お腹がくちくなったら、眠り薬にどうぞ。
歴史探偵の気分になれるウェブ小説を知ってますか。 グーグルやスマホで「北円堂の秘密」とネット検索するとヒットし、小一時間で読めます。北円堂は古都奈良・興福寺の八角円堂です。 その1からラストまで無料です。夢殿と同じ八角形の北円堂を知らない人が多いですね。順に読めば歴史の扉が開き感動に包まれます。重複、 既読ならご免なさい。お仕事のリフレッシュや脳トレにも最適です。物語が観光地に絡むと興味が倍増します。平城京遷都を主導した聖武天皇の外祖父が登場します。古代の政治家の小説です。気が向いたらお読み下さいませ。(奈良のはじまりの歴史は面白いです。日本史の要ですね。)

読み通すには一頑張りが必要かも。
読めば日本史の盲点に気付くでしょう。
ネット小説も面白いです。 (2019.06.26 19:27:36)

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2019.06.26
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カテゴリ: 60歴史

いよいよこの「日本の古代史」の紹介も今回で最終回となりますが、自分自身にとって紹介をするためにと新たに読み込みんでいくと、いろいろな新しい発見に結びついてきました。もとより、歴史が好きなだけなのですが、最近は縄文時代から弥生、古墳、飛鳥時代までの時代と奈良以降平安時代までの大きく2つの時代群に魅かれますね。歴史の見方にはいろいろな楽しみ方があるのでしょうが、歴史を通して「この時は自分だったらどう判断するのだろうか、自分だったらどう行動するのだろうか」と考えてみることにしています。歴史上の登場人物があることに遭遇した時「こころの変化など」を読み解いていくのも推理ドラマを自らが体験しているようで楽しいですね。




~奈良・平安時代略年表~



710 年元明      平城京遷都

712 年元明        太安万侶が「古事記」を奏上する

713 年元明      諸国に「風土記」の編纂を命じる

718 年元正      藤原不比等らが養老律令各 10 巻を選定する

720 年元正      舎人親王らが「日本書紀」奏上する

724 年聖武        聖武天皇が即位する / 陸奥国に多賀城を築く

729 年聖武      長屋王が妻子とともに自害する ( 長屋王の変 )               
      
光明子が聖武天皇の皇后となる

735 年聖武        吉備真備、玄昉が唐から帰国

737 年聖武      天然痘で藤原四兄弟が相次いで亡くなる

740 年聖武        藤原広嗣の乱、聖武天皇の行幸始まる、恭仁京造営

743 年聖武        墾田永年私財法を制定 / 大仏建立の詔を発する

749 年孝謙        陸奥国で黄金が発見される

749 年聖武      聖武天皇が孝謙天皇に譲位する


752
年 聖武       東大寺廬舎那仏の開眼供養が行われる

754 年 聖武      鑑真が東大寺に戒壇を設置する

756 年 聖武      聖武天皇が崩御

757 年孝謙      橘奈良麻呂の変が起きる

764 年称徳      恵美押勝 ( 藤原仲麻呂 ) の乱

764 年 称徳      道鏡が太政大臣禅師に任じられる

770 年光仁      称徳天皇崩御、道鏡が下野国薬師寺別当に左遷

784 年桓武      長岡京遷都

794 年桓武      平安京遷都


802
年桓武      坂上田村麿呂が陸奥の胆沢城を築く

810年 嵯峨      薬子の変が起きる

894 年宇多      菅原道真の意見により遣唐使が停止される

939 年朱雀      平将門が新皇を称する、藤原純友の郎党が藤原子高の一行を襲撃
        (承平・天慶の乱)

1016 年後一条   藤原道長が摂政になる

1086 年堀河    白河上皇が堀河天皇に譲位する ( 院政の開始 )

1156 年後白河 保元の乱が起きる

1167 年六条    平清盛が太政大臣に任じられる

1181 年安徳    平清盛亡くなる

1185 年後鳥羽 壇ノ浦の戦いで平氏が滅亡

後鳥羽 源頼朝が全国に守護と地頭を設置(鎌倉幕府の創始)


