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どなたが言っていたのか、もしくは書いていたのかは覚えておりませんが、「心の込め方がちがう」。ある女性、この方が言っていたのですが、嫁に行きました。昔のことですので、厳しい姑さんがおり、毎日毎日家の掃除で指導をうけるのです。女性は、一生懸命に掃除をするのです。しかし、いくらやっても合格になりません。ある時に姑さんは、「心を込めてやりなさい。」と女性を叱るのでありました。そのとき女性は、「もちろん、心を込めてやっています。」と答えるのです。一生懸命やっているのですから。しかし姑さんは、その言葉に対して叱るのです。「心の込め方がちがう。」私自身、不満な学校生活を送ったおかげで、教育に対しての批判をあとのことを考えずに発言します。これもその一つ。頑張ったからいいじゃないか。学校等でこのように指導されます。がんばることがいいこと。がんばることについて考えてください。バケツが2つあります。片方には、水がふちまで一杯入っています。片方は空です。朝起きてから夜寝るまで、頑張って空のバケツの方へ水を移すことを続けます。がんばって、がんばって。そして体は動かなくなるまで、へとへとになっています。ですが終わった時点で何ができているのでしょう。満タンだった水は、繰り返し移したことにより減ってしまい、生産する為にがんばったのにも関わらず、何も生まれることもなく、消費のみとなっています。心の込め方。自分自身が必死になっているのだけれども、ピントがずれている為に、反省の日々。
2003年01月28日
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2003年01月25日
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作文が大変苦手なのです。テーマがあって原稿用紙に記述せよ等と学校の試験みたいなのが出てくると最悪なのであります。でもここで、おもしろおかしく書けているではないかと思われるでしょう。実は自分でも不思議なんです。でもね、ある細工はしています。やっぱりパソコンという文明の利器があるから助けられているのでしょうね。さあ、どんないらん事しているのでしょうか。まず、常にパソコンを動かしておきます。メールソフトかワープロソフトを常駐させます。それで何か起こったときとか、思いついたときに、ちょろちょろとメモとして入力しちゃいます。紙と鉛筆も常に置いときます。外に行くときは、メモとペンです。面白いことがあったら、あとでわかる程度にメモメモです。気が向いたら、今日は日記つけてみようかと、ごそごそ始めます。メールかワープロソフトに、メモしたのを全部貼り付けます。紙に書いたのはそのまま写していきます。ここからがパソコンの強みですね。パズルを始めます。これを前にしようか、やっぱり後ろだとか。それから、文がつながるように、チョコチョコと修正です。へへへっ。ここからが楽しみ。この時点で、文章の長さは、日記につける分の2倍から4倍ほどの量になっています。これを、ズバッツズバッと、今の自分のいじわるさに正直に消していきます。あれもいらん、これもいらん、これは無駄だ、エイ、ヤー。これを消したら意味が通じなくなるぞ、おもしろい、消してしまえ、という感じです。最後につながり方がおかしいところを手直しです。そうして、作文の苦手なヤツの日記が無事に完了というわけです。誰に、この方法を教えてもらったか忘れましたけど、キレの良い文になると教えられ、以後このようにしているのです。書いてあったはずの、途中の文がなくなると読む側の頭がフル回転するらしく、文章がおもしろくなるようです。オチもこのときの副産物となっていることがあります。ただ日記に関してトイレでは絶対に何もしません。落ちますから。
2003年01月23日
