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2018年12月06日
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カテゴリ: 本に親しむ
副題は ~天皇の師として、自由主義者として~ とある。

以下、目次
第一章 父と修学時代
1 父・小泉信吉――福沢諭吉との密な関係
2 青年期の記憶――公立小から慶應義塾へ
3 経済学への目覚め――明治時代末期の中で
第二章 論壇の若き経済学者――マルクス主義批判の旗手
1 ヨーロッパ留学――第一次世界大戦下の英独仏体験
2 反マルクス主義の展開と論争

第三章 戦時下、慶應義塾長の苦悩――国家・戦争の支持
1 アメリカ旅行――ハーバード大学での体験
2 戦意高揚の主張、長男の死
3 敗戦による祖国愛の反省――「道徳的背骨」の模索
第四章 皇太子教育の全権委任者――「新しい皇室」像の構築
1 御進講覚書――「道徳的背骨」という前提
2 「象徴天皇」以上の追求――『ジョオジ五世伝』『帝室論』の読解
3 ご成婚への関与――正田美智子選定と皇太子の思い
第五章 オールド・リベラリストの闘い
1 講和論争――反共・現実主義者の平和論
2 600年安保改定問題



今上天皇が皇太子時代の教育者として、この方の名前をよく目にする 。先般も京都で、天皇皇后の話題になった時に、教育者としてのこの方の功績を取り上げてみたので、、  書店に行ったら、たまたま本書が目に入り、より良く知るには、よいタイミングと思って手にした。

 本の中では、「反省」の項が、とても興味深い。戦後の皇室の形づくりも、この「反省」から生まれている部分が多いのでは、、、 



 以下、本文から“”部、抜粋引用

  “小泉はまだ占領下、「反省」と題する一文を寄せている。(『サン・ニュース』1949年1月5日)

 小泉はいう。明治の隆盛は西洋の科学と個人尊重の思想の導入に負うものであったと。それを取り入れたたのは士族であった。彼らは伝統的な面目と廉恥の観念と、儒教によって養われた強い義務心を身につけており、それは彼らを「道徳的背骨」のある人間とした。西洋学問と従来の思想は幸いなる結合を形成し、彼らは物事に対して心に用意のある人、何者か守るところのある人とした。彼らが国の大事を誤らなかったのは、このためである。
 しかし、この背骨をしっかりさせることが、その後の日本で怠っていたのではないか。「日本在来の教えはゆるがせにされて、西洋文化もしっかりと本質的には掴むことを怠った。これが日本人の犯した過ちではなかっただろうか」と問う。
 翌1950年1月には次のように述べている。
 自分はあの戦争に反対であったと数え切れない人が口々にいう。それは嘘ではないが、ではなぜ、あの戦争が起きたのだろうか。言論の自由がなかったからか。では、言論の自由を守るのは誰か。我々自身ではないのか。孔子は、「義を見てせざるは勇なきなり」と述べたが、これこそがまさに「不勇」の一例ではないだろうか。
 こうした「反省」は小泉自身に向けられたものでもあろう。
 ‥‥‥
 ‥‥‥
 その「反省」は、昭和天皇への進講、皇太子教育にも少なからず影響を与えたであろう。”

  “ともあれ、小泉は戦後、日本人は皇室を対象として「忠」を知り、「忠」そのものを学んだと主張した。そのためには皇室が道徳的資質を備えていなければならない。その資質の向上に向けて、小泉は皇太子教育に取り組むのである。”


 終戦時、57歳、戦前、戦中、戦後の激動の時代の中で、留学などを含めての様々な経験から培った知識と感性、幅広く嗅ぎ取った社会の空気、、 昭和のブレーンとしての存在を二人挙げるならば、安岡正篤、小泉信三両氏をあげたい。

 はたして、平成の時代、このような方に匹敵するブレーンがいたのか、いるのか? なんか心もとないが、単なる思い過ごしであってほしい。


 あと、つけ加えるに、この本は氏の良い面、悪い面について隔てなく、ニュートラルな位置で書かれているのにも好感が持てた。





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最終更新日  2024年01月10日 04時25分23秒
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