全4件 (4件中 1-4件目)
1
《大阪・裏社会》‥そんなこんなの“裏社会入り”‥嫌々ながらではあった。だが“シャキッ”っとしてなきゃブッ飛ばされる。いや、その程度じゃ済まされない。痛いのはイヤだ。僕は腹をくくって流れに任せることに決めた‥。そんな僕の在籍した“組”は総勢二十名足らず。その内部構図を家系図に例えると‥組長が家長で“親父さん”。親分・オヤジ・オヤっさんなどと呼ばれる。その親父さんの“弟分”にあたる年配方が数名。僕は“オジキ”と呼ぶように教えられた。そして“兄貴さん”以下、家長の息子にあたる若衆が十名ほど。この肩書きは“直参若中(じきさんわかなか)”‥直接の若い者という意味だろう。僕の立場からいえば兄貴さんの“同級生”‥その直参の若衆達を“兄貴”と呼ばされていた。ちなみにこの時の僕の立場は“準・息子”まだ正式に息子とは認められていない。『お前みたいなんを“枝の枝の葉っぱ”と言うねん!』兄貴さんはよく僕にそう言って笑っていた。それは“下っ端中の下っ端”という意味だ。だが、やせっぽちで小柄な僕‥今にも吹けば飛びそうな“葉っぱ”というその表現‥そいつがあまりにもピタリときたので意味もわからず笑っていた。って、そりそうだろう‥四国の片田舎出身の僕。水商売を始めるまで“極道”をまったく知らなかった。もちろん近くにもいなければ話したことも無い。初めて見聞きする“内部事情”に“専門用語”‥僕には意味のわからないことが多すぎた。まだこの時点では《知らぬが仏》といったところか‥この後“馬車馬街道まっしぐら”‥そんな過酷な日々が待ち構えていることなど‥まったくもって想像もしていなかった…。しかし‥だ。とにかくここは若い者が続かない“組”だった。これはかなり後で知った話しだが‥兄貴さんの舎弟からも数名が“直参若中”へと昇格した。だが、皆居なくなった。ほとんどが親や学校‥社会からもはみ出した“やんちゃ坊主”ばかりだ。そんな若手達に行儀や礼儀、筋に義理‥裏社会独特の厳しい“しつけ”は苦痛だっただろう。おまけに若手の宿命ともいえる下僕扱いの“付き人”‥そして上層部団体への“出向当番”などなど‥完全に時間と自由を拘束される。しかも給料などは出るはずもなく収入はゼロだ。逃げた若手達の気持ちも痛いほどわかる。だが‥当然、皆見つけ出されている。中には小指を詰める“断指”でケジメをつけた者もいたし、親がお金を積んで足を洗った者もいたそうだ。そんな状況に他の組員達は《どうせ続かないから》と‥自分の下に仕える若手を組に入れようとはしなかった。そこには組長直属の若衆になれば“使いづらい”‥皆、そんな気持ちもあったようだ。“部下”を上司に取られるようなものだ。それは兄貴さんも例外では無かったように思う。そういった事情の中‥僕の裏社会人生は兄貴さんの“付き人”から始まった。『お前は組員(直参若中)には上げんさかいな‥』“最初”はそう言っていた。昇格させては居なくなった他の舎弟達‥トラウマもあったのだろう。兄貴さん自身も“付き人”を欲していた。そこで僕はまず“運転手”として‥兄貴さんの《便通》の運転から教えられた。ところが‥だ。ほぼペーパードライバーの僕。車などマーの代わりに何度か運転した程度。しかも‥それより以前に知人から軽四を借りたことがある。おそらくこの時が免許取得後の初運転だっただろう‥それがミッション車ということで少し緊張していた。『坂道発進とか出来るやろか‥』そんな不安を抱えながら側道から本線車道へと‥恐る恐る車を走らせ始めた。すると‥突如後ろから救急車が迫って来た。真後ろか聞こえる“けたたましい”サイレン音‥おまけにスピーカーから“怒り口調”で何か言っている‥プレッシャーで交通ルールがまったく思い出せない。完全にテンパってしまった僕はアクセル全開!救急車を後ろに従えたまま赤信号に突っ込んだ。《逃げる軽四、追う救急車》‥交差点内ではそんなカーチェイスが展開された。おそらく傍目には相当滑稽な絵図らだっただろう‥お陰様で幸い大事には至らなかった。