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長いので2つに分けました。ここに来ているある未来の明るい少年に挑戦状を出しました。みなさんもぜひこの少年の目標が達成できるよう願ってください。出した以上、こちらも何も言われないようにする為、仕事の困難から逃げないことを宣言します。21日をごらんになってから、20日の分をごらんください。--------------------------------------------------------------------------------未来のある少年に捧ぐ小学生の頃のはなし。冬場にあるマラソン大会が非常に苦手でありました。今でも100メートル以上走れるヤツはキチガイだ等とほざいている状態です。タイムによりABCのランクに分かれていました。いつもCでした。体が弱かったので仕方ありませんでした。その年も同じように開催されるのでした。開催前になると授業でも走るのが中心となります。最初の授業でタイムを計ります。タイムによってランクが分かれます。町内一周して何分何秒かです。いやな時が来てしまっています。よーいドンで走ってきます。途中のぼりくだりのあるコースです。一番最初にきつめの上りです。みんなどんどん走って生きます。元気のいい子供たちです。遅れを取らないように必死でついていきます。負けてはいけない。しかです、自分で思っているのと体とはぜんぜん連動しないのであります。最初の上りの頂上についた時には、前には誰も見えないようになっています。あと100メートル・・・体が完全に限界になっています。ゆっくり走りながら、最後は歩いた状態でゴールです。一番ビリです。ランクC。ランクBに入るまで3分以上あります。ランクCは自分ひとりでした。ゴールした時点では、みんなギヤァギヤァ騒いで遊んでおります。限界でゴールして座り込みました。そこへ来たのが、自分と仲の悪い2人。「おーい、へたってるぞー。」「あはは、こいつCを持っているぞ。これなぁ、横に向けるとポットン便所の形やぁ。」「おれBやぞ。横向けたらお尻の形や。うんこかけたれぇ。」「Aのヤツつれて来い。Aは立ちしょんの形や。」体力を使い果たしている状態でしたので言われるがままです。走る前だったら顔面に一発パンチを入れているのですが、立てません。2人は足で砂をかけ、その後どっかへ行きます。正々堂々と勝負しろ。体が悪かった為、どうしてもいじめられることが多かったです。逆に自分より弱いものは、いじめてました。これは反省です。ただ、この時ばかりは絶対に許さんと思いました。なんとかしてやる。日頃から抑えられていたので、何かがあると強いバネとなります。走りで勝負してやる。決めました。その日から、練習と研究です。朝、昼、晩。少しずつでもいいから走ります。昼もみんなと遊ばず、ひとりで走ります。コースは決まっています。最初にきつめの上り、平坦路、きつい下り、平坦路、ゆるい下り、ゆるい上りが2箇所、最後に平坦路です。小学生の頭でわからないなりに考えます。天気の悪いとき以外はとにかく走りこみます。自分に負けるなと思いながら。根性あるのみです。
2003年01月21日
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大会の当日です。アホなりに作戦も立てています。1ヶ月の走りこみで自分自身も変わってきています。馬鹿にされたことはあまり考えなくなっていました。自分自身に勝つ。今回の大会の目標です。スタート前です。例の2人もスタート位置に立っています。「おい、あいつのうしろをつけていこうぜ。そしたら絶対にビリにはならないしな。」「それで最後にスパートかけて、おちょくってやろう。」そんな会話をしています。でも今回は自分自身の戦いです。もう何も気にしていません。ひたすら走るのみです。用意!パーン!一斉にスタートです。最初のきつい上りをかけていきます。走り方の目標として、途中で歩かない、呼吸方法を目標地点まで変えずに耐えることに決めていました。きつい上り、鼻から2回吸って2回は吐く。中間点まではこれを守ります。きつい上りもすみ平坦になって、うしろで2人が「便器がはしってるぞ」などと言いながらついてきています。急な下り坂、走りながらもゆっくりできる部分です。楽なところですので、一気に駆け下ります。短距離のように一気に駆けていきます。自分なりに考えた作戦でした。ここで2人をあっと言う間に引き離していました。前の集団にも追いついています。この集団にできるだけついていけるように必死になります。息が苦しくなります。1メートル、2メートル・・・少しずつ離されていきます。中間点を越え、ゆるい上りが始まります。ゆるい上りがあと2本です。呼吸方法を2回吸って1回吐くに変えます。前のランナーより20メートル離されています。最後のゆるい坂にかかります。角っこで先生が、がんばれと励ましてくれています。1回吸って1回吐くの呼吸に変えます。がまんに我慢を重ねてここまで到達しています。坂の真ん中付近で、先生の声が聞こえます。