2005年04月30日
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佐藤賢一の最高傑作はいまのところこれなんですが、

百年戦争終末の 傭兵たちの姿を描いたものですが

秀吉も 信長に仕えるようになったきっかけも、

信長が 蜂須賀小六を攻めて、秀吉も捕虜になって

殺されそうになったが、なんとか 助けてもらい

家臣になったという見方があります。

さて

忍者なんて 言葉がございます。普段は、商人や、虚無僧をしていて

情報を集めているなんてことをいいますが。目明しや 密偵というものは



正しいところでしょう。いわば 住吉とか、山口とかの親分が警察署を運営

しているものです、へんな感じもしますが、終戦直後にもそういう時代が

あったわけですから おかしな噺ではございません。

さて 秀吉の親戚筋にあたる

杉原家について考えてみますと。

http://www.rc.kyushu-u.ac.jp/~hatt/sinanoisi.html

話題作になっていた黒須紀一郎『鉢屋秀吉』に話が及んだ。「秀吉に
興味はないですか」といわれたときは、先生と秀吉の組み合わせをちぐはぐに
も思ったほどだ。『鉢屋秀吉』は豊臣秀吉が被差別階層の出身(鉢屋、「鉢の
者」)であると主張する。その根拠は安国寺恵瓊書状なのだが、「秀吉さりとて
ハ(は)の者に候」(信長に較べ、秀吉はなかなかの人物だ)とある部分を、

開している。先生は上向きかげんに少し右をむいて本当におかしそうに笑うこ
とがある。この時もそうだった。しかし「秀吉の妻ねね方の実家杉原氏は尾張
清須の連雀商人の出身だ」ともいわれた。これは急に七〇〇〇石取りの主にな
った秀吉が、家臣になる者がいないため、もし自分がこれから出世して石高が
増えても必ず七分の一を与えるという約束で杉原を召し抱えた、という有名な

なかった。先生が『中世商人の世界』(一九九六)に詳しく述べられたように、
連雀商人はこの時代には差別された存在で、秀吉はその家から妻を迎えた。秀
吉自身が木綿針を売り、わらじを売った。これも賤視された職種という。秀吉
は百姓の小せがれではなく、賤民階層の出だった。すると秀吉像は一変する。
脱「賤」の典型になる。わたしはいつもそうであったように、先生の着眼点の
新鮮さにおどろき、いつものようにまもなく活字になるであろう、その論文の
完成を待ち遠しく思った。


http://www1.harenet.ne.jp/~sugi/sugihara/fukutiya.htm

一方は連尺商人 一方は桓武平氏 どちらが正しいのか?

別に 平家の筋が商人であっても可笑しくありませんが、
武家の家の系図をみてみると もともと 広島ですが
それが尾張に移動して なんていうものがけっこうございますが
私に言わせると 要するに行商人やっていたんでしょう。
そして もともとは 中国地方からでてきた
商人がカッコつけの系図を作るというのは
どうでしょうか?

こう考えてみますと 従来の兵農分離のイメージというのは 小土豪クラス
を組織化して、武士と農民を切り分けたとイメージですが

少し違う風景がみえてきます。

当時の尾張西部は、木曽川の流れが、網の目のように流れ、増水を起こすたびに、氾濫を繰りかえしていた、こんな川があばれまくるデルタ地域では、安定した農業が行えず、土地そのものは 肥沃でも、収穫は不安定だったようです。尾張といえば 豊かな穀倉地域のイメージがあるかもしれませんが、そうなったのは、江戸時代からのようです。

信秀が 他の尾張の 国人領主より 一歩先に出られたのも、熱田、津島の神社と関係をはやくもて、領域に組み込めたからのようで、当時は港もあり、交通の要地でありました。そこでは砂鉄や鋳物砂が取れて 産業も盛んでした。信長の旗が銭であることを思い出して欲しいものです。

いくつもの水路がある広大なデルタで よそ者がやってきたとする(秀吉のご先祖さまにも よそ者説がある、父かたは 叡山の毛坊主、河内の鍛冶屋、母方は 美濃の鍛冶屋)というのはどうか?

小さな街の金融業者(たとえば 寺なんか どうだろうか?時宗の寺とか)から 金を借りて、綿花の種子を購入して それを植える。最初はうまくいかない 失敗してしまうものもできる

だが 成功するものもできる(秀吉の妻のねねの家系では 杉原家は連尺商人 浅野家は金持ち)だ。

物流のさかんになれば 同業者組織がうまれ 戦国の世ですから、武装も必要になる(信長の家臣団は商人の街 津島衆主体に構成されていた)ので 自衛団が生まれてきます。

清和源氏の始めの多田庄は 鉱山から発展したものからもあるように、従来の武士についての認識は農にこだわりすぎです。自衛団が領主化し、それがまとまり 尾張の場合は、今川を追い落として、ひとつの象徴になれた 織田家を国主に押し上げたとみるべきでしょう。

その織田家を土台に秀吉がのしあがってきたとみるべきでしょうか?






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最終更新日  2005年04月30日 08時29分36秒
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