だが、この一件で車の運転にはかなり自信を無くした僕‥ましてや《便通》は左ハンドルだ。裏社会入り後の一つ目の難関は“車の運転”となった。だが‥そんな“泣き言”など通用する世界ではない。一応は兄貴さんに《車の運転が下手だ》と伝えた。すると兄貴さん‥『心配せんでも“便通”は相手が避けよるわい!』そう言って一笑に付した。さらに兄貴さん‥『運転くらいで“イモ引いて”どないすんねや!』ここで二つ目の難関勃発‥お次は“言葉”の問題だ。《イモを引くって何だ‥?》初めて耳にする言葉‥そいつに僕は“里芋”しか思い浮かばなかった。もちろんすぐにニュアンス的には理解した。《ビビる》という意味だ。しかし‥これを“専門用語”というのだろうか‥コテコテの大阪弁(?)で話す兄貴さん。この後も意味不明語にかなり悩まされたのだが‥。そうして怒られながらも“便通”を運転しはじめた。だが癖の無い僕には左ハンドルはかえって乗りやすかった。左折時の巻き込みも見易い。『なるほど‥』確かに周りも気を使ってくれる。運転がうまくなったような気がした僕‥図に乗って“ブレーキ三度踏み”というあの伝説の技‥教習所直伝の“ポンピング・ブレーキ”を繰り出した。『ワレ、そのブレーキやめんかい!』後部座席から兄貴さんの怒号と鉄拳が飛んでくる‥『ひぃっ、ひぇぇ~‥』見た目はバリケードだが意外にデリケートな兄貴さん‥『酔うっちゅうねん‥』吐き捨てるようにそうぼやいた。『はい、気をつけます‥』このあたりが“付き人”となって二週間ほどだったか‥やっと“便通”に慣れ始めたばかりの僕‥この時はまだまだ兄貴さんも手ぬるかった。しかし徐々に“馬車馬街道”‥“ボロ雑巾気分”を味わう日は近づいていた…~続く~P.Sお知らせです!“新ホームページ”http://www.hattanji.jp/まだ物語は出来てませんが、ようやく《前書き》なんぞを書き込みました。こちらのブログとは内容や進行状態は変わると思いますが、よかったら是非とも覗いてやって下さい☆今後とも一つよろしくお願いいたします!でもってゴーフィールド社の森田さんを始めとする皆さん、ご協力、どうもありがとうございました。石田純ぺー m(__)m
December 27, 2008
《大阪・裏社会》‥ かくして僕は“極道”となった。 職人に例えれば“見習工”‥ まだ“準構成員”と呼ばれる末端的立場だ。 もちろん自ら選んだ“道”ではない。 優柔不断が何もかもを空回りさせたこの時‥ 『俺の人生、こんなもんやろ‥』と‥ 自暴自棄にも陥った。 そんな僕に出来たのは“流れ”に任せること‥ “嵐のような時代”がただ過ぎ去るのを待つしかなかった。 『J‥世の中には“必要悪”っていうもんもあるんやで。』 この時期に唯一相談できた人‥ それが“ミナミのイブ” 酸いも甘いも噛み分けた彼女だった。 この街で“部外者”‥ 僕の関係先と全く接点の無い知人は彼女だけ‥ そんなイブに僕は“人生最大の選択”を相談した。 その答えが“悪の必要性”‥ しかし当時の僕にはさっぱり理解ができなかった。 要は《決めるのは自分自身だ》と‥ 裏社会への“肯定と否定”‥ そのどちらも答えてはくれなかった。 結果的に僕は兄貴さんの圧倒的な圧力‥ それに屈する形となってしまったが… あれから約二十年‥ 恥ずかしながら“やっと”だ。 ようやく“必要悪”の本質を理解が出来るようになった。 《毒を以て毒を制す》‥ “必要悪”とはこういうことなんだろう。 一昔前は“アンダーグラウンド”‥ 裏社会の領域に一般人は踏み込めなかった。 と言うより“闇の番人”‥ “アウトロー”が踏み込ませはしなかった。 ところが今はどうだ‥ 学生さえもオクスリを売りさばくご時世。 一般人が一般人に危害を及ぼす“邪悪”‥ それが増加している感は否めない。 これは決して裏社会を肯定しているわけではない。 だが否定も出来ないほどの世の中の変わり様‥ それも痛いほど感じる。 確かに“法”は“裁くため”‥ “事後処理”としての効力は絶対だ。 だが“事前保護”‥ 特に“人命を守る手段”としては限界を感じる。 