「最後の2人通過。」 えっビリじゃない。初めてでした。走ることで、人より先を走っているのは。あの2人がどこにいるのかも考えていませんでした。苦しみがわからなくなった瞬間です。ペースを少しあげていきます。左に曲がり、最後の平坦路です。「Bランクあと30秒。」声がゴールから聞こえます。やったるわい!とにかく走ります。全力です。走る。走る。走る。「あと15秒。」走る。走る。ゴールが見えています。「5、4・・・」ざぁざぁいいながらゴールです。その場でへたりこみます。まともに息ができません。自分の体の感覚がありません。とにかく息が苦しい。「やったぞ。おめでとう。」Bのカードが手渡されます。結果として大嫌いな2人に勝つことができました。以後ありがたいことに口をきくこともなくなりました。それより自分自身に勝てたこと。重要なことでした。自分自身に勝つことが、すべてのことに勝つことの第一歩であります。----------------------------------------------------現在、私が自分自身に負けていることがあります。日々反省です。未来の明るい少年君。君は立派な宣言をしています。ただ今それを真剣に実行しているのかどうかわかりません。それで挑戦状を送りました。自分自身に勝てるのかどうか。
2003年01月20日
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2003年01月18日
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とにかく描くのが苦手であります。よく漫画なんかをすらすらっと描いているのを見ると尊敬するばかりであります。キティの顔だけは、なんとか描けるようになりました。目や鼻とかのバランス、輪郭・・・本当に微妙で、すらすら書ける人が羨ましいです。下手に描くとねこのキティが、タヌキになってしまいます。あるきっかけで描くのをやめました。幼稚園の時、先生の言うことは聞かずに、好きな絵を描いてました。動物の絵を描かないといけないときに人物の絵を描いていたりで、自由にさせてもらってました。小学校に入学したときの担任が良い方で、どのような理由からだったかは覚えていないのですが、自分でも鳥や車や電車の絵が、なぜか、うまく描けたのを覚えています。事情で転校し、能力の封印作業が始まりました。そこの先生はハズレでしたので、おかげで絵に関しての能力の進化は完全に止まってしまいました。見たとおりに表現できたら、思ったとおりに表現できたら、絵なんてすばらしいものなのですが、とにかく変な先生で、「木の根元は太くなっていない、まっすぐだろう、そんな形の木はない。」とか言われて、その通りに修正すると、当時まだ木製でした電信柱になってしまい、森の風景が街の風景になり、ねこを描いたら、そんなのは個性がないと、さるの顔のねこに、人物を描いたら、頭と首の太さは同じだと言われ、円柱のような人物画になってしまうのでした。まあ、円柱ということに関しては、将来の自分を描かされていたのでしょう。そのような状態でしたので、中学の美術の成績は散々で、より一層やる気をなくしておりました。2年生になったとき、非常勤の美術の先生が担当となりました。指導が良いのか、成績の悪い生徒がいきなり優等生に変身です。自分でも訳がわかりませんでした。突然でした、その先生に会ってからは。人物の特徴をとらえ、すらすらとデッサンし、時間が余っているからと、別の課題もこなしていくようにもなっていました。将来、ひょっとしたら絵描きで食べていけるかなと、かすかな希望も持つくらいでありました。とにかく何を描いても面白いのが完成するのです。写実主義に近いものから、その他いろいろと。しかし、丁度いまぐらいの季節でした。ある事件から、また描く事ができなくなりました。先生がどうにかしようとがんばってくれたのですが、精神的にやられていて、そのときばかりは描くことができませんでした。先生のいたわりだったのでしょう。生成表にはびっくりする良い数字がはいってました。その後、担当していただけたら、よくなったのでしょうが、非常勤ですので、その1年限りでした。それ以降、何があっても描いていません。いつかきっと・・・絵がかけますように・・・また、何かきっかけがあるでしょう。まだ先が長いと思うんで。またあのときの先生みたいな人が現われるかもしれませんし。
2003年01月16日
