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ん。撥音。しりとりでこれがお尻につくと負け。んからはじまる言葉ってンジャメナ(チャドの首都)ぐらいしか思い浮かばないけど、他にあるのかなぁ。
2010/03/27
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を。「~を」の『を』。助詞。これがないと文章が流れていかない。物投げる、木倒す、肉食べる、髪結う、寝坊しない、などなど。文章の潤滑油的な感じでしょうか?な~んてね、をいをい。
2010/03/19
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わ。毎朝テレビをつけるとやっている目覚ましテレビ。今年のテーマは『わ』だそうで。そんでよく聞いてるのが、あなたにとって『わ』とは何ですか??という質問。『わ』って何でしょうね~。一つだけ思うのは、気づこうが、気づかまいがなんかそこにあるもの。そんな感じかなぁ。
2009/11/23
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ロジック。生きているとさまざまなロジックに出会う。寸分も隙のないロジックもあれば、ロジックとして成立しているのかすら不明なものまで。一つのロジックに考えや行動を委ねることは楽でとても生きやすいが、常に新しいロジックも取り込み生きていきたい。新たなロジックに出会うということは、人に限らず、新たな出会いが訪れたということだから。
2009/07/23
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黎明。 夜明けを待つ。ただじっと暗がりの中で。 夜明けを待つ。希望に心を弾ませながら。 夜が明けた。目を閉ざしてれば、それすらわからない。
2009/07/09
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縷々。初めて見たときは意味も読みも不明でした。用例としては『事情を縷々説明する』とか使うらしい。熱のど風邪にはルルが効く、のルルとは別物。何が言いたいかと言えば、言いたいことがあるわけではないですけど、意味も読みもよくわからないような漢字は沢山あります。こうゆう字をすらすら読めるようになりたいなぁ、とか昔からずっと思ってますが、実現には程遠いっす。
2009/05/29
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リアクション。ないと凹むし、だからといって強要することもできないもの。私自身は芝居をやってたせいか、はたまた元々そうゆう気質なのか、基本的に大きめのリアクションをしてる気がする。意外とこれが一般人(便宜上芝居に関わったことのない人をそう呼ばせて頂く)の中では浮いたりすることも多々あり。最近は周りにも合わせられるようにはなってきてる気もするが…。主観でしかない為、よくわからず。伝わらないよりかは、過剰だとしても伝わった方がいいと思うので、その点では、大きめのリアクションも会社で働くようになってからは役立っている気もする。一長一短ってやつか。
2009/05/25
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威張る。これ和語での読みだと、『ゐばる』になるそうで。『ゐ』にしても、『ゑ』にしてもまだ自分でも読める。高校で古語を習ったから??百人一首を読んだから??昔と言っても、本当に昔は『ゐ』も『ゑ』も一般手的に使われてたんだろうけど、それが今も残って理解されているってことだけでも、なんだかすごい気がする。具体的にどうすごいか問われても困るけど(笑)
2009/01/13
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螺旋。ぐるぐるぐるぐる目が回る。くるくるくるくる景色も回る。回り続けていても、徐々に見えるものは変わっていく。登っているのか、降りているのか、はたまた水平運動なのか。どこにたどり着くのかわからない。同じところにいるのかもしれない。それでもここからは抜け出せない。
2008/12/18
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生き方として、自分がしたことに後悔はしないようにしている。 ただ自分のしたことの対価として受け取るべき責任は果たす。そうゆう生き方をしているつもりだ。 人の責任まで背負う生き方をしても仕方がない。自分は自分でしかなく自分以上にでもなく自分以下にもなりえず自分であり続ける。 だから、自分のものは自分で背負う。これは単なる、 与太話。
2007/10/15
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夢。起きてみる夢も、寝てみる夢も根本は同じ。人の想像力の域は出ない。想像力は脳の域を出ない。しかし、脳の域はどこまでかは未だわかっていない。夢の域は計り知れない。
2007/09/24
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約束。人はヤクソクをする。友人、恋人、親、子供、上司、先輩、後輩・・・そして、自分と。ヤクソクは良くも悪くも人を強くする。生きてきてどれだけのヤクソクを果たせただろうか、どれだけのヤクソクを破っただろうか。ヤクソクの数だけ人は重くなる。しかし、その分喜びがある。これもまた幻想か。しかし、目に見える範囲にしか生きれない人にとってはそれが真実。
2007/08/28
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もしも。この言葉がこの世に存在しなければ、今の世界はなかっただろう。
2007/06/28
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目。 目に見えるものだけが真実ではないのだが、世界は目の前に広がる程度にしか認識できない。P.S 『む』が二つあることにさっき気づく。実は三つ目の『む』も用意してあった。そんなに『む』が好きなんだろうか・・・。
2007/06/14
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無。存在しえないこと。有の反対。本来的な無は経験不能である。逆に言えば、表現できる無とは、本来的な無ではない。それこそ世界ができる前の状態のことなのだろうか。。。
2007/02/12
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無題。題が無い、という題なのか、そのまま題が無いのか。ちょっとしたゲーテルの不完全性定理。
2007/01/27
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道。気づけば、後ろに続いているもの。
2007/01/23
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街。 人が行き交い、集まるところにできる。人が存在するからこそ存在し、人がいなければ存在しない。夢や幻想、はたまた悪夢さえも包含するブラックボックス。取り込まれてるのは誰??
