2011年02月10日
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運動の挫折からモラルの崩壊が始まった
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林 ところが、学者になるまでが大変だった。大学院を出ても、共産党に徹底的に意地悪されて、就職できなかった。その前にそもそも大学院に入れない。大学院の試験も、筆記試験には受かるんですが、面接になると、私だけ落とされてしまった。東大の経済学部では面接で落としたことがそれまでなかったのにです。
小浜 反代々木系ということでですか。
林 いや、そんなに単純ではないんです。当時の東大経済学部の、特に私が受験した理論経済学コースでは、代々木系と反代々木の宇野経済学とが激しく争っていました。我々ブント、全学連、新左翼はこの宇野経済学に依拠していましたが、私はそれを批判していました。私はその頃、相当に生意気な青年で、面接で宇野弘蔵の一番弟子みたいな鈴木鴻一郎と論争してしまいました。あとで恐らく彼は「林はわかっていないから落とせ」という発言をしたんでしょうね。共産党系は内心ニヤニヤしていただけで、もちろん弁護などしてくれない。それで一年浪人ですね。せっぱつまっていたから、ものすごく辛い経験でした。 

 後でもう少し詳しく触れますが、私は全学連の中でも少数派でした。ブントの中でも少数派だったんです。当時の全学連は革命のためには手段を選ばずという人たちが多数を占めていましたが、私はそれはおかしいと言って批判し、モラルを高くしろという立場でした。マルクス・レーニン主義というのは、革命のためには手段は選ばなくてもいいと言っていましたが、実はレーニンもモラルを高めるということと、手段を選ばずということを、使い分けているわけです。
小浜 レーニンは政治家ですからね。
林 ブルジョア的道徳はいけないけれども、プロレタリア道徳を確立しなければいけいないと言っているんですね。だからどちらにも解釈できるから、両方の派ができてしまうわけです。 

 結局ああいう政治運動は必ずいつかは挫折して、失敗するんです。共産党のように組織を守るとか組織を維持する、ふやすということを目的にしている限り、絶対挫折はありません。しかし我々の運動は権力を取るということが目的でした。しかし権力は絶対に取れないわけです。大衆運動をいくらやっても、そうした権力にはならない。そういう挫折感がありました。さきほど言ったように、私の挫折感は少し意味が違いますが、大部分の人は実際に成果が出ないということで、敗北感を持ちはじめたわけです。 
 それで、このままではだめだから何かしなければならない。突破口を開こうということになった。運動はもうしりすぼみになって、大衆動員力もなくなってきている。同じことをやっても大衆はだめですからね。いくらやっても安保改定はなされて、自民党政権は依然として続いているわけですから。そのときに実に奇妙なことが起こったんです。 
 私は運動そのものの根源を問い直さなければだめだという立場でしたが、そのままの形で運動をもっと先鋭化してやろうという人たちが出てきた。その人たちが何をやったかというと、いままで守ってきたものを崩そうとしたんです。それで一つは右翼と結んだわけです。唐牛健太郎が田中清玄と手を組もうとした。
小浜 有名な話ですね。
林 そういう連中が出てきたのと同時に、金のつくり方がものすごく汚くなったんです。金はそんなに要らないはずですが、彼らは生活の基盤を全部投げ捨てて運動に参加していたので、自分たちが食っていくのに金が要るわけです。私は、真面目でしたから、依然として家庭教師などのアルバイトをしながら、自分のものは全部自分で稼いでいた。下っ端の運動家はみんなそうでした。私は幹部でしたけれども、そういうふうにやっていた。当時、私は家から仕送りを受けていないんです。大学に入ってからは自分で生活費を稼いでいた。ところが、連中は、うまいこと金をせしめようとしたんです。いろいろなところから騙し取った。 
 一番ひどくて、後々まで影響を持ったのは、鶴見俊輔をだましたことです。当時、鶴見俊輔は大学を退職して、具体的な金額は知りませんが、退職金が入ったので、彼らはそれに目をつけたんです。鶴見俊輔は当時、心情的に全学連に加担していました。そこにうまいこと取り入って、借りるということで五〇万円くらいらしいんですが、だまし取ったんです。 
 当時の五〇万円というと、いまの感覚だと五〇〇万円ぐらいの感じですよ。名目は借金ですが、返すつもりは毛頭ないわけです。私はそうした動きからは完全にはずされていた。林に言ったら反対するし、ぶち壊すだろうからということで、彼らが勝手にやったわけなんです。それでずっと後までこのことを知りませんでした。 
 それで鶴見俊輔が怒って、「全学連の連中はけしからん」というようなことをどこかで言って、別に私のほうから「私は加担していません」と一々弁解することもないので黙っていましたから、私のことも同じ穴のむじなだと、いまでも思っているだろうと思いますが、実は全然違うんです。 
 じつは私も小さな被害者で、私が逮捕されたときに、高校のある後輩が、わざわざ書記局を訪ねてきて、私にとかなりの金額をカンパとして預けたんですが、それは誰かが着服して私の手には戻らなかったんです。その事実はずっと後になって知りました。 
 これはちょっと余談でしたが、運動の最終段階に至って、我々は完全に分裂していたということです。分裂と言っても、私のようなものは数から言ったら圧倒的に少数派なんです。しかし、指導部の中では少なかったのですが、一般の活動家は私のような真面目派のほうが多かったんです。そういうことを手段を選ばずやっていいなんていう人は、むしろ運動の中に入ってきません。
小浜 ブントが中核派と革マル派に分裂したのはそのころですか。

小浜 政治には汚いことはつきものだというような、一種の合理化の論理によって……。

林 暴力的なことをやっても構わないということになって、そこで一つのたががはずれたというか、チェックポイントがなくなったんですね。 
 我々が大衆運動をやっていたときには、暴力は振るわないということが絶対的な基準だったんです。そういう歯止めをかけていたのですが、それが崩れてしまった。我々はそこでもうこの運動はだめだということで見切りをつけました。そして、見切りをつけなかった人たちが中核と革マルになったということだと思います。 






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最終更新日  2011年02月10日 17時27分28秒
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Re:  
k_guncontrol さん
あと一週間で埼玉アリーナのアレですが、
竹達が矢吹戦に備える力石状態です。
http://koenews.blog9.fc2.com/blog-entry-891.html    (2011年02月14日 01時02分05秒)

Re[1]:(02/10)  
くれど  さん
k_guncontrolさん
>あと一週間で埼玉アリーナのアレですが、
>竹達が矢吹戦に備える力石状態です。
http://koenews.blog9.fc2.com/blog-entry-891.html
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(2011年02月14日 06時03分45秒)

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