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ここに来られている方も何人か被害??に遭われていますが、数字のマジックのゴロ番。1129で「いい福」などと語呂合わせします。不思議なもので、何年も自動車屋をやっていくうちに、自然にゴロあわせの術が身についてきました。以前はどうしても必要なものでしたから。だから、数字を見た瞬間に語呂合わせを完成させてしまいます。面白いもので、悩んでつくると良いのが出来ません。車をお届けする前に、ナンバープレートを取得しますが、何も問題のない番号が来ればそのまま納車できるところが、変な番号、日本で言うと4とか9が入ると最悪です。気にされない方も多いですが。現在は、希望番号の制度のおかげで、軽自動車以外は、ナンバープレートの番号でクレームが付くことがありません。言われたら希望ナンバーがあるから取り直してくださいとお願いできますので。以前はよく窓口で並びました。番号が来るまで朝から夕方まで、ひどいときは3日ほど通うことありです。14日大安。朝から納車です。取引先の紹介で、そこの息子さんが乗る車で、はじめてお届けするところです。前から準備をしていたのですが、年末のバタバタで、うっかり希望ナンバーのことを説明していません。こんなときに限ってです。「4419」。若い人だから気にしないでしょう。取引先に連絡入れます。「いまから納めてきます。」「番号良いのとれてるやろうな。」「・・・・・・。」「4419ですわ。」「新年早々、変なのやなぁ。」「やっぱりまずいですか。」「あかんかったら替えてやってんか。」「とりあえず行ってきますわ。」約束どおりに午前中に到着です。お父さんは居られませんでしたが、乗る本人である息子さんは仕事が休みで、今か今かと待たれていました。「お待たせしました。」「やっと来たね。ほんとに良かったです。」ナンバーのことには触れずに、車の説明に入ります。「そしたら、またなんかあったときは、言ってください。」とにかくナンバーについては、黙ったままです。帰りの車に乗ろうとしたとき後ろで声がします。「ナンバープレート、4と9ばっかりやぁ。」ナンバーの前で立っています。あわてて戻ります。言われてしまったら仕方ないかぁ。「4と9が3つもあるやんか。」ナンバーを眺めつつ、あきらめて希望ナンバーのことを説明することにします。「4419って、ものすごく縁起がいいんですよ。」とっさに口からでていました。「演技がいいってどう云うこと。」「演技じゃなくて縁起。ものすごく良いです。」へっへっへぇ。完全にこちらのペースです。「いやらしい番号ばかりやん。どう云うこと。」「4419で、獅子が行く。新年から獅子が来てものすごく縁起が良いでしょう。」「はっはっは。おもしろいこと言うやん。確かにええわ。こりゃ、おもしろい。みんなのところに見せに行ったときのネタにできるわ。ほんで縁起のいい車で演技するんやろ。」「ねっ。さっき説明を忘れてたけど、ちゃんと良い番号を取ってきてますんで。」現金なものです。窮鼠ねこを噛むの心境で無事に納まりました。新年からお騒がせです。やれやれ。「でもねぇ、まだまだ甘いね。修行が足りん。」えっと思いながら、あ~あ、やっぱり番号変えてくれかぁ。しゃぁないなぁ。希望番号かぁ。「あのね、4419で、”ちちでいく”だよ。乳で。オレんとこの職場にいる演劇してる彼女にピッタンコ。いやらしい番号、縁起の良い車で、乳でいくで、演技もいい。あいつのこと全てあらわしてる。今から行って笑わしてきたろ。よかったら彼女にも紹介するわ。」
2003年01月14日
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フリーター。意味は誰にでも理解できるでしょう。見つけたい物が見つかるまでとか、就職したいけど出来ない。理由は様々でありますが。フリーターをすることによってやりたいことを見つけることができる。自由が得られる。適正な仕事を探すことが出来る。良い時代になった気がします。ずっと以前は職業の選択の自由はほとんどありませんでした。魚屋の息子は魚屋、寺の息子は坊主、医者の息子は医者と、自然に将来の職業が決まっていました。幼少の頃から、その職業に対して準備が始まります。やめる事は出来ません。一人前になるまでは、かなりのつらい道程を一歩一歩進んで生きます。向き不向きも関係ありません。ひたすらその道に進むのみです。魚屋として、掃除からはじまり、魚の種類、さばき方、仕入れ方、帳面のつけ方、接客の仕方。生きていく様々なことを幼少の頃から学んでいきます。