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辛く長い実習と卒論を終えて、無事に看護師国家試験も合格本来なら「就職」なのですが、看護学校の先生に「保健師の大学を受けてみないか」と投げかけられ、正直「保健師って・・・?」役所の保健指導とか・・には興味はないけれど「訪問看護」にはとっても興味のあった私は素直に短大の保健学専攻科を受験保健師になるためには看護師の免許を有していることが条件なのです。40人定員のところに700人近く受験してきていたのであまり期待はしていませんでしたが・・・結果は見事「合格」こうして私はもう一年学生生活を送ることになったのです
July 22, 2006
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実習中に受け持った患者さんで忘れられない人がいます。この患者さんは自宅で「心筋梗塞」を起こして緊急入院されました。心筋梗塞は一分一秒を争う病気ですが、この方は幸運にも家族の目の前で前兆があった後に意識を失ったのですぐに救急車を家族が呼べたことと、目の前に救急の総合病院があったことで、すぐに搬送されて処置が受けられたことで一命を取り留めました。70歳の男性で、とっても頑固実習生が付くことなど、もってのほか!!という方でした。でも病棟師長の説明で同意?され私が担当することになったのです・・「あまりひっつかないでくれ!」「出来ることは自分でやる!余計なことはするな!!」毎日この言葉・・・「この○○おやじ~!!」心の中は、こんな関係で実習が無事に終わるのだろうかという不安でいっぱいでしたそんな私と患者さんの中和剤になってくれていたのが、この患者さんの奥様でした。いつも怒鳴られる私に、患者さんの見えないところで優しく声をかけてくれました(感謝)「私はあの頑固に何十年も付き合っているの。あれが本音ではないのよ。本当は孫のようなあなたが毎日来てくれるのを楽しみにしているのよ」と。この言葉を励みに、毎日この患者さんに出来る「看護」を考え接しました。この時に 「何かをしてあげることだけが看護ではない」 ということを学んだのです 「患者さん一人ひとりに合った看護を提供する」学校はその基本となるものを学ぶところであり、応用や実践は、やはり「臨床」という現場でしか得られないものであることを実習で痛感するのです実習最終日、患者さんへ挨拶に行きました。すると「頑固じいさん」は右手をそっと差し出して「ありがとう。君が毎日一生懸命、僕のために看護をしてくれたことが嬉しかった。一度は失いかけた命だ、君の一生懸命さを見ていて僕ももう一度元気にならなきゃと思えた。君はいい看護婦さんになるよ。」と言ってくれ、御礼にとスカーフをくれました。あれから15年・・・今でもそのスカーフは私のお守りとして、大切に持っています
July 21, 2006
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高校を卒業し、県内の看護学校に入学した私は、「寮生活」に憧れを抱き、通学に30分とかからないにも関わらず看護学校の寮に入りましたこの2年間は本当に楽しい充実した時間でした衣食住を共にする仲間って、永遠ですね・・・。この学校の寮は、入学して半年間、1年生は寮生活に慣れるため2年生の先輩と2人で一部屋の生活を送ります毎日先輩に気を遣って緊張・・・と思いきや、私の同室の先輩は気さくで明るくて、ちょっとマヌケなかわゆい先輩だったのです今も私にとって大事な大事な親友ですこの親友はお医者さんと結婚し、今は2児の母であり専業主婦をしています。同じ「看護師」という職業をめざし苦楽を共にする分、培われる友情はとても強かった真夜中に寮を抜け出し遊びに行ったり、屋上で朝まで話したり・・・そんな一つ一つが今も大事な「思い出」という宝物として私の中に残っています「好きな人ができた」「内緒でバイトがしたい(バイトは学校の禁止事項でした)」「実習が上手くいかない」そんな友の悩みは、ぜ~んぶ自分のことのように本気で悩み、全力で協力しました。だって・・・みんなもそうしてくれていたから
July 20, 2006
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こうして私は着々と看護の道を歩んでいました。「看護」そのものは想像以上におもしろく、 気が付けば成績も上位を占めていました(照)でも・・・花の高校生活こんなに「看護」に染まってしまっていいのだろうか・・・周りを見渡せば、みんな高校生活を楽しみながら、これから自分は何になろう・・何を目指そう・・と試行錯誤しながらも高校生活を楽しんでいるのに・・・私は、当たり前のように看護の道に進み、当たり前のように看護の勉強をしている。15歳にして将来の職業が決まっているということに怖さを感じたりもしました多感な時期ですからね(笑)結局は、波に流されるかのように高校3年生となり、進学は絶対に受験したくないと推薦枠をGET無事に卒業を迎えたのでした。
July 19, 2006
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高校の看護科は本当に特殊でした。一般科目のほかに、「看護学」の授業がかなりの単位で組み込まれています。「解剖生理学(人体の構造)」に始まり、基礎看護・成人看護・老人看護・小児看護・母性看護などなど・・15歳の私には刺激的過ぎる内容でした。でも・・知れば知るほどにおもしろいやっぱり看護って最高だあ~高校2年生の終わりには、夢の「戴帽式」そう!ナースキャップってやつがもらえるのですこれをもらったら、各病院に実習に行きます(ドキドキ)命の現場って、やっぱり厳しい高校生といえども容赦はありません。「実習の目的、受け持ち患者さんにどんなケアをするか、その根拠は? 実施方法は・必要物品は?患者さんへの説明は?」などなど、指導者と言われる看護師の質問攻めですこの難関を突破しなければ患者さんのところには行かせてもらえません・・毎日毎日、文献を片手に勉強勉強の繰り返し・・・。泣かされるのは当たり前トイレは唯一の逃げ場のようでした(笑)そんなこんなの高校生活。看護にひたり、恋愛やバイトといった普通の高校生が経験する数々の楽しいことは、何一つ出来ずに過ごしたように思います
July 18, 2006
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今日から私の看護師人生の軌跡を書いていこうと思います私は2人兄弟の長女として誕生幼稚園のときに両親が離婚し母子家庭となり昼間は営業、夜は水商売と働き続ける母を見て育ちました。正直とっても貧乏でした。中学校に入学した時、部活動は兄がテニスをやっていたからラケットがある(必要経費削減??)一▽一; ただそれだけの理由で「軟式テニス部」へでもでもこれがはまったんです!!地区大会・県大会では常に上位3年生の夏に、当時ペアを組んでいたユキと一緒に「○○高校」へのスポーツ推薦の話がきましたその高校は「軟式テニス」のインターハイ常連校で、テニスに没頭していた私には嬉しい話・・・のはずでしたが、なぜか私は「テニスじゃ食べていけない」という超現実的な考えで推薦を断りましたユキはそのまま推薦でその高校に進学し、インターハイ出場、一流企業にテニス推薦で入社したのでした・・・(今思えば、テニスでも食べていけたのかもね~^^;)私は先生達の反対も聞かず、某短大付属高校を受験、看護科に入学したのでした入学成績は160人中156位
July 17, 2006
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