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たまたま、磐田市中央図書館で時々「古本市」という催事が開催され、目に留まった一冊に田中澄江さんの「老いは迎えて討て」(この世面白く生きる条件)がありました。いただくことができるので、他の書籍と2冊を頂いて帰り、現在読んでいるところです。本の「帯封」に書かれていた文章についてちょっと魅かれましたのでここにご紹介します。
この本は 1996 年 8 月 20 日第 1 冊 ( 青春出版社 ) とちょっと前の本にはなりましたが、内容はまさに、「老いの時代」を迎えている自分が「なるほど」と感じるところも多く、素晴らしい本と出合うことができました。
『徒然草の中で、死について語った言葉にはすぐれたものがたくさんあります。その中で私が一番好きなのは「死期は序でを待たず。死は前よりしも来らず。かねて後に迫れり」というものです。
死はいつどこから襲ってくるかわからないけれど、とにかく絶対逃れられない。それならばビクビクして待つより、いつ死んでもいい覚悟でその日その日を充実して生きる。それが老いを迎えて老いをおそれず、老いを超える気持ちを胸に育ててゆくと思うのです。』
死についての心構え、考え方を説かれたものですが何か胸にしみる言葉だと思った次第です。
~田中澄江さんの紹介~ ( 出典 )wikipedia より

田中 澄江(たなか すみえ、旧姓:辻村、 1908
年 4
月 11
日 - 2000
年 3
月 1
日)は、日本の脚本家、著作家。中野区教育委員も務めた。また、山を愛していて「花の百名山」を選んだことでも知られる。東京都名誉都民。夫は劇作家の田中千禾夫。小学校時代の同級生に川島芳子がいる。日本ペンクラブ、日本演劇協会、日本文芸家協会、日本放送作家協会、各会員。
長男・聖夫(たかお)の妻は画家の三田恭子(日本初の女性刑務所長・三田庸子の娘)。
東京府北豊島郡生まれ。 1932 年、東京女子高等師範学校 ( 現・お茶の水女子大学 ) 国文科を卒業する。学生時代から岡本綺堂主宰の「舞台」などで習作にはげむ。聖心女子学院の教師を務める。
1934 年、やはり劇作家の田中千禾夫と結婚、神奈川県藤沢町鵠沼に新居を構える。菊池寛の戯曲研究会にも参加。 1939 年、「劇作」に発表した戯曲『はる・あき』で注目される。
戦時中は鳥取に疎開。戦後、長男の病気治療のために京都に転居。家が没落し、家計を支えるために、地方紙(京都日日新聞)の芸能記者をしながら、体験に基づく“私戯曲”「悪女と眼と壁」「京都の虹」などを発表。
<来歴・人物>
1952 年『我が家は樂し』、『少年期』、『めし』の映画の脚本が評価され、ブルーリボン賞脚本賞を受賞する。 1955 年「つづみの女」、 1959 年「がらしあ・細川夫人」を発表する一方、小説面でも活躍し「虹は夜」「きりしたん殉教のあとをたずねて」などを発表。
1951 年、息子らと共にカトリックの洗礼を受ける。
1960 年代からはテレビドラマの脚本も手がけるようになった。 NHK 朝のテレビ小説「うず潮」「虹」などの脚本も担当。
1973 年『カキツバタ群落』で芸術選奨文部大臣賞、 1981 年、随筆集『花の百名山』で読売文学賞、 1996 年『夫の始末』で女流文学賞を受賞した。
登山好きで知られ、 1967 年から女性だけの山歩き同好会「高水会」を組織しを主宰。 1988 年、長男の妻・三田恭子とともに、自宅に無名女性画家のための嫁菜の花美術館を建設。中野区教育委員、国語審議会委員などを歴任。無礼な若者や男性に直言し、女性の向学心や労働意欲を何より大事にした。
晩年は随筆 「老いは迎え討て」 などを著し、老年哲学を説いた。 2000 年 3 月 1 日、老衰のため東京都清瀬市の病院で死去。
~あとがき~
田中澄江さんという名前は聞いたことがある方だと思いますが、あらためてこの本を通じて「田中澄江」さんに接すると、ひとりの女性の「素晴らしい人生」を感じました。この書「老いは迎え討て」は晩年の随筆とのことです。自分もまだその年にはなっていませんが、ふと「老いを感じる」時々があります。先人の方々がどう「老い」に相対したのか、こころして読ませていただきたいと思います。以上
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