2007/01/16
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星。星の光は現在の星の存在を証明していない。その光は何光年も先から発された、何年も前の光だから。今はもう存在しないかもしれない星の光が現在の私たちの目に届く。過去から放たれた光が今まさに現在の目に届く。なんとなく神秘的なものを感じてしまう。
2007/01/16
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部屋。 住むための箱。
2006/12/03
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冬。 寒いのは嫌いだが、この季節自体は嫌いではない。名前についてるからかもしれない。てゆうか、ズバリ理由はこれだろう。 年々気温による春、秋の区別がつかなくなってる中、夏は暑いし、フユはやはり寒い。 Hotな夏より、Coolなフユ。そんなイメージも嫌いでない理由であろう。 フユという冠を戴いて23回目の冬に挑む。
2006/12/03
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日。終わることもなく始まることもない。連続した時の流れに区切りをつけたもの。早く明日が来ればいいのに。明日なんて来なければいいのに。そう思おうが思わないでもヒは巡る。今年ももう一月無い。20日そこらのヒを過ごせば終わる。 連続して続くという概念。このヒはいつまで続くか。個人のヒは死ぬまでしか続かないが…。
2006/12/03
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反省 ハンセイはする意味があるが後悔はしても栓無いこと。後悔は幾らしたところで、過去の反芻に過ぎず、後ろ向きな行為。ハンセイは過去に批判的な評価を加えることで、未来に生かそうとする前向きな行為。しかし、それは言葉の上でのみ意味を成すだけであり、実際のところ大差は無い。
2006/11/14
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脳。個人の世界は目の前に広がるだけである。個人の世界はそれ以上でもそれ以下でもない。視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚。それら五感から得た情報を元にノウが作り出した世界に人は生きている。これがすべてノウの作り出した幻想でないとどうして言えようか…
2006/11/12
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寝る。 三大欲求の一つ睡眠欲。ネないと人も動物も生きていけないらしい。 ネルことはどうしてあんなに気持ち良く、目覚めはどうしてあんなに不快なのだろうか。 もし、人が楽な状態が最も自然であるというならずってネてる状態が最も自然な状態になる。つまり、起きてることは異常とも言える。覚醒し活動する世界は辛いことと多い。それを異常と見なすこともできるだろう。 しかし、異常であろうとなかろうと、覚醒した世界で生きていかぬばならないことは変わらない。ネルことが楽で気持ちのいいことであることも変わらない。 うーん、ネたい…
2006/11/02
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ぬるい。 温度の話ではなく、気持ちがヌルイという話。よく芝居の稽古で言われた。 お前の芝居ヌルイよ、みたいな感じに。 単にまじめにやれ、とか集中してやれ、とかいう問題なのかもしれないが、ちょっと違う気もする。 ヌルイ。あまりいいイメージはない。ヌルくてイイカンジ~、とは使うかもしれないが。これは温度の話。 確かに人を見てて、こいつヌルイなぁ、とか思ったりしないわけではない。だからといって、本人がヌルくやってるかと言ったら別の話。こうなると、もう主観の問題になってくる。主観の問題になると話はもう発展しない。 うん、この文章がヌルイな……
2006/11/01
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荷。人は何かしらニを背負っている。 それは具体的なものばかりではなく抽象的、そして、精神的なものも。 生きるためにはそのニを持ち続けなければならない。途中で棄てたくなることもあるだろうがたいていは棄てない。棄てれば、また違うニを背負う。 自分の命というのもニだ。棄てようとしてもなかなか棄てられない。棄てなくても奪われてしまうことすらある。 また、生きていく限りニは増え続けていく。だから、歳を取るにつれ、背中は丸くなってくのだろうか。 ニを背負うのはいいが、背負いすぎるのはよくない。まっすぐ立てるくらいでちょうどよい。
2006/10/31
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泣く 人は何故ナクのだろう。悲しいとき。辛いとき。痛いとき。うれしいとき。感動したとき。他人に感情の高まりを伝えたいのか??いや、人は一人でもナク。 生まれたばかりの赤ん坊はナいている。あれは呼吸をするためだとか。呼吸の仕方もわからない赤ん坊が生きようとしてナクのだろうか。これを当て嵌めると人は生きるためにナいてることになる。理性という脳の働きで抑えられない感情により、うまく生きていけなくなるから人はナく。あながち間違いとも言えまい。
