけた後に、私はまるで方向違いへ移動することに。ハム仲間のお宅に集合して、車1台に乗り合わせて行こうという段取りだった。 会場は、日本自由メソジスト教団 岩屋キリスト教会。ハム仲間が仰るには牧師さんとは親しいということでコンサートの誘いがあったらしい。しかも、「チェロ」を。ということだった。会場は少し小高い丘になっていて、坂道を歩いて上る感じになる。何か、女声のソプラノとおぼしき歌が聞こえる。と思ったのは、実は「地元の方の」コーラスを指導してくださっている先生の声だった。部屋へ入ったときには残念ながら、もう先生は歌い終えたところだった。そんなぁ。 改めてプログラムに目を通すと、第一部、第二部に別れている。第一部は午後1時から「楽興のひととき」と題して、~~音楽を志す若き仲間たちの歌と演奏を!~~ということで、ソプラノ独唱、フルートアンサンブル、ピアノ独奏などの演目が並べられている。第二部は「バロックの饗宴~チェンバロを囲んで」とある。チェロなんてどこにも書かれてはいない。バロックということでチェンバロが何と徳島から持ち込まれたらしい。そして、リコーダーとヴァイオリン、ヴィオラダ・ガンバという楽器が加わって「リコーダー、ヴァイオリンと通奏低音のためのトリオソナタ イ短調」(G.phテレマン)、ヴァイオリンが抜けて「リコーダー、オブリガートチェンバロと通奏低音のためのトリオソナタ 変ロ長調」(G.ph.テレマン)の演奏が続き、チェンバロ独奏で「クラヴサン曲集より“スキタイ人の行進”(J-N-P.ロワイエ)。最後に4人が揃って「リコーダー、ヴァイオリンと通奏低音のためのトリオソナタ ト短調」(A.ヴィヴァルディ)。続いてアンコール曲の演奏の後、4人の伴奏で「賛美歌298番・信頼」を会場全員で歌ってお開き。 チェンバロの音が教会の天井の高い空間に響き渡る。やはり、ピアノとはまるで違う。淡路島でこんな生演奏が聴けるだなんて思ってもみなかった。しかも教会という限られた空間で。最初は、「どこがチェロやねん!」なんていぶかしく思った自分が恥ずかしくなった。4人がそれぞれ素晴らしい演奏家であること。1人呼ぶだけでも大変なのに、明石海峡大橋を渡ってでも来てくださるということ。リコーダーのあの哀愁を帯びた音色、指使いの技などにもウットリさせられてしまった。また、この演奏を聴きたいからと、わざわざ姫路市から駆けつけられたお客様もいらっしゃったみたいで、本当に驚いた。演奏会の後の茶話会は時間の関係もあり失礼して私たちは会場を後にしたけど、こうした演奏会を企画された人、会場を盛り上げてくださった人たちには感謝の気持ちで一杯。しかも、聴きに集まられた人も、品がある。妙なところで拍手なんかしないんだもの。
2007.01.03
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2日未明の電話にただならぬ予感。兼ねてより入院中の義母の妹が他界された。二度目の電話に直ちに病院へと走った義母と夫。既に間に合わなかったらしい。夫からの電話でお〆を外すことになってしまった。玄関と、二つの倉庫の扉と、お墓が二つ。 叔母を襲ったのは『急性白血病』。77歳ということもあり、抗癌剤の投与は行われなかったらしい。義母にとっては、三人姉妹の二人を失ったことになる。義母が一番親しくしていた末の妹が亡くなって、昨年9月に三回忌を終えたばかり。義母は三姉妹の長女だから、順序がまるで逆になってしまった。お住まいが元南淡ということもあり、少しばかり疎遠であったにしてもやはり義母にとって妹との別れというのは、どんなに寂しいことだろう。高齢だから両親と別れるのはある程度覚悟は出来ていたにしても、妹が先にでは余りにも寂し過ぎる。高齢で高血圧症でもある義母にとってはかなりの痛手だと思う。何とか、心穏やかに過ごして欲しい。正直、叔母の冥福を祈るというより、義母がこれからも元気で居て欲しいと願うのは嫁の身勝手というものだろうか。。。?打ち合わせとかで、夫と二人先ほど出かけて行ったけど、自身の妹の供養の為にも、どうか義母には元気でと願わずには居られない。叔母には、これでやっと楽になれたんだ!と思うことにしたい。どうぞ安らかに。。。
