2005年01月11日
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「兵書でも、人が窮するときは死を覚悟して乱をなすという。しょせん、いつまでも時節を待っていても命数には限りがあろう。大義を企てて志を天下にあらわそうではないか。ぐずぐずしていないで、明日すぐに相談しよう」と言った。

 いずれもそれに同意し、翌日集まることを約束して連れだって帰って行った。

 さて翌日、皆で小舟に乗ってある小島に漕ぎ寄せ、岩の上から釣竿を下ろして一か所に集まって相談した。

 まず赤星が、

「それがしが常々考えるに、この島の領主の先代の寺澤志摩守は武勇にすぐれ、政道も正しく、民百姓もよくなついて裕福に暮らしていたのに、今の兵庫頭は政道がことのほか乱れている。年貢のほかにも民に労役を課し、財宝をむさぼり、さまざまな悪政を行っているので、百姓どもははなはだ難渋して領主を恨み役人を憎んでいる。特に今年はどの国も不作で飢饉になりそうだ。この機に乗じて百姓どもを煽動して一揆を起こさせ、われわれは運を天に任せて先祖の武名をあらわして戦えば、志を遂げることもできよう。もしも武運つたなく討死するとしても、それはもとより覚悟の上」と、言った。

 その言葉を聞いて蘆塚は、

「それはよい思い付き。幸いこのあたりは種ヶ島が最初に伝わった所なので、百姓どもが鉄砲に熟達していて鹿や猿を撃っている。また、そのほかに猟師もたくさんいる。彼らを煽動して徒党を組ませ、一揆を起こさせようではないか」と、談合した。

 浪人等が談合した島なので、この島は、現在、談合島と呼ばれている。



「以前、異国から切支丹という宗門が伝わって諸国に広まり、中でも西国で盛んになり、この島の者どももその宗門を信じている。当時は法度が厳しかったため多くの者は表向き改宗したが、内心ではまだ信仰を続けている。さいわい、私と以前朋輩だった森宗意軒がこの島にいて切支丹宗を信仰しているので、彼を先導にして切支丹宗の不思議を現出し、愚民どもの心を惑わし、弁舌をもって引き入れようではないか。さすれば早くことがまとまるであろう」と、言った。

 ほかの者たちも、「それはよい。われわれもその宗門を信じていたことがある」と同意した。こうして、相談は数刻におよんだ。

島原の乱の始末を描いた 天草騒動という本のなかで 興味深く感じた点のひとつですが、ここに百姓とかかれている点に注目。佐世保で小学生の同級生殺人事件がありましたが、あの周辺は山村が多く、どうも百姓という 農民 農民は米を作っているというイメージがありますが、この本(かなり如何わしい史料ですが)をみる限りでは、山村にある鉄砲撃ちの武力に眼をつけたきらいがあるような印象を受け、通常いわれている 島原の乱とは 少し違う面も 浮かび上がってきます。





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最終更新日  2005年01月11日 09時03分55秒
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