魚の世界で生きていくために、ひたすら勉強勉強の毎日です。大変厳しい毎日です。この厳しい修行が、魚屋のかけがえのない「一人前」を輩出します。しかし考えてみましょう。何年か後に、フリーターと比べてどちらが幸福なのでしょうか。何をしたらいいのかわからない。このような方もたくさん居るでしょう。このような方は、昔のように自由がなければ、道は決められ迷うこともなく、あるがまま生きれば一人前になれます。一人前まで育った人間は、本当の意味での成人でありますので、業界のことはもちろん、社会のこともよくわかっています。そして面白いことがあります。一人前まで育った人間は、仕事のやり方を完全に覚えています。社会についてもある程度理解が出来ています。ですので、道を誤った、この業界が駄目になったと思って転職した場合にどうでしょう。いままで身につけたことを応用すれば、全然違う分野の仕事を始めても、きわめて短期間にその業界のプロになれることが出来るのです。物事に対する考え方、方法がわかっているから可能なのであります。自動車関係は身分の大変低い職業です。進路指導で行き先がなければ、「油屋(ガソリンスタンド)か車の整備やな。」と云う業界です。この世界に入った頃、「自動車で一人前になれ。そうすればどんな仕事でもできる。」このようによく言われたものです。仕事を始めて、適正でないからやめる、嫌だからやめる。ほとんど進歩がない状態で、またやめる。30歳半ばになったとき、一人前の人間が居るのに対して、見習い状態のフリーターが居る。ここで述べたことが、全てのことに全ての人にあてはまると云うことでありません。もちろんのことです。そして、いまの時代です。フリーターを完全に否定できません。しかし、落とし穴があることだけは注意してほしいのです。資本家は、無知でやめさせることの出来る理由を持った労働者を大変好みます。利益を得るためには非常に好都合ですので。もし、将来に何かの間違えで「悪」の資本家になれたときに新成人へはこのように挨拶するでしょう。「諸君、君たちは自由の時代の人間だ。自由にしないのは一生の恥である。同じ職業で過ごすのはナンセンスである。必ず格好の良いフリーターになりたまえ。」自由であるから不幸になることもあるのです。
2003年01月12日
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商売されている方の共通の大嫌いな五十日(ごとおび)であります。道路は混むし資金が豊富でない零細企業にとって、最低で、なくなれば良い日なのであります。知人の大卒初任給の300年分の借金には全然及びませんが、今すべての支払いを完了するのに、初任給十数年分必要の身には、本当に厭な日です。まわりに助けられ何とか生き続けているのであります。自分より少ない額で、いらないことを考える者があることを考えると大変恵まれているのであります。何かの機会にお話しますが、私の場合、ある行動があるから何とか助けてもらっています。当然ですが足を向けて寝ないようにするには、コウモリになるしかありません。お約束どおりに鳥は飛んできます。自分も借金鳥になりますので、ある面お互い様です。が、冗談言いながらも鳥さんをかごにいれてどっかへもって行って沈めてしまいたい衝動には駆られるのであります。次々にやってきては帰られるのですが、今日は昔に取引のあった銀行の担当者も訪れました。「君のところには何もないよ。鳥になってもらったら困るんだけど。ダンプ一杯分撒く塩は買えないから、早よ帰ってんか。」散々に言います。「今日は近くに来たから寄っただけです。」「一分一万円やで。それでも良かったらここに居とき。」もうボロくそです。今では別に関係の無い人ですから。「今日は挨拶に来ただけです。今は銀行員でありませんので。」「そうか、やっと刑務所に行くことになったか。」「いやいや、銀行は自分の意思でやめましたので。」非常に勿体無いことをしています。超一流の、本当はうちのところなんか相手にしてくれていなかったであろう大きな銀行をです。まわりの人間は1人も良い方には言わないらしいです。当然でしょう。収入、社会的なステータス、当分の間仕事がないこと。どれをとっても良いことがありません。「収入が極端に減ってもいい。この間のことも含めて、銀行に居て顧客に対して何も力になれない。それを考えると、フリーになって、儲けが少なくても、企業が少しでも良くなるようなアドバイス、他との架け橋的なことが出来るほうが自分自身にとって一番やりがいがある。」とりあえずは追い返すのはやめました。利用してやるかどうかは別として。