2006/10/23
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時。どっかで読んだことがあるトキについても文章。早すぎるということはない。美しすぎるということがないように。このトキは時間という意味で使ってるわけだけど、まぁ、そうよね。あえていうなら、遅すぎるということもないわけで。
2006/10/16
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手。手はなぜ2本あるのか。片手で握手し、片手で銃を握るためさ。
2006/09/24
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疲れ。肉体的なツカレと精神的なツカレというように分けて使うことがある。肉体的というのはそのまま体力の問題。精神的というのは心の問題。ツカレることを避けて、あまり動かないようにしたり、人と関わらないようにしたりする人もいる。かくゆう私もツカレるのは嫌いだ。しかし、ツカレても死ぬわけではないので安心してツカレてる。
2006/09/23
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イまさらながらイがなイことに気づく。もうイイか・・・。
2006/09/20
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血。チを見るのは嫌いだ。見るだけでなぜか痛い気がする。流れているのが生きてる証。生きてる証を見るのが怖いのだろう。生きることは恐怖。だから、チは嫌だ。
2006/09/15
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退屈。タイクツをタイクツだと思わない精神が、自分を良くも悪くもする。
2006/09/14
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外。どこからがソトで、どこからが内かなんてわかりゃしない。それを決めるのは自分だ。
2006/09/13
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世界。セカイな中に私がいる。小さい頃はセカイを動かしたいと考えていた。いつからだろうか。セカイは私一人ではどうにもできないものだと知ったのは。いつからだろうか。セカイは私一人のものではないと知ったのは。これを人は成長と呼ぶのだろう。しかし、成長には進歩もあれば退化もある。セカイは何も答えてくれない。
2006/09/12
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素。スの自分とはなんだろう。何がスなのだろう。楽であればスなのか。力を抜けばスなのか。この多重性の心のどこにスがあるのかは、判別できない。
2006/09/11
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死と消滅。人には必ず訪れる。人はシを恐れるのではなく、死に至る生に恐れる、という文章を読んだことがある。シを恐れはしない。でも、傷つくのはいやだ。だから、シよりもショウメツを望む。パッと消えてしまいたい。朝起きて存在そのものが消えてしまっていたらどれだけいいだろうか?と、幻想に浸る。どちらにしろ試せないものだから、推測の域は出ない。
2006/09/10
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サケ。飲むサケ。お酒を飲むようになって、失ったものは金。お酒を飲むようになって、得たものは何?
2006/09/09
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コドモ。コドモは何も知らない。喜びも楽しみも、悲しさも、恐れも。だから、あれほど自由に思考ができ、行動ができる。喜びを知り、楽しみを知り、悲しみを知り、恐れを知ったオトナは喜ぶために、楽しむために、対価を支払い、悲しみを避け、恐れを避けるために、縛られる。それを自由と考えることもできるが、果たしてどちらが、自由というものの本質的な価値に近いのだろうか。
2006/09/07
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毛。自分で自分の頭を鑑みたことがあまりないのでなんとも言えないが、よく将来はげる、と友人に言われる。まぁ、祖父がはげてるから隔世遺伝で可能性も高いと思われる。でも、そもそも毛なんて身を守るためにあったのだから、この世の中髪の毛があってもなくてもそれほど不自由はしないかと思われる。衣服というものを着るようになって体毛は退化したが、それでも頭は守れないから残ったのだろうけど。なら、いっそのこと帽子をかぶるのを普通にすればいいのではないか??そうすれば100年後には髪の毛だって退化してなくなってしまうはずだ。いまや髪の毛もおしゃれの一部。それを打ち崩すぐらいの革命的な誰もがかぶっていたい帽子などはできないだろうか??てか、それはどんな帽子だ??