2007.01.03
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家政婦さんの扱いをした挙句、離縁を迫るという息子の話が耳に入ってきた。確かに肺癌で余命も限られていると分かった上での結婚だったけど、今になってその後妻さんに離縁を迫るというのは、一体どういうことなんだろう?散々病身の父親の世話をさせておいて、その父親が逝って何年になるだろう。平成元年だったから十七回忌は済んだことになるのかな?仏様の守、墓の守をきちんとこなしてこられた人を、何故今になって放り出そうとするのだろう?確かに、その息子さんにしたって娘さんにしたって父親の後妻として入った彼女とは義理の親子という関係になるけれど、一度は母親として頼ったこともあるだろうに。二人とも淡路島には住んでいないから、何かとその義理の母親に頼らざるを得なかった筈なのに。どうしてそんな話が湧き上がってきたのか私には全く納得が出来ない。なさぬ仲とはこんなにも怪しいものなのか、考えさせられてしまう。 私だって、子をなしたわけじゃないから夫が居なくなってしまったら、一体どうなるんだろうという不安はあるし、いっそのこと実家へ。なんて気は無いでもない。実家には母親一人しか居ないのだし、足代わりの車だって誰かが運転しなきゃいけないわけだし。なんて思うこともあるけど、そんな話は冗談の上だけの話としておきたい。 義理の息子も娘も大阪府暮らしだから、独居高齢者となって18年が過ぎたことになる。結局は家の守だけの役目でしかなかったのかなぁ。確かに、他家へ嫁いだ娘さんにしても、嫁いだ先での生活が第一となってしまう。 今になって何故?という思いを拭い去ることは出来ない。総てはお金が絡んでいるのだとしたら、父親の面倒を看させるだけ看させておいて。ということになるし、人のことを一体何だと思っているんだろう。お互い「お願いします。」で始まった結婚ではなかったのだろうか。父親の介護の為のみの結婚なら、そんなの余りにも人を馬鹿にしていることにならないだろうか。。。?
2007.01.02
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“咲きましておめでとう” というわけではないけれど、先日水仙の蕾をやっと発見した我が家。いつ咲くかと楽しみにしていたら、新年を迎えた今朝、やっと蕾が開いてくれた♪ 改めまして、皆様新年明けましておめでとうございます。本年もどうぞ宜しくお願いします。この冬は例年に比べると暖かい筈なのに、どういうわけか水仙の開花は遅れている。水仙にとっては肝心なときに寒かったせいだろうか。何だか、11月の方が寒かった気がする。流石に10月には鍋が恋しいなんてことは無かったけど、12月に入ってから却って暖かくなった気がする。一つだけ水仙の蕾を発見したときは今にも開きそうだったのに、寒波のせいで遅れてしまった。家の中で育てているわけじゃないので、雨も風も容赦なく当たってしまう。それでもやはり蕾が開いてくれると、何だかワクワクする。しかも、今日は元旦。何かこの日に合わせて咲いたかの様な。 実は大晦日になって大慌てで携帯の機種変更をしたもので、どんな画像になるのか全く予想もつかなかったけど、前のに比べると大きく写ってる。ただ、まだまだ機能が全部把握出来ていなくて、戸惑ってばかり。手に馴染む頃にはまた機種変更しないといけないのかなぁ。家にいても圏外になる場所があるから尚更電池の消費量が多いみたいで、充電していてもメールを受信するとまた赤いランプが点いていたり。なので思い切ったは良いけど、慣れるまでは四苦八苦しそう(笑
2007.01.01
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