2003年01月10日
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2003年01月09日
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零細企業のアホ社長は人使いが荒い。と云うよりお願いして助けてもらうことが多い。人が雇えないので何とか切抜ける為に必死になるのであります。当然、買物も頼みます。今日は電話のかかって来た新車の営業担当です。「今から行きますけど、なんかあります?」若い新人さんです。右も左も下もわかりませんので、勉強しようと御用聞きです。「ハンハーガー1個と80円の牛乳1パック。」昼食を摂ってないので、とりあえず何かほしい状態でした。「買ってきましたよ。」マクド(マクドナルド)の大きな袋と、雑誌やお菓子やパンなどの一杯になった袋を持ってきました。「そんなに頼んでないぞ。自分の分も買ってきたのか?」「買いたくなかったんだけど仕方ないでしょう。」「金は頼んだ分しか払わんぞ。」よくよく話を聞きます。特別な事情とも思えません。”はずかしい”ただ、それだけです。もう少しくわしく言いますと、ハンバーガー1個だけとか、コンビニで牛乳の小さいパック1個だけ買うと言うのは、格好が悪いとのことです。「ガソリン1リッター。」これも格好が悪いらしいのです。自分自身でいままで思ったことも無い感覚でしたので、びっくりです。いらないもの、買ったこと無いことは無いですが、買わない主義なので、ガソリン500ccとか、インスタントラーメン1個とかを買うのは、なんとも無いです。消費することに恥ずかしいと思ったことがないもので。ただ、まあ理由は今度の機会にしますが、生理用ナプキンひとつだけ薬局にもらいに行った時は、ちょっとだけ恥ずかしかったです。消費者がどのように考えているかと云う点で、今日は非常に勉強になりました。販売する側が、買物は恥ずかしいを巧く植え付けれぱ販売につながる。新たな視点の発見でした。「勉強さしてやったから、今日はおごりでいいな。」100円しか所持金がありません。さっき支払いをしたばかりだったのを忘れていました。「こんど、おごるし。」無理やり納得させて、授業料を受け取ったと自分自身に言い聞かせて、大変すまないと思いながら、その場をなんとか切抜ける零細企業のアホ社長なのでありました。今日のお礼に、今度はタンポン買いに行かしたろ。無駄遣いしない勉強の為に。
2003年01月08日
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初詣にはいきませんでした。そこで困ったのが、お守りの処分。ゴミ箱に捨てるには抵抗あります。それとも次の時まで置いておこうか。知人が5日の日曜日に持っていってくれるとの事なので頼みました。5日と云うのに、まだすごい人手でだったそうです。渋滞もひどく、なかなか辿りつけない状態のようでした。びっくりしたのか゛、お札を返す所の賽銭箱に「返納500円以上」と記載されていたこと。いくら収めるかは勝手だと思うんですが。返納に金額を強制するようになったか。時代の流れといえばそれまでなんでしょう。神様も貧乏になり貪欲になってきています。そのうち坊主も修行忘れて資金繰りに走るのでしょうか。みんな貧乏になってきています。まあ、お守り類が、自然のものでなく、科学的に合成されたビニール等の樹脂類で作成されますので昨今の環境問題で処理に困っているのでしょう。天然の素材を使えば、もう少し問題がましなのかと、ただダイオキシン等々の素人には難しい問題でままなりません。知らない間に味気ないものが増えてきています。お守りはビニールだらけは前出の通りですが、鏡もちまでがです。鏡もちが真空パックになり、それが今では、二段の形をしたパックの中に、おしりから開けると丸いもちが数個ぽろぽろと出てくる作りに変ってきております。もちの上にみかんを載せますが、これも樹脂でできています。はりぼての鏡餅のように、何かの形だけの整えば良いというさまざまなことが、貧しい心の日本人の鏡かもしれません。
2003年01月07日