2006/09/06
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苦しい。「にがしい」と読んだのは、小学生のころだったか??別に今苦しいわけではなく、どうして苦しいと感じるのか??病気や痛みで苦しいと感じることがある。これは肉体的に悪いとこがあり、その影響により感じる。この場合は脳の送る信号による。何かいやな事があったりすると苦しく感じることがある。こちらは精神的な要素に起因するもの。反精神的な状況に追い込まれたりするとこうなったりする。この場合も脳の送る信号による、と思われる。基本的にすべての行動、心理をつかさどる脳。何を思って苦しくなり、何を思って楽になるのか。脳という支配物に遊ばれている。
2006/09/05
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希望。だれしもが少なからず持っている幻想。その幻想が現実となるかは自分次第。でも、希望を抱いて、そこに向かっていけば、いつかはたどり着くと信じている。はたまたこれも希望。
2006/09/03
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過去。時は流れ、そして過ぎ去っていくもの。過去、現在、未来。それはすべて存在しない。幻想として、人の中に表れる。ないものを礎にどうして今を築けるだろうか。もはや、それすらも幻想か。
2006/08/29
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オトナとコドモの違いについては以前もなんかしら書いた気がする。最近よく思うのが、コドモは自由だということ。発想があまりにも自由でうらやましくなる。逆を言うと、オトナは発想自体が社会に、常識に、通念に、人間関係に、そして、自分に縛られている。オトナになるということは、おそらくこうゆう縛りが増え、不自由になることなのだろう。うむ、オトナになりたくないのもうなずける。でも、そうゆう縛りがあるからこそ、安心して、その中で幸せを享受できるという側面もある。近頃そうゆう縛りを感じることが多い。オトナになりつつあるのだろうか。
2006/08/26
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絵の話。私には絵心がない。書くのもだめだし、見るのもだめだ。絵など芸術系のセンスは右脳がつかさどるという話を聞いたことがあるが、この話を鵜呑みにすれば私の右脳はスポンジみたいなものだろう。どうもイメージを絵に書き落とすとうまいように書けない。技術もさることながらセンスもないのだから仕方がない。話は変わるが、絵にも癖がある。文字を書くときに出るようなものと同じであろう。カクカクした字を書く人はカクカクした絵になるし(私がそう)、マルマルした字を書く人はマルマルした絵になる。と思う。これもおそらく脳のの関係であろう。絵を見て感動する人がいる。私はその感覚がよくわからない。決して絵を見て感動する人を馬鹿にしているわけではないのだが、ほんとによく分からない。有名な人が書いた絵を見ると、すごいなぁ、とは思うが、それは「有名な人が書いた」という色眼鏡で見てるからだと思ってしまう。絵が分かる人。なりたいとは思わないが、なっといて損はないだろう。なんだか美術館に行きたくなった。
2006/08/22
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『う』のつく言葉。考えて考えて出てきたのは、現世。ちなみに、ウツシヨと読む。それもそのまま現世、この世という意味。反対の言葉は、隠世。読みは、カクリヨ。昔の人はうつる世の中をこの世とし、隠れている世界をあの世やよみの国とした。この場合、うつるはおそらく目にうつる世界であろう。きれいな言葉だと思う。基本的に日本の昔の言葉にはきれいなものが多い(と私は思っている)。古典の授業のときに感じた。果たして、私にウツシヨは見えているだろうか・・・。
2006/08/19
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ひらがなの初め(「いろは」ではなく「あいうえお」の)。母音の一つ。「安」の草体。私の文章ではよく出てくる感嘆詞。辞書によると、驚きや感動を表したりするみたい。日常では、「あ」って行ってる一瞬に次に何を言おうかとか、何をしようかとか考えたりするのによく使う。要は時間稼ぎの「あ」。もっと長く時間を稼ぎたい場合は、「あ~」と伸ばしたり、「う~ん」と違う言葉を使う。特に私はよく使う。状況にすぐに対応しきれない証左。ワンクッションを入れないと行動ができないらしい。いつか即時に反応できるようになりたい。でも、脳は10代後半がピークで、あとは衰えるというし、厳しいかな・・・。
2006/08/02
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