疑惑には介入しきれない“法”‥ 疑わしきにバッシングを入れてきた“裏社会”‥ 《事前に“邪悪”を制す“必要悪”》‥ その必要性もどこかにあるのではなかろうかと‥ 僕はそのように考えています。 本当に世の中って“善と悪”も“男と女”も‥ でもって“収入と借り入れ”のバランスも‥ 難しいものですね‥チャンチャン☆ 以上、前書きでしたf(^-^; P.S “10時の男”さん☆ おてまみ、ありがとうございました(^.^)b 一週間ほど前でしたかね‥ 昼過ぎにレインボー通りですれ違いましたよ。 車の中から手を振ったんですが、気づかなかったみたいですね‥ 10時男さんも運転中だったんで電話するのはやめにしました(^_^;) 近いうちに電話します‥てか、よかったら連絡下さい(^-^) 10時男さんの都合の良い時に☆ 無職の僕なんで着信はいつでも無問題です! 待ってますよ(^^)d でもって‥ ご無沙汰中の皆様や足跡を下さってる皆々様へ‥ いつも訪問(閲覧?)ありがとうございます☆ えっと‥ ここまでは僕の“過去日記”をブログとして書かせていただきました。 でもこれからは描写しにくい内容が更に多くなりそうで‥ なので“あくまでフィクション”と解釈して頂ければ幸いかと‥ そう思っています(^^ゞ くわえて新ホームページでの携帯(ネット?)小説の作成も始めます。 その分“楽天ブログ”の更新‥ 次回からの《大阪・裏社会》が今まで以上にスローダウンしそうです。 そのあたりも何卒ご容赦下さい‥m(__;)m でも懲りずに今後とも応援よろしくお願いします! 寒くなってきましたんで皆様も風邪などには気をつけて‥です(^.^)b ではまた近いうちに(^-^)/~
December 13, 2008
《最終章・後編》 意表を突く組事務所内での“舎弟宣告” この発言を皮切りに兄貴さんの“勧誘ラッシュ”‥ 《腹を括(くく)って極道したらどうだ》と‥ そんな言葉が本格化の兆しをみせた。 今思えば‥ まだ“構成員”ではなかった僕。 企業に例えれば“パートタイマー”‥ いや、そこにも至ってはいないか‥ “通りすがりの一般人”に近いレベルだ。 もしかしたら‥ この時点なら逃げることはできたかもしれない。 だが“泥船状態”とてまだ店がある。 なにより“ココロの存在”‥ “身内が極道だから”と急に手の平は返せまい。 逆にここで全てを放り出すこと‥ その方が“さらに追われ身になる”と‥ そうなることに“恐怖”を感じていた。 『少し考えたいんで時間を下さい‥』 ココロに食わせてもらっていたこの頃だ。 そんなヒモ状態の僕に“通せる筋”など‥ 《拒絶》を放つ大義名分などは存在しなかった。 そんな僕に“渡世(裏社会)入り”を迫る兄貴さん‥ けっして厳しい口調ではなかったが‥ 再三再四に渡る“説得”は‥ 僕の首にかかった真綿を確実に締め上げていった。 時を同じくして“もう一つの運命の扉”‥ そいつが僕の前に姿を表した。 ちょうど“イカノアシジュポン復興”‥ それを目指して躍起になっていた頃だ。 営業をかけたお客の先での出来事‥ ある芸能関係者との“出会い”だった。 おそらく僕にとって‥ この時が人生最大の“分かれ道” だがバブル期当時‥ この手の“スカウト”や他店からの“ヘッドハント”‥ それらは日常茶飯事だった。 もちろん現実はそんなに甘いものではない。 鳴かず飛ばずの先輩方を知っていた僕‥ だが… “カタギ生命”‥ そいつがまさに“風前の灯火”のこの時‥ このボウフラ男が“渡世入り”を抗うには“職業”‥ ココロを養うだけの“甲斐性”が必要だった。 『渡世入り回避はこれしか無い‥』 この後に及んで中途半端に“職業選択”‥ それは“逃げ口上”にもならない。 “エンターテイメント”を好む兄貴さんでもある。 直感的に“これなら通る筋”だと思った。 そこでまず‥ 店の“今後”に決断を下しにかかった。 すでにお荷物と化していた“イカノアシジュポン” 相棒もやる気を無くしているように見えた。 