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年末に、金魚の水槽を洗ってくれるのは良いのですが、金魚が入ったままホースで新しい水を勢い良く入れてくれました。「金魚がグルグルまわっておもしろい。」何をしでかすやらわかりません。金魚がボロボロになっています。当然の結果ですが、元気をなくして浮いてくる者ありです。翌日からやはり浮いてきました。息はゆっくりで、無重力空間のように天地の区別がありません。金魚のことは良くわかりませんが、おそらくお迎えに来るのが近いのでしょう。すくい出して始末を考えたのですが、息をしているだけに迷うところです。えさは食べやすいように、かなり細かくつぶして与えます。弱ってから面倒を見ているので、元気な時の姿は知りません。毎日見ていると、エサがほしいときだけはわかるようになりました。瀕死の状態にもかかわらず、こちらの姿がわかると体をおおきく必死になってくねくねと動かします。生への要求。力強く食べていきます。水面を、おまえそんなに力があったのかと驚くほど貪欲に突き進んでいきます。釣り針にかかったコイのように水面を波立たせて突き進みます。全然なんとも無い元気だつた者が底で逆さに沈んでいます。ただ逆さになって浮いてすっくり呼吸しているだけ。静かに時が過ぎていきます。エサをあたえることしかできません。
2003年01月06日
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年賀状も届き、がんばってやっているなぁとか、大変だなぁ等と確認しながら、負けずにがんばってやるぞと思うのであります。お正月、仕事だった方もたくさんいらっしゃいます。気になる人物がありました。年賀状によると5日まで休みを取っています。確か12月28日から休んでました。これだけであれば、どこが悪いのだ、と思われるでしょう。問題は、その人物の業種がこの時期に稼げる可能性があるにもかかわらず休んでいることです。それも1年ほど前に独立して仕事が無いと悩んでいる人物です。年末に金を貸してくれと来ていました。以前に聞いたお話を紹介しましょう。ある競馬の好きな人がおりました。喫茶店をしておりました。商売もたいへん順調でした。あるとき、ふと考えました。競馬場の近くに店を開けば休みの日はすぐに競馬場にいける。競馬も話のネタにできる。誰もが思うことです。数ヶ月後に実行に移します。が、何ヶ月も持たずにつぶれてしまいました。味には1つも問題の無い店でした。ただ一番の原因は、競馬の開催日に店を休んだこと。お客さんにサービスしなければならないのに一緒になって休んでいる。競馬場の駅は、開催日のみ急行が止まる駅でした。当然、その周辺に企業の事務所もほとんど無いところで、また国道からも少し離れていました。平日は静かなところです。まわりにもたくさん喫茶店があります。同時期に開業したお店もあります。つぶれていません。平日は、ほとんどの店が赤字です。ただ日曜日は、違いました。朝食を奥さんが作ってくれないとか、近所の人のコミュニケーションの場として集まっていたのでした。競馬の開催日は、当然のごとく、すごい人です。競馬新聞片手にワイワイやってますし、終わってからも、電車が混むし勝ったから食事して帰ろうとかで、多額の利益があがるのでありました。平日の赤字なんか全然気になりません。起業家諸君!休むなと云うことではありません。熱意がほしいのです。
2003年01月04日
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2003年01月02日
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新年おめでとうございます。あっと云う間に2003年になってしまい、また年をとってしまったと、あせるばかりてあります。昨年もいろいろあり、景気も良くならず、誰もがそうでしょうが、楽な生活はほど遠く、借金はおもしろいくらいに増えていきます。節目として考えると、自分自身で、することが可能であることを100パーセントしたのか、油断することはなかったのか、悪い何事に対しても人の責任にしなかったか・・・答えはNOです。戦いです。自分自身の弱さとの。誰かが与えてくれるわけでありません。何もせず良いことが起こるわけありません。もし起こったとしたら罠です。今年は、初詣に行きません。神頼みして良い事があるのではないです。やるべきことをやるのが先決です。年末にはお参りにいけるようになりたいです。今年1年見守っていただけたおかげでよくなりましたと。
2003年01月01日
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