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病室に入ると母は顔を横に向けて亡くなっていました。口は少し開いていました。ほほを触ってもまだ温かみがあります。寝ているようにしか見えません。父と弟の話では最後は、手の温かみがなくなっていくとタンをとるのも苦しまず、あっという間に逝ってしまったそうです。父は医者のいう通りだった、と言いましたが私は早すぎると思いました。少なくとも、もう一日、話ができると思っていたのです。夜中、話しかけるより昼、話したほうが母には楽だと思っていたので、話ができなかったのがつらいです。男3人、しばらく、ぼーっと立っていましたが、やがて父が携帯で親類や友人に電話をして知らせていました。時折、泣いていました。祖母の時と同じ葬儀屋に連絡をとり、病院側の都合と合わせ9時45分に病院から自宅へ運ぶことにしました。時間までの間、遠くから親類も病院に来て最後の対面をしていました。母のネックレスと指輪は私が預かり、母を病院から見送りました。携帯で私は自宅にいる父の友人に今、そちらに向かった、と伝え、私も家に向かいました。
左隣の電気屋さんの奥さんはすぐに顔を見せて手伝いに来てくれていました。昨晩も夜中から普段は閉めている店のシャッターを開けていました。昨日は町内会の会合があったにも関わらず父が出席を取りやめたのでもしや、と思ったのか知れません。実は私が病院に向かう時も電気屋のお父さんがすぐに飛び出してきました。その時は、後で!と思わず言ってしまいましたが、もう気づいていたのでしょう、もちろん、父が死後、携帯で電話しました。ですが今回のことを知っていたのはわずか数人、それ以外の近所の人は知らなかったので、私が家に着いた時、近所の人が驚いた顔で家に入り、あるいは私にお母さん、まさか、亡くなったの?ビックリした顔で話しかけた人もいました。親類は比較的、速く家に着きました。女性たちは家の中で法事の準備を手伝ってくれます。義理の妹と子供たちも来ました。お坊さんが来て、お経をあげ、寺での葬式の予約や戒名などについて父を打ち合わせをし、さらに葬儀屋さんと今後の日程を決めたりしてました。弟は役所に死亡診断書を届けに行きました。その間もまばらですが近所の人々は母との最後の別れに来ます。特に母と親しかった人々は突然の別れに涙を流していました。父もその人たちと一緒に泣いたりしています。私もよく知っている人たちが来て母との別れの姿を見ると涙が浮かびます。近所の母と親しかった人々にとっては本当に突然すぎる別れだったようです。
14日、納棺の儀を行います。半年前、祖母の納棺の儀を行ってくれた人が再度、行ってくれることになりました。きっとあの人も驚いているかもしれません。半年で同じ家庭で儀式を行うのですから。あるいは本業ですからよくあるかもしれませんが。15日午後に出棺、そして火葬となります。祖母の時もそうでしたがこの時が一番ショックを受けそうです。そして17日に自宅でお通夜。18日に葬儀となりました。少し間隔が開いていますが寺の都合もあり、一週間がかりとなりました。
この日、父と私、そして母の姉妹の一人、弟の家族、父の友人らと一緒に母と同じ部屋で一夜を過ごしました。祖母の時は父の友人だけが部屋で寝ましたが今回は皆、一緒です。当然、父が母の隣に寝ました。私は足元です。明日の母は家にいますが納棺されているので実質、今晩が母と過ごす最後の一夜です。何度みても寝ているようにしか思えません。顔を触れれば冷たくなっています。ですが本当に寝ているようです。そして何度も母と話し足りなかった、と想いがこみ上げてきます。そんな無念の思いを感じながら昨晩は母の傍で一晩を過ごしました。
生活が大きく変わりました。 2020.03.31
久しぶりの書き込みです。 2017.05.25
奇跡!ミネラルウォーターで花粉症が楽に… 2016.12.13