すでに限界点に達していた僕‥ ココロからも運転資金を投入してもらっていた。 その“借り”が僕の“反発力”‥ 兄貴さんの“言い分”に押される大きな要因だった。 すぐさま僕はケンチャンと話し合った。 しかしこんな時も相変わらずのあいつだった。 『おっさん、ババ引いたなぁ~!』 これは“ババ抜き”のジョーカーのことだ。 僕が最悪のカードを引いたと笑った。 だがけっして嫌味は無い。 これが“あいつ流”だ。 店を一歩出ればやっぱり大親友の二人‥ まずは共に僕の状況を笑い飛ばした。 その後、僕は《店をどうするか》と切り出した。 裏社会か芸能界‥ どちらを選択しても僕の立場は微妙だ。 店には今以上に入りにくくなる。 あいつもそれはわかっていた。 『やれるとこまで一人でやるわ‥』 それがあいつの返答だった。 『ごめんなぁ‥ケンチャン…』 僕と兄貴さんの件はある意味《身内の問題》‥ ケンチャンに介入の余地は無い。 それもあいつは理解していた。 『おっさん、頑張りや。 また笑って会おうでな‥』 この時あいつが何を“頑張れ”と言いたかったのか‥ それはわからなかった。 『まっ‥なんとかなるやろ!』 わからないなりにもそう答え‥ 背を向けて立ち去ろうとした僕‥ それをあいつはいつもの笑顔で見送ってくれた。 僕は自分の“間の悪さ”が情けなかった‥ “不甲斐なさ”にも腹が立った‥ そして何より‥ 夢列車からの“途中下車”‥ 僕一人が“降りた”ことを何度も悔やんだ。 むろん“後の祭り”であった…。 こうして僕の“お水生命”は終止符が打たれた。 だが、結果的にこうすること‥ 共同経営にピリオドを打つが二人の友情や信頼‥ 一番大切な“許し合う心”を取り戻すことに繋がったった。 しかし僕の運命の“黎明期”‥ それはこの日を境に目まぐるしく動き始めた。 そしてついに‥ 僕は“一か八かの勝負”に打ってでた。 『近々、先方さんと会うことになってるんです‥』 “芸能関係者”‥ 《その方に詳しくお話を伺う》と‥ そう兄貴さんに切り出したのだ。 すると兄貴さん‥ 『ワシも同行してええか』 そう尋ね返してきた。 しかしそれは《ついて行くぞ》の意思表示‥ 《来ないでくれ》とは断われない。 否応なしに僕は承諾した。 当日‥ 先方さんと喫茶店で待ち合わせた。 もちろん兄貴さんも一緒だ。 半分は僕を疑っていたのだろう‥ 兄貴さんは僕のテーブルの横の席に陣取った。 《先方さん、ビビるやろうなぁ‥》 兄貴さんの風貌は半端じゃない。 組事務所でも他の人達がかすんで見えたくらいだ。 内心、同席を断らなかったこと‥ それを失敗したかなとも思った。 ところがだ‥ 先方さんはその存在に全く動じることなどない。 と言うよりまるで“圏外”だった。 詳しくは書けないが‥ “さすが百戦錬磨の興行師”といったところか‥ 兄貴さんに軽く会釈だけしたその方‥ 席着くとすぐさま僕との“一対一”の世界を展開した。 少し呆気にとられた僕。 だがその方はそれさえ気にとずに話しを始めた。 ここも内容は書けないが‥ その方は“華やかな部分”はほとんど語らなかった。 かなりの“稽古”と“下積み”を必要とすること‥ 下積みが“地方巡業”を意味することなどを語った。 そして最後に《頑張ってみないか》と締めくくった。 しかし‥ ここで僕はまた優柔不断をさらけ出してしまった。 『後日、返事をします‥』と‥ 元々この選択は“逃げ道”レベル‥ 自ら望んだ“世界”ではない。 その場では結論を出せずに返事を先送りにした。 しかしこの躊躇が“命取り”になってしまった。 どっちつかずの僕‥ 兄貴さんもそれに業を煮やしたのだろう。 これまでとは打って変わった厳しい口調‥ 満を持して激しく牙を剥いた! 『ワレ‥どないすんねやっ!』 一気に型にはめにかかろうとする兄貴さん! ビビった僕‥ この時ようやくココロに状況を話し、助け船を求めた。 すると泣いて兄貴さんに直談判したココロ‥ だがその矛先は“可愛い妹”にまで向けられた! 『オヤジ(組長)にも話しは通してあんねやっ!』 