<古代史の終わりはいつだったのか>

幕末の王政復古は古代への回帰だったのか。

・政治的には鎌倉幕府創始 (1185 年 ) 、古代と中世の分岐点

・外交・文化の視点で見れば遣唐使の停止 (894 年 ) がターニングポイント

・律令制の崩壊も古代史の終わりの象徴

・「建武の新政」 ( 後醍醐天皇 ) で古代への回帰を目指したが 3 年で瓦解

※幕末維新の王政復古(天皇政治の復活)も「古代への回帰」だった

[ トピックス ] 奈良・平安時代

奈良時代の政治の舞台平城京の全容が解明!(長安をモデルにした外交都市)

~藤原京の失敗を踏まえて造営された平城京

710 年平城京遷都 東西 6.3 キロ ( 外京含 ) 、南北 4.7 キロ ( 北辺坊を除く )

人口は 5 万人から 20 万人と推定 ( 幅がある )

~長屋王(天武天皇孫)邸宅の木簡が伝える貴族たちの優雅な食生活

3 万点以上の木簡出土、 30 国以上から米や食材が献上された

焼き鮑、鯛、海鼠、猪・鹿の肉、牡蠣など豪華な食事

729 年謀反の疑いで自害に追い込まれる。 ( 藤原氏の陰謀の可能性高い )

[ トピックス ] 奈良・平安時代

古代日本の転換点律令体制の完成と崩壊

律令官制




~初の本格的な律令「大宝律令」の制定

白村江の戦いに敗れたあと、日本が目指したのは律令国家体制の構築だった

「律」現在の刑法、「令」は現在の行政法に相当し国家の基本法にあたる。

天皇を中心とする二官八省の中央官制、地方の統治形態も国・郡・里の単位が定められた

日本の元号が最初に用いられたのも大宝律令だった

~重い税負担に耐えられず農民たちが次々逃亡→土地の私有化を認めた

律令制の大前提「すべての土地・人民は朝廷に属する」を崩すもの

「五畿七道」

[ トピックス ] 奈良・平安時代

千年の繁栄を築いた藤原氏の隆盛

~藤原不比等によって天皇家との関係が深まる


~天皇家との婚姻と他氏排斥で台頭する

藤原不比等→藤原 4 兄弟(長屋王の死)→武智麻呂の子仲麻呂の飛躍→<道鏡>→藤原氏復活道長・頼通へ

[ 最新調査 ] 奈良時代

由義寺 (ゆげでら)跡の発掘調査で変わりゆく道鏡の人物評価

~道鏡の出身地である弓削の地で由義寺にまつわる新発見が相次ぐ

古代氏族弓削氏の出身(大阪市八尾市東弓削)

女帝の寵愛を受けた「怪僧」の新たな実像

仏教の理念に基づいて善政を敷いたといわれており、僧侶でありながら政務に参加したことへの貴族の反発を招き、失脚に追い込まれたの説もあり

[ 最新調査 ] 奈良時代

シルクロードの執着点正倉院と東大寺の最新調査

~東大寺にあった七重塔は高さ 100 メートル級?

大仏殿も有名だが、日本最大の七重塔があった

正倉院の 8 点の木間は 7 世紀のものの可能性が高い ( 伝世品としては最古級の例 )

[ 最新調査 ] 平安時代

長岡京跡と平安京跡で 1200 年を経て判明したこと

~水上交通が発達した平安京で新王朝をアピールした桓武天皇

784 年 平城京から長岡京へ遷した

仏教勢力の政治介入を断ち切るためともいわれるが、平城京が水運などの点で行き詰まり

長岡京は水運には恵まれていたが、洪水の被害を受けやすい

~新都から仏教色を排除した桓武天皇

794 年平安京遷都

南都仏教の寺院の移転を認めなかった。新都には官大寺を創建せず、私寺は京外に建てさせるなどして仏教色を排除した。例外として建てられたのは東寺と西寺で平安京を守護する役割を担った。

[ 古代史の終焉 ]