相撲部屋的“縦社会”の任侠道‥ 《親が白と言えば黒い物も白》‥ そんな親方への“絶対服従”が裏社会‥ “渡世”の慣わしだった。 『そない嫌ならお前ら二人で大阪から出ていかんかい!』 泣いて愚図るココロに強烈な“だめ押し” だが“兄貴さん方”しか身寄りのないココロ‥ 僕が“身内を割る”のは忍びない。 それに大阪を離れたところで‥ いずれは探される日が来るだろう… 『このまま“ウォンテッド”として生きるくらいなら‥』 この瞬間‥ 僕の進むべき道は一本に絞られた。 この時、石田純ぺー・21歳‥ 優柔不断で隙だらけ‥ そこを突かれ、型にはめられた僕‥ そんな小心者が迎えた新たな旅立ち‥ それは引き返すことの出来ない“極者の道”だった… ~大阪お水時代・完~ P.S えっと‥ 長らくの《大阪お水時代》‥ すいませんでしたm(__;)m でもってダラダラへのお付き合い‥ どうもありがとうございましたm(__)m かねてよりお知らせしてきました“新ホームページ” “ゴーフィールド社”さんのご支援で最終テストも終わり、 いよいよスタートすることになりました。 近々“URL”をお知らせしますんで是非是非‥ 引き続き懲りずに応援よろしくお願い致します☆ ではでは(^人^)
December 10, 2008
《大阪お水・最終章》 これは今から約20年前‥ “暴力団新法”施行の数年前の話しだ。 当時の裏社会は《産めよ増やせよ》の時代であった。 半ば強引な手法の“組織加入勧誘”‥ 当人の意思は尊重されないケースが往々にしてあった。 ある種の“力業”‥ いわゆる“型にはめられる”と呼ばれるそれだ。 “脱退”は一筋縄にはいかなかい… そして‥ 組織加入後は過酷な下積み生活‥ 組事務所での住み込みか上の者の“付き人”‥ ほとんどの時間を拘束され自由を奪われる。 下僕か出丁奉公のような日々の繰り返し‥ 新参の若い者はまるで“馬車馬”扱いだった。 そんな不条理に幾多の若者達が街を捨てたことか‥ だが日本全国を股にかけた強力な“ネットワーク” どこまで逃げても逃げ切れなかったあの頃‥ 今とは若干様相を異にしていた。 まだ“民事介入暴力”が横行していたこの頃‥ 当時の“裏社会”の圧力は相当なものであった。 “恐喝と示談”の線引きさえあやふや‥ 訴え出る者も極めて少なかった。 飲み屋など“裏社会”に睨まれたら最後‥ よほどのことが無い限り存続は難しい。 “法の力”‥ いや“国家権力”さえ無力に感じる時代であった‥ そんな中‥ それでも僕らはなんとかやってきた。 ヤンチャ上がりのケンチャン‥ “裏事情”にも詳しい彼だ。 常に《世話になってはいけない》と‥ 何があっても頼ることも‥ 決して隙を見せることもなかった。 ところが、だ‥ ついに僕がやっちまったわけだ… あの日‥ ココロ宅を訪れた“お兄さん” その“初顔合わせ”はおそらく10分程度。 ココロから得ていた僕の個人情報‥ その確認の質疑応答に終始したように思う。 なにせ初対面の緊張感‥ その上にお兄さんの風貌の脅威‥ 小心者で草食動物タイプの僕‥ご存知“山羊座”だ。 頭の中が真っ白であまりその場面は覚えていない。 だが帰り際のシーンは克明に覚えている‥ 『何かあったらいつでも連絡せえや‥』 そんな言葉と一枚の名刺を残して去った。 そこには金色の“エンブレム”と筆書きのような“フルネーム”‥ そして少し細い字で書かれた“役職名”‥ 《若頭代行》という文字が踊っていた。 企業に例えるなら“専務代行”か‥ 《若頭》不在の代行職‥ 実質“組のNo.2”であった。 『最悪や‥』 その名刺に書かれた現実に嫌悪する僕‥ さらにまだ具体化してない“嫌な予感”‥ その不安が“活字”となって僕の口をついた‥ そうして‥ この日を境に僕の身辺は慌ただしくなった。 《近くまで来た》と言っては頻繁に家に寄る‥ ココロと二人で食事に誘われることもしばしば‥ 挙げ句の果てには僕のポケベル番号も聞かれた… 『お前は妹の旦那やさかいワシの弟やなぁ‥』 もちろんココロと籍は入れてない。 “同棲は婚姻と同等”と見なすことが多々あるその業界。 ココロとの同棲は事実だ。 《弟と同じ》という言い分に抗う余地は無い。 そこに“可愛い妹に手を出した”的罪悪感‥ そいつが僕のモラルに輪をかける。 『おいJ、お兄さんはやめて兄貴と呼べや‥』 気付いた時にはお兄さん‥ “兄貴さん”の包囲網の中にいた。 それは真綿で首を締めるかの如く“じわじわ”と‥ そして“ジリジリ”と僕の逃げ道を狭めていった… ほどなくしてホスト店を上がることになった僕‥ 修行先への“兄貴さん”の来店がきっかけだった。 もちろん女性連れだが店内の空気は一変した。 僕に“兄貴さん”との関係を尋ねた経営者‥ 遠回しに“出入り禁止”をほのめかす‥ だが僕も《来ないでくれ》とは言いにくい。 そこで仕方なく‥ そのまま退店を申し出た僕‥ こうして一つの“野望”を失った… この頃イカノアシジュポンをどうしていたのだろうか‥ 週末は出ていたと思うが印象に薄い。 昼間は兄貴さんに呼び出されることが多くなっていた。 その傍らでココロはいつも泣いていた‥ だが彼女に罪は無い。 物心がついた時には“優しいお兄ちゃん”‥ “従兄弟”は極道になっていたわけだ。 自ら望んだ環境では無い。 弱冠17歳のココロ‥ まだ裏社会の認識も薄い年頃だ。 それがせめてもの救いだった。 そんな彼女に僕も誓った‥ 《絶対に極道にはならない》と…。 そして“兄貴さん”との初対面後‥ それから1~2カ月といったところか‥ “兄貴さん”は常々《お前を極道にはしない》と‥ 『ココロに怒られるさかいな‥』 そう語っていた。 だが‥ 今思えば完全に僕の“油断”だ‥ 若さゆえの安易な考えもあったか‥ その言葉を鵜呑みにしていたのだ。 そんなある日‥ 昼間呼び出されて行動を共にしていた矢先だった。 “兄貴さん”の在籍する組事務所‥ そこに立ち寄ることになった。 車で待とうとしていた僕‥ だが《中に入れ》と促された。 僕は何も考えていなかった‥ “おはようございます”か何かの挨拶‥ そんな言葉を発し事務所の中へと入った。 そこには3~50歳代のおじさん達が数名‥ 3名ほどが全自動の麻雀卓を囲んでいた。 その麻雀を後ろから見るような格好‥ 玄関に近い位置に立っていた僕‥ そこへ一人の年配の組員が近づいてきた。 『お前、その耳なんやねん!』 左耳に付けたピアスのことだ。 今時で言うなら“チャラ男”の出で立ちの僕‥ その人にはひどく気になったようだ。 『あっこれ‥彼女とお揃いなんですよ。』 当時は“新人類”と呼ばれた世代の僕‥ ましてや極道になった覚えはない。 《ファッションの一つ》と普通に答えた。 するとその年配組員‥僕に説教を始めた。 《男のくせに‥》と‥ ちょうどそこへ“兄貴さん”‥ 事務所二階へと上がっていたが降りて来た。 『どないしたんでっか?』 と、“兄貴さん”‥ 『代行、これどないでんの‥』 僕のピアスを指差す年配組員‥ 二人は軽い問答を交わした。 その直後‥ 少しキレ気味に“兄貴さん”‥ とんでもない言葉を言い放った。 『コレ、ワシの舎弟でんねん!』… 《えぇっ!‥はぁーっ!?》 僕は自分の耳を疑った‥ 瞬時にココロや高松の両親‥ いろんな思いが廻り来る‥ 一瞬は《かばってくれたのか‥》 自分に好都合な解釈もした。 だが空気が違い過ぎた… 表現しずらい緊迫感‥ “兄貴さん”のデカイ声に事務所内が沈黙する‥ 『J、帰るぞ!』 呆然と立ち尽くしていた僕‥ そこを“兄貴さん”に促され‥ ヨロヨロと事務所を後にした…。 『ココロに怒られるさかいな‥』 この言葉は聞き間違えたのか‥ はたまた“幻”だったのか… この時、石田純ぺー・21歳‥ この日本気で“私は貝になりたい”‥ そう思ったのだった… そうして迎えた“運命の分かれ道”‥ 僕は一か八かの勝負を賭け“最後の切り札”を切ることになる! 次回、おそらくたぶん大阪お水完結“後編”‥ 請う、ご期待! ~後一回くらい続く~
December 3, 2008
全4件 (4件中 1-4件目)
1