歴史の大転換期朝廷による国土統一

~征夷大将軍に任じられた坂上田村麻呂が蝦夷を平定

東北地方の城柵を築く(朝廷は国境に城柵と呼ばれる役所を築き、北へと勢力を拡げていった。

~王権強化が狙いだった桓武天皇の対蝦夷政策

国家の枠組みに入れることが、朝廷にとっての至上命題になった

~奥州藤原氏が 3 代 100 年の繁栄を築く

9 世紀初期には朝廷の支配領域は現在の岩手県と秋田県の中部付近まで拡大 ( 蝦夷を完全に従えたわけでなかった )

1051 年安倍頼時朝廷に反旗(前九年の役)、源頼義、義家父子と戦役の最終局面で参戦して国府側戦勝の原動力となったのが、清原氏の清原武則により鎮圧された。

永保 3 年( 1083 年) - 寛治元年( 1087 年)後三年の役を経て奥州藤原氏が

東北地方を支配する。朝廷に忠実でその後 3 代 100 年にわたり繁栄を築いた。

[ 古代史の終焉 ]

国風文化の発展を呼んだ遣唐使の廃止

~ 894 年菅原道真の建議で派遣停止が決定する

9 世紀に入ると中国商人が渡航するようになり、遣唐使を派遣しなくても中国の文物が入手できるようになった。平安時代に入ると遣唐使の派遣回数を減り、文化の国風化させる助になった。







[ 古代史の終焉 ]

天皇や皇族中心だった古代の終焉 王朝国家

問題解決のために必要とされた高度な武力を有する集団

~受領の横暴に対して武装化して対抗する

田地に対する課税を基調とする支配体制 ( 王朝国家体制 ) への転換がはかられた。

朝廷→地方の長官「国司」に税の確保を任せる→地方の有力者に任す→「遥任」

在国の国司で最上位の者は「受領」と呼ばれた。→受領の横暴に対抗する武装化した「兵」の出現→武士へ

~院政を機に飛躍して武士の時代を迎える

武士の時代がはじまり、天皇や貴族中心だった古代は終焉を迎えた。

今回のシリーズで紹介した書籍

「最新調査でわかった古代史 完全保存版」

2019 年 6 月 25 日発行

監修 瀧音能之 駒澤大学文学部歴史学科教授

発行所 株式会社宝島社

定価  880 円

~あとがき~

日本の古代史も近年たくさんのトピックスや最新調査に基づく新設などが見られます。受験勉強で鍛えられた世代の人間からすると、歴史年表の暗記した年数が変わるとちょっとした混乱が生じますね。ただ、通説としていたものが、調査等で史実とやや異なることも、ある意味での歴史の醍醐味でもあります。自分自身も当たり前として記憶をしてきた歴史から、最新調査による、「いろいろな史実が推定される」という変わりうる歴史についても興味をもってみていきたいと思いますね。 以上








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最終更新日  2019.06.26 05:02:50
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Re:最新調査でわかった「日本の古代史」(古代末期)☆彡(06/26)  
omachi さん

Re[1]:最新調査でわかった「日本の古代史」(古代末期)☆彡(06/26)  
学び活かす(学活) さん
omachiさんへ

ご丁寧なコメントありがとうございます。WEB小説は以前にもご紹介いただきましたが、今回じっくりと拝読させていただこうと思っています。omchiさんのいわれますように、物語が観光地と絡むと興味が倍増しますね。わたしは、故内田康夫さんの浅見光彦シリーズの本(TVでドラマ化され放映もありました)が大好きで、ある時期集中して読んだことがありました。魅力は「旅と歴史」にありました。omachiさんの物語と観光地と相通じるところがあると思います。わたしは、TVの「歴史」「地理」などの番組をこの10年近く録画をしてDVDに保存しています。旅行するときの旅程を組み立てるときに、録画映像をみながら参考にしていますが、行く前から「その地」の興味が膨らんで楽しいですね。この6月に、富岡製糸場、上田(上田城、真田館等)、軽井沢にwifeと行きましたが、多少歴史的にインプットできていたので、楽しくかつ有意義に旅行ができました。

歴史的には、奈良時代、奈良は魅力的ですね。今後ともコメントを頂けますと幸いです。 (2019.06.28 11:29:43)

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